ソ連邦が崩壊し、共産圏側の軍事同盟であったワルシャワ条約機構軍が解体されたのは1991年であった。これで、世界を二分する当時の冷戦構造の一翼を担っていた東側の軍事同盟組織には終止符が打たれた。すでに30年も前の出来事だ。
共産圏の崩壊というまさに前代未聞の出来事によって西側の対ロ軍事同盟である太平洋条約機構(NATO)の存在理由も同時に消え失せてしまったかのようであった。しかしながら、この巨大な軍事同盟組織は自己保存をするために、外部の一般庶民には極めて不可解なものも含めてさまざまな理由を動員し、自作自演作戦を繰り返し、政治家や軍人ならびに御用学者による美辞麗句を並べることによって長い間存続し続けて来た。20年間も駐留しながらも当初の目的を達成せずに最近アフガニスタンから米軍とNATO軍を撤退することになった対テロ戦争もNATOの存在理由のひとつであった。そして、もうひとつの大きな存在理由は仮想敵国としてのロシアであったが、最近その主役は中国に代わってしまったようだ。
ここに「NATOの脳死状態がさらに進行」と題された最近の記事がある(注1)。
本日はこの記事を仮訳し、読者の皆さんと共有したいと思う。
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2年前、フランスのマクロン大統領がNATOは「脳死した」と宣言した:
「最近われわれが経験した状況のひとつにNATOの脳死がある」と、マクロン大統領がロンドンに本拠を置く新聞社に向けて語った。
彼はヨーロッパの同盟諸国に向けて警告を放ったのだ。冷戦が始まった際に西欧諸国と北米の安全保障を強化するために構築されたこの同盟関係を維持するために米国にさらに依存し続けることはもはや出来ない・・・と。
マクロンの発言以降、NATOの状況はさらに悪化している。
NATOの指揮圏内で二番目に大きな軍事規模を誇るトルコは反トルコ政府の姿勢を取っているPKK(クルディスタン労働者党)系のテロリスト集団を支援する米国との間で、今、諍いを引き起こしている。2016年のエルドアン大統領に対するクーデター計画が未遂に終わってからというもの(訳注:ロシアからの情報提供によってエルドアンは命拾いしたという経緯がある。トルコ政府は米国在住のクーデター首謀者のトルコへの送還を要請したが、米政府はこれには応じなかった)、トルコはロシア側へ傾き始めた。トルコはNATOからの攻撃に対して自国を防衛することが可能な最新式のロシア製対空防衛システムを調達した。それからというもの、米国・NATOとトルコとの関係は劣化するばかりである。
マクロンの診断は米国がシリアから米軍の一部を撤退させた際の発言であった。何とNATOの同盟国はこの米国の動きを知らされなかったのだ。そして、今年米軍がアフガニスタンから撤退した際も同様のことが起こった。NATO軍はアフガニスタンにおいて公式に軍事行動を行っていたにもかかわらず、同盟国に対する事前の連絡は何もなかった。米国に無視され続けることは軍事同盟を長続きさせるのに必要な信頼感を醸成することにはならない。
最近になって、AUKUS同盟が新たに出現した。これは米国の対中政策に焦点を当てたものではあるのだが、オーストラリアへの潜水艦輸出で巨額の契約を取り交わしていたフランスに大打撃を与えることになった。
バイデン米大統領がマクロンに電話をしてこの侮辱を詫びた際に、マクロンは独立したヨーロッパ軍の創設について米国の賛意を取り付けた。その声明は次のように述べている:
もっと強力で、かつ、適応力のある欧州独自の防衛軍を持つことは重要であり、そのことは米国も認識する。同防衛軍は大西洋をまたぐ安全保障、さらには、世界の安全保障に対して具体的に貢献し、NATOを補強することにもなる。
ブリュッセルのNATO本部の高官らは深い恐怖感を覚えながらこの声明を読んだことであろう。フランスが長い間提唱してきた米国から独立した欧州軍の創設はNATOの役割を削ぐことになるからだ。
NATOの元来の使命は欧州を米国の影響圏に置き、ロシアを欧州から締め出し、ドイツが台頭しないよう目を光らせていることであった。しかしながら、これらの使命は衰えてしまった。米国は今中国に対して関心を集中させているが、これらの方針は近い将来に変わることはないであろう。ところが、ロシアはもはや欧州には関心がない。ドイツは軍事的にはどうでもいい存在でしかなく、老化する人口を抱え、領土の拡大にはまったく無関心である。
ロシアが欧州に関心を示さないことを受けて、NATOはお気に入りの仮想敵国を失ってしまった。バルト3国やポーランドおよび英国は依然としてロシアを敵国として扇動し続けているが(それらのほとんどは国内に向けた政治的ポーズ)、イタリアやフランスおよびドイツではロシアがEU圏のどこかの国に侵攻する計画を持っているなんて誰も思ってはいない。
NATOの官僚はこのことをすべて承知している。しかしながら、自分たちのビジネスを維持するためにも彼らはロシアに対して暴言を吐き続けている。最近、NATOは何の正当な理由もなくNATO本部にて勤務するロシア外交官を追い払って、帰国させた。ロシア側はこの動きにはいい印象を持たなかった。ロシアは今後NATOを無視することに決意した程である:
モスクワと西側との間の破綻した関係を指し示す最近の兆候を受けて、ロシアは北大西洋条約機構との外交関係を中断する計画であるとロシア外相が月曜日(10月18日)に述べた。
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セルゲイ・ラブロフ外相は「来月の始めまでにロシアはブリュッセルのNATO本部におけるロシア代表部の活動を中断し、そのお返しとしてモスクワに滞在する同機構から派遣されているスパイに対しては外交官の地位を剥奪する」と言った。
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今月の始め、NATOは8人のロシア外交官に対して11月1日までにベルギーから出国することを求めた。その理由として彼らは諜報関係者であることを挙げた。また、同機構はロシア代表部の規模を縮小するよう求めてもいる。
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同機構との関係はすでに長いこと常軌を逸脱したものとなっていたと彼は言う。2015年と2018年にNATOはロシア代表部のサイズを縮小させたとのことだ。「軍事的なレベルで連絡を取り合う関係はついにゼロとなった」と彼は述べている。
彼が言うには、NATOはブリュッセルにおけるロシア代表部の外交官らはNATO本部の建物に入れなくするという「禁止措置」を採用したのである。われわれの外交官はこの建物に入らずに同機構の官僚らとの接触を維持することは不可能だと彼は言う。
ラブロフ外相は数日前にニューヨークでNATO事務総長のイエンス・ストルテンベルグと面会し、緊張緩和について議論したばかりであったことから、彼にとってはこのロシア人外交官の追放は実に不快な驚きであったという。
「ロシアとの関係を改善することについては北大西洋条約機構は率直な関心を抱いていると彼自身が言及していたばかりであることから、彼はあらゆる意味でそれを台無しにしてしまった」とラブロフ外相は述べている。
ロシアの外交官に対して彼がとった不意の動きの後、NATO事務総長は米国を訪問し、そこで彼は新たな出撃命令を受け取った。彼はファイナンシャルタイムズとの(有料購読者向けの)インタビューでこれらの出撃命令を公に喋った。アレックス・ランティアーが次のように分析している:
昨日ロンドンのファイナンシャルタイムズと行ったインタビューでNATO事務総長のイエンス・ストルテンベルグはNATOが中国に対する軍事的脅威を高めるよう求めた。彼の注釈はNATO同盟による極めて攻撃的な政策、ならびに、NATO内の帝国主義的強国間に表面化している分断といったふたつの焦点に新たな光を当てることになった。
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ストルテンベルグはワシントンでバイデン大統領と会見したが、その帰路、同地のジョージタウン大学でも講演を行った。ロシアと国境を接する国々をNATO同盟に参加させるためにも、彼はNATOを「さらに強化し、もっと多くのことを行う」よう求めたのである。ホワイトハウスが始まりつつある対中戦争に足並みを揃えよとの呼びかけをEU各国に向けて発信している中、彼のファイナンシャルタイムズとのインタビューには何らの偽装も施されず、裸のままのメッセージであった。
ストルテンベルグは次のことも主張した。NATOはロシアだけではなく中国に対しても関心を向けるべきであると。彼は「ロシアと中国をアジア太平洋地域だ、あるいは、ヨーロッパだと言ってそれぞれを区別する考え方」を批判し、「これはひとつの巨大な安全保障環境であって、われわれは一緒になってこの課題に向き合わなければならない。潜在的な如何なる脅威に対しても毅然として対抗するにはわれわれの軍事同盟を強化することに尽きる」と付け加えた。
彼は公然と中国を非難し、中国はヨーロッパにおいても大きな安全保障上の脅威であると主張した。
ヨーロッパの納税者にその考えを売り込むことに幸運あれと私は言いたい。どう見ても、中国がヨーロッパにとって安全保障上の脅威であるとは見えないのだ。北大西洋条約機構の地理的境界に拘束されるヨーロッパの国々にとってはこの対中紛争に加わらなければならない理由はどこにもなく、どの国もそうする能力は持っていないことが明白だ。中国はヨーロッパのほとんどの国と良好な関係を維持しており、どの国とも交易を行い、ドイツは中国の最大級の顧客でもある。
NATOはかっては旧ソ連邦と対峙することに共通の関心を抱いていた国々によって設立されたものだ。
中国に関しては米国とヨーロッパの間では関心の度合いが大きく異なる。世界を舞台にして並外れた役割を演じる米国の目には中国は競争者として見えるのであろうが、ヨーロッパにおいては中国は攻撃性のないパートナーとして捉えられ、新たにさまざまな通商の機会をもたらしてくれる相手である。
マドリッドで開催される次回のNATOサミット(訳注:来年の6月に開催の予定)では米国は中国を次の数年間NATOの最重要課題に位置付けしようとする。しかしながら、ヨーロッパのNATO加盟国が奥歯に物が挟まったような言い方に賛同してくれるとは私には思えない。中国に対して実際に使用されるNATO軍の能力を新たに高めるために各国が予算を計上するようなことはないであろう。
NATOは死んだ。同機構はその目的や用途が目指した以上に存在し続け、その賞味期限はとうに過ぎている。
ヨーロッパに平和を維持するためにEU組織と並行して新たな軍事協力を枠組みすることの方が遥かに立派な意味を持っている。それはアフリカにおける利害を追求したいフランスが望むような攻撃的で帝国主義的な戦力であってはならない。ヨーロッパに平和を維持するには、EU軍の運用は参加国のヨーロッパ圏の領土内に限定することがもっとも妥当であろう。ドイツに誕生する新政権はこのような枠組み作りにイニシアチブを取ることであろう。
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これで全文の仮訳が終了した。
米国の単独覇権が破綻し、新たに中国が台頭し、多極的な世界が出現するとの将来展望が提出され、すでに久しい。われわれはその過渡期を今目にしているかのようである。帝国主義的な米軍の他国への干渉が次々と失敗し、撤兵を余儀なくされている。米国の国内経済は疲弊し、国内の不満が大統領選挙に向けられたり、外部の仮想敵国に向けられたりした。米国内の団結は難しくなる一方である。国家的な富の配分は偏り、貧富の差が拡大し、失業者が多く、人種差別的な暴力は衰える気配を見せない。そして、米国では「キャンセルカルチャー」が起こっている。この運動には肯定的な側面が当初広く受け入れられていたが、最近は余りにも過度な展開となっており、米国の伝統を破壊しようとするものであるとして否定的に捉えられることが少なくはない。米国では経済的、政治的、文化的、ならびに、社会構造的な分断が進行している。
米国内のこれらの様相を見ると、「NATOは死んだ」という著者の言葉がNATOの宗主である米国という国家の現状を率直に物語っているようにも思える。NATOの運営は米国の国内政治を濃厚に反映するものであって、NATOの運営だけを切り離して、まったく別様に解釈することなんて現実には不可能であろう。総じて、非常に不気味である。
ここで日本のことを考えてみよう。米中戦争が実際に始まるかもしれないといった切羽詰まった国際情勢が現出する中、日本の世論が日米安保条約にすべてを賭けてしまうことに私は大きな不安を覚える。もっと別の議論があってもいいのではないか。そう感じるのは私だけではないと思う。
参照:
注1:More Brain Death At NATO: By Moon of Alabama,
Oct/19/2021
ご無沙汰しております。先週のバルダイクラブ主催のフォーラムでのプーチン独演会は非常に重要なものだったと思います。しかし、僕が見る限りこの国ではあまりに無視されているようで残念です。ここに日本語で少し紹介がありました。
返信削除https://www.youtube.com/watch?v=Sv2gidGM-Qk&t=1s
このyoutubeコメント欄に書き込みましたが、即座に抹消されました。他にも以前から訪れていたブログでも、小生の書き込みが出来ない状態になっており、不躾で申し訳ありませんが、貴ブログにお邪魔する次第です。済みません。簡単に書きます。
英語での動画:https://www.youtube.com/watch?v=-axJ3yXgK0M
英訳書き起こし:http://en.kremlin.ru/events/president/news/66975
プーチンの世界観、哲学を分かりやすく吐露する内容になっていると思います。僕が面白かったのは、単に西側の政権批判に止まらず、その根底にある思想の批判に及んでいることです。欧米のリベラル思想は、恐らく進歩主義に支えられるものでしょうが、彼は自国の経験から「進歩」自体を楽観視していません。ロシアは別の道を歩むべきだとし、「保守主義」という言葉を繰り返しています。「健全な保守主義」「理性的な保守主義」「適度な保守主義」と表現し、最後に、「楽観者の保守主義」でなければならないとしています。田舎の工場勤めの小生如きが語るのもおこがましいのですが、西洋文明批判の部分は、A・ジノビエフを、保守主義の理念の部分は西部邁さんを想起させてくれました。(プーチンはベルジャーエフについて語っていますが)
バルダイ会議でのプーチン様
削除コメントをお寄せいただき、有難うございます。
プーチン大統領の演説は何時聞いても惚れ惚れさせられますよね。なぜかと言うと、プーチンの演説には常識的に不信感を買うようなことは少ないからです。ご指摘のように、彼の物の考え方はロシアの大地に根をおろしている伝統文化に則っているからなのでしょう。プーチンの演説を日本語で概説してくれているHarano Timesにもありますように、そこには西側の著名な保守政治家が喋る内容とも共通点が感じられますよね。実に不思議です。稀に見る大器だという感じです。