2022年8月7日日曜日

ラリッサ、ハリコフ市のウクライナ保安庁の地下牢で3カ月にもわたる拷問を受ける

 

ロシア・ウクライナ戦争によってウクライナの一般市民が見舞われた苦難や悲劇は千差万別である。

ウクライナからの避難民については、その一部が日本へもやって来ていることから、われわれ日本人もかなり詳しく実情を理解しているのではないか。だが、何百万人もの避難民がやって来たEU諸国では初期の善意に満ちた受け入れに比べて、今や、さまざまな現実の課題に圧倒されて、受け入れ側の各国には不平不満が募っているようである。

ウクライナ東部のドネツクやルガンスクでは市街地に対するウクライナ軍からの砲撃によって死亡した市民の数は増えるばかりだ。2014年から20222月までに引き起こされた無差別砲撃による一般市民の殺害についてプーチン大統領はウクライナ政府軍による「大量虐殺」であると性格付けた。この大量虐殺を食い止めるために特別軍事作戦を行い、ウクライナの非軍事化と非ナチス化を進めると宣言したのである。

ウクライナの状況に関しては、このブログでは2015102日に「アンナ・トの物語 - ウクライナ東部のゴルロフカで起こった戦争犯罪」と題して、ドネツクのひとりの一般市民が経験した途方もない苦難をご紹介した。ゴルロフカの街で自宅が砲撃を受け、夫と11歳の娘を失ったアンナ・トフ婦人の苦難の物語である。彼女は左腕をもぎ取られた。幸いにも、ふたりの幼児は無事だった。

ネオナチの思想に染まったウクライナ政府はドンバス地域の市民に対してはさまざまな抑圧を課して来たが、これらとはまったく違う種類の抑圧、つまり、3カ月にもわたって一般市民が拷問を受けた事例を報じる記事に私は出遭った。その表題は「ラリッサ、ハリコフ市のウクライナ保安庁の地下牢で3カ月間にもわたる拷問を受ける」というもの(注1)。

本日はこの記事を仮訳して、読者の皆さんと共有しようと思う。ウクライナの現状をより広く、そして、より深く理解しておきたいと思うからだ。

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ラリッサはハリコフ市の警察官で、ウクライナで18年間勤勉に仕事をしてきた。しかし、マイダン革命がキエフで始まった時、彼女や彼女の家族、そして、街の住民たちの大多数は心配し始めていた。当時は「オデッサ虐殺」の前であったが、人々はハリコフ人民共和国を宣言し、地域評議会の建物にはロシア国旗を掲げ、ロシア連邦に加わる道にすでにしっかりと分け入っていた。しかしながら、この蜂起は治安部隊によって、さらには、ネオナチ・アゾフ大隊の将来の司令官であるアンドレイ・ビレツキーが率いる何百人もの狂信的な超国家主義者たちが街に到着しただけではなく、プラヴィ・セクトル党の部下であるイーゴリ・モシイチュクによっても率いられ、さらには、ウクライナ保安庁(SBU)の勢力によって流血沙汰が引き起こされ、粉砕されたのである。ウクライナ政府のアルセン・アヴァコフ内務大臣はハリコフ市やウクライナ東部の他の多くの都市で起こった悲惨な出来事に対しては計り知れない程大きな責任を負っている。ラリッサはこれらのすべての出来事を目撃し、占領下のドンバス地域に人道支援物資を運ぶことに長い時間をかけた後、ついに、20153月に息子と一緒に逮捕され、SBUの秘密刑務所のひとつで3ヶ月にもわたって浅ましい拷問を受けることになった。彼女は3時間半もかけて私たちに彼女の物語を話すことに同意してくれた。彼女は、殴打、心理的ならびに肉体的な拷問、恐喝、さらには、数々の嘘、思想の自由の原則そのものに対する真っ向からの否定、等々の下で延々と繰り広げられたウクライナのテロ行為の中心部分へと話を進めて行った。

ハリコフ市の反乱は血と恐怖で鎮圧された。ラリッサは2016年以降ドネツクにおいては難民の立場にあり、私たちは彼女の店で歓迎を受けた。彼女は一見脆そうに見えるのだが、彼女が生きてきた恐ろしい試練の後遺症を感じ取ることができた。彼女の中には彼女が受けた拷問や屈辱さえもが消すことができなかった火が今も燃えている。母親であり祖母でもある彼女はレジスタンスの戦士ではなく、ウクライナ政府に対するいかなる陰謀にも参加はしなかったけれども、ウクライナ政府がいったいどうなってしまったのかに関しては強く反対し、警察官として法律の観点から様々な点に考えを巡らせていた、と彼女は言う:「私の父は軍人で、あちこちで勤務をしていたことから、私はソビエト連邦時代にミンスクで生まれた。最終的にはハリコフに定住し、そこで私は結婚をし、子供をもうけた。私の周りのすべての人と同様に、私はマイダン革命にかかわる出来事によってさまざまなスキャンダルに遭遇したが、それらはすべてが完全に違法であり、我が国の憲法に違反していた。いったいどうして火炎瓶を秩序勢力に向けて投げつけることができたのか、私はこれらのベルクート(特殊警察)が松明のように燃えている状況を目にし、首都で引き起こされた荒廃や破壊を目撃し、さらには、略奪さえも目にした。その後出現した新政権はそれ自体が違法であり、このような狂気から誕生し、血にまみれて生まれて来た。街中の人たちがすぐに街頭に繰り出し、抗議した。人々は熱心で、平和的であり、クリミアがロシアの一部になった後、私たちも完全に狂気に支配されてしまった国からは分離しなければならないと考えた。私の祖父たちは大祖国戦争で戦ったが、こういったナチスの連中がウクライナを支配し、連中のイデオロギーをわれわれに押し付けることができるなんてことには私たちの理解はまったく及ばなかったが、1945年にわれわれはこれらの連中を完全に粉砕したわけではなかったという事実だけは理解し始めた。今日、世界でも、ウクライナでも、アメリカ合州国でもナチズムが蔓延しているのに、人々はどうして反応できないのだろうか、欧米はこのことをどうして理解できないのだろうか?そして、何百人ものマイダン革命の活動家たちが武器を持って、黒い制服に身を固めて、SBU軍やビレツキー、モシイチュクらと共に西ウクライナからの連中と一緒に到着するのを見た。彼らはすぐに通りに発砲し、4月にはすでに3人を殺害していた。テロ行為が広がり、私がとても愛していたハリコフの街はすでにこれらの賊の支配下にあった。私はレーニンに特に執着していたわけではないけれども、これは私たちの歴史の一部であり、すべてを切り取ることはできないし、記憶や文化、文明と闘争するなんて卑劣だ。私自身はロシア語を喋り、ウクライナ語は喋れない。ウクライナ語は理解することができても、私はそれを正しく読むことはほとんどできない。しかし、この街のどこへ行っても私たちが喋る言語はロシア語だ。だから、我々の歴史や言語、政党を禁止し、すぐに国民に対して政府がひどい暴力を振い始めるなんて許せることではなかった。」

SBUに盗聴され、政治的見解のせいで彼女は理由もなく逮捕された。ラリッサは話を続け、時には少し震えながら話しを続けたが、彼女が自分の物語に入って行けば行くほど、彼女の道徳的および精神的な強さが私たちの目に鮮明になって行った。彼女の物語が私たちの目の前で正確に展開されるのを見、西洋では誰もが反論することができない人権や人間性に関する反省や考察によってメリハリが付けられた詳細な物語を私たちは聞くことになった。と言うのは、私には拷問を受けた人たちの証言を聞いた経験がすでにあったのだが、彼女は私が聞いたことのない残虐で新しい事実を次から次へと語り続けることによって私たちを酷く驚かせた。彼女は続けた。「私は武装抵抗には加わらなかったが、自分なりの意見を持っていたし、無関心ではいられなかったので、ドンバス地域に支援物資を届け始めた。ウクライナ空軍と彼らの砲兵隊がルガンスクやドネツクの一般市民に砲撃するのを見るのは恐ろしいことだった。砲弾で引き裂かれて瀕死の状態にある女性の姿が私の心にずっと焼き付いていた。私たちのテレビ番組はコメントもせずに映像を流すだけで、何が起こっているのかについては何の非難もしなかったので、私は自分の周りで支援物資を集めようと決心した。私は十分な給料を貰っていた。私は前線の後方にいる人々のために、老人や民間人のために支援物資を運び始めた。マリウポリやアヴデーエフカ、ドンバスの他の街へと出かけた。パンや薬品、衣類、食べ物、等、できる限りのものを車で送り届けた。見るのも忍びないことではあるが、ある集落では3人の老人が飢えで亡くなったと聞いた。何もなかった。年金はキエフ政府によって打ち切られ、状況は恐ろしいものであった。私は201412月に最後の旅行をした。検問所を通過したが、私はすでに長い間盗聴されていたという事実はもう疑いようもなかった。私が20153月に逮捕された時、彼らは私の電話での会話を半年間にもわたって盗聴していたと後で私に言った。彼らはまず私の息子を逮捕するためにやって来た。私は別のアパートで私のもう一人の息子と一緒に住んでいた。私は9階に住んでいたが、彼らは私の建物で他にも2人の住民を逮捕した。逮捕の波が街中を襲い、検挙が行われたが、いったい何人、何百人が逮捕されたのかその全貌は分からなかった。こういった政治的弾圧は実に大規模だった。14人もやって来た!私ひとりを捕まえようとして14人もやって来たのだ。彼らがドアを壊す前に私がドアを開ける暇なんて全然なかった。何人かはSBUの制服を着ており、何人かは平服だった。彼らは武装しており、アパート中に広がって、私を逮捕した。何人かは怒鳴っていたが、他の連中は静かに質問をしてきた。ある時点で、彼らは私に廊下に出るようにと言い、その直後に彼らは私の12歳の孫娘のブーツの中から手榴弾を発見した・・・ もちろん、そこに手榴弾を置いたのは彼ら自身だ。私は武器を所有していることなんて否定したが、彼らは私がテロリストであり、国家の安全を損なっていると主張した。ここで私は冗談を言う強気に出た。この綺麗に裏打ちされた孫娘のブーツを蛾に食われないようにとこの手榴弾を購入したのだと彼らに言ってやった・・・ この時になって、彼らは私からは何も得られないだろうと悟った。私は弁護士の支援を頼んでみたが、彼らは大きなカメラで撮影を続けるだけで、私はウクライナ国家の敵であるから弁護士の支援を受ける権利はないと言われた。その後、彼らは私をSBUの敷地内に連行し、地獄のような日々が始まった。」

地獄のような拷問や恐喝が行われたSBUの浅ましい地下牢だ。彼女の拘禁期間は私がインタビューした他の政治囚のそれよりも短かったが、ラリッサは20153月から5月までハリコフのこの秘密のSBU刑務所に投獄され、その後、20155月から20161月末までは他のふたつの刑務所に投獄されていた。彼女はこう説明してくれた。「私はSBUの敷地内に連れて行かれ、私に対する最初の尋問は本当に酷いものだった。37時間にもわたってノンストップで続き、私は眠ることを妨げられ、ばかげた質問が私に浴びせかけられた。SBUのエージェントは交代し、私は時間の感覚を失った。このような残酷な扱いを受けた後の私はもはや私自身ではなかった。私の息子が逮捕されたのは、私に圧力をかけるためだった。残忍にも彼は何時間も殴打され、血まみれになって、傷つき、見分けがつかない程の体となった。彼らは彼の肋骨と両手を骨折させ、彼らが望むことすべてについて私が告白しなければ、息子は再び殴られるだろうと言って私を脅した。母親がこれほど残酷な拷問を受けるなんて実に恐ろしいことだ。ついに私は牢獄に放り込まれ、深い眠りに落ちた。私が目を覚ました時、私は十数人ほどが雑居する独房にいることに気付いた。隣り合った独房がいくつかあり、そこにはおそらく私のような不幸な人たちが70人程もいたかと思う。毎日、私たちは引き出され、新たな尋問に連れて行かれ、いつも嘘や圧力、屈辱、脅迫を浴びせられた。私たちは貧しい食べ物、つまり、スープとパンを食べ、状況は酷いものであった。それはまさに死の控え室という感じであった。男性と女性は分離されていた。隣接する独房との間では、看守がいない時には他の独房の囚人たちと話すことができた。男性の独房は最悪で、マットレスや枕のないベッドがあった。中には怪我をし、治療を受けてはいない者もいた。時々私たちは遊歩道に連れて行かれた。それは壁に囲まれただけの小さな中庭だった。私は201558日のことを覚えている。戦勝記念日を祝うために、あの日、愛国的な歌を歌ったのを思い出す。彼らは激怒したが、われわれに対してすでに行っていたことよりもさらに酷いことをしようとしても、いったい何ができたのであろうか?彼らは私の84歳の母、さらには、私の12歳の孫娘さえをも攻撃すると言って、脅しをかけて来た。この恐喝はうまく行かず、私は彼らに自分たちが望むことは何でもやればいいと言ってやった。私はアパートのバルコニーからウクライナ軍用機の出入りを見ることができるスパイであること、ロシア人に情報を渡していたこと、等のばかげたことで非難された・・・ 私はこれは実にばかげていると答えたが、彼らは私に妄想的な告白に署名させようとし続けた。また、彼らはもしも私が私たちのアパート(私と私の息子の所有)を彼らに与えさえすれば私は自由の身になれる、あるいは、私の解放をもたらすには多額のお金を支払うことでも可能だと私に言った。私にこういったことを強制する法律は存在せず、それは詐欺と盗み以外の何物でもないと私は答えた。私の知り合いの検察官がついに介入して来た。私は警察行政で長年勤務してきたことで知られていた。しかし、私は釈放にはならなかった。彼らは熱くなったり、冷たくもなって、私は殴打され、絶えず非難され、脅された。最終的に私は裁判にかけられたが、それは茶番劇だった。私は釈放されると言われた。もちろん、それは私の希望を掻き立てて私をつぶすための嘘でしかなかった。私に対するすべての冤罪は立証されたが、私をここに連行してきたのは私の政治的見解だけであったという点が唯一の真実であった。こんなことが文明国で普通に起こるのだろうか?これは私が夜中に移送され、路上で誰かが私を見ることができないように、そして、不法に投獄されている人々がいるのを見られないようにと私がポルタヴァの刑務所に移送された時の話だ。私は10月までそこにいたが、一部の囚人は慣習法の囚人であり、殺人者もいたが、私は私のような政治囚である女性と一緒に閉じ込められた。201510月に2度目の裁判にかけられ、収容所に1年間収容するとの判決が下されるまで私はそこにいた。私はウクライナ中部の町にある後者の収容所に送り込まれた。その後、私は20161月末に釈放され、ハリコフの自宅に戻ることができた。だが、息子は5年間も収容所に留められた。」

ロシアとドンバスで自由へ逃避・・・。心理的な拷問、財産やお金をだまし取ろうとする試み、恐喝、そして、高齢者や子供を含む家族を傷つけるという脅迫、等々、私はこのような恐怖の行為がかくも長い間続けられるなんて聞いたこともなかった。私たちは、今ここで3ヶ月間にもわたる激しい尋問に曝された。明らかに私たちはよく知られている第二次世界大戦中にゲシュタポが犯した行為と同様な野蛮、かつ、不当な暴力の中に置かれていた。欧米のマスコミは欧州連合のかの有名な「民主主義」の面前でいったいどのようにしてこの「意見の犯罪」を5分間も報じ続けることが可能なのであろうか?このような状況下にありながら、ウクライナへの支援はいったいどのようにして正当化することができるのであろうか?これらの質問は極めて重要ではあるのだが、当局ははたして知っていたのだろうか?もちろん、彼らは知っていた。私は赤十字や国連、OSCEの人々の間でやり取りされ、彼らによって尋問された囚人たちから証言を集めていたからだ。ラリッサはこういった拘留、こういった悪夢から目を覚まし、呆然と家に帰って来た。しかし、彼女の苦悩は終わってはいなかった。彼女の物語の残りの部分を彼女は詳しく述べてくれた。「私は仕事を失い、私の息子は刑務所に入れられたままで、孫娘の世話をするために私は家に帰って来た。ある日、私の事件を担当した検察官と出会った。路上でだった。彼は私を認識し、私の方へやって来た。彼は千回も謝罪を繰り返し、彼自身は裁判をあんなふうに行うことを強要されていたと言った。彼は私に私が再びSBUの視界に入っていることを教えてくれ、彼らはすぐにでも私を捕まえにやって来るだろうと警告してくれた。彼は私に逃げるようにと勧めた。私はすぐにそうしなければならないことを理解し、友人や知人のお陰でハリコフからそれほど遠くはないウクライナとロシアの国境を越えるために密輸業者に支払いを済ませることができた。私は莫大な金額を支払わなければならず、彼らは私を車のトランクに隠した。こうして私はクルスクで一人ぼっちになった。駅で24時間寝泊りした。私は他の友人やモスクワに住んでいる妹に電話をかけた。まったくぎこちない姿で私は地面を見ていた。私に残っていたのは私のハンドバッグだけだった・・・。ハンドバッグだけで終わることになった私の人生!それが私が持っていた全財産だった。だが、私はついに自由になったのだ!私は親戚に孫娘を飛行機に乗せてモスクワに送ってほしいと頼んだ。私は彼女に会いに行って、政治的難民の地位と援助さえも受けることになった。しかし、法的な状況やロシアとウクライナとは戦争をしているという事実のために、私は孫娘が攻撃されることを恐れ、裁判所を通してウクライナに送還してもらうように頼んだ。私は、国際法が私の身には届かない唯一の場所・・・それはドネツクとルガンスクのふたつの人民共和国しかないと自分に言い聞かせた。当時、これらの共和国はどこの国にも認められてはいなかった。私には戦場に向けて出発することになることが分かってはいたが、最終的にそこに定住しようと決めた。20165月にドネツクに到着。そこの人々は私にとって素晴らしかった。メンタリティはハリコフとは少し違うが、依然として極めて近い。何人かの人々は私が取り敢えず光熱費だけを払うことになった控えめの小さなアパートを見つけてくれた。他の人たちは私にいろいろな物を見つけてくれた。長い間何にでも使うことになったフライパンを含めて、私は鍋ややかんを持ってはいなかったので、お茶をいれることさえもできないでいた!私は袖をまくり上げ、一生懸命働いた。そして、今、私はここで自分のビジネスを持っている。私の息子は判決の後、ついに釈放された。彼はまだハリコフにいて、ハリコフの街は現在もロシア軍によって攻撃されているので、最前線ですべてを失った民間人たちを助けるために働いている。戦後にハリコフに帰って、そこで住むかどうかは分からないが、ハリコフは依然として私の街であり、私はハリコフとの繋がりを感じている。だが、今や、ドネツクも私の家であり、私はドンバスの人々にとても感謝している。私はロシアとドンバスの勝利を願い、これらのナチスの連中が駆逐されることを願っている。それだけではなく、できるだけ多くの人々に私のすべての物語を伝えることを願っており、人々はこの物語のすべてを知らなければならない。これらの犯罪者や死刑執行人、ウクライナの政治家や軍人は人の、そして、人類全体の正義の前で彼らがとった行動について釈明しなければならないだろう。私たちはこのことを力説しなければならない。そして、それこそが私が自分の物語をあれ以来伝えようとして来た理由だ。私の事件は孤立してはいないから、この物語は可能な限りすべての言語で語られなければならない。そして、私は私が知っている人々で、拷問を受けた人々に対してはあなた方と話をするようにと説得しようと思っている。彼らは、多くの場合、ウクライナにまだ家族を持っているので、彼らは恐怖を感じている。あなた方は今やSBUが彼らの親戚に何をしでかすかを十分に想像することができる筈だ・・・」

ラリッサはSBUの刑務所を生き延びた。だが、欧米では明らかに彼女の物語には誰も興味を示さないであろう。とは言え、彼女はウクライナの恐ろしい政治警察によって逮捕され、拷問を受け、虐待されて来たウクライナ全土では何千人もの中のひとりだ。われわれはすぐにでも彼女のビデオ証言を字幕付きでいくつかの部分に分けて公開する予定だ。彼女の物語はこのような詳細な内容を誰も発明することはできないし、彼女の声明の真実性について異議を唱えることなんて誰にもできない。最悪のことは欧米政府、特にフランス政府が最初からウクライナを支援して来たことだ。それはウクライナのNATO加盟や欧州連合への加盟の美名の下で犯されたこれらすべての犯罪に加担し、寡頭支配者やロビイスト、外国の権益者、特にアングロサクソン諸国はこの国を粉々に切り刻み、ロシアを攻撃することができると考えていることだ。ラリッサは正義が成され、すべてが順調に進み、勝利は必然的にロシアにやって来るだろうと言って、彼女の話を終えた。ロシア連邦への統合のための住民投票があれば投票に行くのかと尋ねられて、彼女は答えた。「もちろん、投票に行く。もちろん、ロシアのために。」

Laurent Brayard for Donbass Insider
Translation: Vz. yan for Donbass Insider

***

これで全文の仮訳が終了した。

ラリッサは一見脆そうにさえ見える婦人であるとして著者らは当初の印象を描写している。だが、彼女の隠れた本性は闘士のように堅固で不屈でさえもあった。警察官であったという彼女の経歴がSBUの浅ましい地下牢においてさえも彼女を生き延びさせてくれたのかも知れない。脅しや嘘を見抜き、彼らの術策に陥ることもなく、自分の信念に忠実に従うことによってさまざまな拷問を見事に生き抜いた姿が実に印象深い。クルスクの駅で24時間寝泊まりしながら、自分の人生がハンドバッグ一個に終わったと悟る一方で、自由を勝ち取ったと自覚する場面は実に劇的だ!ここには人生が持つ微妙な陰影がある時は過酷な試練を与え、ある時は完璧なパラダイムの変換の機会をもたらすことがあることを見事に教えている。もちろん、そのことに気付くかどうかは本人次第である。

彼女の物語が伝えようとしているのはウクライナ政府に蔓延っているネオナチの思想が持つ非人間性であり、反社会性である。彼らの傲慢な、人を人とも思わない圧政行為が一般市民にもたらす限りない悲惨さである。

ロシア・ウクライナ戦争が始まった2月末に向けて、日本を含めて、西側諸国では反露プロパガンダの大合唱が鳴り響いた。あの頃を頂点としたウクライナに対する応援に動員された熱気は西側のプロパガンダマシーンによる偏向報道によって執拗に煽られた。このことは今や誰の目にも明白であろうと思う。

このブログでは西側の大手メディアでは入手できないと思われるような記事を数々ご紹介して来たが、大手メディアが連日喧伝する中で痛感させられるのは、彼らの報道において巧妙に隠されている本当の姿を自分自身が情報を検索することによって洗い出すことは極めて困難であるという現実だ。少なくとも、べらぼうに時間がかかる。好むと好まざるとにかかわらず、この状況は今日も続いている。そして、明日も・・・

参照:

1LARISSA, THREE MONTHS OF TORTURE IN THE SBU DUNGEONS IN KHARKOV: By Laurent Brayard, Donbass Insider, Jul/22/2022

 




11 件のコメント:

  1. ドンバス・インサイダーは詳細で具体的な内容の記事を継続して知らせてくれる貴重なサイトですね。今回のラリッサさんが受けたような蛮行は、今現在もウクライナ支配地域では続いているのだろうと思うと心が痛みます。
    https://twitter.com/Kumi_japonesa/status/1556917917094010880
    米軍とNATO軍が指導し、実質的にNATO最強の軍隊は20万人でしたっけ、既に失われたという情報もリークされてます。経済は破綻して、農地をグローバル企業に取られ、国有財産も売り払っています。借金の額は天文学的な額に上っていると思われます。一方、ゼレンスキーは能天気な要求を西側に突き付け、彼らからすれば、早く死んでほしい放蕩息子そのものです。
    笑ってはいけませんが、漫画みたいなことが西側のお墨付きで進行しています。日本も明治以降の膿がどんどん出てきています。
    たいへんと言えば大変ですが、こんなに嘘がさらけ出される時代は「面白い」です。
    https://twitter.com/slightsight/status/1556939549057875968
    https://twitter.com/miiko16196406/status/1556814883735212033
    https://twitter.com/nanpinQD/status/1556642629873729536

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  2. kiyoさま、コメントを有難うございます。
    ドンバスインサイダーの創始者で編集長をやっている人物は母国フランスでは親米派の大手メデイアからはのけ者にされているようです。相も変わらず、不条理な話です。
    米国では一部のエリートはゼレンスキーの後釜を探し始めているとか。さもありなんですよね!そもそも、ウクライナへは注ぎ込み過ぎており、米国は対中戦争を開始するには武器や弾薬の在庫が余りにも少な過ぎるという。シミュレーションの結果によると、米海軍の空母攻撃艦隊は皆沈められてしまうとのことです。われわれ素人はどこまで信用することができるのかを判断する術を持ってはいませんが、まさに誤算に次ぐ誤算という感じですね!果たしてどこまで行く気なのでしょうか?

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  3. 原発への攻撃はウクライナが核ミサイルを発射しているようなもので、ロシア制裁の是非は置いておいても、警告も非難もしない西側は狂っているとしか言いようがありません。
    行くところまで行くしかないのかもしれませんね。ウクライナの国家破産は隠せなくなったのでは? 次は西側世界の崩壊?
    「ザポリジャー原発砲撃の余波は原子炉のすぐそばまで来ている」
    https://www.youtube.com/watch?v=2Ami97OtwPk&t=3s

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    1. 完全に狂気じみています。ウクライナ側は通常兵器でロシアと戦うことはすでに諦め、ロシアに対して何らかの濡れ衣を着せることで精いっぱい。その手段が原発であっても彼らにとっては倫理的なハードルにはならない。結局、この状況は米国を始めとする西側が戦費を提供しないと警告するまでは続くみたい。チェルノブイリ事故を上回るような大事故が引き起こされないことを祈るばかりです。

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  4. kiyoさま、
    「米軍とNATO軍が指導し、実質的にNATO最強の軍隊は20万人でしたっけ、既に失われたという情報もリークされてます」の件ですが、私の方でも下記のような情報に遭遇しています。ウクライナ軍は壊滅状態ですね。The Sakerは通常30%以上の戦力を失うと反撃には出れなくなり、防衛で精いっぱいだそうです。

    ウクライナの内部情報が漏洩(Moon of Alabama, Aug/05/2022):
    - ウクライナ軍は消耗して、戦力はたった43-48%。
    - 医療スタッフは限界に達した。
    - 小火器や防護服が不十分。
    - 19万1千人が戦死または負傷(ウクライナ軍のみの数値であって、他は含まれない)。
    - M777ホウィッツアーのために必要な油圧機材や液体窒素が不足。
    - 行方不明者については誰も関心がない。統計数値はない。
    - 西側から提供された武器は消耗しつつある。
    - 西側から提供された武器は素人が操作。十分に訓練された要員がいないからだ。
    - 予備品や専門家が欠如しており、兵器をその場で修理することができない。何でもポーランドへ送り込む。

    このような状況にありながら戦争を継続することはもはや軍事的には意味はない。最大の問題は米国やNATOの戦争計画者は2014年にクリミアを失い、今回もドネツク・ルガンスクを失うことで面子が丸つぶれ。彼らはダメージ・コントロールはどうするのですかね?
    いよいよ、歴代の米大統領がしてきたように、バイデンも決断せざるを得ない?アフガニスタンでの大失敗の直後でもあり、政治的にはハードルが高いのでしょうが・・・

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  5. ウクライナは前線に素人兵を配置し、攻撃されたら逃げ、後方で傭兵が大砲とミサイルを打っているのかもしれませんね。どちらにしても、どう降伏するかの選択しかないようです。
    FBIがトランプの家宅捜査をするという暴挙に出て左右から批判を浴びています。やることが発作的というか、やらせているという見方もあるでしょうが、いずれヨーロッパも似たような不様なことをしでかすのでは?
    それにしても感心することは、燃料不足やインフレ、多極化など今起きていることは、プーチンのロシアが周到に準備していたことを伺わせます。それが凄いなと思いますし、ネオコンDSが次に何を仕掛けてくるのか織り込み済みなのでしょうね。
    落雷とされるキューバの石油施設の炎上とクリミアの軍事施設の爆発は衛星からの攻撃なのでしょうか? 似ています。

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    1. Kiyoさま、
      ここまで来ると、すでに勝敗は明らかになっていますよね。
      つまり、ドイツがロシア産天然ガスを使うことを止めるとすれば、他の供給源の目途もたたず、このままではドイツの産業界は壊滅し、一般市民は寒い冬を耐えなければならない。一冬越した来年、ドイツでは大規模の反政府デモが起こるような気がします。ロシア・ウクライナ戦争が実際にはロシア・EU戦争だと言い始める前に、その戦争の勝敗の行方はついてしまっているという奇妙な状況が、今、目の前に現れようとしています。米国の中間選挙を11月に控えて、EUが目覚めなければならない時がやって来たようです。遅過ぎるとは言え、目を覚まして欲しいものです。目を覚ましさえすれば、それなりの利点はあるだろうと思います。
      さて、どんな展開になるのでしょうか?

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  6. 世界はこれまで核不拡散条約とか話し合ってきましたが、肝心な時、何もできないんですね。国連なんていりませんね。
    西ヨーロッパでは水不足で河川を使って輸送していた石炭名の物資が運べなくなっていますね。西ヨーロッパにとって弱り目に祟り目です。おかしな道に進んでいる西ヨーロッパを天が戒めているようにも思えます。
    これ、笑えます。
    https://twitter.com/pickup_topic/status/1558713143819309057
    日本も面白くなってきました。
    https://twitter.com/naoyafujiwara/status/1558600342988029952

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    1. ニューズウィークの最近の報道:「西側の首脳はゼレンスキーに飽き飽きしている。」
      このような正面からの批判が出始めたということはゼレンスキー政権の終わりが近いのかも・・・

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  7. プラウダにこんな記事が。

    マリン・ドゥーガン:ウクライナの米軍傭兵の間で親ロシア感情が高まる
    15.08.2022 03:42

    ウクライナに到着してAFU側で戦っている米兵の中には、米国の対非ソ連政策の正しさを疑い始めた者もいると、DNRに出発したジャーナリストで元海兵隊員のジョン・マーク・ドゥーガン氏は語った。彼によると、海兵隊の中で「親ロシア感情」が高まっているそうです。

    デュガンが強調したように、現場では、傭兵たちは起きていることの実像を見て、モスクワの「側につく」のである。

    "ここ(DNR.-編注)に住んでいると、本国の海兵隊員の多くが私たちを理解してくれるように思います。ロシア側を支持し、西側の嘘を信じない元軍団の同僚数名から連絡があった。だから、他の人のことは言えないが、アメリカにはかなりの親ロシア派の信奉者がいて、みんながそれに気づいているわけではない」と、元海兵隊員はRIA Novostiとの会話で説明した。- 海兵隊には、実は親ロシア派が多く、彼らはこの西側メディアを信じていないのです。

    軍部によると、米国に帰国した傭兵の多くは、ワシントンの行動を犯罪とさえ考え始めているという。また、デュガン氏によると、アメリカにはロシアの行動を支持する人がたくさんいるが、マスコミも政府もそれを口にしない。

    これはそちらで報道されていますか?

    ケヴェハージ:ハンガリーはEUとNATOを脱退し、BRICSを支持すべき - 西側諸国にはもううんざりだ
    15.08.2022 05:07

    ハンガリーはEUと北大西洋同盟を脱退し、BRICSに参加する時が来た、とハンガリーの政治専門家Miklos Kewehazy氏は語った。彼によると、「同盟とNATOの外にも人生がある」のだという。

    政治学者が強調するように、ハンガリーはEUやNATOの一員としての経験から多くを学んだにもかかわらず、である。

    経済システム。
    社会の発展に貢献します。
    の技術を導入しています。
    文化的価値
    しかし、専門家によれば、「数々の不平不満」を忘れてはいけないという。

    「私たちの不満は計り知れない。私たちはキリスト教世界をトルコやタタールから守るために血を流したが、西欧帝国は私たちの国を征服すべき領土として扱った」とケヴェハージはポリティロシアとの対話で説明した。- ハンガリー人は今こそ、「西側はもうたくさんだ!」と言うべきでしょう。".

    政治学者によれば、この国はすでに、EUからの圧力やNATOを喜ばせるためではなく、自国の利益のために独自の決定を下し、行動を調整することができるという。

    私たちハンガリー人は、ブリュッセル政権がヨーロッパを導こうとしている奈落の底にはついていけないだろう」。ハンガリーという国は、これまで欧米に完全に溶け込むことができなかったのです」と、政治学者は総括した。- ハンガリー人が生き残るための唯一のチャンスは、EU、NATOを脱退し、BRICS諸国へ移行することです。

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  8. Kiyoさま、
    ご紹介いただいた元記事を探してみましたが、見つかりませんでした。この情報には気が付いてはいなかったので、大感謝です。
    海外からやって来た志願兵にとってはウクライナ軍の現状や国内に蔓延する腐敗を知れば知るほど、嫌気を覚えて行ったことでしょうね。それらが親ロ的な発言をする切っ掛けになっているようにも思います。米国について言えば、米国の国内事情を考えると、ウクライナに対して莫大な資金援助や武器の供給を続けている現政府は不条理にさえ見えて来るのではないでしょうか。志願兵に応募した人たちはその多くが国内で職場を見い出せず、ウクライナで一儲けする気持ちがあったのではないかと推察され、彼らの指摘の背景にあるお家の事情には同情せざるを得ない部分があるような気がします。非米国人であるわれわれ一般人であってさえも米国政府の異常な行動には、何時もの事とは言え、辟易とさせられます。
    ハンガリーは、ウクライナ紛争でウクライナ側を支援して来たバルト3国やポーランドに比較すると、一貫して親ロ的な立場を貫いていますよね。新型コロナ禍では、ロシア産ワクチンを国内使用のために導入しています。ハンガリー外相は同僚である他国の外相は個人的な会話ではロシア産ワクチンに賛成するが、公の場では反対すると言って、彼らのダブルスタンダードについてグチっていました。EUのエリート政治家にとってはオルバン首相は消してしまいたいような存在でしょうかね。しかしながら、ヨーロッパではエリート政治家たちこそが目を覚まさなければならない時が、今、迫ってきているように思えます。さて、どうなることでしょうか?

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