2022年3月27日日曜日

地下室で8年 ― 戦禍に曝されたドンバス市民の運命


日本では数多くの一般市民がウクライナに同情を寄せている。と同時に、ロシアを侵略国扱いにしている。この構図は224日という瞬間とそれ以降の状況を捉えると必然的にそうなる。戦禍を逃れてポーランドやルーマニアへ避難する女性や子供たち、ならびに、年配者の姿を見たら同情心に駆られるのは人間として当然のことである。

しかしながら、224日以降の数週間だけを取り出して顕微鏡で覗いてもこの問題の真の姿は見えてこない。最近の数週間と比べ、224日以前の8年間、つまり、400週間余りは何処へ行ってしまったのだろうか?大手メディアは過去8年間の状況については何も伝えようとしない。これでは不公正である。これは大問題であると言える。真の姿を見ようとしないことは日本にとっても、西側世界全体にとっても大きな間違いであり、大きな不幸である。

ウクライナのゼレンスキー大統領が日本の議会でビデオ演説を行った。NHKは彼の演説の全文を公開し、岸田首相を始めとする政界の9人の重鎮がどうそれを受け止めたのかを伝えてくれた。政治家たちがゼレンスキーの演説をどう受け止めたのかに関する私の印象は極めて悲観的である。誰一人として個人的に感じたことを喋ってはいないというのが私の印象であった。政治家とは政治的な建前を美辞麗句を駆使して如何にうまく喋るかが彼らの仕事であることを思うと、この状況は当然のことかも知れない。個人的な思いはどこかに抑え込まれてしまう。老いも若きも、男性も女性も、何処か遠くの方から出て来る命令に背かないように喋っているだけだ。自分の声を失ってしまった日本の政治家たちは自分の本当の姿さえも自分には見えていないようである。そんな風に私には見えた。

日本は今集団ヒステリー状態に陥っている。そして、西側世界全体もそうだ。

ここに「地下室で8年 ― 戦禍に曝されたドンバス市民の運命」と題された記事がある(注1)。

本日はこの記事を仮訳して、読者の皆さんと共有したいと思う。ドネツクやルガンスク地域の一般市民が過去8年間に味わってきた苦難や恐怖、精神的ストレスについて詳しく学んでおこう。

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MOSCOW発、323日、RIA Novosti, Maria Marikyan

「ロシアへ行く機会があるけど、行く?」と聞かれ、ドネツクの最前線地域に居住するインナ・セメノヴァはほとんど即座に快諾した。脳性麻痺を患っている娘と一緒に住んでいた私はもう耐えられない程になっていた。ドネツク共和国(DPR)とルガンスク共和国(LPR)からの集団疎開が始まってから23日して深刻な病を持った子供を連れた母親たちはモスクワの専門病院へ招じ入れられた。過去8年間、彼女らはどんな経験をしてきたのだろうか?RIA Novosti が所有する記録を覗いて見よう。

「私たちは慣れっこになってしまった」:

2014526日のこと。今も覚えている。軍用機がわれわれのところへ飛んできて、ドネツクを爆撃した。パニックに陥って、周り中は泣き叫ぶ声で一杯だった」とインナは言う。彼女の家はペトロフスキー地区にある。あの時以降、地下室へ行くことに慣れ切ってしまっていたが、頭上を飛び越していく砲弾で、依然として痙攣状態が引き起こされる。

「私の母はドネツク空港地区に住んでいた。あの辺りでは激しい戦闘が起こったので、彼女は私の娘の所へやって来た。しかし、ここも安全ではない。2016年に砲弾が隣家を直撃し、窓や窓枠は・・・これらはむしろ些細なことなんだけれど、一番大事なことは皆が無事だったことだわ」と言って、セメノヴァは溜息をつく。

Photo-2: ドネツクのペトロフスキー地区の町外れにある家は砲撃を受けて焼け落ちた。© RIA Novosti / Sergey Averin

彼女の11歳の娘は脳性麻痺を患っている。2014まで彼女は定期的にリハビリ治療を受けていた。そして、戦争になって中断となった。「彼らは砲撃を続けた。だが、家から大慌てに逃げ出すことはしなかった。草花が降ってくるのが窓から見えたら、それは直撃であることを意味した。特別措置が必要な子供にとってはこれは実に大きなストレスだわ」と女性は言う。

今、インナと彼女の娘はクラスノゴルスクの「ソズヴェズディエ」センターに居る。これらの子供たちは治療を受け、勉強をしている。子供たちと母親たちは221に日にバスで送り届けられることになった。総勢は50人、子供たちは28人。

「一日以上も走った」とマルガリータ・セリシチェヴァは思い出す。出発する前の数日、砲音はより激しくなった。皆が混乱状態にあった。正直言って、全員が避難することになるなんて誰も考えてもみなかった。テントでのキャンプ生活やサナトリウムで身を寄せ合うことは私たちの選択肢ではなかった。ふたりの子供が脳性麻痺で、二人とも特別な治療が必要であった。私たちは決心した。どんなことが起こっても自宅に留まると。しかし、特別ながん治療が提案された時、もちろん、彼女はそれを拒むことはなかった。

Photo-3: ロストフ地区への疎開のために「ドネツクー2駅」に集まったドネツク共和国の住民たち。© RIA Novosti / Sergey Baturin

ドネツクでは誰もがそうであるように、マルガリータと彼女の子供はサイレンが鳴る度に地下室へ駆け下りる。それに慣れっこになって行った。ふたりは廊下に非難する。窓は爆発の衝撃で窓が破壊されることがないように通気されていた。

「私たちは市の郊外に住んでいる。エレノフカの近くだ。彼女の夫の側の親戚がある。しょっちゅう停電になったり、水道が止まったりする。水道や電気は間もなく復旧するが、またもや攻撃が繰り返される。私の義理の母は3年間も地下室から去ろうとはしなかった。彼女は癌で亡くなったわ」とセリシュチェヴァは肩をすくめて言う。

彼女の夫は戦争の前は鉄道修理工場で働いていた。2014年、彼は解雇された。彼はマッサージ師の資格を取り、ジムでトレイナーとして働くことになった。彼とは特別なコネクションはなかったが、彼は動員された。だが、彼女はどちらかと言うと最善の状況を信じる方である。「結局、悪いニュースが真っ先にやって来るものよ。」

Photo-4: インナ・セメノヴァとマルガリータ・セリシュチェヴァ。© Photo : Maria Marikyan

デバルツの大釜:

アナスタシア・デミアンは17年間旅客機の乗務員として働いていたが、2014年、多くの同僚たちと同様に職場を失った。それ以降、彼女は身体不自由者に対する年金を支給されている自分の息子と住んでいる。12歳の息子のイーゴルは自閉症だった。「彼は4歳の時に歩き方を覚え、喋りだした。そして、戦争。リハビリ治療は中断されてしまったの」と彼女は言う。

彼女の家はドネツク空港の近くにあった。その場所は安全ではなく、母と息子は2015年の冬ヴーレヒルスクに住んでいるお婆さんの家へ引っ越した。われわれは「デバルツ大釜」(訳注:ウクライナ軍はデバルツエボでDPRLPR軍によって三方から包囲され、多くの死者や負傷者、行方不明者を出したことで知られている。この包囲状態を「デバルツの大釜」と称する)に入ってしまった。ウクライナ軍が敗走した後、デバルツボとその周辺地域はDPRの支配下となった。

Photo-5: アナスタシア・デミアン。© Photo : Maria Marikyan

「われわれはヤナキーエフへ避難した。3月にはすべてが鎮静化したので、私はヴーレヒルスクの家を偵察しに行った。私たちが使っていたガレージと台所は破壊されていた。ガラクタを自分で整理した。男たちは誰も居なかった。ある者は戦場へ駆り出され、また、ある者は稼いでいた」とアナスタシアは言う。どうにかこうにか修理をした。完全に飢餓状態になったというわけではなかった。庭先には野菜があって、何とか凌ぐことができた。

デバルツボの大釜について18歳のカーティアはよく記憶している。彼女は両親と寝たきりのお婆さんと一緒に住んでいた。軍隊が家から2030メートルしか離れていない所にあって、自走多連装ロケットシステム「グラド」の轟音で壁が震えた。

Photo-6: カーティア© Photo : Maria Marikyan

「砲弾が隣家に落下し、我が家の庭へも落下した時、われわれは叔母さんが住んでいる市の反対側へ引っ越した。砂嚢を積み上げて、バンカーを作ったわ。われわれはこのバンカーの中に座っていたが、やがて実家へ戻って来た。その一日後、武器倉庫に砲弾が飛んできたの」と少女は言う。

爆発や機関銃の音が雷鳴のように轟き渡り、通りを埋め尽くしていた。家から離れることは実に危険だった。「人道回廊が宣言された当日、40度弱の熱がありながらも私は出て行った。解熱剤は持っておらず、冷やしたぼろ切れで何とか私は救われた。有難いことにわれわれは脱出することができた。われわれを運ぶバスの中には医者が居て、その医者が私の熱を下げてくれたの。」

Photo-7: ドネツク地域のデバルツボ市におけるウクライナ軍の砲撃によって引き起こされた破壊の状況。保管写真から。© RIA Novosti / Igor Maslov

われわれはヤナキーヴへ行った。そこには私のお婆さんの家がある。後になって、デバルツボの家は跡形も無くなっていることが分かった。高層のアパートに部屋が与えられた。時間が経って、状況は改善して行った。カーティアが15歳だった頃、私はドネツクへ引っ越し、法学部へ入学した。今春、私は卒業証書を貰えることになっていたが、またもや、戦況が悪化している。

カーティアの両親とはクラスノゴルスク行きのバス乗り場で出会った。私の娘は出発したが、カーティアの両親は残った。「12歳の娘のリマの面倒を見ているの(編集者の注:子供の名前は別名にした)。私たちは家族でお付き合いをしているのよ。ここではよく一緒になるわ」と、彼女は微笑んで言った。

彼女の父親は招集されていた。近年、彼は寝たきりの母親の面倒を見、彼の妻は家族を支えるためにいくつかの仕事をしていた。カーティアは実家のことを懐かしく思うが、ロシアへの移住を夢見ている。「われわれには何の見通しもない。でも、私には計画がいくつもあるの。もうこれ以上は要らないわ。」 

Photo-8: カーティアとリマ。© Photo : Maria Marikyan

「もう怖くはない」:

ヤナキーヴの近くの住民も酷い被害を受けた。201492日、8歳のアンドレイ・ドミトリエフは散歩から帰宅する途中だった。砲弾が近くに落下した時、彼には玄関へ駆け込む時間がなかった。

「私は直ぐに屋外へ飛び出して、辺りを見回した。一方には足を切断された友達が転がっており、もう一方には私のアンドリューが血まみれになっていた」と、少年の母親、リナは回想する。涙が目に溜まって来る。「直ぐに民兵が駆け付けてきて、救急車を呼んでくれたわ。」

Photo-9: 2014年、手術後のアンドリュー。© Photo : Photo courtesy of Lina Dmitrieva

アンドリューはシュラップネルの傷を何カ所にも負った。背骨にも傷を負い、これが膝から下を麻痺させた。彼は10回以上もの手術を受けた。ドミトリエフ一家は民間の家へ引っ越した。その高層の建物にはエレベーターがなかった。

リナの夫は徴兵されていた。ふたりの子供と一緒に彼女はソズヴェズディエ・センターへ行った。その間ずっとアンドレイは著名なG. N. Speranskyの名前を冠した市立小児科病院に入っていた。少年は腰骨に問題を抱えていた。医師たちは手術を行う前に彼の病状を安定化させようとしていた。

「ここにはそれ程立派な神経外科医はいなかった。とにかく、ここにじっとしていることにしたの。もちろん、私は家へ帰りたい。私たちは心配だった。特にマリウポールのことが。あそこには親戚や知り合いが居るわ。未だ何のニュースもない」と言って、女性は溜息をつく。

Photo-10: G. N. Speranskyの名前を冠した国立病院No.9に入院中のアンドレイ。© Photo courtesy of Lina Dmitrieva

「もう年数は数えないの?」:

工作員グループがDPRLPRに侵入してきた。「私たちが出発する日の2~3日前のことだったが、10代の少年たちのグループが捕まった。最年長が17歳で、最年少は14歳」とゴルロフカ在住の18歳のパヴェルは言う(編集者の注:彼の要求に基づいて、名前は実名ではない)。

同僚と一緒にとある玄関先を通り過ぎようとすると、そこは土埃に覆われており、周りには雑草が生い茂っていた。二個の破壊性手榴弾があった。同僚が近くの部隊に連絡し、現場は速やかに立ち入り禁止にされ、発見物は無事に処理された。「2017年には、アンテナ付きの小包をアパートの建物に置いている女性が捕まった。その場所へ砲弾が飛んできた」と若者は具体的な話を続ける。

Photo-11: ヴォルノヴァハ地区のノヴォトロイツケ村の路上に設置された地雷の警告標識。© RIA Novosti / Ilya Pitalev

地雷の安全な取り扱いについて地域住民は積極的に訓練を受けた。それでもなお数多くの犠牲者が発生する。多くは子供たちだ。2018年にパヴェルはパトロンだと思って何かを拾い上げた。爆発!左手がちぎり取られてしまった。シュラップネルのせいで片目を失明した。

私がソズヴェズディエにやって来るのは初めてではなかった。ここではすでにリハビリ治療を受けていた。私は生体工学的義手を求めてやって来た。何年も経った今でもスポンサーを見つけることができた。友人たちはホロリフカに留まっていたが、この街には依然としてウクライナ軍からの砲撃が続いている。

パヴェルの母は2014年を奇跡的にも生き延びることができた。彼女はパンを買いにでかけて、「グラド」からの砲撃に遭遇したのである。幸運にも、彼女はすべてに恵まれていたと若者は詳しい話をする。彼は自分の兄のことを心配していた。兄は陸軍に徴兵され、彼はイロヴァイスクでの戦闘に参加し、そこでは戦闘が始まったばかりであったが、彼は目を負傷した。「夕方の6時頃になると、夜盲症の兆候が現れてくる。このことが考慮に入れられて、兄は激戦区へ送られることはなかった。」

パヴェルは出来るだけ早く実家へ戻りたいと思っている。そして、その後彼はホルリフカから離れることはないであろう。

Photo-13: タチアナとエヴェリナ。© Photo : Maria Marikyan

ドネツクに住むタチアナはすべてが鎮静化するのを待っている。彼女の娘は脳性麻痺を病んでいる。ふたりはソビエト時代に建てられたアパートに住んでいる。地下室があるが、住むための設備は特にない。「砲弾が降ってきたら、その地下室へ逃げ込む。他の場所へ避難するのは安全ではない。娘を連れていったい何処へ行けって言うの?」二人は地下室の廊下へと避難する。必要な物品や文書を入れた「緊急用スーツケース」を常に準備し、玄関ドア脇の目立つ場所に置いている。

「ウクライナでは母親や子供たちが苦労を強いられているのを見ると私の気持ちは張り裂けそうになるわ。でも、そんな状況がもう8年にもなるのよ。今や年数は数えないの?私たちの母親や子供たちが亡くなっているのに、誰もが静かなままで、自分が行動をおこさないことについて言い訳を探そうとしている。これはどうして?」とタチアナは不思議に思う。

DPRLPRからの客人たちは状況が安定化するまで必要なだけこの医療センターに留まるであろう。実家から離れて暮らすことなんて誰も望んではいない。そして、子供たちには平和な生活に戻る機会がやがてやって来るだろうと皆が信じているのだ。

Photo-14: ドネツクにある「天使たちの小道」に捧げられた花や人形。© RIA Novosti / Igor Maslov

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これで全文の仮訳が終了した。

ここに収録されたエピソードはどれもがウクライナ紛争が一般市民にもたらした苦難を雄弁に物語っている。21世紀における最大の不幸は、西側の主要メディアはこういった事柄を報じようとはしない点にある。あたかも報じる必要が無いかのように彼らは振る舞っている。そして、現実にはこれらのエピソードの他に何千もの案件があるのにもかかわらず、それらは誰の関心も引かず、今日もまた放り出されたままとなっているのである。

ウクライナ政府が8年前に引き起こし、今も続けているドンバス地区におけるロシア語住民に対する差別や虐殺の行為は誰が見ても言語道断であるとしか言いようがない。

マリウポールでの戦闘は、報道によると、いよいよ終わりの段階に入ってきた。つまり、ネオナチを標榜するアゾフ大隊による支配からマリウポールが完全に解放される日が近づいているのである。325日、マリウポール市役所の屋根にDPRの国旗が掲揚されたらしい。ロシア軍が設定した人道回廊を通って市内から脱出する市民の数が増えている。多くの脱出者たちはアゾフ大隊が今まで行って来た暴力、抑圧、人間の盾として民間人を使用すること、拷問、レイプ、虐殺、居住区に対する砲撃、狙撃、等、を例に挙げて、非人道的な行為について証言している。

ところで、このブログのコメント欄ですでにお馴染みとなっている方々の間に「kiyoさん」という方がいらっしゃいます。この方のブログには貴重な情報が掲載されています。まだご覧になってはいない方は是非とも下記の記事を読んでいただきたいと思います[MO1] 

「ウクライナはナチの巣窟」
https://quietsphere.info/ukraine-is-a-nazi-den/

 

参照:

1"Eight years in basements": the fate of people affected by the war in Donbass: By RIA Novosti, Mar/23/2022

 



2022年3月21日月曜日

ウクライナの終焉がついに始まった ― トランスカルパチアのハンガリー系住民がブダペストへ向かって支援を求めている


ウクライナにはウクライナ人と並んでさまざまな少数民族が住んでいる。その時の政治情勢に応じて過去何世紀にもわたって国境が頻繁に移動してきた地域でもある。つまり、現在のウクライナの領土は人工的(あるいは、政治的に、恣意的に)に作られたものであるとも言える。

2017年現在の総人口は4,252万人である。多数派であるウクライナ人は77.8%を占め、ロシア人が17.3%、ベラルーシ人が0.6%、ブルガリア人が0.4%、クリミア・タタール人が0.5%、ハンガリー人が0.3%、ルーマニア人が0.3%、ポーランド人が0.3%、ユダヤ人が0.2%、アルメニア人が0.2%、ギリシャ人が0.2%、タタール人が0.2%、等である(2001年の統計)。

ウクライナでは、2014年のマイダン革命後、米国傀儡のウクライナ政府が誕生した。そして、ウクライナ政府は間もなく過激な民族主義者やネオナチに牛耳られることとなった。あるいは、米国がそう仕向けたのだ。以前はウクライナ語とロシア語が公用語であったが、ロシア語は公用語の座から外され、ウクライナ語だけが公用語となった。結局のところ、これはウクライナ国内の分断を約束するものとなった。

2014年のマイダン革命の直後、歴史的にも文化的にもロシアとの関係が濃厚であったクリミア半島の住民は住民投票の結果、圧倒的多数でウクライナから分離し、独立することを選んだ。そして、その後間もなく、ロシアに帰属することを決めた。ロシア政府はクリミア住民の決意を認め、ロシアへの編入を決断した。ウクライナ東部のドネツクとルガンスクの両州もウクライナからの独立を決断した。しかしながら、両州に関してはミンスク合意が成立したことからも、ロシアがこれら両共和国の独立を正式に承認したのは2022年のことである。

ここに、「ウクライナの終焉がついに始まった ― トランスカルパチアのハンガリー系住民がブダペストへ向かって支援を求めている」と題された記事がある(注1)。

ハンガリー系ウクライナ人は、総人口の0.3%であるとすると、合計で13万人程度でしかない。この程度の人口を持った少数民族グループはウクライナには10個もあるのだ。

ここに引用した記事によると、ハンガリー系ウクライナ人がブダペスト政府に助けを求めている。これは「大ハンガリー主義」を標榜するオルバン首相によって率いられたハンガリー政府の野心と歩調を合わせたものであるようだ。

本日はこの記事を仮訳して、読者の皆さんと共有しようと思う。

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西部ウクライナに居住するハンガリー系小数民族はハンガリーへの帰属問題を持ち出した。

ハンガリー系住民のほとんどが住んでいるトランスカルパチアのいくつかの国境地域ではすでにウクライナからの分離について住民投票を行うことを準備している。たとえば、住民投票を準備する組織委員会がすでにべレホベ地区に設立されている。

314日、ハンガリー系少数民族グループはハンガリーのビクトル・オルバン首相に直接の請願を行った:

「ウクライナ当局は引き続きトランスカルパチアにおけるわれわれ市民に対して大量虐殺と抑圧の政策をとっている。ウクライナ当局はネオナチや極右主義者の気まぐれさや関心事に浸りきっている事実はわれわれにとっては極めて明白である。彼らは長い間われわれの権利を制限し、「グレーター・ハンガリー」やその市民の尊厳を傷つけてきた。

大量虐殺行為というわれわれに対する攻撃に対してハンガリー系市民は自分たちの国家的権利を守ろうとしている。つまり、われわれの歴史的ならびに文化的な記念碑の破壊が行われ、ハンガリー人活動家の非合法的な投獄にそういった攻撃が見られ、これらはゼレンスキー大統領やウクライナ司法当局の関心外に放置されたままである。

われわれは異なった文化を持ち、違った言語を喋るというだけで迫害を受けている。この国の法律はわれわれの権利や自由を順守することを何も保証しない。

今日の訴訟手続きは元へ戻せず、状況は悪化するばかりである。我々には分かっている。ウクライナ当局と極右の連中は最後まで突き進み、我々の血を流し、我々を先祖の地から追い払うためにあらゆる手段を実行することであろう。

ウクライナが不安定な状況にあるという文脈から言えば、歴史的な祖国とのわれわれの密接な関係、ならびに、ウクライナ当局による正気の沙汰とは思えない政策に甘んじることは許容されることはないであろう。老人であっても、女性であっても、子供であってさえも大目に見られることはないであろう。

今日、われわれにとってはウクライナに居住するハンガリー系住民や他の少数民族を暴力や屈辱から確実に防護することは非常に重要である。

この機会に、オルバン首相殿には安全保障の保証役としてハンガリーの国境外に居住するハンガリー系市民を間違いなく防護していただくようお願いしたい! われわれは歴史的な祖国への復帰を望む。これが実現できれば、われわれに平和な生活や繫栄をもたらし、我々の子孫や将来について心配する必要はなくなることでしょう!」

「ロシアの春」が何度も報告しているように、ブダペスト政府はウクライナへの武器の供給を拒み、ウクライナにおけるロシアの特別軍事作戦を非難することは拒否してきた。

ハンガリーは何年にもわたってトランスカルパチア地域のハンガリー系少数民族の運命に関して積極的な役割を演じている。さまざまな情報源によると、現在5万人から10万人程のウクライナ人がハンガリーのパスポートを所有している。ハンガリー語を教える学校がある地域においては何人かのウクライナ人はハンガリー企業で仕事をし、彼らが国境を越すのに極めて単純化された制度が運用されている。

ピーター・シヤルト外相によって代表されるハンガリーは2014年以降キエフ政権によって遂行されてきた強制的なウクライナ化には何度も反対を表明してきた。

関連記事Zrada: Biden, Macron and Scholz categorically refused to introduce a no-fly zone over Ukraine

および

Ukraine crumbled: Transcarpathian Rusyns appealed directly to Putin (VIDEO)

Germany cannot cope with the influx of Ukrainian refugees

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これで全文の仮訳が終了した。

もしもハンガリー系の小数民族グループが住民投票の結果圧倒的多数でウクライナからの分離独立を決めたとしたら、ハンガリー政府はこの地域をハンガリーへ編入するだろうか?私は編入するだろうと思う。現行のハンガリー政府にとってはハンガリー系ウクライナ人の要望を却下することは政治的な自殺に等しい。政治的自殺をしてもいい、政権を潰してもいいと言えるような理由は果たしてオルバン首相にとって存在するのであろうか?それはないと思う。このハンガリー系少数民族の動きは非常に大きな政治的影響力を秘めている。なぜならば、これはEU圏およびNATOの加盟国であるハンガリーがクリミアのみならずドネツク・ルガンスク両共和国の住民が決断したことと全く同じ行為を認めることになるからである。

そして、重要な点がもうひとつある。もしもハンガリー系ウクライナ人が成功裏にハンガリーへの復帰を実現したら、他の少数民族グル-プはそれをどう受け止めるのだろうか。彼らもまったく同じことを考えるのではないか。ルーマニア系ウクライナ人、ポーランド系ウクライナ人、等々。つまり、ドミノ現象が起こるかも知れないのだ。

参照:

1The beginning of the end of Ukraine: the Hungarians of Transcarpathia turned to Budapest: By Russian Spring, Mar/16/2022

 

 

2022年3月17日木曜日

ロシアを罰しようとして、自由主義世界は自殺しようとしている

 

私は11年前からルーマニアに住んでいるが、ルーマニアの北東に位置するお隣の国、ウクライナの政府は2014年のマイダン革命以降米国主導の極右・ネオナチ勢力によってあからさまに牛耳られて来た。そして、ウクライナ政府からの分離を標榜し、独立を宣言したロシア語系住民が多いドネツクとルガンスク両共和国ではウクライナ政府軍からの砲撃や狙撃が絶えなかった。今日までに14,000人が死亡したと報じられている。これらの犠牲者の中には何百人もの子供たちも含まれている。

ゼレンスキーウクライナ大統領の政治姿勢については313日の「ウクライナを売った男」と題した投稿で詳しく触れたばかりである。

現行のウクライナ危機に関するひとつの考察として「ロシアを罰しようとして、自由主義世界は自殺しようとしている」と題された記事がある(注1)。この記事が定評のある代替メディアのひとつとして国際問題を論じる「Moon of Alabama」からの引用である。

本日はこの記事を仮訳し、読者の皆さんと共有しようと思う。西側にとっては何が本質的な問題として残されているのかについてこの際学んでおこう。

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二日前(35日)にわれわれは「どうしてロシアは現在行っていることをあえてしようとしたのか」の理由について考察をした:

ロシアはゼレンスキーがミュンヘンで喋ったこと、つまり、核兵器を取得すると言ったことはウクライナによる大きな脅威であると認識している。ウクライナは核兵器の取得に関しては専門知識があり、構成材料や手段を有している。

核兵器を持ったファッシストによって牛耳られている政府がロシアと国境を接することになるのか?この状況は決してプーチンだけの問題ではない。ロシア政府としてはそれがどんな政府であろうともそのような事態を見逃すことはできないであろう。

私はこの正真正銘の脅威こそが、ドンバスにおいて新たに再開された砲撃と共に、ロシア政府が武力を用いて介入する意思を固めた根本的な理由であったのだと考える。

「西側」はロシアが必要とする行動を理解しなかった。西側は衝突を避けるために必要となる十分な関与を果たそうとはせず、ロシア側からの妥当な要求を受け止めようともしなかった。結果として、西側は今や崩壊しようとしている。ロシアが行っているウクライナにおける特別軍事作戦に対する思慮に欠けた西側の反応は、アラステアー・クルックが書いているように、「自由主義世界の終焉」をもたらすことであろう。

こうして、バイデンは最終的には彼の対外政策に成功する:つまり、ヨーロッパはロシアや中国ならびに台頭するアジアの統合された市場からは自分自身を引き離すこととなる。ヨーロッパは自分たちがロシアの天然ガスへ依存することに対して制裁を課し、(手近な代替策が見つからないにもかかわらず)バイデンのプロジェクトへ飛び込んで行った。次は何が起こるのか?EUは中国に対する制裁に向かうのかも知れない。

こんなことが果たして持続するのであろうか?持続しそうにはない。ドイツの産業界はより広い地政学的な野心よりもむしろ自国の商業的関心を優先させるという長い歴史を持っている。EU全体の関心事に対してさえも自国の商業的関心を優先させるのである。ドイツにおいてはビジネス仲間は同時に政治的な仲間でもあって、彼らは競争力のあるエネルギー源を必要としている。

ヨーロッパ以外ではロシアに対する制裁に熱心に参加しようとする国は少なく、あるいは、そんな気はまったくない(中国はロシアに対する制裁を除外した)。ヨーロッパだけがヒステリックに騒いでいる。これはそう簡単には鎮静しないであろう。ブリュッセルが立ち上げた新しい「鉄のカーテン」は何年も続くことになるのかも知れない。

しかしながら、先週の土曜日(35日)に行われた電撃戦的な制裁はどんな予期せぬ結果をもたらすのであろうか?ラムズフェルドが言った「予期し得ない不可知事項」みたいなものか。グローバリストシステムの主要な部分に影響を及ぼす、まさに前例のないスイッチを遮断する行為は中立的で不活性な文脈には収まり得なかった。それは感情的にはロシア恐怖症であり、酷く緊迫した雰囲気へと発展して行った。

今は、現実が辺りを支配し、われわれを統御しようとした無能な子分たちに逆に危害を与えようとしている。

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ヨーロッパはこの状態を持続することはできないが、ロシアは持続することが可能なのだ:

総括すると、フォン・デア・ライエンとEUは、原油の高騰に見舞われており、これは潜在的に世界市場を大きく揺るがす可能性があり、インフレを引き起こす可能性がある。エネルギーコストによってもたらされるコストインフレはさらに拡大し、食料供給を断続させ、このような事態は通貨対策でそう簡単に対応できる代物ではない。もしもウクライナにおける毎日の戦争ドラマが一般大衆の目の前から消え去り、それに代わってインフレが新たに居座ったとすれば、フォン・デア・ライエンが土曜日に見せたドラマはヨーロッパ全域のリセッションへと変貌する可能性が非常に高い。

「ロシアがウクライナへ侵攻した時点よりもかなり前から、ヨーロッパの人たちは暴走するエネルギーの請求書の下で闘っていた」とOilPrice.com が指摘している. ドイツでは、ある人々にとっては1か月のエネルギー代が今までの年間コストと同額にさえなった。英国では政府がエネルギーの料金上限規制を何と54%に設定した。イタリアでは、最近、エネルギーコストが40%も上昇し、今やほとんどその二倍にもなりそうな勢いである。

ヨーロッパ中のあらゆる種類の小規模ビジネスは(先週の出来事以前にさえも)エネルギー代が高騰し、儲けを帳消しにする程になったことから止むを得ず操業を停止せざるを得ず、ニューヨークタイムズはこの衝撃は地方のビジネスや産業にとっては「驚愕」以外の何物でもないと報じた。大企業はこの衝撃から影響を受けないのかと言うと、決してそうではない。「ドイツ商工会議所・産業連合」が今月行った調査によると、28,000社のほぼ3分の2はエネルギーコストがビジネスを継続する上で大きなリスクのひとつになったと報告している。産業界ではこの数値は85%にも達する。」

そして、これはヨーロッパだけの話ではない。エネルギー代は世界市場を反映したものである。他の多くの鉱物や金属も突然稀にしか入手できないものとなったのである。

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米国はヨーロッパと同程度の衝撃を受けることであろう。今日の始めにヨーロッパの原油価格はバレル当たり139米ドルとなった。先週の市場の終り値を大きく越してしまった。原油価格はさらに上昇し、ガソリンの値段はガロン辺りで67ドルに、あるいは、8ドルにもなるであろう。

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市場を潤しているイラン原油を入手しようとして米国は突進をしてみたが、失敗に終わった。ロシアはイランと一緒になって、この動きを阻止した。ロシアに対する制裁によってイランが核燃料に転換するために濃縮ウランをロシアへ輸出することはできないことを意味する。イランが濃縮ウランを輸出できないということはJCPOAに関する取り決めは無しということだ。ブリンケン米国務長官はこのことを理解することができなかった。核の取り決めに戻る準備ができたと想定されていたが、これは今や新たな大失敗となりそうである。

米南岸にある米国の某製油所は重質油の精製に特化している。2019年以降、米国はベネズエラからの重油の輸入を止めて、それに代わってロシアからウラル産重油を輸入して来た。米国は今政府職員をカラカスへ派遣し、ベネズエラ産の原油を再度入手しようとしている。この試みは、もちろん、ベネズエラに対するすべての経済制裁を解除し、べネズエラは同国所有の企業の資産や金を払い戻すよう要求することであろう。すぐにでも解決するような気配は見えない。

トップクラスのドイツ車はロシア産のアルミで作られている。ボーイング社はロシア産のチタンを使って航空機を製造している。これらの製造企業は間もなく従業員のレイオフを開始することになろう。この間ずっと食料品や暖房費、交通費は劇的な上昇を見せることであろう。リセッションが進行し、酷いインフレと重なって、社会的団結は粉々に破壊される。ヨーロッパや米国の街頭には極度の怒りが横行するだろうと思う。暴動が起こり、その結果、政治は酷く右傾化する。中間選挙はロシア恐怖症の民主党を破壊することであろう。

マイケル・ハドソンは米国は 自分自身に対して巨大な戦略的損害を与えてしまったと指摘している。

ロシアやイラン、中国との貿易や投資からヨーロッパやアジア諸国、その他の国々をブロックする米国の経済制裁における最近の展開は米国の同盟国に対して機会費用(失われた機会がもたらす費用)を著しく押し上げた。最近、ベネズエラやアフガニスタンは金や外貨準備が差し押さえを受け、裕福な外国人の銀行口座が狙い撃ちされている。そして、今や、ロシアに対しても同じことが行われている。こういった状況によって経済状態が揺さぶられて、米ドルや英ポンドあるいはユーロ通貨をNATO諸国で保持していることが最高の安全策であるとする神話は拭い去られてしまった。

こうして、米国主導の金融システムが1年か2年かの間に脱ドル化するスピードを目の当たりに見せられて、私はいささか悔しい思いを感じている。私(マイケル・ハドソン)の著書「Super Imperialism 」は過去の50年間米財務省証券の標準的な機能は如何にして海外の預金を米国の金融市場や銀行へ引き寄せ、ドルの優位性を只乗りさせているかというものであった。中国やロシアが主導する脱ドル化は米国に緊縮経済を課すような金融の分極化をもたらすであろうが、それを回避するためにも自国経済を制御する動きを採用するであろうと私は考えていた。しかしながら、米国の高官らは彼らが脱ドル化を実施しなければならないことにたとえ躊躇したとしても、実際にはその躊躇に打ち勝つように強いたのである。

これは単に中国やロシアで起こるということではなく、次の数年間、全世界が米ドルを中心とした米国のシステムから逃げ出すこととなろう:

戦後の1945年から2020年まで続いて来た世界秩序がこんなに素早く消えてしまうなんて誰も考えてもみなかった。まったく新しい国際経済秩序が現れることであろう。今のところは、どのような形態を取るかははっきりとはしない。しかし、米国・NATOがロシアに対して「クマを突っつく」ような敵対行為を取ることはすでに臨海状態を越してしまっている。つまり、これは単にウクライナに関する問題ではなくなったということである。これが引き金となって、米国・NATOの影響圏から全世界を引き離す触媒の役目を果たすかも知れない。

米国はヨーロッパ諸国や他の同盟国に対して米国主導の貿易や投資に引き続き依存させようと強いるから、次の見せ場はヨーロッパ内に現れ、国粋主義的な政治家たちは米国の過剰なパワーの乱用から逃げださなければならないと主張することになろう。従順であることの代価はこれらの国々の産業にコストインフレをもたらし、民主的な選挙政策を放棄し、米国のNATO地方総督に追従し続けることになる。

これらの結末は実際には「意図されたものではない」と断定することはできない。

ロシアの動きに対する西側の反応がもたらす結果はすべてが予想可能である。そういった状況が起こることを可能にするのは純粋な無謀さと馬鹿さ加減にある。「西側」は自分たちが立ち上げた悪質な映画に関しては罰を受けなければならないであろう。

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残念なことには、私はロシア語を喋れない・・・ 今やロシア語をしゃべらなければならない時が来た。Jimmy Salford @1Fubar - 7:06 UTC · Mar 6, 2022

ロシアはすでにCNNやポーンハブおよびフェスブックからは切り離されている。今、米国はロシアからマクドナルドやコカ・コーラを排除しようとしている。こういった経済制裁が継続すると、ロシア人は間もなく世界中でもっとも健康的で、よく調整がとれた、情報にはもっとも恵まれた集団のひとつになることであろう。

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これで全文の仮訳が終了した。

この記事の著者が言わんとしたことは実に秀逸である。彼はこう述べている:

「ロシアはゼレンスキーがミュンヘンで喋ったこと、つまり、核兵器を取得すると言ったことはウクライナによる大きな脅威であると認識している。ウクライナは核兵器の取得に関しては専門知識があり、構成材料や手段を有している。

核兵器を持ったファッシストによって牛耳られている政府がロシアと国境を接することになるのか?この状況は決してプーチンだけの問題ではない。ロシア政府としてはそれがどんな政府であろうともそのような事態を見逃すことはできないであろう。

私はこの正真正銘の脅威こそが、ドンバスにおいて新たに再開された砲撃と共に、ロシア政府が武力を用いて介入する意思を固めた根本的な理由であったのだと考える。」

また、この記事はわれわれ一般大衆が多くのことを学べる絶好の機会を与えてくれている。たとえば、米国政府の高官がベネズエラを訪れ、重質油を買いたいと談判している様子は今まで米国がベネズエラに対して恣意的に行ってきたさまざまな敵対行為を考えると、滑稽にさえ見えて来る。

この種の解説は西側の商業メディアからはまったく期待できそうにはない。われわれ一般庶民に対しては何時でも巧妙に嘘をつくことが彼らの長年にわたるビジネスモデルなのだ。

そして、この記事から得られる最大の教訓は、この記事に現れるヨーロッパという言葉を日本と置き換えた場合、ほとんどの問題点が日本にも当てはまることだ。日本における一方的な騒ぎを見て欲しい。深読み過ぎるとは言えないことが今や現実のものとなりつつある。

参照:

注1:To Punish Russia The 'Liberal Order' Attempts To Suicide Itself: by Moon of Alabama, Mar/07/2022