2013年1月3日木曜日

オンラインで英語を学ぼう


オンラインで英語を学ぼう ー インターネットが如何に英語を変貌させているか? 

 

TGIFとは何を意味するのかをご存知でしょうか?

これはThanks God, it’s  Friday! を短縮したものです。金曜日の電子メールの結びに使われています。つまり、「一週間が終わって、今日は金曜日。この週末は遊ぼう!」といった意味合いで使われています。いわゆる花金の開放感を表現したもの。米国で仕事をしていた頃のことを振り返ってみますと、金曜日になると朝から何時もとは何かが違う雰囲気がありました。ましてや、午後になると、それはもう一段とはっきりとして来たものです。
 
1980年代の初めに米国へ6ヶ月の出張がありました。最終的には17年間の勤務となってしまいました。当初、言うまでもなく、英語を勉強しなければという切羽詰った状況に直面しました。仕事場では私が何かひとつ言うと相手からはその10倍も20倍もが跳ね返ってくるといった状況が日常的に起こり、「何とかしなければ」と悩まされたものです。そう簡単に何とかなるなるものではありませんが、結局のところ、私の個人的な方法は週末に広告がたくさん入っているので一抱えもありそうな日曜版の新聞を買ってきて、一日中それを読むことから始まりました。当事、誰が言った言葉だったかは分かりませんが、「小説でも映画でもなく、新聞英語が最も実用的で国際的に通用する英語である」と、どこかで読んでいたからです。
 
しかし、今はインターネット英語が上述の新聞英語の役割を奪ったかのようです。世間はどんどんデイジタル化しているということでしょうか。
 
仕事で、あるいは、個人的な通信で使われる電子メールや携帯メールの頻度は高まるばかりです。今は、そこへFacebookとかのSNSも加わってきています。何と言っても、クリックひとつで地球の裏側にいる人たちと互いに通信し合える利便性は革命的なものです。これに似たような利便性の飛躍はファックスが使われ始めた時にも経験しました。郵便では米国と日本との情報のやり取りが往復で少なくとも2週間を必要としていました。それと比べて、ファックスを使用する場合翌朝職場へ到着すると返事が届いており、あの迅速さは画期的なものでした。しかもテレックスとは違って設備費用が非常に安い。これをさらに推し進めたのが、図面や写真、文書、等を添付してやり取りができる電子メールだと思います。また、最近はSNSも加わってきています。
 
そんなインターネット時代を反映して、ここに興味深い記事があります。題して、「オンラインで英語を学ぼう ー インターネットは如何に英語を変貌させたか?」というもの[1]。本日はこの記事をご紹介したいと思います。
 
インターネットでは英語が日常語の一部として非英語国民の間でどのように使われているか、今後はどうなるのかといった内容です。英語がこれだけ氾濫している日本の文化圏に住む我々にとってもかなり身近なテーマではないかと思う次第です。

 

以下、引用記事の文章はいつものように段下げをして示します。

 

インターネットでは、英語が世界の共通言語となっている。その過程で英語という言語そのものも変わりつつある。

1814年の英国との戦争後、アメリカが瓦礫の中から立ち上がろうとした時当事の合衆国はその統合の姿からは程遠いものだった。ノア・ウェブスターは「共通言語がありさえすれば民衆をひとつに纏め上げることができ、合衆国を真の意味で大英帝国から独立させることに役立つのではないか」と考えた。今や11版目となったウェブスターの辞書は今日よく知られている米語綴りを採用した。theatrereerと綴り、colouruを省き、travellerのふたつの「l」をひとつにした。さらには、skunkopossumhickorysquashchowder、等の米国独自の新語を辞書に収録した。「アメリカ版英語辞典」は18年の歳月を費やして完成となったが、ウェブスターは7万語の語源を検証するために26ヶ国語を研究したと言われている。

インターネットは上記の辞書と同様に言語上の進化を促すことになったが、その進化のスピードは比べようもなく速い。全世界で現在45億のウェブサイトが存在していると推定される。中国の人口の約半分がインターネットへアクセスし、彼らの殆どは中国語で文書を作る。とは言え、「今後10年もすればインターネットでは英語が主導的な言語になるだろう」と、ある言語学者は述べている。何故かと言うと、英語をふたつ目の言語として使う人口が英語を母国語として使う人口をすでに追い越しているからだ。前者は英語を母国語としてはいない人たちとの通信をする際にはより以上に英語に頼らざるを得ない。特に、インターネットでは文法や綴りの厳密性はそれほど問題視されず、自分のアクセントを気にする必要もないからだ。

 

下線の部分はまったくその通りですよね。書状とは違って、なんと言っても電子メールには気楽さがあります。
 
米国へ出張した当初、レストランへ入って料理を注文する場面で私は「マッシュポテト」にしようと思って、「スマッシュド・ポテトをください」と言ってしまった。これを聞いて、ウェートレスはこらえ切れずに笑い出してしまいました。ようやく、私も自分が何と言ったのかに気付いた。「テニスボールみたいにスマッシュの効いたポテト」を注文してしまったのです!でも、ここで重要なことはウェートレス自身はこちらが注文したい内容を良く理解してくれたみたいです。
 
二年前にルーマニアのブカレストへ引っ越してきました。ルーマニア語とのお付き合いはもうかなり長いのですが、今でもルーマニア語をしゃべる時には文法の誤りや発音のアクセント等にはかまってはいられません。とにかく、その時頭に浮かんだ言葉に頼るしかないのです。タクシーの運転手さんも私が何処へ行きたいのかを間違いなく分かってくれます。人によってはそこから話が弾んで、目的地や自宅へ到着するまで会話が続くことがよくあります。典型的な会話の順序は、どこらか来たのかという質問。「日本からだ」と言うと、日本に対する憧れみたいな反応があったり、「福島第一原発事故はどうなっているのか」などがよく話題になります。
 
また、英語で電子メールを書く際も同じことです。スペルチェック機能を使うと綴りの問題は解決します。しかしながら、文法上の間違いや単語の選び方、あるいは、構文についてはお手上げです。有難いことに、文法上の間違いがあってもなくてもこちらが言いたいことは相手が理解してくれます。何故かと言うと、相手はこちらが英語圏で生まれ育った人間ではないことを知っており、文法上の間違いがあったとしてもこちらが言いたいことを理解しようとしてくれているからです。お互いに言いたいことを理解しようとする姿勢がある限り、お互いのコミュニケーションは成立します。通常、まったく問題はありません。
 
将来英語を外国語として使う人の数が圧倒的に多くなった場合、正統派の英語を尻目に、様々な言語の中でもBroken Englishが世界で一番多く使われる言葉になるということです。何と心強いことだろうか!英語を苦手だと思っている(本当は必ずしもそうではないのだが)平均的日本人のために「ジャパングリシュ万歳!」と言いたい。
 

ユニコードが国際的な言語を推進:

ウェブサイトで共通言語として用いられている言語としては英語が最大である。しかし、2010年にはデータの過半数が初めて非英語圏の言語で記されるようになった。これは、最新のコンピュータ技術の導入によって、コンピュータに非ローマ字の言語を読ませたり書かせたりすることが非常に簡単になったからに他ならない。


「ほとんどのコンピュータ技術は、当初、ローマ字を使わない言語においては信頼性が低かった」と、彼は言う。「しかし、ユニコードのような基準を広範に使用することによってこの状況はどんどん変化している。」

ユニコードを使用すると、上海で漢字を使って書き込まれたメッセージはサンフランシスコでコンピュータまたは携帯電話上でそれを読む時原文そのままに表示してくれる。

「インターネットでは非英語圏の人たちに非常に顕著で意義のある形で英語を使う市民権を与えている」と、ワシントンDCのアメリカン大学の言語学担当のナオミ・バロン教授は言う。

フェースブックの利用者はすでに数多くの「英語」の地域バージョンを使って交流している。例えば、インド人の英語は「ヒングリッシュ」、スペイン語圏では「スパングリッシュ」、韓国人の間では「コングリシュ」といった具合だ。これらの英語はそれぞれの文化圏ではすでに以前から存在していたが、今や、これらはインターネット上でさらに広がり、混じり合ってもいる。

アンダーラインの部分について言えば、日本人の英語も「ジャパングリシュ」として国際的に良く知られています。単語の使い方や用語の選択ならびに発音には日本人特有の共通した癖のようなものがたくさんあるからです。これはもうどうしようもありません。また、日本語の中でカタカナ表現で使用されている英語由来の言葉が本来の英語の意味とは微妙に異なる場合もあって、これも日本人の間では意図した意味として通じるかも知れませんが、英語国民との間では必ずしもその通りには理解されません。そうと気がつくまでは、余計な間違いをひき起こします。
 
ある時、初対面のメキシコ系米人に「あなたは日本人ですね。というのはtypicallyという言葉の使い方に独特なものがあるから」と言われたことがあります。当方はこの単語で日本人が独特の使い方をしているとは夢にも思っていなかったので、この指摘はいささか驚きでした。彼は米国という人種の坩堝の中で生活しており、初対面の相手がどんな文化的背景を持っているのかについて興味を持っていたようです。相手が使う英語の癖で彼は判断していた訳です。
 

「インターネット上では、一番大事な点は誰もがコミュニケーションに参加することができ、参加者に対してこれこれの言語を使いなさいと言う権利は誰にもない」と、バロン教授は言う。「あなたがフェースブックで何ページも掲載するならば、たとえ言語学的には特に目新しいものではないとしても、あなたは政治的あるいは社会的にはひとつの立場を表明する言語をお持ちだ。」

幾つかの言葉は伝統的な英語を脚色したものだ。シンガポールの人たちが使う「シングリッシュ」では、blurとは「混乱した」とか「反応が鈍い」を意味し、「彼女はその会話に加わったのが遅かったので、混乱していた」といった表現に用いられる。また、他の地域英語では英単語を全く新しい意味で使うことがある。例えば、コングリッシュではskinshipとは手を握る、触る、抱擁するといった男女間の親密な間柄を示す物理的な接触を意味する。

英語の辞書にはまだ登録されてはいない単語について利用者がそれらを積極的に辞書に加えることができる製品を使って新しい英語表現をうまく活用しようと試みる技術志向の企業もある。大企業は英語のウェブサイトを有し、小さな企業も世界中の顧客へのアクセスを実現するには共通言語である英語が必要であると認識している。

「殆どの人は英語を母国語として使っている訳ではなく、現代的なエンターテイメント様式によって決定される英語は商業的にも社会的にも特別な役割を持っている」と、言語技術系のカリフォルニア企業「イデイボン」の代表で数理言語の専門家でもあるロバート・マンローは言う。

言語は壊れやすいが、インターネットにしっかりとした足場を発見:

ユネスコは世界にある6000の言語が今世紀の終わりまでには消滅してしまうかも知れないと推定した。しかしながら、最近の研究によると、ソーシャルメデイア、特に、携帯メールが言語の多様性を推進し、しっかりと支えてくれている。携帯メールでは今や約5000種の言語が用いられている。

 
下線部についてはインターネット情報を検索してみました。専門家の間でも意見が分かれているようです。ある記事によると、米国言語学会は世界中で6,800の言語が使われているとしています。また、ある民族学団体は6,900の言語が用いられていると言っています。
 
島嶼地域では使用人口が非常に小さい言語が多数あるようです。例えば、パプアニューギニアの人口は670万人ほどですが、そこで使われている言語の数は830もあるとのこと。ひとつの言語あたりの平均人口は8,000人とちょっとです。数多くの島があり、本土も標高が4500メートルもある山を中心として熱帯雨林に覆われた非常に厳しい地形となっていることから地域間の交流が容易ではないとのこと。使用人口が1,000人にも満たない言語がたくさんあると言われています。この地域の言語学的な特異性が頷けます。
 
日本語には歴史的遺産として小説があり、短歌があり、様々な形態での記録が残されています。学問的には広辞苑といった膨大な国語辞典も編纂されています。ところが、デイビッド・ハリソンという言語学者[2]に言わせると、科学的に記録された言語は世界に分布する言語の10%15%にしかならず、残りの85%はまったく記録されてはいないとのことです。


 
横道へそれてしまいました。話を元へ戻しましょう。

「携帯メールは今までに存在した書き言葉の中で言語的には最も多様性に富んでいる。」とマンローは言う。「世界中の数多くの言語にとって携帯メールは書き言葉を初めて可能にした通信手段だ。」

「多くは話し言葉で使われていただけだ。しかし、携帯メールの技術や携帯電話の繁栄はこれが最も経済的な通信手段であることを明確に示している。」

「携帯電話とDVDの他にはこれといった技術がない地域では英語による映画の普及は英語に強い憧れをもたらす。人々は英語がデイジタル時代の言語だと思っている。」

前世紀中は文化や貿易の集中が起こり、それがピジン語、つまり、単純な文法的構造を持ったコミュニケーション法の発生を促した、とジョージ・ワシントン大学の脳・言語研究所の研究部長、マイケル・ウルマン氏は説明する。ピジン語を使う次世代の人たちがさらに語彙や文法を付け加えると、それは独特なクレオール言語に発展する。「既存のクレオール言語とはまったく違った完成の仕方をするかも知れない。より複雑で、より組織的なものに発展するかも。今後ウェブサイトでは英語に対してこういった状況が起こるかも知れない」と、彼は言う。

ヒングリッシュを例に取ってみよう。ヒングリッシュはヒンズー語、パンジャブ語、ウルドウー語と英語との混成語であり、非常に広い範囲で使われ、英国の外交官たちはこの言葉についてレッスンを受けるほどである。

使用の度合いが拡大するばかりのこういった言語に対応するために、携帯電話会社もアプリケーションをどんどん更新している。

ヒングリッシュではco-brotherは従兄弟、eve-teasingはセクハラを意味し、緊急事態に出動する救急要員の行動はairdashingと表現される。時間については新しい概念が導入された。例えば、Pre-pone。これはpostponeの反意語として「遠くへ延期するのではなく、もっと近くへもって来る」といった意味で使われる。

毎日の生活の中でのインターネットの普及は広がるばかりであって、オンライン言語はゼロサムゲームではない。代わりに、多重言語の開花を助長するだろう。

「ほとんどの人たちは実際に複数の言語を用いている。もはや、ひとつの言語だけをしゃべるのは一般的ではなくなっている」と、マンロー氏は言う。「英語は世界の共通言語となったが、だからと言って英語が他の言語を排斥するということではない。」

その一方、他の多くの言語は英語の中へ侵入して行き、今はまさに新しい状況が産み出されつつある。

 
ここに掲載した評論は日常生活で広く使われている携帯メールが英語にどのような影響を与えているかを考察しています。インドのヒングリッシュの例や韓国のコングリッシュの事例はどれをとっても非常に興味深く、なるほどと思わせるものも多くあって、言語が持つ流動的な性格を思い知らされます。この動的な変化を支えるのは一般大衆である我々です。
英文メールを作成する時に「文法的な間違いをおこさないようにしよう」なんて考えるのはもう止めにしましょう。もちろん正しい英語を使うことは重要なことには違いない訳ですが、必要以上に過敏になる必要はないと言いたいのです。

会話の最中、あるいは、メールを書いている時に思い浮かべた単語を使い、とにかく言いたいことを何とか表現してみる。この繰り返ししかないと思います。相手が面食らうことがあるかも知れませんが、殆どの場合は分かってくれます。後刻、自分が使った言葉を思い起こし、その正しさあるいは間違いを再検証し、次の機会に備えればいいと思います。
友達の米人男性の一人は料理が結構上手でした。まだ独身の彼がどうやって料理を覚えたのか好奇心にそそられ、「どうやってそんなに上手になったんだい」と聞いたところ、「簡単だよ。とにかく何度も失敗することさ!」との返事。お互いに大笑いしました。彼は職業的なコックさんではありません。しかし、毎日の生活の中で料理に多少の時間をさばき、料理をすることを楽しんでいたのです。その結果、周囲の人たちを喜ばせるだけの腕前に達したのです。つまり、結果がついてきたということです。

陳腐な言い方ですが、英語もまさにこれですよね。
 

参照:
1Learn English online: How the internet is changing languageBy Jane O'Brien, BBC News Magazine, 14 December 2012

2Interview: Seven questions for K David Harrison: by R.L.G. | NEW YORK, The Economist, Nov 23rd 2010, www.economist.com/blogs/johnson/2010/11/interview

 

 

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