2016年2月18日木曜日

キッシンジャー: ロシアは米国にとって脅威ではなく、世界の秩序を維持するのには不可欠なパートナーだ



ヘンリー・キッシンジャーは米国政府の対外政策を担当した人物の中では大物中の大物である。世界情勢を見つめる彼の目には、今の世界はどう映っているのだろうか?

米国内では、今、対ロシア政策はこれでいいのかといった議論が急増している。これは今年が大統領選の年であることを考えると当然の事かも知れない。シリア、あるいは、中東全域に対する米国の関与がうまくいっているのかどうかに関しては、ロシアがシリア政府の要請を受けてシリアへ空軍を投入して、テロリスト対策では短期間の間に目ざましい成果を挙げていることから、米国自身の既定の対シリア戦略は相対的に遥か後方に置き去りにされてしまったかのような観がある。最近の米国内における現状はシリアにおけるそういった地政学的な現状が大きく反映されているのかも知れない。さらには、膠着状態にあるウクライナの内戦も大きな要素であろう。

かなり新しい記事がここにある [1]。今月のものだ。これはプリマコフの人物論についてキッシンジャーがモスクワのゴルバチョフ財団において講義した内容だという。対ロ政策ではタカ派的な論調が圧倒的に多い米国では「キッシンジャーは一味も二味も違うな」と私は前から感じていた。

そこへこの記事が現れた。キッシンジャーの持論を詳しく学ぶ絶好の機会となりそうだ! 
さっそくこの記事を仮訳して、読者の皆さんと共有したいと思う。


<引用開始>


Photo-1: ヘンリー・キッシンジャー

本稿は最初にNational Interest誌上にて掲載された。

2007年から2009年まで、エウゲニー・プリマコフと私はロシアや米国からの元閣僚や高官および軍の指導者らによって構成されたグループでその議長役を務めました。本日お集まりいただいている皆さんの中にも何人かはそのグループに含まれていました。その会合の目的は米ロ関係に見られる敵対的な側面を少しでも和らげることにあり、協調的な姿勢をとる機会を模索することにありました。米国では本グループは「トラック2」グループと呼ばれていましたが、これには党派の区別はなく、ホワイトハウスからは調査や研究を継続するよう求められていましたが、政府のために交渉するような役目はまったくありませんでした。私たちはお互いの国で会議を開催し合いました。プーチン大統領は2007年に、メドベージェフ大統領は2009年にそれぞれモスクワで当グループを迎えてくれました。2008年には、我々の賓客との対話を実現するために、ジョージ・W・ブッシュ大統領は国家安全保障局の殆んどのメンバーを閣議室に集めてくれました。

参加者の皆さんはすべてが冷戦中はそれぞれの要職についていました。緊張下にあったあの時代、誰もが自分の理解するところにしたがって自国の国益を主張していました。しかしながら、テクノロジーが文化生活を台無しにしてしまう危険があり、その危険がひとつの方向へと突っ走った場合には人類の文明はそこで中断されることになりかねないことを、経験を通じて誰もが学んでいました。世界中で政情不安が発生し、お互いに異なる文明やイデオロギーの衝突が火に油を注ぐことになるかも知れません。「トラック2」の目標はそういった危機を克服し、世界秩序における共通の原理を研究することでした。

この取り組みにおいてはエウゲニー・プリマコフは欠くことのできないパートナーでした。権力の中枢の近傍に長い年月にわたって居たことから、また、最終的にはその中枢で活躍していたことから彼は世界の潮流に関して幅広い見識を持っており、自国に対する彼の惜しみない献身振りとも相俟って、彼の鋭い分析力はわれわれ自身の思考を定義し、共通の将来像を形作る上で大きな助けとなっていました。われわれはすべての事柄について同意していたというわけではありませんが、お互いを尊敬し合っていました。彼の逝去に当たり、われわれは誰もが寂しく思っています。個人的には彼は私の同僚でもあり、友人でもあります。

両国間の関係は10年前に比較して悪化していますが、このことを私が敢えてここで皆さんにお伝えする要はないでしょう。事実、両国関係は冷戦の終結以降では、多分、最悪の状態です。相互信頼は両陣営において消え去ってしまいました。協調に代わって、対決の姿勢に置き換わっています。エウゲニー・プリマコフは、彼の晩年、この非常に悩ましい現状を克服する方策を探し求めていたことを私は承知しています。彼の取り組みを残されたわれわれ自身のものとすることによって、われわれは彼の記憶を讃えたいと思います。

冷戦の終結時には、ロシア人と米国人は両者とも最近の経験によって培われた戦略的パートナーシップの将来像を抱いていました。米国人は緊張緩和の期間が継続することによって世界規模の課題に関しては協調をもたらしてくれるだろうと期待していました。自国の国境線が変化するのを目にし、再建や再定義を要する将来の課題を認識して不快の念を感じ、自分たちの社会を近代化する上でロシア人が果たす役割について彼らが抱いていた誇りは減退しました。両国では多くの人たちがロシアと米国の運命はお互いにしっかりと絡み合っていることを理解していました。戦略的安定性 [訳注:ウィキペデイアの説明によると、戦略的安定性とは相互に決定的な打撃を与える能力を持つふたつの潜在的に敵対的な国家の間の均衡をいう] を維持することや大量破壊兵器の拡散を防止することについてはその重要性が増すばかりで、特に、ロシアの長い国境線が延々と伸びているユーラシア大陸においては安全保障体制を構築することが喫緊の課題となって来ました。通商や投資においては新たな展望が現れ、エネルギー分野における協力は長いリストのトップを飾りました。

残念ながら、世界規模の大変動は政治的手腕の影響力を大きく凌駕してしまいました。NATOがユーゴスラビアで開始した軍事作戦に対する抗議として、エウゲニー・プリマクフはワシントンへ向かっていた専用機を大西洋上でモスクワへ引き返すよう命令を下しましたが、首相として下した彼の意思決定は象徴的なものでした。当初の希望はアフガニスタンにおけるアルカイダやタリバンに対する初期の作戦において緊密な連携を保つことによって幅広い領域でそれぞれの課題に関してもパートナーシップを確立することができるのではないかという点にありました。折から、中東政策に関する抗争が渦巻く中でパートナーシップはすっかり弱まっていたのです。さらには、2008年にはコーカサスで、2014年にはウクライナでロシア軍との衝突が起こりました。シリアにおいては共通の立場を見い出し、ウクライナにおける緊張を和らげようとする取り組みが最近行われていますが、両国の離反に何らかの変化をもたらすような成果は今のところ目撃されてはいません。

それぞれの国における筋書きでは相手国にすべての責任を押し付け、それぞれの国においては相手国を悪魔視する傾向にあります。あるいは、相手国の指導者を悪魔視する傾向があります。国家の安全保障問題が両国間の対話を独占してしまい、「冷戦」の苦い抗争の時代に産み出された不信や疑惑の念がふたたび表面化してきています。ロシアでは、こうした感情は社会・経済・政治的に途方もない危機に襲われてソ連邦が解体した後の10年間の記憶によってさらに悪化しました。一方、米国はもっとも長い間続いた経済的繁栄を謳歌していました。その結果、これらのすべてがかってはソ連の影響圏であったバルカン諸国に対する政策の違いをもたらし、中東問題、NATOの拡大、ミサイル防衛システムの導入、武器の売り込みと続き、両国の協調の展望はすっかり圧倒されてしまったのです。

多分、このような現状を理解する上でもっとも大切な点は歴史的概念における基本的な隔たりでした。米国にとっては、冷戦の終結は不可避的な民主革命に関する伝統的な信仰が正当であったことを裏付けるようなものでした。米国は基本的には法的ルールによって統治された国際システムが拡大することを思い描いていました。しかし、ロシアの歴史的な経験はこれよりも遥かに複雑なものでした。何世紀にもわたって東や西から外敵によって侵入されてきた国家にとって安全保障は常に法的な基盤だけではなく、地政学的な基盤を必要とします。同国の安全保障上の国境がモスクワから1000マイルも離れたエルベ川から移動する時、世界秩序に関するロシア側の概念には戦略的要素が含まれて来ますが、それは不可避的に起こります。われわれの時代が挑戦しなければならないのはふたつの大局観、つまり、法的および地政学的な大局観をひとつの理路整然とした概念に統一することであります。

こうして、逆説的ですが、われわれは基本的には哲学的な問題に新たに直面することになります。ロシアはその価値観のすべてをわれわれと共有する国ではありませんが、世界秩序にはなくてはならない構成要素です。米国はそうした国家とどのようにして協調するのでしょうか?ロシアはその国境地帯に警報を出すこともなく、敵対者を増やすこともなく、どのようにして自国の安全保障上の利益を推進するのでしょうか?ロシアは国際問題において米国が心地よく受け止められるような立派な居場所を獲得することができるのでしょうか?米国の価値観を強要されたとロシア側が受け止める心配もなしに米国はその価値観を追求することができるのでしょうか?これらのすべての問い掛けについて私は答えを用意する積りはありません。私の目的はこれらの問い掛けに関して皆さんが取り組んでいただけるように鼓舞激励することにあります。

ロシアと米国の多くの解説者らは新たな世界秩序に関して両国が協調的に働くことはできないとしてその可能性を拒んでいます。彼らの見方に従うと、米国とロシアはすでに新しい「冷戦」に突入しています。 

今日われわれが直面する危険は何でしょうか?軍事的衝突に戻ってしまうことの可能性は低く、むしろ、両国において自己達成的な予言に凝り固まってしまうことの可能性の方がより大きな危険であると言えます。両国の長期的な利益を考えますと、世界中で混乱や変動が見られる現状からさらに多極化されグローバル化した新たな平衡状態へと両国が変化していくことが求められています。 

この混乱の性格はそれ自体が前代未聞です。つい最近までは世界における国際的な脅威は一国にパワーが集中し、支配的な国家が出現することでした。しかし、今日の脅威は多くの場合国家権力が崩壊し、統治されてはいない地域が数多く出現することにあります。この拡大しつつあるパワーの真空状態は、何れかの国が、たとえその国が如何に大きなパワーを持っていようとも、その国家ベースだけで取り扱えるようなものではありません。これは米国とロシア、ならびに、他の有力な国々の間での息の長い協力を必要とします。国家間での伝統的な紛争を扱う際はその紛争を境界の範囲内に封じ込み、紛争が再発することを防止する条件を形成する際はその紛争の要素を制約しなければなりません。

誰もが知っているように、われわれの目の前にはもっとも最近の事例ではウクライナやシリアといった対立的な課題が横たわっています。ここ数年、両国はそうした問題を議論してきましたが、目につくような成果を挙げてはいません。これは驚くほどのものではありません。何故ならば、これらの議論は同意済みの戦略的枠組みの外で行われてきたからです。それぞれの個別的な課題はもっと大きな戦略的な課題のひとつの表出でしかありません。ウクライナはヨーロッパならびに国際的な安全保障の基本構造の中へ埋め込む必要があります。そうすることによって、ウクライナはどちらかの陣営の単なる前哨基地ではなく、ロシアと西側とを結ぶ架け橋の役割を担うことができます。シリアに関しては、国内や周辺地域の派閥は自分たちで解決策を探し出すことはできないことが明らかです。他の強力な国々との協調を保ちつつ、米ロ両国が仲良く取り組めば、中東ばかりではなく、多分、何処にでも通用するような平和的な解決の見本を形成することができるのではないでしょうか。

関係を改善する取り組みには、如何なる場合も、現れつつある世界秩序に関する対話のプロセスを含めなければなりません。古い秩序が衰退し、新しい秩序が形成される時流は何でしょうか?これらの変化はロシアや米国の国益に対してどのような挑戦をもたらすのでしょうか?その種の秩序を形成するに当たって、それぞれの国はどのような役割を演じ、その新秩序の中では最終的には、満足できる程度を考慮した場合どのような地位を占めたいと希望するのでしょうか? 世界秩序についてはロシアと米国では非常に異なる概念が展開されてきましたが、われわれはこれらの概念をどのように調和させるのでしょうか?

1960年代と1970年代には、私は国際関係とは基本的には米国とソ連邦との間の敵対関係であると見ていました。テクノロジーの発展によって、戦略的安定性の構想はさらに発展して、たとえ両国のライバル関係が他の領域で続いているとしても両国は戦略的安定性を実行することができると考えました。それ以降、世界は劇的な変化を示しました。特に、今現れつつある多極的秩序においては、如何なる新しいグローバルな平衡状態においてもロシアは欠くことが出来ない基本要素であると見るべきであって、ロシアが行うことは何が何でも米国にとっては脅威であると見るべきではありません。

私は過去の70年間のほとんどにわたって米ロ関係にあれこれの形で関係して参りました。警戒レベルが高まった際にも、また、外交的な達成を両国が一緒になって祝った時にも私は意思決定の中枢に居りました。今、米ロ両国ならびに世界の人々は今まで以上に盤石な将来展望を必要としています。

私は両国の対立を創り出すのではなく、両国の将来を統合する対話の可能性についてこの場で論じておきたいと思います。これを実現するには、両者それぞれは相手にとって不可欠な価値観や利益を尊重する必要があります。これらの目標は現行の政府の延長線上では完遂することができません。また、米国の国内政策のためにこれらの目標の追求を遅延させるような場合にもこれを完遂することはできません。ワシントンおよびモスクワの両者の「やる気」によってのみ実現が可能となります。近い将来、両国が直面するより大きな挑戦と向き合うためには、ホワイトハウスおよびクレムリンは不満や犠牲の感覚を乗り越えて一歩先へ進もうとする「やる気」が必要です。 

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著者のプロフィール: ヘンリー・A・キッシンジャーは米国のニクソンおよびフォード政権の下で国家安全保障担当補佐官および国務長官を務めた。本稿はモスクワのゴルバチョフ財団にてプリマコフに関する講義として講演が行われた際のものである。

<引用終了>


上記のキッシンジャーの演説の内容は現役の米政府高官や米軍の将軍あるいはNATOの高官が喋る内容とは、当然のことながら、大きく異なる。現役の為政者の視点とは違って、明らかに、キッシンジャーのそれはより長期的な戦略に根ざしている。キッシンジャーは多極化された世界の出現をまったく否定してはいない。それは必ずやって来るとして現実を見つめ、米国はどのようにその新しい状況に対応するべきかを論じている。

今現れつつある多極的秩序においては、如何なる新しいグローバルな平衡状態においてもロシアは欠くことが出来ない基本要素であると見るべきであって、ロシアが行うことは何が何でも米国にとっては脅威であると見るべきではありませんというキッシンジャーの見解は秀逸だ。米国政府や主流メディアが報道する内容と比べると、これはたいそう新鮮に響く。

間違いなく、彼は現実主義者である。

国際政治に関与する人たちは皆がこのキッシンジャーの見解を正確に理解して欲しいと思う。これが実現すれば、2016年は世界に真の平和が訪れた画期的な年として歴史に刻まれるのではないか。


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ここで「ロシアが行うことは何が何でも米国にとっては脅威である」と受け取っている西側について具体的に掘り下げてみたいと思う。

格好の記事 [2] 216日に現れた。それを仮訳して、下記に掲載してみよう。


<引用開始>

「西側はロシアのウラジミール・プーチン大統領が今日の世界で起こっている害悪のすべてについて責任があるとしている」と、ドイツのシュピーゲル・オンライン誌が記述している。

「しかしながら、プーチンに関する非難のほとんどは作り物であって、何の証拠もない。あなたが自分のコンピュータのスイッチを入れて新聞を読もうと、あるいは、テレビのスイッチを入れようと、ロシア大統領に関する否定的なイメージはそこいら中で見つかる」と、同誌は書いている

「ウクライナ紛争から始まって、難民危機やペギーダ [訳注: Pegidaとは組織の名称で、西洋のイスラム化に反対する愛国的な欧州人という意味を持ち、この組織はドイツのドレスデンを中心に社会的・宗教的な活動を行っている] に至るまで、欧州大陸で起こっている問題のすべてについてプーチンに責任があるかのようだ。間もなく、メルケル首相が髪型を変えたとしても、そのことについて責任があると非難されるのではないか」と、同記事は書いている。

ウクライナ紛争が始まった当時、プーチン大統領は単に常軌を逸した人物として受け止められていた。当時、アンゲラ・メルケルは「彼は彼自身の世界に閉じこもっている」と評したものだが、今や、彼は本物の「魔物」として見られている。 

同誌によると、西側諸国には悪弊がある。何ごとでもすべてを白か黒かに区分してしまう。

たとえば、「ヨーロッパは明るく、適切に統御されている。一方、暗黒のロシアでは暴力、暴政、混乱が起こり、連中は我々の社会が崩壊することを願っている」と、同記事は記述しいる。これは西側諸国においてはもっとも共通して観察されるロシアについての偏見を引用したものだ。

米国上院議員のダン・コーツはベルリンに駐在した元大使ではあるが、彼は「難民危機を政治的な武器として用いた」としてロシアを非難し、ドイツのウルスラ・フォン・デル・ライエン国防大臣はプーチンはシリアでは「二重のゲーム」を演じているとして怒りを表した、と同誌は伝えている。 

昨年の9月末、ロシアはシリアで軍事的な作戦を開始した。過去の6か月間、ロシアの作戦はシリアにおける状況を抜本的に改善し、「不可逆的な」成功をもたらした、とドイツのFAZ紙はこの日曜日に書いている。

と同時に、この5年間に及ぶ内戦は25万人もの死者を出し、1千百万人もの市民が自宅を失ったが、西側はそうした事実を見ながらも、ただ沈黙をよそおって来た。

「無関心と無能力のプリズムを通して、われわれはシリアが虐殺の場へと変貌するのをただじっと眺めていた。こうして、われわれは道徳的に話を進める権利を失ってしまったのだ」と、同誌は結論付けている。 

<引用終了>


上記に掲載した記事には「プーチンに関する非難のほとんどは作り物であって、何の証拠もない」という記述がある。これは秀逸だ。

「ロシア脅威論」が如何に無意味であるかに関して、ヨーロッパのメディアが正面から取り組み始めたと言えよう。少なくとも、ここに引用したドイツの記事はそのことをはっきりと伝えようとしている。ジャーナリズムとしては全うである。われわれ一般大衆にとっても、これは歓迎すべきことだ。

2014年には「プーチンは大悪党だ」とする大合唱が起こり、西側各国の合唱は延々と続き、終楽章に到達する気配はまったく見えなかった。しかし、2015年の夏、ヨーロッパの街角にまでやって来た難民危機を通じて、もっとも根源的な理由は何であるのかを皆が肌で理解し始めた。一般市民、産業界、政治家、メディアを含めて、多くの人たちが悪夢から覚めて、正気に戻ってきたかのようである。ロシアとの和解が論じられ始めた。

しかし、何故こうも多くの人たちが悪夢に襲われてしまったのだろうか。ある識者はロシアについて余りにも無知であったからだと指摘する。他の事情通はメディアによる情報操作を指摘する。さらに他の評論家はEUという制度が各国の主権を曖昧にしてしまったことが米国への追従という現状を招いた主要因だと言う。

悪夢から覚めるのが余りにも遅かったという感があるが、現実を正しく見る姿勢はその輪を大きく広げて行って欲しいと思う。ドイツのジャーナリストはヨーロッパの機関車役として世論を引っ張って欲しいし、ヨーロッパ各国のジャーナリストもこの動きに乗り遅れることなく、新たな潮流を作り出して欲しいと思う。

シリアや中東、ならびに、ウクライナではこれ以上無辜の市民が犠牲になることは許されない。そう公言することにどんな屁理屈が必要だと言うのだろうか?誰の目にも明らかだ!

問題は、以上に述べて来た内容にまったく周波数が合わせられない人も決して少なくはないという現実がある。素人の私にはそのことを解決する術はない。

しかしながら、私はこのブログを自己研鑚の場として位置付けていることから、このブログを読んでくれる人が一人でも存在すること自体が基本的にはもっとも重要なことだ。自分を取り巻く世界を少しでも多く知ることが必要だ。情報を自分の方から取りに行く積極的な姿勢が必要だ。右へ進むのか、それとも、左へ進むのかは別にして、そこからすべてが始まると思う。



参照:

1Russia Is Not a Threat to the US, But an Essential Partner in the World Order: By Henry A. Kissinger, Feb/05/2016, Russia-insider.com > ... > Politics

2Will Media Accuse Putin of Being Responsible for Merkel’s Haircut Next?: By Michael Klimentyev, Sputnik, Feb/16/2016



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