私が住んでいるルーマニアのブカレストでは外出禁止令が出てからすでに4週間だ(執筆時の4月14日現在)。この外出禁止令によって、私のような65歳以上の年配者は11時から13時までの時間帯にだけ食料品や医薬品の購入のために外出することが許されている。また、犬を飼っている人は犬の運動のために外出が許されている。したがって、犬を持ってはいない私は外出が可能な時間は一日に2時間だけ。ということで、近くの公園を歩き回って、絢爛と咲き誇っているスモモの花の風情を写真撮影することは今や贅沢、かつ、手が届かない空想的な事柄となった。リンゴの花も同様だ。この外出禁止令は5月の中旬まで続くと言われている。コロナウィルスの封じ込めが奏功して、政府の外出禁止令が順調に解除されれば、間もなくやって来るバラの季節にはなんとか外出が可能となるかも。楽観視はできないが、そう展開して欲しいものである。
個人的な感触ではあるが、現時点では当地、ブカレストにおける食料の供給は順調であるように見受けられる。もちろん、地域によって、あるいは、国によっては大きな違いがあることであろう。
WHOの最近の報告によると、今回のコロナウィルスの大流行と絡んで世界的な食糧難が予測されるとのことだ。食料の入手が困難になると、政府に対する信頼は大きく揺らぎ、治安が急速に悪化する。如何なる国においてもそのような展開を回避できるかどうかが今後の最大の政治課題になると推測される。
コロナウィルス感染に見舞われた国々(見舞われなかった国はいったいどれほどあるのだろうか?)では、今回、一人一人の市民が生活上の不便、たとえば、外出制限といった制約を受けた。しかも、かなり長い期間に及んでいる。特に、職を失った人たちにとっては現金収入が途切れてしまうことから、きわめて深刻な問題である。2008年の国際金融危機に比べると、今回の新型コロナウィルスの大流行の影響は比べようがないほど広範で、しかも、深刻である。
マーサ・ゲルホーン賞を始めさまざまな賞を受賞しているアイルランド出身の著名なジャーナリスト、パトリック・コバーンの最近の記事がここにある(注1)。この記事には「新型コロナウィルスの大流行において指導的な役割を演じることができなかった米国は世界の最強国としての地位を失う - 今回は復帰することはできそうにない」という衝撃的な表題が付けられている。
世界の最強国とは言うまでもなく政治的、経済的、および、軍事的な影響力を持つ米国を指しており、米国は世界に君臨する覇権国である。つまり、この記事の表題は非常にスケールが大きく、意味深である。この著者の議論の詳細を確かめておきたいと思う。
本日はこの記事を仮訳して、読者の皆さんと共有しよう。
<引用開始>
副題:新型コロナウィルスの大流行によって例証されるように、米国の覇権の崩壊は必ずしも経済や軍事力と大きく関係するわけではなく、すべてはトランプ政権が世界的な現実の危機に対処する能力に欠如していることと大きく関係する。
米国は新型コロナウィルスの世界的大流行において指導的な役割を演じることに失敗した。それ故に、米国は「チェルノブイリ危機」の米国版に見舞われるかも知れない。1986年の旧ソ連邦においては原発事故がまさにそうであったように、今回の出来事は世界における覇権国を蝕ばむシステム的な欠陥を露呈し始めている。この大流行がどのような結末を迎えようとも、今回の危機的状況に関して解決策を求めてワシントン政府に目を向けようとする者は今や誰もいない。
今週、世界の指導者がバーチャルな会合に集合することになったが、米国の影響力の凋落が目の当たりに見せつけられた。その会合での米外交団の取り組みの主眼点は新型コロナウィルスの大流行に関してその責任を中国に負わせようとするキャンペーンの一部として「武漢ウィルス」という文言を声明文に含めるべく他の国々を説得することにあった。つまり、自国内で成果を挙げられない事実から皆の関心を外部へ逸らし、他の誰かを悪者扱いすことがトランプ大統領の政治的戦術の中心的な要素であった。
アーカンソー州選出のトム・コットン共和党上院議員はこれとまったく同じテーマを持ち出して、「中国はこの疾病を世界に向けて放った。中国はその責任を負わなければならない」とさえ言った。
米国の失敗はトランプの毒を含んだ政治スタイルを飛び越してさらに先へと進む。第二次世界大戦以降の世界における米国の優位性は説得や脅し、あるいは、軍事力の行使によって物事を国際的に成し遂げることができる特異な能力に基づいていた。しかしながら、新型コロナウィルスの大流行に当たってワシントン政府が適切な対処をすることができなかったという事実はそのような能力は今や期待できず、米国の力量は失われつつあるとする見方をもたらしている。人々の態度における変化は実に重要である。なぜかと言うと、かっての英国やソ連、あるいは、今日の米国について言えば、最強国の支配力ははったりがどの程度効くのかに依存するからである。覇権国にとっては自分たちが最強国であるとする虚像をいかなる面においてもそう頻繁に検証に曝すことはできない。そのような検証で自分たちが失敗する様をあからさまに見せてしまうなんて許されないのである。大英帝国の誇張された虚像は1956年のスエズ危機で木っ端みじんにされ、ソ連の虚像は1980年代のアフガニスタン戦争で脆くも崩れた。
コロナウィルスの大流行は米国のトランプにとってはスエズ危機やアフガニスタン戦争に相当する。しかしながら、これらの過去の出来事は新型コロナウィルスの大流行に比べると実に小さく見える。コロナウィルスの大流行は、地球上の誰もがその犠牲になる可能性があり、皆が脅威を感じていることから、遥かに大きな影響力がある。そのような超巨大な危機に直面して、トランプ政権が危機に対応することに失敗したという事実は世界における米国の地位を大きく動揺させるものとなる。
米国の凋落は、通常、中国の台頭の対極の現象として捉えられ、中国は、少なくとも当面は、自国が襲われたコロナウィルスの大流行には成功裏に対応したとして受け止められる。ヴェンチレーターや医療専門家をイタリアへ送り込み、アフリカへマスクを送ったのは中国である。イタリア人は他のEU諸国がイタリアからの医療器材の要請を無視し、中国だけがそれに応じてくれたという事実を記憶に留めることであろう。中国の慈善団体は20万個のマスクをコンテナーに詰めてベルギーへ送ったが、そのコンテナーの側面にはフランス語とフラマン語および中国語で「団結だけが力をもたらす」というスローガンが大書されていた。
危機が過ぎ去った暁には、「ソフトパワー」の実践は限定的な影響力しか持たないだろうと思う人がいるかも知れない。ところが、これが今起こりつつある。それは危機的な事態に当たって中国は器材や専門家を送り出すことができたが、米国はそうすることができなかったというメッセージとなるのだ。しかも、物の見方における変化は一晩のうちに消え去ってしまうことはない。
米国の覇権は衰退の一途にあると言う予言は第二次世界大戦後米国が超大国として舞台に躍り出した時点から掃いて捨てる程あった。しかしながら、大々的に予告された米帝国の衰退は先送りされ、他の国が、たとえば、典型的な例としてはソ連が崩壊するのをまず目にすることになった。「米国衰退論」を批判する評論家は米国はかって世界経済に君臨していた頃に比べると今やその優位性は陰ってはいるものの、米国は依然として世界中で800カ所もの軍事基地を有し、7480憶ドルもの軍事予算を確保していると言う。
しかしながら、米国がソマリアやアフガニスタンにおいてその圧倒的に優れた軍事力を発揮することができなかったという事実は膨大な浪費によって入手できるものは如何に小さいのかを明白に示している。
トランプは好戦的な文言を口にするけれども、戦争を開始することはなかった。彼はペンタゴンを使う代わりに米財務省の持てる力を駆使して来た。イランに対してはがんじがらめの経済制裁を課し、他の国々に対しては経済戦争で脅しをかけ、彼は米国が世界中の金融システムをコントロール下に置いていることを見せつけて来た。
しかし、経済的ならびに軍事的な超大国としての米国がさらに隆盛を極め続ける、あるいは、衰退していくという議論は明らかにもっと重要な論点があることを見逃している。コロナウィルスの大流行という危機によって例証されるように、世界における超大国としての米国の本物の衰退は多くの人たちが考えるような軍事力や金融力との関係性はほとんどなくて、米国の衰退の主要な原因であり、その症状を見せてもいるトランプ自身と大きな関係があるのだ。
簡単に言うと、米国はもはや他の国々が見習おうとする国家ではない。もし見習おうとする者が居るとすれば、それは専制的で危険な先住民保護主義者、あるいは、独裁者であったりすることが多い。彼らの賞賛は温かく迎えられる。たとえば、インドの国家主義者的なナレンドラ・モディ首相の肩を抱くトランプの姿や北朝鮮の金正恩やサウジアラビアのムハンマド・ビン・サルマン皇太子といった若い世代の独裁者を手なずける様子を見ていただきたい。
民主的ならびに独裁的な支配者は、少なくとも当初は、コロナウィルスの大流行によってさらに力を得るだろう。それは急性の危機においては人々は自分たちの政府を自分たちが行っていることを熟知している救済者と見なすからである。
しかしながら、扇動政治家としてのトランプや世界中の彼と同類の政治家らは本物の危機に対応することに長けているケースは稀だ。なぜならば、彼らは民族間や宗派間の憎悪を助長し、自分の政敵に罪を負わせ、架空の達成事をぶち上げることによって権力の座にのし上がって来たからである。
ひとつの例を挙げると、ブラジルの極右派の大統領であるジャイール・ボルソナーロだ。彼は政敵やメディアをコロナウィルスの危険性に関してブラジルの人たちをけむに巻いているとして非難している。リオ・デ・ジャネイロにおけるロックダウンでは政府のだらしなさが露呈した。結局、地元の麻薬カルテルが踏み込んで来て、午後8時からの戒厳令を宣言し、それを実施するという始末であった。
トランプは常に米国社会の分断を助長し、それを悪化させること、ならびに、架空の危機、たとえば、米国へやって来る中米からの移民を食い止めるためのかの有名なフェンスの建設といった単純な解決策には実に秀でていた。しかし、今や、彼は本物の危機に直面している。彼はこの危機は長くは続かず、ほとんどの専門家が予想するよりも遥かに軽く終わるとして、大きな賭けに出ている。世論調査によると、彼の人気は上昇している。これは、多分、脅威を感じている一般大衆は悪いニュースよりもいいニュースを聞きたいと思うからであろう。今のところ、この大流行でもっとも酷く見舞われた地域は彼がそれほどの支持を得ることがなかったニューヨークやボストン、その他の都市部である。テキサスやフロリダがこれらの都市が見舞われたのと同じ程度のスピードで大流行に見舞われた場合は、トランプのもっとも中核的な支持者たちの忠誠心はうさん霧消してしまうかも知れない。
どうして米国がひとつの国家としては脆いのかと言うと、それは国家が分断しており、これらの分断はトランプが権力の座に就いている限りは酷くなるばかりであるからだ。これまで彼は深刻な危機を招くことは回避して来た。コロナウィルスの大流行に対する彼の取り組みの失敗は彼が今までして来たことは賢明であったことを示している。しかしながら、今、彼はすでに分断されている国家をさらに分断している。このことこそが米国が衰退する本当の理由なのだ。
<引用終了>
これで全文の仮訳は終了した。
著者の鋭い洞察が小気味良く展開されている。彼は下記のような見解を示した。実に秀逸である:
「米国は新型コロナウィルスの世界的大流行において指導的な役割を演じることに失敗した。それ故に、米国は「チェルノブイリ危機」の米国版に見舞われるかも知れない。1986年の旧ソ連邦においては原発事故がまさにそうであったように、今回の出来事は世界における覇権国を蝕ばむシステム的な欠陥を露呈し始めている。この大流行がどのような結末を迎えようとも、今回の危機的状況に関して解決策を求めてワシントン政府に目を向けようとする者は今や誰もいない。
今週、世界の指導者がバーチャルな会合に集合することになったが、米国の影響力の凋落が目の当たりに見せつけられた。その会合での米外交団の取り組みの主眼点は新型コロナウィルスの大流行に関してその責任を中国に負わせようとするキャンペーンの一部として「武漢ウィルス」という文言を声明文に含めるべく他の国々を説得することにあった。つまり、自国内で成果を挙げられない事実から皆の関心を外部へ逸らし、他の誰かを悪者扱いすことがトランプ大統領の政治的戦術の中心的な要素であった。」
もちろん、他にもさまざまな切り口があることであろう。著者のパトリック・コバーンの見解が正しかったのかどうかは時間が教えてくれることになる。その時間が今後数年以内にやってくるのか、あるいは、数十年先になるのかは誰にも分からない。
参照:
注1:The
US is losing its world superpower status due to its failure to lead
on the Covid-19 crisis – and this time, it might not recover: By
Patrick Cockburn, @indyworld, Independent,
Mar/27/2020
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