2021年12月17日金曜日

ヨーロッパにおける最近の専制主義的コロナ対策の波は危険な先例をもたらした

 新型コロナウィルスの大流行は収束するのではないかという観測が、最近、急速に広がっている。最新の変異株であるオミクロン株は感染性が高いけれども、毒性は前の変異株(デルタ株)よりも弱くなっており、一人の死亡例が1214日に英国で報じられたことを除くと現時点では死者が報告されてはいないこと、過去の体験、たとえば、1918年に全世界を襲ったスペイン風邪も1921年には収束したという事実、等がこの推測の背景にあるようだ。興味深いことには、大流行が収束するかも知れないという推測についてはワクチン推進者であるビル・ゲイツさえもが喋っている。

ところが、感染の波に対応する政府の策には感染の実態との間に質的な乖離が見られ、かなりの時間的遅れも存在する。また、ヨーロッパの一部の国ではワクチン接種を推進しようとして極めて差別的な策を導入しようとする動きが観察される。ワクチン非接種者に対する差別政策はあたかも80年余り前にヨーロッパを襲ったナチズムによる人種差別の再来を髣髴とさせる程である。

ここに、「ヨーロッパにおける最近の専制主義的コロナ対策の波は危険な先例をもたらした」と題された記事がある(注1)。

本日はこの記事を翻訳し、読者の皆さんと共有しようと思う。

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副題:一般市民のために良かれと思われる事柄を実行する際に倫理的な罪の意識が欠如している場合、それは専制主義を示唆する最初の兆候である

 

文明が進んでいる筈の社会における標準的基準であるかの如くヨーロッパにおいては各国がパニックに陥った。ワクチンの非接種者は非常に広い範囲にわたって権利の享受を剥奪される。オーストリアはワクチンの非接種者を犯罪者扱いすることにした。イタリアは非接種者らが職場へ通うことを停止させた。オランダの警察は都市閉鎖に反対するデモ参加者に向けて発砲し、何人もが重傷を負った。われわれが目にしているこれらの状況は恐怖に駆られた政治家が犯した極限的な愚行である。自然現象を目の前にして一般庶民が重要な存在であることを政治家らは受け入れることができないのだ。

もしも都市閉鎖や商売を強制的に閉じさせること、あるいは、他の凶悪な対策が功を奏すると言うのであるならば、どうしてこれらの国々は第5波に見舞われ、3回目あるいは4回目の都市閉鎖に翻弄されなければならないのか?これらの策は単に感染対策を止めた後にまでも感染を長引かせているだけであることにわれわれの誰もが気付く前にいったいどれだけ長い間これらの愚策の続行に付き合わなければならないのだろうか?

これらの策の継続を主張する論理は今やこれらの策を中止することはもはや出来ないという点にある。かってはワクチンが入手できるようになるまでの一時的な策であると言って正当化された策であったのだが、今や、人々の生活を永遠に変えてしまう危険性を見せている。多分、この危機的な状況の中でもっとも醜悪な側面は政治家が自分たちの政策を打ち出すことが出来なくなっているにもかかわらず、その責任を他者になすりつける習慣を持っていることだ。ワクチンに反対するのは馬鹿げている。ワクチンは病状が重篤化することや死亡を防止する上で功を奏している。しかし、感染に対する効果に関してはワクチンは当初期待されていた程には有効ではない。

オーストリア首相は「責任のなすり合いゲーム」の最前線に立って来た。他国の政治家も彼の後を追従しようとしている。二回の接種を終了した人々の割合はオーストリアでは64%で、ヨーロッパの平均値である57%を遥かに上回っているが、我が国(英国)の68%よりもかなり低いというわけではない。オランダやベルギーはワクチン接種率が74%とヨーロッパではもっとも高い国のひとつではあるのだが、もっとも急激な感染の拡大を経験している。そうこうしているうちに、倫理的な側面は忘れ去られてしまっている。基本的な問題は新型コロナの大流行に対して如何に対処するのかと言う点だ。対処の仕方は公衆衛生という純粋に技術的な課題ではあるのだが、経済や社会ならびに政治上の取り組みも絡んでくることから極めて複雑な課題でもある。

このことは恐怖感に駆られた多数派は自分たちへの感染を防止するには少数派に対してどんな策を課すべきかに関しては何の制約もないという極めて思慮に欠けた考えを持つに至った。公衆に良かれと思うことを追求するあまりに倫理的な罪の意識が欠如する時、それは専制主義の始まりに見られる最初の兆候である。政府の単なる政策によって人口減少の状況がその次に到来する。

他の人たちとの社会的な相互交流は余暇を楽しむ行動としての選択肢ではなく、人間の基本的な欲求である。もしもわれわれが何らかの調和を保ちながら他の人たちと共存しようとするならば、仲間の個人的自立性に対して最低限の敬意を払うことが重要となる。これらの事柄はわれわれをひとつの共同体に統合する。これらの事柄を無視する政府は非常に重要な倫理的境界を逸脱し、自国民の人間性に対して息の長い攻撃を仕掛けている自分自身の姿に否応もなく気付くことになるであろう。

ワクチンの接種を拒否する人たちは賢明ではない。恐らくは利己的でさえある。しかしながら、彼らが受けたい医療的な施術については自分で決めることが出来ず、自分の体に注入される薬物さえも選択することができないとするならば、人間としての自立性を維持する術は皆無となる。このような状況は圧政そのものであり、終わることのない社会的不和を招来する。

われわれは観察を続け、リベラル派政権が恐怖によって如何に急速に倒されてしまうのかに注目すべきである。


著者のプロフィール:サンプション卿は
2012年から2018年まで英国最高裁の判事を務めた。

TELEGRAPH.CO.UK

ジョナサン・サンプション

直近の新型コロナに対する専制政治の波は危険な先例を新たにもたらしている。一般市民のために良かれと思われる事柄を実行する際に倫理的な罪の意識が欠如している場合、それは専制主義を示唆する最初の兆候である。ジョナサン・サンプション。20211122日、午後7時。

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これで全文の仮訳が終了した。

新型コロナウィルスの大流行は政治の不毛を暴露した。

著者は「ヨーロッパにおいては文明が進んでいる筈の社会における標準的基準であるかのように各国がパニックに陥った」と指摘し、「多分、この危機的な状況の中でもっとも醜悪な側面は政治家が自分たちの政策を打ち出すことが出来なくなっているにもかかわらず、その責任を他者になすりつける習慣を持っていることだ」と述べ、批判の最高潮に達した。そして、「自分の体に注入される薬物さえも選択することができないとするならば、人間としての自立性を維持する術は皆無となる。このような状況は圧政そのもの・・・」と述べている。まさにその通りだ!

オーストリアの過酷な政策は来年の2月から実施される。この接種の義務化が実施されると、コロナ禍はすでに峠を越そうとしているにもかかわらず、ワクチンを接種してはいない成人は都市閉鎖の対象となり、現代版のゲットウに隔離されることになる。あるいは、罰金を支払わせられる(最高で7,200ユーロの罰金)。

ギリシャでは60歳以上は誰でもワクチン接種が義務付けられる。1月中旬までに接種を終わらない場合、月額100ユーロの罰金となる。こうして集められた罰金は人手やワクチンの購入に資金不足を来している病院へ充当される。こうして、ギリシャでは接種の予約が3倍に跳ね上がったという(2)

参照:

1Europe’s latest wave of Covid authoritarianism has set a dangerous new precedent: By Jonathan Sumption, The Telegraph, Nov/22/2021

2Greece and Austria are mandating COVID-19 vaccinations and fining people who refuse: By JOANNA KAKISSIS, NPR, Dec/04/2021

 

 



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