2018年10月31日水曜日

人の遺伝子編集における地政学


「遺伝子編集」あるいは「DNA編集」という言葉が一般的に使われるようになってからすでに久しい。植物や動物ではかなり前からさまざまな試みが行われてきた。そして、人についてもこの技術が使われ始めた。
昨年の11月、DNA編集が人の遺伝的疾患を治療することに初めて用いられた [1]。これを報じた記事を要約すると次のような具合だ。
44歳のブライアン・マドー氏はハンター症候群と称される先天的な代謝異常に見舞われていた。彼の疾患を治療するために遺伝子編集を行うことを目的として研究者らはこの患者の血液にDNA編集ツールを注入したと、本日(20171115日)、APが報じた。このDNA編集ツールを用いて、肝臓細胞のDNA二重らせんを特定の場所で切断し、そこへ新たに正常な遺伝子を挿入する。こうして修正された肝臓細胞はハンター症候群の患者が不足または欠如している特定の酵素を生産する工場となるのだ。
DNA編集の是非はさまざまな角度から論じられている。最大の議論は倫理的な側面であろう。あるいは、法的な側面であるかもしれない。
ここに、「人の遺伝子編集における地政学」と題された最近の記事がある [2]
この記事は遺伝子編集に関して故スティーヴン・ホーキング教授が抱いた危機感を伝えている。私の個人的な理解として倫理的あるいは法的な側面が未だに整理されていないのではないかと上記に述べてみたが、故ホーキング教授の懸念はまったく別の側面を浮き彫りにしている。
本日はこの記事 [2] を仮訳して、読者の皆さんと共有したいと思う。

<引用開始>


Photo-1

自分自身のDNAを操作するスーパーヒューマンは自分自身の進化をコントロールする。将来起こるかも知れないこのような出来事に関して、理論物理学の分野では著名な故スティーヴン・ホーキング教授がひとつの警告を残していた。この警告は今年の3月に同教授が亡くなる直前に発せられたものだ。
Stephen Hawking feared race of ‘superhumans’ able to manipulate their own DNA」と題された記事で、ワシントンポストは次のように伝えている: 
3月に亡くなる前、同ケンブリッジ大教授は人々は知能や攻撃性といった人の特性を編集する能力を今世紀中に獲得するであろうと予測していた。そして、同教授は遺伝子操作の能力が超裕福な人たちの手に集中してしまうことに懸念を抱いていた。
断っておくが、故ホーキング教授はこの技術そのものについては何の警告も発してはいないが、その技術が一握りの超裕福な連中によって寡占されてしまうことについて警告を発したのである。

寡占化された技術の脅威: 
人間の歴史においてはどの章を開いてみても、科学技術の格差はいつも決まって搾取や暴力、流血沙汰、大量虐殺といった悲惨な出来事をもたらして来た。西洋人は銃を発明し、アジアやアフリカ、北米、南米のさまざまな種族に対して銃を使用した。この出来事は銃の使用には恵まれてはいなかった人たちに対する科学技術の圧倒的な強さを見せつけた。
原爆の発明は、一時期ではあるが、米国に実質的に原爆の寡占化の状態をもたらした。米国は第二次世界大戦の末期にすでに疲弊しきっていた日本に対して一発だけではなく二発もの原爆をはやる思いで投下した。まずはロシアの核実験によって、そして、次は中国の核実験によって米国の寡占状態が破られる前、米国は朝鮮戦争で原爆を使おうとした。また、ベトナムでも少なくとも二回は原爆を使おうとした。
今日、企業によるバイオ技術の寡占状態は故ホーキング教授が懸念を抱いたスーパーヒューマンに開発競争を引き起こしている。その活用は異論が極めて多く、恒常的な乱用の源となっている。
それが安全であるとは決して言えない遺伝子組み換え生物(GMOs)を売り歩くカーギルやモンサント、バイエルといった農業分野の大手企業によって行われているまやかしの多いビジネス手法であるにせよ、それが遺伝子療法のような突破口を掴んで、便乗値上げのためのチャリティーを催し、公的資金を受けている製薬会社であるにせよ、すでにバイオ技術の集約化が超富裕者の手で進められており、バイオ技術へのアクセスやコントロールができない人たちに対してすでに乱用されている。われわれはこうした現状を観察することができるのだ。

もう始まってる:  
故ホーキング教授の言葉を引用して、ワシントンポストの記事はさらに続く: 
彼はこう書いている。人類は『いわば自分自身が自分の進化を設計する段階に突入した。この段階に至るとわれわれ自身のDNAを変更し、改善することが可能となる。われわれは今やDNA配列を解明した。これは「生命の本」を読み解いたということであり、修正を開始することが可能となる。』 
当初、彼はこれらの修正は特定の疾患、たとえば、ひとつの遺伝子によって制御されており、修正が比較的簡単な筋ジストロフィー症の治療のために使用されるだろうと予測していた。
「とは言え、今世紀中には知力や攻撃性といった本能についても修正の仕方を見出すのではないか」と故ホーキング教授は書いている。
人の特性に遺伝子操作を施すことについては何らかの制約を課す議案が可決されるであろう、と彼は予測した。「しかしながら、巷には記憶量や疾患に対する耐性、寿命といった人間の特性を改良することに興味を惹かれ、それに抗しきれない人たちが出てくるであろう」と彼は予測している。
さらに、故ホーキング教授は、改良を施されなかった人間は競争に勝ち残ることが出来ず、この広がるばかりの格差の中では政治的にも重要な課題が出現するであろうと指摘する。
すでに人のDNAを改変することは可能であって、これは必ずしも生まれる前に改変するのではなく、普通に生活をしている個人についての改変である。遺伝子療法の手法は目標のDNAを編集することである。つまり、人の細胞を取り出し、自然界で起こっているようにそれをコピーする代わりに、再プログラム化されたウィルスが用いられる。即ち、具体的な目的のために設計された編集済みDNAを挿入するのである。
たとえば、ペンシルヴァニア州立大学とフィラドルフィア小児科病院とのチームは白血病患者のT細胞を編集することに成功した。ニューヨークタイムズによると、この治療を受けなければこの患者は末期癌となっていたことであろう。
この遺伝子編集によって、患者の免疫機構は体の隅々でがん細胞を検知し、破壊することができるようになった。化学療法が奏効せず、間もなく死亡したであろう患者でさえもがある程度は恒久的とも言えるような回復が約束される。
しかし、遺伝子編集がごく普通の免疫機構を癌と闘えるような免疫機構へと改変することが出来るならば、将来の突破口は免疫機構の更なる改良から始まって、再生医療(たとえば、年老いた心臓で健康な心臓細胞を再生する。この試みは英国で研究されている)の分野にまで至るであろう。
限界は果たして存在するのであろうか?故ホーキング教授の懸念は非現実的だったのであろうか?それとも、まったく根拠がなかったのであろうか? 
全費用がチャリティーや公的資金によって賄われていたペンシルヴァニア大学での技術革新プロジェクトは、後に、製薬業大手のノヴァルティスによって乗っ取られた。同社はFDAによって承認された本療法の価格をかなり特殊で実験的な研究開発の段階で注ぎ込まれた費用の何倍にも相当する価格に引き上げるであろう。これ以外の先端技術に関してもまったく同様な運命が待っている。当初は公的資金が注ぎ込まれていても、後になって、故ホーキング教授が心配していたように「超富裕な連中」によってすくい取られてしまうのである。
人の強さや知力、寿命を改善する将来の先端技術は、今何も策を講じなければ、最良の地位に陣取って待ち構えているバイオテクノロジーの独占企業によってすくい取られてしまうことだろう。故ホーキング教授の警告はあたかも遠い将来に起こる脅威に関するものだと思っていたが、実際には、将来起こるであろう暗黒の世界が今起こっているのをわれわれは見ているのだ。

人の遺伝子編集における地政学:  
人的資源はすべての国家を定義するものであって、国家の富や安全保障の礎石を形作る。健康で、高度の教育を受けた、知的な国民は強力な国家を作り上げる。こうして、国民の間に遺伝子編集によってスーパーヒューマンの能力を施された階層を有する国家は明らかに他の国家に比べて有利となるであろう。また、それは同一国内でこの種の特性を備えてはいない他の階層と比較した場合であってもまったく同じことが言えるのだ。
われわれは、今や、白血病のような疾患に対して闘いぬくように編集された遺伝子を持つ人たちと一緒に街の通りを歩いている。バイオテクノロジーの新企業「BioViva」は同社の創立者であり、CEOを務めるエリザベス・パリッシュ自身に対してすでに遺伝子治療の試験を行っている。これは老化防止を目的としたものであるとSouth China Morning Postが報じている。
これはもはや「もしも」とか「何時」といった範疇のものではない。すでに始まっている。現実の問題はそのような遺伝子編集や遺伝子療法はいったい何時になったら経済や安全保障に影響を与え始めるのかという点にあり、さらには、各国はこのテクノロジーを活用し、このテクノロジーを弄ぶ国家に対して自国を防御する上で基礎的な必要事項を構築するにはいったい何をしなければならないのかという点にある。
中国はバイオテクノロジーや遺伝子療法に多くの投資を行い、一時は北米や欧州による寡占状態が明白ではあったが、今やこれらに対抗する勢力に変貌した。個人や小企業は世界中でオープンソースの研究開発集団を形成しようとしている。この動きはこのテクノロジーができる限り数多くの人たちによって共有されることを確実にしようとする試みである。
ある者は「急激な拡散」が暴走するのではないかと恐れを感じるかも知れないが、われわれは米国が他国に対して原爆を投下することをどうして中断したのかをじっくりと考えてみなければならない。米国が中断したのは自己抑制からではなく、核兵器を持つようになった他の国からの反撃を恐れたからである。そこに出現した状況は非常に危険ではあったが、力の均衡が功を奏して、それ以降何十年間も均衡が続いている。
バイオテクノロジーに関してもこれと同様な力の均衡が必要である。テクノロジーは非常に強力であって、非常に奥深い意味合いを持っている。それはわれわれの人間性を再定義するかも知れないのである。
国家はこの新興技術に関して研究開発を進め、それを有効に活用することができる労働力を産み出すための教育へ投資をすることによって、さらには、新規企業への投資を行い、突破口を開くことができる独立組織を育てることによって多くの成果を享受することであろう。これらの政策がうまく行けば、バイオテクノロジーにおける当面の指導的国家と肩を並べることができるほどの地位をもたらしてくれるだろう。
故ホーキング教授は素晴らしい人物であった。彼はこの世を去るに当たって、生真面目ながらも非常に基本的な警告をわれわれに与えてくれた。われわれはバイオテクノロジーや人の遺伝子編集が寡占化されることによって起こる将来の脅威をわれわれ自身の責任で無いものとするであろう。

著者のプロフィール: ガンナー・アルソンはニューヨークに本拠を置き、地政学的分析を行い、オンラインマガジンの「New Eastern Outlook」のために独占的に執筆している。
https://journal-neo.org/2018/10/19/the-geopolitics-of-human-gene-editing/

<引用終了>

これで、全文の仮訳が終了した。
故ホーキング教授が抱いていた懸念が具体的に分かった。
過去の歴史を見ると、超富裕者による寡占的な状況は多くの場合残りの一般庶民にとっては悲劇的な影響をもたらしてきた。同教授はそういった状況を避けたかったのだ。これは、まさに、そのための警告である。
冒頭に引用した記事 [1] で報じられているブライアン・マドー氏に施された遺伝子治療からもうじき1年となる。その後の経過が気になるところである。
インターネットを検索してみたら、その後の経過を報じる記事 [3] が見つかった。約2ヶ月前の報道である。「疾病の治療のために人のDNAを改変する試みが初めて行われ、良好な兆候が見られる」と題されている。この記事の要旨を下記にご紹介しておこう。
6人の患者が三つのグループに分けられ、正常な遺伝子の注入量は大・中・小とした。まずは、注入量が「中」と「小」のふたつのグループに遺伝子の注入が行われた。最初の試みでその安全性が確認されたことから、残りの「大」のグループには「小」の10倍の量が処方された。
マドー氏はもうひとりの患者と共に「小」のグループで、指標となる糖分の尿中濃度は4ヵ月後に二人の平均で9パーセント増えた。つまり、細胞中の大分子量の糖分(GAGグリコサミノグリカ)が酵素の作用によって分解され、細胞内から外へ排出されたのである。「中」のグループに所属する他の二人の患者の場合、4ヵ月後に二人の平均でGAG51パーセントも減少した。しかしながら、このレベルの糖分の減少が患者の健康を改善してくれるのかどうかはまだ断言できないという。研究者に言わせると、少なくとも、初期の目標であった本治療法の安全性が確認できた。来年の2月に開催される学会ではさらに新たな知見が公表される見込みである。
ハンター症候群の患者さんに施された遺伝子療法が成功したのかどうかは現時点では断言できないとはいえ、必要な酵素の生産が体内で開始され、GAGの分解が促進され、患者さんの健康状態に何らかの改善が見られるとすれば、それは医療の観点からは大きな進歩であるに違いない。
その一方で、こうした新しいテクノロジーの恩恵が低コストで一般大衆の手に間違いなく届くようにするには、利益の達成を目指し、それを独占しようとする一部の大企業にこれらのテクノロジーが寡占化されてしまうことがないような環境を整備しなければならない。これこそが故ホーキング教授の将来に対する願いであったのだ。
 

参照:
注1A human has been injected with gene-editing tools to cure his disabling disease. Here’s what you need to know: By Jocelyn Kaiser. Science, Nov/15/2017

注2The Geopolitics of Human Gene Editing: By Ulson Gunner, NEO, Oct/19/2018

注3First attempt to permanently change a person’s DNA to cure a disease shows promise: By Marilyn Marchione, Associated Press / USA Today, Sep/05/2018

 

 

 
 

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