2020年9月6日日曜日

新たに始まったコソボ指導者の訴追はビル・クリントンのセルビアにおける流血沙汰を思い起させる

 セルビア内の自治州であったコソボは2008年にセルビアから独立した。コソボはまだ若い国である。20164月、コソボ解放軍の政治部門の指導者であったㇵシム・サチがコソボ大統領に就任した。コソボ共和国はバルカン半島の内陸部に位置する国家で、総人口は200万人足らず。公用語はセルビア語とアルバニア語。しかしながら、その生い立ちからセルビアとコソボとの間には血なまぐさい事件が多発し、政治的および軍事的緊張を孕んだまま今に至っている。

コソボの独立承認国(ウィキペディアから): 201911月中旬、コソボはアメリカ合衆国、イギリス、ドイツ、フランス、日本など93ヵ国から承認を受けているが、セルビアをはじめ、ロシア、中国、スペイン、キプロス、ギリシャ、ルーマニア、ボスニア・ヘルツエゴビナ、スロバキア、ジョージア、イスラエル、ブラジル、アルゼンチン、チリ、インド、インドネシア、南アフリカなどといった国連加盟国の半数近くに上る85ヵ国が承認を拒否している。そのため、将来的に国際社会から一致した承認を得られるかどうかは未だ不透明な状況である。

最近のもので、「新たに始まったコソボ指導者の訴追はビル・クリントンのセルビアにおける流血沙汰を思い起させる」と題された記事がある(注1)。

何が興味深いかと言うと、それはわれわれに米ロ間の地政学的な背景を理解させてくれるからだ。つまり、コソボを巡る諸々の事象を眺めてみると、事実を隠ぺいし、歪曲する国際政治の醜い側面が具体的に浮かび上がって来るのである。米国の国際政治には常にロシアや中国、さらにはイランや北朝鮮との絡みがついてまわる。

本日はこの記事を仮訳し、読者の皆さんと共有したいと思う。

ビル・クリントンお気に入りであった「自由の戦士」が大量殺害、拷問、誘拐、ならびに、その他の人間性に対する犯罪行為を理由にして訴追された。1999年、クリントン政権は78日間におよぶ空爆を繰り広げ、セルビアとコソボにおいて15,000人もの一般人を殺害した。この軍事行動については、米メディアは人種偏見に対する十字軍であるとして誇らしげに描写したものである。米国の外交の多くが単なる見せかけであるのと同様に、この戦争も常に偽物のままであった。

コソボ大統領のㇵシム・サチはオランダのハーグに所在する国際法廷によって戦争犯罪と人道に対する犯罪行為にかかわる10個の罪状で訴追された。同法廷はサチと他の9人を「殺害、強制的な失踪、迫害、拷問を含む戦争犯罪」の廉で起訴した。サチと他の容疑者らは「100件近くの殺害事案に関して刑事責任を問われており、何百人もの犠牲者には、政敵も含めて、コソボのアルバニア人、セルビア人、ジプシーが含まれ、その他の人種も含まれている。」

シム・サチの安っぽい業績は反テロがワシントン政府の政策立案者にとって如何に好都合な旗振りであったのかを示している。コソボ大統領に就任する前、サチはコソボ解放軍(KLA)の指導者で、セルビア人をコソボから追い出すために闘っていた。1999年、彼らにはおどろおどろしい過去があったにもかかわらず、クリントン政権はKLAを「自由の戦士」と称して、多額の支援を与えた。その前年、国務省は「KLAによって引き起こされたテロ行為」を非難していたばかりであった。KLAは麻薬の密売に広く関与し、オサマ・ビン・ラーデンとも深い関係を持っていた。

しかしながら、KLAの武装やセルビアの爆撃はクリントンが不正義に対しては確固たる活動家であるとして描くことに効を奏し、彼に対する弾劾裁判の後に世間の関心を別の方向に大きく変えることに役立ったのである。クリントンは米軍による殺害を神聖化することに熱心で、破廉恥極まりない、数多くの議員たちからの支持を受けた。ジョー・リーバーマン上院議員(コネチカット州選出、民主党)は大声を張り上げて、「米国とKLAは同じ価値観と原則に則っている。KLAのために闘うことは人権と米国の価値観のために闘うことに等しい」と言った。クリントン政権の高官らがセルビアの指導者であるスロボダン・ミロセビッチをヒットラーになぞらえたことから、まともな人たちは誰もがセルビアに対する爆撃に拍手を送らざるを得なかった。

セルビア人と少数派のアルバニア人は両者ともコソボにおける苦々しい抗争で流血沙汰を引き起こした。しかし、自分たちが行っている爆撃を神聖化するために、クリントン政権は魔法の杖を振って、KLAによる流血沙汰を隠ぺいした。英国のフィリップ・ハモンド教授は78日間に及んだ爆撃を「軍事作戦としては不必要だった」と指摘した。つまり、「NATOは軍事および民生の両分野に重要な工場や橋、ならびに、ベオグラードのど真ん中にあるテレビ局を破壊した。これは同国に脅威を与え、降伏させることを意図したものだ」と述べた。

NATOはクラスター爆弾を市場や病院、その他の民生用施設へ繰り返して投下した。クラスター爆弾は敵部隊の全域にわたって被害を与えることを目的として設計された対人兵器である。NATOはセルビアとコソボで1300発以上のクラスター爆弾を投下した。個々の爆弾には208個の子爆弾が収納されており、パラシュートを使って空中を漂いながら地上に落下する。爆弾専門家の推算によれば、炸裂しなかった子爆弾は1万個以上にも達し、爆撃の後にはその地域全域に散らばって、停戦後長い月日が経過した後でさえも数多くの子供たちが不具者となった。

爆撃の末期には、ワシントンポストは何人かの大統領補佐官や友人たちがチャーチルのような語調でコソボのことをクリントンの「もっとも輝かしい時」であると描写していたことを報じた。また、ポストはクリントンの友人が「クリントンが信じていたのはNATOの軍事的介入に対する揺るぎのない、道義的な動機であったが、これはクリントン自身の意識に生まれた残念な気持ちをなだめる機会を与えてくれた。その友人はクリントンは時々グチをこぼしていたと言っている。自分よりも前の大統領は高貴な目的で戦争をすることが明らかに可能であったが、自分の番が来たら、道義的理由の一助になる機会さえも与えられはしない。」クリントン自身の基準から言えば、セルビア人市民を殺害することは「道義的理由」に「十分に近い政府の仕事」であったのだ。

1999年の爆撃が終わって間もなく、クリントンは彼の補佐官らが作成した「一国の国境の内側であろうと、外側であろうとにはかかわりなく、国際社会が大量虐殺や民族浄化を中断させる力を持っているならば、われわれはそれを中断させるべきだ」というクリントン・ドクトリンをはっきりと宣言した。現実には、クリントンの方針は米国の大統領は、いかに恥知らずな嘘であったとしてもそれがメディア受けするものでありさえすれば、それに基づいて戦争を開始する権限を有するというものであった。現実には、セルビア爆撃の教訓が示したことは米国の政治家は相手を殺戮するライセンスを得るために単に「大量虐殺」という言葉を繰り返す必要があっただけであった。

爆撃の終了後、「米国とNATOはセルビア人と少数派のアルバニア人を防護するためには平和維持軍として行動し、平和が到来したら撤退する」と述べて、クリントンはセルビアの人々に保証を与えた。その後何ヵ月間も、何年間も、米軍とNATO軍はKLAの側に立って、KLAは民族浄化を行い、サルビア人の民間人を殺害し、セルビア人の教会を爆撃し、非ムスリムを抑圧した。クリントンが彼らを守ると約束した後に、約25万人のセルビア人やジプシー、ユダヤ人、その他の少数民族がコソボから脱出した。2003年までに、1999年にコソボに居住していたセルビア人の70%が逃げ出し、コソボは95%がアルバニア人で占められるようになった。

しかし、サチには米国の政策立案者にとって利用価値があった。コソボの権力を手中に収めてからの抑圧や腐敗に関して彼は広く非難されてはいたのだが、2010年、ジョー・バイデン副大統領は彼を「コソボのジョージ・ワシントン」と称して、サチを礼賛した。23カ月後、欧州委員会の報告書はサチとKLAの活動家らによって行われている人の臓器の密売を非難した。ガーディアン紙の指摘によると、この報告書は「サチの内部サークルが戦争後に捕虜を国境を越してアルバニアへ連行し、そこで何人ものセルビア人が殺害され、彼らの腎臓は闇市場で密売されたと報告した。同報告書は「臓器移植の外科医の手術の準備が整うと、セルビア人捕虜はいわゆる安全な家から個々に連れ出され、KLAの殺し屋によって即座に処刑され、彼らの死骸は手術を行うクリニックへと迅速に移送された」と報告している。

臓器の密売を問われているが、サチは2011年、2012年、2013年にクリントン財団によって開催された年次グローバル・イニシアチブ会議においては出席者の中ではスターのような存在であった。それらの会議では、彼はビル・クリントンと一緒に写真に納まった。恐らく、あれはサチ政権が将来ヒラリー・クリントンの選挙マネジャーとなるジョン・ポデスタとの共同経営の下にあったポデスタ・グループと交わした月額5万ドルのロビー活動契約に由来する特典だったのではないか、とオンラインのデイリー・コーラー紙が報じている。

クリントンはコソボでは英雄である。首都のプリスティナには彼の像が建立された。ガーディアン紙は「クリントンの左手は高々と上げられ、一般大衆に挨拶する指導者の典型的な姿を示していると指摘した。右手にはセルビアに対して爆撃が開始された1999324日の日付けが刻まれた文書を持っている」と述べている。しかしながら、米国の爆撃で殺戮された女性や子供たち、その他の人々の死体の山の中にクリントンが立っていたとしたら、その像は彼をより適切に表現してくれていたことであろう。

2019年、ビル・クリントンと彼の政権で国務長官を務め、異常な程に爆撃に賛成したマデレーン・オルブライトはプリスティナを訪問し、そこでふたりはサチと一緒に写真に納まったりして、「ロックスターのような歓待」を受け、クリントンは「私はこの国が大好きだ。(セルビア軍による)民族浄化に対抗し、自由のためにあなたと一緒に立ち上がって闘ったことは私の人生においては最大級の名誉である」と宣言した。サチはクリントンとオールブライトに自由勲章を授与した。「彼はわれわれにもたらした自由とこの地域全域にもたらした平和に貢献した」からであった。オールブライトはトランプ時代にファッシズムに対して警告を与える先見的な役割を再度見い出した。現実には、オールブライトに与えて然るべき唯一の敬称は「ベオグラードの屠殺者」ではないのか。

セルビアにおけるクリントンの戦争は全世界が今でも苦しむパンドラの箱となった。政治家たちやほとんどのメディアはセルビアに対する戦争を道義的な勝利として描写したことから、ブッシュ政権にとってはイラクへの武力侵攻を正当化することは極めて容易く、オバマ政権にとってのリビアの爆撃やトランプ政権にとってのシリアに対する爆撃の繰り返しは極めて容易いものとなった。しかし、これらの軍事介入のすべては受益者であると噂される当事者に呪いをかけ続ける混乱の種を蒔いたのである。

1999年にビル・クリントンが行ったセルビアに対する爆撃は、ジョージ・W・ブッシュがこの国を指揮してイラクへの侵攻へと邁進した詐欺行為と同じく、非常に大きな詐欺行為であった。事実、クリントンと他の政府高官らは、大量虐殺や拷問に関する非難があったにもかかわらず、ㇵシム・サチを賞賛し続けた。また、臓器の密売への彼らの関与は米国の政治家エリートたちの多くが陥る「金銭づく」を想起させる。次回においても、米国人はまたもや騙され易く、ワシントンの政治家とメディアが結託して大嘘の口実をでっち上げ、どこかの運の悪い国家を吹き飛ばしてしまうのではないだろうか。

著者のプロフィール:ジェームズ・ボヴァ―ドは10冊の本の著者であって、2012年には「Public Policy Hooligan」を発刊し、2006年には「Attention Deficit Democracy」を発刊。彼は、他にも多数の出版元を含めて、ニューヨークタイムズやウオールストリートジャーナル、プレイボーイ、ワシントンポストで健筆を振るってきた。

注: Mises.orgにて表明された見解は必ずしも Mises Instituteの見解ではありません。

これで全文の仮訳が終了した。

コソボを巡る国際政治にはこれほど多くの隠されたエピソードがあったのだ。素人の私にとっては驚くばかりである。関心さえあれば、そして、時間さえあれば、さらに数多くの具体的な情報を掘り起こすことが可能であろうと思う。

ところで、政策立案者とはいったい何者なのだろうか?

それは、多くの場合、議員やシンクタンク、評論家、学者、世論の形成に一役も二役も演じる大手メディア、等の集合体である。米帝国が外国から富を収奪するには、彼らは何でも計画する。彼らは情報戦争、経済戦争、貿易戦争、通貨戦争、あるいは、サイバー戦争を仕掛ける。忘れてはならないのは彼らは特定の国へNGOを送り込み、政権を倒すためにカラー革命を組織し、それを実行する。さらには、フェークニュースを流して敵国の首長を中傷し、信用を失墜させようとする。これらはもうひとつの重要な作戦である。議会は法案を可決して、他国の国内政策についてさえも干渉する。さらには、さまざまな経済制裁を可決する。具体的な武力行使としては、敵国に脅しをかけるためには空母を派遣する。最悪の場合は武力侵攻を実行する。これらの動きの最初の段階を彼らは「政策の立案」と呼んでいる。

参照:

1New Kosovo Indictment Is a Reminder of Bill Clinton’s Serbian War Atrocities: By James Bovard, Jul/28/2020



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