東京新聞の9月22日版に大変興味深い記事がある。題して「原発ゼロ「変更余地残せ」 閣議決定回避 米が要求」[注1]。
この記事を部分的に引用すると、
....野田内閣が「2030年代に原発稼働ゼロ」を目指す戦略の閣議決定の是非を判断する直前、米政府側が閣議決定を見送るよう要求していたことが21日、政府内部への取材で分かった。米高官は日本側による事前説明の場で「法律にしたり、閣議決定して政策をしばり、見直せなくなることを懸念する」と述べ、将来の内閣を含めて日本が原発稼働ゼロの戦略を変える余地を残すよう求めていた....
....「原発ゼロ」を求める多数の国民の声を無視し、日本政府が米国側の「原発ゼロ政策の固定化につながる閣議決定は回避せよ」との要求を受け、結果的に圧力に屈していた実態が明らかになった。「原発ゼロ」を掲げた新戦略を事実上、骨抜きにした野田内閣の判断は、国民を巻き込んだこれまでの議論を踏みにじる行為で到底、許されるものではない。
意見交換の中で米側は、日本の主権を尊重すると説明しながらも、米側の要求の根拠として「日本の核技術の衰退は、米国の原子力産業にも悪影響を与える」「再処理施設を稼働し続けたまま原発ゼロになるなら、プルトニウムが日本国内に蓄積され、軍事転用が可能な状況を生んでしまう」などと指摘。再三、米側の「国益」に反すると強調したという....
日本政府の原子力政策は米国の言いなりである。
ここで何と言っても一番興味深いのは、今回なぜ米国は日本の原発ゼロに圧力をかけてきたのかという点だ。それは日本の核技術が衰退すると、米国の原子力産業自体にも悪影響を与えるからだ。その一方で、日本ではプルトニウムの備蓄が進んでおり、将来核兵器の生産に繋がりかねないとの懸念を抱いたのだ。
この新聞記事は今でもインターネットで容易に検索できるので、まだ読んではいない方々には一読をお勧めしたい。
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もうひとつの報道も見逃せない。それは10月3日の共同通信の報道記事[注2]だ。米国は日本がプルトニウム保有量を最少化するように要求している。
....原発ゼロを目指す一方、使用済み燃料の再処理を継続する「革新的エネルギー・環境戦略」を打ち出した日本政府に対し、米政府が、再処理で得られる核物質プルトニウムの保有量を「最少化」するよう要求していることが3日、分かった。核兵器に使用できるプルトニウムの消費のめどが立たないまま再処理路線を続ければ、核拡散上の懸念が生じるため、米側は、再処理を認めた日米原子力協定の「前提が崩れる」とも表明した。日米両政府の複数の当局者が明らかにした....
ここに述べられた「核拡散上の懸念」とは、核兵器に使用できるプルトニウムが原発や再処理施設に山積みされているとテロリストによる攻撃の対象となったり、最悪の場合、日本から海外に持ち出された場合は米国自身がテロの脅威を直に受けることになりかねない、といった懸念を指しているのだと思う。
日本はプルトニウム生産に関して数値の辻褄が合わなかった前歴がある[注3]。2003年のことだ。東海村の再処理施設で1977年から2002年までの期間に6.9トンのプルトニウムが分離された。しかし、実測されたプルトニウムの量は然るべき数値よりも206キロも少なかった。さらに調査をした結果、日本政府は説明がついてはいなかったプルトニウムが何処へ行ったのかについては殆ど説明できると主張し、その差は59キロにまで減った。しかし、この59キロという数値は依然として原爆7個分にも相当する量だった。
腕のいい原爆設計者ならば、4-5キロのプルトニウムで十分だとも言われている。その場合は、原爆11-14個分にも相当することになる。
数値の辻褄が合わなくなった事例については、2003年以降においてさらに正確な数値が導き出されたかどうかについて私は知る術もない。これは単なる数値の間違いだったのだろうか。それとも、59キロのプルトニウムが実際に行方不明のままであったのだろうか。しかし、原爆7個分、あるいは、11-14個分という数値は決して無視できる量ではないことは確かだ。これは北朝鮮の2-3個の原爆の開発について神経質になっている日本人にとっては、北朝鮮のケースの何倍にも相当することから、直ぐに理解できる内容だ。
しかし、日本が保有する核兵器に使用することができるプルトニウムの全体量を見ると、それは頗る大きいのだ。
9月11日の日経の報道[注4]によると、
....内閣府原子力委員会は11日、日本が国内外に持つ核分裂するプルトニウムの量が2011年末時点で前年比0.5トン減の29.6トンだったと発表した....内訳は海外で保管している分が23.3トン、国内分が6.3トン。プルトニウムは核兵器に転用される恐れがあるため、各国は自国の保有量を国際原子力機関(IAEA)に毎年報告している....
この29.6トンは、原爆1個を製造するのに8キロのプルトニウムを必要とする場合、3,700個分に相当する。国内で保有されている核分裂性のプルトニウムだけを対象にしても、6.3トン(詳しくは6,316キロ)のプルトニウムは789個の原爆に相当する。膨大な量だ。
使用済み燃料の再処理を継続し、原発ゼロの状態が続き、MOX燃料としてプルトニウムが消費されないままでいると、この29.6トンに対してさらにプルトニウムが追加されていくことになる。とにかく、使用済み燃料はすでに山ほど蓄積されているのだから。使用済み燃料中にある未分離のプルトニウムの総量は2011年末で152トンと報告されている。
この状況が米国の懸念を呼んだということになる。
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「米国からの圧力」といった流れで見ると、目を通しておきたいもうひとつのブログがある。米国からのブログ(今年4月11日付け)だ。その表題の仮訳を示すと、「原子力発電はコストが高く、環境にもよくはないが、原爆の製造に好都合だったから原発は今まで推進されてきた」[注5]というもの。
原発はあくまでも民生用・平和利用のためであり、資源小国の日本にとっては大切なエネルギー源であるとして、軍事利用との境界線、あるいは、核兵器への転用といった言外の意味についてまではまったく注意を向けないまま毎日を過ごしてきた殆どの日本人(小生もまさにその一人であるのだが)にとっては、この表題はかなり刺激的だと思う。
その要旨を下記に示す。
「国家安全保障ニュースサービス(NSNS)」の調査結果によると、1980年代以降、米国は日本が原爆製造プログラムを立ち上げることができるように、「核エネルギー」だ、「宇宙開発」だと称して秘密裏に日本を支援してきた。米国の最高機密レベルの核兵器設備に対して日本がアクセスすることを米国政府は意図的に許し、米国の研究成果を日本へ提供した。こういった米国からの支援は、日本の兵器製造プログラムに転用される恐れがある核材料の管理面について言えば米国は自国の国内法を何回となく侵害することになった。また、NSNSの調査の結果、CIAの報告書によれば米国は日本が1960年代から極秘核兵器プログラムを保持していたことについて熟知していたことが判明した。さらには、日本は1980年代以降70トン余りの兵器グレードのプルトニウムを蓄積した。
さて、上記の「70トン余りの兵器グレードのプルトニウムを蓄積した」という記述は、上述の29.6トンとは大きく異なる。この違いは何処から来たものだろうか?残念ながら、私自身はまだ精査ができてはいない。
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核拡散についてはもうひとつの事例として、イランに関してもおさらいをしてみたい。
イランが保有しているとされる濃縮ウランは19.75%濃度の段階であって、現在の保有量は93.1キロである。しかし、19.75%ではイスラエルが恐れる核兵器レベではない。まだ中間の段階だ。核兵器用としては通常90%以上に濃度を高めなければならないという。ウラン原爆の臨界量は砲身起爆方式を使った場合、100%濃度で22キロだという。19,75%濃度のウラン93.1キロを90%に濃縮すると、20.4キロとなる。まだ、1個分の必要量(90%濃度では24.4キロ)にも満たない量だ。
また、政治的に最も大切な点はイラン政府が核兵器を保有しようと政治的決断を下したかどうかであると言われている。目下のところ、西側の報道によると、イラン政府はそのような決断には至ってはいない。
一方、日本の外務省の政策企画委員会は、1969年に「わが国の外交政策大綱」[注6]をまとめた。その中で核兵器政策については、第II章「分野別政策」、第1節「安全保障に関する政策」、第(9)項で次のように述べている。
....核兵器については、NPT(核不拡散条約)に参加すると否とにかかわらず、当面核兵器は保有しない政策を採るが、核兵器製造の経済的・技術的ポテンシャルは常に保持するとともに、これに対する掣肘を受けないよう配慮する。また核兵器一般についての政策は国際政治・経済的な利害得失の計算に基づくものであるとの主旨を国民に啓発することとし、将来万一の場合における戦術核持込に際し無用の国内的混乱を避けるよう配慮する....
これは第二次佐藤内閣の頃だ。すでに「核兵器製造」という言葉が使われている。日本政府の論理は核兵器を保有すると決断するまでは、その可能性の根幹として原発を維持すると述べている。原発の存在と核兵器を持つこととが不可分視されていることが良くわかる。この姿勢が今日まで継続されているのだ。
イランは日本が保有するプルトニウムについて批判的だ。なぜ批判的なのかは、上記で検証したように日本が保有する核兵器として使用できるプルトニウムの絶対量をみれば誰でも納得できると思う。イラン政府は不条理を感じているのだ。
イランも日本も核兵器を保有するとは決断してはいない。ただ、そのための技術的な潜在能力は保有し、さらに改善しておきたい。この点にイランと日本との間に政治的相似性が存在することがよくわかったと思う。
では、何故イランはこうも国際社会から敵視されているのか。それは中東におけるイスラエル対イスラム世界の関係という地勢的な状況に他ならない。イスラエルは1973年の第4次中東戦争以降は中東地域での軍事的覇権国である。
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宇宙開発について言えば、日本が人工衛星を打ち上げ始めたのは何年前だっただろうか。あれも、民生用衛星の軍事への転用という観点から見ると、気象衛星や情報収集衛星の打ち上げに使われたロケットは核弾頭の運搬手段ということになる。
北朝鮮のテポドンの発射実験の成功(1998年)を受けて、日本では偵察衛星の保有が日本の国土安全保障上の喫緊の課題となった。しかし、日本の衆議院が1969年に全会一致で可決した「宇宙の平和利用に関する衆議院決議」では「宇宙に打ち上げられる物体及びその打上げ用ロケットの開発及び利用は、平和の目的に限る」と明言していることから、1985年に出された「一般的に利用されている機能と同等の衛星であれば(軍事的に)利用することは可能」とする「一般化原則」の政府統一見解に則って、1998年に大規模災害等への対応もできる多目的な「情報収集衛星」を事実上の偵察衛星として保有することが決定された。(ウィキペディアから)
この情報収集衛星あるいはスパイ衛星の分野では民生用と軍事用との間にはもはや境界線が存在しないということが良くわかる。
このような現状にあることからも、ひとつのエピソードに注目してみたい。2007年1月、中国が地上850キロを周回している自国の気象衛星を中距離ミサイルで破壊した。これを見て、米国は度肝を抜かれた。例えば、通信衛星を破壊されると日常生活と軍事活動が麻痺してしまう可能性があるからだ。現金自動受払機から携帯電話、株式のオンライン取引、カーナビ、天気予報、船舶の航行、等。たとえ民生用の衛星の破壊であっても大変なパニックをひき起こすことが予測される。特に、軍事面では衛星への依存度は計り知れないのだ。通信衛星の破壊は、その手法がソフト面、あるいは、ハード面を対象としたものかどうかとは無関係に、サイバー戦争における重要な戦術であることは確かだと思う。米国がこの中国の実験によって自国の軍事的優越性の一部を削がれたと判断しても不思議ではない。
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注5として紹介した「原子力発電はコストが高く、環境にもよくはないが、原爆の製造に好都合だったから原発は今まで推進されてきた」という表題には、「原爆の製造に好都合だったから」という表現がある。
しかし、好都合だったのは米国にとってだったのか、それとも日本にとってだったのかは明確に記述されているわけではない。多分、両者にとって好都合だったのだろう。しかし、日本の原発推進派の政治家にとっては特段に好都合だったに違いない。歴代の政治家は皆が核兵器への転用を二番目の目的として極秘裏に抱いていた。「平和利用」という美名の下で原発を推進することができたことから、二番目の目的を表に出す必要がまったくなかったことは非常に好都合だったに違いないと思う次第だ。
原発の存在が核戦略上で何らかの抑止力としての効果を与えるとする考えを抱いた原発推進論者にとっては、尖閣諸島問題で中国と日本とが緊張関係を続けてくれていた方が日本の防衛政策を核武装の方向へ誘導する上で好都合だと見ているのではないだろうか。彼らは、日本を核武装をする方向へ持っていきたいのだ。また、北朝鮮による日本人拉致事件も早急に解決してしまっては彼らにとってはあまり良くないのかも知れない。それは何と言っても北朝鮮との対立軸を鮮明に維持していた方が日本の核武装化には好都合であるからだ。
中国はアジア地域において政治的、経済的、ならびに軍事的にダントツとなって、遅かれ早かれアジア地域における覇権国になっていくだろう。その方向性はすでに確立されていると言えるのではないか。その場合、日本が中国と敵対関係を継続していくことは、貿易立国としての日本にとってはもはや最善策ではなくなるだろう。敵対関係を続けようとすればするほど、日本は最終的に今のイスラエルに対するイランの関係みたいな状況に追い込まれる可能性があると思うからだ。これを回避するためにはどのような選択肢が存在するのか、どの方向を取るべきかについて今から真剣に考えておく必要があるのではないか。
またもや原発の話になってしまった。それほどに、福島原発事故は私らのようなごく普通の日本人に強烈な影響を与えたということのようだ。また、原発を理解しようとすればするほどその広さに驚かされる。この際、ひとつひとつを拾い上げてその関連事項や背景を少しでも多く、そして、少しでも深く理解していきたいと思う。
参照:
注1:原発ゼロ「変更余地残せ」 閣議決定回避 米が要求:東京新聞、2012年9月22日
注2:【日本はプルトニウム保有最少化を】米、新戦略の矛盾指摘 原子力協定「前提崩れる」 改定交渉に影響も:共同通信、2012年10月3日
注3:Japan’s Nuclear Ambitions:Citizens' Nuclear Information Center, 2009, www.cnic.jp/english/topics/proliferation/articlesetc/japannuke.html
注4:プルトニウム保有量、3年連続減少 11年末29.6トン:日本経済新聞、2012年9月11日
注5:Nuclear Power Is Expensive and Bad for the Environment … It’s Being Pushed Because It Is Good For Making Bombs:by Washington’s Blog, April 11, 2012
注6:わが国の外交政策大綱:外務省政策企画委員会、1969年9月25日
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