2013年1月30日水曜日

アルジェリア人質事件に思う


この1月、アルジェリアの天然ガス精製プラントで起こったイスラム過激派の武装勢力による人質拘束事件は最悪の結果に終わった。日本人10人を含む37人の外国人が殺害され、それに加えて11人のアルジェリア人が殺害された。そして、29人の武装勢力が死亡し、3人は逮捕された。
イナメナスの現地には約700人のアルジェリア人と130人の外国人が働いていた。その中で、アルジェリア人150人と外国人41人が武装勢力によって人質として拘束されたという。アルジェリア政府の発表によると、拘束された人たちのうちで8カ国合わせて37人の外国人が死亡したとのことだ。これらの犠牲者には日本人10人が含まれている。非常に痛ましい結果となった。
アルジェリア政府の発表によると、犯行は少なくとも2か月前から計画されたもので、武装勢力の目的は外国人を隣のマリに連れ去り、交渉の道具として利用することだったとのこと。また、武装勢力のメンバーの多くは外国人で、チュニジアやエジプトそれにマリなど中東やアフリカ諸国に加えてカナダの出身者もいたという。
事件の背景を理解したいとの思いから、この事件が始めて報道された日(116日)からできるだけ多くの情報を入手しようと心がけた。自分自身アルジェリアの政情や歴史びついて何らの知識も持ち合わせてはいないのが現状だ。
今回の事件を通じて知ることになった幾つかの重要な点をここに纏めてみたい。

(1)  人質を救出する能力
118日の米国NPR(ナショナル・パブリック・ラジオ)[1]の報道によると、この時点(事件の3日目)では情報が非常に限られているから具体的なことを言うのは難しいとしながらも、今回のアルジェリア軍が敢行した人質解放作戦とは違った別の解決策があったのではないかとの指摘がある。戦略国際問題研究センタのカウンターテロリズムの専門家、リック・ネルソンは次のような内容を述べている。
引用部分を段下げして示す。
今回のアルジェリアでの人質拘束事件のような状況においては、人質を救出すること自体が至難の業だ。物事がまったく予想外の方向に展開することが多いからだ。状況は常に非常に流動的で、得られる情報は限られている。そんな中で救出作戦を行うには非常に高度な能力が要求される。フランスはそういった能力を備えている。米国も実行可能だ。そして、英国もだ。しかし、アルジェリアはそうした能力を持ってはいないので、失敗するリスクは必然的に高くなる。
残念ながら、日本が上述のような能力を備えているとみる人はいないようだ。それどころか、日本がそういった能力を持っているかどうかという問いかけの対象にもならないのではないかと思う。
天然ガス精製プラントを襲撃したイスラム過激派の武装集団の背後にはベルモフタール司令官がいると信じられている。再度上記のNPRの報道を引用すると、
CIA高官で現在ランド研究所にて上級アナリストとして働いているアンデ・リープマンによると、「ベルモフタール司令官の過去の記録を見ると身代金目当てに人質をとった事例がたくさんあることから、同司令官自身は今回の事件でも身代金を目当てにしていた公算が高い。」
上述の「武装勢力の目的は外国人をマリに連れ去り、交渉の道具として利用する」とは身代金が最終的な目的だったのかも知れない。
一方、アルジャジーラ衛星テレビ局の報道によると、米国で収監されているふたりの同志を開放させるために、人質を必要としていたとも報道されている[2]。また、隣国マリの北部を支配するイスラム系武装集団に対して仏政府が111日から開始した軍事介入に対する報復という高度に政治的な目標があった[3]とも伝えられている。
何が中心的な要求であったにしても、人質が殺害されてしまった今すべては後の祭りだ。

(2)  優先順位
どの時点でどのように人質救出作戦を実行するかは実に高度な意思決定であることには間違いない。
英国のガーデアン紙[4]によると、
二日目(117日)の朝、英国議会から1マイルも離れてはいないセイント・ジェームズ広場に国際本部を置くBP(ブリテッシュ・ペトロリアム)社の危機管理室では「PEP」という優先順位が決定された。つまり、まずはPeople(人)。その次はEnvironment(環境)、最後にProperty(ガス精製プラント)という優先順位だ。英国領事館の協力を得て、同社は臨時危機管理チームをイナメナスの北西300キロのハッシ・メッサオウドに設定し、ガス精製プラント内に隠れているスタッフと連絡を取っていた。
英国政府がアルジェリア軍の攻撃を知ったのは撃ち合いが開始してからのことだった。このニュースは、多分、BP社から大使館に伝えられたものだ。キャメロン首相は直ちにアルジェリア側の相手、アブデルマーレク・セラール首相に電話をして異議を唱えた。このような行動を起こす際には事前に知らせるよう前日要請していたばかりだったので、その事実を指摘した。
日本の阿部首相はアルジェリア首相に人質の生命をリスクにさらすような行動は取らないように要請したと報道陣に伝えた。官房長官はアルジェリア軍が採った行動は「非常に残念だ」と述べた。
人質をとられた国々は、日本政府を含めて何処も人命優先をアルジェリア政府に要請していた。また、プラントを運転していたBP社も同じ方針だった。
しかし、アルジェリア軍は二日目(17日)の午後2時プラントへの攻撃を開始した。何故か?アルジェリア政府筋の説明によると、アルジェリア軍は武装勢力がプラントを爆破しようとしていることを知ったからだ。
つまり、アルジェリア軍はプラントの爆破を防止するために武装勢力への攻撃を開始したということだ。人命は二の次にされた。こうして、アルジェリア側と人質を取られた国々との間には危機の解決に当たっての優先順位には大きな食い違いが生じた。

(3)  歴史的背景
アルジェリアでは1991年に行われた民主的な選挙の結果を政府が無効にした時から20年にも及ぶ内乱状態に陥った。この選挙でイスラム系の政党が多くの支持を集め、政府は危機感を抱き選挙結果を無効とした。この時、軍部がクデターを起こし、大統領を更迭し政府を掌握した。軍部によって弾圧を受けたイスラム系の勢力は武器を持ってゲリラ活動に走った。この政府勢力と反政府イスラム系勢力との間の争いによる死者の数は44,000~200,000人になると推定されている。この間に70人以上ものジャーナリストが諜報機関またはイスラム武装勢力によって殺害されたという。これらの数値は内戦の激しさを語るものと言えよう。
アルジェリアの軍部と諜報機関は米国の支援を必要としていた。ロンドン大学でアフリカを専門とするジェレミー・キーナン教授[5]によると、
アルジェリアのブーテフリカ大統領は2000年の秋の米国の大統領選で新たにホワイトハウスの住人となったブッシュ大統領に急接近し、軍隊の能力を強化するためには米国の支援が是非とも必要だと窮状を訴えた。この時点では、アルジェリアが一方的に米国の支援を引き出そうとしていた。クリントン政権下の米国はアルジェリアには関心を持ってはいなかった。
しかし、この状況は間もなく急変した。米国の9/11無差別テロの後、アルジェリアと米国の二国間関係は全く新しい時代に突入した。次の4年間にブッシュ大統領とアルジェリアのブーテフリカ大統領との間では6回もの会見が行われ、内密の協力関係や二枚舌に満ちた二国間関係が築き上げられていった。
米国政府が軍事介入を行うにあたってその正当性をゴリ押しする手法に「偽軍事行動」がある。しかも、米国の偽軍事行動の事例を挙げると長いリストとなる。20世紀における有名な事例はピッグス湾事件だ。キューバのカストロ政権を倒そうと企て、その大義名分をでっち上げるために在米キューバ人を軍事訓練し、キューバのピッグス湾に上陸させた。この作戦にはCIAを始めとして様々な工作員が参加した。ワシントンDCやマイアミだけではなく方々で血なまぐさい事件が次々と引き起こされた。国内の世論を盛り上げ国際的な支持を得ようとするものだった。彼らは反カストロ戦争をでっち上げる必要があったのだ。
キューバ軍は3日間の戦闘で、これを撃退することに成功した。興味深いことには、CIAが作戦失敗のリスクを過小評価して報告していたことが後日明らかにされている。この偽軍事行動に関する詳細な情報は一般の目には届かず、2001年になって初めて一般公開されたとのことだ。当事の大統領だったケネデ大統領の姿はとうに無く、その他の高位高官もこの世を去っていた。
上述のごとく、専門家に言わせると、米国には外国への侵攻を正当化するために実施された自作自演の軍事行動がたくさんある。
米国が推進する「テロとの戦い」を通じて、アルジェリアはそんな米国の良きパートナーになっていった。アルジェリアでは諜報機関(DRS)が中心的な役割を演じた。
1990年代のアルジェリアに関して、米国海軍大学のジョン・シンドラー教授はアルジェリアがテロリストを育成したとして最近警鐘を鳴らした。彼の言うには、「GIA(武装イスラム集団)はDRSが組織したもの。DRSは、その有効性がソヴィエト時代に十分に証明された手法を駆使して組織へ侵入し、組織を挑発し、過激派の信用を失墜させるべくGIAの組織化に努めた。GIAの幹部の殆どはDRSの工作員で、彼らは大量殺人を行わせてこのグループを袋小路に導き入れた。これは非常に冷酷な戦術ではあったが、これによって大多数のアルジェリア人の間ではGIAの信用は完全に失墜した。」
これはまさに自作自演そのものだ。アルジェリアの軍事政権は自身の政権を維持するために一般住民が武装イスラム集団に対して反感を抱くように仕向けるために様々な工作をしたということだ。そして、その意図通りにまんまと成功した。
ジョン・シンドラー教授の指摘はさらに続く。
大規模な作戦のほとんどはDRSの仕業であった。これには、例えば、1995年にフランス国内で起こった爆破事件も含まれる。最も残忍な虐殺行為の幾つかはムジャヒデンに変装した軍の特殊部隊、あるいは、DRSのコントロール下にあったGIAが実行したものだ。
1998年以降「汚い戦争」は沈静化し始めたが、決してそれが終わることはなかった。幾つもの角度から見ても、テロリストを育成し自作自演を活用することを国を統御する手法として用いる点においては1990年代は何も変わることはなかった。DRSも何も代わらなかった。
この米国との合同作戦によってアルジェリアが入手したものは米国からの財政的および軍事的な支援だ。アルジェリアは米国が世界規模で進める「テロとの戦い」を巧妙に活用したのだ。そして、アルジェリアの諜報機関(DRS)が自作自演のテロ活動を指揮した。
米国とアルジェリアとの合同による最初の自作自演作戦は2003年に実行された[6]。組織の中にうまく侵入したDRS工作員(アマリ・サイフィ。エル・パラとも称する)に率いられたグループがアルジェリアのサハラ砂漠地帯で、2003222日から323日にかけて32人のヨーロッパ人旅行者(ドイツ人16名、オーストリア人10名、スイス人4名、スウェーデン人1名、および、オランダ人1名)を人質にした。ブッシュ大統領は早速エル・パラを「サハラにおけるオサマ・ビン・ラデンの親派」と位置づけた。秘密交渉の結果(その内容はまったく公開されなかった)、人質は2回に別けて開放された。最初のグループは20035月、二番目のグループは同年8月に解放された。しかし、ドイツ人女性一人は砂漠で死亡し、そこに埋められた。
二回目の人質の解放の際、ドイツ、オーストリアおよびスイスは身代金として500万ドルを支払ったと言われている。この時から、かっては軍の将校だったテロリストの作戦が国際的な支援を得ようとするアルジェリア政府に非常に有利に作用する現状を見て、人々はこのテロリストは今でも軍に雇われているのではないかと疑い始めた。
アルカエダの攻撃目標となったアルジェリアはごく自然に米国の友好国となった。オサマ・ビン・ラーデンの捜索がアフガニスタンへの侵攻を正当化するために活用されたように、アルカエダの潜在的な基地になる恐れがあるとしてサヘル地域に米軍が駐留することを正当化するためにこのエル・パラが活用された。
こうして、「イスラム系テロリスト」という言葉は米国にとってもアルジェリアにとっても何でも可能にする魔法の言葉となった感がある。 
 

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他国の犠牲者と並んで10人もの日本人犠牲者を出すことになった今回のアルジェリア人質事件は余りにも理不尽だ。これは人間性に対する許しがたい犯罪であり、法の秩序に対する重大な挑戦でもある。
犠牲となった外国人の中では日本人の犠牲者が一番多い。「何故こうもたくさんの日本人が殺害されたのか」という疑問に対して明確な答えが見つからない。人質をとった武装勢力の動機としてはマリ北部への軍事介入を開始したフランスへの報復が最も大きな政治的要求であったらしいことは分かっている。この時点ではまだ結論めいたことは言えないかも知れないが、日本あるいは日本人に絡む動機はまったく浮かんではこない点が実に不可解だ。
今回の事件の背景にはまったく違った次元での陰謀めいた背景が潜んでいるのではないだろうか。考えてみたくはないようなおどろおどろしい世界の話だ。
日本は海外で働いている人が決して少なくはない。また、今回の事件のように治安が悪い国で仕事をすることも例外ではない。不幸にして日本人が人質として拘束された場合、フランスや英国あるいは米国とは違って、日本は自国民を救出する能力を持ってはいない現実を知らされることになった。仮に今回の事件が日本も外国の当事国と一緒に人質の救出作戦に携わらなければならないような事態に展開していたとしたら、日本は外国の特殊部隊に一切の救出作戦をお願いすることになっていただろう。
今回のアルジェリア人質事件を契機に、自衛隊の海外への派兵の是非に関して今後嫌でも基本から論じなければならないのではないか。あるいは、自衛隊は従来通りに災害時の救助活動に専念させ、高価なイージス艦や戦闘機をおもちゃにするだけの存在を許して、海外での人質問題の解決には他国の特殊部隊にお願いし続けるのかどうかを決断しなければならない。その議論をする際には憲法第9条を今後どうするかについて議論をすることになる。
問題を解決するための物理的な戦力ばかりではなく、それと並んで高度な情報収集能力を持つことは切り離しては考えられないほどに重要な役割を演じることになる。テロとの戦いは東西冷戦構造を前提にした日米同盟の是非論にみられた米国の「核の傘」への依存だけでは対処できない。今回はテロ事件の難しさを嫌というほど知らされた思いがする。
最後に、今回アルジェリアで不慮の死を遂げられた日揮の社員の方々のご冥福を祈りたいと思う。

 

参照:

1When To Act? The Dilemma In Every Hostage Crisis: By Scott Neuman, NPR, Jan/18/2013
注2: Algeria launches second rescue effort: ALJAZEERA, Jan/18/2013

3首謀者ベルモフタール元幹部は何者か: 産経ニュース、2013117
 
4Algeria hostage crisis: the full story of the kidnapping in the desert: guardian.co.uk, January 25, 2013

5How Washington Helped Foster the Islamist Uprising in Mali: By Jeremy Keenan, Information Clearing House, January 26, 2013
6Who staged the tourist kidnappings? El Para, the Maghreb’s Bin Laden: Le Monde diplomatique, February 2005

 

 

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