ジョージ・ブッシュ元米国大統領の名前は誰でもよく知っている。
一方、キルチネル元大統領はどこの国の人かと問われると、答えることができる人は少ないのではないか。
答は1998年から2002年の頃かってない経済危機に見舞われ、銀行が閉鎖され、1万社もの企業が倒産し、債務不履行を発表したアルゼンチンだ。壊滅的な財政破綻からの回復のために2003年から2007年までアルゼンチンを率いてきたキルチネル元大統領は、2011年の大統領選に再出馬すると期待されていたが、2010年10月に心臓麻痺のため60歳で亡くなった。多くの市民が貧困の撲滅や雇用の拡大のために様々な政策を実施してくれたキルチネル元大統領の死を惜しんだと報道されている。
その前年、キルチネル元大統領は数多くのアカデミー賞受賞作品で有名な映画監督、オリバー・ストーンのインタビューを受けた。その際、キルチネル元大統領はジョージ・ブッシュ元大統領と交わした戦争と経済についての会話を披露した[注1]。
その仮訳を下記に掲載してみたい。
<引用開始>
オリバー・ストーン:「当日の晩はブッシュ大統領とわだかまりを捨てて話をすることができたんですか?」
ネストール・キルチネル:「覇権国家の前にひざまつく必要なんてまったくない。自分たちの行為に反対を唱える人たちに向かっては自分が言わなければならないことを伝えるまでだ。それが故に非礼になるようなこともない。あれはモンテレイ(注:カリフォルニア州中部のリゾート都市。近くには伝説的とも言えるペブルビーチ・ゴルフコースがあり、映画好きの人は近くのカーメル市でクリント・イーストウッドが市長を務めたことを覚えていることだろう)での会話だった。今直ぐにでも実施できるアルゼンチンの財政問題に対する解決策はマーシャル・プランだ、と私はブッシュ大統領に自分の考えを述べたが、彼は怒り出した。マーシャル・プランなんて民主党特有の馬鹿げた考えだ、と彼は言った。経済を活性化させる最善の方法は戦争、米国は戦争をすることによって経済を成長させて来たんだ、と。」
オリバー・ストーン:「戦争ですって?」
ネストール・キルチネル:「そう、彼はそう言った。今話した内容は彼がしゃべったままだ。」
オリバー・ストーン:「南米は戦争をするべきだと示唆した?」
ネストール・キルチネル:「まあ、彼の話はあくまでも米国についてだったが...。民主党はいつも間違っている。米国の経済成長は様々な戦争によってもたらされてきた。彼ははっきりとそう言っていた。ありていに言って、ブッシュ大統領はあの時点では大統領として残された日数は6日だけだったからね。そういうことだろう?」
オリバー・ストーン:「その通りです。」
ネストール・キルチネル:「神様に感謝!」
<引用終了>
キルチネル元大統領が「神様に感謝!」と言ったのは何故か?
私個人の考えでは、ブッシュ大統領の任期が6日後には切れることから、巨大な戦争マシーンの最高司令官とはもうじきお別れだ、という安堵感だったのではないかと思う。
皆さんは上記の会話を聞いてどんな印象を受けただろうか?
私の場合は、その瞬間は大変なショックだった。おどろおどろしい戦争マシーンとしての米国の対外政策については十分に把握していた積りではあったが、こともあろうについ最近まで現職の大統領だった人物によってあたかも前日のサッカーゲームを友人と語り合っているような調子で口にされたことによって、米国の世界観は決定的に現実味を帯びることとなった。米国の大統領は発展途上国に対しては、経済援助をする際に常にその相手国に対して民主主義や人権擁護を最優先課題として求めてきている。この表向きの米国の顔とはまったく違う姿がここに現れたのだ。「やっぱり、そうだったのか」と思った。
ブッシュ大統領の上記の言葉には歴史を紐解く上で有用なひとつの真実があると直感した。少なくとも、この戦勝国の論理は歴史上限りなく多くの事例に広く共通して観察されるからだ。残念ながら、これは人道主義や平和主義の観点からは到底認めがたい、冷酷な現実であるとも言えよう。何千年もの時間をかけて人類が築き上げてきた文化の歴史を考えると、これは歴史の皮肉でさえもある。
と同時に、国際政治についての自分自身のナイーブさに気がつかされた一瞬でもあった。
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冒頭のエピソードで代表される米国の戦勝国としての国家心理は私ら(戦中派および戦後の団塊世代)が知る限りでは、近代史の多くを端的に物語ってくれているようにも思える。第二次世界大戦後英国に代わって世界の覇権国となった米国はそれ以降も大小の戦争を経験し、米国の軍需産業を繁栄させてきた。何十年にもわたって続いた冷戦そのものも含め、ベトナム、南米、イラク、アフガニスタンでの戦争、そして今は、全世界で展開している対テロ戦争、等。
2001年11月にニューヨークのワールドトレードセンターのビルに民間航空機が突っ込んだ後、米国政府は対テロ戦争をぶち上げ、国際社会を巻き込んだ。あの時、軍部のある高官はこの戦いは何十年にも及ぶだろうとの見解を述べた。この見解を聞いたときの印象は、「この軍人はテロ戦争が長く続くことを願っているのではないか」という、実にいやな予感だった。あの時の印象を裏付ける証拠は何もないわけだが、そういう印象を受けたことを今でも良く覚えている。軍産共同体を代表する人たちにとっては何十年も世界的な規模で軍事的展開が続いてくれることは有難いことに違いない。
米国の現職大統領が戦争は米国の経済発展のための主要な道具であると考えていたとすれば何をかいわんやである。ジョージ・ブッシュ大統領の深層心理においては、ワールドトレードセンター・ビルの崩壊はもっと大きな戦争目的のために必要かつ不可欠な幾つかの戦術のうちのひとつでしかなかったのではないか、さらには、そこで働いていて不幸にも命を落とすことになった数千の人たちはその戦術のための単なる将棋の駒でしかなかったのではないかとさえ思えてくる。ここには戦争特有の理不尽さが存在する。
太平洋戦争の緒戦となった真珠湾攻撃について言及しないではいられない。日本海軍の艦載機がハワイに向かって攻撃してくることを米国政府は事前に知っていながらも、大統領とその側近はそのことをハワイの現地司令官には知らせようとはしなかった。その結果、日本軍にとっては真珠湾への攻撃は「奇襲」として大成功を収めた。米国にとっては、この演出された奇襲が国内世論を参戦に向かわせる重要なお膳立てとしてその役割を遺憾なく発揮してくれたのだ。これらの事実は後世の歴史家の研究で明らかになっている[注2]。
上記のふたつのエピソードの類似性は圧巻だ。自国が戦争を始めるのではなく、他国から受けた脅威に対して止むを得ずそれに応戦する...という筋書きが何れにおいても見事なまでに現出されている。このパターンは他の多くの事例にも見られる。
そして、昨今は熱い戦争からソフトな戦争へと移行している。経済戦争やサイバー戦争のことである。米国と日本の間では何段階もの経済戦争があった。繊維製品、鉄鋼、カラーテレビ、自動車、半導体、農産物、等。そして、最近米国が提唱したTPP(環太平洋経済連携協定)。このTPPはそれぞれの参加国から富を収奪するために巧妙にデザインされたひとつのツールだと言えるのではないか。戦争であるからには、勝つ側の米国にとっては「何でもあり」という姿勢が見え隠れする。TPPにおけるISD条項(投資家対国家間の紛争解決条項)はその最たるものだ。参加国が不平等だと言ってもお構いなし、覇権国としての政治的・軍事的パワーを背景にしてありとあらゆる手段を動員してくる。遺憾ながら、これが米国流なのだ。
米国がイランに対してしかけた本格的なサイバーウオーに関してニューヨークタイムズ紙が報道している[注3]。この報道によると、オバマ大統領は就任早々からイランの濃縮ウラン施設のコンピュータに対するサイバー攻撃を加速するように指示したとのことだ。この作戦はブッシュ政権時代に始まったもので、「オリンピック・ゲームズ」というコード名称が付されている。しかしながら、2010年の夏、プログラミングに間違いがあったことからこのサイバー攻撃の一部の情報がイランのウラン濃縮設備のコンピユータからインターネットに流出した。こうして、このサイバー攻撃は世界中が知るところとなった。
サイバー攻撃は他人あるいは他国のコンピュータを使ってそこから目標とするコンピュータに攻撃をかけることができる。「やらせ」がいとも簡単に出来るのだ。自作自演のサイバー攻撃が可能となってくる。
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ここで、一足跳びに日本へ戻りたい。
沖縄への新型輸送機オスプレイの配置は戦争マシーンとしての米国とはどう付き合っていくべきかという課題を改めて我々日本人に問いかけているように見える。今回目にしたブルドーザの如く押してくる米国側の攻勢に対して、安保条約の条文の前で日本の野田政権は無力だったという点だ。この状況は、いくら日本の政治家が日米対等の外交を唱えたとしても、それは絵にかいた餅に過ぎないことを見事に教えてくれている。忘れてはならないのは日本は太平洋戦争で無条件降伏をした敗戦国であるという事実だ。この事実が物事を必要以上にややこしくしている。そして、歴代の日本政府はそうなることを許してきたのだ。選挙民もそれを許してきたということになる。戦勝国は何時までたっても敗戦国を独立国家として認めたくはないようだ。何時までたっても草刈場のままにしておきたいのだろう。
尖閣諸島については、米国のパネッタ国防長官は領土問題は当事国間で解決して欲しい、米国は領土問題で一方の肩を持つ訳には行かないと述べている[注4]。この米国の立場は2年前にクリントン国務長官が表明した「尖閣諸島は日米安保条約の対象となる」との見解[注5]とは異なり、大きく後退している。米国国債を大量に購入してくれている中国に対しては遠慮があるからだとも読み取れる。その一方、領土問題が日本と中国との間で長い間懸案のままとなっていて欲しいという気持ちが何処かに見え隠れする。率直に言って、米国の軍産共同体は日本が引き続き自国の防衛のために最新型の戦闘機や地対空ミサイルを購入し続けて欲しいと願っているに違いないからだ。北朝鮮との緊張した関係も同一線上にある。北朝鮮が先鋭になればなるほど韓国や日本の防衛意識はより強まり、米国の軍産共同体はより儲かるのだ。
好むと好まざるとにかかわらず、これらの状況は戦後60数年の間に構築されてきた日米間の一大政治システムであると言える。今やモンスター級のシステムだ。
日本が置かれている対米の立場については以前から様々な議論が行われてきた。そして、今後も続くことだろう。つまり、米国追従を続けるべきか、それとも米国とは一定の距離を保つべきかと。この点は最近発行された書籍、「戦後史の正体」[注6]で詳しく論議されている。
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最後にもうひとつ付け加えたいことがある。
今日は非常に興味深い記事が見つかった。それは上述のアルゼンチンについてのものだ。すでに1年前の記事であることからその後の状況は違ってきているとは思うが、現職の大統領が再選される理由は何かをアルゼンチンと米国の例を挙げて社会学の専門家が詳しい比較を行っている。この記事の表題は「アルゼンチン:何故フェルナンデス大統領が当選し、オバマが落選するのか」[注7]。
この記事の内容は秀逸だ。いろいろと学ぶ点が多い。いわゆる経済の専門家が予測したアルゼンチンの将来像とはまったく違って、アルゼンチンの実態経済はその後順調に展開した。その理由は何かについて詳しく解説している。この記事を読むと、何時も勝ち組の米国の国民と10年程前には財政破綻し、経済が復興するまで大変な苦労を経験したアルゼンチンの国民とを比べた場合、自国に誇りを感じているのは一体どちらの国だろうかと考えさせられてしまう。まだ読んではいない方には是非お勧めだ。
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またもや、米国について書くことになってしまった。私も米国の片田舎で17年間仕事をしてきた。米国にはいい点がたくさんあると今も思っている。ポップカルチャーは魅力いっぱい。カジュアル・ファッションも素晴らしい。我々の世代は数多くの米国映画と共に育ってきた世代だ。サン・デイエゴやLAではシュロの木が青空に向かって伸びている。そんな通りを歩き回ったものだ。空気がどこか違っていた。開放気分がひとしおだった。
多くの人たちがこれらについては共感してくれることだろうと思う。
しかしながら、米国には二面性がある。米国と言うモンスターについては書いても書いても書ききれない部分がどうしても残ってしまう。米国とははそういう国だ。
参照:
注1:Fmr. Argentine President Kirchner Dies of Heart Attack:Democracy Now, October/28/2010, www.democracynow.org/2010/10/28/headlines
注2:Infamy:Pearl Harbor and Its
Aftermath:John Toland著、Berkley
Publishing Corporation出版、1982年
注3:Obama Order Sped Up Wave of
Cyberattacks Against Iran:ニューヨークタイムズ、2012年6月1日、www.nytimes.com/.../obama-ordered-wave-of-cyberattacks-against-ir...
注5:Hillary Clinton faces Japan-China wrangle at Asean:BBCニュース、2010年10月30日
注6:戦後史の正体:孫崎享著、創元社、2012年8月発行
注7:アルゼンチン:何故フェルナンデス大統領が当選し、オバマが落選するのか:2011年11月8日、eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-8c71.html、原題はArgentina: Why
President Fernandez Wins and Obama Loses、原著者はJames Petras (ニューヨーク、ビンガムトン大学、社会学(名誉)教授)
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