民主主義は近年ズタズタになってしまった。今や、政府に対するコントロール権は収入の尺度で言えばその頂点に集まっているほんの一握りのエリートたちだけに集中しており、「それよりも下にいる大多数の人々は実質的には公民権を剥奪されている。もしわれわれが意味する政治的体制(つまり、民主主義体制)においては政策というものは公衆の意思によって著しく影響されるべきものだと位置づけるならば、現行の政治・経済システムは本来の民主主義からはすっかり逸脱したものとなってしまった。しかも、すっかり寡占化されたものになってしまっている。」
改めて考えて見ると、「文明は資本主義の時代を生きながらえることができるか」というチョムスキーの問いかけの言葉は実に重い。現行の資本主義制度が抱えている問題点の本質を突いた言葉であるからだ。
ここに、「金儲け主義が生き残り、人間性は敗退」と題された記事がある(注1)。
本日はこの記事を仮訳して、読者の皆さんと共有しようと思う。資本主義が抱えている課題を学んでおこう。
<引用開始>
富の分配を示す最新の数値を見ると、金儲け主義が生きながらえ、人間性の尊重は敗退の途上にある。
Photo-1: ©
REUTERS/Carlos Barria
世界中の主要な宗教と哲学のほとんどの学派が意見の一致を見ることができるのは人間が持つ強欲の危険性と悪魔性についてである。
不幸なことには、何人かの人たちは強欲に関して合意されている基本的な側面を理解することができない。たとえば、ウォルマート帝国の背後にいる家族、ウォルトン家を取り上げてみよう。金融と通貨に関するウェブサイトであるブルームバーグによると、1時間毎に4百万ドルも金持ちになっている。1時間毎だ!毎週とか毎月ではない。その一方で、彼らの労働者には11ドルの微々たる時間給を払っているだけである。
1時間ごとに4百万ドルもの利益を挙げ、労働者には1時間当たりたったの11ドルを支払うという状況はいったい誰が正当化することができるのであろうか?この地球上にはこれを正当化できる人は誰もいない。心理学的機能の不全者、あるいは、倫理観が完全に欠如した者だけがそのようなシナリオや富のギャップを進歩として捉えることが可能だ。
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billionaires call for new wealth tax; public reacts with instinctive skepticism
そう、そう、われわれは前々から人間らしい活動とか、活力、勤勉な仕事振り、起業家精神とかについて耳にしてきた。しかし、これらは単に金儲けや強欲さを正当化する言葉に過ぎない。公衆の面前には大量の言葉が塵芥のように放出され、世界の現実やその中に存在する真理の居場所を覆い隠してしまう。それは人々が働き蜂として骨身を削って働き、些細な給与のために一生を過ごす場所であるのだが、自分たちは自由であるということを本当に信じ込むようにプログラム化されているのだ。
彼らが自由であるとすれば、それは彼らが貧困に陥ることは自由であり、ホームレスになることも、空き腹を抱えることも、それらの苦労に翻弄されることも自由なのである。それ以上のものでもない。
ウオルトン家の富は今や1,910億ドルに達し、この世界の頂点に立っているが、このような強欲の病に陥った堕落者は彼らだけかというと決してそうではない。菓子業界の巨人、マース家を見たまえ。彼らの富は1,270億ドルだ。膨大な量のマースのチョコレートバー。ワシントンで数多くの政治家に融資を行っている悪名高いコック兄弟はどうか?彼らは現在 1,250億ドルもの財産の山の上に座っている。
ほんの一握りの金持ちが節度を欠くほどに膨大な量の富をかき集めてしまうことを許す社会は腹立たしい程の貧困を夥しい数の市民に強いる社会でもあるという事実を理解するのに経済学の学位なんてまったく必要がない。ましてや、マルクス経済学の理論にどっかりと座り込む必要もない。誰にとっても他人の存在なくしては存在することができない。
今日の米国では貧困の犠牲者は夥しい数に昇る。正確に言うと、約4千万人である。彼らは間違いなく犠牲者である。貧困に関するこのような馬鹿げた話は彼らが自ら招いたものだなんて言わないことにしよう。このような言い草はメディアや政治の領域で影響力のある地位にある超富裕者や彼らのおべっか使いによって絶えることもなく量産されて来たプロパガンダなのだ。
ところで、わたしは超富裕者を刑務所へ送り込めと言っている訳ではない(少なくとも、過剰な程に長い刑期ではない。彼らが自分の考えを真っ直ぐにし、自分自身の人間らしさを介して過酷な労働や再教育にもう一度接することができるだけの時間で十分だ)。私の提案は、むしろ、彼らに課税することだ。つまり、文明とうまく釣り合うような手法による課税であって、公益の観点から彼らの富を再配分することにある。
カール・マルクスはたまたまこれに賛成している(彼のことをご記憶だろうか?)。顎鬚を蓄えた、あの偉大な人物はこう言った。「歴史は公益のために尽力し自己の気品を高めた人物を偉人と称する。もっとも多くの一般市民を幸福にしたとして彼らは称えられるのだ。」
イエス・キリストもこのことを理解していた。彼が両替商を寺院から追い出したのはこれが理由であったのだ。そして、キリストは、マルクスのように、革命家でもあった。読者の皆さんはこの見方には反対だろうか?もしも反対ならば、次のような彼の言葉を考えて欲しい:
「あなたがたいま飢えている人たちは、さいわいだ。満腹するようになるからである。」
「あなたがたいま泣いている人たちは、さいわいだ。笑うようになるからである。」
「しかしあなたがた富んでいる人たちは、わざわいだ。慰めを受けてしまっているからである。」
「あなたがた今満腹している人たちは、わざわいだ。飢えるようになるからである。」
「あなたがた今笑っている人たちは、わざわいだ。悲しみ泣くようになるからである。」
キリストの言葉に耳を傾け、斬新な気分をひととき味わっている中で、この議論に付け加えておきたいことがひとつある。それは初期のキリスト教は当時の共産主義であり、共産主義はわれわれの初期キリスト教であると言う議論だ。キリスト教が現れた当初、あたかも共産主義のようなキリスト教が革命の教義であった。それはローマ帝国という名目の下で数多くの人たちが苦しんでいた深刻な抑圧や貧困と闘うべく現れたものだ。ローマ帝国は人類の進歩というよりも、むしろ、人類の進歩に対する障害と化していたのである。
今日、米国の帝国主義は人類の進歩に対する障害となっている。つまり、米国は強欲や権力、覇権を貪り求める病にすっかり冒されているのだ。
超富裕者のすべてが米国人であるという訳ではない。もちろん、そうではない。ブルームバーグの記事が教えているように、彼らはそれぞれが異なる国籍を持っており、彼らが住む場所は世界中に広がっている。しかしながら、世界を席巻する文化的価値は米国の文化的価値であって、特に、米国の文化的価値こそが超富裕者らの間の価値観となっている。このことに異議を唱える者は果たして居るだろうか?
ところで、共産主義という言葉を言及しただけでも顔を青ざめる人たちに対しては私はお詫びをしたいが、それは消えてしまうこともなく、幽霊として今も残っている。共産主義の考えは、退廃や強欲および人々の金儲け主義と並んで苦難や貧困および人のニーズが存在し続ける限り、消え去ることはないであろう。
哲学者のエリック・フロムは常に物事の本質にまで掘り下げることができる信頼すべき人物である。彼は「金儲け主義は底なしであって、自分のニーズを満たすために無限の努力をさせる。しかしながら、満足感に到達することは決してない」と述べている。次回にウオールマートへ行く機会があったら、ウオルトン家のことを考えてみて貰いたい。1時間当たりに4百万ドルという金額はかっての価値を持ってはいない。
著者のプロフィール: ジョン・ワイトは、インデペンデントやモーニングスター、ハフィントンポスト、カウンターパンチ、ロンドンプログレッシブジャーナル、および、フォーリンポリシージャーナルを含めて、多数の新聞やウェブサイトに寄稿している。
注: この記事で述べられている見解や意見はあくまでも著者のものであって、必ずしもRTの見解や意見を代表するものではありません。
<引用終了>
これで全文の仮訳が終了した。
ノーム・チョムスキーと引用記事の著者であるジョン・ワイトの両者は同じことを述べている。飽くことなく追及される金銭欲はわれわれの孫の代には環境をすこぶる悪化させてしまうであろうとノーム・チョムスキーは予測し、金儲け主義が優先されるあまりに人間性の尊重は置き去りにされてしまうであろうとジョン・ワイトは言う。
21世紀の西側世界は資本主義の限界に到達したかのようである。そうかと言って、資本主義に変わる新しい経済システムはあるのだろうか。当面は資本主義と民主主義との組み合わせが続くことになろう。
超富裕者の富に課税し、彼らの富の一部を社会に還元するという考えが今米国で提唱されている。しかも提案したのは18人の超富豪たちである。その中にはジョージ・ソロスの名前も見られる。彼らは2020年の大統領選候補者宛にこの提案を公開書簡として送付した(An Open Letter to the 2020 Presidential Candidates: It’s Time to Tax Us More: Jun/24/2019)。
「アメリカには裕福な者に対してさらに課税するための道徳的で倫理的、ならびに、経済的な責任がある」と主張している。さらに、「富裕税は、気候変動への対処や経済の回復、医療制度の改善、公平な機会の創出、そして、民主主義的自由の強化を助けられるかもしれない。富裕税の導入は、我々の社会の利益のためだ」と述べている。
この提案が果たして超富裕者の総意となり得るのかどうかは私にはまったく見当がつかない。
米国の超富裕者の実態を学ぶために、米国税庁が公表した2016年度の連邦税に関する個人納税者のデータを覗いてみよう。その概要は次のような具合だ:
― 納税者総数:140,900,000人
― 納税総額:1.4兆ドル(前年比で0.8%減)
― トップ1%の納税総額の全体に占める割合:37.3%
― トップ1%の納税総額:1.4兆ドル x 0.373 = 5,222億ドル
― トップ1%の総納税額の割合(37.3%)は下位90%の総納税額(30.5%)よりも多い
― トップ1%の税率は26.9%で、下位50%の税率は3.7%
18人の超富裕者が提案した富裕税はトップ1%の1%を対象としている。人数的には14,090人となる。大雑把に言って、富裕税の導入が実現するかどうかはこれら富裕者の半分以上が賛成してくれるかどうかである。導入に反対する富裕者が多ければ、議員を何らかの形で買収し、立法化を阻止するロビー活動のための財源はいくらでも捻出することが可能であろう。
しかしながら、一般大衆の多くは懐疑的であって、この提案を胡散臭い提案として受け止めているようだ。
来年の大統領選でこの提案を新政策として受け入れる候補者が現れるのかどうかが見ものである。
参照:
注1: Latest wealth figures: Greed is winning and
humanity is losing: By John Wight, Aug/12/2019
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