3月25日、ロシアはベラルーシに戦術核を配備することについてベラルーシ政府と合意したとプーチンが述べた。その運用はロシアが行うとのことである。
ここで重要な点は米国の反応である。
もうひとつの核超大国である米国はプーチンの声明に慎重に反応し、米政府高官はモスクワが核兵器の使用を計画している兆候はなかったと述べている。(原典:Putin says Moscow to place nuclear weapons in
Belarus, US reacts cautiously: By David Ljunggren, Reuters, Mar/26/2023)
ロシアはかねてからNATOの東方への拡大に関して、もしもロシア側が安全保障上の脅威を受けたならば核兵器を使うとのロシア軍の軍事ドクトリンを公にしている。その脅威がたとえ通常兵器によるものであっても、核兵器によるものであっても、その判断を左右するものではないと補足説明さえをもしていた。つまり、安全保障上の脅威であるかどうかだけがロシア側の判断基準であるという。
ロシアがベラルーシに核兵器を配備する決断をしたということは、NATOが推進してきた一連の動きがついにロシアが許容できる限界に近づいたということを示唆している。今までロシアは自国内だけに核兵器を配備し、国外へは持ち出さなかった歴史的背景を考えると、今回の決断は決して小さなものではない。
ここに、「ベラルーシへの戦術核の配備はNATOからの挑発に対して採った対応」と題された記事がある(注1)。
本日はこの記事を仮訳し、読者の皆さんと共有したいと思う。
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副題:政治アナリストのコクティシュはロシアによる戦術核兵器のベラルーシへの配備をNATOの挑発に対するエレガントな対応であると言った。
MGIMO(モスクワ国際関係)大学政治理論学部のキリル・コクティシュ准教授はモスクワ政府がベラルーシ国内への戦術核兵器の配備を決定したきっかけとして西側の行動を列挙している。
コクティシュはこの決定とウクライナでの特別軍事作戦との関係を強調してもいる。同専門家によると、「西側のエスカレーション」がなかったならば、このような決断は必要なかったであろう。コクティシュは、特に、ベラルーシ国境の近くへのNATO軍の集結、ワルシャワ政府の好戦的な政策、および「ウクライナに劣化ウラン弾を供給する準備ができていると公言する英国の挑発」を指摘しているとRIAノーボスチは報じた。
コクティシュによれば、モスクワ政府は「PR用や純粋に宣言的な反応ではなく、非常に現実的、かつ、効果的な対応」を採用することが求められた。ベラルーシへの戦術核の配備は「キエフ政府を抑止するであろう」と彼は言う。コクティシュはモスクワ政府の決定を「今までのすべてのNATOの挑発に対する優雅な対応」であると称した。彼は、「このようなステップはまだそこに何らかの理由を抱いている人々のすべてに対して西側にもう一度考えさせることができるだろう」と信じている。
「これらのエスカレーションのゲームやロシアは応答しないという西側のエリートたちの信念はすべてが、一般的に言って、間違った入力に基づいて構築されている。だから、このような場面ではロシアの高潔さは弱さとして解釈されてしまう」とコクティシュは述べている。
彼の意見によると、戦術核兵器の配備は「ヘルシンキのNATOへの加盟計画に関して」フィンランドの世論にも影響を与えるかも知れない。「フィンランド人は参加に反対するだろう」とコクティシュは信じており、「目下、この動きには満足していない」。「今では西側政府の間では自国民の世論でさえもがほとんど関心事ではなくなった」が、世論は「沸騰し、遅かれ早かれ、いくつもの行動をもたらすことであろう」が、「それは今日起こるというわけではない」と政治学者は言う。
ロシアの国家元首ウラジーミル・プーチンがロシアの戦術核兵器をベラルーシに配備すると発表した事実を思い起こしていただきたい。
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これで全文の仮訳が終了した。
短い記事ではあるが、モスクワ国際関係大学のキリル・コクティシュ准教授の言葉には重要な要素がいくつも含められている。ロシア・ウクライナ戦争に関するNATO加盟国の対ロ政策に比べてロシア側の対応がどれだけ優雅なものであるかについてここで議論を繰り広げる積りはない。私は今までの12年間をルーマニアで過ごして来たので日本における報道について詳しく議論する立場にはないが、彼が取り上げた諸々の要素は、残念ながら、日本の主要紙やNHKテレビではまったく何も報じられてはいないのではないかと推測する。
世界情勢を少しでも正確に知ろうとしても、特に、ウクライナにおける米国の対ロ代理戦争について現実を少しでも多く、かつ、深く理解しようとしても、何時ものことながら、大きな障壁がわれわれの面前に立ち塞がる。モスクワ国際関係大学のキリル・コクティシュ准教授に匹敵するような専門家や研究者は日本にもたくさん居ると私は推察するが、彼らの見解や意見は主要紙やNHKに登場しては来ない。登場の場は与えられないからだ。
日本の主要紙やNHKテレビが採用しているそういった偏向した情報提供の姿勢は日本の国益に逆らうのではないか・・・
日本の政治の中枢は自分たちの既得権を維持するために米国追従を堅持し、国内の主流メディアに向けて旗を振って、強力なプロパガンダ・マシーンとなってボスの意向を繰り返して喧伝する。こうして、国内世論はひとつの方向に向かって恣意的に形成される。このような現状は真の意味で国益に資するのであろうか?
ところで、このような状況は新型コロナ禍においてもまったく同様の展開であったことを、念のために、思い起こしていただきたい。
歴史的にも、同様の展開が見られた。日本は1920~1930年代に軍国化して行き、軍部に対する政府のコントロールは徐々に効かなくなって行った。あの軌跡を90~100年後の今、もう一度、歩んでいるのではなかろうかと危ぶむ次第だ。しかも、情報化社会の今、洗脳のプロセスは比べようがないほどに速やかで、強力である。
参照:
注1:The deployment of tactical nuclear weapons in
Belarus was called a response to NATO provocations: By Anton Antonov,
Mar/26/2023
補足情報:
返信削除「米国に対して核戦争の必然性について警告」
副題:元ホワイトハウス当局者のロバーツは米ロ間の核戦争は避けられないと言う
米ロ間の核戦争はワシントンの無謀な政策のせいで避けられない。この意見はロナルド・レーガン政権のホワイトハウスの元職員であったポール・クレイグ・ロバーツが彼のウェブサイトにて表明したもの。
「人生を楽しんでください。将来を心配することは止めよう。ネオコンはあなたが招来を持ってはいないことを保証した」と彼は読者に警告している。
ロバーツはロシアを破壊する意図を宣言しているワシントン政府の「無謀さ、愚かさ、無責任さ」はまったく理解できないと述べた。ワシントンのそのような政策はモスクワ政府がもはや米国からの安全保障を信じないという事実につながってしまったと彼は結論付けている。
先に、ドナルド・トランプ前米国大統領は現在の米国の指導者ジョー・バイデンの指導の下で解き放たれる可能性のある第三次世界大戦の脅威について警告した。トランプによると、彼の政権下では、核兵器の使用に関する各国の公然たる脅威は決して言及されることはなかったし、議論がされることはなかった。だが、ホワイトハウスの次の指導者の下ではすべてが劇的に変わった。「あなたがそれを信じるかどうかにはかかわらず、私たちはそのような状況からほど遠くはない」とトランプは結論付けた。
4月3日、ホワイトハウス国家安全保障会議の戦略的コミュニケーションのコーディネーターであるジョン・カービーは核戦争を解き放つことは受け入れられないというロシアに米国は同意すると述べた。彼は核戦争を開始することは不可能であり、それに勝者はいないというロシアのセルゲイ・ラブロフ外相の最近の声明を思い起こした。
(出典:The United States warned of the inevitability of nuclear war: By Lenta.ru, Apr/05/2023)
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米国には強がりを言うことを美徳と見なす連中が常に存在する。反抗期を迎えたテイーンエージャーたち、マフィア、国会議員、米政府の高官らの何処を見ても例外はない。彼らの論理は相手をやっつけることに最大の価値を認め、人としての倫理観や常識の世界からは程遠く、議論の焦点は多くが本題から外れて、相手を個人的にやっつけることにエネルギーが注がれる。そのような気風が蔓延る中で、超音速爆撃機や潜水艦を数多く有し、核弾頭を何千発も抱えている米国においては、周り中からけしかけられた好戦派がどのような反応をするかは大方見当がつく。先制核攻撃をまくし立てる。マンガ的に言えば、「あなたはヒーローだ!」などと言われたならば、彼らは簡単に舞い上がってしまうのだ。
このような精神構造が集団として米国のどこかに存在することは全世界にとっては人類の存続に脅威を与える安全保障上の極めて本質的な課題であると言わざるを得ない。特に、米国政府の一部に不確実性があるとしたら・・・ 米政府の安全保障会議の広報担当者が改めて「核戦争に勝者はいない」と繰り返さなければならない現実は実に恐ろしい。
彼の言葉が米国による先制核攻撃を抑止してくれることに私は期待したい。それとも、ロバーツが言うところのワシントン政府の「無謀さ、愚かさ、無責任さ」はそのような警告にはお構いなく、まかり通ってしまうのだろうか?