2023年3月3日金曜日

血塗られた苦痛 ― 人類の良心

 

ロシア・ウクライナ戦争をどう見るかは人それぞれによって大きく異なる。大きく広がる領域の両端には互いに異なったふたつのグループが居る。つまり、事情に明るい専門家たちのグループと情報源には決定的な限界を持っている一般庶民のグループである。また、これはインターネット・リテラシーに基づいて階層分けすることも可能であろう。このような状況は常に起こることではあるのだが、ロシア・ウクライナ戦争の受け取り方は非常に幅広く、評価は大きく分かれる傾向にある。良い悪いは別にしても、最大級の要因は主流メディアが推し進める執拗なプロパガンダである。その影響力は余りにも大きい。

幸いなことには、今日、インターネットの存在は大手メディアが喧伝する筋書きとはまったく異なる事実や背景を伝えることを容易にして、われわれ一般庶民が関連情報を共有することに役立っている。新型コロナワクチンの有効性や安全性に関してもインターネットの存在は非常に大きいと言えるし、ロシア・ウクライナ戦争をどのように理解するのかという非常に基本的な質問においても状況はまったく同様である。もしもこの戦争がインターネットがそれほど一般化してはいなかった3040年以上も前に起こっていたならば、大手メディアの報道が全面的に世論を導き、社会全体をたったひとつの方向性だけで覆い隠してしまっていたに違いない。

ここに、専門家の目から見たロシア・ウクライナ戦争論があり、「血塗られた苦痛 ― 人類の良心」と題されている(注1)。著者はこのブログでも何回も引用してきた「セイカ―」である。ロシア・ウクライナ戦争について理解を広げることや客観性に富んだ判断をすることに少しでも役に立つことができれば幸いである。

本日はこの記事を仮訳し、読者の皆さんと共有しようと思う。

***

犠牲者にはなるな。
加害者にはなるな。
そして、それだけではなく、
傍観者にはなるな。
イエフダ・バウエル

インテイファダを世界に広げよ!

ローキー(英国のラッパー)

 

はじめに ― われわれはいったい何処に住んでいるのか?

各社会や各国には公式のイデオロギーといくつかの基本的な神話という少なくとも2つの基本的な基盤がある(そして、これらの神話は歴史的真実に非常に近いか、近くはないかのどちらかだ!)。 西側諸国(おおよそゾーンA)の場合、公式のイデオロギーは「西側の自由民主主義」(それ自体は資本主義と「自由市場価値」を至上の概念とする)である。しかしながら、いわゆる「内部」を覗いてみると、中世の誕生以来西洋の基本的な神話は例外主義とその必然的な副産物である帝国主義であることが分かる。 そして、この神話がどのような言い回しによって包まれているのかは少しも問題視されない。それは、教皇庁の普遍的な権威に関する痴呆した主張であったり、または、フリーメーソンのいわゆる「普遍的価値」(別称、人権とも言う)、ナチスの人種的優位性、または、国境を越えた金融業者のグローバリストが好む議題であったりする可能性がある。しかしながら、過去の20年ほどの間に、非常に興味深い現象が観察された。つまり、あらゆる価値観に対する(まったく存在しない)忠誠心を示すために必要な最小限のリップサービス以外の「敬虔な」イデオロギーは大規模な形で放棄されたのである。しかし、それはイデオロギーがもはや存在しないと言いたいわけではない。それは確かにそうではあるのだが、それは「他者」への憎しみに「公然と」基づいたものである。もちろん、私は「バイデン」政権の行動によって非常に強力に表現されている、いわゆる「ウオークな」イデオロギーについてここでは話しているのだ。

ウオークな(目覚めた)イデオロギーは、「他者」に対して根底にある憎悪(以前の西洋のイデオロギーもすべて「他者」に対する憎しみに基づいていた)によって前世代のイデオロギーとはまったく変わらない。この謝罪のない憎しみの宣言によってまったく変わりはないのである。目覚めたイデオロギーは、ドゥビヤの「あなたはわれわれと一緒にいるのか、それとも、テロリストと一緒にいるのか」という言葉に従ったものであると言えるが、極めて極端な言い方である。そして、すべての西側のイデオロギーと同様に、目覚めたイデオロギーはあなたが嘘(実際には、ひとつだけではなく数多くの嘘)を受け入れるだけではなく、それらを大声で喧伝することを要求する。 そして、もちろん、その嘘が大きければ大きいほど、それはより声高に喧伝される。まるで、祝福の言葉の「ウルビ・エト・オルビ」のようでさえある。

繰り返しになるが、これは決して新しいことではない。だが、ヘーゲルの弁証法が断言するように、量は独自の質を持つことが可能だ。 今日、ゾーンAのすべての人たちが住んでいるポストクリスチャン社会では虚偽が「世俗的な教義」として喧伝されているだけでなく、「真実」の概念そのものは意味を失っている。繰り返しになるが、過去には西側の支配者は嘘に基づいてイデオロギーを宣言し、さらにはそれを押し付けたものであるが、今日では、これらの同じ支配者らは基本的には「公式の党の方針/物語に同意する」こと以外では「真実」の「概念」を引退させてしまった。

さらに言えば、過去には、暴力はさまざまな方法で正当化されなければならなかったのだが(たとえば、白人の負担、トロツキーの赤色テロの謝罪、ルーズベルトの「悪名高い日」、ジョージ・W・ブッシュ大統領のテロに対する世界戦争)、今では、暴力は単に「われわれにできるから」とか「あなたはそれについて何をするつもりか?」といった見出しの下で受け入れられるようにさえなった。 

イラクでの大量虐殺戦争やノルドストリーム2パイプラインへのテロ攻撃は「われわれにできるから」というイデオロギーの好例でさえある。

言い換えれば、われわれは、今日、以下のような状況に基づいた社会に公然と住んでいるのである:

  • 虚偽あるいは「真実」という概念の拒絶、ならびに
  • 暴力やテロ

この状況によって最初にもたらされるであろう当然の帰結は事実はもはや重要ではないということだ。論理的な分析さえも行わない。

第二には、トロツキーの赤色テロに対する謝罪を彷彿とさせる方法であって(まだ読んではいないならば、彼の非常に優れた、極めて悪魔的な赤色テロの擁護をこの記事で読んでいただきたい!)、現行のイデオロギーを公然と宣言している。「われわれがそれをしたとしても大丈夫だが、あなた方がそれをしたとしたら問題だ」と言う。もちろん、これは「あなた方」に対して「われわれ」が有する質的優位性を意味する。 この種の「状況倫理」には次のようないくつかのかなり興味深い特徴や意味合いが含まれる:

  • それはその考え方において非常に自己陶酔的である(したがって、「われわれ」は「他者」が持たない「権利」を持つ理由とさえなるのである)。
  • それは、当人が大声で喧伝し、肯定することをいとわない虚偽がいかに大きいかによって忠誠心が測定される。

少なくとも現代の基準によると、あなたが肯定する嘘や喧伝する美徳の合図が大きければ大きいほど、あなたは「より良い」人であると言うことができる。 そして、もしその嘘が本当に明らかに馬鹿げており、反事実的であるならば(たとえば、スレブレニツァの虐殺、9/11同時多発テロ、MH-17便撃墜事件、スクリパル親娘殺害未遂事件、等)、あなたは社会の忠実で賢明なメンバーであると見なされる。逆に、あなたが単に明らかに反事実であるという理由で嘘を拒否するならば、あなたは「ただ」間違っているのではなく、あなたは敵と見なされる。

嘘、イデオロギー、暴力に対するこの西側の心酔は教皇庁による異端にそのルーツがあるが、それ以来、それは長い間われわれの社会のあらゆる側面に転移し、今では何でもがその上に公然と構築される主要なイデオロギーの柱とさえなっている程だ。

[補足:私の個人的な観察によると、その意味においては北ヨーロッパ諸国は南ヨーロッパ諸国よりもはるかに悪質だ。また、それは予想通りではあるけれども、最も強烈な反露感情を見いだすことができる地域でもある。 より複雑で、より強固な歴史的ルーツを持つ南ヨーロッパ諸国は北部の国々よりもだまされやすくはなく、憎しみも少ないようだ。もちろん、英国は「他者」に対する人種差別主義者的な憎悪という点では抜きんでており、如何なる国々さえも圧倒している。残りのアングロサクソンの世界について言えば、ネオコンとグローバリストによって統治され、他者に対する彼らの憎悪は何世紀にもわたる人種差別的神話に基づいている。この種の人種差別主義は、もっとも洗脳されている連中はそのことにまったく気付かない、あるいは、気にも留めないであろうが、対外的には彼らの世界観の中核にさえなっている程である(対内的には、彼らは人種差別的な意味合いについてはことごとく反対すると宣言し、もちろん、この場合彼らの対外的ならびに対内的人種差別主義は伝統的な価値観を標榜するグループに対しては誰にでも向けられるという点を除けば、これはもうひとつの大きな嘘である)。]

上記は、われわれ全員が現在住んでいる世界を理解するためには非常に重要だ。 しかし、さらに考察を続ける前に、シオニズムとは何かという別の問題についても取り組む必要がある。

 

シオニズムとは何か?簡単に復習しておこう。

2014年の記事「アングロサクソンシオニズム:新参者のための短い入門書」で、私は次のように書いた:

「シオニズム」という言葉が何を意味するのかについて(超政治的に正しい)ウィキペディアの定義を見てみよう:それは「イスラエルの土地として定義された領土におけるユダヤ人の故郷の創造を支持するユダヤ人とユダヤ人文化のナショナリスト運動」である。明らかに、これには米国やウクライナ、トンブクトゥへのリンクはないよね?しかし、もう一度よく考えてみていただきたい。宗教として、あるいは、民族として定義されているのかどうかにはかかわらず、ユダヤ人はなぜ故郷を必要とするのであろうか? 彼らは、さまざまな国に住んでいる仏教徒(宗教)やアフリカのブッシュマン(民族)のように、なぜ生まれた場所に住むことができないのであろうか? 標準的な答えはユダヤ人はいたるところで迫害されてきたので、迫害の場合に備えて安全な避難所として機能する彼ら自身の故郷が必要であるということだ。 なぜユダヤ人は至る所で常に迫害されてきたのかについての問題に踏み入れることなく、この理論的根拠は、明らかに、さらなる迫害の必然性を、または、少なくともその高いリスクを明確に暗示しているのである。実証するためにそれを受け入れ、これが何を意味するのかを見てみよう。 第一に、ユダヤ人は少なくとも潜在的には反ユダヤ主義者である非ユダヤ人によって本質的に脅かされることを意味する。脅威は非常に深刻であるため、世界中のユダヤ人を保護するための唯一、最良、かつ、最後の手段として非ユダヤ人がまったくいない故国を創設する必要があるのだ。 これは、迫害が突然勃発し、彼らが行く場所がなくなるという状況を防ぐためにも、故国が継続的に存続することが世界中のすべてのユダヤ人にとっては重要であり、かけがえのない優先事項とすべきであることを意味する。 さらには、すべてのユダヤ人が最終的にイスラエルへ「やって来る」までは、彼らの周りのすべての非ユダヤ人が文字通り大量虐殺による反ユダヤ主義という突発事件に陥る可能性があることからも、彼らは何時でも非常に注意していたほうがよい。こうして、ADL(米国の名誉毀損防止同盟)またはUEJF(フランスのユダヤ人学生連合)、ベタール・クラブ、サヤニム・ネットワーク、等の反ユダヤ主義に対抗するためにさまざまな組織が生まれた。言い換えれば、シオニズムは単に地元の「イスラエルのみの問題に取り組む」といった現象ではなく、地球上の他の地域に広がり、明らかに消えて無くなることがない反ユダヤ主義からユダヤ人を保護することを目的とした世界規模の運動である。イスラエル・シャハクが正しく特定したように、シオニズムはユダヤ人は「ローカルで考え、グローバルに行動する」べきであり、政策の選択が与えられた際にはもっとも重要な案件について常に質問するべきだと想定する。「だが、それはユダヤ人にとっては良いことか?」と問い質す。イスラエルのことだけに焦点を当てるどころか、シオニズムは実際にはすべての人類を2つのグループ(ユダヤ人と非ユダヤ人)に明確に分割する極めてグローバルな惑星のイデオロギーであり、後者は誰もが潜在的に大量虐殺狂信者(人種差別主義者)となり得、ユダヤ人の命を救うことは質的に異なっており、非ユダヤ人の命を救うことよりも重要であるとさえ信じる(またもや、人種差別主義者的だ)。このような断定が持つ残忍性を疑う人は誰でもパレスチナ人に尋ねてみるか、プーリームの祝日を研究してみるか、あるいは、その両方を試みなければならない。ジラード・アツマンを読んで、彼が見事にも「心的外傷前ストレス障害」と称したことについて彼の定義を調べてみたら、もっと良いと思う。

ここでひとつ明確にしておこう。シオニズム自体はラビ(ファリサイ派)の「ユダヤ教」のイデオロギーと世界観に基づいているが、それは民族のことではなくイデオロギーである。 これは私が同記事で次のように書いた理由なのである:

ちなみに、非ユダヤ人のシオニスト(彼自身の言葉で言えば、たとえば、バイデン)がいるし、反シオニストのユダヤ人も(たくさん)いる。 同様に、反アングロサクソン帝国主義者がいるし、反帝国主義のアングロサクソンも(たくさん)いる。 「ナチスドイツ」または「ソビエトロシア」について話すことは、今ではすべてのドイツ人がナチスであった、あるいは、すべてのロシア人が共産主義者であったことを意味する。これはすべてがその特定の時点におけるこれらの国々の支配的なイデオロギーは国家社会主義やマルクス主義であったことを意味し、ただそれだけだ。

[補足:特にユダヤ人を憎む人々のために、ここでもう一つ付け加えておこうと思う。ひとりのユダヤ人が何らかの邪悪な行為の加害者として不当に非難される度に、その不当に非難されているのは罪のない人だけではなく、喜んで滑り落ちて行く非ユダヤ人のろくでなしもいる。それはあなたが本当にそうあって欲しいと思っていることなのだろうか?これについては注意深く考え、そのような世界観のけつまつをよく理解しておいていただきたいものだ!問題となる事実に関する実際の調査が不可能になる結果を望もうとはしないためにも、私がユダヤ人を好きになったり、彼らの何人かがしていることを承認したりする必要はまったくない。最後に、何かのせいで「ユダヤ人」を非難するのには何の知識も、いかなる種類の専門知識も、頭脳さえもがいらないことを理解していただきたい。こうして、これはわれわれの社会の最も愚かなメンバーが非常に強く引き寄せられるものなのである。 繰り返すけれども、慎重に考えていただきたい。]

ちなみに、(ファリサイ派の)「ユダヤ教」は明らかに宗教であり、元々のシオニストはほとんどが宗教的ではなかったのであるが、時間の経過とともにシオニズムは(ファリサイ派の)「ユダヤ教」の人間嫌いの想定のすべてを採用し、同時にそれらを世俗化した。(ファリサイ派の)「ユダヤ教」は「神が定めた人種差別」であり、シオニズムは「世俗的な人種差別」であると言える。より根本的には、(ファリサイ派の)「ユダヤ教」と世俗的なシオニズムはどちらも猛烈に反キリスト教的であり、西洋で完全に敗北したキリスト教の小さな残党さえをも根絶したいと思っている。 最後に、「イスラエル」の現代国家では、新しい現象が非常に重要になっているのが分かる。それは宗教的シオニズムである。つまり、ハレディ(ファリサイ派の)「ユダヤ教」の当たり障りのないものであり、それは世俗的なファシズム兼アパルトヘイトに徹した現代の「イスラエル」が体現する種類である。

イデオロギーが生み出すこの種の奇想天外な出来事を観察したい場合は、私の記事『「反ユダヤ主義」の真の原因に関する短期集中講座』や『「反ユダヤ主義」の真の原因に関する短期集中講座、パートII:反ユダヤ主義者の追跡』を参照していただきたい。それらを読むと(どうか読んでいただきたい!)、ほとんどの宗教は本質的に普遍主義的であり、もちろんキリスト教とイスラム教の両方を含むため、非常にユニークな「神が定めた人種差別」としか呼べないようなものを発見することであろう(メッカへの旅行から戻った後、マルコムXは彼の「青い目をした白い悪魔」のナンセンスを完全に棄却した。イスラム教はエリヤ・ムハンマドの粗野な人種差別から彼を治癒してくれた!)

 

第二次世界大戦後に何が起こったか?

簡単に言えば、第二次世界大戦が終わると、アングロサクソンとシオニストの間にイデオロギー同盟が起こった。 なぜだろうか?主として非常に異なったふたつの理由がある:

  • 彼らに共通していたのはスターリンに対する憎しみと恐れ(ユダヤ人に対する敵意に関しては彼は常に間違って非難されている)であった。
  • 非常によく似た世界観(例外主義、至上主義)の認識

基本的に言えば、(ファリサイ派の)「ユダヤ教」の人種差別主義の世界観はアングロサクソン圏の指導者たちの歴史的な人種差別主義の世界観と混ぜ合わせて、現代のアングロ・シオニズムを生み出したのである。

どちらの世界観も嘘に基づいているだけではなく、どちらも彼らにあえて反対する誰に対してでも嘘を主要な頼りになる「武器」として使用していることに言及する必要があるのだろうか?伝道者であり、神学者でもある使徒ヨハネによる次の聖句は、両方の言葉のイデオロギー的礎石についての最良の説明であると言えよう。「あなたがたは自分の父、すなわち、悪魔から出てきた者であって、その父の欲望どおりに行おうと思っている。彼は初めから、人殺しであって、真理に立つ者ではない。彼のうちには真理がないからである。彼が偽りを言うとき、いつも自分の本音をはいているのである。彼は偽り者であり、偽りの父であるからだ。」(ヨハネ伝8:44)。 聖ヨハネが嘘と殺人の暴力とをどれほど密接に結びつけているかに注目していただきたい。これらは常に密接に関連しているのだ!

冷戦中には憎しみのほとんどは少なくとも公式には共産主義に向けられていた(1991年以降、共産主義がなくなってからは、西側の指導者らはロシア国民を憎んでいることが明らかになった)。 9/11の偽旗作戦の後、その憎しみは西側やイスラエルに逆らうあらゆる国家に、そして、あらゆる形態の本物の伝統的イスラム教国家に向けられた。

犬が尻尾を振っているのか、それとも、尻尾が犬を振っているのかについての果てしない議論を聞くと、私はしばしば笑ってしまう。 実際には、犬と尻尾は全く同じ生き物なのであるから、その目的と目標においては完全に一致している筈なので、これは問題とはならない。 したがって、重要なのは誰が誰を振るのかではなく、動物全体が何を達成したいのかという点である。

もちろん、もともと、アングロサクソンは彼らの新進気鋭のユダヤ人の相手をほとんど軽蔑していたのだが、(少なくとも西側では)お金は他のどのような考慮事項よりもはるかに強力である。そして、シオニズムの中核的価値観を採用することを厭わなかったアングロサクソンの一部のエリートは彼らがユダヤ人の競争相手と見なした者に本当の力を与えたくはなかったアングロサクソンの「古いガード」をすぐに簡単に打ち負かしてしまった。これが「アングロ・シオニズム」が生まれた経緯なのである。

 

この状況において「イスラエル」はどうであったのか?

米国は、おそらく、悪魔の秘密カルト、即ち、フリーメーソンのメンバーによって作り出された地球上で最初の、かつ、唯一の国家である(このフリーメーソンが疑似キリスト教のいくつかの外的特徴を持っていたという事実はこれを変えるものではない)。 「イスラエル」は純粋に嘘の上に築かれた歴史上唯一の国であり、「すべての嘘の父」の確かな兆候であるかも知れない。悪名高い「国家のない人々のための民の無い国家」から始まって第二次世界大戦やイスラエル国家の建国の神話に関する正直な調査を完全に禁止することに至るまで、そして、この国の無限の「権利」の存在に至るまで、「イスラエル」の存在はその全体が通常の悪魔の二面性、つまり、嘘と暴力に基づいているのである。実際、人種差別主義者によって支配されている国家はたくさんあったが、イスラエルは地球上で唯一の公然と人種差別主義的国家である。これこそが地球上のユダヤ人は誰でもが「イスラエル」国家へ「戻る」「権利」を持っているのに対して、パレスチナで生まれた難民は自分の家に戻る権利がない理由なのである。「イスラエル」においてはある人たちは単に他の人たちよりもより多くの平等を享受する!公式にである。 

「イスラエル」は嘘と暴力を体系的に使用することにおいてユニークなのであろうか? いや、まったくそうではない。 しかし、それは、特定の地政学的目標を達成するだけではなく、われわれ全員が知っているように「暴力しか理解しない」「非ユダヤ人」よりも自己崇拝のカルトと人種的優越感を養うために嘘と暴力を謝罪せずに使用するという点においては極めてユニークなのである。

確かに、「イスラエル」は文明人や社会にとっては受け入れることができない忌まわしい国家である。支持するなんてできない。しかし、「イスラエル」はそれだけではない。同国は西側の支配階級の服従の度合いを示すリトマス試験紙でもあるのだ。 あなたがそれを「アッシュの同調実験」であると考えることは可能ではあるが、地球的な規模であなたの感覚があなたに告げることを拒絶するだけではなく、あなたがあなた自身の良心を抑制し、純粋な悪を受け入れることをどれだけ喜んで行えるかを示すものである。

この嘘を受け入れる人々は共通の世界観に縛られるだけではなく、言葉では言い表せないほど邪悪で偽りに満ちた何かに関して共犯者となる。そのような人々はスローモーションの大量虐殺の単なる傍観者以上の存在ではあるが、オーウェルの世界における二重思考の専門家でもある。命じられると、彼らは喜んで宣言する。 正しいことを間違っていると言い、白は黒であり、支配エリートが命じるものは何であっても現実のものとなるのである。

これらの人々にとっては「真実」や「現実」は何の違いももたらさない。まったく 何も!

このような人たちは命令を下し、他人に嘘をつくのが好きだからというだけではなく、命令を受けて、それを実行するのが好きであるが故に権威主義者なのである(この種の人たちの興味深い議論についてはこちらを参照していただきたい)。

そうは言っても、今日、われわれは何を観察することができるのか?

簡単に言えば、われわれが観察しているのはほとんどすべての国が示した恥ずべき、極めて見っともない態度だ。私はロシアに関わる現状についての非難から始めようと思う。

いや、ロシアは「イスラエル」やネタニヤフと「共謀」してはいない! この種のがらくた情報は国家間の競争の真の複雑さを理解してはいない幼児によって、ならびに、プーチンやロシアに関するFUD(不確実性、疑い、および、恐れ)を喧伝するために(お金や認識によって)支払われている連中によって喧伝されているのだ。

しかしながら、ロシアの指導者たちはパレスチナの人々の窮状に氷のように冷たい無関心さを示している。確かに、ロシアは「イスラエル」とパレスチナ人に関するすべての国連安保理決議を公式に支持しているが、彼らに対してこういったリップサービスを与える以外には、ロシアの利益が直接影響を受けたり、脅かされたりしない限り、ロシアは「イスラエル人」に対して全く何もしようとはしない。あなた方はそれを「リアルポリティック」と称することができるとは思うが、それは不道徳であって、犯罪的な無関心と呼び、恥ずべきことであると私は思う。ロシアがそのような醜い「現実主義」を放棄するまでは、そして、道徳・倫理がロシア社会とロシアの政策の中核的価値観に戻って来るまでは、ロシアが二度と真の意味で正教派の国家になることはないであろう。

これとは対照的に、アングロシオニストによる攻撃の脅威の下でその存在の全期間を生き永らえながら、ロシアよりもはるかに弱いにもかかわらず、イランは「イスラエル」やパレスチナ人の問題を扱う際にはいわゆる「現実主義」よりも道徳を断固として優先させた。 もちろん、すべてのイラン人がそれほど純粋で高貴であるというわけではなく、ラフサンジャニの「グッチ革命」がシオニストによってどのように裏付けられ、イランではすべてが完璧であるとは限らないことを理解するのには十分である。しかし、人間はどこへ行っても同じだ。イランをこれほどに劇的に異なった存在にしているのはイラン人が「より善良な」人々であるということではなく、イランが公式に道徳的、倫理的、さらには、宗教的な価値観を同国の世界観と政策の基礎に据えているからなのである! それは非常に注目に値することであり、ユニークであり、地球上の他の国々に恥じを感じさせるのである。

 

ウクライナで進行している現在の戦争はどうか?

今日、われわれは皆がウクライナでのNATOとロシアの間の戦争に釘付けになっており、これは非常に論理的でもある。結局のところ、帝国を運営している変わり者が(今では避けられなくなった)ロシアの勝利よりもむしろ北半球の全体を破壊することを好む可能性がある。 しかしながら、われわれは自分自身をからかうべきではなく、繰り返しになるが、この戦争はウクライナやEUの将来を決めるものではない。 これは、アングロ・シオニストがわれわれの惑星を完全に一極支配するのか、それとも、歴史上の最後の帝国が法の支配によって規制された多極、多民族、多宗教、多文化、多政治形態の国際秩序に取って代わられるのかを決定する戦争なのである。したがって、「イスラエル」はこの戦争に巨大な利害関係を持っており、「ハザール人」がウクライナまたはクリミアに新しい国家を作りたいというわけではないけれども、アングロ・シオニスト帝国が崩壊した場合には、「イスラエル」のシオニスト政権は「神によって与えられた人種差別主義」の世界観を放棄するか、イマーム・ホメイニが「コッズ(エルサレム)を占領しているこの政権は歴史のページから排除されなければならない」と言ったときに予測したように、実際にその終焉に直面しなければならないのだ。

ナチスが運営するバンデラスタンの場合については、ウクライナのナチスとイスラエルのナチスが手を取り合って働いているのを見たが、それと同時にイスラエル人は双方の交戦者の間に等距離を維持するふりをしていた。はい、ウクロナチとイスラエル人はお互いを憎んでいるが、その憎しみはロシアやロシア人全体を憎むよりもはるかに少ない。「イスラエル人」がキエフのバンデラを崇拝するナチスに武器や「ボランティア」のインストラクターを送り込み、ナチス収容所からユダヤ人を解放した人々(つまり、ロシア)に対抗したが、シオニストの道徳的柔軟性に関してはこれ程の好例はないだろう!いわゆる「ポグロム」(訳注:19世紀の終りから20世紀初頭にかけて東ヨーロッパで引き起こされた組織的大虐殺のこと)についても同様であり(そして、多くが誤解されている。こちらこちら 、または、こちらを参照いただきたい)、それらはすべてがロシアではなく、今日のウクライナに位置していた。悪名高い(そして、多くが誤解されている。こちらこちら、または、こちらを参照していただきたい)「ロシア人の定住地域」に関して言えば、それはパレスチナ人が自分たちの土地を自由に使うことを妨げるために「イスラエル」が構築した壁とはいったいどう違うのか? 実際、これらのふたつを真剣に比較してみると、後者は前者よりも無限に悪質であることがすぐに分かるのである。

なおかつ、

真実はどうかと言うと、ロシアに対するラビ/ファリサイ派の憎悪は歴史や過去の過ちに基づいているのではなく、純粋に宗教的な理由に基づいている:ローマ教皇庁が反オーソドックス派であるのと同じように、ラビ/ファリサイ派の「ユダヤ教」は反キリスト教なのである! なぜか? クリスチャンは(霊的に)「本当のユダヤ人」であると主張し、正教会のクリスチャンは「真の教会」であると主張しているからだ。言い換えれば、正教会のキリスト教は旧約聖書に対するユダヤ教の主張や新約聖書に対する南欧諸国の主張の両方に挑戦し、それらを暴こうとする。

南欧の人たちが「同じ救世主を待っている」「信仰の兄たち」と協力して働いているのを見るのは本当に驚きであろうか?

今日のロシア社会は長い間真のキリスト教徒ではないが、真のキリスト教徒の道徳的・倫理的価値を放棄することをいまだに望んではいないという事実も存在する。「もっと悪い」ことには、特に、ロシアに対するNATOによる戦争の終結後、ロシアは真のキリスト教のルーツに戻るかも知れないという現実の可能性さえもがある(現行の戦争が核戦争による世界の終末では終わらないだろうと仮定すると、まさにそうなるのかも)。

いや、主要な役者(ヌーランドやケーガン、ブリンケン、等)がすべてシオニストのユダヤ人であるということはまったくの偶然ではない。それには客観的な理由があるのだ。けれども、聖パウロが「わたしたちの戦いは血肉に対するものではなく、もろもろの支配と、権威と、やみの世の主権者、また天上にいる悪の霊に対する戦いである(エペソ人への手紙6:12)と書いた言葉を常に覚えておく必要がある。罪のない犠牲者を含め、罪のない人々には国籍がないから、あるいは「集団的罪悪感」のようなものがないからだけではなく、われわれは南欧の人たちとは異なり、真のキリスト教をその重要な教えを無視して擁護することはできないので、われわれはこれらの言葉を覚えておかなければならないのである!この戦争の性質を否定することは、民族的ではなく精神的な性質を否定するのと同じくらいに大きく間違っている。中核においてわれわれは厳しい選択に迫られている:

  • われわれはすべての人々に共通の人間性を受け入れるのか?それとも、
  • われわれは拒否するのか?

もしも答えが後者であるならば、ドイツ人であろうとイスラエル人であろうとそれには関係なく、あなたの居場所はナチスと一緒である。もしもあなたがその共通の人間性を受け入れるとするならば、それに基づいて行動し、われわれの敵がこの重要な価値観を共有していないという事実によってあなた自身が倒されることがないようにしていただきたい。 話は非常に簡単だ!

 

結論:

キエフにおける2014年のクーデター以降、私はほぼ独占的にウクライナの内戦に焦点を合わせ、2022年以降はロシアに対する米国・NATOによる戦争に焦点を合わせて来た。だが、シオニズムやイスラエルについて言及することはめったになかった。主な理由としては私には時間がなかったからだ。これが、今日、セイカ―・ブログに今回投稿する分析で、このテーマをもう一度再検討したいと思った理由である。4000語を超す上記の文章はテーマを徹底的に掘り下げて議論しようと意図したものではない。私の希望は、私がここに書いたことが読者であるあなた方にとってはこの巨大で複雑なテーマについてあなたご自身の研究を追求する際に十分に魅力的に見えるかも知れないという点にある。私が上で述べたさまざまな文章を読むよりも悪いことをすることもまた可能であると思う。しかし、その選択はあなた次第だ。

この投稿をアレクサンドル・ソルジェニーツィンの有名なエッセイ「嘘ではなく生きる」で締めくくりたいと思う。これらの言葉があなたにインスピレーションを与えることを願っている。

 

アンドレイ記

 

「嘘ではなく生きる」(Live not by the lieからの抜粋:

暴力が平和的な人間社会において爆発する時、その顔は自信に満ちており、垂れ幕にははっきりと次のように表示され、宣言する:「俺は暴力だ!道を譲って、脇に寄ってくれ。さもなければ、あんたを押しつぶしぞ!」しかし、暴力は急速に古くさくなり、数年が経過すると、もはやそれ自体では確信が持てなくなる。自らを支え、まともなように見せるためには、それは間違いなくその相棒を呼び起こすことであろう。つまり、嘘をだ。なぜならば、暴力は嘘以外にその身を隠す場所はなく、嘘は暴力を通してのみ持続することが可能であるからだ。そして、暴力がその重い手を下ろすのは毎日のことではなく、すべての肩に対してそうするわけでもない:それはわれわれに嘘に服従すること、欺瞞へ毎日のいうに参加することだけを要求して来る。そして、われわれの忠誠としてはそれで十分なのだ。

そして、そこでは、われわれはわれわれによって無視されている、われわれの解放への最も単純で、最もアクセスしやすい鍵を見つける:個人的に嘘へは参加しないことだ!たとえすべてが嘘で覆われていたとしても、たとえすべてが彼らの支配下にあるとしても、われわれは最小の方法で抵抗する:彼らの支配は私を通してのみ保持されるようにしよう!

われわれは広場に出て真実を叫んだり、自分の考えを大声で喋るようには求められていない ― これは怖い。われわれはそのような準備ができてはいない。しかし、少なくともわれわれが考えてもいないことについて喋ることは拒否しよう!したがって、われわれの根深い有機的な臆病さを考えると、これはわれわれにとって最も簡単でアクセスしやすい方法であり、ガンジーの市民的不服従よりもはるかに簡単だ(こういった言葉を発することさえも怖い)。
われわれの方法はこうだ: 決して故意に嘘を支持しない!嘘がどこから始まったのかを理解したら(多くの人たちはこれを違った見方で見る)、その壊疽の端からは一歩引き下がって貰いたい!イデオロギーの剥がれた鱗を接着したり、崩れかけた骨を集めたり、分解した外観をつなぎ合わせたりはしないでいただきたい。そして、われわれは嘘がどれほど迅速に、かつ、無力に崩壊し、裸にされて行く運命にあることが世界に暴露されることに驚かされるであろう。

したがって、われわれの向こう見ずを克服し、各人に選択させていただきたい:彼は嘘に対して賢明なしもべであり続けようとするか(言うまでもなく、自然な素因のためではなく、家族のために生計を立て、嘘の精神で子供たちを育てるために!)、それとも、彼の子供たちや同時代の人々からの尊敬に値するような正直な人として彼にはまっすぐに立つ上がる時が来たのではないか?

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これで全文の仮訳が終了した。

引用記事の著者は「アンドレイ」という名前で何時も投稿をしている。この記事においては彼はそれぞれの国家について彼流の明瞭な性格付けをしている。たとえば、「ロシアがそのような醜い現実主義を放棄するまでは、そして、道徳・倫理がロシア社会とロシアの政策の中核的価値観に戻って来るまでは、ロシアが二度と真の意味で正教派の国家になることはないであろう」と言う。

さらに、イランについては「イランをこれほどに劇的に異なった存在にしているのはイラン人がより善良な人々であるということではなく、イランが公式に道徳的、倫理的、さらには、宗教的な価値観を同国の世界観と政策の基礎に据えているからなのである! それは非常に注目に値することであり、ユニークであり、地球上の他の国々に恥じを感じさせるのである」と指摘している。

特定の領域における専門家の論考を読む時、何時ものことながら、的を射た、極めて説得力がある記述に遭遇することが多い。特に、伝統的な常識や倫理観、価値観から見ると受け入れられないようなことが頻繁に起こっている近年は、人類の歴史や古典的な常識に根ざした論考はなぜか非常に新鮮に映るのでさえある。実に不思議だ!

非常に大きな視点から現状を見ると、西側においてはこの引用記事の著者が大切にしようとしている道徳・倫理は過去の2030年間に急速に崩壊してしまった。ロシア人の世界観から言えば、米国社会は数十年前にすでに彼らの目には異常に映っていた。具体的には、1978年にソルジェニーツィンがハーバード大学で行った講演が有名である。彼は米国社会の退廃をもたらすものとして米国における過度の個人主義を指摘していた。幸か不幸か、現在の米国社会を見ると、ソルジェニーツィンの先見性を否定することは極めて難しい。

たとえば、米国やヨーロッパでは同性婚が合法化され、マリファナが合法化され、伝統的な価値観が次々と否定されて行った。米国の大学は、今や、自分のキャリア―を近視眼的に考えるだけで、言いたいことも言えないような教授たちで埋め尽くされているという。大学は文明の墓地と化してしまった。最近の新型コロナ禍においては、科学は当面の利益の最大化を標榜する製薬企業勢力によってハイジャンクされ、大手メディアやソーシャルネットワーク企業はその筋書きを喧伝し、擁護することに徹した。そして、FDACDCの高官らは退職後に民間企業の重役室に自分のオフィスを持つことを夢見て、規制当局は製薬大手マフィアによって捕獲されて行った。これらの実態がさまざまな形で、今、暴露されている。

西側の人間社会はいったい何処へ行こうとしているのだろうか?答えは現時点では混沌とした霧に包まれており、なかなか見えては来ない。

だが、ロシア・ウクライナ戦争については、従来通りのプロパガンダがメディアによって今も強力に続けられてはいるが、あり得そうなシナリオはこうだ:ウクライナ軍の武器・弾薬庫が完全に空になり、即ち、西側の経済がウクライナ軍を支えきれず、ウクライナ・ロシア戦争を収束せざるを得なくなって、米国はついに真の意味で米国の国内政策に回帰する。こうして、多極的世界が現れ、具体的な将来像が初めて見えてくる。

あるいは、ロシアが敗退し、米国による一極覇権がさらに確固としたものとなり、新型コロナ禍で誰もが観察したような独裁社会が全世界規模で出現する。大小の嘘が繰り出され、そういった嘘に従おうとはしない正直者は遅かれ早かれ社会から抹消され、淘汰される。あらゆる意味で極めて暗い社会の到来となる。それは教会の権力者がすべての権力を握って社会に君臨し、一般大衆はすべての権力を剥奪された中世の社会を髣髴とさせる。そうなったら、恐らく、新型コロナ禍で苦労を強いられた2020年から2023年頃の世界さえもが楽園のように見えてくるのではないか。

どちらに転んだとしても、ロシア・ウクライナ戦争でもっとも悲惨な貧乏くじを引いたのは戦場となったウクライナであろう。台湾有事の議論においては日本はウクライナ化するべきではないといった主張がある。ロシア・ウクライナ戦争ではウクライナは米国の代理として戦争をしている。だが、代理戦争をしているウクライナは米国にとってはあくまでもひとつの駒でしかない。米ロ戦争というゲームに勝とうとして、あるいは、引き分けにしようとして米国は駒を捨てるかも知れない。

台湾有事の際の日本はいったい何なのか?米中戦争においても米国にとっては日本は単なる駒でしかないのではないか。

 

ところで、政治の世界においては情報をコントロールしようとする権力者側はあの手この手を仕掛けてくるのは昔からの定石である。今朝(32日)、興味深い記事に遭遇した。蛇足になるかも知れないが、それをここにご紹介しておこう:

米国のワシントン州では新法が検討されている。「HB1333 ― 国内暴力的過激主義委員会」と題された法案である。現在、22人の議員が賛同している。全員が民主党議員である。これは州の法務長官事務所に新たに委員会を設置することを求める内容だ。この新法によって、何らかの新しい法の執行が意図されているらしい。識者の間では「国内における暴力的過激主義とは何かが定義されてはいない、いったい誰がそれを決めるのか」といった疑念が持ち上がっているようだ。たとえば、ワシントン州では新型コロナワクチンについて疑念を表明することはこの新法の下では出来なくなるかも知れないと言う。もしもそういった意図が背景にあるとすれば(注:民主党議員による提案であり、ウオークなワシントン州での出来事でもあることを考慮すると、そういった意図が見え隠れするのであろう)、極めて反動的な新法になりそうである。この新法の下では、もしも新型コロナ2.0が起こったとしたら、規制当局はワクチンに反対を唱える者は誰でもテロリストと宣言し、反対者を弾圧することが法的に可能となるであろう。(原典:HB 1333 – Domestic Violent Extremism Commission: January 14, 2023、および、More vaccines - higher infant mortality: By Steve Kirsch, Mar/01/2023

邪悪な社会がますます邪悪になって行くように感じられ、集団としての人類の良心を考えると、この種の報道を見るのは重苦しく、辛い。

 

参照:

1The bloody sore on humanitys conscience: By The Saker, Feb/14/2023

 

 



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