2022年5月24日火曜日

ウクライナ戦争、85日目 ― アゾフスタリ製鉄所での兵士らの投降、つまり、救出を現場で見る

 

マリウポリのアゾフスタリ製鉄所の地下壕では、世界中の関心を集めていた多数のアゾフ大隊の隊員を含め、1,000人とか2,000人ともいわれるウクライナ軍の救出、つまり、投降が行われ、この作業はすでに終了した。

ここにその初日の様子を伝える記事がある(注1)。「ウクライナ戦争、85日目 ― アゾフスタリ製鉄所での兵士らの投降、つまり、救出を現場で見る」と題されている。この記事には戦闘やそれに伴う甚大で、かつ、悲惨極まりない人的、物的な被害とはまったく異なるエピソードが綴られている。キラッと輝やくものがあって、印象的だ。

本日はこの記事を仮訳し、読者の皆さんと共有しようと思う。

 

***

やあ、読者の皆さん

私はアゾフスタリ製鉄所について記事を書く積りはないと誓っていた。最前線で起こっている本当のニュースからは完全に逸れた気晴らしの記事なんてまっぴら御免だからだ。しかし、ロシアの戦争特派員であるドミトリー・ステシンが伝える記事を読んだ後、私は「一度だけなら・・・」と考え直した。なぜならば、私には人間的な関心事については目がないからだ。

主要な物語の中でこの特定の要素についてはあまりご存知ではない方々のためにまずは概要を掲載しておこう:

何週間にもわたって地下壕でネズミのように隠れていた後に、さらには、古代北欧の神々の神殿とかアドルフ・ヒトラーの幽霊に対して自分たちは降伏するのではなく、これから死ぬのだと誓った後に、われわれのこの無知で「英雄的な擁護者たち」はそれは反故にすると宣言した。当初は重傷者の「救出」を行うだけの筈であった。ロシア/DPR(ドネツク人民共和国)側はこれらの重傷者を病院に連れて行き、そこで治療をし、おそらくは理学療法を施し、PTSDを乗り越えるのを助けるためには心理療法も提供すると約束した。そして、これがその全容であるとの言葉が発せられるや、このプロセスは一気に膨れ上がり、手に負えなくなり始めた。目下、健康で、歩行可能なウクライナ兵さえもが彼ら自身もこのプロセスに是非あやかりたいと心に決めたのである。降伏を望んでいた兵士は最大で700人、あるいは、それ以上いたという。最新の見積もりでは、おそらく1000人に達すると言われている。一連のバスや乗用車の隊列はすべての兵士を連れ出すためにチャーターしなければならなかった。なぜならば、ロシア人は囚人を自分の運命にまかせて歩かせた第二次世界大戦中の日本人よりも善良な人々であるからだ。今の時代、彼らはバスに乗ることができる。

Photo-1:西側のメディアはウクライナ軍の敗北を勝利に言い換えようとした。

しかし、本当に滑稽だったのは、ユーチューブやツイッターで嘲笑の余り死にそうにさえなった、少なくとも、最初の23日間は西側のメディアはすべてがこの大量の降伏を「救出」であるとして話を進めることに決めた点だ。あたかもウクライナの兵士やこれらの無知な連中が銃撃を行い、仲間を救出するかのように聞こえた程だ。何時ものように、CNNはあらゆる種類のフェークニュースの中でももっとも深刻な偽物であった。彼らは「兵士らはウクライナの町ノヴォアゾフスクに連行される」といった欺瞞的な見出しを付けた。ノヴォアゾフスクはウクライナではなくドネツク人民共和国によって支配されている地域であるが、その事実は都合よく省略してしまったのだ。そして、彼らの読者が無知であることをいいことに、他にも数多くの欺瞞的な見出しやコピーを氾濫させた。

「私はアゾフを笑った」と、親ロシア派のある解説者がCNNのナンセンス振りについて書き込み、それは「本日の表現」のひとつとして皆の注目を集めた。

まず地雷処理班が現れた:

516日の早朝、レポーターのステシンはアゾフスタールでロシア/DPR兵士と付き合うことを許され、彼らが事態が展開するのを心配そうに待っている間に一生に一度のスクープに遭遇した。ウクライナ人は製鉄所とつながっている古い鉄道トンネルの封鎖された入り口から出てくるように設定されていた。果てしなく続くかのような数分が流れて行く。突然、何カ所かのトンネルのひとつに白旗が掲げられた。そして、そこから迷彩服を着た男の一群が出てきた。若い少年もついて来た。1516歳程度に見える。彼の名前はコーリャ。彼はこの1ヶ月間製鉄所に住んでいた。貯蔵用地下室のひとつを自分で見つけ出し、それが彼用の家になったと言う。コーリヤを含めて、この最初のグループは他のグループのために投降条件を交渉するためにそこへ出て来たのだ。若さにもかかわらず、コーリヤは明らかに国家主義者たちとの繋がりを持っており、おそらく、周りの他の連中と一緒に拘束されることになるであろう。母親のためにも、誰もが母親が自分をきちんと育ててくれたことを願うばかりだ。言い換えると、入れ墨がないことを願うしかない!体にひとつでも入れ墨があると、それだけで正規の捕虜となるか、戦犯の容疑者となるかの分かれ道となる。それが大きな卍や太陽のシンボルだった場合はなおさらのことだ。

4時間が経った。13時頃だ。「彼らが出て来るぞ。撃つなよ!」それから、ウクライナ兵の地雷処理班のグループが現れた。ロシア兵の助けを借りて、彼らはアクセス用の道路から瓦礫を取り除く作業に取り掛かかった。鋼鉄のような神経を見せて、地雷処理班はどこにでも配置されている、破片や瓦礫の中に隠されている爆弾のワイヤーを静かに切断する。こうして、この辺り全体から迅速かつ効率的に地雷が除去された。

Photo-2: まずは入り口とアクセス用道路を邪魔している瓦礫を排除する必要がある。

2時間が経過し、今は15時。ロシア人は重傷者の最初のグループが連れ出されて来るのを待っている。

アゾフ大隊の連中が洞窟から姿を現すと、彼らは太陽の下でまばたきをした。その様子はあまりにも長い間地下に潜んでいたモグラのように見えた。彼らの前には、この荒廃した場所であってさえも近くの川ではカエルが幸せそうに鳴いており、緑豊かな空間が広がっている。通りの向かい側にはレストラン「Sarmat」があるが、戦争が始まってからは閉店のままだ。レストランをじっと見つめて、アゾフ大隊の一人が「シャシリクを食たいもんだが・・・」とため息をつく。連中は本当に空腹であることが分かった。彼らはたくさんの水を手に入れることはできたが、食べ物はほとんどなかったのだ。これは重要な情報である。なぜならば、インターネット上では「擁護者」らには水が足りていないことを誰もが何回となく繰り返していたからだ。実際、彼らには水の補給は無制限とも言える程十分にあった。これについては後で説明したいと思う。

奴らにはあんたの笑顔を決して奪わせるなよ

この時点でわれわれはまだステシンのレポートの途中であり、さらに下へスクロールすると、この物語のいくつかを説明する短いビデオ(3分弱)が現れてくる。ロシア人をウクライナ人の兵士から見分ける方法は、ロシア人兵士は腕や脚に白い布を巻いていることだ。ウクライナ人兵士は青または緑の布を巻いている。ステシンは地雷処理班が熱心に自分たちの仕事に取り組んでいる様子を示している。

Photo-3:ナチスの地雷処理班が地雷を処理する。彼は腕章に「SS Galichina」のワッペンを付けている。彼のライフルの銃床には英語では「奴らにはあんたの笑顔を決して奪わせるなよ」という意味の言葉が書き込まれている。

ステシンはアゾフの連中と会話を始めようとする。彼らはまっすぐ前を見て、彼とは目を合わせようとはしない。彼は連中の装備やキットが最高級品でであることに気付いた。彼らは相手のロシア軍兵士と同様にカラシニコフ・ライフルを携行している。

リポーター自身は汚れた、怯えている男たちが目の前に現れることを予測していたが、彼が目にしているのはそうではない。彼らはきれいさっぱりとしており、怖がっているようにも見えなかった。むしろ、不安気であった。彼らの清潔さの謎は彼らの一人が秘密を打ち明けた時に簡単に解決した。つまり、彼らはずっとたくさんの水を持っていたのだ。パイプ内には無限の供給があったから、彼らはそれを「産業用水」と呼んでいる。技術的に言えば飲料水ではないけれども、お茶を作るのに使った。さらには、体を洗って清潔に保った。それを考えると、なぜ彼らが降伏を決めたのか不思議に思うが、その秘密は彼らが一週間前に食糧を使い果たしたことだ。喉の渇きではなく、飢えが彼らを地下壕から追い出したのである。

ステシンにはポルタヴァ出身のヴラドという名のDPR兵士がいつも同行している。ふたりは過去の3ヶ月間歩き回る時はずっと一緒だった。ヴラドはこれらのウクライナ兵のナチス野郎に対する憎しみに満ちていて、復讐を望んでいた。しかし、今、彼に何かが起こっている。捕虜を目の前にして、彼の憎しみと怒りは融け始めた。彼はより穏やかになっていく。ステシンは「ロシア魂」について、そして、その効果はどのように機能するのかについて詳細に説明する。つまり、こうだ。征服された敵兵を目の前にして、ロシア人の怒りは鎮静化し、それに代わって思いやりが心の中でより支配的になっていく。確かに、これらのナチス野郎は彼らが犯した犯罪行為のために裁判にかけられることであろう。だが、それは戦場で正義を実行するロシア人のやり方ではない。

Photo-4:アゾフスタリ製鉄所、つまり、この残骸は今やDPRのものとなった!

ステシンはウクライナ人の一人に「中には何人残っているのか」と尋ねた。ドミトロという名前のウクライナ人は話たくはないようであった。「まだかなりの数がいる。あんたには驚ろきかも・・・。」ステシンはその男にカメラに向かって話す機会を与え、愛する人に彼がまだ生きていることを知らせてやるようにと誘ってみた。しかし、ドミトロは丁寧に断った。捕虜の誰一人としてインタビューには応じない。ステシンは彼ら自身の選択を尊重しなければならなかった。

ナザールという名の18歳のアゾフ野郎は捕虜のグループ全体でも純粋なウクライナ方言で話す唯一の人物だった。彼はリヴォフの出身。彼はステシンがヴラドとお喋りをし、これがどのようにして起こったのかを詳しく説明するのを耳にする。ナザールは二人の会話に首を突っ込み、ウクライナ語の方言で「人々は人々に対して戦わされた」と言う。ウクライナ人のドミトロはこれに反対した。つまり、自分はマリウポリ出身だと言い、人々は(マイダンの規則の下で)新しい生活には慣れていたと言う。ヴラドは怒って、反論した。「俺はポルタヴァ出身だが、新しいルールの下で暮らすことは不可能だと分かったから、2014年に家を出なければならなかった。われわれは皆がロシア語を喋り、彼らはロシア語を禁止し始めた。数多くの法律を作った・・・」

ドミトロは息を吐いた。「その通りだな・・・」しかし、すぐに我に返って、政治的議論に飛び込んでいく。「とは言うものの、これはわれわれの内部問題、ウクライナ自身の問題だった。いったいどうしてロシアは鼻を突っ込まなければならなかったんだ?

ヴラドは怒って反論する。「誰も介入させないで、われわれ全員を殺してしまいたかったのかい?あんた方の背後にはヨーロッパやアメリカがついてるじゃないか。われわれの背後にはロシアがいる。あんたにとってこれは普通のことと思えるか?戦場で戦って、青春を無駄にすることが普通のことだと思えるのか?」

ドミトロ:「僕も2014年から戦っている。僕も自分の青春を無駄にしてしまった。」

ヴラド(好奇心を旺盛にして):「本当かい?どこで戦っていたんだい?」

ステシンはふたりの兵士を思い出に浸るままにしておいた。彼の指摘によれば、ふたりの会話は少なくとも1時間は続いた。

この間、地雷除去作業は続き、数え切れないほどの地雷が掘り出された。こうして、最終的には救出ルートが明確になって、負傷者を搬出し始める時がやって来た。彼らは最初のグループを担架に乗せて連れ出し、さらに多くの負傷者を連れ出すためにまた戻って行った。担架に乗せられた男たちの中には、本当に体調が悪そうな者もいた。彼らはもう1日さえも持ちこたえられなかったのではないかと思う。

アゾフの将校が現れる。彼はロシア兵のグループにアゾフの戦闘部隊はまだ工場内におり、この救出プロセスの初日にすべてがいったいどういうふうに展開するのかを見ようとして待っていると伝えた。兵士たちはインターネットに接続しているので、ソーシャルメディアを通じて熱心に追跡し、起こっていることのすべてを知っている。彼ら全員が今到達しつつある結論はこうだ。彼らにとってキエフ政権はもはや何の役にも立たない。

マリウポリでの戦闘は終わりだ!

次はいったい何が起こるのだろうか?

ステシンとヴラドは自分の装備をかき集めて、現場を去る。意外にも、ヴラドはこう明かした。「この戦争が終わったら、ドミトロと一緒に出かけて、酒を飲めれば嬉しいな!」

「お前は奴らを許すのかい?」

「いや、そうじゃない。でも、奴が好きなんだ。俺たちには話し合いたいことが山ほどあるんだ。」

「彼のどこが好きなんだい?」

「たとえば、彼は自分がコックであることを偽らず、俺には正直だった。奴は立派な敵兵だよ。」

「でも、われわれは奴らを打ち負かした。」

「その通りだね。だけど、実に厳しい仕事だったなあ。」

***

これで全文の仮訳が終了した。

ヴラドとドミトロが何時の日にか再会できることを願うばかりである。ロシア側がかねてから宣言していたアゾフ大隊に対する軍事法廷が開かれるとすれば、ドミトロも刑務所かシベリアの労働キャンプへ送り込まれるのであろう。こうして、彼の失われた青春は際限なく続くこととなろう。

個々の一般市民にとって戦争は言いようもない程に残酷だ!


参照:

注1:Ukraine War Day 85:  Up Close Look At Azovstal Surrender, I Mean Evacuation: By yalensis, Awful Avalanche, May/19/2022

 

 


14 件のコメント:

  1. 翻訳ありがとうございます。面白い記事ですね。従軍通信員のステーシンさんは、手製爆発物のワイヤ切断作業をする工兵の近くにいるようですが、これって大変危険なのです。他の記事に、ウクライナ兵の背嚢を見つけても、それに触らないようにという指示が書いてありました。安全ピンを抜いた状態の手榴弾が仕込んであるとのこと。

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  2. おもちゃに仕掛けるとかの記事は見かけたことがあります。やることが汚い。降伏までの段取りは報道された記事を見たことが無かったので、興味深く読ませていただきました。ヴラドとドミトロの話を読むにつけ、ウクライナとロシア人は共存してきたわけで、要らぬ憎悪を焚きつけて戦争に持ち込んだのはネオコンとオバマ、バイデンにつながる人脈です。
    最新の藤原さんの動画3本、面白いですね。日本人は大元はロシア方面から来ているという指摘などなど。
    ウクライナ軍、崩壊が近いのでは? 命令に従わない兵士は殺していいという指令など、末期症状。ペンタゴンのチーフ、ロイド・オースティンが率いるウクライナに関する米国のコンタクトグループのビデオ会議でのウクライナの旗が逆さまになっているのも、終わったというサインでしょう。漫画みたいです。
    こんなのも
    https://www.youtube.com/watch?v=0Ks4a7Qj47k
    https://www.youtube.com/watch?v=gPehXC5hNJA
    https://www.youtube.com/watch?v=VxKb9rFno4Q

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  3. 投降まで漕ぎつけるために、ロシア・ドンバス連合軍は、交渉団に全権を委任し、立て籠もり部隊に丁寧に説得を行ったようです。第一陣が出た後、どのように扱われるれるかを、ソーシャルメディアの報道を追跡していたと言います。リッターさんも、ナツィストは残虐行為を隠さないと言ってましたね。最初のヴィデオでは、イエヴレィ(ユダヤ人)Еврейやハザル(ハザール人) Хазар という、コールサインの兵士が色々語っておりました。ナツィストは彼らを狙ったでしょうね。藤原さんの講演を見れません。リンクを教えてください。

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  4. 2022年5月25日 ますます口数が減ってきた
    https://www.youtube.com/watch?v=QTf4Q3X9RBQ
    【前半】第76回NSP時局ならびに日本再生戦略講演会
    https://www.youtube.com/watch?v=omh-s9ehRy4&t=4504s
    2022年5月25日 偶然と必然のあいだ
    https://www.youtube.com/watch?v=B_CHNddBdZE
    おまけ
    ロシア🇷🇺のコメディアンがゼレンスキーのふりをして🇺🇸前大統領ジョージ・ブッシュにいたずらコール (本物です!)
    https://www.youtube.com/watch?v=rvNPKQr-AA8
    プーチン演説より【正義と真実はどこにあるのだ!あるのは嘘と偽善だけだ】
    https://www.youtube.com/watch?v=_aneIy9t-Yw

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    1. kiyo様 おはようございます。これからじっくり拝聴いたします。

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    2. kiyoさま
      「ますます口数が減ってきた」という指摘は的を得ていると思います。それに伴って、今までの筋書きに対する反対の状況が認識されつつあるということですね。これら4本の動画の一つはアクセスできませんでした。もう削除されたのでしょうか?

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    3. 確認しましたところ、こちらではすべて見ることができます。制限がかかっているようですね。
      最後の動画が見れないのでしたら「未来ネット研究所」で検索してみてください。
      ゼレンスキーのふりの動画でしたら「Mayo」です。

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    4. kiyo様 最新の記事拝見しました。これまでで最も適切に戦争の原因と勃発そして行くへの展望を解説してくれております。翻訳と解説に感謝申し上げます。《名誉西側諸国 honorary Western country》は《白人扱い羨望偽善不名誉諸国》が適切でしょうね。それと2014年のロシアバッシュイング全盛期に、私の蒙を啓いてくださった、憲法学者にリンクを伝えました。ポーランドフォリア一辺倒だった私を、芳ちゃんブログに誘ってくださった方です。このブログで私は、この愛するポーランドにも、急ソ連とロシアに対して《破壊工作、政権転覆工作》を専業とする、特殊軍があることを知ったのです。逆に言えば、帝国時代とスターリン体制時代に、ポーランド人が蒙った、いわれのない虐待、拷問、流刑、蔑み、侮辱に対しては、怒りを感じます。恐怖政治下での、ソ連市民の保身、長い物には巻かれろ主義、密告奨励(家族と親友を密告することが最高の道徳だった)、共産党無謬主義、そして被害者意識(1980年代ソ連に住んでいましたが、彼らは世界に嫌悪されていると信じておりました。少なくとも小生の少数の学術コミュニティでは)、…しかし、今では懐かしい。

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    5. 名誉白人とか以前は時たま耳にしていましたね。この言葉、なんとも複雑な思いに駆られます。ポーランド軍が西ウクライナに入ったという報道がありましたが、日本も同じような境遇にあるような気がします。

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    6. シモムラさま、ロシア人の意識や生き様は実に興味深いです。もしかすると、信じていた事柄とそれとは矛盾する状況にも惹かれるという傾向こそがわれわれの人生を深く、かつ、豊かにしているのかも知れませんね。実証はできませんが、そんなふうに思えます。

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  5. 只今ロシアの旅行社より、なんと夏休み二箇月(教員には更に十日付加支給)の夏休みに、ソチへの招待、ロシア五大湖への招待、美しいカザフスタンへの招待状が届きました。小生はアルタイ―ストなので、カザフスタンへ行こうかと計画を立て始めました。アルタイ語という語族は、チュルク語方言が主体の言語集団なのです。彼らの原始祖先は突厥(チュルク)と呼ばれ、漢の討伐時代はバイカル湖周辺で馬遊牧(騎馬部隊による農耕民族攻略略奪)に勤しんでおりました。このユーラシア地帯では、特に北方では、大地を掘り返すという農耕作業が、地に閉じ込められた悪霊を解放する行為だとして、激しく暴力によって抑圧されたのです。今でも、シベリアでは食事の前に、酒や食糧を火の回りに注ぎ落しますね。チュフチュフとよばれています。これは神との供食供飲ではなくて、地霊鎮めの儀礼なのです。騎馬民族が農業を略奪する理由は実に宗教的確信(魂鎮め)によるものだと思います。

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    1. シモムラさま、この夏休みは楽しいものになりそうですね。これは新型コロナではさまざまな苦労をされてきたシモムラさまに対するご褒美かと思います。存分に英気を養っていただきたいと思います。

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  6. 楽しみですね。ロシアに行ってみたいです。ネオナチ討伐戦を見ていると、ソ連とロシアというのはまったく違った国、人々になったような印象を受けます。
    今、次の記事を書いていて明日あたりにアップできそうですが、次にラブロフの「2022年5月23日、モスクワのエフゲニープリマコフ学校でのリーダープロジェクトのための100の質問の一部としてのセルゲイラブロフ外相の発言と質問への回答 」にかかろうと思っています。

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    1. ロシアへ出かけるとしたら、ありきたりですがサンクトペテルブルグへ行ってみたいですね。しかも、6月22日に。旧ソ連時代にエルミタージュを見学したことはあるのですが、その時は冬でしたので、今度は夏に行ってみたい。

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