しばらく前の投稿(2018年9月15日の「米国の崩壊を見ている思いがする」)では以下のようなことを書いた:
「米国だけが軍事大国であると信じる中、無頓着な米国人が見い出す安全保障の姿はどう見ても無知そのものでしかない。クラリティ・プレスから出版されたアンドレイ・マルティアノフの新刊書は米国はせいぜい二流の軍事大国でしかなく、あの間抜けなNATO加盟諸国と共に、ロシアには意のままに、かつ、徹底的に破壊されてしまうだろうと述べている。NATOの加盟国は個々には軍事的に不能である。ロシアが馬鹿馬鹿しい非難や馬鹿馬鹿しい脅かし、あるいは、自分自身の傲慢さに酔いしれて完全に劣等な軍事力を宣伝する馬鹿馬鹿しさ、等に嫌気をさした暁には、現在の軍事力の相関関係において言えば、たとえ西側世界の1インチ平方の土地を救おうとしても西側は何もすることができないであろう。」
これは米国の著名な論者、ポール・クレイグ・ロバーツの言葉だ。彼は米国の一般大衆が如何に完璧に洗脳されているかを指摘し、現実の理解については非常に無頓着である現状を嘆いている。
米軍が有する軍事力は世界でもダントツであるとされている。少なくとも大手メディアが報じるニュースの端々に現れる米軍を描写する際に使われる形容詞を見る限り、われわれ一般大衆は「その通りだ」と思ってしまう。何故かと言えば、その主張を覆すような見解や意見が報道の檜舞台にはほとんど現れて来ないからだ。
そして、そういった独自の見解(つまり、企業メディアの顧客の利益を忖度することのない見解)は多くの場合代替メディアでしか入手できない。代替メディアで特定の記事を入手するには、読者自身が情報を検索し、選択しなければならないという過程がついてまわる。われわれ一般大衆にとってはこれが大きな障害物になる。
しかしながら、ここに凝り固まった頭をほぐすのにうってつけの記事がある [注1]。
この際、歯に衣を着せずに論じる専門家の見解をおさらいしておこう。より客観的な理解ができるようにわれわれ自身を少しでも多く、そして、少しでも正確に啓蒙することができるのではないか・・・と思う次第だ。
本日はこの記事を仮訳して、読者の皆さんと共有したいと思う。
<引用開始>
このテーマは元々は2015年7月にアンズ・レビュー(Unz Review)にて出版されたものだ。しかし、ここで、もう一度この記事を流そうと思う。過去2週間というもの、ロシアとNATOとの間では酷く困難な状況が表面化しているからだ。何と言っても、「セイカー」はこの種のテーマにおいてはダントツである。[訳注: この記事が流されたのは今年の3月26日である。その3週間余り前の3月1日、プーチン大統領はロシア連邦議会で演説を行い、その際にロシアが開発した最先端ミサイルに言及した。これは対空防衛システムでは対応できない極超音速で飛行するミサイルであって、他国は何処も所有してはいない新兵器であると言明した。言わば、2018年3月は東西の軍事バランスが大きく変貌した時期である。このことを念頭に置いて、本投稿を読み進めていただきたいと思う。]
この記事を書いてからというもの、ロシア軍の能力は強化されるばかりである。最新鋭の武器システム、高揚した戦意、シリアでの実戦経験、等がそうさせているのだ。
Photo-1: ロシア軍空挺部隊 - モスクワ緊急展開部隊
最近のアンズ・レビューの記事で私は「想定可能なあらゆる状況においてロシアは国家としての米国を30分で壊滅させることができる(もちろん、米国もロシアに対してまったく同様の状況をもたらすことができる)。米国の戦争計画者は誰もがロシアに対する軍事的行為は急速に拡大する可能性があることを配慮しなければならないだろう」と書いた。
しかし、両国の何れもが、戦術用核兵器を含めて、核兵器を使用する気はないと想定するならば、この想定はロシアは軍事的には依然として米国に挑戦することができるのではないかという新たな論点をもたらす。何らかのマジックによって、すべての核兵器が消えてなくなったとしよう。その場合、ロシアと米国との間の軍事バランスはいったいどのような状況になるのだろうか?
数字いじりは何の意味も成さない。それはどうしてか:
この種の疑問に対する典型的な答えは米国の戦争計画者は「数字いじり」と呼ばれる手法に頼ることになる。典型的には、ジャーナリストは毎年発刊される「IISS軍事バランス」または「グローバル戦力」ならびに両国が公表する兵士、主力戦車、装甲型兵員輸送車、歩兵部隊用戦闘車両、戦闘機、重砲、爆撃機、ミサイル、艦船、潜水艦、等の一覧表を頼りにする。
しかし、現実には、そういった数字いじりはまったく何の用も成さない。単純な事例を取り上げてみよう。中国とロシアとの間で戦争が始まったと仮定してみよう。中国は雲南省に1000台の戦車を有しているとする。これらの戦車はこの戦争には何の意味ももたらさない。何故かと言うと、余りにも遠距離に位置しているからだ。この警告を米ロ間の通常兵器による軍事バランスに当てはめた場合、われわれは直ぐにも下記に示すふたつの基本的な論点に到達することだろう:
a) 全世界に散らばっている米軍の中ではいったいどの部隊が米国の対ロ戦指揮官に直ぐに入手可能となるのか?
b) この部隊はどれだけの量の補強を必要とするのか?補強の人員や物資はどれだけ迅速に戦場に配備することが可能か?
戦車や爆撃機、兵員、重砲は単独では戦えないことを念頭に置いておこう。つまり、これらは理論的には皆が一緒になって「連合部隊」戦と呼ばれる形で戦う。たとえ米国がXの数量の兵員を地点Aに配することができるとしても、戦闘で彼らを支援してくれる他の連合部隊の構成部門が到着しない限り、彼らは敵の餌食となるだけである。
更には、如何なる戦闘部隊も大規模な兵站・補給の取り組みを必要とする。航空機Xを無事に地点Aに配したとしても、ミサイルやメンテナンス機器、メンテナンス要員が現地にいなければ、その航空機は役に立たない。装甲車両部隊は大量の燃料、オイル、潤滑剤を消耗することで良く知られた存在だ。ある試算によると、1991年、米装甲車両部隊はたった5日間持ちこたえただけであった。 その後は、大規模な補給作戦が必要となった。
最終的に、米国がある戦力を地点Aから地点Bへ移動した場合、その戦力は地点 Aで割り当てられていた通常任務を遂行することができなくなる。「地点A」は中東あるいは極東アジアであるかも知れない。そのことを念頭に置くと、この問題は米指揮官にとっては頗る困難な意思決定となるであろうことはあなたにも容易にお分りいただけるだろう。
「重装備の」戦争行為:
米国には「砂漠の盾作戦」をどのように戦ったかという好例がある。この大規模作戦ではイラクを攻撃するために必要な兵力を集約するために米国にとっては6か月もの前代未聞の兵站の取り組みが必要となった。
さらには、サウジアラビアは(いわゆるカーター・ドクトリンに準拠するために)そのような大規模部隊を受け入れるための準備を何十年間もかけて行っていた。さらには、米国の取り組みについてはサダム・フセインからの反撃はまったく無かった。ここで、下記の問い掛けをしていただきたい:
a) ロシアとの戦争の場合、ロシアの周辺国にはサウジアラビアのようにインフラを整え、事前にさまざまな装備を集積し、広大な基地や滑走路、深い港湾、等を有する国がいったいあるだろうか?(答:無い)
b) ロシアが何の対処もせずに米国に6か月もの戦争準備期間を与えてくれるだろうか?(答:そんなことはあり得ない)
戦争はすべてが砂漠の嵐作戦のように「重装備の」シナリオで展開するという考えには誰かが反論することだろう。米国が米国自身とNATOの緊急展開部隊だけを使って、非常に「軽装備の」軍事介入を行う場合、その展開は果たしてどうなるであろうか?
軽装備の(または、緊急展開による)戦争行為:
ここで、私は昨年の12月に書いたことを繰り返しておこうと思う。
ロシア人はNATOが誇示する軍事的な脅かしには何の恐怖感も持たない。最近のNATOの動き(中央ヨーロッパにおける新たな基地や兵力、多額の費用の投入、等)に対して見せる彼らの反応としては、これらの行為を挑発的であるとして非難するが、ロシア政府の要人は誰もがロシアはこの種の軍事的脅威に対応することができると言う。
ロシアのある議員はこう述べている。「五つの緊急展開揺動作戦グループが行動を起こしたとしても、われわれは一発のミサイルで解決することが可能だ。」 非常に単純化されてはいるが、本質的には正しい数式だ。
前にも私が言ったように、ロシア空軍を倍に拡大し、エリート軍団である第45特殊空挺部隊を旅団サイズに拡張するという決断はすでに実行されている。ロシアは自国の移動可能な(空挺)部隊を36,000人から72,000人に拡張することによって、NATOが10,000人強の部隊を作ることに対して先手を打ったとも言える。
まさにこれは典型的なプーチンの対応だ。NATOがファンファーレを鳴らし、花火を打ち上げて特殊緊急展開部隊の創設を発表する間に、プーチンは静かにロシアの空挺部隊を72,000人に倍増する。
私が言うことを信じて貰いたいのだが、戦闘慣れしたロシア空挺部隊は、快楽主義的で、戦意が低く、多国籍軍(28ヵ国)で構成される5,000人のユーロ軍団に比べると、その戦闘能力は遥かに高い。ユーロ軍団についてはNATOがひとつの部隊にしようとして懸命に注力している最中だ。 米司令官らはこのことを良く承知している。
言葉を代えて言えば、「軽装備」または「緊急展開」による戦争行為ではロシア軍が秀でており、米軍やNATO軍が優位性を実現できるるような場ではない。それに加えて、もしも「軽装備の戦争行為」が計画よりも長期化し、「重装備」の戦争に切り換えざるを得なくなったとしたら、米国またはロシアのいったいどちらが自分たちの重装備部隊をより近くに持っているのだろうか?
衝撃と畏怖:
もちろん、米国の指揮官には他にも可能な戦争モデルがある。つまり、「衝撃と畏怖」作戦だ。これは爆撃機による爆撃で支援されたクルーズミサイル攻撃である。この手法については、私は苦も無く反論を述べることができる。ロシアに対する爆撃はイラクの爆撃とは比べ物にはならない。ロシアの対空防衛能力は地球上でもっとも有能であるからだ。
あるいは、私としてはこうも言える。米国は民間人を爆撃する際には素晴らしい成功の記録を有しているが、コソボにおけるセルビア軍の場合のような軍隊に対する攻撃では惨憺たる失敗に終わっている。
[補足: 米国・NATOが78日間にわたって行った連続攻撃では1,000機を超す航空機が参画し、38,000回以上もの出撃が行われたが、あれはいったい何を達成しようとしたのだろうか? 10機かそこらのセルビア軍の航空機が破壊された(それらのほとんどは地上にあったものだ)。20何台かの装甲型人員輸送車やタンクが破壊され、1,000人超のセルビア兵が殺害され、負傷を負った。
これらは13万人のセルビア兵、80機を超す航空機、1,400台の重砲、1,270台のタンク、825台の装甲型人員輸送車(ウィキペディアから収録)に対する数値だ。第3セルビア軍団はこの大規模な爆撃からはまったく無傷のままで残った。これは空軍の大失敗として歴史に名を残すであろう!]
しかし、たとえ米軍がどうにかこうにか「遠隔地での」戦争行為に成功したと見なしたとしても、その作戦がロシア軍に深刻な影響を与え、ロシア国民の戦意を喪失させることになるとでもお思いだろうか? レニングラードの市民は78日どころか、無限に続きそうな最悪の包囲や爆撃の下で900日間も生きながらえ、降伏なんて考えもしなかった!
現実には、通常兵器による戦争を考えるだけでも、防衛の側に居ること自体がロシアに対米戦略上では極めて大きな利点をもたらす。ウクライナまたはバルト諸国で紛争が起こった場合、地理的に近いことが米国・NATO側からの如何なる攻撃に関してもロシア側に決定的に有利である。米国の指揮官は、たとえまったく違った振る舞いや発言をしていたとしても、誰もがこのことを十分に理解している。
逆に、米国やNATOに対するロシアの攻撃は、端的に言って、まったく同じ理由からあり得ないのだ。ロシアは国境から遠く離れた場所に軍事力を投影することはできない。
事実、ロシア軍の組織や構造、訓練をつぶさに眺めてみると、ロシア軍はロシアの国境で、あるいは、国境から1000キロ以内で敵軍を敗退させるように設計されていることに直ぐに気付くことだろう。
確かに、ロシアの爆撃機や艦船、潜水艦はそれよりも遥かに遠方にまで出撃している様子が観察されようが、これは典型的な「国旗を見せる」行為であって、実戦における軍事的シナリオのための戦闘訓練ではない。
米軍の唯ひとつの真の目的は自衛能力がほとんどないような何処かの小国を叩きのめし、資源を略奪し、世界の覇者たる米国に逆らう政府を転覆させることにある。あるいは、そういった前例を作ることにある。
米軍は軍事的能力が高い敵国に対して大規模な戦争を遂行するように設計されてはいない。ただし、米国の戦略核の戦力だけは他の核大国(ロシアまたは中国)から米国を防護する、あるいは、大戦争を実際に実行する任務を与えられている。
ロシア軍について言えば、ロシア軍は純粋に自衛のために設計されている。ロシア軍にはヨーロッパの如何なる国家に対しても脅威を与えるような能力はなく、ましてや、米国に対してはその可能性はさらに小さくなる。
もちろん、西側の企業メディアは米軍とロシア軍に関しては「数字いじり」を継続することだろう。しかしながら、それは一般大衆に緊急事態の意識を植え付け、恐怖を生じさせるためのものに過ぎない。近い将来に観察される現実としては、通常兵器だけを用いた紛争の場合、米国もロシアも相手を成功裏に攻撃することが可能な手段を持ってはいないのだ。
実際には、残された唯一の危険性は何の準備もなく、如何なる予期もされてはいなかった紛争であろう。それは当事国の何れもが望んでもいないし準備もしてはいないような軍事衝突へと発展する。二つの好例がある。2006年のレバノンに対するイスラエルの攻撃または2008年のロシアの平和維持軍に対するジョージアの攻撃だ。これらは、時には、愚かな政治家が突拍子もないような愚かな決断を下すことがあることを思い起こさせる。
私はプーチンと彼が率いるチームはそのような愚かな決断をすることはないと自信を持って言うことができるが、現在米国の大統領選に出馬しようとしている政治家を見ると、私はどうしようもない恐怖感を覚えてしまう。
あなたはどうお思いだろうか?
<引用終了>
これで、全文の仮訳が終了した。
非常に専門的な解説だ。それだけに、政治の世界における情報操作の妙が見事に浮き彫りされていると私は感じる。われわれが住んでいる西側世界は虚構の上にたった疑似的現実そのものであることを改めて実感させられる。[注:「疑似的現実」という言葉については、今年の1月9日に掲載した「戦場の特派員からの新年のメッセージならびに警告 - アンドレ・ヴルチェク」と題した投稿をご参照ください。]
通常兵器による戦争は当事国やその国民にとっては大きな不幸である。核大国間の核戦争は人類全体の消滅を意味することから、その不幸たるや究極のレベルとなり、もはや比べようもない。
著者の結びの言葉は現代の政治を端的に描写したものである。「現在米国の大統領選に出馬しようとしている政治家を見ると、私はどうしようもない恐怖感を覚えてしまう」と述べている。これは米国の軍産複合体の対外戦略を拒否し、新冷戦を中断するような画期的な政治力を持った候補者が見い出せない政治の現状を憂いたものであって、このまま行くと世界規模の核戦争になってしまうという危機感の表明である。
私はこのブログを通じて何回となく核戦争の回避に関する投稿をして来た。本日の投稿でご紹介した記事には共感する部分が非常に多い。当然のことながらも、核兵器の脅威は通常兵器のそれとは雲泥の差がある。引用記事の著者の言葉を借りれば、一人の愚かな政治家の判断次第でわれわれが住む世界は30分で壊滅してしまう可能性があるのだ。人類にとっての最終的な政治課題は核兵器の廃棄であると言わざるを得ない。
参照:
注1: In a War With Russia NATO Doesn’t Stand a Chance: By The Saker, Mar/26/2018
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