2011年6月18日土曜日

クルテア・デ・アルジェシュ修道院を建てた棟梁マノレの伝説

クルテア・デ・アルジェシュ修道院を建てた
棟梁マノレの伝説


創造力を遺憾なく発揮しようとすると常に犠牲が伴うものです。犠牲の対象は創造者自身であったり、最愛の肉親であったりします。このルーマニア伝説ではふたりの犠牲(創造者自身と最愛の妻)が同時に起こり、そこで始めて宗教的な人間味が発露され、何世紀にもわたって人々に愛される創造物が世に送り出されるのです。

さらに、この伝説にはいくつもの基本的な主題が折り重なっています。つまり、最初に登場する場所や人物が意味するもの、廃墟の中に残されていた壁、積み上げては崩れ落ちてしまう壁、夢、約束、壁に塗り込められることになる女性、封建領主の陶酔感や自己満足、イカルスの墜落、こんこんと湧き続ける泉、等。

伝説的な封建領主ネグル・ウダ(1512年から1517年の間王座にあったネアゴエ・バサラブが投影されています)の時代、最もルーマニア的な景観を見せるアルジェシュ川のほとりで修道院を建てる場所が選定され、儀式が取り行われました。




選定された場所には呪いがかかっていました。取り残された壁や死に瀕した犬の鳴き声がそれを暗示しています。封建領主はマノレが率いる9人の石工たちに「この世で誰も目にしたことがないような立派な修道院を建てよ」と命令します。そして、「すべてがうまく行ったら、お前たちにはたくさんの褒美と貴族の称号を与えてやる」と約束します。「しかし、うまく行かなかったらお前たちをこの修道院の壁に塗り込んでやるぞ。覚悟してかかれ!」と脅します。歴史に残るような修道院を建てたい一心の封建領主特有の横暴さそのものです。

ところが、修道院を建てようとする場所に宿っている悪霊の影響で、修道院を建てる作業はなかなか進みません。日中石工たちが苦心して築いた建物は夜中になると崩れ落ちてしまうのです。それが繰り返されました。マノレの夢の中に神様が現れます。そして、神様はどうしたら建立がうまく行くかその秘密を教えてくれたのです。「翌日この修道院の通りに最初に現れる婦人を修道院の壁に塗り込めよ。そうすればすべてがうまく行くだろう。」


多くの場合、偉大な創造物の建築は人的な犠牲を介してしか得られないような力を必要とするのです。長い期間にわたって工事を推し進めるには途方もなく大きなエネルギーが必要となります。そこには、神の意志が人間の魂を介して現世へ投影されてくるのです。

翌日、マノレは朝から周囲の様子を隈なく観察します。そして、遠くに自分のかみさんが彼のお弁当を持ってこちらへやってくる姿を認めました。自分自身がかみさんを修道院の壁に塗り込めなければならないことになるのです。

かみさんの運命を変えて欲しいばかりに、「かみさんがこちらへやって来るのをどうか止めてください」と、マノレは神様にお祈りします。神様はこの男の願いを汲んで、当初の筋書きを緩めてやろうとします。しかし、実世界の現象はややもすると必要以上に強調されることがあります。彼女の運命を変えることは不可能であることを見せつけます。アナは踵を返す素振りも見せません。

類まれな強い性格から、マノレは心の痛みを押しやって、自分のかみんさんを壁に塗り込み始めます。心の痛みを押しやる原動力は神聖な修道院を建てたい棟梁マノレの執念、創造に対する彼の燃えあがらんばかりの精神力です。最愛の妻アナの犠牲は誰もが分け隔てなくこの世から消え去る運命にあり、それを回避することはできないことを示しているのです。

建て終わった時、封建領主は修道院の荘厳な美しさを見て、「これで、自分の名声は永遠に刻まれた」と自己満足に浸ります。

「次回はもっと美しい修道院を建てることができるかも知れない」と、石工たちがしゃべっているのが領主の耳に届いてしまいました。自己満足で頭がいっぱいの封建領主は石工たちを懲らしめるために現場のはしごを外してしまいます。石工たちは修道院の屋根の上に取り残されてしまったのです。しかし、屋根の上から何とか脱出しようと、彼らは屋根の板をはずして翼を作りました。翼を身に付けて飛び降りるのです。

でも、誰もが墜落して死んでしまいます。マノレが墜落した場所からは泉が湧き出ました。

こんこんと湧き出る泉は生命のシンボルであり、永遠の創造心のシンボルでもあります。



封建領主の権力は棟梁を圧倒してしまいましたが、棟梁が建てた修道院は何世紀にもわたって誇らかにその姿を示してきました。その完成度の美しさによって彼の創造物は永遠に残るのです。同時に、それは生命や芸術を愛しむ心にもつながってくるのです。

こうして、「クルテア・デ・アルジェシュの修道院」は非常に基本的な部分でルーマニア人の間で共有される存在となっています。そこにはいくつもの要素が内包されており、倫理観、創造心を全うするために払わなければならない犠牲、邪悪なものや表面には現れないが悪用しようとする権力からの解放といった主題が含まれているのです。

 

出典:Manastirea Curtea de Argeş - Legenda Mesterului Manole sites.benjamincarlier.be/romania/ro/curtea-de-arges-monastery/




訳注: この「棟梁マノレの伝説」にはいくつかのバージョンがあります。詳細を見るとそれぞれが異なっています。最初は英文の原稿を和訳してみました。しかし、今はブカレストに住み、かってはCurtea de Argeş4年間も住んで仕事をしていた事実もありますので、私としては「ルーマニア語の原稿から直接翻訳をしなければ・・・」という思いが募ってきました。そんな背景から、ルーマニア語の「棟梁マノレの伝説」を和訳することになった次第です。

いくつかの違ったバージョンがあると記述しましたが、一例を挙げてみます。それは棟梁マノレの生きざまに関する事柄です。

ここに翻訳したルーマニア語の原典では、棟梁マノレは他の石工と同様、何とか生き延びようと屋根の板をはがして作った翼を使って修道院の屋根の上から飛び降ります。しかし、他の石工と同様に失敗して墜落し、死んでしまいます。このマノレの行動はあくまでも9人の石工を率いる棟梁の姿として納得できるものです。別のバージョンでは、棟梁マノレは愛する妻を壁に塗り込めることによって創造意欲を全うした自分を恥じて、他の石工たちとは違って、修道院の屋根から身を投げてしまいます。ここでのマノレの行動は棟梁としての姿ではなく、妻を愛する一人の男としての一面が描かれています。

多くの読者の方々は後者のバージョンの結末を好まれるのではないでしょうか。個人的には私もそれに賛同です。

なお、2点の写真は201167日に撮影したものです。

(June/18/2011大田芳道記)