2022年8月3日水曜日

キャッスル・ヨーロッパの終焉と自由の始まり

 

ロシア・ウクライナ戦争は2022224日に始まった。その日、プーチン大統領はウクライナ東部への武力侵攻を発表した。

上記の文言は、一言で言えば、西側の大手メディアの典型的な主張である。つまり、われわれ一般庶民を洗脳する際に彼らが決まったように用いる表現である。

だが、大手メディアがわれわれの大多数に知られたくはない事柄がある。それは次のような内容だ。

ウクライナでは8年前にクーデター(別称、マイダン革命)が起こった。このクーデターによって、選挙で選出されていた親露派のヤヌコヴィッチ大統領は政権の座から追い出され、米国とEUが後押しする民族主義的な極右派勢力を主体とする傀儡政権が代わって誕生した。この時点で、ウクライナ国内は親欧米派と親露派のふたつに分断されることがすでに約束されていた。東部2州では日常喋っているロシア語の使用が禁じられ、これらの州に対する無差別砲撃や爆撃が開始された。オデッサではマイダン革命に賛成するデモとそれに反対するデモとが衝突し、労働会館に逃げ込んだ反対派のデモ参加者は40数人が焼き殺されるという悲惨な結末をもたらした(201452日)。この事件がきっかけとなってウクライナの内戦が始まったとする向きが多い。

極右派勢力の主導による民族主義路線を行くキエフ新政権に反発して、ロシア語住民が多い東部のドネツクとルガンスクの両州はキエフ政府に自治権を要求した。当初の要求は穏健な自治権であって、独立ではなかった。

クリミア半島では、2014316日、ロシアへの編入か、それとも、ウクライナ政府の下で自治権を拡大するかを問いかける住民投票が行われ、多数の有権者が投票に参加。その結果、投票総数の90%以上がロシアへの編入に賛成した。こうして、クリミア自治共和国が誕生した。この圧倒的多数の住民投票によって可決されたクリミア半島のロシアへの編入についてEUは強く反発。EUはこの住民投票は非合法であるとして非難したのである。

一方、プーチン大統領はこのロシアへの編入は合法的であると反論した。見事な反論であった。彼の反論内容を下記に転載してみよう。これはRTロシアのシンクタンクのひとつであるInstitute of Democracy and Cooperationジョン・ラフランドとの対談の一部である。(注:さらなる詳細は2014320日に掲載した「クリミアでの国民投票は本当に非合法なのか」をご一覧願いたい。)

RT: プーチン大統領は今日(319日)の演説で西側が作り出したコソボの事例に言及しました。あの比較は適切であると思いますか?

JL: まったく正当だと思います。これは前例があるとかないとかの問題ではなく、法理の原則としては、法の侵害は前例とはなり得ません。これはローマ法においては非常に重要な原則です。私自身も含めて、多くの専門家たちはコソボの2008年の独立宣言はそれ自体が国際法違反であると考えています。何故かと言いますと、それ以前に国連安保理の決議があって、それによるとコソボはユーゴスラビア連邦の一部であるからです。しかしながら、2008年の宣言以降、国際法の立場が国際司法裁判所が示した裁定によって明確化されました。このことをプーチン大統領は非常に正確に引用したのです。国際司法裁判所は国際法に関連する事項についての最終的な調停者です。セルビアは国際司法裁判所の意見を求めたのです。セルビアにとっては不幸にも、判事たちはセルビアの期待に反する裁定を下し、独立宣言は合法だとしました。そして、もっと一般論的に言いますと、歴史的に見て、さまざまな独立宣言がありますが、それらは決して国際法と矛盾するものではないと裁定したのです。そして、国際司法裁判所はさらに先へ踏み出しました。20世紀の独立宣言は民族自決の名において国際法と両立するものであって国際法によって支持もされている、と彼らは述べました。したがって、これは単に2008年にコソボが独立したという事実に止まるだけではなく、法律的な観点からもっと重要なことは、上述のように、2010年の国際司法裁判所の裁定をプーチン大統領が正当に引用したという点です。

先述したように、西側はクリミアのロシアへの編入は非合法であると主張し、さらには、ウクライナ政権による東部2州のロシア語住民に対する無差別砲撃について西側は目をつぶった。こうして、ヨーロッパ文化圏でこのようなことが起こるとは想像もできないような実に悲惨な状況が8年間も続いていたのである。ロシア・ウクライナ戦争は5カ月前の2022224に始まったわけではない。つまり、8年も前にキエフ政権によって東部2州に対する砲撃が開始され、子供たちも含めて無辜の市民が何千人も殺害されていた。これを受けて、ロシア語を喋る東部2州の住民の安全を守るために、2022224日、ついにロシアが立ち上がったという全体像こそがロシア・ウクライナ戦争の本質なのだ。専門家はどのように判断し、説明するのかは知る由もないが、私にはロシア軍によるウクライナでの特別軍事作戦は正当防衛であると思える。しかも、ロシア軍はこの特別軍事作戦では民間人に危害を加えないことを作戦遂行時の優先条件とした。因みに、米国とその同盟軍が2003年に遂行したイラク侵攻では最初の5か月間にどれだけの死者を出しただろうか?おそらく、数十万人のレベルである。それと比べると、ロシア軍の配慮が如何に重要な事柄であるのかが直接的に理解できる。

今や、特別軍事作戦はすでに満5カ月を過ぎた。ウクライナには西側諸国からの武器の供与が行われ、「ウクライナは最後の一兵になるまで戦う」といった文言が繰り返されている。これは対露経済制裁を長引かせることによってロシア経済を疲弊させ、ロシアの戦争遂行能力を弱体化させるためだと説明されているが、地上の実際の状況はそれとはまったく逆であるとの指摘が多い。つまり、ロシア経済は疲弊するどころではなく、経済制裁によって西側には売れなくなった原油や天然ガスの輸出先を見つけることはロシアにとっては決して困難ではない。中国やインドが買ってくれるからだ。その一方で、資源小国である西側諸国ではエネルギー危機が起こり、エネルギー価格が高騰し、インフレが進行している。一般庶民の懐が直撃されている。新型コロナ禍において都市閉鎖や社会的距離を保つ政策によってさまざまな不便や損害を強いられて来たばかりである西側の一般消費者は、今、新たな苦難に遭遇している。

最近、ヨーロッパの政界では異変が相次いでいる。英国ではボリス・ジョンソン首相が失脚。イタリアでも首相の交代。リトアニアとエストニアの首相が辞任。フランスでは、711日、大統領の不信任案が提出された。だが、議会は通過しなかった。問題はマクロン政権の与党が議会で過半数を割っていることだ。冬将軍の到来とともに、EU圏はこれから内部分裂の様相をさらに顕著にすることになるかも知れない。

これらの出来事には長引くロシア・ウクライナ戦争については戦争が一日でも早く終わって欲しいと願う一般庶民の率直な意向が直接・間接に反映されているのではないかと思う。

ここに、「キャッスル・ヨーロッパの終焉と自由の始まり」と題された記事がある(注1)。

本日はこの記事を仮訳し、読者の皆さんと共有したいと思う。

「キャッスル・ヨーロッパ」という耳慣れない言葉が現れるが、この投稿を読み進めていただくにしたがって著者の狙った意味合いが浮かび上がって来る。

***

そして、彼らは全国をこれらの城で満たした。彼らはこれらの城でその国の不幸な人々に強制労働を課した。城が建てられると、彼らはそれらの城を悪魔と邪悪な連中で一杯にした。

― アングロサクソン年代記、1137

はじめに:特別軍事作戦の三つの目標を改訂

ウクライナにおける連合国による特別作戦における三つの目的、すなわち、ドンバスの解放とウクライナの非軍事化、非ナチス化をさらに延長、拡大しなければならなかったことは今や公けに認められている。これは、第一にウクライナ国民の解放に対してキエフのネオナチ政権が抵抗しているせいであり、第二には西側の親ナチ政権によってキエフ政権に与えられている支援のせいでもある。「集合的な西側」として知られ、全体でも世界人口のわずか13%を占めるに過ぎない西側政権の諸国は時間的にも空間的にも戦争を拡大した。

この変更は、728日、プーチン大統領のドミトリー・ペスコフ報道官によって暗黙のうちに確認され、彼は「ウクライナ全土を非ナチス化する必要がある」と宣言した。これは、クリミア半島やドンバスの二つの州とそれらの州の周辺に続くハリコフやドニエプロペトロフスク、ヘルソン、ザポロージエの4州を含めて、ウクライナのほとんど、あるいは、全土を解放することを意味している。これらの完全に、あるいは、部分的に解放された諸州は遠距離から攻撃されている。遠距離からの攻撃が停止になるまでは、たとえそれがポーランドとのウクライナ国境にさえも進展することを意味するとしても、これらの州の解放は完了しないことは明らかであろう。(そして、もしNATO諸国が解放されたウクライナに対して自分たちの国境内から敢えて攻撃をするならば、その場合もまったく同じことが言えるであろう・・・)

第二の目標である非軍事化作戦はウクライナで進行しており、ロシア軍がウクライナ軍の武器や装備を破壊し、それらを使用する兵士を殺害した結果、非軍事化作戦はすでに高いレベルにまで達しているが、この作戦も拡張となった。この作戦の拡張が必要となったのはウクライナ軍の軍事装備品が他の集団的西側諸国から、つまり、非ロシア・ヨーロッパ(ヨーロッパ領土の50%強)と米国からウクライナに送り込まれてくるからである。ヨーロッパ諸国と米国はあたかもロシアによって破壊されるために大量の武器をウクライナへ送り込み始めたかのようだ。

しかしながら、第三の目標である非ナチス化作戦はウクライナにおいても、以下で説明するように、他の非ロシア・ヨーロッパにおいても遥かに複雑である。これは、一見するとむしろ学術的、あるいは、歴史学的な考察のように見えるかもしれないが、英語と西洋の歴史を通して説明してみよう。しばらくお待ちいただきたい。これには重要な点が含まれているからだ。

「アングロサクソン」:

1945年以降、非ロシア系ヨーロッパは政治的にも、経済的にも、そして、軍事的にも征服した米国と英国の旗に代表されるように、一般的には「アングロサクソン」として知られているひとつの集団によって支配されてきた。ここで、何らかの説明の言葉が必要となる。なぜならば、この用語は非常に不正確であるからだ。「アングロサクソン」という用語の主な歴史的使用としてはラテン語での年代記の執筆者や後世の学者らによって「1066以前」、「ノルマン人による征服以前」、「征服以前」、あるいは、「封建以前」のイングランドにおける文明や人々を指し示す際に用いられて来た。当時の人々は自分たちが使っている言語や文明を指すためにこの用語(アングロサクソン)を使うことはなかった。彼らは自分たちが「英語」と呼んだもの、つまり、現在の言語学者によって「古英語」と呼ばれている言語を喋り、彼らは自分たちを「アングルシン」、つまり「アングル/英語に似たもの」と呼んだ。彼らの言語を正しく指し示す歴史的用語は「初期英語」、時には、「古英語」となる。

残りは大部分がノルマン神話(=ヴァイキング神話)、あるいは、むしろ反英プロパガンダである。例えば、「アングロサクソン・イングランド」という表現は実に奇妙である。「イングランドが支配するイングランド」(下記参照)が正解だ。反英プロパガンダのもうひとつの例としては、罵倒の言葉を表す現代用語「アングロサクソン」がある。この純粋に反英語的な用語は中世オランダ語から英語にしばしば導入されて来た単語に関係している。最後に、「アングロサクソン」の正しい政治用語としては、米国人を含めて、非英語国民によって特に使用される表現(例えば、米国用語では「WASP」)は「アングロアメリカン」ではなく「アメロアングリアン」である。これは、1940年以降、アメロ・アングリアン・チャーチルの出現以来、英国はキャンキャンと吠える、臆病なワシントンのプードルにすぎなかったからだ。

多くの人が「アングロスフィア」と呼ぶことを好むことを反映して、不正確な「アングロサクソン」の代わりに、頭文字用語のUS-UK-CA-AUS-NZ、つまり、「ファイブ・アイズ」を使用することができる。これは、ロシア人が「ロシア世界」(Русский мир)と呼ぶことと同等であり、「ロシア圏」と訳すことができる。奇妙なことには、西側のプロパガンダは「アングロスフィア」という言葉は完全に受け入れることが可能であって、立派だとしているが、米国が任命したエリートによって支配されているいくつかの国々で禁止されている「ロシア世界」という言葉は人種差別的で、攻撃的で、「異端」でさえある!

英国統治下のイングランド:

最も教育水準の低い英国人であってさえも、そして、現代西洋の恐ろしい教育制度を考えるとこういった人々は実に多くいるのではあるが、誰もが歴史上の1066年という日付けを理解している。これは「征服者」ウィリアム(正しくは「ろくでなし」)によるノルマン人の侵略の年を指し、ノルマン人の「エスタブリッシュメント」による継続的な占領を示し、その上流階級が使っていたフランコ・ノルマン言語、つまり、現在はBBCの標準アクセントとされている言語を指す。封建化(1066年以前のイングランドでは封建制度は知られていなかった)、および、親ノルマン/反イングランドのプロパガンダ歴史家によって「アングロサクソン」と呼ばれていた英国人に対する大量虐殺が続いた。その結果、何千人もの国民が亡命した。特に、王族の血統者はキエフへ逃れ、貴族の多くはコンスタンティノープル(訳注:現在のイスタンブール)へ亡命した。

封建ピラミッドの頂点に位置するローマ教皇からの励ましを受けて送り込まれ、ルーアンからのユダヤ人の金貸し(以前は英国に住んだことがなかったユダヤ人)が同行している封建的なノルマン人の高圧的な態度にイングランドの人々は抵抗を覚えた。抵抗活動はイングランド東部のヘレワードやイングランド西部のイードリックのような民族英雄たちによって率いられた。これらの民族指導者たちは「大王」と称されたイングランド唯一の支配者であったアルフレッド王の国防の偉業を再現しようとした。彼らは9世紀にはヴァイキング(デンマークの海賊)を倒すという偉業を成し遂げたが、11世紀にはヴァイキング(ノルマン人の海賊)を倒すことはできなかった。だが、このことは驚くに値しない。なぜならば、アルフレッド王の曾曾孫であるイングランド王最後のエドモンド・アイアンサイドは1016年にすでにデンマークのヴァイキング(デンマークの海賊)によって殺害されていたからだ。1016年のエドモンド以降、イングランド人の王は誰もいない。

エドモンド・アイアンサイドはヴァイキングの指導者クヌート(カヌート)やノルマン人とデンマーク人のハーフである裏切り者「エドワード・コンフェッサー(懺悔者)」を含む3人の外国の後継者によって引き継がれ、1051年にはノルマン人のエージェントによってイングランドにおいて最初の城を構築させ、「キャッスル・イングランド」(下記参照)が始まった。コンフェッサーの治世後、ノルマン人やフランス人(プランタジネット朝)、ウェールズ人(チューダー朝)、スコットランド人(スチュアート朝)、オランダ人(オレンジ朝)、ドイツ人(ハノーヴァ―朝/ザクセン=コーブルク=ゴータ朝/ウィンザー朝)、等が続いた。非西ヨーロッパ人にはこれらの人たちは集合的に「フランク人」として知られている。要約すると、1016年以降、1000年以上にわたってイングランド人の王や女王はいない。実際には、ウェールズ人やスコットランド人ならびにアイルランド人も、イングランド人と同様に、外国からの疑似英語の君主に我慢しなければならなかった。

外国人の支配下にあるヨーロッパ:

話がすっかり逸脱したが、ウクライナとの繋がりはいったい何だろうか?それは何かと言うと、英国人の運命は、今日のウクライナがそうであるように、すべての非ロシア系ヨーロッパ人の運命、つまり、「海賊」、あるいは、外国やエイリアンのエリートによって支配される運命に過ぎないからだ。エイリアンのエリートによる支配や抑圧を示す目に見えるもっとも象徴的なものは彼らが人々を抑圧するために構築した城である。重要なことに、ポルトガルやアイルランドの大西洋岸から現在のウクライナの最西端の国境に至るまで(グーグルで地図を見ていただきたい)、つまり、ロシア以外のヨーロッパ全土において「城の構築」は海賊エリートによるヨーロッパ人民に対する抑圧の象徴であった。したがって、非ロシアヨーロッパは明らかに「キャッスル・ヨーロッパ」と呼ぶことができる。たとえ今日では廃墟であるとしても、これらの城は、11世紀以降、石壁に囲まれた強制収容所、望楼、封建的な西洋エリートの象徴であったし、現在でさえもそうだ。

例の封建時代が終わった時、キャッスル・ヨーロッパに起こった最悪の事態は新世界を発見したことであった。なぜならば、まったく同じ征服の精神状態を踏襲して(例えば、「征服者」たち)、キャッスル・ヨーロッパが提供しなければならなかった海賊行為を現地住民に投影するために、何の反対も受けずに、海外で多くの人々を奴隷にしたのである。しかし、さらに悪いことが起こった。20世紀には、最も豊かで強力な新世界の植民地ではまさにキャッスル・ヨーロッパでのように天然資源を略奪するために、あたかも野生動物を相手にしているかのように「野蛮人」と呼ばれる先住民たちを大量虐殺した。生存者たちは「居留地」と称する強制収容所に送り込み、「砦」と呼ばれる城によって守られて、キャッスル・ヨーロッパへ舞い戻って、同地域を侵攻し、人々を支配し、苦難を強いた。

こうして、今日のキャッスル・ヨーロッパ全土では中世の城にある塔から始まって、しばしばミニキャッスルのように見えるキャッスル・ヨーロッパの「教会」を含めて、他の諸々のキャッスル・ヨーロッパの建物に至るまで、ウクライナの旗を掲げている。なぜだろうか?米国によって任命されたキャッスル・ヨーロッパの海賊エリートたちがそうすることを命じるからである。なぜならば、彼らにとってはウクライナは、連中の私的な「居留地」、つまり、彼ら自身の強制収容所であるからだ。言い換えれば、キャッスル・ヨーロッパは、これまでと全く同じように、エイリアンとエイリアンが任命したエリートによって支配されているのである。これらの新しい城は「基地」とか「キャンプ」とか呼ばれる。たとえば、ドイツの「ラムシュタイン空軍基地」やコソボの「キャンプ・ボンドスチール」。まったく同じことだ。われわれは封建的(ノルマン人/フランク族)なヨーロッパからネオ封建的(アメリカ人)なヨーロッパへと移行した。そして、「封建的」を現代語に翻訳すると「ネオコン」であり、「ネオリベラル」である。あるいは、特にロシア人にとっては単に「ナチス」である。これが、ウクライナの非軍事化と非武装化が、必然的に、非ロシア・ヨーロッパ、つまりキャッスル・ヨーロッパの非軍事化と非ナチス化へと時間的につながって行くことをはっきりと見ることができる所以である。

結論:政治的、経済的、イデオロギー的解放としての非ナチス化

彼女があなたに理由を尋ねたら、あなたは私があなたに言ったことを彼女に伝えることができる、

私は空中の城にはうんざりしていると。

世界に共有してほしい夢がある、

城壁は私を絶望に導くだけだ。

ドン・マックリーンの「空中の城」、1970

今後数週間から数ヶ月以内にわれわれはキエフに進駐するロシア軍を見ることになるかも知れない。しかし、ベルリン、ウィーン、パリ(これら三つの都市には2回目となる)、ローマ、マドリード、ロンドン(これら三つの都市にとっては初めて)でもロシア軍を見るのだろうか?それはあり得そうもないことだ。ましてや、地元の人々がそれを望んでいないならばなおさらのことである。ロシアはすっかり甘やかされたヨーロッパのために兵士を(再び)犠牲にする積りなんてない。というのも、キャッスル・ヨーロッパに非ナチス化をもたらすのは軍事的な戦争だけではなく、政治的、イデオロギー的、経済的戦争でも可能であるからだ。この迫り来る災害は、特にドイツとイタリアをすでに怖がらせている昨今の蒸し暑い夏の日々において、おそらく、キャッスル・ヨーロッパを正気に引き戻すことができる唯一の理由である。

言い換えれば、キャッスル・ヨーロッパは武力によってではなく、政策やお金、アイディアによって非ナチス化されるだろう。ただ残念なことには、キャッスル・ヨーロッパがエイリアンの海賊エリートに苦しみを感じ、それを打倒するまでは非ナチス化を実現することはない。キャッスル・ヨーロッパは数多くの廃墟に占拠され、すっかり荒廃した心から成りたっている城によって占領されたヨーロッパのことを指す。非ナチス化はキャッスル・ヨーロッパのすべての民族にとって絶好の機会である。前世紀にネオ封建ヨーロッパが新世界から輸入される以前のように、模倣米国人であることは止め、自分自身を再び取り戻すのだ。ヨーロッパ人にとっては米国からのバイキング侵略者を海の向こうに追い落とし、ヨーロッパに脱マクドナルド化と脱ディズニー化をもたらす絶好の機会となる。

さらに根本的に、文字通りに根本的なことを喋るとすれば、非ナチス化はキャッスル・ヨーロッパのすべての民族が自分自身のアイデンティティを再発見し、キャッスル・ヨーロッパの彼方から、エイリアン・エリートによる支配の彼方から民族的ルーツに復帰する絶好の機会なのである。英国人が英国人に、フランス人がガリア人に、スペイン人がモーツァラブ人に、ドイツ人がバイエルン人、ザクセン人、シュヴァーベン人、あるいは、ヘッセン人に戻るまたとない機会である。まさにこれはヨーロッパの根本的な将来の方向性、ルーツへの回帰、自由への回帰、アイデンティティへの回帰の兆候である。マリウポリとドネツクで始まったことは最終的にはベルリンやウィーン、パリ、ローマ、マドリード、ロンドンで終わる。それはミレニアル世代による詐欺の終焉であり、キャッスル・ヨーロッパの終焉であり、そして、それは自由世界の始まりとなることであろう。

***

これで全文の仮訳が終了した。

「キャッスル・ヨーロッパ」という言葉はさらに具体的に言えば「城で象徴されるヨーロッパ」と言っても良さそうだ。著者が詳しく説明しているように、ヨーロッパ全域の頂点に立つ支配者とそれに従う地方の有力な支配者との関係が城の存在を通じて明確に描写されている。

著者の指摘は秀逸だ。『・・・われわれは封建的(ノルマン人/フランク族)なヨーロッパからネオ封建的(アメリカ人)ヨーロッパへと移行した。そして、「封建的」を現代語に翻訳すると「ネオコン」であり、「ネオリベラル」である。あるいは、特にロシア人にとっては単に「ナチス」である。これが、ウクライナの非軍事化と非武装化が、必然的に、非ロシア・ヨーロッパ、つまりキャッスル・ヨーロッパの非軍事化と非ナチス化へと時間的につながって行くことをはっきりと見ることができる所以である』と述べている。なかなか意味深だ!

この理屈を採用すると、ロシア・ウクライナ戦争は必然的にヨーロッパ全域に広がって行く。しかしながら、非ナチス化作戦は非軍事的な作戦によって遂行することが可能であると著者は言う。非凡な指摘である。「マリウポリとドネツクで始まったことは最終的にはベルリンやウィーン、パリ、ローマ、マドリード、ロンドンで終わる。それはミレニアル世代による詐欺の終焉であり、キャッスル・ヨーロッパの終焉であり、そして、それは自由世界の始まりとなることであろう」という著者の視点は私にとっては非常に新鮮であり、力強いヨーロッパ精神の復活として響いてくる。

参照:

注1:The End of Castle Europe and the First Day of Freedom: By Batiushka for The Saker, Jul/30/2022 

 


4 件のコメント:

  1. Нам удалось связаться с господином Шимомурой. Он сделал важнейшее открытие в истории археологии. В любом случае, я почувствовал облегчение.
    サーカー氏の文章は難解で、、、
    ジョーゼフ・キャンベルが、その時代の支配者が誰なのか知りたければ、一番高い建造物を見ればわかるといったようなことを発言していたのを思い出しました。
    20年前にアメリカは二つのビルを自らの手で破壊しましたが、今起きていることを象徴した出来事だったのだなと思ってみたりしました。彼らにとっては私たちは所有物であり、破壊しても何の感情も湧かないのでしょう。願わくば、庶民を巻き込まず黙って退場してもらいたいものです。

    返信削除
    返信
    1. Спасибо, что поделились местонахождением Шимомуры. Наконец-то почувствуйте себя так сильно.
      まったくその通りです!
      私はアゾフ大隊の捕虜がウクライナ軍の砲撃によって何十人もが殺害されたことと最近消されたアルカイダのトップであったザワヒリが無人機で攻撃され、消されたことの背景には米国人特有の精神構造を示す共通項があると思えてなりません。この精神構造はkiyoさんご指摘の件とも同根ではないでしょうか。

      削除
  2. 読みたいと思っていた投稿の翻訳に、感謝申し上げます。読みやすく、時系列で理解が進んでゆきますね。

    返信削除
    返信
    1. シモムラさま
      コメントを有難うございます。
      この記事は内容がユニークで、われわれ非ヨーロッパ人にとっては理解を広げるうえで興味深いものではないかと思っています。

      削除