2016年1月11日月曜日

西側による戦争で4百万人ものイスラム教徒が殺害された。これは集団虐殺と呼ぶべきではないのか?



戦争は相手を殺すことを第一の目的とする。敵軍をことごとく殺害することによってのみその戦争を自分たちの勝利に導くことができる。数千年の人類の歴史を振り返ってみても、この命題を反証する事実は、一騎打ちの場合を除いては、ないのではないか。

また、近代戦においては戦争によってもっとも過酷な状況を強いられるのは、相手を殺害することを職業とし、最悪の場合は殺されるかも知れない軍人を除けば、一般庶民である。

昨年は、イスラム国の武装勢力による残虐極まりない暴力から自分や家族の生命を守ろうとして、イラクやシリアから夥しい数の難民がヨーロッパ、主としてドイツを目指して移動した。この動きは第二次世界大戦以降ではもっとも大規模なものとなった。2016年の夏も同じことが起こるだろうと多くの人たちが予測している。

イラクやシリアおよびアフガニスタンから100万人もの難民をヨーロッパへ移動させた根本的な原因は何なのか?

イラク戦争はその象徴的な存在である。西南アジアや中東において10年以上も続いている戦争は破綻国家をいくつも生み出した。それに伴って、数多くの犠牲者が出た。今も、新たな犠牲者が毎日報告されている。その結果、現時点での最大級の問題は中東ではこれが「新しい正常な状態」であるかのようにすっかり日常化してしまっていることだ。

昨年の夏報じられた記事 [1] ではあるのだが、今日はこのような状況に関するひとつの考察を読者の皆さんと共有したいと思う。これは集団虐殺を論じたものである。集団虐殺や戦争犯罪に関してより正確に、より多く理解しておきたいと思う。


<引用開始>

西側が中東で展開している戦争によってもたらされた犠牲者の数を正確に把握することはできそうにない。その数は4百万人、あるいは、それ以上になるのかも知れない。殺害された市民の大多数はアラブ系であり、ほとんどがイスラム教徒であることから、米国やその同盟国にこの集団虐殺の責任を公正に告発することができるのはいったい何時になるのだろう?

社会的責任を果たす医師団2015年の3月に報告書を発表した。イラク戦争における死者数は130万人になる、もしかすると200万人に達するかも知れないと報告している。しかしながら、中東の戦争で殺害された人々の数は実際にはもっと多くなりそうだ。2015年の4月、調査報道を専門とするジャーナリストのナフェーズ・アーメド実際の死者数は400万人に達するかも知れないと報告した国連の推計によるとイラクに対する経済制裁は170万人の犠牲者を出し、その半数は子供たちであった。ナフェーズ・アーメドの数値はこれらを含めた場合の死者数である。 

ラファエル・レムキンと集団虐殺の定義: 

「集団虐殺」(genocide)という用語は1943年よりも前には存在しなかった。あの年、ポーランド系ユダヤ人の弁護士、ラファエル・レムキンがこの言葉を作り出した。レムキンは「民族」とか「種族」を意味するギリシャ語の語幹「geno」、および、「殺す」を意味するラテン語由来の言葉「-cide」とを組み合わせて、この新語を作った。

非人道的な犯罪のかどでナチ政権の最高指導者らを告発するニュルンベルグ裁判は1945年に始まったが、これはレムキンによる集団虐殺という概念に基づくものであった。「集団虐殺に終止符を打つための団結」と称する団体によると、この概念はその翌年には国際法となった:
1946年、国連総会は集団虐殺は国際法の下では犯罪行為であるとする決議を採択したが、この犯罪に関する定義付けはしなかった。」 

米国の代表者からの支援を受けて、レムキンは「集団虐殺の防止と処罰に関する条約」 [訳注:この条約は「ジェノサイド条約」とも呼ばれる] に関して最初の草案を国連に提案した。国連総会は1948年にこの条約を採用した。この条約に署名をする国々の数が十分に多くなるにはさらに3年を要したが、この条約は批准された。

本条約によると、集団虐殺は次のように定義される: 

たとえそれが全体的あるいは部分的であるにせよ、国民的、民族的または宗教的な集団を壊滅させようとする下記のような行為は如何なる場合も集団虐殺と見なされる:
  • (a) 特定の集団のメンバーを殺害すること、
  • (b) 集団のメンバーに対して身体的あるいは精神的な危害を及ぼすこと、
  • (c) たとえそれが全体的あるいは部分的であるにせよ、ある集団を物理的に壊滅させようとしてその集団の生活状態に対して故意に苦難を与えること、
  • (d) 集団内での出生を妨げようとする手段を押し付けること、
  • (e) 特定の集団に属する子供たちを他の集団に強制的に移動させること。
この条約の下では集団虐殺という概念は殺害という意図的な行為を指すだけではなく、これには非常に広範な危害を与えかねない行為も含まれる: 

「特定の集団を物理的に壊滅させようとしてその集団の生活状態に対して故意に苦難を与える行為にはその集団の物理的な生存に必要とされるさまざまな資源、たとえば、清潔な飲料水、食糧、衣料品、住居、医療サービス、等を故意に枯渇させる行為も含まれる。生活を持続するために必要な手段を枯渇する行為には収穫された作物の没収、食料品の禁輸、収容所における拘束、強制移住または砂漠地帯への放逐、等が含まれる。」 

また、この定義には強制的な不妊や断種措置、妊娠中絶、結婚の禁止または子供たちを親元から引き離すことも含まれる。2008年には、国連はこの定義を拡大して、「レイプやそれ以外の性的暴力も戦争犯罪、非人道的犯罪あるいは集団虐殺を構成する行為と見なされる」と定義した。  

中東における集団虐殺: 

集団虐殺条約の中の重要な文言は「相手の集団を故意に壊滅させようとする行為」である。だが、アラブ系の住民やイスラム教徒の大量虐殺を示す事実が山程あったとしても、それらの行為が「国民的、民族的あるいは宗教的な集団」を故意に壊滅させようとして実行されたと論じることにはより大きな困難さが伴うことであろう。

しかしながら、この条約を執筆した人たちはあることに気付いていた。それは、大量虐殺を犯す連中は、ナチがそうであったように、自分たちの政策を文書で残すようなことはしないということである。とは言え、ジェノサイド・ウオッチ2002年に記述しているように、「彼らの意図は声明とか命令から直接証明することが可能だ。しかし、多くの場合、協調動作の中に見られる組織だった形態からそのことを推論しなければならない。」 

911同時多発テロの後、ジョージ・W・ブッシュ大統領はある演説の中で非常に不可思議な、議論を呼ぶ表現を用いた。彼は、ウオール・ストリート・ジャーナルの記者、ピーター・ワルドマンが下記に述べているように、歴史的かつ宗教的な紛争を引用することによってあることについて警鐘を鳴らしたのである: 

『ブッシュ大統領は「邪悪な行為をする連中を我々の世界から排除する」と断言し、「この聖戦、つまり、このテロに対する戦いはしばらく続くことになるだろう」との警告を発した。』 

聖戦だって?厳密に言うと、この言葉は聖地をイスラム教徒の手から奪還するためにキリスト教世界の軍隊が千年も前に行った軍事的な遠征を指すものだ。ほとんどの米国人にとっては理解しがたいことではあるが、歴史や宗教が日々の生活をすっかり覆っているイスラムの世界では、ほとんどの場合、この言葉はまったく別の事柄を表現する。つまり、これはイスラム教徒が恐れている西側による文化・経済的な侵略を意味することになる。さらには、これは自分たちを従属させ、神聖なイスラムを汚すものとなる。

イラクやアフガニスタンにおいて遂行された戦争では、米国は何百万もの市民を殺害しただけではなく、それらの国の市民が健康に過ごし、生活を豊かにするのに必要なインフラを組織的に破壊した。その後、インフラ復興の努力は占領下にある住民たちに職場を与えるのではなく、自分たちの利益のために活用したのである。集団虐殺の行動パターンに加えて、拷問を行ったことを示す証拠はふんだんにあり、イラク政府が陥落してからは性的暴力に関する噂が途絶えることはなかった米国が「イスラム国」の誕生を支援し、紛争地域における反政府勢力のすべてに対して武器を供給することによって米国はこの地域で不安定化を図り、殺害を助長したことは確かである。

911同時多発テロの後、米国は世界規模の「対テロ戦争」を宣言した。これによって、終わることのない不安定化のプロセスや中東で既に進行している戦争を確保したのである。そして、急進的なテロリストが西側を攻撃するのではないかという不安が増大し、一部の米国人はブッシュが発した例の論議を呼ぶ宗教戦争に共鳴し、イスラム教徒を強制収容せよと要求し、さらには公に集団虐殺を求めている程である

 <引用終了>


国連の定義にしたがうとすれば、南西アジアや中東で10年も20年もの間続いてきた市民の虐殺は集団虐殺と呼ぶのが妥当であろう。そこには議論の余地はないのではないか。一方、これを集団虐殺と呼ぶことはできないとするならば、その根拠はいったいどこにあるのだろうか?

そして、集団虐殺と呼ぶことが妥当であるとすれば、この犯罪を犯した当事者を告発することが現実の課題となってくる。

私は20111123日には「米国は歴史の教訓を学びとることができるか」と題するブログを掲載した。その翌年の112日には同じ表題で「その2」を追加した。これは「マレーシア法廷、イラク戦争でブッシュとブレアーを有罪判決に」というロシアのテレビ局(RT ニュース)の報道を紹介したものだ。しかし、マレーシア法廷は何らかの法的管轄権を持っているわけではないことから、この判決は象徴的な意味合いを示しているだけである。

しかしながら、国連の定義にしたがって国際法廷がイラク戦争に伴う集団虐殺を裁くとするならば、マレーシア法廷の象徴的な意味合いは急遽現実のものとなって来る。ただ、どう見ても、その前途は非常に長いと言えよう。


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昨年の10月、英国に歴史的な瞬間がやってきた。トニー・ブレア―元首相がイラク戦争に関してついに謝罪したのである。

20151024日のMailOnlineの記事 [2] の冒頭部分を引用してみよう。(引用個所を斜体で示す。)

トニー・ブレア―はイラク戦争に関してついに謝罪し、イスラム国の台頭に関して彼自身は部分的に責任があることを認めた。

元首相によるこの告白は特別なものだ。これはイラク戦争に関して謝罪することを12年間拒否し続けてきたあげくの告白でもある。

ブレア―はテレビのインタビューで彼とジョージ・ブッシュがサダム・フセインを政権の座から排除する決定をしたことについて「罪は私にあります」と劇的な宣言をした。

トニー・ブレア―はCNNとのインタビューでイラク戦争に関してついに謝罪したが、そのインタビューの模様が本日放映される。 

インタビューでのやり取りの中で、ブレア―は自分の行為については度々謝罪の意を述べ、イラクへの侵攻は戦争犯罪であるとの主張にも言及したが、自分が何らかの戦争犯罪を犯したかどうかについては否定した。

CNNとのインタビューでブレア―は「イラク戦争はまちがいだったのか?」と質問され、彼はこう答えた。「我々が受け取った諜報は間違っていたという事実について私は謝罪する。また、計画の段階における間違いについても謝罪し、特に当時のイラク政権を転覆した後でいったい何が起こるのかについては我々の理解に間違いがあったことを謝罪したい。」

イスラム国の台頭に関してはイラク戦争が主要要因であったのではないかとの問いに対して、彼はこう言った。「その指摘には真実の要素が含まれていると思う。」

「もちろん、2003年にサダム・フセインを排除した我々は2015年における今日の状況について何の責任もないとは誰も言えない。」

「テレビ法廷」において、米国では著名な政治関連番組のホスト役を務めるファリード・ザカリアは、ブレア―がイラクへの侵攻に関してブッシュ大統領の「プードル」でしかなかったことを責めたてた。このブレア―の告白は、ブレア―とブッシュのふたりはイラク進攻の1年前には「血の取引」に同意していたとするホワイトハウスのメモがメール紙の日曜版によって始めて公開されてから1週間後に実現した。

・・・

こうして、トニー・ブレア―元首相とのインタビューの詳細が続くのだが、重要な部分はすでにご紹介できたと思われるので、重複を避けるためにこれ以降の部分は割愛したいと思う。

トニー・ブレア―元首相がどんな気持ちでイラクへの侵攻について謝罪したのかは我々には知る由もないが、要するに、ホワイトハウスでのメモが最近公開されたことで「万事休す」と判断したようではある。逆に言うと、このメモが公開されなかったとしたら、ブレア―はどこまでも嘘を言い張るつもりだったのかと責めてみたくもなる。ここには政治家が得意とする詭弁の典型を見るような思いがした。これは小生ひとりだけの印象だろうか?

ブレアー元首相はイラク戦争がイスラム国の誕生に貢献したことを認めた。しかし、全体的な印象としては、自分が犯した間違いは報告を受けた諜報の内容がいい加減であったからだと責任の転嫁をしている。自分が犯した間違いは悪意に基づくものではなく、「正直な間違い」だったと言いたいらしい。残念ながら、まだ核心には迫っていないような気がする。

英国ではイラク戦争を検証する作業が継続されている。どこまで、本当のことが明るみに出て来るのかが興味深い。今後の展開には注意を払っていきたいと思う。

何と言っても、日本では太平洋戦争から70年を経た今でさえも、太平洋戦争を国家として検証しようという取り組みはされていない現実を考えると、英国の試みは大したものだ!


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一方、大西洋の向こう側に位置する米国ではどんなか?

ブッシュ元大統領はある風刺新聞の中では自分の非を認めている [3]。つまり、この記事は興味本位に創作されたものであって、ブッシュ元大統領が実際に自分の非を述べたわけではない。

ブッシュ元大統領やチェイニー元副大統領ならびにラムズフェルド元国防長官は今どんな思いを抱いているのだろうか?何百万人もの死者を出したことについて直接的あるいは間接的に良心の呵責を感じているのだろうか?

米国の対外政策を牛耳ってきた連中のことだ。良心の呵責などは間違っても感じてはいないだろうと推測される。何はともあれ、米国は自国に関しては「例外主義」を主張する国である。彼らは国際法や従来国際的に認められてきた慣習や価値観を覆すことなどには何の躊躇も感じない。そういう国の指導者であるのだから・・・。米国にとっては国際政治はまさに「ルールのない世界」である。ルールが必要な時には、米国が自国に都合の良いように新しいルールを作ればいいだけの話だ。たとえば、TPPのように。


参照:

14 Million Muslims Killed In Western Wars. Should We Call It Genocide?: By Kit O'Connell, Information Clearing House – Mint Press, Aug/22/2015

2'I’m sorry’: Historic moment Tony Blair FINALLY apologises for Iraq War and admits in TV interview the conflict caused the rise of ISIS: By Simon Walters, Glen Owen, Martin Beckford and Daniel Bates, MailOnline, Oct/24/2015

3George W. Bush Apologizes for Iraq War: By The Daily Current, Mar/20/2013,  dailycurrant.com/2013/03/.../george-bush-apologizes-iraq-war...





2016年1月3日日曜日

私はイスラム国の誕生に加担していた



2012年よりも前には「イスラム国」は存在してはいなかった。イスラム国を誕生させたのは米国だという見解はすでに半年以上も前からインターネット上では公知の事実となっている [1]

そして、今まではそのことを隠すことに専念していた米国の主流メディアさえもが、最近では、その事実を公然と口にするようになった。あるいは、認めざるを得なくなったという表現がより当を得ているのかも知れない。非常に大きな変化である。

そんな中、個人的な体験として自分は「イスラム国の誕生に加担していた」という告白をインターネット上に掲載した米国人がいる [2]。彼の名前はヴィンセント・エマヌエル。

彼は労働者階級の家庭に生まれ、シカゴで育った。今は作家であり、ラジオ報道記者であり、平和活動にも専念する身だ。イラク戦争では2回の兵役(海兵隊)を過ごした後、3回目の兵役は拒否。イラクからの帰還兵が集う組織の面倒を見るべくそのまとめ役をしているという。米国の安全保障部門という巨大な組織の内部から見えてくるさまざまな課題を掘り下げ、議論のネタを提供し、永久に続くかに思われる米国の戦争経済、ならびに、今日の世界が経験しつつある環境問題や米国社会の軍国化との間に見えて来る関係性に焦点を当てようとしている。現在はインディアナ州のミシガン市に在住。

それでは、注2の記事を仮訳して、その内容を読者の皆さんと共有しよう。


<引用開始>

14年間にもわたる対テロ戦争を遂行し、西側は蛮行を助長し、いくつかの破綻国家をもたらす上では確かに偉大とも言えるような業績を挙げた。

最近の数年間、世界中の人々は「いったいイスラム国はどこから現れたのか?」と首をかしげてきた。それに対する答え方はさまざまではあるが、一般的には、多くの人たちは地政学(米国の覇権)的に答えようとしてみたり、宗教面(スンニ派対シーア派)から解説を試みたり、あるいは、イデオロギー的(ワハーブ派の教義)または生態学的な説明(気候の悪化が生んだ難民)に答えを求めようとする。数多くの評論家や元軍人たちはイラク戦争こそがイスラム国またはISILあるいはダーイッシュ等として知られている武装勢力をもたらしたのだとしているが、これはまさに当を得ていると言えよう。そこで、私は何か有益な内省とか逸話を可能な限り提供してみたいと思う次第だ。 

メソポタミアの悪夢:

2003年から2005年にけて私は第7海兵連隊の第1海兵軍に所属してイラクに駐留していたが、この戦争の反動がどのようなものとなるのかに関しては当時私はまったく予想することができなかった。しかしながら、やがては何らかの報いがやって来るだろうという予感はしていた。報復、あるいは、負の遺産が今世界中(イラク、アフガニスタン、イエメン、リビア、エジプト、レバノン、シリア、フランス、チュニジア、カリフォルニア、等)で現出し、激化し、何時になったら終わるのかはまったく予測がつかない有様である。 

あの当時、私は常識から逸脱した行為を目にしたり、そうした行為に自分自身が加わったりしていた。もちろん、戦争が持つ邪悪さは西側ではまともに認識されることはなかった。反戦団体はイラクにおける戦争の恐ろしさをはっきりと伝えようとしてはいたが、疑いもなく、西側の主流メディアや学会および政治・企業勢力はこの21世紀最大の戦争に関して真面目な検証が行われることを野放しのまま放置しておくようなことはしなかったのである。

われわれがアル・アンバー州でパトロールをしていた際には、軍用の携行食を車の外へ放り投げたものだ。あの時点では歴史書の中で自分たちがどのように描写されることになるのかについてはまったく想像することはできなかった。ただ多目的装甲車の中で私が望んでいたことは余分な空間を少しでも多く確保することだけだった。何年か後、私は大学で西洋文明史のコースを選択して、教授が文明の発祥地について話す内容に耳を傾けていた。私は、その時、メソポタミアの砂漠に散乱する軍用の携行食のことを考えていた。

シリアやイラクにおける近況を詳しく調べようとする時には、いつも決まったように、私の海兵隊の仲間たちは携行食の中から「スキットルズ」という名称のフルーツキャンディを選んで、子供たちに向かって投げつけていた様子を思い浮かべてしまう。子供たちに投げ与えるのはキャンディだけではない。尿や石ころ、ゴミ、その他諸々の異物が入った飲料水のボトルも含まれていた。私はしょっちゅう考え込んでしまう。「イスラム国やその他の武装勢力組織の連中の間ではいったい何人のメンバーがこういったおぞましい出来事を想い起こしているんだろうか」と。 

さらには、われわれが捕まえた何百人もの捕虜のことについても考え込んでしまう。彼らは仮設の拘留施設でテネシーやニューヨークおよびオレゴン等からやってきた20歳にも満たないような若い兵士らから拷問を受けた。私自身は拘留施設で勤務をするという不運な目には遭わなかったものの、聞いた話をいくつも思い出す。また、同僚の海兵隊員が話してくれた内容をはっきりと思い出すことができる。イラク人に対してパンチを加えたり、ひっぱたいたり、蹴ったり、肘鉄を加えたり、膝で蹴り上げたり、頭突きをしたり…と際限はなかった。性的な拷問についても思い出す。イラク人の男に他の捕虜に対して性的な行為を強制したり、彼らの睾丸にナイフを突きつけたり、時には、バトンを使ってアナル・セックスをさせたりした。

しかしながら、こうした醜態を演じる以前にはどうであったかと言うと、われわれの歩兵集団は夜間の襲撃の際にはスポーツ感覚でイラク人を包囲し、手を縛り上げ、頭には黒い袋を被せて、彼らの妻や子供たちが膝をついて嘆願する目の前で多目的装甲車の後部やトラックへ放り込んだものだ。時には、昼日中にも連中を拘束した。ほとんどの場合、彼らは抵抗しようとさえもしなかった。中には、海兵隊員が銃身で相手の顔を殴ろうとする間中両手を挙げているほど無抵抗であった。一旦拘留施設へ運び込まれると何日も、何週間も、時には何ヶ月にもわたって彼らを拘留した。家族には何の連絡もしなかった。彼らが釈放されると、われわれは彼らを前線基地から運び出し、彼らの住居からは何マイルも離れた砂漠のど真ん中へ連れ出し、そこへ放置したりした。

ジップタイ [訳注:プラスチック製の紐。電気配線などを束ねる際に使用される] を切断し、彼らの頭から黒い袋を取り除いてやってから、開放されたばかりの捕虜を威嚇しようとして、すっかり頭に来ている海兵隊員たちは彼らの頭上や周囲に向けてAR-15自動小銃を何発も発射したものだ。何時もの事ながら、笑い転げるためだった。大部分のイラク人は逃げようとする。拘留施設における苦難の日々に聞こえて来た絶叫と同じような叫び声を挙げ、今は施設の外にいることから何らかの自由を享受したいと願っているかのようでもあった。しかし、この連中がどれだけ長く生きながらえたのかについては知る術はない。結局のところ、そんなことは誰も気にしてはいなかった。しかし、われわれは米国に捕虜として捕えられた連中の中で幸運にも生き残った一人の男だけは知っている。彼の名前はアブ・バクル・アル・バグダディ。イスラム国のリーダーである。

驚いたことには、イラクの市民を非人間的に扱う能力は銃撃や爆発が終了すると格段に高まるのが常だった。多くの海兵隊員たちが集まって来て、死体の写真を撮ったりして暇をつぶしていた。死体を興味本位にバラバラに切断したり、膨らんだ死体を銃剣で突いたりして、安っぽい笑いを誘おうとした。当時はアイフォーンはまだ手に入る状況にはなかったので、何人かの隊員はデジタルカメラを持ってイラクへやって来ていた。西側はそんなことがあったことなんて全世界がすっかり忘れてしまうことを望んでいたに違いないと思うが、これらのカメラはまったく知られることのないイラク戦争の実態を数多く収録していたのである。あの頃のイラクの歴史やこれらのカメラには理不尽な殺戮や他の戦争犯罪がたくさん収められているが、イラクの人たちにとってはこれらの事実は忘れたくても忘れることはできない。

不幸なことではあるが、私はイラクで過ごした頃に経験したり聞いたりした無数の逸話を今も思い出すことが出来る。罪もない人々がただ単に米兵に取り囲まれ、拷問され、拘束されただけではない。何十万、あるいは、ある調査によれば百万のオーダーの市民が焼き殺されたのである。

彼らの国家を蹂躙した「邪悪の帝国」の本当の意味を理解することができるのはイラク人だけであろう。彼らはイラクとイランが闘った8年戦争で西側が担った役割をよく記憶しており、彼らは1990年代にクリントン政権によって課された経済制裁のことをよく記憶している。あの政策によって、50万人以上の市民が死亡した。犠牲者の大多数は女性と子供たちであった。そして、2003年がやってきた。西側はやりかけていた仕事をついに完了した。今日、イラクという国家は壊滅状態にある。人々は毒に冒され、不具になり、自然環境は劣化ウラン弾によってすっかり汚染された。14年間にもおよぶ対テロ戦争の後ひとつだけ明白な事柄が存在する。それは西側は蛮行を助長し、幾つもの破綻国家をもたらす上で偉大とも言えるような業績を挙げたという事実である。

幽霊たちとの同居:

イラクの子供たちの暖かく鏡のような目が、当然のことではあろうが、私にはしょちゅう思い出される。私が殺した連中の顔、あるいは、少なくとも死体を確認することができる程に身近に横たわっていた連中の顔は私の記憶から消え去ることは決してないのではないか。悪夢が私を襲ったり、毎日の生活の中でさまざまなことを回想する際、「イスラム国はいったい何処から現れたのか」という問いかけを決まって思い起こす。はっきり言って、彼らはわれわれを憎んでいる。残念ながら、あの憎悪の念は理解可能だ。西側に対する憎悪の念は今後何年も、いや、何十年にもわたって消え去ることはないだろう。それ以外にいったいどんな可能性があるというのだろうか?

繰り返すが、中東に対して西側が引き起こした破壊の程度は先進国に住む人たちの大部分にとっては想像することはできそうもない。西側の市民が世間知らずにも、「連中はいったいどうして俺たちを憎むのか」という問いかけをいつもしていることからも、このことは決して強調し過ぎることはない。

最終的に、戦争や革命および反革命が起こり、後世の世代はその結果と共に生きることになる。つまり、文明や社会あるいは文化や国家、個人は生き延びるか、あるいは、消えて行くかのどちらかである。こうして、歴史は動いていく。西側が将来どのようにテロを扱うのかは西側がテロ行為を継続するか否かによって決まるだろう。イスラム国のような組織が将来再び形成されることを予防する上で明らかに有効であると思われる手法は、西側が軍国主義に頼ることについてはことごとく反対することだ。たとえば、CIAが後押しをするクーデターや代理戦争、ドローンによる爆撃、暴動対策、経済制裁、等、あらゆる形の介入に対して反対することだ。

その一方、イラクで大量虐殺に直接関与したわれわれ自身は戦争の幽霊たちと同居し続けるしかないだろう。


著者のプロフィール: ヴィンセント・エマヌエルは作家、ラジオ報道記者、ならびに、活動家として活躍。現在インデイアナ州のミシガン市に在住し、メール・アドレスはvince.emanuele@ivaw.org


<引用終了>

イラク戦争がイラクの市民にもたらした残酷な状況を歴史家の目で捉え、それを自分の言葉で語るために、この著者は海兵隊員としてイラクに派遣されたのではないかと私には思える。彼の記述にはそう思わせるものがいくつもある。著者は10年も前の自分の経験や同僚から聞いた逸話を客観的に捉え、それを周囲の人たちに伝えようとしている。彼の最大の不満は周囲の一般大衆がイラク戦争で何が起こっていたのか、米国の軍隊はどんなことをしているのかに関して何も知らないこと、あるいは、知ろうともしないことにあるようだ。

イラク戦争に関する彼の記憶は悪夢の連続であったに違いない。そんな風に思える。事実、この著者がイラク戦争について書いた他の記事 [3] を読んでみると、そこには彼の感情がここに引用した記事とは比べ物にならないほど直接的に表現されており、読み手にはビンビンと伝わって来る。

この著者にとっては「イスラム国はいったい何処から現れたのか」との問いかけは余りにも認識に欠けたものだ。「自明の理ではないか」と彼は言いたいようだ。しかし、現実には、兵員を10万も20万も送り込んでイラク戦争に直接関与して来た米国においてさえも、このような問い掛けをする人は多いのだ。

イスラム国の誕生の秘密を議論する上で秀逸な記述だなと思った個所は「・・・しかし、この連中がどれだけ長く生きながらえたのかについては知る術はない。結局のところ、そんなことは誰も気にしてはいなかった。しかし、われわれは米国に捕虜として捕えられた連中の中で幸運にも生き残った一人の男だけは知っている。彼の名前はアブ・バクル・アル・バグダディ。イスラム国のリーダーである」という部分だ。

さらには、「・・・はっきり言って、彼らはわれわれを憎んでいる。残念ながら、あの憎悪の念は理解可能だ。西側に対する憎悪の念は今後何年も、いや、何十年にもわたって消え去ることはないだろう。それ以外にいったいどんな可能性があるというのだろうか?」という部分だ。

イスラム国の誕生の秘密はこれらの記述にすべてが言い尽くされていると言えよう。

この著者の体験談は核心をついている。何十万もの米兵がイラクで反テロ戦争を体験し、自分自身の目でそれを見て来た。仲間の隊員の経験についても聞いており、多くのことを知っている。しかしながら、この著者程に自分の思いを詳しく伝えてくれた元米兵はいない。「米兵はそんな残虐なことはしなかったよ」と反論できる人はいるんだろうか?誰一人としていない。そこにこの著者の非凡さがあり、歴史の証人としての価値があるのだと思う。

201497日に「ジェームズ・フォーリーの死 ― 疑問が湧いてくるばかりで、答が見つからない」と題したブログを掲載した。そのブログでは、米軍兵士がイラク人市民に対して犯した犯罪的な行為としてポール・コルテスという元米兵が語った戦争体験をご紹介した。戦場では理性や倫理観を失った兵士らが無抵抗の市民に何を仕出かすか予測することはできない。14歳のイラク人少女とその姉は兵士らによるレイプ狩りの餌食となり、父母と共に虐殺されてしまう。自動小銃を持った兵士らが非武装の市民にとってこの上なく危険な存在となってしまう有様がはっきりと報告されている。

これらのふたつの逸話と同じような話は他にも無数にあったのではないだろうか。しかし、そうした現実はほとんどが公式には記録もされないままだ。実際に起こった事実は一兵士の記憶の中に収められたまま放置され、その兵士が口外しない限り誰にも分からない。当人が死亡すると当人と共に墓石の下へ埋葬されてしまうのが落ちだ。

ヴィンセント・エマヌエルが書き物として公式に述べた内容は、そういう意味で、とてつもなく重要である。



参照:

1Finally Confirmed: US Created ISIS Terror Group: By Zero Hedge, May/26/2015

2I Helped Create ISIS: By Vincent Emanuele, Dec/19/2015

3A Tragic Anniversary: By Vincent Emanuele, Apr/25/2015