今日(3月23日)のオンラインニュースの写真で目に飛び込んできた映像は人影が2~3人しかいないパリのエッフェル塔前の広場だった。その記事の表題には「ニューヨークとパリはがらがら」という文字が躍っている。これがコロナウィルスの大流行の現状を象徴的に伝える今朝の報道だ。
後知恵ではあるが、当初中国政府の対応が遅いといって苦言を呈していた西側の批評家や政治家は今自分たちの対応も中国と負けず劣らず遅きに失したことを認めざるを得ないであろう。たとえば、今朝の別の報道によれば、米国の諜報部門は1月から大流行の危険性を指摘し、国会議員やホワイトハウスの職員宛てに何回も警告を送っていたという。それにもかかわらず、議会もホワイトハウスも目に見えるような行動を起こさなかった。
イタリアにせよ米国にせよ、国内の政治勢力が二分している国々では新型コロナウィルスによる感染が必要以上にひどくなっているようだ。不幸な事に、どちらも初動で躓いた。つまり、人災の側面があって、その影響は無視できないほど大きい。日本では与党と野党との力関係は与党側に大きく傾いており、与党はやろうと思えば何でもやれる政治的環境を持っている。しかしながら、一般庶民が今感じているのはコロナウィルスの大流行を抑えるという観点では日本も初動で失敗したと言わざるを得ないのではないだろうか。
ここに、「新型コロナウィルスがヨーロッパの自由主義を解体」と題された記事がある(注1)。コロナウィルスの議論としてはスケールがずば抜けて大きい。つまり、コロナウィルスがヨーロッパの基本的な政治理念に与えた影響を論じている。
本日はこの記事を仮訳し、読者の皆さんと共有しようと思う。ヨーロッパの現状を学んでみたい。
<引用開始>
Photo-1: ファイルから ©
Reuters / Dylan Martinez
自由主義は一連の教義に根底を置いている。政治家がそれを復唱し、メディアがオウム返しにする。たとえば、「多様性はわれわれの力だ」という文言は、それが意味を成さなくなってすでに久しいにもかかわらず、持説となっている。しかし、新型コロナウィルス
が状況をすっかり変えてしまうであろう。
自由主義は流動的なイデオロギーであって、その基本的な教義は偉大な論文や設立文書に記述されているわけではない。教義が刻まれた石板は存在せず、自由主義的民主国家の市民はかって中国共産党の党員が常に所持していた「毛沢東語録」に匹敵するような小冊子を持っているわけでもない。
新型コロナウィルスのせいで世界中で10,000人(訳注:ルーマニア時間で3月25日の13時半現在、19,638人)もの人たちが死亡している今、差し迫った疑問はこの大流行がいったいどれだけ長く続くのかという点だ。
国境の閉鎖は反ヨーロッパ的だ:
Photo-2:
オーストリアとドイツの国境で検問を示す交通標識。2020年3月19日。
©
Reuters / Andreas Gebert
教義:
「EU内の市民の移動や住む場所の自由はEU市民権の土台である」 - EU議会
現実:
Covid-19の大流行は「開かれた国境は何としてでも守る」という教義を記録的な速さで解体してしまった。
EU圏内の保健相が先月会合を持った。彼らはヨーロッパ大陸の国境を閉ざすのは「均衡を逸脱しており、効果もない」と言う点で皆が合意した。その2週間後、コロナウィルスがイタリアから外部へ広がって、エマニュエル・マクロン仏大統領は「ナショナリズム」が正真正銘の危機に瀕していると宣言し、「ウィルスはパスポートを持ってはいない」とも言った。
ウィルスは確かにパスポートを所有してはいないかも知れないが、ウィルスを運ぶ市民はパスポートを所有している。今、ローマでの会合から1カ月足らずで、「シェンゲン圏」はその存在が実質的に葬り去られたのである。ヨーロッパのほとんどの国は国境を閉鎖し、航空機の往来を止め、外国人の入国を制限した。まさにウィルスが広がるのを許す穴だらけの国境を非難する姿勢に関して言えば、ヨーロッパはこの時点で大流行の中心地である中国に取って代わったのだ。
ビジネスが繁栄し、人々が死亡することがない限り、国境の開放はいい考えである。しかしながら、実際の危機に直面すると、自由主義的な西側各国も自国の国益へと逆戻りする。
人権と自由は侵すことができない:
Photo-3:
フランスのパリで必須となっている封鎖措置を実行する警察官。
2020年3月18日。©
Reuters / Benoit Tessier
教義:
「現代文明はその具体的な基礎を自由の原則に置いて来た。つまり、人は他人に使われる存在ではなく、むしろ、自治的であり、主要な生き物である」 - ヨーロッパ連邦主義者であるアルティエロ・スピネッリの言葉
現実:
スピネッリはヨーロッパの統合のために自分の生涯の大部分を費やし、個人的自由の概念はヨーロッパの指導者たちによって常に言及される概念となった。しかしながら、新型コロナウィルスはこの面白みのない言葉を潰してしまった。
隔離は今やヨーロッパ大陸のどこでも必須である。閉鎖命令に背いたイタリア人は227ドルの罰金を食らうか、3カ月間の刑務所暮らしとなる。スペインはフランスやノルウェーと同様に、何十人も逮捕し、最高で33,000ドルの罰金を課した。英国では、木曜日(3月19日)に通過した法案が公衆の安全を名目に個人の自由を制約する新たな権限を政府に付与した。
rt.comにおける関連記事:Lockdowns,
curfews. Troops on the streets. Governments handing out free cash.
This utter madness was entirely avoidable
その法律によると、保健当局の職員にはスクリーニングのために「潜在的に感染が疑われる市民」を拘束する権限が与えられる。さらには、国家は診断試験の後にウィルスの保持が疑われる市民を「必要に応じて、それ相当の」期間にわたって隔離することが許されるとしている。両親は、そう要請された場合には、自分の子供たちを保健当局の職員に引き渡さなければならない。さもなければ、罰金が課される。
中国では過酷な取り組みがウィルスを直ちに止めるのに功を奏したが、われわれの指導者は個人の自由を国家のための施策よりも優先した。彼らはこう言う。中世以降、政府はより優しくなり、より親切になって来た。しかしながら、現実には、彼らは自分たちの権力を行使する。自分たちの職員が中世の地方行政官のように振る舞えるように自由裁量を与え、疾病に見舞われた地域を立ち入り禁止にし、誰もが刑務所に放り込まれたかのような苦痛を感じる封鎖措置を実行する。
われわれは皆がヨーロッパという大家族の一員だ:
Photo-4:
ファイルから。2019年のブリュッセルでのEUサミットでポルトガルの
アントニオ・コスタおよびルーマニアのクラウス・ヨハニスと歓談する
アンゲラ・メルケルドイツ首相
©
Reuters / Yves Herman
教義:
「ヨーロッパの大家族は何事でもうまくやって行ける。完全さを除いてはね。しかし、ヨーロッパの国々を同じテーブルに就かせるために最高の手段を持っていることは素晴らしいことだ」 - 前EU委員会の委員長を務めたジャン・クロード・ユンカーの言葉。
現実:
EUの指導者らは2000年に「多様性の中での統合」をEU圏のモットーとして採択した。これは活気のないEUの官僚主義的な機構に何らかの活力を注入しようとしたものであった。コロナウィルスの大流行はこの文言が空虚に聞こえることを証明してくれた。
公衆の健康に関する危機の最中にブリュッセルが断固とした行動を起こす権力を持つことは比較的重要なことである。今月の始め、イタリアにおける感染者数が何千にもなった時ローマ政府は絶望的な状況に追い込まれて、EU圏における「市民保護メカニズム」を通じて医療器材や支援を要請した。しかしながら、ブリュッセルはメンバー国家に対してこの要請に応じるよう命令する権限が欠けていたことから、どこの国も名乗り出ることはなかった。
rt.comにおける関連記事:Slavoj
Zizek: Biggest threat Covid-19 epidemic poses is not our regression
to survivalist violence, but BARBARISM with human face
ドイツのアンゲラ・メルケル首相は2015年に百万人以上の難民を受け入れる決断をした。その時、これを「人道的な」決断として説明し、他のメンバー国も一緒にこの重荷を背負うようにと呼び掛けた。けれども、今や、そのような同志意識は皆無だ。新型コロナウィルスがイタリアやスイスで猛威を振るっている中、メルケル政権は保護マスクの輸出を禁じた。フランスも外国への保護具の流れを規制した。EU圏全体としても圏外への医療器具の輸出を禁止した。セルビアのような従属国家に対してさえもそうしたのである。
新型コロナウィルスによって打ちのめされた中国だけがこの真空状態を埋める動きを示し、セルビアに向けて5百万個のマスクを出荷し、イタリアへは300人の医師を派遣した。ヨーロッパの大家族にとっては大変な量である。
ヨーロッパ文明は最高の文明:
Photo-5:
スイスのジュネーブにある作家であり哲学者でもあったジャン・
ジャック・ルソーの像
©
Reuters / Denis Balibouse
教義:
「人類はすべてが平等であり、独立している。何人も他人の生命や健康、自由あるいは所有物に危害を与えてはならない。」 - 英国の哲学者ジョン・ロックの言葉。
現実:
市民は団結し、社会のために行動するという社会契約の考え方はルネサンスの頃ヨーロッパで生まれた。それ以降、われわれヨーロッパ人は独立心が旺盛な米国の従兄弟たちに比べてより文明化した存在であると見なして来た。あるいは、外国のわれわれの友人たちは専制主義による命令に従うよう強要されるとさえ見なす。
現実には、ヨーロッパは70年間にわたって途切れのない平和を享受して来た。われわれの文明は何らかの試練を受けるようなことはまったく無かった。ところが、致死的なウィルスが玄関口へやって来た今、われわれのメンバー国のいくつかは一晩のうちにジャングルの掟が支配する「自然の状態」に逆戻りしてしまった。
ロックの言葉を無視して、法律の順守は言うまでもなく、フランスやイタリアおよび英国では略奪に関する報告が表面化している。
パニックに陥った買い物客が食品や飲料水を大量に買い込み、スーパーマーケットでは小競り合いが起こった。買い物客は棚を空っぽにし、年配者や身体が不自由な人たちには何も残してくれなかった。
rt.comにおける関連記事:UK
supermarkets SWAMPED with panic buyers amid Covid-19 crisis, as
product rationing falls on deaf ears (VIDEOS, PHOTOS)
英国では、貧困者や社会でもっとも恵まれない人たちのために用意されているフードバンクさえもが荒らされた。
これがロックやホッブス、ルソーが語ったヨーロッパであろうか?明らかにそうではない。
著者のプロフィール: グラハム・ドッカリーはアイルランドのジャーナリストならびに批評家であり、RTに寄稿している。以前はアムステルダムに本拠を置いて、DutchNewsや数多くの地方紙や全国紙のために書いていた。
注:この記事に示されている内容や見解ならびに意見は全面的に著者のものであって、必ずしもRTの意見や見解を代表するものではありません。
<引用終了>
これで全文の仮訳が終了した。
国境を越えて一般市民が自由な移動することを許してきたシェンゲン圏が実質的に崩壊した。新型コロナウィルスはヨーロッパ人が長年追い求めてきた理想を一晩のうちに破壊してしまったのである。
1カ月あるいは2カ月後にコロナウィルスの感染が遠のいて、元の生活のリズムが戻って来た時ヨーロッパ人はすっかり変貌したヨーロッパの姿を見ることになりそうだ。近い将来に見られる現実のヨーロッパは糖衣錠のような口当たりの良さを失い、その苦さが口いっぱいに広がることであろう。
ヨーロッパの大家族と言う理念は再生するのだろうか?それとも、新型コロナウィルスが裸の王様の本当の姿を暴露してしまったことから、この理念は再起不能に追い込まれてしまったのだろうか?そして、これとまったく同じ問いかけが米国に対しても有効であるように思える。その答えはしばらくすると見えて来るだろう。
参照:
注1:Covid-19
dismantles the hollow commandments of European liberalism: By Graham
Dockery, Mar/20/2020, https://on.rt.com/ad7h