2019年11月12日火曜日

ロシアを悪者扱いするためにEUは歴史を改ざん - 第二次世界大戦


政府が政治的理由から歴史を歪め、改ざんすることは決して少なくはない。改ざんされた歴史が国民に向けて喧伝され、やがて一般大衆は歪曲された説明や解説があたかも正論であるとして信じ始める。政治家にとっては自分自身や自分が属する党の利益が最優先であって、国家のため、国民のためといった長期的な戦略に基づく視点はまったく希薄だ。あるいは、皆無でさえある。そして、メディアは政府の言うことを何の批判もなしに全国規模で報じる。こうした事態が今洋の東西を問わず至るところで起こっている。

ここに「ロシアを悪者扱いするためにEUは歴史を改ざん - 第二次世界大戦」と題された最近の記事がある(注1)。

本日はこの記事を仮訳し、読者の皆さんと共有しようと思う。EUが進めている歴史の改ざんにはどのような問題が孕んでいるのかを学んでおきたい。言うまでもなく、この種の問題は決して他人事ではないという現実が日本にもあるからだ。


<引用開始>

先月、第二次世界大戦勃発の80回目の記念日に欧州議会は「将来のヨーロッパのためのヨーロッパとしての記憶の重要性に関して」と題した決議文について投票を行った。採択された文書は下記のように述べている: 

「・・・(われわれは)ヨーロッパの歴史上でもっとも悲惨な戦争となった第二次世界大戦はナチス・ドイツとソ連との間で1939823日に締結された悪名高い不可侵条約(モロトフ・リッベントロップ協定とも称される)が直接招いた結果として始まったことや世界制覇を目標に掲げるふたつの専制主義国家がヨーロッパを二分したこと、ナチス・ドイツとソ連の両政府は大量殺人、虐殺、追放を行ったこと、20世紀に人類史上でかって見たこともないような規模の人命や独立の喪失をもたらしたこと、ナチス政権によって行使されたホロコーストの恐ろしい犯罪、等を記憶し、ナチス・ドイツおよびソ連ならびに他の専制主義国家によって引き起こされた侵略行為や人道主義に対する犯罪、人権の侵害について強く非難する。」 



Photo-1

太平洋ではそれよりも2年も前に日本と中国との間で戦争が始まっていたが、過去の75年間、われわれはあの戦争は193991日に始まったと教えられてきた。しかし、実際には、それよりも8日前、つまり、ドイツ外相がモスクワを訪問した日に始まったと理解すべきであろう。この戦争は平和協定の結果もたらされたとする前提には持ち前の二枚舌があるが、このことには注目しないで貰いたい。この主張は、何の証拠もなしに、条約の文章による協定ではなく、「秘密の議定書」が含まれていたと言う。他のヨーロッパの国々とナチス・ドイツとの間で署名された他の協定、たとえば、1938年の「英仏に対するミュンヘンでの裏切り」(これにはソ連は招かれず、ヒトラーがモスクワを攻撃することに敬意を表してオーストリアとチェコスロバキアがヒトラーに割譲された)とは違って、このモロトフ・リッベントロップ協定はヒトラーとスターリンとの間の秘密の合意であって、両国がヨーロッパを制覇して二分しようとするものであった。

実に大層な神話である。しかしながら、ソ連にしてもドイツにしても1939年にポーランドを割譲する新たな国境線を実際に引いた訳ではない。何故かと言うと、それは第一次世界大戦後に英国が提案したものであって、当時の国際連盟とポーランドとの間で受理された国境線を追認するものでしかなかったのである。ウィンストン・チャーチルはその年に初の戦時ラジオ放送を行い、次のように述べている: 

「ロシアは冷酷にも自国本位の政策を執拗に追求してきた。ロシア軍はポーランドの侵略者としてではなく、友人または盟友として現在の国境線に留まることをわれわれの側からも願うことはできた。しかし、ロシア軍がこの国境線に留まることはロシアがナチス・ドイツに対する自分たちの安全を維持するためには明らかに必要であったのだ。」 

それにもかかわらず、モスクワ政府はヒトラーとの平和条約を締結する最後の国家であるのだが、EUによれば両国の関係はあらゆる秘密で成り立っていた。とすると、ドイツはどうして1941年にソ連に侵攻することを選択したのだろうか?EUはこの質問には答えていない。スラブ民族を奴隷として酷使する人種的政策のことは忘れよう。あるいは、ヒトラーが「我が闘争」の中で述べた生活圏を確保するためには東方の国々を征服する必要があるといった文言は忘れよう。1941年の春、つまり、バルバロッサ作戦の2ヶ月足らず前、スターリンがクレムリンで開催されたフルンゼ陸軍大学の卒業式でナチスドイツによる侵攻が真近に迫っているとの警告を発する演説をしたことなんて気にするまい: 

「ドイツとの戦争は不可避だ。もしもモロトフが外務省の取り組みによって2ヶ月でも3ヶ月でも開戦を遅延させることができるならば、われわれにとっては幸運そのものだ。しかし、諸君らは我が軍の戦争準備のためにはあらゆる策を講じなければならない。」

19398月にナチス・ドイツとソ連との間で不可侵条約が締結された理由の核心はロシア軍が将来のドイツ軍の侵攻に備えて準備をするための時間稼ぎにあったという点をEUは改ざんしたのだ。ソ連の指導者は時期が来ればドイツは不可侵条約を破るだろうということを十二分に理解していた。国際共産主義に対抗するためにドイツは1936年に日本とイタリアとの間で反コミンテルン協定に署名していたからだ。6年間にもわたって、これと同様な反ファシスト同盟を構築しようとするロシアの動きは英国とフランスによって妨害されていた。英仏の指導者層はドイツとのビジネスで多忙を極めていたのである。世界規模の紛争が始まる前の最終リハーサルの段階でスペイン共和国をフランコから守ったのはソ連だけであった。他のすべての策を使い尽くして初めて彼らはヒトラー側と手を打つことに最終的に同意した。



Photo-2: 反コミンテルン協定に署名するヨアヒム・フォン・リッベントロップ

不可侵条約の署名のちょうど1週間前、スターリンは政治局で演説をした。彼は次のように説明している: 

「戦争か平和かという設問はわれわれにとって非常に重要な段階に迫って来た。もしもわれわれが英仏と相互協力条約を締結すれば、ドイツはポーランドから撤退し、西側の大国と暫定協定を結ぶことになろう。戦争は回避されるであろうが、将来の出来事はロシアにとって深刻な展開となるだろう。もしもわれわれがドイツの提案を受け入れ、不可侵条約を結ぶならば、ドイツはポーランドに侵攻し、ヨーロッパは深刻な不安定と混乱の中に投げ込まれることだろう。これらの状況の中、紛争には巻き込まれない選択肢がわれわれにはいくつかある。その一方で、参戦の機会を伺うことも可能となるであろう。」 

最近のEUの決議文はアングロサクソン帝国が行ってきた第二次世界大戦の歴史について一般大衆を誤導しようとする長い間の取り組みの一部ではあるのだが、多分、この誤魔化しの中でもっとも嫌らしいことは西側の全死者数の80%を占めるソ連市民の死者27百万人の墓地を汚すことになるだろうという点だ。今年のことではあるが、それよりも前に開催されたノルマンディー上陸の75周年記念ではロシアとその元首は英国のポーツマスで開催された式典には招待されなかった。ロシアで毎年59日に開催される戦勝記念日に西側は参列しようとしないこと自体は侮辱することにはならないとでも言っているかのようでさえある。確かに、東部戦線はこの「オーヴァーロード作戦」 [訳注:これは連合軍のノルマンディー上陸のコードネームとして用いられた] には含まれていなかったことは事実である。ウラジミール・プーチンロシア大統領は2014年に行われたノルマンディー上陸作戦70周年記念式典には参列した。それ以降の数年間、西側とロシアとの間では地政学的緊張が高まったが、これは連合軍の勝利におけるロシアの役割を完全に改ざんするライセンスを与えたようだ。国際義勇軍に従軍した兵士らの家族の多くはこの歴史の改ざんに侮辱を感じ、反対の声を挙げたが、一般大衆からの反対の声はほとんど聞こえて来なかった。

このEUの動きの真の目的はファッシズムのためにドアを開き、ソ連を潰すためにはドイツを使うことも厭わなかった西側の民主主義国家を無実であると認めることによって、さらには米国がヨーロッパを開放したのだという嘘八百に信用を与えることによって戦争の歴史を新たにでっち上げることにある。歴史そのものは、通常、議論のために開放されており、新たな研究や改定の対象となるのだが、この主張を支えてくれる証拠は何も見せずに大西洋主義者らは歴史の改ざんを公の行動ににしてしまった。これは純粋に政治的な動機によるものである。EUというプロジェクトそのものと同様に、この超大国は元ナチ党員で、欧州委員会の初代委員長を務めたウォルター・ハルシュタインによって設計されたものであるが、この提案の目的は建前としては将来残虐行為が発生することを防止することにあった。彼はナチスドイツ政権下ではいくつかの法律団体に籍を置くドイツの弁護士であったが、フランスでナチスドイツ軍のために戦い、ノルマンディーの侵攻後に捕らえられ、戦犯となった。

EUは将来の犯罪を防止することよりも、むしろ、共産主義の歴史的な記録を改ざんし、第三帝国のそれと同列に置くという犯罪を犯したのである。さらには、両国は「専制主義」という同一のコインの表と裏の関係にあるとし、戦争中に犯した残虐行為によってソ連も同様に非難されるべきであると言う。あるいは、当該文書が言及するソ連とドイツとの対比の回数から判断すると、なおさらのことであるとも言う。国際法の下でニュルンベルグにおいて同盟国によって推進された軍事法廷で裁定された結論を、今や、完全に覆そうとしているのかどうかはわれわれにとっては不明だ。しかしながら、1946年のあの裁判では12人の戦犯全員が死刑を宣告され、彼らは全員がドイツ人であった。ロシア人は一人もいなかった。当該文書はモスクワ政府に対する政治的方向性を隠そうとさえもしない。下記のように述べている:

「ロシアは共産主義という専制主義体制のもっとも大きな犠牲者であり、政府や政治エリートおよび政治的プロパガンダが共産主義者がもたらした犯罪を水に流し、ソ連の専制主義的な政府を賛美し続ける限り、これは民主主義国家への脱皮の妨げとなるであろう。」 

ロシアはいわゆる「大恐怖」の時代に処刑され、政治的に迫害された人々に関しては公に記念碑を建立していることから、彼らの主張は批判的な観察には耐え得るものではない。しかしながら、EUの決議文とモスクワに建立された「悲しみの壁」との間に存在する決定的な相違点は後者はソ連時代のアーカイブに残されていた証拠に基づいていることにある。スターリンはヒトラーに比べて5倍も多くの市民を殺害したという話が西側では広く喧伝され、ばかばかしいことにはそれが信じられている。このばかばかしい話は、かっては極秘裏に扱われていたものの今や公開されているソ連時代のアーカイブに残されている記録をまったく反映してはいない。20年間にわたる調査の結果によると、1920年代からスターリンが亡くなった1953年までの約30年間にソ連邦によって処刑された人々の総数は80万人を僅かながら下回る。間違いなく、この総数は恐ろしい数値ではあるのだが、人種理論に基づいて工業的なスケールで実施された虐殺といったいどのようにして比較することが可能となるのであろうか?

人口動態データをもっとも単純な手法で分析したとしても、ソ連の人口はどの10年間をとってみても常に増加して来たし、人口の減少が見られるのは戦争による影響が現れた第二次世界大戦中だけであったことから、いったいどうしてスターリンは何千万人もの市民を殺害したと信じることが可能となるのだろうか?社会主義者は、多分、孤独恐怖症に悩まされる傾向にあるだろうが、彼らはこの種のばかばかしい主張から自分たちの歴史を防護すべきである。政治的ならびに経済的なシステムのすべてを公然と投げ出すのは社会主義国家の下で欠陥が露呈した時だけであって、5百年間にもわたって世界の半分を植民地と化し、そこでは国中の市民を殺害してきた資本主義は決してこのような展開は見せなかった。

死者数に関する酷い誇張はそのほとんどが1997にフランスの右翼グループによって発刊された「The Black Book of Communism と題された書籍に由来する。彼らは戦争中にドイツに投降したアンドレイ・ウラソフ将軍が指揮するロシア解放軍(ROA)のナチス・ドイツ親派のための弁解を隠そうともしない: 

「奇妙な運命がウラソフ指揮下のソ連軍の将兵を待ち受けていた。皆はアンドレイ・ウラソフ将軍の下で戦った。ウラソフはソ連の第二軍の指揮官であったが、1942年の7月にドイツ軍の捕虜となった。自分自身の反スターリン主義に基づいてウラソフ将軍はナチス・ドイツと協力し、ボルシェヴィキの圧制から逃れ、ソ連から逃亡することに同意したのである。」 

ソビエト時代の圧制を必要以上に誇張して描写するために西側がより頻繁に引用したのはアレクサンダー・ソルジェニーツィンの「収容所列島」であった。歴史家のルド・マルテンスが指摘しているように、ソルジェニーツィンは1973年にベストセラーとなった書籍の中でウラソフの国家反逆罪を正当化しようとしている: 

「第二軍は消滅した。文字通り、これは第一次世界大戦時に非常識にも包囲網の罠に陥ってしまったサムソノフ指揮下の第二軍の二の舞であった。もちろん、これは母国に対する反逆罪である!もちろん、これは悪質であり、自分を妄信したことから起こった裏切り行為だ!しかし、これはスターリンの責任だ。国家反逆罪は必ずしも金を儲ける目的だけで起こるものではない。これには戦争準備における無知や間違い、勘違い、初期の段階における臆病、自分自身の元帥としての制服を維持するために軍を無意味に犠牲にすることさえもが含まれる。確かに、最高軍司令官の側にはより苦々しい国家反逆罪が存在するのかも?」



Photo-3: アレクサンダー・ソルジェニーツィン

真実はソビエト時代のアーカイブの中に見い出すことが可能だ。1930年代に行われた追放の責任を自分を含めたソビエト指導者の全員から解放するために、スターリンの後継者となったウクライナ生まれのフルシチョフはその行き過ぎた行為を自分の前任者に押し付けた。西側の歴史家たち、たとえば、英外務省の宣伝を担当するロバート・コンケストはフルシチョフが述べた事例を次々と取り上げ、これらの説明は急速に公の方針となって行った。結果論となるけれども、1956年にフルシチョフが「個人崇拝とその結果について」と題して行った秘密報告はソビエト・システムに対する自己不信の種を蒔くこととなって、何十年か後にはその崩壊に繋がった。それとは対照的に、歴史的記録が示す内容は当時追放された人たちの多くは必ずしもスターリン自身に脅威をもたらしたとは考えられず、内部からの妨害行為や亡命中にある元ボルシェヴィキから感化を受けた第5列の陣営による反革命行動ならびに国外に起源を有する潜在的な侵攻に関してソビエト政府全体が脅威を感じていたことを示している。まさに全体を覆うようなシステム的被害妄想があったが故に、これらの人たちは絶好の目標と見なされたのである。

ロシア内戦の最中、米国を含む第一次世界大戦の同盟国側は後に赤軍によって追い出されることになった白軍を集団で支援し、内政干渉を行った。その際にこのシナリオとまったく同じような状況が起こった。このような恐怖の本能はまったく理に適わないという訳ではないのだ。言うまでもなく、国家全域の急速な工業化は、ドイツとの戦争の脅威が高まる中でたった10年間に推進された。ヒトラーが東方に対するマスタープランを練り始めた時、彼らの最悪の恐怖が現実のものとなった。それは何万人ものバンデラ信奉者らがウクライナにおけるナチス親衛隊の第14武装擲弾兵師団に志願し、占領者であるドイツによる同胞の虐殺にさえも協力し、戦後の1950年代にはCIAの支援の下で国家反逆行為を犯したことである。こうして、諺はこう言った。あんたが被害妄想に襲われているからと言っても、そのことだけであんたを捕らえようとする訳ではない。

「水に流す」ことに対する批判に関しては、今日、ロシア人の70%はスターリンに好感を抱いている。しかしながら、これは社会主義システムは「一般庶民の面倒を見てくれた」という実感に基づいたものであって、共産主義に対する懐かしさでもあり、ソ連の崩壊を残念に思うものでもあった。スターリンによる圧政があったにもかかわらず、ジョージア出身のスターリンは米国のように日本へ2個の原爆を投下し、225,000人もの無辜の一般庶民(ほとんどは即死であった)を犠牲にするようなことはしなかったであろうとプーチンはかって述べたことがある。この原爆による犠牲者数はスターリン時代に極刑に処せられらた総数の四分の一に相当する。プーチンの言動は間違いだと言えるのだろうか? 1930年代のソ連では全国規模の飢餓が起こり、夥しい数の死者が出たが、英国はベンガルで意図的に3百万人もの餓死者を出したという事実を支える証拠が多く現れている。離散したウクライナ人の国粋主義者らによってでっち上げられた人為的な大飢饉(ホロドモール)に関する記録も出てきている。もしも西側が人為的な飢餓に関して論じたいならば、1990年代に米国がイラクに課した経済制裁によって50万人もの子供たちを死亡させたことに注意を向けるべきであろう。この出来事に関しては、当時の国務長官であったマデレーン・オールブライトは「それだけの代償を払う値打ちがあった」という有名な言葉を残した。

アングロサクソン圏が連合軍の勝利に関してロシアの役割を歴史的に抹殺しようとした、あるいは、第三帝国と同一視しようとしたのはこれが初めてということではない。以前、欧州議会は823日を「ナチス・ソビエト同盟による犠牲者を記念するヨーロッパの日」と宣言した。これはすべてが大西洋主義者による試みであって、ある意味でファッシズムよりも性質が悪い。これは人種差別を物の見方の中心に置いたヨーロッパ人入植者の植民地主義の系譜からナチスを切り離そうとするものだ。いったいどうしてユダヤ人を襲った危害はヘレロ・ナマ族に対して行われた虐殺の延長線にあるとして考えようとはしないのだろうか?百年後の今、ナミビアはドイツ政府に賠償を求めている。

ヨーロッパのネオリベラル派の指導者およびその反対派の反ヨーロッパ 大衆主義者はお互いに真っ向から反対し合うことが好きであるが、第二次世界大戦に関しては同一のお伽話を共有しているかのようだ。最近の決議文の記述によれば、ナチス・ドイツとソビエトは同等に悪党である。リベラル派の億万長者であり「博愛主義者」でもあり、国際通貨を弄ぶことに長けたジョージ・ソロスは、東欧圏において共産主義の崩壊を演じたのは彼のオープン・ソサイエティ―・インスティチュート傘下のNGOであったことが分かった時に右派の大衆主義者から冷笑を受けたことは皮肉そのものであった。ソロスは、多分、西ヨーロッパで現在台頭しつつある右派系国家主義者の反移民政策を嫌っているのかも知れないが、生粋のロシア嫌いとして彼はモスクワ政府の影響圏を邪魔するためとあらばキエフの超国家主義者とさえもベッドを共にすることを厭わないのだ。これには2014年のウクライナにおけるクーデターで政権を手にしたバンデラ派に好感をもたらす第二次世界大戦の歴史の改ざんさえもが含まれるのである。 

キエフのナチス政権は、それ以降、ロシアを嫌う「脱共産主義」法を制定し、ウクライナにおけるソビエト体制の痕跡を排除し、かっての戦争中の敵を記念の対象に置き換えようとさえしている。最近の事例を挙げると、ソ連のスパイで戦時の英雄であったリチャード・ゾルゲを冠したヴィ二ツア市の通りの名称をオメリアン・フラべツクに変更した。オメリアン・フラべツクは戦時中にナチスドイツに協力した「ウクライナ反乱軍」の司令官であって、何千人ものポーランド人やユダヤ人を殺害した。ゾルゲは東京でドイツ人ジャーナリストとして行動していたが、日本はソ連を攻撃する計画を持ってはいないという情報を絶妙なタイミングでモスクワ政府に伝えた。この情報によってスターリンにとっては「モスクワの戦い」のために補強戦力を充当することが可能となり、戦争の勝敗を決する重要な転換点となったのである。ゾルゲは1944年に日本で処刑され、後にソ連の英雄として叙勲された。

今、EUは立法化によって歴史の「脱共産主義化」を図ろうとしている。EUに対するソロスの影響力については言い過ぎることは決してない。彼のロビー活動はこの政治経済的な共同体における如何なる国家元首に比べてさえも行政部門に直接助言する機会をより多く与えてくれるのだ。このへッジファンドの大物は、ポーランドと自分の出身国であるハンガリーに対してもそうしたように、ロシアに対してショック療法を適用するようにジェフリー・サックスとIMFに協力を求めた。その後、1990年代に実施されたロシアの大民営化時代に資産を形成した。しかしながら、プーチンの下ではソロスのNGOはロシアから排除された。皮肉にも彼がウクライナのファシストに支援を提供し、モスクワの影響力を邪魔する理由は、多分、ハンガリーで育った頃に彼が個人的に振舞った背景に相似性を見い出すことが可能だ。

ジェルジ・シュワルツとして生まれ、第二次世界大戦中の彼はユダヤ人家族出身の裕福な十代を過ごしていた。彼の家族は金を使って枢軸国の占領下を生き延び、アロー・クロス政権の高官を買収し、ソロスにキリスト教徒としての身分証明書を入手した。この少年は他のユダヤ人らには追放通知書を配達したことを認めている。その後間もなく、若いソロスは高価な盗難品やユダヤ人の邸宅から押収された物品を管理する高官の養子としての役割を演じて、その高官の仕事中は彼の下で過ごした。彼はひとりのユダヤ人としてこれらの体験によって悩まされたに違いないと想像するかも知れないが、ソロスは何も後悔をしてはいないと何度も言っている。多いに気になることではあるが、彼はこれらの体験を投資家としての将来の仕事と比較してさえもいる。

衝撃的だ: 反ファシズム派の支持者であるジョージ・ソロスはナチス・ドイツの協力者であったが、そのことを今日までに後悔したことはないと言う。

ソロスと同様に、金儲けに対する飽くなき追求やロシアを嫌うことを通じてナチスを好きになる点を除いては、EUはイデオロギーを持ってはいない。それ自身の政治的関心のために、EUは危険にもキスリング派のような右翼によって作り上げられた歴史感を育てようとしている。キスリング派 [訳注:ナチス・ドイツ支配時代(19401945年)のノルウェーで親ナチス・ドイツ政権を作ったVidkun Quisling18871945年)に因んでこの言葉が用いられるようになった。キスリングはナチス・ドイツ崩壊後に逮捕され、処刑された] は枢軸国と協力することによって罪悪感から逃れた。その一方で、勇敢にもナチス・ドイツを降伏させたロシアは悪意をもって中傷されている。ファシズムは完全に排除された訳ではない。西側は冷戦中にファッシズムを育て、復活しつつあるモスクワ政府を世界の舞台で弱体化させるために、ユーラシアに資本主義が回復された今でさえも西側はそうしている。

世界が第三次世界大戦の瀬戸際に押しやられている中、誰もが「歴史は繰り返す・・・最初は悲劇として、二回目は茶番劇として・・・」と著書「ルイ・ナポレオンの18番目のブリュマール」の中で述べたカール・マルクスの有名な言葉を思い起すのではないか。これはフランス革命におけるナポレオン・ボナパルトの権力の掌握と半世紀後に彼の甥が企て、フランス革命に終焉をもたらしたクーデターとを比較したものだ。これと同じようにうまく適合する言葉は著名な作家であり、反帝国主義者でもあったマーク・トウェインのユーモアに富んだ言葉ではないだろうか。彼は「歴史は繰り返さない。しかし、韻を残す」と言った。両者の言葉は共に第二次世界大戦の疑いようもない悲劇やEUの歴史に対する誤魔化しにも適用することが可能だ。EUの政策は新たに世界規模の紛争を作り出そうとしており、この紛争は起こりそうな気配だ。

原典: Unz Review


<引用終了>

これで全文の仮訳が終了した。

国内に解決が難しい政治課題を抱え、そのことについて国民が不満を抱いている時、その国の政治家は国民の関心を外へ向けようとすることが多い。悪の根源は国内にあるのではなく、国外に存在するとして巧妙な説得を試みる。思考回路はすべてが自己保存のためであって、高潔な思想は微塵もない。

この引用記事は緻密な分析に基づいて物事を論理的に見ようとする姿勢で書かれている。そして、われわれ一般庶民にも分かり易い形で専門家の意見や物の見方を説明しようとする取り組みには好感さえも覚える程だ。EUの最近の決議文が如何にまやかしであるのかが良く理解できる。

歴史的出来事は歴史的証拠に基づいて理解することが求められるという極めて基本的な事実にわれわれはもっと、もっと真剣に留意しなければならないと思う。言われてみれば当然そうだと反応し勝ちではあるが、この記事は具体的な例証を挙げてその点を改めて教えてくれた。素晴らしいことだと思う。

仮にわれわれ一般庶民の大多数がロシアを悪者扱いすることは大きな間違いであると自覚した場合、どのような将来が待ち受けているのであろうか?

トランプ大統領が進めようとしたロシアとの和解は議論の余地がない程に正しいと皆が理解した暁には、第三次世界大戦を避けることが可能となってくるであろう。つまり、世界規模の核戦争の脅威は急速に低減する。人類の存続にとってこれは考え得る最大級の政治的成果であると言えよう。そして、米国の軍産複合体が推進している新冷戦の構造を維持するために費やされている莫大な予算は年金や教育、貧困者の救済、医療制度の拡充、インフラの整備といった国家としての基礎的な政策に存分に振り向けることが可能となって来るであろう。こうして、軍事力を背景に世界中のエネルギー資源をただ同然に入手しようとしてきた米国の傲慢な振る舞いは、遅かれ早かれ、影を潜め始めるであろう。イラクやシリア、イエメンには平和な日々が戻って来るに違いない。故郷の地から離れざるを得なかった何百万人もの人たちはやがて故郷に戻って来るであろう。ロシアやイラン、ベネズエラ、北朝鮮に対する経済制裁の存在理由は屑籠に投げ込まれ、一般庶民は必要な医薬品を入手し、子供たちの健康を回復させ、生命の危険を感じた日常にサヨナラと言える日が来るであろう。



参照:

1The EU Is Rewriting WWII History to Demonize Russia: Max Parry, Russia Insider, Oct/27/2019








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