2015年4月6日月曜日

スリーマイル島原発周辺における癌および小児の致死率 - いったい誰の言うことを信じたらいいのか?




米国での原発事故としてはスリーマイル島原発の事例が特に有名である。あの事故は1979年3月28日に起こった。36年も前の事故である。

この事故では炉心溶融が起こり、核燃料の45%に相当する62トンが溶融し、うち20トンが原子炉圧力容器の底部に溜った。また、周辺住民に対する影響としては、放出された放射性物質は希ガス(ヘリウム、アルゴン、キセノン、等)が大半で約92.5PBq(250万キュリー)。ヨウ素は約555GBq(15キュリー)に過ぎない。セシウムは放出されなかった。周辺住民の被ばくは0.01~1mSv程度とされる [訳注:英文のWikipediaによると、この部分の表現はやや異なり、その結果、原発の周辺に住む住民約2百万人に平均で1.4 ミリレム (14 µSv) の被ばく量をもたらしたと記述している]。この被害は1957年に起きたイギリスのウィンズケール原子炉火災事故に次ぐ。(Wikipediaから)


Photo-1:スリーマイル島原子力発電所(Wikipediaから引用)

人体への影響に関しては、Wikipediaはさらに次のように記述している:

米国原子力学会は、公式発表された放出値を用いて、「発電所から10マイル以内に住む住民の平均被ばく量は8ミリレムであり、個人単位でも100ミリレムを超える者はいない。8ミリレムは胸部X線検査とほぼ同じで、100ミリレムは米国民が1年間に受ける平均自然放射線量のおよそ三分の一に相当する」としている(1ミリレムは0.01mSv )。

放射性降下物による健康への影響に関する初期の科学的文献は、こうした放出値に基づいて、発電所の周辺10マイルの地域における癌による死者の増加数は1人か2人と推定している。10マイル圏外の死亡率が調査されたことはない。1980年代になると、健康被害に関する伝聞報告に基づいて地元での運動が活発化し、科学的調査への委託につながったが、一連の調査によって事故が健康に有意な影響を与えたいう結論は出なかった。

アメリカの研究組織である「放射線と公衆衛生プロジェクト」は、19の医学論文と書籍Low Level Radiation and Immune Diseaseを著したJoseph Manganoによる算定を引用して、事故の2年後の風下地域における乳幼児死亡率に急な増加が見られることを報告した。

上述の「放射線と公衆衛生プロジェクト」に関するWikipediaを見ると、1979年のスリーマイル島原発事故から2年間で周辺地域の乳児死亡率が47%増加し、事故後25年間で10歳以下の子供の癌死亡率は全国平均よりも30%高くなっていると報告した、との記載がある。

問題は、こうした公式見解を鵜呑みにしていると、スリーマイル島原発の影響は「発電所の周辺10マイルの地域における癌による死者の増加数は1人か2人」 に過ぎないということになる。その場合は、いわゆる統計的な手法で表現すると事故の前とか他の地域と比べても「有意な違いはない」とい結論が導かれるであろう。



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「スリーマイルアイランド原発事故での癌や小児の死亡率 - いったい誰の言うことを信じたらいいのか?」と題された記事 [注1] が最近インターネットで掲載された。

この「いったい誰の言うことを信じたらいいのか?」という副題が示唆することは現地の状況がまさに日本の福島第一原発事故の様子と瓜ふたつであるという点だ。驚くばかりである。この状況は、洋の東西を問わず、原発事故が持つ特性、つまり、原子力村による情報隠しあるいは情報操作を実に正確に表していると言えるのではないか。

この引用記事の著者は36年前の事故について今でさえも真相を追求し、より正確な情報を一般大衆に伝えなければならないと感じている。こういう現実こそが原発事故にまつわるもっとも本質的な特性ではないだろうか。

このような理解に基づいて言うと、日本の福島原発事故も同じような筋道を辿るのかも知れない。36年経過した頃の読者の皆さんも、癌の死亡率のデータを目の前にして、「いったい誰の言うことを信じたらいいのか?」と自問自答しているご自分の姿を思い浮かべてみていただきたい。福島原発の場合は、誘拐した炉心の状態は何も判明してはおらず、大量の使用済み核燃料が原発敷地内に保管されていることから、もっとひどい状況が待ち受けているのかも知れない。まさに、神のみぞ知るである。

もっとひどい状況を招来させないためには、我々一般庶民は日本政府や福島県、地方自治体、ならびに東電に対して、政策面においても、技術的な面においてもより積極的な努力を要求し続けなければならない。

福島原発事故をもっと理解しようとする時、今までの事故例を少しでも多く学ぶことが非常に有益だと思う。米国のスリーマイル島原発事故やウクライナのチェルノブイリ原発事故といった事例がある。私自身もそう心がけて事実を少しでも多く理解しようとしてきたが、その過程でもっとも大きな障壁は常に政治であることに思い知らされてきた。

端的な事例を挙げると、IAEAやUNSCEAR(原子放射線の影響に関する国連科学委員会)とその取り巻きの専門家が死守しようとする放射能障害による死者の定義はあくまでも放射能強度と地域住民の死亡との間に科学的な因果関係が確立されているかどうかという点に集中されている。通常、原発から30キロも40キロも離れた地点には放射能監視装置が密に設置されているようなことはほとんどない。したがって、実測値は存在しない。存在しても、非常にまばらにしかないのが現状だ。一方、医学の分野では科学的な手法として定着しているひとつの手法に疫学的調査がある。これは、一言で言えば、事故の前と後の死亡率を比較して、差がある場合その差は事故によってもたらされたものとして判断される。あるいは、生活習慣や社会経済的にほぼ同等と見なされる他の地域の住民のデータとの比較も行われる。この場合も、差がある場合その差は事故によってもたらされたものとして判断される。

しかし、この疫学的調査はIAEAの定義を満足するものではない、とIAEAは主張する。結果として、IAEAが支持する数値と疫学的調査に基づいて得られる数値との間には二桁にも及ぶような非常に大きな違いが生じることになる。チェルノブイリ原発の事故はその好例である。

IAEAは今後90年間に4,000人の犠牲者が出ると推定した。それに対して、疫学的な推定死亡者数は約百万人となった。この政治色を強く帯びた綱引きは原子力村と市民団体の間で今も続いている。このような違いがなぜ出てくるのか、その背景について我々は少しでも多く理解しておくことが必要である、と私は念を押しておきたい。

さらなる詳細情報をお望みの方は、2012年6月3日に掲載した「チェルノブイリ原発事故での犠牲者の推定」と題した小生のブログを参照されたい。このブログはチェルノブイリ事故に関する数多くの論文やデータを収録した「新刊本」の一部を仮訳して、紹介したものであるが、この本の日本語版が2013年4月に「調査報告 チェルノブイリ被害の全貌」と題されて出版されている。

炉心溶融を引き起こし、その全貌が未だ判明してはいない福島第一原発を抱える我々日本人にとっては放射能による障害は決して他人事ではない。私のかっての同僚の一人も、数か月前に、悪性リンパ種を起こして急逝した。彼は千葉県に住んでいたことを考えると、近所にあったホットスポットの影響を受けたのかも知れないし、汚染された食品を摂取したのかも知れない。あるいは、まったく別の要因があったのかも知れない。何れにせよ、福島第一原発事故による影響の可能性を100%捨て去ることはできないと考えざるを得ないのである。

このテーマは議論が非常に多く、いったい誰の言うことを信じたらいいのか分からないという極めて厄介な内容ではあるのだが、スリーマイル島原発事故についての最近の記事を仮訳し、36年前に起こった米国での事故に関しても皆さんと一緒に改めておさらいをしておきたいと思う。


<引用開始>

1979年3月28日のスリーマイル島での炉心溶融事故では冷却水がなくなり、燃料の半分が溶融し、格納容器内で水素爆発が起こり、炉内には爆発性の水素ガスが溜まり、それを制御することもできず、放射性ガスを大気中に放出し、汚染水は公共飲料水の主要な水源である水系へ排出された [1]。この事故に対する住民の恐怖はすさまじく、米国国内での新たな原発の建設を中断させるに至った。今日、新しい原発の建設は廃炉を上回ることはできないでいる。

ところで、このスリーマイル島原発事故が人の健康に及ぼした影響はしっかりと理解されているわけではなく、政府による隠ぺいや宣伝、放射能に起因する疾病についての無知、等がこの事故を取るに足りないものであるかのようにしてしまった。2102年発行の「核のルーレット」の著者であるガー・スミスはこう述べている: 「放射能の放出はなかった」、「放射能の放出は制御されていた」、「放射能の放出は大した規模ではなかった」、「炉内の燃料は溶融しなかった」、「爆発の危険なんてまったくなかった」、「周辺地域の住民を避難させる理由はなかった」と。実際には、スリーマイル島原発での封じ込めの失敗によって排出された放射能は原発業界や原子力規制委員会(NRC)の推算値よりも100倍も多かった。そして、今でさえも、どれだけの量の放射能が放出されたのか、放出された放射能は何処へ行ったのかについてNRCは何も特定できないままである。

「憂慮する科学者同盟」のデイビッド・ロックバウムはこの事故で4千万キュリーから1億キュリーが放出されたと推定している。カーター大統領の「ケネデイ―委員会」は1千5百万キュリーの放射性ガスが格納容器外へ放出され、これには4万3千キュリーのクリプトン85も含まれるとした [2]。ところで、クリプトン85は環境中に100年間もとどまる。さらには、放射性ヨウ素131は15~24キュリーが放出された [3]。 (1キュリーは非常に大きな放射能の単位であって、1秒間に370億回の崩壊が起こる。)NRCは、後に、何種類かの発癌性ガスが「慎重にではあるが制御不能な状態で放出された」ことを認めた。これらの大気中への放出は単なる推測の域を出ない。何故ならば、屋外の放射能監視装置はその半分が作動してはいなかったし、多くの装置は測定可能範囲を越してしまっていたからだ [4]。

約40万ガロン [訳注:1ガロンは約3.8リットルに相当] のかなりの強度の放射能を帯びた冷却水が原子炉から格納容器内に排出された。この汚染水は秘密裏に近隣地域の飲料水の水源であるサスケハナ川に排出された [5]。後に、約2百3十万ガロンの汚染水が大気への蒸発によって処分された [6]。

大気中への放出や川への排出が行われた3日目、周辺15マイル以内の住民の半数、約14万4千人が避難した。この時点までに、大量の放射能が大気中へ放出され、風に流されていた。風はニューヨーク州北部やペンシルバニア州西部へ向かって6~9マイル/時で吹いていたが、「ケネデイ委員会」は風に流された放射能の影響についてはすべてのデータを無視した [7]。


「スリーマイル島の事故では死者は出なかった」 - 乳児を数えない限りにおいては…

1980年、ペンシルバニア州衛生局は原発の風下にある三つの県で乳幼児に甲状腺機能低下症 [訳注:子供に甲状腺機能低下症が起こると、生育に必要な甲状腺ホルモンが欠如するので、発育障害や知的障害にいたる場合がある] が多発していることを報告した。1979年の終わりには疾病を持った子供たちが通常の4倍も多く生まれた。NECはこの増加はスリーマイル島原発から排出された放射能とは関係がないと言った [8]。一方、風上側での疾病の発生率は全米平均を下回っていた.

「スリーマイル島警告」と称する団体の議長を務めるエリック・エプスタインは、「米国公衆衛生」誌の1982年の3月号が報告した次の内容に注目した: 「1978年の最初のふたつの四半期中、スリーマイル島原発から半径10マイル以内の地域での新生児の死亡率は千人のうちでそれぞれ8.6および7.6であった。1979年の最初の四半期には、事故を起こしやすい2号機の稼働後、死亡率が17.2に跳ね上がった。原発事故後の四半期には19.3に増加し、1979年の最後のふたつの四半期にはそれぞれ7.8および9.3となった。」(ペンシルバニア州衛生局長官のゴードン・マクロード博士)

「米国公衆衛生」誌の1991年6月号にコロンビア大学が行った公衆衛生調査の結果が公表された。このデータは炉心融解の現場に近い地域では癌の発症が2倍になったことを実際に示している。リンパ腫、白血病、大腸癌、乳癌、子宮内膜癌、卵巣癌、前立腺癌、および精巣癌。原発から6キロから12キロ離れた地域に住んでいる住民の間では白血病や肺癌がほぼ4倍になった。ゼロから6キロの範囲では、大腸癌が4倍になった。この調査によって「事故後の発症率と原発からの距離との間には有意な関係がある」ことが見い出された。

スリーマイル島原発を地元に持っている県では、乳幼児(1歳以下の子供)の死亡率は事故後の最初の月に53.7%も増加し、事故後の1年間では同死亡率は27%の増加を示した。連邦政府発行の「月次人口動態調査報告書」によると、事故直後の乳幼児の死亡率と総合死亡率は統計的に有意な増加を示している。 

スリーマイル島原発近傍の10県について調査をした結果、ジェイ・グールドとベンジャミン・ゴールドマンは、1990年発行の「致命的な偽り」(原題:Deadly Deceit)と題した書籍の中で、子供の癌やその他の疾病ならびに先天異常による死亡は事故前に比して15%から35%も高いこと、そして、乳癌は7%増加したことを報告している。これらの増加はペンシルバニア州の如何なる地域の数値よりも遥かに大きいものであった [9]。グールドはスリーマイル島原発の事故後、5万人から10万人が余分に死亡したのではないかと述べている。

ジョセフ・マンガ―ノはスリーマイル島原発にもっとも近い位置にある三つの県(ドーピン、ランカスター、およびヨーク)を調査した。彼は1980年から1984年の期間における「これら3県での白血病、乳癌、甲状腺癌、骨癌、および関節癌による死亡率は1970年から1974年の期間(原発の稼働前)の値に比べて遥かに高い」ことを見い出した。10歳未満の子供たちの癌による死亡(1980年から1984年まで)は全米平均と比較してほとんど2倍近くになった。

スリーマイル島原発からの放射能の放出と関連した死亡や疾病は当時のNRCのシステム安全部門を率いていたロジャー・マットソンが予告していたものである。マットソンはこう言った。「あんた方はどうして住民を避難させないんだか私には分からない。この時点で我々はいったい何を守ろうとしているのか私には理解できない」 [10]。

ジョン・ラフォージはウィスコンシン州に所在する「ニュークワッチ」と称する核問題監視グループの副理事長であって、四半期毎に発行される機関誌の編集者でもある。


参照文献:

[1] Daniel Ford, Three Mile Island, Viking Press, 1982, p. 237-238

[2] Nuclear Regulatory Commission: <http://www.nrc.gov/POA/gmo/tip/tip10.htm>

[3] John May, The Greenpeace Book of the Nuclear Age, Pantheon, 1989, p. 82

[4] Dr. John Beyea, study for the National Audubon Society, 1984, in John May, above, pp. 220-221

[5] Allen Hedge, Cornell University, “Systems Thinking,” August 2007, <ergo.human.cornell.edu/studentdownloads/DEA325/pdfs/systems.pdf> Stephen Pople, Oxford, Explaining Physics, GCSE Edition, Sec. 8, Electrons and Atoms, 1990, p. 323; and Report of the President’s Commission on the Accident at TMI, October 30, 1979

[6] The Washington Post, March 28, 1989

[7] Jay Gould and Benjamin Goldman, Deadly Deceit: Low Level Radiation, High Level Cover-Up, New York, Four Walls Eight Windows, 1990, p. 59

[8] Boston Globe, February 23, 1980

[9] Joseph Mangano, Low-Level Radiation and Immune System Damage: An Atomic Era Legacy, Lewis Publishers, New York, 1999, p. 65

[10] Ford, Three Mile Island, p. 234


<引用終了>


この記事を読んでいただいた方々はさまざまな感想を抱かれたことと思う。中でも、スリーマイル島原発事故と福島第一原発事故との間には何と多くの類似点があるのだろうかと驚いた方々が多いのではないかと推察する。それは多くの被災者や被爆者を前にして利益を貪り続ける企業の姿である。それは一般庶民を助けようとはしない政府機関の姿である。

太平洋を挟んで、日米両国の原発の安全神話は完全に覆された。政府、業界およびメデイアの挙動や反応には隠ぺい、嘘、情報操作が何と多いことかと呆れるばかりである。



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技術的な面におけるひとつのエピソードをご紹介しておきたい。

上記でも引用したWikipediaの記述をここでも引用してみよう。

…このとき弁が開いたまま固着して圧力が下がってもなお弁が開いたままとなり、蒸気の形で大量の原子炉冷却材が失われていった。加圧器逃し弁が熱によって開いたまま固着してしまったのである。原子炉は自動的にスクラム(緊急時に制御棒を炉心に全部入れ、核反応を停止させる)し非常用炉心冷却装置(ECCS)が動作したが、すでに原子炉内の圧力が低下していて冷却水が沸騰しておりボイド(蒸気泡)が水位計に流入して指示を押し下げたため加圧器水位計が正しい水位を示さなかった。このため運転員が冷却水過剰と判断し、非常用炉心冷却装置は手動で停止されてしまう。 

問題は上記の引用部分にある下線で強調した「ボイド(蒸気泡)」である。2011年に原発業界と原子力規制委員会との癒着を糾弾する記事が現れた [注2]。その表題を仮訳すると、「企業のメルトダウン:メトロポリタン・エジソン社と規制当局とがスリーマイル島原発2号機において危険極まりないやっつけ仕事で協力」となる。この記事はいくつものエピソードを伝えているが、そのひとつがこのボイド(蒸気泡)に関するものだ。

スリーマイル島原発の2号機は1978年の年末ぎりぎりに商業運転を開始した。新年を迎える間際の12月39日午後11時に最初のスイッチが投入された。年度内の運転開始によって、電力会社は1千2百万ドルの所得税控除が約束され、1978年度の減価償却費用には2千万ドルを計上することができるようになったのである。

…2号機の商業運転が開始されて9日後、NRCの検査官であるJ.S.クリスウェルは「スリーマイル島原発の蒸気系統の主要な機器の供給業者であるバブコック・アンド・ウィルコック社製の加圧器には、供給水の供給が中断されると、ボイド(蒸気泡)が発生する」と記述し、上司に報告した。クリスウェルはさらに、これらのボイドは事故が起こると計器に誤作動を招くことになるとも付け加えた。クリスウェルの報告に対して、NRCの安全・許認可評議会はバブコック・アンド・ウィルコックスのプラントは安全であると回答した。水位計は「想定されるあらゆる状況に対応して」製造しなければならないというわけではない、とクリスウェルに伝えられた。またもや、NRCの中間管理職や上層部は発電業界の肩を持ったのである。

もしもこの段階で水位計をボイドによって影響を受けないような種類の計器に変更しようとしたならば、莫大な時間と費用が必要となる。上記の1978年度の所得税控除や減価償却も期待できなくなる。明らかに、電力会社はこれを嫌った。NRCはそうした電力会社の肩を持った。3か月後、クリスウェルが懸念していたことが実際に起こったのである。稼働後3ヶ月しか経ってはいない真っ新な原発をメルトダウン事故が襲ったのである。もしも水位計が正しい情報を与えてくれたならば運転要員が誤判断をすることにはならなかったかも知れない。電力会社は目先の利益に目がくらみ、重大な判断ミスを犯してしまった。

この図式と瓜二つの状況が東電の福島第一原発でも起こった。

津波の危険性に関しては東電の社内でも指摘されていた。2008年、東電の社内では、福島第一原発に想定を大きく超える津波が来る可能性を示す評価結果が得られた。その際、原発設備を統括する本店の原子力設備管理部が、現実には「あり得ない」と判断して動かず、建屋や重要機器への浸水を防ぐ対策が講じられなかったことが27日、分かった。東電関係者が明らかにした。―2011年11月の毎日新聞の記事― (「東電幹部起訴相当~検審が福島原発事故の予見可能性認めた根拠+国の責任も重大」、2014年8月3日、mewrun7.exblog.jp/22256966/から引用)

東電の社内では14メートルにもなる大津波の可能性が評価されていたのである。社内のトップもそのことを知らされていた。これは2008年のことだった。しかし、追加的な安全対策は取られなかった。3年後には、実際にそのような大津波に襲われた。福島第一原発は全電源を喪失し、この事故は炉心溶融という極限的な状況にまで発展したのである。最近の報道によると、溶融した核燃料は原子炉圧力容器の底部を破って、コンクリート製の格納容器に落下しているらしいと言う。東電は目先の利益にこだわり、安全性を無視するという重大な判断ミスを犯してしまった。

スリーマイル島原発事故も福島第一原発事故も人災の要素が非常に大きい。それは設備コストが膨大な原発を運営する企業が短期的な利益を追求するために次々と誤判断をすることから来るものだとも言えよう。


参照:

注1: Cancer and Infant Mortality at Three Mile Island – Who You Gonna Believe?: By John LaForge, Counterpunch, Weekend Edition March 27-29, 2015

注2: Corporate Meltdown: Met-Ed and its regulators cooperated to make
TMI Unit 2 a dangerous rush job, Mar/28/2011, www.yardbird.com/meltdown_TMI_Unit_2_rush_job.htm





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