英国のバークレイズ銀行は銀行間取引金利(Libor)を不当に操ったとして制裁を受け、巨額の制裁金(2億9千万ポンド、これは邦貨で351億円に相当)を支払うことになったと報道されている。バークレイズ銀行はさらに民事訴訟の費用として6億2600万ポンド(邦貨で757億円強)もかかるとのことだ。資産規模が最大規模の銀行はすでに不適切な保険販売による消費者への補償で69億ポンド(邦貨で8349億円)を計上しているという。
バークレイズ銀行の経営陣が短期的な利益を追求した結果のスキャンダルである。
さらに、英大手銀行のHSBCが、マネーロンダリング(資金洗浄)を防ぐ義務を怠った疑いで米上院の調査委員会に出席することになった。
これを受けて、英ファイナンシャル・タイムズ紙は7月13日の社説[注1]で「銀行業は基本的に公益事業だ。リテール業務でも投資銀行業務でも銀行の社会的な機能は、余分な貯蓄やリスク耐性がある人々から、投資を賄ったり生計を守ったりする必要がある人々に資本を回すことだ。...これまでに明らかになった事実は、通信網や道路網と同じくらい現代社会にとって不可欠な産業が、公益事業の機能を適切に維持管理していないことを示唆している。銀行が改善に取り組まないのであれば、議員らが銀行に改善を強いるだろう。」と指摘している。
私がこの記事で注目したのは、「銀行が改善に取り組まないのであれば、議員らが銀行に改善を強いるだろう」という点だ。英国議会がバークレイズ銀行やHSBCの頭取や会長に対して厳しい調査を行うことになるだろうという。主要メデイアが銀行経営陣のモラルの低下について批判をしている点だ。公益事業としての性格が非常に強い銀行業において経営者が目先の業績を追う余りに一般消費者や小売業といった顧客の利益を忘れてしまっては困ると糾弾している。
こういった大手銀行の不正行為は決まってそのツケが最終的に一般消費者に回ってくる。
この銀行間取引金利にまつわるスキャンダルは英国内だけに留まることなく、米国にも波及した。ウォール街が経験した最悪の事態になりつつあるとのことだ。何百万も消費者ローンの金利が上記の銀行間取引金利に基づいて決定されているからだ。政治的な声を挙げることができない庶民を代表して国会議員がいる。そして、メデイアがある。ファイナンシャル・タイムズ紙は国会議員たちが本来の仕事をしてくれるだろうとキャンペーンをしている。
英国では金融業は最大の産業だ。もし、英国の金融業が市場や消費者の信頼感を失えば、その時の英国の損害は取り返しもつかないようなものとなるだろう。英国はヨーロッパの片隅に埋没してしまうかも知れない。金融業界の一・二を争うバークレーズ銀行やHSBCに対して「ビジネスモラルが低下した」として英国議会がそれを是正しようとする。メデイアがキャンペーンをする。金融システムをもう一度見直そうとしているのだ。そこには「銀行業務はそもそも誰のためのものなのか」、「消費者や小売業の日常生活を支える公益事業ではないのか」という健全な政治的信念がある。
このファイナンシャル・タイムズ紙が銀行業務に付した性格付けは日本の電力業界にもそのまま当てはまる。つまり、「電力会社の業務は基本的に公益事業だ。発電所や民間の発電施設で生産された電力をそれを必要とする製造業や消費者に届けることだ」と。
一年4ヶ月前に起こった東京電力福島第一原発の炉心溶融事故を振り返ってみよう。
「福島第一原発の炉心溶融事故の根源的要因は『人災』であって、政府、規制当局、東電には命と社会を守る責任感が欠如していた」と、国会の事故調査委員会は報告した。つまり、英ファイナンシャルタイムズ流に言うと、「これまでに明らかになった事実は、通信網や道路網と同じくらい現代社会にとって不可欠な電力会社が、公益事業の機能を適切に維持管理していないことを示唆している。電力会社が改善に取り組まないのであれば、議員らが電力会社に改善を強いるだろう...」と。
最大の問題は、日本の立法府が公益のために信念を持って国民生活を向上させようと動いてくれるかどうかだ。メデイアが真にキャンペーンをしてくれるかどうかだ。
日本政府は活断層の真上に設置されていることが判明した大飯原発3号機について活断層の再調査も行わずに原発は安全だと宣言し、再稼動させる決断をした。一方、立法府には与・野党を問わずこれに賛成できない議員が少なからずいたようだが、残念ながら政治的に纏まった声とはならなかった。
政府主催の公聴会を地方で開くと、政府の言いたいことを代弁するかのような発言者が前もって予定されていたりする。いわゆる「やらせ」だ。行政側は「公聴会」という美名の下でゴリ押しをする。形をつけるだけで、実質的に国民の意見を聴く意思があるのかどうかはなはだ疑問である。最初から結論が決まっているかのごとき進め方だ。
原発事故の直後、政府や原子力安全保安院および東電は「想定外の津波」という言葉を頻繁に使った。これは事故調査委員会が「人災だ」と結論するまでも無く、大方の国民には詭弁としか聞こえていなかったのではないか。責任逃れもはなはだしい。ここにはビジネスモラルの欠如がはきりと見て取れる。
事故調査委員会の報告書は福島原発は「人災」だと報告した。この指摘を受けて、電力会社の経営陣は自社のビジネスモラルを改善する動きをしているのだろうか。東電の内部には社内風土を刷新しようとする動きがあるのだろうか。経産省には原点に戻って福島原発事故を教訓として受け止めようとする真摯な姿勢があるのだろうか。
我々国民は原子力安全保安院が原発の安全性を確保する上でかくも無能な集団であるとは思ってもみなかった。電力業界に対してご意見番の立場にある原子力安全保安院が電力業界とつるんでいた。いわゆる「原子力村」を形成していたのだ。規制当局の立場にある原子力安全保安院が原発を促進する側の資源エネルギー庁とともに経済産業省の傘下にあった。この仕組みは2007年に国際原子力機関(IAEA)からも是正を求められらていたが、政府は「原発の安全神話」にどっぷりと浸かって、IAEAの忠告を無視した。これは、政府を始めとして原子力村が国際的な常識を理解しようともしなかったということだ。
今、原子力安全保安委員会に代わって原子力規制委員会が設置されようとしている。この原子力規制委員会の設置および運営に当たっては、原子力村の古い柵から脱却できるのだろうか。既に、その人選には批判の声もあがっている。
新たに発足する原子力規制委員会の運営については、最も基本的なルールは各委員に対して産業界とは完全に一線を画し、業界からの独立性を保つよう義務付けることだ。これが今最も必要だと思う。この業界との慣れあいに対する規制がなかったら、新しい原子力規制委員会を発足させる価値は全くないと思う。
これが出来ないならば、マグニチュード9の地震がおこり、14メートルもの巨大な津波が原発を襲うかも知れない環境にあって、日本という国は原発のような高リスクのシステムを安全に運営する能力がないということに他ならない。原発の周辺あるいは風下に住む何十万、何百万の住民の命と健康を守ることができないということだ。
政府は東電の家庭向け電気料金の値上げについて承認した(7月25日)。9月1日から8.47%の値上げが実施されるという。政府の軸足はあくまでも産業界にあって、一般国民を完全に無視した決断だ。未曾有の事故を起こし、事故の内容が十分に検証もされず、調査委員会の報告書に関して十分な説明も行わず、東電の責任も追求せずに、電気料金だけが値上げとなった。そして、他の電力会社もこの値上げに便乗しようとの動きだそうだ。東電のモラルの低さが招いた原発事故のツケが、案の定、最終的に消費者に回ってきたのだ。この全体の流れはとても民主的とは言えない。
選挙制度、参政権、民主主義といった言葉は数十年も耳にしているのだが、民主主義が本当に日本に定着したと言えるのだろうか。大飯原発3・4号機の再稼動のプロセスを見ると、原発周辺の住民のために政府が真に安全性を確保した上で再稼動を決意したとはとても思えない。
昨日も今日も幸いにも大きな地震もなく無事に過ごした。国民の大多数は「しかし、明日はどうか」といった不安を拭え切れないままでいるのではないか。
遅かれ早かれ、総選挙の日がやってくる。究極的には、選挙民である我々個々人が明確な意思を持つことだ。そうしない限り、次世代やさらにその先の世代に美しい日本、住みやすい日本を残すことはできそうもない。
参照:
注1:「不祥事続出する銀行のお粗末な舞台裏」(ファイナンシャル・タイムズ紙の7月13日付け社説)、2012年7月17日に日経に転載。
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