2018年1月9日火曜日

戦場の特派員からの新年のメッセージならびに警告 - アンドレ・ヴルチェク



アンドレ・ヴルチェクはドキュメンタりー・フィルムを作り、調査報道を行い、著書を刊行するといった多面的な活動を行い、しかも、鋭い批評眼で知られている。旧ソ連邦のレニングラードに生まれ、米国に帰化している。140カ国以上もの国々を旅行しているという。

彼の記事はこのブログでもすでに何回か掲載しているので、彼の名前をご存知の方も多いと思う。明晰な頭脳を駆使した彼の調査報道は鋭く、われわれをテーマの深層にまで導いてくれる。

ここに11日付けの「戦場の特派員からの新年のメッセージならびに警告」と題した記事がある [1]。これは大手メディアのジャーナリストが陥る杜撰な記事の作り方を辛辣に批判したものだ。彼自身の体験を綴っているだけに、彼の主張は実に説得力に富んでいる。

本日はこの記事を仮訳し、読者の皆さんと共有したいと思う。

世界の潮流や国際政治の深層を正しく見ようとするドキュメンタリー・フィルムや調査報道に優れた洞察を見せるこのジャーナリストは、今、何を感じ取っているのであろうか?アンドレ・ヴルチェクが指摘する西側の大手メディアの問題点を学んでおこう。


<引用開始>

ニュース放送や新聞から離れ、さらには、「友好的な」インターネットの出版物からさえも距離を置いてみることは時には有益である。

世界中に住んでいる人々の「心や意識」を勝ち取ろうとして常に競い合っているふたつの現実が存在する。この事実を認識することはいいことだと思う。一方では「本当の生活」があり、他方では「偽の生活」がある。一方には「現実」があり、他方には巧妙に作り出された「疑似的現実」がある。後者は現実そのものよりも現実らしく見えるよう作られている。それは化学的に作り出された緑のリンゴの香りを付けたシャンプが実際の果物よりも本物らしい香りを放つようなものだ。

*

私は定期的にジャングルの中や戦場に消えることがある。それはアフガニスタンやフィリピン南部であったり、略奪されているボルネオ島のど真ん中であったりする。ある人たちがためらいもなく「正常な世界」と呼ぶ環境へ私が戻って来て、空港の待合室でニュース番組が不意に私に向かって襲って来る時、少なくとも最初の数分間は極めて不快に感じ、突如として、すべてが無性に不気味で、醜悪で、完全に超現実的にさえ見えるのである。

主要メディアのニュースや分析内容のほとんどは贅沢な肘掛け椅子に座って書かれ、あるいは、マホガニー製の机の上で書かれる。シュラップネルや汗、砕けた肉塊、流血、燃え上がる木立ち、汚染された水路、その他諸々の恐怖。実際問題として、この地球上で暮らす何十億人もの人たちにとっては本当の現実以外の何物でもないこれらの恐怖からは何千マイルも離れた場所で書かれている。

物事が実際にはどのように感じられ、どのような味がし、どのような匂いがするのかを思い起こしながら、私は絶望的になる。マスメディアが描写しようとする現場を私は認識できない。われわれは互いに異なるふたつの宇宙について話している。その通りだ!まったく正反対のふたつの異なった現実が存在するのだ。

*

主要メディアの特派員が現場へ出かける場合、彼らは防弾チョッキを着て、ヘルメットを被り、4輪駆動車(防弾機能を施した車両もある)を使い、空輸や救出に関する特別条項を含めた立派な生命保険を準備し、たっぷりとした給与やその他の補償があてがわれる。彼らの胸や背中には「プレス」と言う文字がはっきりと表示される。

私はいったい何をブツブツ言っているのだろうか?自分の生命を危険に曝すことに対して保証を与える、あるいは、特派員たちを防護することが悪いのだろうか?

いや、悪くはない。もちろん、悪くなんてない。

ただ、ほんの小さなことを除けばの話だ・・・ このようなやり方では現実に近づくことは誰にも出来ない。あなたは馬鹿者に徹することもできないし、自分自身をメディア界のランボーに変身させることもできないだろう。表面下にある物事、非常に重要な事、すごく画期的な事、等を掘り出すなんてことは期待出来そうにはない。

あなたがご自分の命を過剰に防護し、すべての動きについて過剰に保険をかけようとするならば、あなたご自身と人々の本当の生活との間に厚い壁を築いてしまうことになるのが落ちだ。

あなたがこのような調子で戦場へ出かけるとするならば、あなたは目だち過ぎて、質問される。そして、あらゆる種類の許可やスタンプを取得しなければならなくなる。それはもうほとんど「私はあなたのルールに従います。波風は立てません。私の動きについてはすべてを監視しても構いませんよ」と宣言しているみたいなものだ。まさにそういった形で満艦飾に着飾って到着し、パプアで大量虐殺を取材する場合を想像してみよう!「幸運を祈る」と言うしかない。公式の許可に関しては、あなたが「友好的な」主要メディアから派遣されているならば、許可はほとんど即座に入手出来ることであろう。もちろん、BBCあるいはCNNといった組織であるならば、すべての必要な資格データを容易く用意してくれるだろう。武装した政府からの護衛、もしくは、(西側に)友好的な「反乱勢力」からの護衛さえをも受けることができるだろう。「食べ放題」の記者会見は言うまでもない。 

しかしながら、現地の市民が本当の意味であなたに話をしてくれるかどうかは望み薄となろう。しかしながら、もしもあなたが主要メディアまたはテレビ局のために働いているならば、あなたは本当の意味で市民からの話を聞こうとするのだろうか?私はそうは思わない。決してそんなことはしないだろう。ボスニアやルワンダ、シリアまたはアフガニスタンといった戦場であなたがモノにして来るように命じられている事柄に代わって、本当の意味で、市民たちは本当のことを喋ってくれるだろうが、結局のところ、あなた自身が聞きたい、報告したいと思っていたことだけをあなたは聞くことになり、あなたの記事や映像は、ほとんどの場合、型にはまった陳腐なものとなってしまうだろう。

では、何を?どうやって?いったい誰が? 現実を記述し、それでもなお生きながらえなければならないとするならば、いったい誰が生きながらえることが出来るのだろうか? 

オリバー・スノーが作成した素晴らしい映画「サルバドル」(1986年)において、ひとりの主人公はこう言っている: 

「真実に近づかなければならない。しかし、余りにも近づくと、あなたは死ぬことになる。」

彼は亡くなってしまったが、彼が言ったことはこうだ。紛れもなく、こういうことなんだ!空中、あるいは、地上のどこかに目には見えない、想像上の線が引かれている。決してそれを見ることはできないが、戦場で何度も仕事をしたことがあるならば、あなたはすでにそれを感じ取っている筈だ。そして、実際にそれがあなたの命を救ってくれるのだ。多くの場合、それがあなたの命を救ってくれる。もちろん、何時もそうだとは言えない。あくまでも、多くの場合である。戦場で死ぬ人たちはほとんどが初めての取材の最中であって、まだ自分の第六感を磨き切ってはいない時に重大な間違いを犯した男や女たちだ。私が今言おうとしている内容は他人に教えることは不可能だ。それは論理ではなく、何かが「そこに」あるのだ。

出来る限り真実に近づこうとするならば、素早く、断固として、正確性を持って、大間違いを避けながら作業を進めなければならない。

あなたはあなたの周囲に居る者たちに信じて貰わなければならない。また、あなた自身が誰を信じ、誰から身を守るかを弁えていなければならない。

あなたは自分自身の裁量で行動しなければならない。少なくとも、ほとんどの場合がそうだ。

これが何かを保証するのかと言うと、そうではない。しかし、もしもあなたが紛争や戦争を少しでも理解したいと思うならば、これらが基本的な条件だ。

打ちひしがれた場所で働いていると、非常に感情的なものとなり、問題の奥は深く、時には、あなたは圧倒されてしまうかも知れないし、あなたの眼鏡は曇ってしまうかも知れない。あなたは間違いを犯すことだろう。でも、願わくば、その間違いは程々なものであって欲しい。場合によっては、特別なストーリーを追っかけることがあるだろうし、一般的には何を追いかけたいのかはご存知の筈だ。偶然にもそれに遭遇するかも知れないし、それが正面からあなたを襲って来るかも知れない。しかも、全力で。

もしもそれが好ましいならば、単に「報告をする」というだけではない。それはジャーナリズムを遥かに超えてしまうか、単に無意味なものでしかない。あなたが行っていることには何か詩的なものがあり、哲学や人間性、さらには、大量の文脈や主義、情熱が絡んで来るに違いない。

この仕事には「客観性」なんてあり得ない。つまり、客観性は単なる幻想であり、主流のメディアによって流布されたお伽話だ。しかし、あなたは決して嘘をつくべきではない。つまり、あなたは物事を観察し、自分が言うべきことを自分自身が妥当であると信じる形態で喋るべきだ。そうしながら、あなたがいったいどの立場に立って喋っているのかに関してあなたの読者や視聴者に対して正確に述べることはあなた自身の義務でもある。

ひとりの人間として、あるいは、ひとりのアーチストや思想家として、あなたは常に立ち位置を明確にすべきである。しかし、あなたの立ち位置、つまり、バリケードのどちら側に立っているのかを明確にし、正直でなければならない。さもなければ、あなたは嘘つきだ。

*

口には苦いかも知れないが、本質的な真実はこうだ。たとえあなたが自分の命を境界線に曝したとしても、たとえあなたが重傷を負い、心理的にもすっかり疲弊してしまったとしても、周囲から感謝の念や支援を得ることは期待しないで貰いたい。

数多くの地域の犠牲者たち - あなたが防護してやろうと思っている人たち - はあなたに面と向かって自分の思いをこう告げるかも知れない。「俺たちが苦労していることや悲惨な目にあっていることを活用してあんたは金持ちになろうと思い、ここへやって来たんだ。」

豊かな国々に居住するあなたの読者はあなたは潤沢な資金を貰っていると想像することだろう。彼らはこの地球上には利他的な人や政府あるいは国家なんてもう残ってはいないと信じるように条件付けされている。

現実はそれとはまったく違う。つまり、もしもあなたが旺盛な独立心の持ち主であって、繰り返して嘘をつくことは断固拒否し、主要メディアと同調せよという命令を拒むならば、あるいは、もしもあなたが西側やその同盟国、ならびに、その顧客の利益に逆らおうとするならば、最大の可能性はあなたはもはや資金の提供を受けることはない。何の防護も提供されず、彼らからのサービスは完全にゼロとなる。

もちろん、あなたは何百万人もの読者を獲得する。あなたは自分が行った報道を自分の本やドキュメンタリーに活用することが出来る。まさに、わたしが800ページにもなる「帝国の嘘を暴く(Exposing Lies Of The Empire)」や「西側の帝国と闘う(Fighting Against Western Imperialism)」といった本を出版した時のようにだ。もしもあなたの書き物が立派であれば、たとえその本が当局を真っ向から攻撃していてさえも、あなたの本は売れるだろう。「友好的な政府」あるいは裕福で左翼傾向の人物なんて頼りにするな。今日では、天使のような人物なんてひとりもいない。あなたは完全に自分の裁量で行動するしかない。私が言っていることを信じて欲しい。

あなたが、あるいは、あなたの断固たる仕事がいくつかの集落を救うことになるかも知れない。もしもあなたが素晴らしく優秀であるならば、世界規模の変化をもたらすかも知れない。あなたの書き物やドキュメンタリーが停戦を促すことに役立つかも知れない。しかし、公的な形での表彰や実際的な支援、あるいは、あなたの読者からの情けなどは決して期待しないで貰いたい。 

2015年のことであったが、アフリカにおける特に恐ろしい戦場に関して幾本かのドキュメンタリーを作り、本を書いた後に、私は完全に挫折してしまった。何週間も動くことさえも出来なかった。これでもう終わりだと私は思った。世界中の至る所に住んでいる何百万人にもなる読者からは何の助けもなかった。当時、私は自分が陥っている現状を公に知らせた。依然として、何事も起こらなかった。「心情的な支援」がいくつか届いた。こう言っていた。「元気でいてくれ。世界は君を必要としている!」 結局のところ、私の願いを満たし、私を救い出し、私を立ち直らせ、戦闘命令に復帰させてくれたのは私の家族に近しい連中であった。

これは決して誰かを非難している訳ではない。単に、人間性を生きながらえさせるために闘おうと準備している人たちに向けた警告でしかない。「あなたは完全に自分の裁量で行動する。何度か挫折するかも知れない。」 

意味のある人生を他にどうやって過ごしたらいいのかは私には依然として分からない。とてもじゃないが、自分の人生を他人の人生と交換しようとは思わない。 

*

他にも非常に重要であって、真実を明らかにしてくれる情報がある。それを私の読者の皆さんと共有しておこうと思う。

2017年、私は、アフガニスタン国内や銃弾が飛び交うパキスタンとアフガニスタンとの国境地帯、トルコの侵攻中にあったユーフラテス地域におけるトルコとシリアとの国境地帯、戦火にまみれているフィルピン南部、レバノン、(伐採や採鉱によって)すっかり破壊されたボルネオ島のインドネシア領側、等を含めて、世界でも極端に危険な場所で仕事をして来た。

わたしはアフガニスタンの国中を車で走った。何の防護もなく、護衛もなく、私の背後を守ってくれる人は誰もいなかった。運転手兼通訳をしてくれている私の友人が私が頼る唯一の人物であった。われわれはタリバンが支配する地域やカブールの麻薬がはびこる地域にも入り込んだ。これらはすべてが20年間も走らせて、すっかりおんぼろになってしまったトヨタ・コロナを使っての仕事であった。

これらの場所では、何処においても西側の大手メディアの記者を見ることはまったくなかった。一人もだ! 

メディア界の大物たちはいったい何処にいたのだろうか?私には全然分からないが、多分、NATO本部にでも閉じこもっていたのかも知れない。もしくは、少なくともアフガニスタンの豪華な「セレナ」ホテルに留まっていたのかも知れない。フィリピン南部に関しても同じことが言える。ただ、客観的に言えば、あの地域では私が到着する23日前にオーストラリア人のひとりの同僚が狙撃銃で撃たれていた。

自宅の居間にあるソファーにゆったりと寛ぎながら、人々の苦しみについて独占記事を書いているような連中は決して信頼しないで欲しい。もちろん、自宅の居間で記事を書くこと自体はOKだ。ただし、それはあなたが記述しようとしている人々と実際に会ったことがある場合のことだ。少なくとも一回は彼らと会って、十分な時間を費やして彼らの話を聞き、彼らの絶望的な叫びに耳を傾けた後での話である。そして、それはあなた自身が泥にまみれ、自分がすっかり恐怖におののき、一言で言えば、本当にやけくそになった後での話だ。つまり、そのような状況に達し、生と死とを分かつ目には見えない境界線の直ぐ側に立った後で、諺で引用されている(ギリシャ神話に出て来る)レーテの川の水を味わった後でのことだ。

*

最初へ戻ることにしよう。

次の状況を想像してみて欲しい。自分たちの生存のために闘っている国、本当の意味での自由のための闘いをしている国、あるいは、帝国主義に対して闘っている国から私は離れる。私は食中毒や汚染された空気から回復するために一息を入れる暇もなく、少しは見栄えのする衣服に着替える時間さえもない。そして、すべてが私の顔面を直撃する。ニュース番組を見て、大手メディアが出版した記事を読む。そうしていながらも、私はこの世界をまったく認識することができないでいる。これこそが栄光と悲惨さのすべてを持った、七色の虹の中にある世界であって、私が目撃して来た世界なのだ。

私は「場違い」な感じを味わう。

誰かがこの状態を「ベトナム症候群」と呼んでいることを私は知っている。このような感じ、あるいは、怒り、絶望感、等に関しては他にもいくつかの定義が存在する。

あなたは突然そう感じ、そのこと自体を弁えている。つまり、たった数時間前まで住んでいた場所、仕事をしていた場所からはすでに離れたものの、「本当の世界」からの、あるいは、実際に人々が住んでいる国からの余韻が依然として残っているのだ。そして、今、ここにはまったく別の世界がある。大手メディアの陳腐な言葉や大量生産された偽の確実さを駆使して、それが前面に出しゃばり、実際の世界を完全に覆い隠し、矮小化してしまうのだ。

この去り行く年、2017年はわれわれの地球にとってはいい年ではなかった。

何世紀にもわたって世界をコントロールして来たひと握りの国家が乱暴に、恥も外聞もなく、われわれを押しやろうとしている。人類全体を完全な破滅へ、天王山へ、あるいは、対決へと少しずつ近づけようとしている。これによって、何百万人もの罪もない人たちが突然命を落とすことになるかも知れない。

私は心配している。非常に心配している。私は数多くの場所で筆舌に尽くせないような苦難をすでに目撃している。これがわれわれを何処へ導いていくのかに関しては、私は完璧に想像することができる。

植民地主義はどう見ても良くない。帝国主義はどう見ても良くない。文化的、宗教的および経済的優位性の理論は例外もなく良くない。

比較的小さな大陸にある一握りの国家が自分たちの利益のために世界を形作り、違った皮膚の色や信念、価値観を持った人々を奴隷化して、全世界を略奪して来た。間違いなく、これは良くないことだ。

しかしながら、世界とはそういうものである。残虐で、正義のかけらさえも見せず、攻撃的で、欲が深く、狡猾で、傲慢な一団の少数派によって支配されている。もう一度言おう。世界はますますそうなっている。

私はそういった「お膳立て」にはとても耐えられそうにない。

私はそのような状況に陥りたくはない。私は悲哀や心痛、暴力に関して報道することには疲れ切っている。永久に続く破壊や破綻について記録映画を作り、写真を撮ることには疲労困憊している。

2017年が過ぎ去ろうとしている今、それこそがこの記事を書いている理由である。しかし、多分、それは非人間的であって、まったく起こる必要がない事柄を押し留めようとするもうひとつの無益な試みとして終わるのであろう。

大手メデイアや学界および「文化」によって作り出されている「疑似的現実」を切り開くことは、恐らく、ほとんど不可能である。あるいは、不可能ではないかも知れない。実際に、私は通常「決して遅すぎることはない」と考える。なぜならば、人生においては本当に「不可能」なことなんて存在しないと信じているからだ。 

2018年だ。新年おめでとう!

私からあなた方にお伝えしたいのは世界はあなた方が教えられて来たものとはまったく違うという点だ。世界はそれよりもはるかに美しく、多様性に富んでいる。現在炎の中にある国でさえあっても、そのほとんどは美しい。平和にしておきさえすれば、これらの国は力強く成長することだろう。

この世界は何としてでも闘い取る価値がある。防護してやる価値が十分にある。

世界を略奪し、奴隷化し続けようとする連中によって喧伝されている「ニュース」や「情報」は信じないで欲しい。あなたが自分の目で見て、自分の耳で聞き、自分自身が感じたことだけを信じて欲しい。あなたが連中のことを選りすぐることが出来るならば、この世界を愛する人たちだけを信じて欲しい。ご自分の感覚や内心の論理、ご自身の感情を信じて欲しいのだ。

自分の目でその国を見る前に、本当に自分が納得する前に、あなたがその国の人々と話をする前に、あなたが彼らが言っている事を本当に理解する前に、それが外国の如何なる国に対してであっても、爆撃や経済制裁をすることには投票しないで欲しい。テレビ番組を観ただけで何らかの決断をしたり、結論付けたりはしないで欲しい。疑似的現実は人殺しをすることになるということを覚えていて欲しい。連中はあなたがこの人殺しに参画することを望んでいるのだ。

出かけてくれ!何かを見つけ出してくれ!自分自身で見て欲しい。私はあなた方と何処かで会いたい。少なくとも、あなた方の中の何人かとはシリアや北朝鮮、アフガニスタン、イラン、イラク、ベネズエラ、ロシア、中国、南アフリカ、キューバ、エリトリアでお会いしたいものだ。そして、他にも何百もの場所でお会いしたいものだ。これらの国々はこの世界全体を一握りの超裕福な国家と奴隷国家に成り下がった「その他の国々」とで構成された、ひどく陳腐な世界にしようと夢見ている連中によって残忍に扱われ、中傷され続けてきた。

ご自分の目で世界を観察した後、それを理解した後には、あなたは私が言いたいことに賛同してくれると思う。目下、地球上にはふたつの並行現実が存在している。ひとつは本当の人間的な生活や人道的な話で構成され、もうひとつは些末な演出があれこれ行われ、巧妙に操作された世界である。真の現実世界では進歩や親切、楽観主義、調和が切望されるが、もうひとつの(偽の)現実世界では何時も不確実性や虚無主義、破壊、絶望が広められている。 

誰もが口にする「フェークニュース」だけが問題だと言うことではなく、当局によって作り上げられ、ヘルメットを被り、防弾チョッキを身に付け、4輪駆動車を使い、良く目立つ「プレス」と大書したジャケットを着こんだ男や女たちによって支えられている「偽の現実」が問題なのである。 
もう一度言おう。2018年の到来だ。新年おめでとう!

世界の発見におめでとう!

この貴重なわれわれの地球の生存のための闘いに「おめでとう」と言おう!

2018年は重要な年となることだろう。戦列に加わろうではないか。人間中心主義と「本当の現実」と名付けられたあの美しい女性が生きながらえ、周囲を支配し、勝利を得ることが出来るようにするために。

著者のプロフィール: アンドレ・ヴルチェクは哲学者であり、小説家であり、映画を作り、調査報道を行うジャーナリストである。彼は何十もの国々で戦争や紛争について報道をしてきた。彼の最近の3冊の本: The Great October Socialist Revolution」、革命的な小説「Aurora」、および、政治的ノンフィクション「Exposing Lies Of The Empire」。彼の他の書籍はこちらでご覧ください。 ルワンダとコンゴ民主共和国に関する画期的なドキュメンタリー「Watch Rwanda Gambit」、そして、ノーム・チョムスキーとの対話を収めたフィルムOn Western Terrorism」。ヴルチェクは現在東アジアと中東に居住し、世界中で仕事を続けている。彼はウェブサイトとツイッターを通じて接触が可能。

January 01, 2017 "Information Clearing House" - 

<引用終了>


これで、全文の仮訳が終了した。


数多くのジャーナリストの記事を見て来たが、この著者は一味も二味も違うスタイルを持っているように感じ取れる。表現が上手く、読者をどんどん引っ張って行く力強さがある。

次の言葉は秀逸だ:

一方には「現実」があり、他方には巧妙に作り出された「疑似的現実」がある。後者は現実そのものよりも現実らしく見えるよう作られている。それは化学的に作り出された緑のリンゴの香りを付けたシャンプが実際の果物よりも本物らしい香りを放つようなものだ。

・・・

自分の目でその国を見る前に、本当に自分が納得する前に、あなたがその国の人々と話をする前に、あなたが彼らが言っている事を本当に理解する前に、それが外国の如何なる国に対してであっても、爆撃や経済制裁をすることには投票しないで欲しい。テレビ番組を観ただけで何らかの決断をしたり、結論付けたりはしないで欲しい。疑似的現実は人殺しをすることになるということを覚えていて欲しい。連中はあなたがこの人殺しに参画することを望んでいるのだ。

ここで、敢えて日本における普通の庶民(われわれ自身)を引き合いに出せば、NHKの報道番組を観ただけで、あるいは、全国紙のひとつを読んだだけで何らかの決断をしたり、結論付けたりするなと著者は言っているのだ。たとえば、北朝鮮問題を例に取れば、彼の言葉の現実味が重く伝わって来ると思う。

米国では、この1年余り、フェークニュースによって計り知れない程の政治の停滞を招いた。ロシアゲートに関して法務省がいくら調査を行っても、それらしき証拠は見当たらない。ロシアゲートに関して全米規模の大合唱を行って来た大手メディアは稀に見る巨大な「疑似的現実」を創り出した。そして、自分たち自身がその「疑似的現実」の囚われの身となっており、本当の現実を認識することができないでいる。

著者はこうも言っている。

人類全体を完全な破滅へ、天王山へ、あるいは、対決へと少しずつ近づけようとしている。これによって、何百万人もの罪もない人たちが突然命を落とすことになるかも知れない。

これは朝鮮半島のことであろうか?それとも、イランのことであろうか?朝鮮半島情勢が米朝間の武力対決の場となった暁には、「何百万人もの罪もない人たち」の中には日本の米軍基地周辺に居住する無数の住民も含まれることになるだろう。そう考える時、朝鮮半島における米朝間の危機を武力の論理だけで解決しようとする進め方は日本にとっては最悪の選択肢となる。そのような展開は絶対に避けなければならないと言わざるを得ない。

また、著者は次のようにも述べている:

ご自分の目で世界を観察した後、それを理解した後には、あなたは私が言いたいことに賛同してくれると思う。目下、地球上にはふたつの並行現実が存在している。ひとつは本当の人間的な生活や人道的な話で構成され、もうひとつは些末な演出があれこれ行われ、巧妙に操作された世界である。真の現実世界では進歩や親切、楽観主義、調和が切望されるが、もうひとつの偽の現実世界では何時も不確実性や虚無主義、破壊、絶望が広められている。

著者のこの言葉には戦場を経験したジャーナリストだけが持つ独特の重みが感じられる。この世界観を採用すると、良心的なジャーナリストはふたつの世界を行ったり、来たりすることになる。それとは対照的に、「疑似的現実」の世界に住むジャーナリストは心地よいオフィスでフェークニュースの大量生産に汗を流し続けることになるのだ。

日本の場合は、「社会の空気」こそが「疑似的現実」であると言えようか。それが原発の安全神話を作り出し、懐疑的な意見があっても、それを受け付けようとはしない温床となって来たのではないだろうか。この空気に浸っている限り、大多数の一般庶民は政府やマスコミが作り出した「疑似的現実」の世界から離れることはできない。そもそも、自分を取り巻く世界が疑似的であると認識することさえもできない。それとは違う「本当の現実」は覆い隠されてしまって、見えては来ない。幸か不幸か、この「疑似的現実」の世界はある意味で居心地がいいのだ。

このような巧妙に仕立て上げられた世界を腑分けして、真の世界に迫ろうとする著者の非凡さと情熱に乾杯をしたい。




参照:

1 New Year’s Message and Warning from a War Correspondent: By Andre Vltchek, Information Clearing House, Jan/01/2018






2018年1月3日水曜日

古代ダキア帝国の遺跡から盗掘された黄金の装飾品がルーマニアへ戻って来た



古代ルーマニアの実態はわれわれが通常知っている歴史にはそれほど登場しない。この地域を統治し、自分の名前を歴史に書き残そうとする野心的な統治者は現れなかったのであろうか。何と言っても、古代ローマ帝国の存在が余りにも大きく、その影に隠されていたという側面もある。

建造物とか金属工芸品は長くその形を留める。そのような事例は各国に数多くの物件が遺跡として、あるいは、博物館の収蔵品として残されている。日本における事例としては正倉院に収蔵されている古代ペルシャの工芸品はわれわれ現代人を遠い過去に誘い、絹の道を通じて東西間で行われていた人や物の交流を生き生きと伝えてくれる。

古代ローマ時代のルーマニアは「ダキア」と呼ばれていた。そして、非常に大きかった。今日、ルーマニアの国産車の名称は「ダチア」と名付けられているが、両者は同一の言葉であって、発音上の違いがあるだけだ。

ダキアの人々がどのような活動をしていたのかを示す貴重な情報がある。これはナショナル・ジオグラフィック誌によって2015320日に刊行された記事だ [1]

本日はこの記事を仮訳して、読者の皆さんと2千年前のルーマニアを訪れてみよう。


<引用開始>


















Photo-1: 現代のルーマニアの地にあった古代ダキア帝国の金の加工職人は蛇の形状をした金製の腕輪を作った。現代の研究者らによると、これらは神へ捧げられた物であるという。写真提供: Kenneth Garrett, National Geographic Creative

考古学者のバーバラ・デッパート=リッピツが「先の20世紀に発見された中ではもっとも大きな驚きであった」と述べた物件は、まず、博物館ではなくて、ニューヨークのクリスティーズの競売場で表に出て来た。1999128日に販売された何百点もの古代の宝物の中に「29番目の物件」が含まれていた。これは螺旋状に巻く、蛇の形をした黄金の腕輪であって、この競売の専門企業は「ギリシャまたはトラキア産の金の腕輪」との説明をしていた [訳注: トラキアは現在のブルガリア、ギリシャ、トルコのボスポラス海峡の西側部分を指す。当時、地理的にはトラキア人はダニューブ川の南側に、ダキア人は北側に住んでいた]

クリスティーズはこれは10万ドルで売れると見込んでいた。競売が65千ドルで勢いを失った時、この競売は中断され、この腕輪と所有者は古代装飾品を扱う闇の世界へと消えてしまった。


























Photo-2: サルミゼゲトーサ

ルーマニアの考古学者や警察がこの腕輪とルーマニア中央部の山岳地帯で起こった盗掘とを結びつける迄には何年もかかった。この「26番目の物件」は結局回収できなかったけれども、かっては古代ローマ帝国とはライバルの関係でさえもあったダキアの失われた宝物を回収するために国際的な捜査が開始されたのである。 


宝探し:

FBIの工作員から始まって、国際刑事機構の捜査官やルーマニアの検事局職員までも含めて、10年間もの捜査が行われ、10個以上の同様な腕輪が見つかった。それと同時に、何百個もの金貨や銀貨も見つかったのである。これらの発見はダキア人の社会や宗教に関して新たな知見をもたらした。  

地球の反対側では、競売報告書、ならびに、光沢紙を使った豪華な競売カタログに印刷された腕輪の写真はエルネスト・オーベルレンデル=トルノヴェアヌの関心を引いた。彼はルーマニア国立歴史博物館の館長を務めており、サルミゼゲトウーサと呼ばれる古代都市の周辺では10年もの間宝探しが行われているという噂があって、それを追跡していたのである。彼にとっては、「26番目の物件」が国内の盗掘現場と盗掘者に莫大な利益をもたらしたという噂とに関心を寄せることになった。

サルミゼゲトウーサはルーマニア中央の山岳地帯にあって、かってはダキア人の首都であり、聖地でもあった。ダキア帝国は、約1,900年前、ローマ帝国のトラヤヌス帝との間で2回もの戦争を起こし、征服された。ローマ帝国はこの勝利によって50万ポンドの金と百万ポンドの銀を獲得し、古代世界が見たこともないような莫大な富を入手したとローマ帝国の記録官が自慢気に記述している。


関連内容:



















Photo-3

勝利の後、トラヤヌス帝は略奪品をローマに持ち帰った。ローマでは、これらの戦利品は彼の有名な公共広場の建設費用を支払ってくれた。この広場には、元老院がトラヤヌス帝を記念する柱を建立し、ダキア戦争を物語るレリーフをその表面に刻んだ。サルミゼゲトウーサは更地にされて、何世紀にもわたって顧みられることはなかった。しかしながら、ダキアの黄金にまつわる物語は生き残り、近隣に住む農民は何代にもわたって急峻な谷間の地面を掘り返した。

金持ちになろうという彼らの夢が本物と化したのは1989年に社会主義独裁政権が崩壊した後のことである。宝物を掘りあてようとする連中は金属探知機(社会主義政権時代には入手できなかった)を用いて、険しい現場であちこちと工芸品を探し回った。

ルーマニア当局は彼らの盗掘について隠さなければならないものは何もないと言う。つまり、1990年代には盗人らは隠れ蓑として汚職官僚から森林伐採権を買い取り、暇を見てはダキア人のかっての首都であった地域で金属探知機を活用した。

盗掘者らは古代人が住んでいた地域に繋がる曲がりくねった、未舗装の道路を頼りにオートバイやオフロード車、小型のバックホーを持ち込み、石ころだらけで木の根が絡んでいる土地を掘り起こし、発見物をかき集めた。「まさに、グールドラッシュだった」と、オーベルレンデル=トルノヴェアヌは言う。「誰かに邪魔されることもなく、連中は作業を続けた。」 

何年か後に非合法に発掘を行っていた連中が逮捕され、警察で自供したことことから、盗掘の全貌は白日の下に曝されることになった。「26番目の物件」は千個もの金貨と一緒に1998年に見つけた、と彼らは警察で喋った。お祝いのしるしに近くの木の幹に「見つけた!」と刻み込んで、彼らは発掘作業を続けた。自分たちが捕らえられるなんて予想もしなかった。もう一本の木には矢印が刻まれ、「穴まで40メートル」との道案内さえもがあった。

「まさにゴールドラッシュだった。連中はまったく何の制約もなく作業を続けた。」
ルーマニア国立歴史博物館のエルネスト・オーベルレンデル=トルノヴェアヌ館長

ルーマニア警察によると、小さな盗掘グループが2000年に主要な鉱脈を発見した。彼らが使っている金属探知機が険しい山腹に埋まっていた岩の上でピーンと音を立てた。その下には平らな石で互いに支えるようにして作られた小さな空洞があって、彼らはそこで10個の螺旋状の形状を持ち、ダキア時代の装飾が施されている金の腕輪を発見したのである。1個の重さは2.5ポンド(1.2キロ)もあった。

その後10年以上もの間に盗掘者らはサルミゼゲトーサで少なくとも14個の腕輪をさらに発見したとルーマニア警察は言う。「連中は型にはまらない考えを持っていた」とオーベルレンデル=トルノヴェアヌは言う。「どの考古学者にとっても、75度の傾斜地なんて考えも及ばなかった。」
宝物を祖国へ呼び戻す: 

サルミゼゲトーサの盗掘された黄金はほとんど完全に失ってしまうところだった。それを回収するにはヨーロッパや米国の当局を巻き込まなければならなかったし、ルーマニアの検事局や博物館の職員らによる10年間にも及ぶ、辛抱強い捜査を必要とした。

結局、ルーマニア当局は全部で13個の腕輪を回収した。合計で27.5ポンド(12.5キロ)で、黄金色に光輝いている。回収された腕輪は現在首都のブカレストで展示されており、これらはルーマニア国内で発見された物件である。例の「26番目の物件」を含めて、これら以外に10個以上の腕輪の行方が依然として不明のままだ。 


















Photo-4: ダキア人は黄金の装飾品だけではなく金貨も作った。これらの金貨もまた、腕輪と同様に、ダキアの首都であったサルミゼゲトウーサの現場で盗掘されたが、近年回収された。写真提供:Kenneth Garrett, National Geographic Creative

サルミゼゲトーサで発見された黄金は考古学者たちにすでに消え失せてしまっているダキアの宗教や文化について再評価を行うことを促した。そのひとつは、これらの発見はローマ帝国がかってダキアで膨大な量の黄金を発見したという自慢話を今まで以上に信頼できるものとしたのである。このような宝物が1,900年後の現在においても発見することが出来るならば、サルミゼゲトーサが破壊される直前には果たしてどれ程多くの財宝を持っていたのであろうか? 

「これらの財宝は先の世紀におけるもっとも驚くべき発見物であった」とデッパート=リッピツは言う。彼女はフランクフルトのドイツ商工会議所から骨董品の評価を行うライセンスを受け、古代の金製品を専門に扱い、企業組織には属さない専門家である。

まずは、その黄金を追跡しなければならなかった。腕輪や一緒に見つかった何千個もの粗雑に鋳造された金貨や銀貨は、1990年代の終り頃、それらがサルミゼゲトウーサで発見されるやいなや国際市場に現れ始め、収集家に対して個人的な申し出でを行ったり、ニューヨークやパリ、チューリッヒで競売に付された。

「これらは先の世紀に発見された物件の中ではもっとも驚くべきものであった。」
バーバラ・デッパート=リッピツ

シカゴの貨幣収集家であり、貨幣の売買業者でもあるハーラン・バークは当初これらの金貨には当惑させられたことを覚えている。「最初にこれらの金貨が現れた時、連中は1個当たり1万ドルを要求して来た」と彼は言う。「私は偽物ではないかと思った。しばらくして、大量の金貨が現れ、値段は1個当たり300ドルまで下がった。」 バークは何十個かを購入し、自分の販売カタログに掲載し、顧客に売り捌いた。


関連情報: 


















Photo-5

コインは追跡が困難であり、多くの場合何十年間も、時には何世紀にもわたって個人収集家の手に収蔵されることから、バークはこれらのコインの来歴(出処や所有歴)については究明しなかった。「多くのコインが何時でも市場に現れ、それらに問題があることなんて非常に稀だ」とバークは言う。「コインの出処については売り手は何も言わなかった。」 

そして、ルーマニア当局は「26番目の物件」やその他のサルミゼゲトーサの工芸品が盗品であること、さらには、それらはサルミゼゲトーサから持ち出された物だということさえも特定してはいなかったことから、売買業者や競売の主催者はこれらの腕輪や金貨は合法的な物件であるという売り手の言葉を真に受けていた。「当時、この物件に関するルーマニア当局からの申し立ては何も無かったので、われわれは文化的所有権の問題には思いも及ばなかった」と、クリスティーズの女性広報担当者であるスング・ヒー・キムが電子メールに書いている。


ダキアと繋がりがある工芸品: 

この間に、ルーマニア当局はこれらの工芸品や金貨がサルミゼゲトーサとの繋がりを持っていることを示す証拠を探していた。ダキアの黄金がこれまでに発見されたことはほとんどなかったので、いく人かの専門家はこれらの腕輪は偽物ではないかと論じた。(デッパート=リッピツはこれらが本物であることについてはまったく疑わなかった。偽造者が2ポンド(1キロ)もの金を使って、偽物の腕輪を作るなんてあり得ないことだ、と彼女は指摘する。)

考古学者らが議論をしている頃、サルミゼゲトーサの近くに住む男が隠し持っていた金貨を直接オーベルレンデル=トルノヴェアヌの元へ持ち込んだ。これらの何百個もの金貨は親戚の家の煙突の中で見つけたと彼は言った。「この地域で何かが起こっていることは確かだった」と彼は言う。「しかし、金貨には掘り出したばかりの新しい土がついていた。」 

2001年、博物館の職員は初めて大きな進展を見た。若いルーマ二ア人の男がデッパート=リッピツと接触し、2個の螺旋状の腕輪を鑑定し、評価してくれと依頼して来たのだ。彼女はフランクフルトにある自分のオフィスでこの黄金の輝きを見た時、ル―マニアの同僚から聞いていたダキアの聖なる都市で起こった盗掘のことや例の謎めいた「26番目の物件」を思い起こしていた。

26番目の物件」のように、これらの2個の腕輪もずっしりとしていた。1個当たり2ポンドを超すような無垢の金である。そして、その出来栄えは並みではなかった。つまり、形状や装飾の施し方は古代の典型的な金職人が扱うものとは違っていた。腕輪を作った者が誰であったとしても、その金職人は鉄を扱うことに習熟していた。まさに、ダキア人特有の技巧である。

デッパート=リッピツはもっと情報を得ようとして、騙される振りをしていた。その男はルーマニアに住んでいる彼の兄弟がどこかを掘り起こして、これらの腕輪を発見したのだと言った。男が去ると、直ちに彼女はルーマニアで知り合いとなった検事と博物館職員に知らせた。その後5年間にわたって、デッパート=リッピツはルーマニア当局がヨーロッパの所有者らから一連の腕輪を買い戻すことが出来るようにひっそりと仲介役をした。買戻しを首尾よく行って、売り手が誰であるかを見極めることができたのだ。こうして、当局は盗掘者に対する訴訟の準備を進めた。


















Photo-6: ルーマニア中部の高地にあるサルミゼゲトーサの廃墟に盗掘者が押し寄せ、険しい山の斜面で彼らは地下に隠されている金製品を見つけようとして金属探知機を駆使した。写真提供: Kenneth Garrett, National Geographic Creative

金貨は米国でも回収された。FBIがバークと連絡を取って、金貨の購入者を突き止めた。ここでも、ルーマニア当局は金貨を買い戻した。結局、数多くの盗掘者がルーマニアの裁判所で有罪と判決され、100万ドル近くの費用を支払うように命じられた。

これらの金製品が盗掘されたことから、考古学者らにとっては重要な情報が欠けている。どのようにして、そして、なぜダキアの人々はそれらを地下に埋めたのだろうかという点だ。それでもなお、この宝物はダキア人の社会や宗教を理解する上では大きな手助けとなった。


ダキア文化を再評価: 

金貨や宝石といった宝物は、多くの場合、紛争の際に何処かへ隠される。もしもその所有者が殺害されると、その宝物の所在は不明となってしまう。ダキアの黄金はそれとは異なっている。今回出現した金貨を手に取って、よく観察してみよう。これらはギリシャやローマのデザインを模倣した粗雑な金貨であり、見栄えが均一であることが特徴的だ、とデッパート=リッピツは言う。ご自分のポケットに持っている貨幣を眺めていただきたい。それぞれの金貨は、新品を除けば、摩耗していたり、疵がついていたりして、見栄えは互いに異なる。ところが、これらの金貨はどれもが明るく輝いている。

ダキアの金貨は新品のままである。今やルーマニア国立博物館のガラス製ケースの中に収蔵され、ずっしりとした黄金の腕輪も今までに一度も摩耗を受けたことがないことを示している。「そのような状況は実際の生活では起こり得ない」とデッパート=リッピツは言う。「これらは地下へ埋設するために製作されたのだ。」 腕輪の化学分析の結果によると、これらはこの地方で産出する金で製作されたものである。人々は、恐らく、サルミゼゲトウーサの周囲の山々の間を流れる川で砂金を集めたのだろう。

これ程たくさんの新品同様のダキアの金貨や工芸品が存在している事実に基づいて、ダキア人は貨幣という概念を持ってはいなかったのではないかとデッパート=リッピツは推論している。それに代わって、金製品は宗教的な側面を示す証拠であって、犠牲のためだけに使用された。「金は神聖であった」と彼女は言う。「金は神あるいは魂に属するものであった。」 

ローマ人はダキア人の慣習を理解することは出来なかったとデッパート=リッピツは言う。戦争についてのカッシウス・デオの説明によると、ダキア王のデチェバル(またはデケバルス)は川の流れを変えて、水気があっても持ちこたえるたくさんの金製や銀製並びにその他の工芸品を川底へ隠したと言う。デチェバルの敗退後、ダキアの捕虜のひとりが宝物の所在場所を暴いた。

カッシウス・デオの記述は恐らく事実であったのであろうが、彼の説明は正しくはない。デチェバルがたくさんの財宝を川底に埋めたことについてはデッパート=リッピツは何の疑いも持ってはいない。しかし、デチェバルは黄金をローマ人の目から隠そうとしたわけではない。彼は黄金を犠牲として神に捧げ、トラヤヌス皇帝との生か死かの闘いにおいて自分を助けてくれるように求めたのである。「水と洞窟は別世界へ通じる登竜門だ」と彼女は言う。「これらは宝物ではなく、神に捧げた犠牲である。」 

アンドリュー・カリーはベルリンに本拠を置き、科学や考古学の分野について執筆する。彼のツイッターはこちらを追跡し、andrewcurry.comを閲覧ください。  

<引用終了>


これで全文の仮訳が終了した。

ウィキぺデイアによると、ダキア王国は紀元前168年に建国され、その版図は紀元前82年には現在のルーマニアを中心にハンガリー西部、セルビア、モンテネグロからモルドバ、ブルガリア北部にまで広がっていたと言う。その首都はサルミゼゲトーサ。ダキアのデチェバル王がローマ帝国のトラヤヌス帝と戦争を行ったのは紀元101年から106年にかけてであった。その結果、ローマに敗れ、ローマ帝国のダキア属州となった。属州という地位は165年間続いた。

ルーマニアの古代住民であるダキア人が残した黄金の腕輪や金貨はたくさんの事実をわれわれに伝えている。もちろん、今後もさらなる情報が書き加えられることであろう。注目して行きたい。




参照:

1Gold Looted From Ancient Empire Returned to Romania: By Andrew Curry, NATIONAL GEOGRAPHIC, Mar/20/2015