2022年5月7日土曜日

「あれはもう我慢の限界であった」 ― ウクライナ内戦の引き金となった出来事

 

今年の52日は数日前に過ぎたばかりである。だが、オデッサに住むロシア語を話す人たちにとっては8年前の52日は極めて特別な日だ。ウクライナ政府との抗争はあの日を境にして決定的なものに変わってしまったからだ。

まずは、記憶を整理するために8年前にキエフのマイダン革命で起こった主だった出来事を思い起こしてみよう。

20131130日:親ロ派のヤヌコビッチ大統領に対する反政府抗議デモが警察と衝突。デモ隊はキエフの独立広場を占拠し、封鎖。

2013128日:デモの群衆がレーニン像を倒壊。

20142月中旬:反政府デモは頂点に達した。

2014220日:キエフでのデモ隊に対して発砲。デモ参加者だけではなく警察官も含めて、数十人が死亡。

2014221日:「ウクライナにおける政治危機の解決合意」を結び、ヤヌコビッチ大統領、議会反対派の指導者(アルセニー・ヤツエニュク、等)、ドイツ外相、ポーランド外相らが立ち会い、署名した。ロシア代表は署名を拒否。

2014222日:この合意後、間もなくヤヌコビッチ大統領は国外へ逃亡。

2014222日:ウクライナ議会はヤヌコーヴィチの大統領解任を決議。オレクサンドルトゥルチノフが議会議長に選出され、翌23日には大統領代行にも選出された。

2014225日:EU高官の電話内容のリークによって、反政府連合の一派が発砲事件に関与していたらしいとの情報が公知の事実となった。

2014316日:クリミアではロシア編入の是非を問う住民投票が行われ、編入支持が96.6%と圧倒的多数だった。これを受けて翌17日にクリミア議会はウクライナからの独立を宣言し、ロシアへの編入を承認。

2014318日:ロシアのプーチン大統領はクリミアを独立国家として認める大統領令に署名。また、21日にロシア上院クリミアを自国に編入する条約を満場一致で批准し、クリミアは「クリミア共和国」に、セヴァストーポリは「セヴァストーポリ連邦市」としてロシアの連邦構成主体クリミア連邦管区)となった。

2014414日:ドイツの国営テレビ放送が220日のキエフでの発砲事件にはヤヌコビッチ大統領側が関与してはいなかったと報じた。つまり、反政府派が引き起こした模様だと報じた。

2014417日:ドイツで報道された内容が米国でも報じられた。ただし、これを取り上げたのはCBSとかNBCといった3大テレビネットワークではなく、非営利団体の放送局のひとつである「リアル・ニュース・ネットワーク」であった。このテレビ局は米東部のバルチモア市にある。

ところで、このキエフでのデモ隊に対する発砲事件に関しては本ブログでも当時得られた情報を詳しく掲載している。詳細を知りたい方は2014423日に掲載した「ウクライナのキエフで死者を出した発砲事件には反政府派が関与 - ドイツの公共テレビ放送」をご参照願いたい。

話を元へ戻そう。

オデッサでの出来事は40数人もの犠牲者を出す悲惨なものであったにもかかわらず、ウクライナ暫定政府による検証や捜査はほとんど行われなかった。すべてがうやむやにされた。すでにこの時点で、この出来事はウクライナ暫定政府にとっては非常に不都合な事件であったことがうかがえる。

ここに、「あれはもう我慢の限界であった ― ウクライナ内戦の引き金となった出来事」と題された最近の記事がある(注1)。

本日はこの記事を仮訳し、読者の皆さんと共有しようと思う。

***

モスクワ発、(2022年)52「警察がわれわれを助けに来てくれるだろうと最後まで信じていたが、彼らはやって来なかった。」 8年前、ユーロマイダンの支持派と反対派との間に起こった暴力的な衝突の結果として、「オデッサ労働組合の家」で火災が勃発した。この火災は犠牲者数で見ると最大級のもので、火災、煙、負傷で42人が死亡した。201452日の出来事とその歴史的影響に関してRIA Novostiの資料を用いて振り返ってみよう。

戦争の予感:

20145月始め、それはすでにウクライナで顕著にくすぶっていた。新発足したキエフ政権からの独立を標榜する東部の人たちは「ドネツク共和国」と「ルガンスク共和国」を宣言し、その一方で、軍の部隊と装備を持った勢力は西部から南東部に広がって来た。その結果、「マイダン革命」の支持派と反対派との間の街頭での衝突が都市部でより頻繁に起こり、キエフでは公然と国家主義者による部隊が結成された。

Photo-2: 2022428日、「ロシアはオデッサで起こった悲劇に関して責任を負う人物を訴追する」と外務省のザハロワ報道官が述べた

復活祭の日、つまり、420日、これからやって来る内戦の最初の血が流された。「右派セクター」(*)の破壊工作員はスラビャンスク市近郊のビルバソフカ近くにあるDPR民兵の検問所を攻撃した。地元住民のひとりが殺害された。しかしながら、あの時点では本当に深刻な事態が今にも始まり、犠牲者の数が数千人にも達するだろうとは誰にも予測ができなかった。

(*ロシアでは過激派組織として禁止されている。)

オデッサの悲劇はソ連崩壊後の何百万人もの人口を抱える国家の歴史をその「前」と「後」とに色分けすることとなった。4月末までに、ふたつの社会政治活動センターが市内に開設された。親ロ派活動家や「反マイダン」のデモ参加者は「クリコヴォの戦場」にテントキャンプを設置した。そして、新政府を支持する多数のグループはド・リシュリュー公爵の銅像がある場所に集まった。

街頭での衝突:

両グループはそれぞれが防衛部隊を組織した。彼らの間には定期的な小競り合いが起こったが、大きな流血沙汰にはならなかった。だが、52日には両者間での衝突の炎が熾烈な勢いで燃え上がった。この日、「ハリコフ・メタリスト」を応援する数百人の熱狂的なファンが地元オデッサの「チョルノモレッツ」との試合を観戦するためにオデッサ駅に到着。両クラブのファンたちは友好的な雰囲気を維持し、すぐにユーロマイダンの抗議者たちとチームを組んで、大聖堂広場からスタジアムまで「ウクライナ統一の行進」を行った(訳注:「ユーロマイダンの抗議者」は間違いで、「ユーロマイダンの支持者」が正しいと思います。そうでないと、下記に続く文章とは矛盾してしまう)。

Photo-3: © RIA Novosti / Stringer.  201452日にオデッサの労働組合の家で起こった出来事から4周年目を迎え、201852日には国家主義者らによる松明行進が行われた

「反マイダン」の支持者たちはこれを自分たちにとっては脅威であるとして正しく判断した。 サッカーの熱狂的なファンはクーデターの主な勢力であった。そして、彼らは積極的にそうなろうと意識していた。

クリコヴォの戦場への入り口を防護するために、親ロ派の活動家たちは大聖堂広場近くのアレクサンドロフスキー・プロスペクトに集合した。午後2時だった。30分も待たずに小競り合いが始まった。彼らはこん棒や鉄筋、真鍮製ナックルで闘い、お互いに空気銃を発砲した。本物の銃からの発砲もあった。多くが負傷し、6人が死亡した。警察は衝突を止めようとしたが、事態はついに制御不能に陥った。

Photo-4: 2022330日、ロシア議会はウクライナの国家主義者らによる犯罪行為について法廷を開くことを提案

反マイダンの抗議者たちは少数派であって、クリコヴォの戦場に退却し、急いで防戦の準備をした。彼らは即興の手段としてバリケードを築き、女性や年配者を家に送り帰し、敷石やレンガの破片から成る「大砲」を積み上げ、準備した。このテントキャンプの防衛部隊には多くの見物人や通行人も加わった。

火事の罠:

しかし、両グループの勢力関係は均衡を欠いていた。夕方の7時までに、右翼過激派は反対派のキャンプを半円状に包囲し、彼らの拠点を奪い、相手を労働組合の家の方へ追いやった。石や火炎瓶がテントに飛び込んできた。必要な物資は近所で補給された。多くのビデオがあるが、インターネットへの掲載を迂回して行った。アスファルト上ではかわいい女の子らがキャニスターから瓶へガソリンを注入していた。彼女らは、明らかに、今起こっていることを何らかの楽しいゲームとして認識していたようだ。

しかし、反マイダンの活動家たちは冗談を言い合っている積りはまったくなかった。ファンたちは押し合い、バリケードを壊したり、テントを破壊した。そうこうしている内に守備側は労働組合の家の扉を壊し、玄関ホールにたてこもった。合計で約380人がそこに避難した。

「内部に退却することが私たちにとっては唯一残された可能性だった」と、反マイダン活動家のユーリー・センチェンコは回想する。「私たちはすぐにバリケードを築き、自分たちを守る準備を始めた。反マイダンの支持者に加えて、内部には戦闘員でもなく、活動家でもない普通の人たちがいた。多くの人たちはどちらの側も支持してはいなかった。ただ堅固な壁の向こう側で荒れ狂っている群衆から何とか逃がれようとしているだけだった。警察がわれわれを助けに来るものと最後まで信じていたが、法の執行者は何もすることができなかった。そして、火炎瓶が飛んで来た。私たちのバリケードは火事になった。それを消そうとして、誰かが消火器を持って来てくれたが、うまく行かなかった。」

Photo-6: © RIA Novosti. 201452日、オデッサで衝突が起こった

火災は中央の階段にまで広がり、建物の後ろ側からも踊り場に炎が降り注いだ。人々は罠に陥り、労働組合の家からの出口はすべてが炎に包まれた。

「火炎瓶と一緒に発煙筒が窓から投げ込まれた」とオデッサの住人であるオレグ・ムジカは言う。「内部での呼吸は非常に困難になり、視界はほぼゼロに低下した。人々は散り散りとなって、ほとんどが上層階へ逃げた。この騒ぎの中で私はそこに隠れていた弟を見失った。まさに地獄そのもので、全面的にパニック状態であった。奇跡的にも何とか4階に辿り着いた。これが私を救ってくれた。そこではまだ呼吸する余裕があったのだ。私は炎と窒息する煙から逃れようとして何人もが窓から飛び降りるのを見た。だが、多くは殴り殺された。」

Photo-7: © RIA Novosti / Alexander Polishchuk. オデッサの労働組合の家で火災が起こった

建物から脱出してきた人たちは右翼過激派によって殴打され、屈辱を受け、あれこれと調べ上げられた。公平を期して言えば、誰もがこのように振る舞ったわけではないことは注目に値する。何人かは窓に梯子を掛け、負傷者を救急車に運んだ。しかし、全体的にはそのようなケースはほとんど稀であった。

消防士は火災からわずか45分後に到着した。火が消えたとき、救助隊と医療従事者は内部に42人の死体を発見した。ある者は生きたまま焼かれ、ある者は一酸化炭素によって中毒死していた。死体はいたるところに横たわっていた。玄関にも、階段にも、そして、オフィスにも。上層階と屋根にたどり着いた人だけが生き残り、救出された。

Photo-8: © RIA Novosti / Alena Nikolaenko. オデッサのクリコヴォの戦場にある労働組合の家で起こった火災で犠牲となった人たちの遺体

救急隊員とともに右翼過激派も建物に入った。彼らは携帯電話で何が起こったのかを撮影し、皮肉なコメントをしている者がいた。死者を「揚げコロラド」と呼んでいた。

暗黙の了解の下で:

この大量殺戮に関する当局の捜査は茶番劇そのものであった。誰も罰せられなかった。そして、ウクライナ検事総長室が到達した冗長な結論は「彼らは自らに火を放った」という一言で言い表すことができる。親ロ派活動家は当局のこのような皮肉な態度を目にして、行動を起す時が来たことを認めた。

「あの52日の出来事がきっかけで、私はホルリフカの親戚の家に引っ越し、ドネツク人民共和国の民兵組織に加わった」と、コールサイン「カタンガ」を持つオデッサ出身のDPR軍兵士が言った。「労働組合の家で火事が起こる前、私はこの国で何が起こっているのかについて特に興味があったわけではない。まあ、もうひとつのマイダンが起こり、何人かの泥棒(政治家)が再びわれわれを困らせるだけだ。こういうことはウクライナでは不思議なことではなく、よく起こることなんだ。一般大衆にはいかなる形でも影響を与えない。」そして、52日になって、ようやく、私は現状をはっきりと理解した。「われわれの国では泥棒だけではなく、ナチスや殺人者が権力を握っている。私は彼らと同じ屋根の下で一緒に暮らしたくはなかった。」

Photo-9: © RIA Novosti / Ilya Pitalev. オデッサの労働組合の家の火災における犠牲者を追悼し、モスクワのウクライナ大使館周辺でデモを行う参加者たち

オデッサでの42人の大量殺戮はドンバスにおけるロシア・ウクライナ戦争の出発点であると多くの人が考えている。この悲劇の後、出来事はますます発展して行った。ちょうど1週間後の59日、アゾフ大隊のネオナチはマリウポリで少なくとも7人の民間人を射殺した。

それと同時に、ウクライナ政府軍はスラビャンスクや他の都市に最初の砲撃を加えた。62日、ウクライナの攻撃機からミサイルが発射され、ルハンスクで民間人8人が殺害された。ウクライナにおける市民の対立は、ついに、取り返しのつかないほど熱い段階に入ってしまった。

***

これで全文の仮訳が終了した。

この引用記事は数多くの反マイダン派が焼死をするというオデッサにおける悲惨な出来事がウクライナ内戦の方向を決定付けることになったことを細かに描写している。

たとえば、「われわれの国では泥棒だけではなく、ナチスや殺人者が権力を握っている。私は彼らと同じ屋根の下で一緒に暮らしたくはなかった」と言ったコールサイン「カタンガ」を持つオデッサ出身のDPR軍兵士の言葉は実に多くを語っている。

日本にはこの引用記事に示されている内容を十分に理解している人が果たして何人いるのだろうかと考え込んでしまう。日本の大手メディアは224日以降のウクライナ政府の主張やプロパガンダを繰り返すばかりで、それよりも以前の8年間にウクライナで起こり、国内を分断するに至った出来事については報じようともしない。ウクライナ東部のロシア語を喋る地域の住民が8年も前から被ってきた恐怖、苦労、不条理に関しては頬被りをしたままだ。

だが、ウクライナにおけるマイダン革命を巡る2014年ならびにそれ以降の政治的混乱は米国が引き起こしたものであることは今や多くの人々が認識し始めている。

要するに、米国のNGOを通じて巨額の資金が当時のウクライナ政権を転覆させるために投下されたのである。マイダン革命の最中にキエフへ乗り込んで、デモの参加者たちにクッキーを配っているヴィクトリア・ヌーランド米国務次官補の姿を多くの人たちがテレビで知ることになった。彼女は米国はすでにウクライナへ50億ドルも注ぎ込んでいると言った。つまり、マイダン革命の支持派として動員された活動家やデモ参加者たちは出稼ぎ気分で米国から多かれ少なかれ報酬を貰いながら諸々の活動をしていたということになる。

ウクライナ紛争全体を眺めてみると、非常に基本的な部分で何かが常軌を逸してしまっている。誰もがそう感じているに違いない。ウクライナの内戦がどうしてこのように過激な戦闘に発展したのかを考える上で、この引用記事が伝えている情報は非常に根幹的な要素であると思う。そういった重要な認識を改めて喚起してくれた。ひとつの事実、しかも、実に大きな根幹的な事実をわれわれ一般庶民に伝えようとしている。


参照:

1"That was the last straw." What ignited the civil war in Ukraine: By Andrey Kots, RIA Novosti, May/02/2022

 

 

 

23 件のコメント:

  1. 翻訳に感謝申し上げます。こうして時系列で事件を見てゆくと、筋書きを立てていたことが見えてきます。予め演習もしたのでしょう。

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  2. シモムラさま
    コメントを有難うございます。仰る通りです。たとえば、半円形になって反マイダン派を囲み、労働組合の家の方へと追いやった場面はかなり計画的な行動に見えますよね。ロシア政府がすでに表明しているように、このオデッサでの暴力行為を訴追した場合には、計画をしたことについても何らかの事実が表に出て来ることでしょう。

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  3. テレビや新聞しか見ない人にとって、オルブライトがイラクで50万人の子どもが死んだことに「犠牲を払う価値がある行為」だと言い放ったことと同じように映るのかもしれません。思想とか主義というものは人間から人間性を奪ってますね。しかし、騙す人間より騙される人間の方が問題だと思っています。騙す奴はいくらでもいるわけで、メディアは組織的に騙しているわけで、そういう仕組みの中で生きているということを理解しない限り、こういうことは繰り返されるのでしょう。残念ながら。
    次に記事を書く時に紹介させて頂きますね。

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  4. Kiyoさま
    残念なことです。大手メディアによって支配されている世論という空間には人間性、あるいは、人間集団の常識あるいは知恵が主役を演じることはまったく求められてはいないのが現状です。金がほとんどすべてを支配する資本主義世界では、メディアは「資本主義国家の真理省の役割を演じるしかない」と自らを言い聞かせているかのように見えます。
    今回のコロナ禍を振り返ってみますと、ワクチン接種の必要性を一般大衆の意識に植え付けるために95%もの擬陽性が出るPCR検査を総動員して、ワクチン接種に疑問を呈する学者や専門家の意見を封じ、ファクトチェックという偽権威主義を駆使して、世界中に新型コロナに対する恐怖心を煽り、全世界をまんまとワクチン接種に結び付けてしまいました。ワクチンの副作用による死亡や健康被害については各国の政府が補償を行い、ワクチンの供給側は免責にするという契約条件を謳歌して(たとえ死亡者が出ても、大多数を救えるではないかという論理はまさにオルブライトの論理と同一)、ワクチン製造企業は怖いもの知らず。その結果、彼らは大幅な増収増益を記録。一般大衆をひとつの目標に向けて引っ張っていくというこの手法はエリート政治家や「世界のリセット」を標榜する識者たち、ウオールストリート、大手メディア、ハイテック企業、製薬企業のエリートたちにとっては大成功と映ったのではないでしょうか。しかしながら、一般大衆にとってはワクチン接種を受けた人たちだけではなく、次世代にとっても将来の健康について不確実性をもたらしています。少なくとも、長期的影響については説明し切れてはいません。ただ、ここでも、一般大衆はこのような現状を必ずしも理解してはいません。残念ながら、Kiyoさまご指摘の「そういう仕組みの中で生きている」ということを理解してはいない現実がはっきりと見受けられますね。
    当ブログからの引用は何時でもどうぞ。Kiyoさまの次回の記事を心待ちにしています。

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  5. Dances With Bears のヘッドは:DID UN SECRETARY-GENERAL GUTERRES COMMIT A WAR CRIME AT AZOVSTAL?ですが、どうやら国連事務総長自身と国際赤十字の組織が、予想人数を遥かに超す2100人分の避難バスを用意しており、その周囲を準軍事組織で覆い、アゾフスターリ内部からの避難民を脱出させています。記事には、”これら国際機関間で、一方はきちんとした数字、他方は曖昧な数字を出すことに”、当然の疑問が表明されています。The bus capacity at Azovstal which had been delivered by the UN and Red Cross was more than 2,100. This was several magnitudes larger than the estimated total of civilians in the bunkers; it was roughly equal to the count of both civilians and combatants in the bunkers.
    次は図星でしょうね:Russians sources believe that, despite the explicit warnings Guterres received from Putin and Lavrov in Moscow the week before, the Secretary-General authorized the plan to assist in a break-out by the combatants using the civilian evacuees as their shield.
    国際軍事法廷の開催楽しみです。

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    1. シモムラさま
      国連の昨日の報道によりますと、3日間の民間人救出期間の最終日には170人余りが救出され、今までの合計で600人以上が救出されたそうです。この合計はアゾフスタリとマリウポリの他の場所からの合計ですので、アゾフスタリからの救出だけだと600人よりも少なくなります。グテレス事務総長の予測数値はかなり大きいですね。経験知から言うと、西側の諜報機関の数値に比べると、ロシアの諜報機関の数値の方がより正確なようです。

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  6. この記事と次の《カッサード大佐》の記事は押韻しておりますね:Сегодня день, когда мы празднуем День Победы, день, когда мы победили. День когда мы скорбим - 22 июня, день, когда на нас напали.
    Проигравшие скорбят 8 мая. Да и в целом.
    今日(五月九日)は我らが《勝利の日》を祝う日だ、我らが勝利を飾った日だ。我らが悲しむべき日は、六月二十二日、我らにナツィスドイツが襲い掛かった日だ。敗者は五月八日を悼む。それも、まるごとで。
    Сейчас, когда идет война с историческими эпигонами германского нацизма, ценность этого праздника только возрастает.
    歴史的ドイツナツィズムの追随者共との戦争が進行している今、今日という祝日の意義はいや増している。
    Наши предки сделали титаническую работу и разгромили германский нацизм. С их последышами предстоит разбираться нашим поколениям. Никто этого не сделает, кроме нас самих.
    我らが曾祖父母は、(ソ連・ロシアという)巨人に相応しい仕事を成し遂げ、ドイツナツィズムを粉砕したのだ。目前にあるナツィズムの(последыш 反動的な教義・理論の)最後の信奉者という、この問題の究明は我らが世代の前に差し迫っている。我ら自らを除き、これを遂行できるものは、他にいない。
    С праздником товарищи! С Днем Победы!
    同志諸君、勝利の日万歳!

    その昔、大学紛争が熾烈だったときの集会では、《一点突破全面展開、意義ナーシ、勝利万歳》の雄たけびが聞こえてましたね。チョムスキーの生成文法が引き起こした熱病のように、あれも熱病だったのでしょうか。

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    1. 日本の大学紛争にも米国から裏金が流れており、幹部学生らには報酬が与えられていたとのことです。つまり、ユーゴスラビアでのカラー革命やウクライナでのマイダン革命と同じ構造があったということになりますね。

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  7. ブログ主様 kiyo様のエンブレムに気がつきました。《勝利の日》にあやかり、小生もエンブレムを掲載したく存じます。何度か試みたのですが、できませんでした。お教えください。

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    1. シモムラさま
      「kiyo様のエンブレム」って何のことですか?何かの画像をコメント欄に入れたいのですか?画像を扱う機能がコメント欄にあるのかどうかは、残念ながら、私には分かりません・・・  

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    2. 《…》派、《…》派、に金が払われていたのですか。初めて知りました。
      エンブレムとは、ブログ登録フォロワーの方々の顔写真その他のロゴマークの意味です。書き忘れました。話は変りますが、ベトナム戦争が激しかったころ、オホーツク海沿岸の漁師には、”レポ船”と言って、米国人兵役忌避者を国後島へ送り届けるバイトをするものが多数ありました。見返りはソ連領海内での操業です。巨額の収入で、御殿が林立しておりました。大金が動くと組織暴力団が刺さります。漁師町では、漁師が沖に出ると、街中は女子供、男は少数の教員役場員郵便局員巡査のみです。警察は会場での犯罪には関与しません。海上保安署の管轄だとしてね。今のウクライナのアゾフ大隊みたいなものです。

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  8. エンブレムって何のことですか? 
    大学紛争、報酬、カラー革命、今さらですが、いやになってしまいます。
    逆に言えば、隠されていたことが浮かび上がってきたということですね。そうだったのか!?ということを知るたびにこの世界について知らないことだらけだという思いがよぎります。
    《一点突破全面展開、意義ナーシ、勝利万歳》の雄たけびで、浮かれてた方が天下泰平だったのかもしれません。
    ちなみに、チョムスキーの生成文法、僕にはチンプンカンプンです。

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  9. エンブレムとは、ブログ登録フォロワーの方々の顔写真その他のロゴマークの意味です。書き忘れました。kiyo様の箇所には、不思議な光具合のロゴマークがありますね。あれですぐ同定できましたよ。現物は何ですか。

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  10. あれは、pixabayというフリー画像サイトから頂いたもので、中に自分で作ったフォントが入れてあります。ほとんど見えませんが。
    gmailの設定で貼り付ければできます。

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  11. 必見です。
    https://www.youtube.com/watch?v=3VcT515pGJ4

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    1. kiyo様
      この動画を拝見しました。西側の商業メデイアは今や惨めなほどに魂を売ってしまっていますね!戦争では真理が最初の犠牲者となると誰かが言っていますが、まさにそれを観ている感じです。

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  12. kiyo様 こういう情報は広く拡散させなければなりません。感謝。

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  13. こういう分かりやすい、誰が見ても納得するビデオをもっと出して欲しいですね。ホントは自分で作れればいいんですけど、動画の編集はやったことないんです。パソコンも買い換えないとできませんし。
    国連の「ウクライナ軍と民兵が犯したIHL違反と犯罪に関する「Arria-Formula」会議でのロシアの声明」という記事をこれから翻訳します。
    https://libya360.wordpress.com/2022/05/06/russias-statements-at-the-arria-formula-meeting-on-ihl-violations-and-crimes-committed-by-ukrainian-military-and-militia/

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  14. コロナの蛇毒説が注目を集めていますが、これもお勧めです。後半にかけて面白くなります。パターン認識、真理をついていると思います。

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    1. 忘れていました。
      https://www.jimakudaio.com/post-13223

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  15. Victory Parade in Mariupol, Ukraine, 09 May 2022 – Mariupol citizenには、参加ドンバス住民への大変感動的な取材記事があります。その中で、通信員の”今のお気持ちをお聞かせください…という問いかけに、女性が感に堪えず《...(過去とくらべて)あたかもソビエト連邦時代のようなものが来るでしょう…》と語り泣いておりました。私はこの小さなソ連邦(ドンバス)は、2014年に地域限定型の大祖国戦争を仕掛けられたのだとおもいます。プーチン大統領が八年も介入できなかったのは、政権内第五六列の牽制によるものでしょう。第一の頭目はチュバイス、次席はメドヴェージェフ。私はすぐにポーランドがEU加盟を果たした時の、政敵同志マヴィエツキーとクワシュニエフスキーが、どちらからともなく抱擁し、《ヴラツァムイ 一緒に戻ろう》と言った時のシーンを思い起こしました。一緒に見ていたカザフスタンから帰国したポーランド人女性の夫のロシア人(医師なのだがポーランドではソ連の医師免許が認められない)は、《罠に嵌まった》と呟きましたね。1960年代はユダヤ系ポーランド人に対する迫害が始まり、クリミア復帰からはロシア人に対する迫害が始まりました。ポーランド南部にはロシア系ポーランド人が多く、中学高校ではロシア語が第一外国語です。その教師が狙われたのです。二人は結局離婚し、コーリャはロシアに戻りました。ロシア人というのは、ロシアを離れては生きてゆけないのです。民族学専攻の小生の定義では、”ロシア人とは《郷愁 тоска по родне タスカーパロージニェ》で死ぬ民族”ですね。記事のコメントに
    Vuki on May 10, 2022 · at 4:51 pm EST/EDT
    Yes, it was a very honest and on the spot interview. Today, on the other hand, I saw an interview with a young woman who is now in Copenhagen, claiming that she and her mother escaped from Mariupol. There was no way to authenticate that this was a Ukrainian person, as her English was impeccable. She was interviewed by Shanna Marchand. The woman said that she and her mother were stopped at a border check point by Russian forces. She said that she had some pieces of shrapnel as evidence in her backpack. Now it becomes interesting, she said that her mother and her were strip searched at the border check but that her personal belongings and the backpack were not searched, The story becomes Rape,Rape from Marchand but the woman who claimed that she was strip searched then said that she was stopped by Russian soldiers but then switched the story and said that she was afraid of the Chechen’s and other Muslim soldiers . Her story was a day-to-day yellow journalism that CBC provides to its citizens made up news that present little or no legitimate, well-researched news .
    投稿者は示唆しているのは:この母娘が”裸体身体検査”を受けたのは、身体にナチの”からくりもんも”の墨を入れているのではないか疑われたのだと。母娘ハまあ、およがされたのでしょう。

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  16. シモムラさま
    マリウポリで地下室に避難していた民間人の救出は終了したそうですが、そこには予想ができないようなさまざまなストーリーがあったことでしょうね。マリウポリからコペンハーゲンに辿り着いたという母娘の話も興味深いです。ロシア人は郷愁で死ぬ民族だというご指摘、当たっています。それ程に彼らの文化は強烈なのだと思います。まさに、それこそがロシア人が大祖国戦争や収容所列島を生き抜いてきた原動力なのでしょう。民族が違っても、大なり小なりそういった傾向があることは事実ですが、日本人が持つ日本文化に対するこだわりともよく似ているような気がします。

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  17. シモムラさま、
    今、ご紹介の動画を観ました。有難うございます。

    シモムラさま、kiyoさま、
    「ナチスは滅び、真理が勝利した」と言って自分の感情を熱狂的に話すマリウポリのロシア人女性の言葉はロシア人の気持ちの多くを語っていると思います。
    今まで2~3カ月にわたってロシア・ウクライナ戦争について西側のメデイアが伝えようとはしない情報を少しでも多く掘り起こすことに時間を掛けて来たわれわれとしても彼女の言いたいことをこうして、僅かながらとは言え、共有できるのは嬉しい限りです。

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