2017年9月2日土曜日

ヤマル半島のツンドラ地帯での一日 - トナカイを遊牧する一家と共に



第三次世界大戦だの核戦争だのといった話題は知らず知らずの内に読む人の気分を沈めてしまう。最近そういった記事を数多くご紹介して来たことから、私自身がそんな気分を実際に感じたのだ。

たとえ僅かではあっても、本日は気分転換をしたいな~と思う。

ここにロシアの北部、ヤマル半島でトナカイを遊牧する一家と共に一年を過ごしたふたりの研究者に関して報告する記事がある [1]。今年の35日付けだ。

トナカイは餌を食いつくすと新しい場所を求めて毎日のように移動する。「新たに誰かと遭遇するには少なくとも20キロは移動しなければならない・・・」という記述でこの記事は始まる。これがシベリア北西部から北極海に突き出ているヤマル半島の描写の一部である。完全に想像を越する世界である。これは本ブログの読者の皆さんと一緒に日常性から離脱しようとするのには持って来いだ。

今日は92日。私が住むブカレストではかなり凌ぎ易くなったとはいえ、まだまだ夏の余韻が続いている。冷蔵庫で冷やしたスイカが欲しくなる。ヤマル半島ではもう初雪があったのだろうか?北極海に面するヤマル半島は私にとっては秘境中の秘境である。

早速、仮訳を始めよう。

注: ロシア語ではなく、ネネツ語の言葉とおぼしき用語が幾つか現れ、私としては、原文のスタイルを維持する意味からもそういった用語の発音をカタカナで表記したい箇所が幾つか出て来ます。しかしながら、これらの発音には間違いがあるかと思われますが、ご容赦ください。


<引用開始>
 
Photo-1: 人類学者のアレクサンドラ・テレキナと橇のキャラバン。原典:yamalexpedition.ruよりアレクサンドラ・テレキナおよびアレクサンダー・フォルコヴィツキー。以下の写真も同一の原典から。

Photo-2: ザンクト・ペテルスブルグ出身のふたりの人類学者はトナカイを遊牧する一家と一年間生活を共にした。

Photo-3: 女性用の冬の帽子、サヴァ。ヤマル地域に住むネネツ人の伝統的な冬の衣装のひとつ。

 

Photo-4: ツンドラの子供たち。

Photo-5: ロシアのヤマル半島のツンドラ地帯。

ヤマル半島のツンドラ地帯では新たに誰かと遭遇するには少なくとも20キロは移動しなければならない。極夜が始まると、日照時間が45時間を超すことはない。ほとんどの時間を暗闇の中で過ごす。お茶を一杯飲みたいと思うならば、湖へ出かけ、氷を割り、その氷を持ち帰らなければならない。チュムと呼ばれる自分のテントの中でそれを解かし、水を沸かす。薪を割ったり、ダルマストーブの火の面倒をみなければならない。

アレクサンドラ・テレキナとアレクサンダー・ヴォルコヴィツキ―はザンクト・ペテルスブルグからの人類学者であって、ふたりはヤマル半島のツンドラ地帯でトナカイを遊牧する一家と一年間にわたり生活を共にした。アレクサンドラの夢を実現するために、彼らは大都市を後にしてツンドラ地帯へ向かった。彼女は長期間の調査旅行に出かけ、自分が研究している人たちの実際の生活の真只中に自分自身を置いてみたいと思ったのである。

これらふたりの若い研究者はネネツ人のセロトッテス家の歓迎を受けた。この一家はコンスタンチンとアルビーナの夫婦(33歳と34歳)、6人の子供たち、ならびに、コンスタンチンの両親という構成だ。彼らは300頭のトナカイを飼い、ヤマル半島の南からカラ海の海岸に至るまでの膨大な地域で遊牧をする。年間で500キロ以上の距離を歩きまわるのである。トナカイを遊牧をする人たちの日常生活はトナカイ自身の年間の生活サイクルに依存することから、ネネツ人はロシアにおける典型的な遊牧民であると言えよう。
 

出発の準備: 
 


Photo-6: ネネツ人家族のために数日分の氷を準備。 

遊牧中の冬の一日は朝の5時に始まる。一家の女主人が最初に起きて、湯を沸かし、魔法瓶にお茶を満たす。遊牧民一家の全員とふたりの研究者が朝食のために集まる。朝食はお茶、パンとバター、魚か肉、つまり、前日の夕食の残り物だ。

皆がそれぞれ自分の懐中電灯やランプの明かりを頼りに荷物の準備を始める。アルビーナとアレクサンドラは衣類やその他の必要な物をユクーナ、つまり、トナカイの橇に積み込む。一方、コンスタンチンとアレクサンダーは812個の橇を半円形に繋ぎ、橇の連隊を囲いの形状に準備し、その内側にトナカイの群れを集める。 

皆の荷物が積み込まれると、チュムが分解される。覆いを外し、骨組みを分解し、支柱を橇に積み込む。チュムの積み込みが終わると、ヨルコラーヴァが始まる。つまり、トナカイが囲いの中に集められ、アルギシと称される橇のキャラバンが出発する。この家族の長であるコンスタンチンが先頭を行く。アレクサンダー・フォルコヴィツキ―の説明によると、遊牧民の家族で先導役を担う役目は常に男性に属するものであって、ネネツ人の間ではハサーヴァと呼ばれる。この言葉は「ツンドラの権力者」とも訳される。
 

新しいキャンプ地にて: 
 


Photo-7: ネネツ人の伝統的な家屋、チュムの分解。

実際には、ツンドラ地帯における真の権力者はトナカイである。トナカイはツンドラ地帯の過酷な条件の中で人が生き長らえるのを助けてくれるだけではなく、何処へでも自由に出かけることが可能だ。天候が順調でありさえすれば、トナカイは1時間当たり89キロの速度で進み、橇キャラバンの長は一日当たりの移動可能距離として2025キロを目途とすることができる。

冬の間は、チュムを橇に積み込み、トナカイを橇に繋ぎ終わった後に吹雪になることだってある。しかしながら、トナカイが主食である地衣類を食べ尽くしてしまった後は、吹雪であろうとなかろうと、ネネツ人はキャンプ地を新しい場所へ移動させようとする。トナカイこそが彼らの生活の基盤であり、彼らの唯一の資産なのである。遊牧民の最終的な優先事項は所有しているトナカイの要求を満たしてやることである。 

5時間後、コンスタンチンは新しいキャンプ地に相応しい場所を見つけた。彼はキャラバンを止め、橇から降りて、右や左へと操縦するために使っていたホーレイと称する棒を雪の中に突き刺した。この場所がチュムの設営場所であることを示し、この旅が無事に終わったことを意味するのである。 

魔法瓶から注いだ暖かいお茶を楽しんだ後、家族は皆でチュムの設営に注力し、女性たちは自分の仕事に取り掛かる。短い日照時間の最後のひと時が消えていく。暗闇の中で、懐中電灯や灯油ランプの明かりを頼りに、アルビーナとアレクサンドラは氷のように冷たくなっている衣類を橇から降ろし、チュムの中へ運び込み、寝具の用意をする。そして、ストーブに火をつける。この仕事を少しでも早く終わらせるには、以前居たキャンプ地で予めストーブの中へ薪を詰め込んでおくことだ。チュムの周囲から風が吹き込まない様にするために、アレクサンダーとコンスタンチンはチュムのカバーにシャベルを使って雪をかけ、外周を覆う作業をする。

仕事がすべて完了してから、家族はストロガニーナ(凍った魚や肉のスライス)、あるいは、簡単に料理をすることが可能な他の食材を使って、夕食をとる。トナカイの遊牧民は時には肉を煮込んだり、シチューを作ったりすることもあるが、多くの場合は生で食べる。ツンドラ地帯の人々にとっては生肉はビタミン類の重要な供給源であるからだ。
 

キャンプ地での遊牧民の日常生活:
 


Photo-8: 柳の低木を伐り出すためにアルビーナ・セロテットは下の息子のぺダヴァを連れ出す。

伝統的なネネツ人の間では、太陽が昇ってからチュムの中に残っていることは不適切であるとされる。やるべき仕事のリストには薪や水を確保することが含まれる。アレクサンドラは大きなキャンバス製の袋と木製の取っ手が付いた、先を尖らせた鉄の棒を取り上げ、アルビーナは斧を持って、ふたりは湖へ向かう。湖では、アレクサンドラが氷を割り、袋へ氷を入れ、アルビーナは大きな氷の割れ目を探して、その側面から氷を割って、大きな破片を手に入れる。氷の破片を大きな橇に積み込み、チュムまで引いて行く。 

冬季のトナカイの遊牧民にとっては薪は貴重な資源である。冬になると、白樺の丸太が地域の薪供給場に配達される。地域の人たちは丸太を求めて、チェーンソーを持って橇を繋いだスノーモービルに乗ってやって来る。

薪の供給場から遠く離れた家族は低木の柳をストーブ用の薪として使う。しかしながら、柳の木はトナカイが食べる地衣類が多い地域には生えず、女性はキャンプ地から810キロも離れた土地まで出かけて、柳の木を入手しなければならない。キャンプ地で良く見かける光景にあらゆる種類の形やサイズの焚き木で出来た5フィート位の背丈の生け花がある。この生け花はトナカイからの害を防ぐための保護手段として使われている。トナカイは枝角を使ってキャンプを引掻くことが大好きなのだ。 

都市の住民はシャワーを使わずに何日も過ごすなんて想像も出来ないことだろう。しかしながら、何時も移動し、薪や水が限られている時、綺麗な髪の毛にはもはや優先順位は与えられない。冬季に十分な薪がある場合には、ネネツ人は幾分かの水をストーブで沸かして、髪を洗ったり、下着の洗濯をする。ふたりの研究者はこの遠征旅行のためにザンクト・ペテルスブルグから大量のウェット・ティシュ―を持参した。「個人の衛生に関してはネネツ人は完全に違う態度を示す。つまり、これらの条件下ではそれぞれの習慣は異なるのだ」と、アレクサンドラ・テレキナは言う。「ツンドラ地帯では冬の間は入浴をしないが、洗顔は毎日行う。」 
 

遊牧民の教育、マンガはタブレットで:
 


Photo-9: ネネツの伝統的な家、チュムでアレクサンドラとアレクサンダーのふたりが占める一角。 

昼食の前に、橇からパンを降ろして、チュムの内部に持ち込んで、ストーブの側へ置き、解凍するのを待つ。ツンドラ地帯では新鮮な一切れのパンは贅沢品であることから、経験豊かな訪問客はパンを持参して主の一家をもてなすことが多い。昼食後、アレクサンドラはネネツ人の子供たちにロシア語の文字の読み方を教え、絵の描き方や粘土細工を教える。この遠征旅行では彼女は人類学者であるだけではなく、遊牧民のための幼稚園の先生でもある。 
 


Photo-10: マンガを楽しむネネツ人の子供たち。

夕食後は、待ちに待った娯楽の時間がやって来る。大人も子供も皆が集まって、映画観賞となる。現代のトナカイ遊牧民たちは多くがテレビや衛星放送用のアンテナ、ラップトップ、タブレットを所有している。キャンプで数日を過ごすうちに、ネネツ人家族と研究者たちは「スターウオーズ」の全巻を見終えてしまった。コンスタンチンの両親は第7巻目の「フォースの覚醒」に登場する人物のそれぞれにネネツ語でニックネームを与えて、熱っぽく議論したものだ。「カリード」(大きな耳を持った奴)、「タルツアヴェイ」(毛深い奴)、あるいは、「パリデーナ・ヌレーカ」(黒い悪党)っていったい誰の事かお分かりだろうか? 

夜のお茶を楽しんだ後、皆が暖かいヤグシカ(内側も外側もトナカイの毛皮で作った婦人用の衣類)で体を覆ってチュムで就寝する。もしもキャンプ地の周辺にトナカイのための地衣類が十分にない場合は、翌日の朝5時に起きて、再度荷物を準備しなければならない。しかし、新しいキャンプ地が良好ならば、そこから再度出発するまで皆は1ヶ月も滞在することができる。 

この記事は調査研究で得られた情報に基づいており、2015-2016年に行われた「本当の人たち」と題された民族学的研究との協力の下に執筆された。yamalexpedition.ru を参照されたい。

<引用終了>


これで全文の仮訳が終了した。

このヤマル半島はその一番南側の付け根の部分さえもがすでに北極圏内にあることを忘れないでおきたい。因みに、その昔、ヨーロッパと日本を結ぶ北極圏を横切る航空路線で中継地点となっていたアラスカの都市アンカレッジはもっと南に位置しており、北極圏には入らない。

また、経済活動の面から言えば、このヤマル半島から北東に伸びる海域はカラ海と呼ばれ、サウジアラビアに匹敵するような大海底油田の存在がすでに分かっている。米国による最近の対ロ経済制裁の煽りを喰って、米国のエクソン・モービルはこの地域での石油開発から撤退せざるを得なかったことは耳に新しい。

そういった経済情報ならばいくらでも入手可能ではあるのだが、ヤマル半島で遊牧生活をしている人たちの日常生活を知るのは今回が初めてだ。

この記事を読んで私の最大の驚きは焚き木を集めるには810キロも遠出をしなければならないという点だ。北極圏内に位置するので樹木は極端に少ないだろうと思う。Photo-7-8を見ても、地平線上に樹木は一本も見当たらない。焚き木を集める仕事が結構大きな仕事であることは容易に想像がつく。これは砂漠地帯での苦労話とまったく同じではないか。飲料水の確保にしても同じことだ。

その一方、ソーラー充電器を使ってテレビやコンピュータ、タブレットを使っている子供たちの姿を見ると、文明の浸透ってこんなにも強力なのかと驚かされる。トナカイの遊牧民たちは外界から孤立しているわけではないことがよく分かる。映画「スターウオーズ」のエピソードは皆が好奇心でいっぱいであることを実に簡潔に教えてくれた。

さて、最近の物騒な世相を離れて、この引用記事で心の洗濯をすることができただろうか?束の間の寛ぎの後、われわれは又もや現実の世界へ戻るしかない・・・



参照:

1Spend a day in the Yamal tundra: On the move with deer herders:  By Alexandra Eliseeva, RBTH , Mar/15/2017





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