2023年6月16日金曜日

われわれはこの戦争に勝てる

 

ここに「われわれはこの戦争に勝てる」と題された記事がある(注1)。

これは新型コロナ感染症の大流行と闘ってきた医師が過去3年間に意識した考えを整理し、吐露したものだ。著者らが遭遇した戦争は第一義的には感染症との闘いであったが、彼らのエネルギーを浪費させ、神経を削ったもっとも強力な敵は同じ医療関係者たちであった。つまり、製薬業界であり、規制官庁の役人であり、医師会や学会、病院管理者や病院で勤務する医師たちであった。

そして、この戦争は今も続いている。いつ終わるのかも定かではない。著者はこの戦争を「イベルメクチン戦争」と呼んでいる。

本日はこの記事を仮訳し、読者の皆さんと共有したいと思う。

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副題:それは必ずしも「われわれ」と「彼ら」、あるいは、「支配階級」と「一般大衆」との戦争ではなく、むしろ、それは善と悪との戦争だ。そして、善は勝つことが可能だ(おそらく、勝つことだろう)。

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私は1969年生まれ。麻薬戦争やテロ戦争、ならびに、男女間の戦争を除けば、私が理解し、個人的に経験したことのある唯一の戦争は冷戦であった。男女間の戦争については、ベーコンを家へ持ち帰りフライパンで焼いてくれるあのセクシーなアンジョリのお陰で男性側が勝ったのだと思っていた。

冷戦は私にはあまり関係がなかった。たぶん、私には米国とロシアとの関係はお互いにメールを無視したり、敵を招いてお泊り会をしたりするような、くだらない諍いを起こす思春期の二人の子供のような振る舞いにしか見えなかったからだ。あるいは、ロシアがエキゾチックに響き、遠く離れた場所にあって、たとえ冷戦が戦争に発展したとしても(私の中では明確に爆弾が落とされることを意味する)、明らかにわれわれが爆弾を落とす側であり、明らかに悲劇ではあったけれども、個人的にそれを心配する理由にはならなかったからであった。

申し訳ないが、私は自己中心的な10歳の子供だった。
戦争とは爆弾を落とすことであり、米国が行う戦争は必ず国外で行われるものであって、自分は安全であるという考えを私は中年の頃まで抱き続けていた。

だが、私は間違っていた。

私たちは戦争をしている。

新型コロナ感染症の文脈で戦争に例えたのは私が初めてではない。実は、最近、ピエール・コリー博士と「イベルメクチン戦争」と題した書を共同執筆するという大変光栄な出来事があった。私たちがそれを書き始めたとき、私はいわゆる「覚醒」の時から3年近くを経過しており、新型コロナが敵ではないということを十分に理解していた。また、マスクの着用、ワクチン接種の義務化、等の狂気の沙汰に関して皆がメディアでお互いに対立してきたことに比べると、われわれ(反抗的な自由の戦士)対彼ら(従順な一般大衆)の構図はそれ程酷いものではなかった。彼らが昆虫を食べるといった服従を強要しようとしたのは手下たちに対して、つまり、われわれに対して全体主義的な支配を志向する支配階級でさえもそうはしなかった。だが、それ以上のものであった。結局のところ、メロドラマ的な表現を避けて言えば、それは善と悪との戦いである。

善はコーリー博士やFLCCC内部(および外部)の多くの同僚たちによって代表される。つまり、科学者や医療関係者、時にはならず者に化身するミュージシャン、作家、ジャーナリスト、等、文字通り自分の危険を冒してでも邪悪な意図を暴こうとしている人たちである。さらには、新型コロナワクチンの接種を行うクリニックの前で副作用に関するパンフレットを配り、ワクチン接種によって傷ついた人たちからの投稿をさらにリツイートし、日常生活における英雄的な人たちも含まれる。もちろん、悪は製薬会社や政府機関、ならびに、このショーを運営する目には見えない少数独裁政治家の集団に属する連中たちである。彼らは冷酷に、そして、執拗に人々の幸福よりも自分たちの利益を優先し、広範な苦しみを許すだけに留まらず、故意にそれを助長さえもする。

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この種の善と悪との戦いは今に始まったことではないが、新型コロナ禍はこの戦いに眩いばかりの光を当てた。コリー博士と私は、新著「イベルメクチン戦争」の中で、貪欲な権力者たちはパンデミックを終わらせることができたこと、そして、終わらせるべきであったこと、非常に安価で非常に効力の高い薬を入手することを妨害し、その効力を歪曲し、抑圧するために彼らがどのような活動をしたのかについて詳述している。データは疑う余地はまったくなく、彼らにとっては非常に都合の悪い情報でもある。たとえあなたがこの医薬品の研究をライフワークとしている訳ではないとしても、次に示すような簡単ななぞなぞを解いてみていただきたい。 もしもイベルメクチンが有効ではないとしたならば、どうしてこのような脅威をもたらしたのであろうか? CDCFDAはどうして大規模なPRキャンペーンを展開し(「あなたは馬ではない!」とさえ言った)、世界各地の住民に賄賂を配り、唯一の実験的な代替薬(つまり、ワクチン)を接種しなければならなかったのだろうか?どうして医師たちは自分の医師免許や生活をリスクに曝してまでも患者に処方したのだろうか? 1錠は、通常、小銭で買える程安いのだが、どうして闇市場では50ユーロ以上もの値段がついたのか?イベルメクチンに関する言及はあらゆるプラットフォーム上のソーシャルメディアから即座に削除するよう、どうしてフラグが立てられたのだろうか?当時のトランプ大統領が、消毒剤に抗ウイルス作用があるのかと声を大にして疑問を呈したことを覚えておられるだろうか?小売業の「ターゲット」が手指消毒剤の販売を拒否したり、ユーチューブがクロロックスの動画を禁止したりすることはなかった。あれは「漂白剤を飲ませろ」と言っているも同然であった!

イベルメクチンをめぐる世界的な戦争はふたつの単純な事実に集約される。そのひとつはイベルメクチンが効くことを知っていたこと。そして、もうひとつは、もしも世界中の人々が第一の事実を知れば、彼らが標榜していた利益や権力を得る計画は胡散霧消してしまうであろうということを理解していたことだ。

彼らは事前に知っていたが、多くの人たちを死なせた。極めて多くの人たちが死んだ。そして、もっと重要なことはそれに対して彼らは何もしなかったということだ。このことを決して忘れないでいただきたい。

最悪の敵に対して如何なる戦争さえも私は望みたくはない。(実際には、これは見え透いた嘘だ。クラウス・シュワブ、ビル・ゲイツ、アンソニー・ファウチ、その他何人かの人たちよ、あなた方の残りの日々は紛争と争いが消えることはなく、血塗られたパレードの連続であることを私は祈っている。)そして、私は、以前、これは勝つ見込みのない戦争だと考えていた。しかし、もうそうは思っていない。その理由は善は悪に対して圧倒的に優勢になったからだ。

あなたは、途中で他のチームに乗り換えた人たちをたくさん知っているだろうか?「ちょっと聞いてくれよ!私は間違っていた。あの時、毒を飲んでおけばよかった。自由は過大評価されている。政府は私の背中を押してくる」と言った連中のことを。私は、確かに、そんなことはしない。

「善は常に悪に勝つ」(最終的にはそうなる)という理由だけではなく、われわれはこの戦争に勝てる。われわれは屈することなく、新しいコミュニティを作り、新しいシステムを構築し、われわれの声を結集して、この世界が見たこともないような最強の勢力を編成することによって勝利を収めることができる。簡単なことではないだろうが、そうするだけの価値はある。

親として、そして、端的に言って地球の管理人として、この地球を見つけた時よりも良い場所にして子孫に残すことが私の使命なのである。私は人類という海の中ではちっぽけな存在であって、無力な一粒に過ぎないかも知れないが、死ぬ気で頑張るつもりだ。    

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これで全文の仮訳が終了した。

ところで「私は間違っていた。あの時、毒を飲んでおけばよかった」との言葉の中にある「毒」とは何か?新型コロナワクチンに対する反対を指していると私は思う。当時は、完全に少数派であった。新型コロナ感染症に関する恐怖が終日メディアによって煽られ、集団免疫を確立するための手段として都市閉鎖が実施され、mRNAワクチンの使用開始が世界中で期待されていた。熱病に冒されたような状況であった。こうして、新型ワクチンはFDAの仮承認を取り付けた。この一連の動きに反論を唱えることはまさに毒を喰らうようなものであった。

しかしながら、このような状況を傍観することはできない研究者や医師は連携し、反論を主張し、徐々に賛同する人たちが増えていると言う。著者は「善は悪に対して圧倒的に優勢になった」と述べている。これはイベルメクチン戦争では確かにそう言えるのだろう。何と言っても、著者らの主張を支える科学的データは実に豊富に存在しているのだから。

この局地戦の戦場で勝利を収めることができれば、主戦場である「新型コロナワクチン戦争」の行方もはっきりとして来るのではないだろうか。政治によってハイジャックされた科学が復権することができるのかどうかが掛かっている!

参照:

1We Can Win This War: By JENNA MCCARTHY, The Flccc Alliance Community, Jun/02/2023

 

 


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