2013年6月27日木曜日

米国との対等な関係とは?


この半年間余り、安部首相からは何回となく「対等な日米関係」という言葉を聞いたものだ。これは単に阿部首相だけの話ではない。言い回しに多少の違いがあっても、日本では歴代の首相が戦後半世紀余りにわたって語ってきた言葉だ。そして、ついぞ実現されなかった言葉でもある。
 

ここ数日、米国の国家機密を漏らしたとして仮逮捕状が出ている米国人のエドワード・スノーデン氏に関するニュースが毎日流れてくる。米国を出国し、しばらく留まっていた香港を離れ、最終的には亡命先であるエクアドルに向かうべく、モスクワのシェレメチェボ空港に到着したという。 

スノーデン氏の行方を徹底的に追いかけ、本国へ送還させようとやっきになっている米国当局ばかりではなく、今、全世界の関心がこのスノーデン氏に集まっているような気がする。 

スノーデン氏はモスクワのシェレメチェボ空港に到着し、目下空港のトランジット・エリアに居ると、プーチン大統領は昨日(625日)その事実を認めた。 

以上はガーデイアン紙の報道[1]である。その内容の要旨を仮訳し、下記に掲載してみたい。 

スノーデン氏がモスクワへやって来たことはまったく想定外だった、とプーチン大統領は訪問先のフィンランドで述べた。また、モスクワ政府はこの内部告発者を米国へ送還するようなことはないとも断言した。ロシアの安全保障部門はスノーデン氏のために何か特別なことを実施することもなかったし、今後もそのようなことはないだろうと付け加えた。 

プーチン大統領はロシア側の行動を弁護し、スノーデン氏はまだ未公表の情報を抱えているかも知れないが、我々は彼をごく普通の旅行者と同様に扱ったと述べた。シェレメチェボ空港でトランジットのために留まる旅行者は空港を通過するために通常24時間の猶予が与えられる。 

「彼はトランジット客として到着した。彼はビザまたはそれに代わる書類を持ってはいなかった」と、プーチン大統領は語った。この言及は彼の部下である外相が述べたコメントを支持するためのものだったようだ。セルゲイ・ラブロフ外相は、スノーデン氏は「国境を越えてはいない」と先に述べてはいたが、空港に留まっているのかどうかについては名言を避けていた。 

米国政府はスノーデン氏を引き渡すようモスクワに要請した。昨日、サウジアラビアを訪問中のジョン・ケリー国務長官は「私は平穏さと合理性を訴えたい。我々はロシアが法の裁きから逃げ回っている者の肩を持つようなことがないことを望んでいる」と語った。

クレムリンが逃亡者を匿っているとの米国の非難に対してプーチン大統領が登場して、「ロシアに対する非難はまったく言語道断だ」と述べた。
また、米中間でも非難の応酬が続いている。
中国がスノーデン氏を香港から出国させたことに関して米国政府は厳しい非難声明を出したが、これに対して中国は中国共産党の機関紙「人民日報」の最初の頁に激しい語調のコメントを掲載した。
米国が、精華大学や携帯電話ネットワークの企業を含め、香港や中国の数多くのネットワークに侵入したとのスノーデン氏による告発に関して、中国政府は深く憂慮していると述べた。精華大学は中国のインターネットを構成するハブのひとつを運営している。中国政府はこの問題を取り上げ、米国政府に照会中であると述べた。
『ある意味で、米国は「人権擁護のモデルの役割」から「個人的な情報を盗聴する役割」、「国際的なインターネットにおける中央集権化を操る役割」、ならびに、「他国のネットワークへ侵入する役割」を演じるまでになった』と人民日報のコメントは辛らつだ。
米中および米ロの間では外交上の舌戦が進行中である。 

スノーデン氏が果たして目的地のエクアドルへ無事に到着することができるのかどうかはまったく予断を許さないが、中国やロシアの政府関係者の言葉を借りれば、安全な旅行を祈るばかりである。 

ここで言う「安全な旅行」とは我々一般人が口にする「安全な旅行」とはその性質がまったく違うことに気がついた。 

一昨日の月曜日にはスノーデン氏はアエロフロート機へ乗り込んでキューバへ向かうとの予定だと報道されていた。そのフライトには何十人もの報道陣が乗り込んで出発を待っていたが、当のスノーデン氏はついに搭乗しなかったとのことだ。ある情報筋によると、このフライトの経路の一部は米国の上空を飛ぶことから、米国の管制空域に入った時点で米国によって強制着陸させられるかも知れない、それが故にスノーデン氏は搭乗しなかったのではないか、との分析があった。「さもありなん」である。そんなことは米国にとっては朝飯前だろう。 

 

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スノーデン氏の亡命先はエクアドルであると報道されている。エクアドルはウィキリークスの創始者、アサンジ氏が亡命を受理されている国でもある。しかし、彼は未だにロンドンのエクアドル大使館に缶詰の状態になったままで、一歩も外へ出られない状況が続いている。 

エクアドルやベネズエラは南米諸国の中でも反米色が最も強い国であるとされているが、ここに興味深い記事[2]がある。それを覗いてみよう。 

スノーデン氏の亡命を許可する国は外交的な孤立状態や金のかかる貿易制裁といった米国からの反撃を受けるリスクを負うことになろう。しかし、幾つかの国はそんなことにはお構いなしのようだ。南米諸国は反逆罪やスパイ罪のかどで告発された米国人にとってはお気に入りの逃亡先となっており、この事実は南米大陸がワシントンの影の存在から完全に脱却したことを思い知らされる程だ。 

1973年、チリ政府の転覆を図って秘密行動を進めていたニクソン大統領は「これで南米諸国が消えてしまったわけではない、米国は南米諸国を支援していきたい」と側近に語った。その10年後、リーガン政権はニカラグア、エル・サルバドルおよびグアテマラで代理戦争を遂行していた。1980年代には米国はワシントンにたてついた国の首長を更迭するためにグラナダとパナマへ侵攻した。 

1990年代には米国は南米諸国の政府に対して「ワシントン・コンセンサス」を押し付けた。それは南米諸国が「新自由主義」と呼んだものであって、予算の削減、企業の私有化、ビジネスに関する規制緩和、および外国企業に対する刺激策などを含んでいた。この政策を推進したところ米国は執拗な抵抗に見舞われ、この政策は破綻した。 

上記のような軍事的、政治的および経済的な攻勢を受けたにもかかわらず、いや、むしろ、そういった攻勢を受けたが故に、南米諸国の殆どの国は「米国製」のモデルに対しては深い嫌悪感を示すようになった。南米大陸の指導者の中の幾人かは「ワシントン・コンセンサス」を公然と非難することによって権力の頂点に達し、自分たちの国は米国の影響圏から抜け出でるべきだと誓った。 

中でもベネズエラのウーゴ・シャベス大統領は最も大胆な反米指導者であったことから、外部の観測者たちは、彼の死後、南米地域は伝統的な対米従属に戻るのではないかとの予測をした。事実はこれとは裏腹に、単に二つ三つの国の指導者だけではなく南米諸国の大多数の市民はワシントンからの独立を望んでいる。 

このことはスノーデン氏にとっては非常に大事なことだ。何故かと言うと、この状況はたとえ政府の突然の交代があったとしても、それが彼を米国へ送還することを意味する可能性はずっと低下するからだ。南米への亡命に成功すれば、新しい友人や彼を支持する人々に事欠くことは決してないだろう。

 

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上記の記事を読んでいると、中国にしてもロシアにしても、また、南米諸国にしても、米国に対する主張はあくまでもしていることに日本人としては目を瞠るばかりだ。そこには外交によって自国の国益を優先しようとする姿勢および努力がはっきりと読み取れる。皮肉なことに、これらの一連の外交上の駆け引きが妙に新鮮に見え、そして合理的にも感じられた次第だ。そんな思いに駆られたのは私だけではないだろうと思う。

 

 

参照: 

1Putin: Edward Snowden in Moscow airport but will not be extradited: By Miriam Elder in Moscow and Jonathan Kaiman in Beijing, guardian.co.uk, 25 June 2013 

2Latin America is Ready to Defy the US over Snowden and Other Issues: By Stephen Kinzer, Information Clearing House– “The Guardian”, June 25, 2013




 

 

 

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