2014年2月25日火曜日

イランの核開発疑惑はこうして起こった


昨年の11月末、イランと米国を始めとする関係6か国との間で行われたイラン核協議でひとつの合意が成立した。イランをめぐってはイスラエルが単独でもイランを攻撃する構えを見せ、そうすることによって米国の軍事介入を誘導しようとする動きが顕著であっただけに、外交的な大きな成果であると報道された。
私は、昨年の129日に「イランをめぐる国際政治の不思議さ」と題するブログを掲載した。そのブログではシェルドン・リッチマンという識者の論評をご紹介し、国際政治の不思議さを読者の皆さんと共有することができた。あの内容を興味深く読んでいただいた方々も多かったのではないかと自負している。
今日のブログはその続編と言ってもいい。イランは核開発を行ってはいないと主張してきた。事実、多くの国の諜報機関が過去10年以上にもわたってさまざまな専門的な調査を行ってきたが、イランの核兵器開発を示す証拠は見つかってはいない。そのような現実を反映して、遅まきながらも、国際社会はイランとの対話を始めることになったのだとも言えよう。
しかし、一体何がイランの核開発疑惑を生ぜしめる発端となったのであろうか。
ここに、「誤読されたテレックスが情報分析者たちをイランの核開発疑惑に導いた」という表題を持つ記事がある[1]。この記事を仮訳して、イランをめぐる国際政治の不思議さの一端をもう少し理解してみたいと思う。                          

<引用開始>
1990年代の始め、イランの大学が外国のハイテク企業に出電したテレックスを西側の諜報機関が傍受した。この時、情報分析者はイランの軍部が核開発計画に関与していることを示す初の兆候を入手したと確信するに至った。これこそがその後10年間にもわたって行われた米国の諜報機関によるイランの核兵器開発計画の調査につながったのである。
テレックスによって示唆されたイラン軍部によるウラン濃縮装置の購入に関する証拠は国際原子力機関(IAEA)が2003年から2007年にかけて行ったイランの核開発計画に対する一連の調査活動の主要テーマとなった。
しかし、その後の調査の拠り所となった傍受テレックスの解釈は基本的には間違いであることが判明した。情報分析者は、イランの核開発計画の証拠を把握しようと余りにも熱心だったことから、核開発計画に使用することができる技術と軍部と何らかの関係を持っていた研究所の役割との組み合わせが、不幸にも、この大学による調達の背後には軍部が存在しているとの判断になってしまったのだ。
2007年から2008年にかけてイランは物的証拠を提供し、それらの調達は実際には大学の教授や研究者たちの要請に基づいて行われたものであることを実証した。
イランが核開発を行っているとして米国に一連の諜報活動をさせることになった複数の傍受テレックスはテヘランのシャリフ工業大学が1990年の後半から1992年までの期間に発信したものだった。2012年の2月、テレックスの日付や具体的な調達品の内容ならびにPHRCのテレックス番号等のすべてが米国のISIS(国際安全保障研究所) [訳注:米国のシンクタンクのひとつ] の常任理事であるデイヴィッド・オールブライトと二人の共著者とが作成した文書によって明らかにされた。
諜報機関が興味を示し追跡を行うことになったテレックス記載の調達品はすべてがその用途に関しては二重の可能性を秘めていた。つまり、ウランの転換や濃縮の作業にぴったりではあったが、それと同時に核開発以外への適用も可能だった。
情報分析の担当者に疑念をもたらしたのは調達の要求書にPhysics Research Center PHRC[訳注:仮訳すると「物理現象研究センター」] のテレックス番号が記載されていたからであった。このPHRCはかねてからイランの軍部と契約関係にあることが知られていた。
米国、英国、ドイツおよびイスラエルの諜報機関は、公開されている情報によると、核計画のためにイランが調達しようとしていた技術に関する生情報を共有していた。これらのテレックスには「高真空」装置、「リング」状磁石、釣り合い試験機、フッ素ガスのボンベ、等が含まれていた。これらはどれもウランの転換や濃縮の作業に有用であると判断された。
1990年後半または1991年の始めに発注されたシェンク社 [訳注:ドイツのメーカー] の釣り合い試験機は核拡散分析担当者たちの間に興味を巻き起こした。何故かと言うと、この装置はウラン濃縮用のP1遠心分離機のローター部品のダイナミック・バランスをとるために使用することができるからだ。大学側から発注の要請があった「リング」状磁石は遠心分離機の生産に適切であると思われた。
45個のフロンガス・ボンベの発注要求についても疑惑がもたれた。フロンガスはウランと結合させると六フッ化ウランとなり、ウラン濃縮に使用することができるからだ。
テレックスの証拠を間接的に示唆する最初のニュースが1992年に報道された。それはジョージHWブッシュ政権の高官がワシントン・ポスト紙に同政権は、「疑惑を呼ぶ調達パターン」に基づいて、イランに対しては核関連技術の提供を完全に停止すると述べた。
そして、1993年の4月に放映されたPBSの「フロント・ライン」と称するドキュメンタリー番組が、傍受テレックスのことには何も言及せずに、イランは外国の大手供給者から幾つかの具体的な技術を入手しようとしていると報道した。PBSはこのドキュメンタリー番組を「イランと原爆」と題して放映し、これらの技術はイランが核兵器の開発計画を持っていることを明白に示すものだと決めつけた。
このドキュメンタリーの制作者であるハーバート・クロスニーは同年に刊行した著書「Deadly Business」の中でイランが調達したこれらの技術を同様の文言を用いて描写している。
1996年、ビル・クリントン政権のCIA長官であったジョン・ドイチは「広範にわたるデータが示すところによると、テヘラン政府は核兵器用の核分裂物質の生産を支えるために民間や軍の組織に任を与えている」と述べた。
イランが核兵器を開発しているとする自分たちの評価結果を強調するためにも、核の非拡散担当のCIAの専門家たちは次の10年間テレックスの分析結果に依存し続けることになった。極秘扱いの2001年発行の国家情報評価には「イランの核兵器計画 - 多面的な取り組み、成功の構え。しかし、それは何時か?」との表題が付けられている。
IAEAの安全予防担当の前副総裁、オリ・ヘイノネンは、20125月の記事で、IAEAPHRCに関する調達情報(これは明らかに例のテレックスを指している)を取得したが、その内容は後に「PHRCの前所長による調達活動」と称することになった2004年の調査に自分自身を駆り立てるには十分だった、と回想している。
しかし、2007年、イランとIAEA総裁のモハメド・エルバラダイとの間で「すべての残された課題」を解決する日程に関する協定が成立した。これに基づいて、イランはIAEAが提示した調達に関する質問のすべてについて詳細な回答をした。
この情報によって、当時シャリフ大学で教授を務めていたサイード・アッバス・シャフモラデ・ザヴァレフPHRC前所長はいくつかの学部から授業や研究に必要となる機材を調達するように依頼されていたことが判明した。
IAEAが究明しようとしていたそれぞれの項目についてイランは膨大な量の情報を準備し、十分な説明を行った。高真空装置は薄膜のコーテングを生成するための蒸発や真空の技術を学生が実験用として使うためのもので、これは物理学科から依頼されていた。その周辺情報として、実験に関する指示書や学内連絡書、さらには、調達品に関する船積使図書さえもが提供された。
物理学科は、この提出された情報(取り扱い説明書や資金の提供を求める初期段階での要求書、装置の供給会社が発行した支払い請求書、等も含む)によると、「レンツ・ファラデーの実験」を行うために磁石の調達も要求していた。釣り合い試験機は機械工学科のためのものであって、この事実は上記と同様にIAEAに提出された証拠文書により明白だった。IAEAの査察官はこの装置が確かに機械工学科に設置されている事実を確認している。 
シャフモラデ・ザヴァレフが調達しようとした45個のフロンガス・ボンベはポリマー製容器の化学的安定性を研究する産業界対応研究室が要求したものであって、これらの内容は要求書の原本や前PHRC所長と大学学長との間で交わされた通信内容によって証明された。
2008年の2月に発行されたIAEAの報告書はこれらの問題点のそれぞれについてイラン側から提供された詳細な文書を克明に記録している。IAEAから反論されるような項目はひとつもなかった。この報告書は、米国からは本調査や他の核兵器開発計画に関する調査をこれで終了しないようにとのプレッシャーがかかったにもかかわらず、当該課題には「現時点では未解決のまま残されている点は何もない」と宣言した。この米国からのプレッシャーはウィキリークスによって暴露された外交官の通信内容から判明したものだ。
このIAEAの報告書は、イランが核兵器の開発計画を保持しているとして10年以上もの期間にわたって米国がイランを非難して続けてきた根拠がそのもっとも基本的な部分で間違いだったことを示すものだった。
しかしながら、イランの核兵器開発の物語には劇的な展開があったものの、IAEAの報告書を伝えるニュースでは上記の事実関係に特別な注意が払われることもなく時間は過ぎて行った。この時点までには、米国政府やIAEAおよびメデアは目を見張らせるような他の証拠を持ち出していた。それは2001年から2003年までのイランの極秘の核兵器開発計画に関する一連の文書である。これらの情報は盗まれたパソコンから抽出されたものではないかと推測される。そして、2007年発行の国家情報評価は、イランはそういった計画を推進してはいたが、2003年には同計画を破棄したと結論付けた。
IAEAがイランの説明を快く受け入れていたにもかかわらず、ISISのデイヴィッド・オールブライトはテレックスの内容はイランの防衛省が核開発計画に関与していたという疑惑を裏付けるものだとの議論を継続した。
彼の20122月の文書では、オールブライトは、IAEAの調査が何の決着も付けなかったかのように、テレックスに記載された調達の要請について論じている。オールブライトは個々のケースについてイランが提供した詳細な文書を参照しないままで、さらには、本件は「もはや未解決な点は何も残ってはいない」というIAEAの判断さえも引用してはいない。
その10日後、ワシントン・ポスト紙は、テレックスの内容はPHRC1990年代にイランの極秘のウラン濃縮計画を主導していたという事実を示すものだとするオールブライトの主張を掲載した。この記者は20082月のIAEAの報告書が諜報分析者の解釈は基本的に間違っていたという決定的な証拠を提示していることにはまったく気が付いていなかったことが明白である。
ガレス・ポーターは独立した調査報道のジャーナリストであり、歴史家でもある。彼は米国の安全保障政策を専門としている。
<引用終了>
                 

          

この引用記事によってイランの核開発疑惑がどのようにして発生したのかが詳細に理解できた。傍受テレックスの誤解がことの発端だったという。これには驚いた。
しかし、歴史を見ると、二国間の戦争の発端には誤解や先入観、はったり、嫌がらせ、自作自演、等、さまざまな、かつ、複雑な状況が存在するのが常だ。そのような状況を考えると、テレックスの内容に関する解釈に間違いがあったという事実はそういった戦争(あるいはそれに近い状況)のさまざまな理由をリストにした場合、その長いリストに新たに一項目が追加されたに過ぎないということだ。人間の英知は、常にそうだとは言いたくはないが、所詮、非常に低劣なものであるという実態を我々は改めて思い知らされたということになろうか。
「イランをめぐる国際政治の不思議さ」と題した昨年129日の小生のブログでは、「P5+1に対して譲歩することによって、本質的には、イランは自分たちが企てもしていなかったことに関して当面何も行わないで、それを停止するということに同意させられた」という皮肉たっぷりの識者のコメントをご紹介した。そのコメントが言うところの「イランは自分たちが企てもしていなかったことに関して…」の真の意味がここに引用した記事によって今やはっきりと分かったような気がする。
IAEAは米国からイランの核疑惑に関して幕引きをしないようにプレッシャーがかかっていたという事実がウィキリークスによる暴露によって判明したという。非常に興味深い情報だ。これは、米国がIAEAについても自分の裏庭のようにしか考えてはいないエピソードだと言える。当時のIAEA総裁であったエジプト出身のエルバラダイは米国追従一辺倒だと私は受け止めていたが、決してそうではなかったのだ。
上記の記事の最後には、ISISのデイヴィッド・オールブライトは、2008年のIAEAの報告書がすべてのいきさつを明快に説明していたにもかかわらず、さらには、同報告書がイランには核開発計画が存在しないと報告したにもかかわらず、2012年の時点においてさえもイランのシャリフ工業大学から発信されたテレックスについて議論を継続していたと報告されている。この事実は何を物語っているのだろうか。イランを国際社会の枠外に封じ込めておきたい、世界を戦争瀬戸際の緊張状態のままに維持していたいとする勢力が依然としてたくさん存在することを物語っているんだなあ、と私には読める。
 

           

イランの現状に関しては諜報専門家の間では一定の理解があるが、政治家やメデアの批評家の中にはイランの現状を読み違える人たちが結構いるとして批判する声があることを私は今回の情報検索を通じて知ることができた。
このような状況は何も珍しいことではない。特に、政治的なテーマになると両極端に意見が分裂することは頻繁に起こる。
2年半ほど前の記事 [2] になるが、そうした観点からある専門家が苦言を呈している文書をここでご紹介しておきたいと思う。その専門家にとっては、政治家やメデアの批評家が繰り返す読み間違いには鼻持ちならないようである。この記事の表題は仮訳すると、「連鎖反応 - イランに関するIAEAの報告書をメデアは如何に読み間違えたか」となる。その冒頭の部分を下記に引用してみよう。 

<引用開始>
今月 [訳注:201111] の始め、IAEAがイランの核開発計画に関する報告書を公開した際に、いくつかのメディアと何人かの政治家は次のふたつのメッセージを残してこの報告書に背を向けた:(1)ウィーンに本拠を置く機関 [訳注:これはIAEAを指す] は米国諜報機関の過去の分析に対して反論している、(2)イランは原爆を製造しようとしている。そして、これらの主張が繰り返して表明され、公衆や議会では彼らにある種のけん引力を提供している。
IAEAの報告書の内容に精通しているほとんどの分析者たちは、この報告書にはイランとの交渉に従事している関係国の政府にとって特に目新しい内容は何もないことをよく認識している。つまり、核武装したイランが直ぐにも出現する訳ではなく、それが不可避であるということでもない。イランが継続して核兵器の研究を行うという事態は世界の安全保障にとっては深刻な懸念ではあるが、イランがそのような意思を持っているかと言うとそれを示唆する兆候は何もないのだ。
それでは、高度に事務的で技術的なこれらの文書において何故にこうも相反する分析結果が生じるのだろうか。
ワシントンは多くを喋るが、文書を深く読もうとはしない。これがもっとも簡単な説明ではないだろうか。批評家たちは2007年の国家情報評価とイランの核兵器計画に関して最近発行されたIAEAの報告書との間にある一貫性を見落としてしまっているのだ。
<引用終了>

下線は私が施したものだが、著者が苦言を呈したい内容はこの一言に尽きるようだ。ここで、「ワシントン」とは政府や議会を指していることは言うまでもない。政府の職員が一次資料を十分には読みこなさないまま、理解が不十分な分析結果をメデアに流し、メデアの批評家も右から左へと報道する状況を著者は「連鎖反応」と呼んでいる。
政治家や政府に従属したきりでジャーナリズム精神を忘れ去ってしまったメデアは、今日、洋の東西を問わず多く見られる。それらは、国民にとっては不幸なことに、機能不全に陥っていると言えよう。このような現状に関して、私も、昨年の114日に『米国のジャーナリズムは「死に体」同然、日本では「秘密保護法」によって止めを刺されるのかも』と題したブログを掲載したばかりだ。国民に真実を送り届けることができないメデアには存在価値はなく、最悪の場合は有害でさえもある。
そうした多くを喋るが深くは読もうともしない政治家やメデアの犠牲になってきたのがイランであると言えるのではないか。イラン情勢の今後の展開に注目して行きたいと思う。
 

参照:
1: Misread Telexes Led Analysts to See Iran Nuclear Arms Programme: By Gareth Porter, Information Clearing House – “IPS”, Feb/06/2014
2: Chain reaction: How the media has misread the IAEA's report on Iran: By Greg Thielmann and Benjamin Loehrke, Nov/23/2011, thebulletin.org/chain-reaction-how-media-has-misread-iaeas-re...

 

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