2016年1月3日日曜日

私はイスラム国の誕生に加担していた



2012年よりも前には「イスラム国」は存在してはいなかった。イスラム国を誕生させたのは米国だという見解はすでに半年以上も前からインターネット上では公知の事実となっている [1]

そして、今まではそのことを隠すことに専念していた米国の主流メディアさえもが、最近では、その事実を公然と口にするようになった。あるいは、認めざるを得なくなったという表現がより当を得ているのかも知れない。非常に大きな変化である。

そんな中、個人的な体験として自分は「イスラム国の誕生に加担していた」という告白をインターネット上に掲載した米国人がいる [2]。彼の名前はヴィンセント・エマヌエル。

彼は労働者階級の家庭に生まれ、シカゴで育った。今は作家であり、ラジオ報道記者であり、平和活動にも専念する身だ。イラク戦争では2回の兵役(海兵隊)を過ごした後、3回目の兵役は拒否。イラクからの帰還兵が集う組織の面倒を見るべくそのまとめ役をしているという。米国の安全保障部門という巨大な組織の内部から見えてくるさまざまな課題を掘り下げ、議論のネタを提供し、永久に続くかに思われる米国の戦争経済、ならびに、今日の世界が経験しつつある環境問題や米国社会の軍国化との間に見えて来る関係性に焦点を当てようとしている。現在はインディアナ州のミシガン市に在住。

それでは、注2の記事を仮訳して、その内容を読者の皆さんと共有しよう。


<引用開始>

14年間にもわたる対テロ戦争を遂行し、西側は蛮行を助長し、いくつかの破綻国家をもたらす上では確かに偉大とも言えるような業績を挙げた。

最近の数年間、世界中の人々は「いったいイスラム国はどこから現れたのか?」と首をかしげてきた。それに対する答え方はさまざまではあるが、一般的には、多くの人たちは地政学(米国の覇権)的に答えようとしてみたり、宗教面(スンニ派対シーア派)から解説を試みたり、あるいは、イデオロギー的(ワハーブ派の教義)または生態学的な説明(気候の悪化が生んだ難民)に答えを求めようとする。数多くの評論家や元軍人たちはイラク戦争こそがイスラム国またはISILあるいはダーイッシュ等として知られている武装勢力をもたらしたのだとしているが、これはまさに当を得ていると言えよう。そこで、私は何か有益な内省とか逸話を可能な限り提供してみたいと思う次第だ。 

メソポタミアの悪夢:

2003年から2005年にけて私は第7海兵連隊の第1海兵軍に所属してイラクに駐留していたが、この戦争の反動がどのようなものとなるのかに関しては当時私はまったく予想することができなかった。しかしながら、やがては何らかの報いがやって来るだろうという予感はしていた。報復、あるいは、負の遺産が今世界中(イラク、アフガニスタン、イエメン、リビア、エジプト、レバノン、シリア、フランス、チュニジア、カリフォルニア、等)で現出し、激化し、何時になったら終わるのかはまったく予測がつかない有様である。 

あの当時、私は常識から逸脱した行為を目にしたり、そうした行為に自分自身が加わったりしていた。もちろん、戦争が持つ邪悪さは西側ではまともに認識されることはなかった。反戦団体はイラクにおける戦争の恐ろしさをはっきりと伝えようとしてはいたが、疑いもなく、西側の主流メディアや学会および政治・企業勢力はこの21世紀最大の戦争に関して真面目な検証が行われることを野放しのまま放置しておくようなことはしなかったのである。

われわれがアル・アンバー州でパトロールをしていた際には、軍用の携行食を車の外へ放り投げたものだ。あの時点では歴史書の中で自分たちがどのように描写されることになるのかについてはまったく想像することはできなかった。ただ多目的装甲車の中で私が望んでいたことは余分な空間を少しでも多く確保することだけだった。何年か後、私は大学で西洋文明史のコースを選択して、教授が文明の発祥地について話す内容に耳を傾けていた。私は、その時、メソポタミアの砂漠に散乱する軍用の携行食のことを考えていた。

シリアやイラクにおける近況を詳しく調べようとする時には、いつも決まったように、私の海兵隊の仲間たちは携行食の中から「スキットルズ」という名称のフルーツキャンディを選んで、子供たちに向かって投げつけていた様子を思い浮かべてしまう。子供たちに投げ与えるのはキャンディだけではない。尿や石ころ、ゴミ、その他諸々の異物が入った飲料水のボトルも含まれていた。私はしょっちゅう考え込んでしまう。「イスラム国やその他の武装勢力組織の連中の間ではいったい何人のメンバーがこういったおぞましい出来事を想い起こしているんだろうか」と。 

さらには、われわれが捕まえた何百人もの捕虜のことについても考え込んでしまう。彼らは仮設の拘留施設でテネシーやニューヨークおよびオレゴン等からやってきた20歳にも満たないような若い兵士らから拷問を受けた。私自身は拘留施設で勤務をするという不運な目には遭わなかったものの、聞いた話をいくつも思い出す。また、同僚の海兵隊員が話してくれた内容をはっきりと思い出すことができる。イラク人に対してパンチを加えたり、ひっぱたいたり、蹴ったり、肘鉄を加えたり、膝で蹴り上げたり、頭突きをしたり…と際限はなかった。性的な拷問についても思い出す。イラク人の男に他の捕虜に対して性的な行為を強制したり、彼らの睾丸にナイフを突きつけたり、時には、バトンを使ってアナル・セックスをさせたりした。

しかしながら、こうした醜態を演じる以前にはどうであったかと言うと、われわれの歩兵集団は夜間の襲撃の際にはスポーツ感覚でイラク人を包囲し、手を縛り上げ、頭には黒い袋を被せて、彼らの妻や子供たちが膝をついて嘆願する目の前で多目的装甲車の後部やトラックへ放り込んだものだ。時には、昼日中にも連中を拘束した。ほとんどの場合、彼らは抵抗しようとさえもしなかった。中には、海兵隊員が銃身で相手の顔を殴ろうとする間中両手を挙げているほど無抵抗であった。一旦拘留施設へ運び込まれると何日も、何週間も、時には何ヶ月にもわたって彼らを拘留した。家族には何の連絡もしなかった。彼らが釈放されると、われわれは彼らを前線基地から運び出し、彼らの住居からは何マイルも離れた砂漠のど真ん中へ連れ出し、そこへ放置したりした。

ジップタイ [訳注:プラスチック製の紐。電気配線などを束ねる際に使用される] を切断し、彼らの頭から黒い袋を取り除いてやってから、開放されたばかりの捕虜を威嚇しようとして、すっかり頭に来ている海兵隊員たちは彼らの頭上や周囲に向けてAR-15自動小銃を何発も発射したものだ。何時もの事ながら、笑い転げるためだった。大部分のイラク人は逃げようとする。拘留施設における苦難の日々に聞こえて来た絶叫と同じような叫び声を挙げ、今は施設の外にいることから何らかの自由を享受したいと願っているかのようでもあった。しかし、この連中がどれだけ長く生きながらえたのかについては知る術はない。結局のところ、そんなことは誰も気にしてはいなかった。しかし、われわれは米国に捕虜として捕えられた連中の中で幸運にも生き残った一人の男だけは知っている。彼の名前はアブ・バクル・アル・バグダディ。イスラム国のリーダーである。

驚いたことには、イラクの市民を非人間的に扱う能力は銃撃や爆発が終了すると格段に高まるのが常だった。多くの海兵隊員たちが集まって来て、死体の写真を撮ったりして暇をつぶしていた。死体を興味本位にバラバラに切断したり、膨らんだ死体を銃剣で突いたりして、安っぽい笑いを誘おうとした。当時はアイフォーンはまだ手に入る状況にはなかったので、何人かの隊員はデジタルカメラを持ってイラクへやって来ていた。西側はそんなことがあったことなんて全世界がすっかり忘れてしまうことを望んでいたに違いないと思うが、これらのカメラはまったく知られることのないイラク戦争の実態を数多く収録していたのである。あの頃のイラクの歴史やこれらのカメラには理不尽な殺戮や他の戦争犯罪がたくさん収められているが、イラクの人たちにとってはこれらの事実は忘れたくても忘れることはできない。

不幸なことではあるが、私はイラクで過ごした頃に経験したり聞いたりした無数の逸話を今も思い出すことが出来る。罪もない人々がただ単に米兵に取り囲まれ、拷問され、拘束されただけではない。何十万、あるいは、ある調査によれば百万のオーダーの市民が焼き殺されたのである。

彼らの国家を蹂躙した「邪悪の帝国」の本当の意味を理解することができるのはイラク人だけであろう。彼らはイラクとイランが闘った8年戦争で西側が担った役割をよく記憶しており、彼らは1990年代にクリントン政権によって課された経済制裁のことをよく記憶している。あの政策によって、50万人以上の市民が死亡した。犠牲者の大多数は女性と子供たちであった。そして、2003年がやってきた。西側はやりかけていた仕事をついに完了した。今日、イラクという国家は壊滅状態にある。人々は毒に冒され、不具になり、自然環境は劣化ウラン弾によってすっかり汚染された。14年間にもおよぶ対テロ戦争の後ひとつだけ明白な事柄が存在する。それは西側は蛮行を助長し、幾つもの破綻国家をもたらす上で偉大とも言えるような業績を挙げたという事実である。

幽霊たちとの同居:

イラクの子供たちの暖かく鏡のような目が、当然のことではあろうが、私にはしょちゅう思い出される。私が殺した連中の顔、あるいは、少なくとも死体を確認することができる程に身近に横たわっていた連中の顔は私の記憶から消え去ることは決してないのではないか。悪夢が私を襲ったり、毎日の生活の中でさまざまなことを回想する際、「イスラム国はいったい何処から現れたのか」という問いかけを決まって思い起こす。はっきり言って、彼らはわれわれを憎んでいる。残念ながら、あの憎悪の念は理解可能だ。西側に対する憎悪の念は今後何年も、いや、何十年にもわたって消え去ることはないだろう。それ以外にいったいどんな可能性があるというのだろうか?

繰り返すが、中東に対して西側が引き起こした破壊の程度は先進国に住む人たちの大部分にとっては想像することはできそうもない。西側の市民が世間知らずにも、「連中はいったいどうして俺たちを憎むのか」という問いかけをいつもしていることからも、このことは決して強調し過ぎることはない。

最終的に、戦争や革命および反革命が起こり、後世の世代はその結果と共に生きることになる。つまり、文明や社会あるいは文化や国家、個人は生き延びるか、あるいは、消えて行くかのどちらかである。こうして、歴史は動いていく。西側が将来どのようにテロを扱うのかは西側がテロ行為を継続するか否かによって決まるだろう。イスラム国のような組織が将来再び形成されることを予防する上で明らかに有効であると思われる手法は、西側が軍国主義に頼ることについてはことごとく反対することだ。たとえば、CIAが後押しをするクーデターや代理戦争、ドローンによる爆撃、暴動対策、経済制裁、等、あらゆる形の介入に対して反対することだ。

その一方、イラクで大量虐殺に直接関与したわれわれ自身は戦争の幽霊たちと同居し続けるしかないだろう。


著者のプロフィール: ヴィンセント・エマヌエルは作家、ラジオ報道記者、ならびに、活動家として活躍。現在インデイアナ州のミシガン市に在住し、メール・アドレスはvince.emanuele@ivaw.org


<引用終了>

イラク戦争がイラクの市民にもたらした残酷な状況を歴史家の目で捉え、それを自分の言葉で語るために、この著者は海兵隊員としてイラクに派遣されたのではないかと私には思える。彼の記述にはそう思わせるものがいくつもある。著者は10年も前の自分の経験や同僚から聞いた逸話を客観的に捉え、それを周囲の人たちに伝えようとしている。彼の最大の不満は周囲の一般大衆がイラク戦争で何が起こっていたのか、米国の軍隊はどんなことをしているのかに関して何も知らないこと、あるいは、知ろうともしないことにあるようだ。

イラク戦争に関する彼の記憶は悪夢の連続であったに違いない。そんな風に思える。事実、この著者がイラク戦争について書いた他の記事 [3] を読んでみると、そこには彼の感情がここに引用した記事とは比べ物にならないほど直接的に表現されており、読み手にはビンビンと伝わって来る。

この著者にとっては「イスラム国はいったい何処から現れたのか」との問いかけは余りにも認識に欠けたものだ。「自明の理ではないか」と彼は言いたいようだ。しかし、現実には、兵員を10万も20万も送り込んでイラク戦争に直接関与して来た米国においてさえも、このような問い掛けをする人は多いのだ。

イスラム国の誕生の秘密を議論する上で秀逸な記述だなと思った個所は「・・・しかし、この連中がどれだけ長く生きながらえたのかについては知る術はない。結局のところ、そんなことは誰も気にしてはいなかった。しかし、われわれは米国に捕虜として捕えられた連中の中で幸運にも生き残った一人の男だけは知っている。彼の名前はアブ・バクル・アル・バグダディ。イスラム国のリーダーである」という部分だ。

さらには、「・・・はっきり言って、彼らはわれわれを憎んでいる。残念ながら、あの憎悪の念は理解可能だ。西側に対する憎悪の念は今後何年も、いや、何十年にもわたって消え去ることはないだろう。それ以外にいったいどんな可能性があるというのだろうか?」という部分だ。

イスラム国の誕生の秘密はこれらの記述にすべてが言い尽くされていると言えよう。

この著者の体験談は核心をついている。何十万もの米兵がイラクで反テロ戦争を体験し、自分自身の目でそれを見て来た。仲間の隊員の経験についても聞いており、多くのことを知っている。しかしながら、この著者程に自分の思いを詳しく伝えてくれた元米兵はいない。「米兵はそんな残虐なことはしなかったよ」と反論できる人はいるんだろうか?誰一人としていない。そこにこの著者の非凡さがあり、歴史の証人としての価値があるのだと思う。

201497日に「ジェームズ・フォーリーの死 ― 疑問が湧いてくるばかりで、答が見つからない」と題したブログを掲載した。そのブログでは、米軍兵士がイラク人市民に対して犯した犯罪的な行為としてポール・コルテスという元米兵が語った戦争体験をご紹介した。戦場では理性や倫理観を失った兵士らが無抵抗の市民に何を仕出かすか予測することはできない。14歳のイラク人少女とその姉は兵士らによるレイプ狩りの餌食となり、父母と共に虐殺されてしまう。自動小銃を持った兵士らが非武装の市民にとってこの上なく危険な存在となってしまう有様がはっきりと報告されている。

これらのふたつの逸話と同じような話は他にも無数にあったのではないだろうか。しかし、そうした現実はほとんどが公式には記録もされないままだ。実際に起こった事実は一兵士の記憶の中に収められたまま放置され、その兵士が口外しない限り誰にも分からない。当人が死亡すると当人と共に墓石の下へ埋葬されてしまうのが落ちだ。

ヴィンセント・エマヌエルが書き物として公式に述べた内容は、そういう意味で、とてつもなく重要である。



参照:

1Finally Confirmed: US Created ISIS Terror Group: By Zero Hedge, May/26/2015

2I Helped Create ISIS: By Vincent Emanuele, Dec/19/2015

3A Tragic Anniversary: By Vincent Emanuele, Apr/25/2015






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