2021年10月7日木曜日

ロシアは米国の戦略的な計略に対してS-500でお返し

 

「弾道弾迎撃ミサイル制限条約」(あるいは、ABM条約)をめぐる米ロ間の政治的駆け引きは素人の私には長い間今一つピンと来なかった。この条約は1972年に米ソ間で締結された。そして、1989年にベルリンの壁が崩壊し、それに続いて1991年にソ連邦が崩壊した時、米国は自分たちの資本主義が共産主義に勝ったと言って、有頂天になっていた。その後、10年程を経て、200112月、米国はABM条約から脱退することをロシア側に予告した。そして、その6か月後の20026月に米国は正式にABM条約から脱退した。

当然ながら、米国にとっては脱退することに何らかの戦略的な理由があった筈だ。米国側の正式の脱退理由は大量破壊兵器や弾道ミサイルの拡散といった脅威により効果的に対処するため、この条約によって制限されていたミサイル防衛をさらに進化させることにあった。

ウィキペデイアの解説をここに付け加えておこう:

「米ソ両国とも1960年代までに攻撃用の大陸間弾道ミサイルを初めとする弾道ミサイルのみならず、弾道弾迎撃ミサイルの開発にも成功していた。この弾道弾迎撃ミサイルの存在は、弾道ミサイルの一発あたりの有効性を低めるものであるために、弾道ミサイルの配備数の増加をもたらしていた。そのため、弾道弾迎撃ミサイルの技術が確立したことにより相互確証破壊及び核抑止論の考えが成立しにくくなった(つまり、戦争が勃発した際にどちらかが必ず戦勝国になり、両者が同時に壊滅的状態にはなりにくい)。そこで、迎撃ミサイルを排除することで核抑止論を再構築しようとした。そのため、冷戦期の軍備抑制・核戦争抑止に結びついていたという評価もある。条約の内容は、米ソともABM配備基地を首都とミサイル基地一つの合計2箇所に制限するものである。なお、19747月に配備基地を1箇所に制限する議定書が結ばれている。これに基づき、ソ連はモスクワ近郊に、アメリカはノースダコタ州グランドフォークス空軍基地に迎撃ミサイルを配備した。」

ここで、弾道弾迎撃ミサイルシステムの米ロ間の威力の違いについて考察してみよう。先ず、米国の方がより効果的な対空防衛システムを開発していたと想定してみる。米ロ間で弾道弾ミサイルによる攻撃が始まった場合、ソ連から米国に飛来するミサイルは大半が弾道弾迎撃ミサイルシステムによって迎撃され、米国内の目標には届ない。米国からソ連に向けて発射されたミサイルは多くが目標に到達する。こうなると、勝負は明白だ。米国が勝つ。ところが、これはある仮説(想定)の下に論理を進めて得られた結果に過ぎない。

フォーリンアフェアーズ誌の20063月・4月号にKeir A. LieberDoryl G. Pressの共著による「The Rise of U.S. Primacy」という記事が掲載された。この記事は米国の軍事的優位性を想定し、ロシアに対する先制核攻撃の可能性を論じたものであった。本記事は著名な外交問題評議会が発行するフォーリンアフェアーズ誌に掲載されたことから、この記事の論点は当時のブッシュ政権の公式見解であると受け止められた。一方、ロシアからは多くの反論が提出された。ロシア側の反論の趣旨は一度先制攻撃が行われると、それは報復攻撃を受けて、成功することはなく、米ロ両国は共に壊滅するというものである。2014621日、「芳ちゃんのブログ」では「Nuclear Primacy is a Fallacy」と題されたValery YarynichSteven Starrの共著による反論(Mar/04/2007)を「米国の核戦力の優位性は単なる誤謬に過ぎない」と題してご紹介した。

米国においてはなぜか先制攻撃論が多くの人たちによって支持され、根強いものがある。この状況は、ひとつには、1990年代に米国人の多くがソ連の崩壊の際に経験した「米国の一人勝ち」という捉え方によって米国の優位性が何の疑いもなしに支えられ、バブルと化した偏見の申し子であったと私には思える。

201831日、プーチン大統領が行った演説は西側世界の常識に衝撃を走らせた。米国の軍事的優勢を疑わない米国および西側の人々にとっては、まさに自分たちの足元で大きな地殻変動が起ったのである。

米国は2002年に一方的にABM条約から脱退し、ロシアに対する軍事的優位性の確立は順調に進んでいると信じ込んでいた矢先、ロシアが極超音速ミサイルを開発したというとんでもない状況がプーチンの演説によって明らかになった。これによって、米国の最新鋭のF35ステルス戦闘機やイージス艦、地上配備型イージスシステム、ならびに、何百億ドルもする空母軍団は一夜のうちに無用の長物となったのである。

ここに、「ロシアは米国の戦略的な計略に対してS-500でお返し」と題された記事がある(注1)。

この記事は私が疑問に思っていた事柄についてひとつの答えを示してくれた。

本日はこの記事を仮訳し、読者の皆さんと共有しようと思う。

***

S-500プロメテウス」の試射はその最後の段階に入り、今年中に試射が完了する予定である。本システムの出現はABM条約から脱退すると言った米国が企んでいた古い計略に対するお返しとなった。そして、これはロシアを戦略的なレベルにまで引き上げるのに必要なもうひとつの実際的な防空網を実現してくれた。本稿ではその詳細を述べたい。

彼らは自分たちの計略にはまってしまった:

1974年の5月、米ソ両国の指導者は対空防衛システムの数を制限する条約に調印した。この条約によって、米国およびソ連はそれぞれが半径150キロ以下の対ミサイル防衛システムは二カ所だけに制限され、それ以上多く配備することは禁止された。個々の対ミサイル防衛システムにはICBMを迎撃することができるミサイル発射台を最大で100基配備することが許された。それから間もなく、許容される対空防衛ミサイル基地の数はそれぞれたった一カ所になった。ソ連邦は首都とその周辺の中央工業地帯を防衛することにした。そして、米国の指導者はワイオミングやモンタナおよびノースダコタの諸州にあるICBMサイロを閉鎖すると決断した。しかしながら、その後、米国人はある計略を企てることにした。2001年の12月、ジョージ・ブッシュ大統領は米国はABM条約から脱退することを予告した。彼は米国が開発した多機能戦闘情報システムである「イージスシステム」が米国を難攻不落にするという自信を抱いていたのである。

このイージスシステムはその設計思想から言えば何でも迎撃することができると想定されていた。敵の航空機から始まって中距離弾道ミサイルに至るまで。このシステムのミサイルは主として艦上に設置されていることから、特別な協力体制もなしにロシア沿岸に単独で近寄ることも可能である。後にこのような状況は整然と起こり始めた。ある時、えらく勇気づけられた米国の対ミサイル防衛システムが搭載された戦艦がセヴァスト―ポリ港へ入って来た。セヴァスト―ポリは当時ウクライナ領であった。米国大統領の軍事補佐官はロシアはもう完全に崩壊したも同然だと言って、大統領にそう信じ込ませた。さらには、ロシアは技術的にたいそう遅れていることから、米国が条約から脱退しても米国にとっては何の危険さえももたらさないと。しかし、後に起こった出来事が示してくれたように、第43代米国大統領はとてつもない間違いを仕出かしたのである。

新たなレベル:

ロシアの技術者はわれわれが今話しているA-253 ヌドル・ロケットの助けを借りて戦略的ミサイル防衛システムをさらに一段と高いレベルに高めたというだけではない。配備済の戦術的システムにおいてもさらなる開発が急速に進められた。彼らの任務はS-500 プロメテウスの開発であった。これは「米国の卑劣さ」に対するお返しであると言えよう。事実はこうだ。公式にはS-500は陸軍のシステムを指しており、これは何の制約も受けないことを意味する。実際の可能性に関して言えば、これは戦略的なレベルにまで発展させることが可能である。このシステムは戦略的ヌドルと戦術的S-400の間にあるギャップを埋めてくれた。移動することが可能であることから、このシステムはもっとも大きな危険が差し迫っている方向へ速やかに向きを変えることができる。ほんの僅かな数のミサイル発射装置を使って、自殺行為そのもののドローンや戦略爆撃機および水平線の彼方から指令を送り込んでくる航空指揮センターに対して同時に作戦を遂行することが可能である。また、弾道弾ミサイルに対しても同様だ。S-500は一回のミサイル発射で同時に10基の弾道弾ミサイルを撃墜することができる。

近い将来、国家による試射が成功裏に完了した暁にはS-500の連続生産が開始され、実働部隊への配備が行われる。このミサイル防衛システムは陸軍の対空防衛軍(PVO)の指揮下に置かれるだけではなく、国際的な状況が悪化した際には実際の戦略に沿った部隊が新たに編成され、クリミア半島を含めて、我が国のもっとも重要な地域をカバーするべく配備されるであろうと予想される。いずれにせよ、米国政府の補佐官が行ったロシア国家の葬式についての予測は、何時ものことながらも、余りにも時期尚早であったということが判明した。

***

これで全文の仮訳が終了した。

この記事を読むと、米国のブッシュ元大統領が如何に周囲の補佐官や専門家たちによって都合よく誘導されていたか、そして、そのことが米国の長期戦略としてはとてつもなく大きな失敗をもたらしたこと、等が手に取るように分かる。かねてから私が抱いていたもやもやとした疑問に対してひとつの明快な答えも提供してくれた。こうして、引用記事の表題が何を意味しているのかが理解できるようになった。

本投稿は102日の投稿の続編として位置づけることができる。特に、歴史的背景を述べた解説は素晴らしいと思う。

この引用記事と関連して、2014年に本ブログに投稿した拙文を改めて参照しておこう。20141121日付けの手も足も出なかった!  黒海で米ミサイル駆逐艦「ドナルド ...をご一覧いただきたい。これは最新鋭の米イージス駆逐艦ドナルドクックが黒海でロシアの爆撃機の電子戦兵器によって翻弄されたエピソードである。つまり、一連の出来事を総合的に俯瞰すると、米国の大統領から始まって米海軍の一兵士に至るまで米国のほぼ全員が大きな偏見に捕らわれて、ロシアを徹底的に侮っていたという話だ。当時、米国の主要メディアはこのイージス駆逐艦ドナルドクックが体験したことは一般大衆の関心からは完全に締め出そうとしていたと言われている。この出来事は7年も前のことであるから、今や米海軍は電子戦に必要となる技術的な対処策を施しているものと思う。

政治的なプロパガンダは後に大きな代償を支払うことになることが多い。最新式の兵器についてもそのような状況に陥る時がある。特に、過信の余りに自分で自分の足を撃ってしまうような愚行は何としても避けることができるように冷静な姿勢を維持することが重要だ。

参照:

1Russia Responded to an American Strategic Ruse With the S-500 (Sonar 2050): By The Saker, Sep/18/2021. Translated and subtitled by Leo.

 


0 件のコメント:

コメントを投稿