2013年12月9日月曜日

イランをめぐる国際政治の不思議さ


シリア紛争は化学兵器を国際監視団の指導の下で廃棄処分をするということで当面の政治決着がつき、米国が主張していたシリアに対する空爆は、この8月、土壇場で何とか回避となった。米国の軍産複合体はこの米国政府のドタキャンに大いに失望したことだろう。シリアを政治的に後押しし、アラブ世界の政治的な地図を二分する二大勢力のひとつであるイランについて言えば、イスラエルやサウジアラビアはイランとの和解を進めようとしている米国の外交姿勢に対しては不満を強めている。これら二つの国の政治的な地位が大きく揺らぐことになるかも知れないからだ。

米国やヨーロッパ(フランスを除く)、中国およびロシアがイランとの和解を進める中、国際政治の動向については、各国の戦略や思惑に関してさまざまな論評や憶測がインターネットを賑わしている。

情報検索をしている最中、ある記事[1]を読んでいて私は思わず笑ってしまった。今日はそれをご紹介したいと思う。

たった1行の文章の表現が何と私のような英語を母国語とはしていない一介の読者さえをも笑わせてくれたのだ。何十、何百と記事を読んでいても、こんな経験は非常に稀である。少なくとも、私にとっては....。

まさに、ゴルフでのホール・イン・ワンみたいなものだ(残念ながら、未経験である。とにかく、稀そのもの)。あるいは、何千ページもある研究社の英和辞典を「この辺りだ」と開いて、一発で目的の単語に辿り着いた時に感じたあの一種独特な印象と合い通じるものがあった。(最近は辞書を使う機会が激減しているが、こちらについては我が生涯で何回かの経験がある。とても些細なことではあるが、けっこう感動的な出来事だ)。

その仮訳を下記に段下げをして示そう。

もしも米国とイランとの間の政治的な議論についてあなたは十分に理解していると思っているならば、これは実は核兵器の問題ではない。決してそうではない。

ここで、あなたは考え込んでしまうかも知れないが、「もちろん、核兵器についてだ」と言い張ることだろう。皆がそう言っている。

ところが、誰でもというわけではない。ウィリアム・O・ビーマンがハフィントン・ポストで指摘しているように、これはそう言う人の数が多いとか少ないとかといった問題ではないのだ。

米国はイランとの間で当面の同意をした。それに関する発表をみると、オバマ大統領の発言には何か不可思議に感じさせるものがある。その発表の際に、同大統領は何回も「核兵器」という言葉を繰り返した。あたかもイランは核兵器を開発していると言わんばかりだ。あなたはこう考えるのではないだろうか。「オバマ大統領は果たして本気でそう思っているのだろうか」、あるいは、「非難の言葉として受け留められるかも知れないにもかかわらず、繰り返して使用したこの言葉は強硬派を懐柔するための単なる言い回しのひとつではないか」と。

イランが核兵器プログラムを持っていたという証拠はない。そのことは同大統領は十分なほどよく知っているに違いない。世界中のあらゆる諜報機関がこの事実を検証しており、その検証作業はすでに10年以上も続いている。米国の国家安全保障評価に関する報告書は二回(2007年と2011年)発行されており、それらの報告書はこの事実を強調している。国際原子力機関も「イランは核材料を軍事目的に振り向けたことはない」と一貫して報告している。イスラエルの諜報機関の分析担当者さえもイスラエルにとって「イランは危険ではない」と判断している程だ。

米国とイランの同意内容を批判する評論家は「イランは何かを諦めたわけではない」と評したが、彼らが言っていること自体は、皮肉にも、正しいのだ。

P5+1に対して譲歩することによって、本質的には、イランは自分たちが企てもしていなかったことに関して当面何も行わないで、それを停止するということに同意させられた」と、ビーマンは述べている。 「米国とその同盟国は、イランがウランを濃縮したという事実から議論を一足飛びに核兵器に直結させるという、まさに想像を絶するような論理の飛躍をさせた。これは非常に大きな間違いであって、一般大衆にそう信じ込ませるために喧伝されたのだと言えよう。」 

そうしようとは考えてもいなかったことを当面中断することにイランが同意してくれたことに対して、そのお返しとして、イランの国民に大きな負担を強いている経済制裁の一部が解除されようとしている。

他にも皮肉な状況がある。同盟国の反動主義者たちは、米議会の同調者を含めて、幾つかの理由に基づいてイランと米国の和解に反対を唱えている。

主要な反対論者であるイスラエルとサウジアラビアに注目してみよう。中東地域では、これらの国は米国のもっとも親密な同盟国である。両者は、互いに重複するような理由から、米国とイランの間で34年間も続いた冷戦状態の終結を座視することに嫌悪感を覚えるに違いない。

サウジアラビアは米国の支援によって非常に強力な軍備を所有する武装国家であり、スンニ派のアラブ人王国である。一方、イランはイスラム社会のもうひとつの宗派であるシーア派のペルシャ人国家で、大きな影響力を持っている。(イラン人がペルシャ湾と呼ぶ海域をアラブ人はアラビア湾と呼んでいる。) 米国政府は民主的な選挙によって選出されたイラン政府を1953年に崩壊させ、その後に反動的な傀儡政権を樹立した。それが1979年にイスラム革命によって崩壊するまでイランは米国に従属する国家であった。米国の核の傘の下で軍事的防護を享受しているサウジアラビアとしては、イランが米国の好意を受ける立場に復帰するような状況は見たくもない。そのようなことが起こると、それは中東において自他共に認める自国の卓越した地位を失うことになるからだ。

イスラエルは米国製の武器をもっとも多く享受しており、核武装国家である。それ故に、この地域ではもっとも強力な国家であって、その武力をパレスチナ人を意のままに操るために駆使し、彼らの土地を計画的に盗み、隣国をも脅かしてきた。たとえば、レバノンへは定期的に侵攻している。イスラエルの指導者は自国が周囲に与えている非人道的な行為から世界の関心をそらすためにも敵を作り出す必要がある。米国政府はイスラエル・ロビーに押されて、それに対しては何らの異議も唱えず、むしろ後押しをする。こうして、幾度となく和平提案をしてきたイランを「生存の脅威」と位置づけている。ばかばかしい限りだ。たとえイランが原爆を所有していると見なすために必要なありとあらゆる空想的な想定をしてみたとしても、何百個もの核弾頭を所有し、しかも、その内の幾つかを潜水艦に装備しているイスラエルに対抗することに何かいいことがあるとでも言うのだろうか。

イスラエルの国家安全保障評議会の委員であったヨエル・グザンスキーは、この当面の同意内容を非難した際、多くのことを暴露した[2]。この同意は「イランが正当な国家である」というお墨付きを与えるようなものだとさえ述べた。何という偽善的な態度であろうか。 

イラン人の多くは教育を受けた中産階級であり、多くの人たちは米国との友好関係を歓迎することだろう。イラン人も米国人も通商や観光および個人的な交流を通じて繁栄するだろう。

ひとつのボーナスとして、そのような友好関係はイランの神権政治を不可避的に弱めるだろうと思われる。これこそが何れの側であっても原理主義者たちは何としてでも 予防したい理由なのだ。

シェルドン・リッチマンはThe Future of Freedom FoundationFFF)の副総裁であって、 FFFの月刊誌の編集者を務めている。15年間のわたってニューヨーク州アーヴィントンに所在するFoundation for Economic Education が発行するThe Freemanの編集者を務めた。著書として、FFF賞を受賞した「Separating School & State: How to Liberate America's Families」、「Your Money or Your Life: Why We Must Abolish the Income Tax」や「Tethered Citizens: Time to Repeal the Welfare State」が挙げられる。http://fff.org

アンダーラインは私が施したものだが、その箇所が私を笑わせたのだ。

たとえ何ページもの紙面を弄したとしても、この一行ほど雄弁に現状を描写することが可能だろうか。国際政治に対する皮肉に満ちた表現、ならびに、言葉を操る巧みさが素晴らしい。この記事を通じて著者が言いたかった趣旨や論点もさることながら、芸術の域にあるとでも言えそうなこの言語表現に脱帽し、敬意を表したい次第だ。

 

参照:

1: Iran: It’s Not about Nuclear Weapons: By Sheldon Richman, Information Clearing House, Nov/28/2013

2: Analysis: Israel’s options limited: By ASSOCIATED PRESS, Nov/24/13, www.politico.com/.../analysis-israels-options-limited-1...

 

 

 

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