2014年5月10日土曜日

ニューヨークタイムズ紙がスラヴィヤンスクの自警団にはロシア兵がいないことを認めた


今朝(55日)のRTの配信には非常に興味深いタイトルが並んでいた。その最たるものは何といっても「ニューヨークタイムズ紙がスラヴィヤンスクの自警団にはロシア兵がいないことを認めた」ではないだろうか。 

要するに、今までRTが何週間にもわたって報道してきた事実を今頃になって初めて米国政府の旗艦紙とも言えるニューヨークタイムズが自ら認めることになったのだ。正に驚くばかりである。 

ニューヨークタイムズやワシントンポスト等のエリート紙の報道内容はかっては信頼に足るものだった。ジャーナリズム精神が溢れるばかりの報道だった。しかしながら、今や、これらのエリート紙も真実を掘り出しその結果を報道するという使命を捨て去って、商業主義に走っている。その結果、ジャーナリズムの世界では「プレステチュート」と揶揄されるまでに落ちぶれてしまった。 

ニューヨークタイムズは最近続けてウクライナ報道において前に行った報道を否定せざるを得ない状況となった。政府に都合のいいことばかりを書いて、ついに筆が滑ったということかも知れない。 

世界の読者は、イラク戦争で経験したように、米国政府の対外政策とそれにまつわる虚言、ならびに、米国政府の言いたいことを喧伝するエリート紙には不信感を募らせる一方である。それに代わって、インタ-ネットでは非営利的な組織やブロガーによる専門的な意見をふんだんに入手できる時代になってきている。今や、米国政府が発表した内容が翌日には嘘だとバレてしまう程だ。
  

♞   ♞   ♞ 

RTの記事を切っ掛けにしてインターネットで検索をしたところ、ニューヨークタイムズの記事 [1] が見つかった。 

それでは、ニューヨークタイムズの記事を覗いてみよう。その仮訳を下記に示して、皆さんと共有したいと思う。
 

<引用開始> 

ウクライナ軍のヘリが直ぐそばの丘の上空を飛行して行く中、反政府派のリーダーは閉鎖された食料品店の前で地形図を広げた。ウクライナ軍は川の側に拠点を確保したばかりだ。ここから2キロ余りの距離だ。指揮官はさらに前進することができると判断した。     

彼は幾つもの戦いを経験している者に特有な威厳をもって命令を下した。「橋まで下って、狙撃兵たちの準備をしろ!」と、このリーダーは名前を「ユーリ」と明かしただけで、ウクライナの元民兵に告げた。元民兵は走り去った。 

ユーリは第12部隊の指揮をとっている。この部隊は自称「ドネツク人民共和国」の自警団の一部であって、以前はまったく知られてはいなかった。通常は覆面をしている反政府軍である。4月の始め以降、彼らはウクライナ東部の政府ビルを占拠している。ヨーロッパからの軍事視察チームをNATOのスパイであるとして先週の土曜日までは捕虜として確保していた。
彼は得体の知れない民兵たちによる政府ビルの占拠の背後にいる何人かのひとりだ。しかし、たとえマスクを外したとしても、彼が抱いている目的や動機あるいは外部との繋がり等ははっきりとはしなないままである。これはこの激化するばかりの紛争が非常に複雑であることを物語っている。

ユーリは50代半ばくらいかと思われるが、どう見てもウクライナ東部のごく普通の市民のひとりとしか見えない。従軍の経験を持っており、ソ連の崩壊後はここから24キロ程離れたドルヅコフカで小さな建設関連のビジネスを所有している。


しかし、彼の反政府派としての名声には特別な理由がある。彼は旧ソ連時代には特殊部隊の指揮官で、アフガニスタンで活躍していた。この背景はこの地域では立派なものであり、その一方ではクレムリンの代理人にもなり得る程だ。


この内戦においては、ウクライナとロシアの両者について相反する主張が飛び交う中、非常に不可思議な点がある。それは自警団のメンバーの正体やどちらの側に親近感を抱いているのかといった点だ。この自警団の存在がロシアと西側との間の争いを最近はもっとも深刻なレベルにまで追いやったのだ。


モスクワは、彼らはウクライナ人であってロシア兵ではないと言う。クリミアでは徽章を外しており国籍が分からない民兵がロシア兵であった。 


西側の政府やウクライナ政府はロシア人将校がこれらの民兵を指揮し、組織化し、装備をしていると主張している。


いくつかの検問所を1週間以上にわたって訪ね歩き、民兵たちに質問をし、そして、金曜日には進撃して来るウクライナ軍に対して行った諸々の行動を真近に見て、第12部隊を詳しく観察することができた。その結果、この第12部隊の場合、横顔を眺めているだけでは彼らの本当の顔を知ることはとても無理だということが分かった。 
12部隊の反政府派はウクライナ人であるとは思うが、この地域ではよくあるように、ロシアとの繋がりや親近感は非常に強い。彼らはソ連時代、ウクライナ軍あるいはロシア軍の元兵士であったし、何人かは家族の一部が国境の向こう側に住んでいたりする。個人の正体や忠誠心には複雑に絡み合った状況が見受けられる。

全体像をさらに複雑にすることになるが、これらの闘志たちはウクライナ政府やそれを支援する西側に対して圧倒的な不信感を抱いている。その一方、自分たちの最終目標に関しては必ずしも内部の合意を見てはいない。彼らはウクライナを連邦制に移行して権限を再配分するべきだとか、ロシアへの併合をするべきだとかの議論を続けており、どちらの側が首都キエフを抱え込むのか、分裂したウクライナはどこに国境線を引くのかに関してもそれぞれが異なる意見を持っている。
彼が自分の部隊に対して指揮をとっている玄関脇にはロシアの三色旗がはためいているのだが、ユーリは葛藤を覚えながらロシアへの併合について話した。

彼は47日にドネツクにあるウクライナの諜報サービスの建物を占拠し、その5日後には市の警察署の占拠を指揮した。これらふたつのオペレーションは自警団の足場を固めるのに役立った。このふたつ目の攻撃の様子をビデオや写真で見ると、彼が話してくれた内容を確かめることが可能だ。
この1週間、ウクライナ軍が時々圧力をかけてごく近くにまで迫っては来たが、彼のオペレーションは本当はロシアの諜報担当将校が指導しているのだとするキエフ政府の報道に接する度に彼は含み笑いをした。

ロシア人などはついていない、と彼は言った。「ここにはモスクワっ子は誰もいないよ」と言った。「俺は十分に経験しているんだ!」

彼や彼の部下たちの話によると、彼の経験には1980年代にアフガニスタンのカンダハールで小さなソ連軍部隊の指揮官として過ごした4年間が含まれている。


彼が指揮をとっている119人の兵隊たちは20代から50代までと見える。誰もが以前のソ連やウクライナで歩兵や空挺部隊あるいは特殊部隊や対空部隊での経験者たちだ。

そのうちのひとり、コスチャはソ連崩壊後に民兵として兵役に就いた。しかし、1997年には母が住んでいる近くへ引っ越して来て、彼は今から2年前にウクライナの市民権を取得したとのことだ。

他のふたりはウクライナ東部よりも外側の地域からやって来た。ひとりは南部のオデッサから、もうひとりは中部のドニエプロぺトロフスクから。

当面、第12部隊はスラヴィヤンスクの最前線の一部を構成している。そこでは、兵隊たちはウクライナ軍を目の前にして、築かれたバリケードで立ち向かっている。すでに何回か衝突を繰り返した。 

この部隊のメンバーはパトロール時には覆面をし、四六時中市内を歩き回って警戒している。

彼らの間にはしっかりとした規律が守られていることが観察される。たとえば、検問所での見張り役の交代は組織化され、頻繁に自分たちの武器をきれいにし、飲酒を控えている。

また、彼らの話によると、ウクライナ軍が行動を起こすとその旨を伝えてくれる広範な情報提供ネットワークを持っているという。  

この2月にはヤヌコヴィッチ大統領が大統領府から追い出された。その後権力についた新政府の話になると誰もが嫌悪感を顕わにした。

彼らが行った政府ビルの占拠は間違いだとほのめかすと、彼らは苛立った。キエフの親ヨーロッパ派の連中は去年の秋以降ずっと政府ビルと市の中央広場を占拠していたではないか、と彼らは反論してきた。 


「どうしてアメリカはあのような行為を支持し、われわれに対しては反対するのか?」と、若手の元民兵で橋の側へ狙撃兵を配置したマクシムが言った。「西側の言うことには大きな矛盾がある。」

他の多くの者がそうであるように、文化的にも、経済的にも、そして、宗教的にもロシアとの繋がりは断ち切ることは出来ない、と自分が思っていることをマクシムは率直に話してくれた。また、自分が理想とする大スラブ圏構想が、今、外部からの脅威に曝されているとも言った。

兵隊たちは言った。この脅威は、2月にウクライナ議会でキエフの臨時政府はウクライナ東部での公用語としてのロシア語を排除するとの提案をした。これですべてが明白になったと兵隊たちは言った。この提案は臨時大統領の拒否に遭遇したとは言え、兵隊たちにとってはあの出来事は正に文化面での正式な宣戦布告を意味した。

「あれこそが転換点だった」と、黒いヴェストの胸ポケットに注意深くナイフを収めながら、マキシムは言った。

何人かの兵隊たちが彼らはロシアか大富豪、あるいは、何処かの誰かから給料を貰っているのではないかとの問いかけには頭を横に振った。

「これは仕事じゃないんだ」と、ドミトリーという兵隊が言った。「これは地域のための奉仕活動なんだ。」


さらには、もしロシアの諜報活動の支援を受けているならば、検問所で見たような使い古しの武器や彼らが仮眠をとる基地に備蓄されているような武器ではなく、新品の武器を持っている筈だろうに、と彼らは言った。金曜日の戦闘中に、兵隊たちの内のふたりは狩猟用の散弾銃を携えていた。外部から見ることができるもっとも大型の重兵器は携行式ロケット弾だった。 


彼らが所有する在庫の武器はほとんどが市の政府側の拠点に詰めているウクライナ兵や内務省の特殊部隊が所有する武器と同じ種類のものである。これらの武器には口径が9ミリのマカロフ拳銃、クラシニコフ・ライフル、ドラグノフ式狙撃ライフル、RPK軽機関銃、および、携行式対タンク用ロケット弾である。それらの内でいくつかは1980年代から1990年代初期の銘版がついていた。

多くの武器は非常に長い間使用されてきたことを示している。でも、ひとつだけ、RPG-7対タンク・ロケット弾発射器はきれいで新品に見えた。自警団の兵隊たちの話によると、これは12個のロケット弾付きで2000ドルでウクライナ兵から購入したのだそうだ。

自警団のメンバーたちは、自分たちが使っている武器は占拠した警察署や何台かの捕獲したウクライナ軍の装甲兵員輸送車から入手、あるいは、堕落し切っているウクライナ兵から購入したものだと説明した。


12部隊の武器にははっきりとロシアと結びつけるようなものはないが、反政府派が説明した金の出所や武器の入手先を検証する術はない。

しかしながら、地元の支援については手掛かりがある。


ある日の午後、連中は
市の西部に位置する運河にかかっている橋の近くにバリケードを築き、バンカーを掘った。

タニアとレフの家庭となっている第12部隊の基地のひとつには多くの地元民がやって来る。食糧品を届けてくれるのだ。自家製のパイやケーキ、厚切りの塩漬けにした豚の脂身、大鍋に入ったボルシチ・スープ、採りたての玉ねぎの袋、野菜やフルーツの漬物が入ったたくさんの瓶、等々。


「キエフの連中にとってはわれわれは分離派であり、テロリストなんだ」と、ユーリが言った。「でも、ここの住民にとっては俺たちはこの地域を防衛をし、皆の命を守る存在なんだよ。」 


タニアは60歳。自分の息子が先月部隊に加わってからというもの彼女は反政府派のために食事を作っている。部隊専用のコックさんだ。家の裏側にある食卓を何時も食べ物でいっぱいにしている。ボルシチが鍋の底に残っていると、決まって「もっと食べなさいよ」と皆を戒めるのだった。


この夫婦の駐車場は今や兵舎になっている。小屋は兵器庫となった。迷彩服がサクランボの木に張られた洗濯紐にぶら下がっている。


自警団の話によると、彼らは住民との間では一般に良好な関係を保っており、住民たちは彼らを引き留めようとはしない。警察官の多くは反政府派の地域を今もパトロールしているが、自警団の権威を受け入れている。たとえば、交通整理をしてくれたり、事故の調査もしてくれる。 

これらの自警団やそれを支持する人たちがウクライナの行き先を何とか正常にしようとしているが、その行き先は覆面した連中の間でさえも議論が尽きそうもない。   

12部隊においては、何人かはウクライナ東部が連邦制の下で自治州となることを希望している。他の者たちはウクライナを二分するべきだと言う。この後者のグループの多くはロシアへの編入を望んでいる。


ウクライナをひとつの国家として残したいというのはどうしてかと聞くと、ソ連時代には対空防衛部隊の古参兵でもあったセルゲイは「そうさ、いけないとでも?」と言った。

若手のドミトリーが割って入って、「そうじゃない、そうじゃない」と言った。「一体どんな連邦政府があり得るんだい?」 


アレクセイという他の兵隊が頷いた。「ウクライナ西部では、彼らは自分たちの正体を見せた。連中はナチスやファシストだ」と彼は言った。「彼らはレーニンの像を破壊し、われわれの歴史を攻撃した。われわれにとっては彼らと一緒にひとつの国家の下で暮らすなんて意味がないよ!」


細部の話となってきた。国境はどこへ設けるのか、キエフはどちら側に含めるべきか、等。「キエフは西部に残してやれよ」と、ドラグノフ狙撃銃を持ち、頭を剃っている巨人のサンヤが言った。「キエフなんて原理原則上の問題ではない。」

「キエフまで全部なんて、だめだ!」"と、ドミトリーが言った。
アレクセイはキエフを横切って流れるドニエプル川に沿う国境を提案した。

「いいな、ドニエプル川に沿った国境線」と、ドミトリーも言う。「左岸は彼らのもので、右岸はわれわれのものだ。」
最終的な結論がどうであっても、とユーリは後で言った。ウクライナの臨時政府は選挙を認めなければならない。さもなければ内戦だと。
「血の海や死体の山か住民投票かのどちらかだ」と、彼は言った。「三番目の筋書きなんてないんだ。」
<引用終了> 

ひとつ気になる点がある。
ニューヨークタイムズのふたりの記者がウクライナ東部で取材し、その結果が公表された。そして、この記事は今までニューヨークタイムズが述べていた内容とは異なって、スラヴィアンスクにおける反政府派の第12部隊にはロシア軍の将校はいなかったと報告している。ネオコンに牛耳られている政府の言いなりになって、自分たち(つまり、政府)の筋書きに都合のいいことばかりを報道してきた内容とは大きく食い違う結果となった。しかしながら、こうした事実認識が今頃になって行われたとは言え、真実を報道するという観点では評価に値すると言えそうだ。
他の部隊はどうなんだろうか。この第12部隊と同様なのだろうかとの疑問は残り、当面はそれに対する答えはない。 

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ウクライナ東部の住民の多くは、上記の引用記事でも分かるように、ロシア語を公用語から外そうとした臨時政府の措置に対して非常に立腹した。これが深刻な対立となった切っ掛けだった。
そして、もうひとつの重要な理由は経済的な理由にもあるようだ。最近のワシントン・ポストの記事 [2] によると、地域住民にとってはキエフ政権とIMFがゴリ押しする緊縮政策には不安が募るばかりだ。その一部を引用してみよう。 

<引用開始>
…住民たちは最悪の場合を想定している。天然ガスについて長い間実施されてきた寛大な補助金を無くすことは彼らの暖房や調理の費用は大雑把に言って63%も値上がりすることになる。全国で約24,000人の国家公務員と80,000人の警察官が職を失うことになる。ウォッカやビールおよび煙草の消費税も上がる。固定資産税の計算手法が変更になって、多くの家屋を所有する人たちの支払いは急増する…
恨みは深まるばかり:
長い目で見ると、このような緊縮政策は破壊された経済を何とか修復させるためには必要であろう。ウクライナ経済は、ヤヌコヴィッチ大統領が健在だった頃、新たな腐敗のピークに達する気配を見せていた。それでもなお、住民たちはキエフの新たな脆弱な政権に対しては恨みの念を募らせている。
「一気にこんなことをわれわれに強いるなんて何ということだ!」と、イリアが言った。彼はドネツクで暖房器具の販売をしている。ドイツ製品だ。ユーロで機器を調達して現地通貨であるフリブナで売る。誰も暖房器具を買うことがないこの時期にウクライナ通貨の低迷は彼のコストを40%も高めたのだ。
「皆すっかり怯えている。誰を信用したらいいのか分からないんだ」と、彼が言った。「結局のところ、連中はわれわれをロシア側に追いやっている。」
IMF総裁のクリステーヌ・ラガルドは、今月、ウクライナの国民は自助努力について学ばなければならないと言った。「政府の腐敗を排除し、新政府を樹立し、立派な調達を行い、エネルギーについては真の価格を使用し、自分たちの経済的運命を手中に収めるためには、あれだけの民衆の力がありさえすれば、変化は然るべくして起こるだろう」と、ユーロニュースで述べている…
…ウクライナ東部の研究者のひとり、ドネツク国立大学のユーリ・マコゴンはロシアとヨーロッパの間でバランスの取れた経済関係を推進するべきだとしている。昨年、前に提示されたEUとの合意に対する報復として、ロシアはウクライナの輸入を厳しく取り締まった。これを受けて、当時のヤヌコヴィッチ大統領はEUとの取引を拒否した。結局、これが親ヨーロッパ派の反政府運動による決着の場を演出させてしまった。
もしもキエフとモスクワとの間の関係が冷却したままであるすると、失業の心配は現実のものとなる。たとえば、水曜日に進撃して来るタンクの列を市民たちが一団となって食い止めた東部のクラマトルスク市はロシアへの輸出に大きく依存する大規模なノーボクラマトルスキー機械工場の根拠地でもある。 
「これが一体どのように収束するのかはまったく予想もつかないが、東部の住民にとってはロシアとの関係を悪化させたままで終わらせるわけにはいかない」と、イリアは言った。

<引用終了>

この引用記事に収録されている住民の声を聞いていると、ウクライナの暫定政府やIMFの行動が如何に住民感情とかけ離れてしまっているかが良く分かる。
ウクライナ紛争はイデオロギー紛争ではなく、東部の住民にとっては経済闘争なのだ。ウクライナ政府やIMF等の国際組織は住民の生活感情から大きくかけ離れたところで議論をしている。しかも、それは巨大な国際資本が書き下ろしたシナリオに沿っての議論である。資本の論理は99%の大衆の犠牲を強いるという構造そのものがここに浮き彫りとなっていると言えよう。

政治とは一体何なのか、あるいは、政治はどうあるべきか、等を考えさせられてしまう。
この点は非常に重要だと思う。
一方、米国はふた昔も前に終わった当時の冷戦構造の中で見られたイデオロギー闘争という枠から一歩も踏み出さないままでこの21世紀のウクライナを処理しようとしている。ここに新しい大きな悲劇の始まりが見て取れると言いたい。
ウクライナの状況は時々刻々流動している。この夏、熱核戦争にならずにこの紛争が収束して欲しいと願うばかりだ。 
 

参照: 

注1:Behind the Masks in Ukraine, Many Faces of Rebellion: By C. J. Chivers and Noah Sneider, New York Times, May/03/2014
2In Ukraine, a crisis of bullets and economics: By Anthony Faiola, The Washington Post, Apr/16/2014

 

 

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