2018年6月24日日曜日

われわれはなぜワールドカップの開催を必要とするのか

サッカーのW杯ロシア大会が6月14日に始まった。モスクワやザンクトペテルブルグ、ソチを始めとして11もの都市がこれから1ヵ月間の大会を支える。

今の時点で主催国のロシアはグループAで2勝をあげ、16強への進出をほぼ確実にしている。ロシアのサッカーファンは熱狂していることだろう。彼らの熱狂振りが目に見えるようだ。日本チームはグループHでコロンビアとの第1戦を勝ち進んだ。予想を覆すような素晴らしい出来栄えだった。カリーニングラードで行われたスイス対セルビアの試合はこのW杯ではもっとも素晴らしい試合のひとつであったとの指摘がある。サッカーファンにとっては見逃せない試合振りであったようだ。

何処のチームが勝ったとか、誰が得点王になったとかの情報はファンの誰にとっても重要な関心事であるに違いない。世界中から熱気が伝わって来る。

私の関心事は別の点にある。このW杯ロシア大会には外国から数多くのサッカーファンがやって来る。多くの人たちにとっては初めてのロシア旅行ではないかと推測される。試合が開催されるモスクワあるいは地方都市に到着して、これらの人たちの目にはロシアがどのように映るのであろうか。私の限られた経験から敢えて一般論を言えば、ロシアの一般大衆は人懐っこくて、率直である。彼らは決して憎めるような相手ではない。

要するに、この機会に可能な限り数多くのロシア人と接して、ロシア人の実際の姿がどうであるか、西側と違うとすれば何処がどう違うのか、あるいは、どれだけ多くのことが共通しているのかを考える何らかの切っ掛けをつかんで帰国して欲しいものである。

核大国である米ロ両国間では新冷戦が進行しており、今や前の冷戦よりも深刻な状況にあると指摘されている。この新冷戦がさらに進行することを抑えるには、西側の数多くの一般庶民がロシアをより正しく理解することが必須条件だ。さもなければ、西側の大手メディアが推進している好戦的な対ロプロパガンダ情報が一般大衆を洗脳し、最終的には米ロ間の核戦争を招く可能性がより高くなるからだ。また、軍事的な敵対関係があちらこちらで続くことは偶発的な事故の確率を高めることにも繋がる。

率直に言って、核戦争の回避は300編を超すこのブログの中ではもっとも中心的なテーマである。

さまざまな意見がある中、興味を感じさせられたふたつの記事をご紹介しておきたいと思う。そのひとつは「われわれはなぜワールドカップの開催を必要とするのか」と題されている [注1]。ふたつ目は「英国のサッカーファンは実際のロシアはオックスフォードやケンブリッジ卒のジャーナリストが席巻するメディアによって描写されたロシアとは違うことを発見」と題されている [注2]。

本日はこれら2本の記事を仮訳して、読者の皆さんと共有したいと思う。


<引用開始>

(1)  われわれはなぜワールドカップの開催を必要とするのか

われわれはなぜW杯の開催を必要とするのかという問い掛けに答えるために私は数多くの記事やソーシャルメディアへの投稿、読者のコメント、等を読んでみた。

このテーマを議論してみよう。

このテーマは意見がほとんど述べられてはいない文脈で議論を進めたいと思う。

まず始めに言っておくが、W杯を開催するためにロシアは地政学的な利害関係を犠牲にしていると主張する連中には私は同意することができない。

もしもW杯のためではなかったとすれば、われわれはとうの昔にキエフを取り戻していただろうと彼らは言う。

この主張は著しくナンセンスだ。この議論については選手権が終了した後に様子を見ようではないか。

特にこの地球上の近隣諸国やキエフ政権のもっとも才能に恵まれた代表者たちに向けて言うとすれば、W杯ロシア大会の期間中にキエフ政府軍がドンバス地域に侵攻するかも知れないという懸念に関してはロシア大統領が毎年行っているQ&Aセッションでも質問があった。

この問題に関してプーチン大統領は極めて明瞭に答えた。

如何なる攻撃を試みたとしても、ウクライナは最終的には国家を失うことになるだろうという事態はウクライナのもっとも間抜けな政治家であっても理解するであろう。

W杯が開催されても、ロシアの地政学的利害関係が取り消しになるという訳ではない。

選手権を開催するコストを計算し、132億ドルもの費用は余りにも高額だと言う輩がけっこういる。

多くの連中はこの費用は単にサッカー競技場のために使われるのではなく、選手権を開催する地方都市の住民が毎日使用するインフラの整備にも供されるという事実を忘れているようだ。

ソチオリンピックでは単一地域に投下された資本やインフラの整備について如何に多くの人たちが不満を示していたかを今でも思い出す。あの地域は、幸運なことには、ロシアの基準で言えば気候的にもっとも恵まれている地域だ。

今回の投資はいくつもの都市の間で平等に分配されている。

実際問題として、他にはやりようがない。

現代ロシアだけではなく、他の多くの国でもそうではあるが、経済全体が必要とする巨大なインフラ投資を成功裏に実施し、管理して行くにはメガプロジェクトを推進する必要がある。

今回のストーリーはスポーツやスポーツイベントだけに限られるものではない。APEC やBRICS のようなサミットの開催であってもまったく同じことが言える。これらのイベントが文字通りロシアの都市を変貌させて来たのである。

これは純粋なロシア方式であるという訳ではない。中国も含めて、数多くの国々で同一の方式が用いられている。

中国が多額の資金を注ぎ込んだ北京オリンピックや「アジア版ダヴォス」を思いおこして貰えれば十分だ。

さて、ここでもっとも重要な点を議論しておこう。この点についてはわれわれは決して過小評価すべきではない。

このW杯のために外国人の間で250万枚ものチケットが売れた。

この大会の参加国からは、サウジから始まってドイツに至るまで、ペルーから始まってオーストラリアに至るまで、少なくとも何万人ものサッカーファンや旅行客がロシアへやって来る。

これらのファンは今ロシアの各都市で大勢でたむろし、ごく普通のロシア人たちと話をし、モスクワの地下鉄を見て大喜びし、圧倒されていることだろう。あるいは、かくも美しいロシアの都市が存在することを知って、それらの事を熱狂的に書きしたため、ソーシャルメディアに投稿していることであろう。

もっとも重要なことはこれらの外国からの訪問客はCNNやBBCといった大嘘や偽情報に満ちたプリズムを介してではなく、自分の目で実際のロシアを見ることができるという点だ。さらには、実際のロシアを見るだけではなく、ロシアとのコミュニケーションをすることができるということだ。彼らはロシアを応援し、ロシアにぞっこん惚れ込んでしまう。

ロシアに惚れ込まずにはいられないだろう!

これらの何万人ものファンたちはフェースブックやツイッター、インスタグラムにこの未知のロシアについて何百万枚もの写真やビデオ、ストーリーを投稿する。

徐々に判明して来ることはロシアは非常に友好的な人たちでいっぱいだという点だ。

ロシアの街の通りにはクマは見当たらないけれども、携帯電話からのインターネットへのアクセスはドイツよりも素晴らしいし、モスクワの地下鉄はニューヨークよりも遥かに立派だ。

これらすべてがロシアにまつわる古くさい理解を木っ端微塵にする。

西側のメディアが出来るだけ吹聴しようとして来たいくつかの否定的な解説は情報の世界やソーシャルネットワークを一掃しようとしている歓喜や驚愕の津波に一呑みにされてしまう。

ロシアを必ずしも好きではないジャーナリストといえどもロシアは驚くべき存在であることを否が応でも認めさせられる。

ロシアはいい意味で衝撃的でさえある。

ロシアはその若さと将来に対する希望そのものなのだ。

私の論点を信じて欲しい。いくら支払ったとしても、このような壮大なPRを調達することは不可能だ。

さらに言えば、われわれのことについてこれ程率直な意見をこれ程多く調達することは出来そうにはない。

これは実に重要な点だ。

最近の数年間奴らは世界中の目の前でわれわれを非人間化しようとして来た。この非人間化の作業は奴らが誰かに流血騒ぎを引き起こす前に必要とするひとつの段階であることを考えれば、この事実は非常に重要である。

今や世界中に、カナダから始まってオーストラリアに至るまで、われわれにはPRのために何十万人ものボランティアがいる。これらの人たちは自分の友人や親族、知り合いにロシア人はテレビで報じられて来たロシア人とは違うということを告げてくれるのだ。

われわれの地政学的な敵国がW杯を邪魔し、ボイコットしようとして躍起になっていたことは驚くには当たらない。

奴らはこのことをすべて理解しており、われわれの祝賀気分を台無しにするためならば何でもするだろう。

私は奴らは決して成功しないと思いたいし、W杯がもたらすことができる利益はすべてを手中に収めたいと思う。われわれが1980年のモスクワ・オリンピックを記憶しているのと同じようにわれわれの子供たちが暖かい気分でこのW杯を記憶して欲しいと思う。


(2)  英国のサッカーファンが実際のロシアはオックスフォードやケンブリッジ卒のジャーナリストが席巻するメディアによって描写されたロシアとは違うことを発見




Photo-1: 2018年6月18日にボルゴグラードの鉄道駅に到着し、国旗を振る英国のサッカーファン © NICOLAS ASFOURI / AFP

何千人もの英国からのサッカーファンがW杯に参加する中で、彼らの報告で圧倒的に多い事例は「ロシアは彼らが予想していたものとは違う」という点である。英国のメディアはこの矛盾に自分たちが果たした役割をよく分析してみる必要がある。

ソチ発:信じられない程の自己認識の欠如を示しながらも、ガーディアン紙の前モスクワ駐在員は日曜日に次のようにツイートした。「ボルゴグラードで私が会った英国のサッカーファンは目下間違いなくロシア大会を満喫している。すべてがわれわれが予想していたものとは正反対で、誰もが驚くほど歓迎してくれる。昨晩は最高だった。(私/われわれは)W杯でこれよりも立派なスタートはとても望めないだろうと思う。」 

こうして、(BBCに次いで)英国で二番目に多いアクセスを持つオンラインニュースのために何年間にもわたってロシアについて報道する特典を享受して来たショーン・ウオーカーはこの明らかな矛盾に当惑しているようだ。しかし、それを説明することは簡単だ。ロシアに関する英国の報道はロシアの姿を正確には伝えていないのである。

10年程前のことになるが、ここへの赴任後2-3週間の内にこのことを私も確かに実感した。英国や米国の新聞社のプリズムを通して何年間もこの国を眺めて来た結果、私の感覚は圧倒的に否定的なものであった。しかし、さまざまな出来事があって、この国を訪れる機会が無作為に何回もやって来たので、ロシアへ赴任するなんて思ってもみなかった。つまり、私は今もあの頃の見方をしているのかも知れない。

ある特定の国を訪問したことがない人たちは、多くの場合、彼らが日常的に購読・視聴するメディアでその国がどう報じられているかによって彼らの見方は決まる。例えば、これこそがハリウッドが米国の強力な道具の役割を務めてきた理由である。そして、英国の台所事情が痛々しいほどの緊縮政策を必要としているにもかかわらず、英国はBBCの国際部門に何億ポンドも投入し続けようとしている。

もちろん、これはRTの存在理由でもある。ロシアに関する西側の報道が均衡を欠き、不公平であるとロシア側は正当にも感じ取って、このネットワークを設立したのである。

いつまでも一緒に:

ロシアに対する米国の態度は単純である。それは距離感と米国人の議論に浸みわたっている冷戦時代からの論理から生まれたものである。その一方で、英国人の美辞麗句を説明することはより以上に困難だ。英国の新聞社は一般大衆との調子が非常に悪いようで、私の経験によれば、ロシアについてはより以上に慎重な見方をとる。

ツイッターを使用する場合は、反応の数が分かる。ロシア関連の大きな出来事については何時も同じジャーナリストの一団が皮肉を込めた同一のジョークをツイートし、非常に現代的な背中の叩き方をする。つまり、「like」と「retweet」を用いてお互いをけしかけ合う。

集団思考には圧倒される程であるが、彼らは自分たちが到達した戯画的な状況を十分に納得するだけの知覚力を持ってはいない。ロシアは私の受け持ち区域であって、当然のことながら、私の関心はこの分野だけに制約される訳ではない。国内では、同種の議論が毎日のように起こる。政党の大会から始まってビジネスの報道に至るまで。

関連記事:
Englishman in Moscow: Politics mean nothing to thousands of fans enjoying the World Cup

この振る舞いの背後にはいったい何があるのかと私は長い間疑問を抱いていた。私は英国中を旅行しているので、我が国の多様さを熟知している。英国では一般大衆は決して体制派ではない。事実、エジンバラの郵便配達がサリー地区の株式仲買人と世界観を共有することなんてあり得ない。

しかしながら、メディアは今まで以上に一枚だけの楽譜を歌おうとする。特に、話が権力層の合意内容に脅威を及ぼすような場合がそうだ。その理由はすごく単純だ。今日、新聞社のお偉方は二つの大学、オックフォードとケンブリッジの出身であって、前者が後者を上回る。


古き良き時代:

伝統的にはジャーナリズムはほとんどが労働者階級の仕事であって、全国紙で好機をつかむ前は地方紙で修業を積んだものだ。確かに、多くの著名なジャーナリスト(一例を挙げると、ジョン・ピルジャー)は第三レベルの教育をまったく受けてはいない。しかし、今や、新聞社はエリート大学から直接募集をしているようだ。この傾向はロシア部門では殊更に当てはまる。駐在員のほとんどは(多くの場合、ロシアを専攻した)文化系の卒業者であって、この狭い専攻範囲以外でジャーナリズムを学んだ記録はほとんど見当たらない。これは非常に不健康である。

週末にアイルランド人の学者、ジョン・オブレナンが流したツイートはガーディアン紙のコラムニストらは如何にしてオックスフォードやケンブリッジ卒の寡占状態を作り出したかを示している。そこで、私は英国のメディアでロシアを報じるオックスフォードとケンブリッジ卒のジャーナリストたちに光を当ててみることにした。何と、これらの大学の卒業生が新聞社の語り口をほぼ独占していることが速やかに判明したのだ。

ロシアに関する英国の著名な解説者はほとんど全員が、アンネ・アップルバウムやマーク・ゲールオッティ、ベン・ジュダー、オリバー・バロー、ルーク・ハーディングといった連中を含めて、オックスフォード・ケンブリッジ卒である。一方、エドワード・ルーカスはオックスフォードの元フェローで個人指導員の息子ではあるが、彼はロンドン大学の経済政治学部に進んだ。ウオーカー自身を含めて、モスクワの駐在員は非常に多くがこれに当てはまるのだ。

英国の全国紙は早急により多くの多様性を備える必要がある。黒人やアジア系あるいは性的少数者を余分に雇用することは簡単ではない。それに代わって、われわれが今必要とするのはこの業界はそのルーツを遡らなければならないという点に尽きる。ジャーナリストは大リーグで仕事を開始する前に正しく訓練を受けるべきだ。それぞれ違った教育や社会的背景を適切に反映するべきである。

オックスフォード・ケンブリッジ卒による現在の寡占状態が継続すれば、われわれは英国からの海外への旅行者から「予期していたこととは正反対だ」という言葉を今後も聞き続けることになろう。これは実に悲しむべき事態である。   


注:この記事に表明されている声明や見解、意見は全面的に著者のものであって、必ずしもRTの見解や意見を代表するものではありません。

<引用終了>



これで2本の記事の仮訳が終了した。

ロシア大会に関する動画を見ると、競技場での熱気が伝わって来る。その騒ぎは街では翌朝までも続き、W杯を開催している都市ではビールの入手が困難になってきたとの報道がある程だ。そして、もっとも重要な点はこれらのサッカーファンは、当然のことながら、政治は抜きでサッカーの試合を堪能している。一般大衆に対してメディアが行っている陰湿な洗脳と比べ、これ自体は非常に健康的だ。

観衆が政治を忘れてサッカーを堪能する中で、一部の競技者は政治を競技場に持ち込んでしまう。残念なことである。セルビア対スイス戦ではスイスが2対1でセルビアを下したが、スイスの選手の中にはコソボ系の選手がおり、自分が放った見事なゴールを祝って、コソボの国旗を思わせるような仕草をしたことが問題視されている。セルビアはコソボの独立を認めてはいない現状から、セルビアチーム側からはこの出来事に関して苦情が出ている。この出来事に関与したふたりの選手はFIFAの懲罰委員会にかけられるかも知れない。

この投稿ではW杯ロシア大会の背景にある政治的な風景を書こうと思って開始した。シリアやウクライナに見られるようなおどろおどろしい地政学的な状況から一時的にでも離れて、健康的なスポーツの祭典を楽しみたいという気持ちがあったのだ。しかしながら、その期待は甘かった。政治的背景そのものが何時の間にか主役となって、舞台のど真ん中に出て来てしまいそうな気配である。好むと好まざるとにかかわらず、今日の国際政治は、実際には、われわれ一般庶民の生活の中にも色濃く浸透しているようだ。政治をバッサリと切り離せるのは夢の中だけとなろう。

今までのオリンピックでもこの種の出来事は大なり小なり起こっている。スポーツへの政治の過剰な介入は何としてでも避けるという常識的な節度を発揮し合い、そうする知恵を常に維持しなければならないと思う。そのような意識を持って、毎日の生活を続けたいものだ。

経済的な効果に関しては統計数値が間もなく出て来るのであろうが、西側の大衆が、最終的に、このロシア大会を介してどれだけロシアという社会やロシア人を知ることができたのかという設問については、答えることが非常に難しいと思う。長い目で見守っていきたいと思う。現実的な感覚から言えば、「決してゼロではない」筈である。



参照:

注1: Why do we need the World Football Cup?: By Ruslan Ostashko, The Saker, Translation by Scott Humor, Jun/19/2018

注2:English football fans discover real Russia is different to Oxbridge-dominated media portrayal: By Bryan MacDonald, RT, Jun/18/2018,
https://on.rt.com/97vs





 

2018年6月19日火曜日

シリア政府軍の沈黙した英雄の前でプライベート・ライアンが恥じる時


映画の世界と現実の世界を比較することはリンゴとオレンジを比較するようなものではないかという議論があることは誰にもよく分かる。しかしながら、現状を知らない人たちを相手に現実の世界を論じる際には、多くの人に観られており、その内容がよく知られている映画と比較をする手法は現実を明確に浮き彫りにするには非常に有効だ。

そうした事例がシリアに関する最近の記事 [注1] に見てとれる。

この記事は「シリア政府軍の沈黙した英雄の前でプライベート・ライアンが恥じる時」と題されている。著者はバネッサ・ビーリー。彼女は著名な、独立した調査報道ジャーナリストであって、写真家でもある。「21st Century Wire」の共同編集者だ。

念のために21st Century Wireのウェブサイトで彼女に関する情報を調べてみると、下記のような記述が見られる:

バネッサはもっとも権威のあるジャーナリズム関連の賞のひとつ、2017年の「マーサ・ゲルホーン」ジャーナリズム特別賞で最終選考に残ったひとりである。この賞の受賞者には、例えば、2017年にはロバート・パリーがいる。過去にはパトリック・コックバーン(2004年)、ロバート・フィスク(2002年)、ニック・デイヴィーズ(1999年)やBureau for Investigative Journalismのチーム(2013年)が受賞している。

バネッサ・ビーリーの言: 私は独立した研究者で、執筆をし、写真家でもあります。必要な経費は100パーセント自己負担です。資金提供者の意図によって影響を受けやすい多数の大手メディアや国家の支援を受ける独立メディアとは違って、私の場合は、そうすることによって私自身の独立性を可能にしているのです。私は平和活動にも焦点を当て、国外からの干渉や独立国家の内政に介入することもなく、国家主権や市民自らの決断を防護します。

本日はこのバネッサ・ビーリーの記事を仮訳し、読者の皆さんと共有したいと思う。

独立した調査報道の在り方を詳細に学ぶことによって、多くの大手メディアに見られるジャーナリズムの危機を浮き彫りにしよう。

われわれ一般庶民が調査報道ジャーナリストに期待できる最大の利点は本人が現地入りして、現地の人たちと接触し、彼らの話を直接聞き出すことによって入手した情報に基づいて現地の状況を知ることができることにある。多くの場合、調査報道ジャーナリストから得られる情報は政治的な意図の下に喧伝されるプロパガンダ情報とはまったく異なる。大手メディアが流すプロパガンダ情報とは正反対であったり、まったく新たな情報であったりすることが常だ。

シリア紛争においては大手メディアの報道に頼っている一般読者や視聴者を洗脳しようとする情報操作が頻繁に行われた。例えば、その責任をシリア政府軍になすり付け、シリア政府ばかりではなく、シリア政府を後押しするロシアやイランの信頼性を毀損するために反政府武装勢力やホワイトヘルメッツが巧妙に行った自作自演の化学兵器攻撃が典型的な例だ。

注: 私はアラビア語をまったく知らないので、この記事に出て来る人名や地名についてはカタカナ表記に間違いがあることは容易に予測できます。そのような間違いについてはご容赦願います。



<引用開始>




Photo-1: シリア陸軍の兵士として殉教した二人の息子、アフメドとフサインの写真の側に佇むモハメド・ガバシ・アル・ハミド氏と奥さんのファティマさん © Vanessa Beeley

ハリウッド映画に頻繁に見られる戦場での勇敢な行為についてのストーリーやスクリーンいっぱいに大写しにされ、一歩も退かずに向こう見ずに行動する米兵の映像はこれらの兵士を「世界を救済する」熱狂的な人物像に仕立て上げてしまう。

米国の一般庶民を戦争の恐怖から引き離しているのはいったい何かと言うと、それは幻想の世界が現実の世界を凌駕してしまったからに他ならないのだ。

米国本土が戦場となったことはなく、戦争は遠く離れた国で行われて来た。そして、戦争は常に「国家の安全保障上の利害関係」という枠内で議論され、遂行される。これらの戦争については恐怖感や安全保障の欠如を意図的に作り出すことによって、さらには、米国市民に害を及ぼすテロの脅威を必要以上に増幅させることによって、これらの脅威は武力介入によって「脅威の源」を想定範囲内に抑え込むことができるとする合意が形成される。

米国がシリアに対して実行した空爆については、米英仏の3カ国が非合法なシリアに対する攻撃を行った後にトランプ大統領は議会で「米国の国家安全保障や対外政策にとっては決定的に重要である」と
述べた。この化学兵器攻撃はシリア政府軍(SAA)が行ったものであるとのでっち上げが喧伝され、サウジが資金を供給し、英国が後押しをする過激派「ジャイシュ・アル・イスラム」の支配下からドウーマ地区を解放する最後の段階に行われた。



Photo-2: 「われわれがやって来ると聞いて、テロリストは逃げて行く」と、ISISを掃討するシリア政府軍がRTに喋ってくれた 

映画は現実逃避のための空想である。ハリウッドは事実を歪曲する企業メディアの専門家によってすっかり騙されている一般庶民の気持ちを紛らわせ、恐怖を植え付け、外交政策の照準に合わされている最新の敵国から人間性を奪うことにかけては実に長じている。 

「プライベート・ライアンを救え」の映画では、戦闘の恐怖がサラウンド・サウンドの音響効果によって嫌と言う程に伝わって来る。肉に食い込む銃弾の叫びのような音、死につつある兵士の呻き声、等、想像を絶するすべての状況が描かれている。完璧な前線映画である。

歩兵のライアンの3人の兄弟が戦闘で死亡してしまったことを知ったマーシャル将軍はライアンを何とか彼の母親の元へ返すために米兵たちをフランスへ送り込んだ。その詳細がこの映画に描かれている。観客は「ママ・ライアン」の悲しみを鎮めることが米国にとっては喫緊の重要性を持っているんだということを信じ込むようになる。この映画は全米向けの良く知られている映画「勇気ある追跡」に見られるいい気分にさせる要素を含んでおり、世界や彼ら自身の魂を救済するために闘う「本物の男たち」の勇気を思う存分描写する。映画の最後に現れる言葉はこう言っている。「先の大戦における最後の偉大な侵攻での8人の男たちの挑戦・・・・それはひとりの兵士を救うことだった」と。 

米国主導の同盟軍が行った空爆によって引き起こされたラッカの全面的な惨状を
説明する際に米国防長官のジェームズ・マチスは最近こう言った。「われわれは善良な人間であり、戦場における一般庶民はこの違いを良く分かっている。」 しかし、同盟軍の「精密」爆弾によって狙われ、絶望的な立場に置かれた「無辜の市民」がこの言葉に同意するなんて私には思えない。対テロ戦争の相手は、この場合、イスラム国(つまり、IS。以前の名称はISIS/ISIL)のことであるが、相も変わらず一般庶民の大量殺害が起こる。彼らのズタズタにされた死骸は「国家の安全保障」を守る米国の作戦行動で起こった「巻き添え被害」として片付けられてしまう。

米国の安全保障には何らの脅威をも与えたこともない国家の上空や地上で非合法な作戦行動が行われているのだ。シリアは、紆余曲折に満ちた7年間にもわたる長い間、米国やEUの「安全保障」を効果的に防護して来た。シリア政府の転覆を成し遂げようとして、さまざな呼称を持つ過激派集団がわれわれの政府や湾岸地帯の同盟国によって武装され、資金を提供され、装備が施されて来たが、自分たちの責任を消し去るために用いられる彼らの美辞麗句からはその事実を知る術はないであろう。

シリアはテロリストの流れをその領内に食い止めており、シリア政府軍はこの脅威を封じ込めるために闘い、戦死者を出している。同盟国であるロシア、イラン、ヒズボラと共に、シリアは致命的な病原菌が広がることを抑えるためにあらゆる事柄を犠牲にしている。この病原菌は道義的な優位性を主張する国々によって作り出されて、シリアへ持ち込まれた。彼らが通り過ぎた跡には流血沙汰が残され、その事実を突き付けられると彼らの主張は空疎に響くだけであった。

シリア政府軍は西側のメディアによって人間性を奪われ、犯罪者扱いにされ、「アサドの軍隊」とか「シーア民警」と呼ばれ、「宗派意識が強い、殺人者の集まり」として描写される。本当の姿からこれ以上かけ離れた描写は在り得ないのではないか。自分たちの国土や同胞、自分たちの名誉、自分たちの生活を守るために殉教した数多くの兵士たちの家族と私は会った。「崩壊した建物は修復することが可能だが、破壊された国土は永遠に失われてしまう」ことから、それを避けるために彼らは闘うのである。




Photo-3:  ISISの戦闘員が居る場所から1キロにも満たない距離にあるタルダラの自宅の前に佇むオム・アル・フォウズ © Vanessa Beeley

シリアには、言い尽くせない喪失感に見舞われたにもかかわらず、確固たる信念を持ち続け、自分たちの子供が演じた役割を誇りに思う、勇敢で、恐れを知らない女性、いわゆる「ママ・ライアン」が何千人もいる。サラミヤーに近いタルダラに住むオム・アル・フォウズは「対テロ戦争」で5人の息子を失った。

「最初の息子を失った時、私は背骨を折られたかのように感じたわ。そのたった15日後、二番目の息子を失い、私は心臓がすっかりだめになるかと思ったわ。それから、三番目、四番目、五番目と息子を亡くして、その都度私は強くなって来たのよ。」 

さらに、オム・アル・フォウズは私にこう話してくれた。「私には25人もの男の子の孫がいるの。この闘いに全員を出してもいいわよ。その覚悟はある。わたしたちは皆が殉教する用意が出来ているのだから。何と言っても、ここは私たちの祖国であり、自分たちの尊厳や名誉、道義心の拠り所なんです。私たちがこの国を離れて、何処かへ行くなんてことは絶対にあり得ないわよ。」 

サラミヤーで、2018年の1月、私はハラと遭遇した。ハラは若くて美しい女性だ。彼女の夫は彼女の町や彼女の国家を守るためにシリア政府軍の一員として戦闘に加わり、戦死した。サラミヤーでの他の数多くの家族と同じように、ハラは自分の夫の殉教を誇りに思うと言った。しかしながら、彼女の目は愛する夫と子供の父親を失ったことの隠しようもない悲しみをたたえており、私にすべてを物語っていた。

彼女の夫、ファディ・アフィフ・アル・カシルはヌスラ・フロントの攻撃からサラミヤーの西部を守る戦闘の最中に戦死した。彼は31歳だった。ハラは自分たちの結婚式の写真を誇らしげに見せてくれた。そこには驚くほどに若々しいカップルがいた。数え切れない程多くの希望や夢に溢れ、結婚生活を始めたばかりであった。

ハラは私にこう言った。「祖国の防衛のために彼が呼ばれた時、自分の祖国を守るために、自分の価値観を守るために、シリアの声がすべての国々に聞こえるように、シリアの平和が辺りを支配することが出来るように、平和は私たちのためだけではなく、すべての国々にもやって来るようにと願って、彼は直ちに家から飛び出して行ったわ。この国にのり込んで来て、私たちが今闘っている相手はシリアの国外へも出て行くかも知れない。もしもシリアの国外に出て行ったとしたら、すべての人々が破壊されることになるわ。私の夫、ファディ・アフィフ・アル・カシルは祖国を取り戻すために自分の魂を捧げ、愛を捧げ、自分の血さえも捧げたのだわ。」 




Photo-4: 殉教した息子の写真を持つハンナ・アル・アイエク。一緒に居るのは兄のモハンメド、夫のアショウル、ふたりの娘サリーとイスラ。© Vanessa Beeley

サラミヤーでは2018年の始めにハンナ・アル・アイエクと彼女の家族と会った。彼女の息子、サエド・ニザルは22歳足らずの年齢で戦死した。サエドはシリア政府軍のヘリコプター技術者だった。彼は2013年1月22日に死亡した。家族の話によると、彼が乗っていたヘリコプターは物資を基地へ輸送している際に自由シリア軍の対戦車ミサイルの攻撃を受けて墜落したのだ。

ハンナはこう喋ってくれた。「あなたがここへやって来て、私の息子のことについてお喋りをしてくれたお蔭で私たちにも元気が出て来たわ。お願いだから、私たちの声を出来る限り遠くまで伝えて欲しい。私の息子やわれわれの殉教者たちは世界のために皆が自分の命を捧げたのよ。シリアのためだけではないわ。皆が同じ顔をしている訳ではないけれども、多分、皆が同じ魂を持っているに違いないと思うの。」 





Photo-5: 殉教した息子モハンメドの写真を抱くアフメド・ジャブルと彼の家族。サラミヤーにて。© Vanessa Beeley

私が会って、インタビューを試みた家族は皆が同じことを言っていた。アフメド・ジャブルは2013年3月4日に23歳の息子、モハンメドを亡くした。彼はシリア政府軍の一員としてカリアタインでイスラム国の武装勢力と闘っていたのだ。

アフメドは私にこう言った。「われわれは偉大な軍隊を持ち、われわれが軍隊を代表しているんだ。軍隊はわれわれを代表し、軍隊は大きな犠牲を払ったが、神には感謝したい。われわれの側が勝利しているからだ。奴らは世界中のテロリストを我が国へ投入して来た。われわれのところへテロリストを投入しているのは西側諸国だ。でも、われわれは誰もが同じ志を抱いてわれわれの軍隊を応援している。神に感謝したい。われわれの軍隊はアラブ世界全体を、さらには、世界全体をテロリストから防衛しているんだ。さもなければ、このテロはシリアから全世界に広がっていくことだろう。」 

シリア政府軍は徴兵制で成り立っている。ほとんどの場合、ごく普通の若い男女が武器を取り上げ、郷土の防衛に当たった。サラミヤーでは四方からイスラム国、ヌスラ・フロント、アーラル・アル・シャムやその他いくつもの過激派の分派に囲まれていた。これらの兵士は軍の戦略や戦闘にはほとんどが未経験であった。奴らはプロの軍人で、豊富な戦闘経験を持った雇い兵だ。西側や湾岸諸国からの支援の下でより高度な兵器や装置を使用している。




Photo-6: シリアの都市や町、集落では何処でも殉教者たちの写真が掲載されている。彼らは住民を守るために命を捧げたのだ。サラミヤーにて。© Vanessa Beeley

西側に住むわれわれはわれわれ自身の帝国主義国家によって支援されたテロリストがさらに生まれて来ることに抵抗し続けてきたこれらの男女の若者に対しては返しようもないような、限りなく大きな借りを負っている。彼らの勇気や流血を描写した「プライベート・ライアン」という映画は制作されることはないだろう。彼らの犠牲に対して名誉の言葉を贈るためにワシントンやロンドンに記念の彫像が建立されることはないだろう。彼らの団結や彼らの尊厳が西側のメディアで取り上げられることもないだろう。

これらの英雄、つまり、人間性を防護した若者たちに対して敬意を表さなければならないのはわれわれ一般庶民である。われわれが苦悩に満ちた毎日を生きることがないようにするために彼らは闘い、自分の命を捧げたのだ。これは複雑なニュアンスに満ちた世界や切り口が幾通りもある真理をロマンチックに描写しようとするものではない。これは、仮にイラク政府軍の活動が無かったとしたら、ユーフラテス川から始まってテームズ川に至るまでわれわれは何処ででも過激主義に翻弄されたかも知れないという現実を認識することである。ハリウッドによって作り上げられた戦闘場面の大騒ぎや不協和音とはまったく違って、これらの兵士は沈黙した英雄である。今、彼らは否定のしようもない形で「帰郷する権利」を手にしたのだ。

<引用終了>


これで全文の仮訳は終了した。

このシリアの現地からの報告を読むと、シリア紛争が個々の住民に与えている影響の大きさがひしひしと伝わってくる。もちろん、バネッサ・ビーリーがここに伝えることが出来た事例は非常に僅かだ。ママ・ライアンの総数は何千人にもなると言う。シリア紛争での戦死者総数にktらべたら、ほんの氷山の一角に過ぎない。しかしながら、米帝国主義が独立心の旺盛な国家を相手に振るう暴力の異常振りは依然として有り余る程伝わって来る。正直言って、この仮訳を作成している間に私は泣かされてしまった。

しかしながら、大手メディアは報道しようとはしない。これでは、新聞の購読数やテレビのニュース報道の視聴者数が減少するのが当たり前ではないか。

最近、ニューヨークタイムズ紙の値引き広告をしばしば目にする。これは2016年の米大統領選を通じてフェークニュースを余りにも頻繁に報道した結果、読者に飽きられてしまったからではないのか?さもありなんという感じがする。それとも、これは私の勝手な「早とちり」に過ぎないのであろうか?

幸運なことには、調査報道ジャーナリストの活躍は至るところで観察されるようになって来た。しばらく前にはニクソン大統領の失脚に繋がったウオーターゲート事件やリーガン政権時代のイラン・コントラ事件がある。イラン・コントラ事件ではロバート・パリーが詳しい調査報道を行って、大活躍をした。ロバート・パリーは上述のように2017年の「マーサ・ゲルホーン」ジャーナリズム特別賞を受賞している。

最近の出来事ではマレーシア航空17便撃墜事件、シリア紛争、ウクライナ・クリミア情勢、スクリパル親子毒殺未遂事件、等で調査報道ジャーナリストやブロガーからの報告がプロパガンダ情報とは違って、実際には何が起こったのかを知る上で欠かせない存在となった。商業メディアがジャーナリズム本来の責務を放棄してしまったことから、調査報道ジャーナリストやブロガーの努力を抜きにしては今日の国際政治を正確に掴むことはできないのである。

ただし、一般庶民の立場から見ると、しっかりした流通網を持つ大手メディアの場合とは違って、調査報道ジャーナリストやブロガーの情報は代替メディアで報じられているに過ぎず、それが故に、読者の側から情報を積極的に検索し、これだと思う情報を入手しなければならないという厄介な作業が付きまとう。時間もかかる。通常、この点が最大の難関となる。これらの情報は英語で報じられているので、日本の読者にとっては言語の壁も加わってくることが多い。

しかし、これは解決できない問題という訳ではない。このブログがご紹介できる英文記事は1ヵ月当たりせいぜい4本か5本程度であるが、これを踏み台として読者の皆さんにももう1本、2本と直接検索し、読んでいただけたらと思う次第だ。ご自分が興味を感じるテーマについて半年か1年も続けることができれば、この作業は当初とは違ってすっかり易しいものとなって来るので、おおいに頑張っていただきたいと思う。



参照:

注1:When Private Ryan is shamed by quiet heroes in the Syrian Arab Army: By RT, Jun/08/2018,
https://on.rt.com/975c

 



2018年6月12日火曜日

平和は常套句 - 西側が反論も受けずに世界を支配することができなくなった時、それは戦争を意味する

戦争が起こるメカニズムはどのようなものかについてはさまざな議論がある。例えば、歴史的に繰り返して観察されてきたひとつの要因は国内政治がうまく行かない時に外部の仮想敵に関心を向けようと権力側が意図した場合だ。

これは一昨年の米大統領選で負けたヒラリー・クリントンが自分の非を認めず、「ロシアが選挙に介入したからだ、プーチンはけしからん」と言って、ロシアゲートを巻き起こして、大混乱を引きおこした心理状況と驚くほど酷似している。あの当時の様子を簡単に要約すると、下記のような具合だ [注1]:

あれは民主党全国大会が開催される予定の6週間前、2016年6月12日のことだった。アサンジが今までは棚上げにしていた「ヒラリー・クリントン関連の電子メール」を公開すると言った。これがクリントン候補の選挙陣をパニックに陥れた。これらの電子メールはクリントン候補に好意的な内容であって、同じ民主党候補のバーニー・サンダースを落選させようとする非常に偏った状況を記録していたからだ。電子メールが7月22日に公開されると、選挙団は私が言うところの「偉大なる転換」を創出する事に決めた。つまり、この窮地から脱出するために、周囲の関心を電子メールの内容にではなく、ロシアを非難することに引き寄せようと決断したのである。

新冷戦は今や前回の冷戦以上に深刻な段階に至っているという指摘がある。それだけに、核大国の米ロ両国間の対決が全面的な核戦争に発展するような事態は決して許してはならない。ところが、西側の政治家の発言や大手メディアの論調は戦争を回避するどころか、戦争を引き起こそうとしているのではないかと思わせる状況が数多く観察される。

すでに7年も続いているシリア紛争では化学兵器攻撃が何回も引き起こされ、数多くの市民が殺害された。西側の大手メディアはその度にシリア政府軍をその実行犯と見なして、シリア政府を支援するロシアの信頼性を削ごうとするための大騒ぎを繰り返して来た。証拠として提示された情報は西側が資金を提供している反政府派武装勢力や非営利団体の「ホワイトヘルメッツ」が作り上げたものであって、彼らの自作自演に基づくものであった。

2014年のウクライナ革命は今まで喧伝されていたような民衆による革命ではなく、実際には武力クーデターであったとの指摘がされている。膨大な量の情報を詳しく調査した学術的な調査 [注3] によると、ヤヌコヴィッチ前政権が崩壊することになった直接の引き金は反政府派による自作自演の発砲事件であった。つまり、2014年2月20日に50名もの死者を出した反政府デモであった。大混乱に紛れて、反政府派はデモ参加者に向けて発砲をしたのはヤヌコヴィッチ大統領の命令を受けた秘密警察だと主張し、西側のメディアがそれをオウム返しに喧伝した。しかし、時間の経過とともにこの主張は脆くも崩れた。

オランダが主催する国際調査団(JIT)が最近発表した2014年のマレーシア航空17便撃墜事件に関する調査報告書はロシアを犯人とすることが最初から決まっていたかのようで、長い時間をかけていったい何を調査して来たのかと思わせるほど偏った内容である。具体的な証拠に欠けており、客観性に乏しい。

今年の4月、英国のソールズベリーで起こったスクリパル親子の毒殺未遂事件もロシアを犯人にしたい英国政府の自作自演であった可能性は高まる一方である。すでに捜査期間が3カ月にもなった今でさえも、ドイツ政府はロシアが犯人だとする証拠は英国政府から何も受け取ってはいないと述べている [注2]。

5月29日、ウクライナのキエフでウクライナに亡命中のロシア人ジャーナリストが暗殺されたとの報道があった。これはロシア政府の仕業だとする見方が全世界を駆け巡った。このジャーナリストは母国のロシアではロシア政府を批判する急先鋒であって、昨年からウクライナへ亡命していた。ところが、暗殺の翌日、殺害された筈のアルカジー・バブチェンコが記者会見に現れ、皆をアッと言わせた。彼の奥さんはジェットコースターよりも遥かに激しい感情の起伏に見舞われたに違いない。なぜこのような茶番劇を行ったのかについてのウクライナ政府側の説明は暗殺容疑者を捕まえるためだったとしている。その準備には1ヵ月もかかったが、本人は他に選択肢がなかったと言う。しかしながら、この茶番劇の最大の目的はロシア政府を非難し、ロシアの信用を落とすことに狙いがあったと指摘する専門家が多い。ウクライナ政府ならびにウクライナを支援する米国にとっては非常に都合のいいシナリオであったことだろう。

これらの出来事を個々に見ることも大事なことではあるが、大きな地政学的な構図の中ですべての出来事を総括的に俯瞰することもまた重要だ。そこにはロシア経済の弱体化やロシア政府の信用を低下させるといった西側のディープステ―ツ好みの大目標が共通して見えて来る。米国の軍産複合体やネオコンが考えそうなテーマである。事実、彼らはさまざまな形でこの目標を表明して来た。

米国がロシアに課した経済制裁や米国のイラン核合意からの脱退もこの大きな構図を支える重要な要素として加わって来た。

もうじき始まる2018FIFAワールドカップのロシア大会では何かが起るかも知れない。要するに、西側の諜報機関や軍産複合体にとっては騒ぎを引き起こし、ロシアに辛い思いをさせる絶好の機会となるのではないか。もちろん、ロシア側は万全の備えをしている筈だ。

米ロ戦争は当面情報戦争の段階にあると言われているが、上述のさまざまな出来事を見るとこの情報戦争は徐々に拡大し、深化している。すでにその頂点に達しているのではないだろうか。

米国がロシアとの戦争を準備する中、その同盟国は米国の意向に沿った動きをする。最近の具体例を見ると、上述のようなさまざまな状況や出来事がわれわれの目の前で展開されて来た。英国で、シリアで、オランダで、ウクライナで、そして、イランに敵対するイスラエルで。もっとも驚くべき点は、どの出来事を取り上げても、西側諸国の説明はその信憑性が頗る低く、信頼できる証拠が欠如していることだ。古くから言われているように、21世紀の今日でも、戦争で真先に犠牲になるのは真実である。

国際政治の背景を説く記事として、特に、戦争に至るメカニズムを説明するものとして、「平和は常套句 - 西側が反論も受けずに世界を支配することができなくなった時、それは戦争を意味する」と題された記事がある [注4]。

本日はこの記事 [注4] を仮訳して、読者の皆さんと共有しようと思う。



<引用開始>




Photo-1:  アフガニスタンのカブールにおける薬の常用者たち。穴蔵で生活している。米国による占領が始まってからすでに16年だ。 © Andre Vltchek

西側は自分たちのことを「世界でもっとも平和を愛する国だ」と見なすのが大好きだ。でも、本当にそうだろうか?このような言葉は何処ででも耳にする。ヨーロッパから北米、そして、オーストラリアで、さらには、ヨーロッパへと戻ってくる。「平和、平和、平和!」  

これは常套句となった。うたい文句であって、資金や同情、支援を間違いなく受けるための処方箋でもある。平和を唱えれば、うまく行かない筈がない。あなたは思いやりがあり、しかも合理的な人間であるという風に受け止められるのだ。

平和が崇められている場所や平和が求められている場所で、毎年、「平和会議」が開催される。私は、最近、デンマークの西海岸で平和会議に出席し、そこで基調演説を行った。

私のような戦場にどっぷりと漬かっている特派員が出席すると、皆がショックを受ける。通常議論されている内容はごく表面的なものであり、受けのいいテーマばかりだからである。




Photo-2:  二重基準: 米英仏はイエメンではサウジ側に立っているが、シリアでは道徳を守る守護神を装っている。

せいぜい「資本主義は如何に悪いか」とか、「すべては原油と絡んでいる」といった類の議論である。西側の大量殺戮の文化についてはまったく触れることはない。長い間継続され、何世紀にもわたって略奪をし、西側の住民のすべてがそこから享受し続けて来た利益に関しては全然触れようともしない。

最悪の例は「世界は如何に悪いか」というテーマである。これは「人間は何処の国でもまったく同じだ」といった常套句で終わる。そして、ますます顕著になって来ているのは中国やロシアに対する異様で、かつ、無知な感情のほとばしりである。多くの場合、西側のネオコンは「脅威」とか「強力なライバル」という言葉で両国を形容する。

これらの会議の参加者は「平和は善」とか「戦争は悪」に関して誰もが同意する。これは総立ちの大喝采となり、お互いが相手の背中を叩くことになる。だが、感涙にむせぶようなことはほとんどない。

しかしながら、これ見よがしの振る舞いの裏に秘められている理由が問い質されることはごく稀だ。結局のところ、戦争を求めるのはいったい誰なのだろうか?いったい誰が暴力や痛ましい負傷、死を切望するのであろうか?いったい誰がすっかり破壊され焼け焦げた街並みや見捨てられて泣き叫んでいる幼児を見たいと思うのだろうか?すべては非常に単純で、非常に論理的であるように見える。

徹底的に打ちのめされ、事実上依然として植民地化されているアフリカや中東の国々からわれわれがこの「平和のスピーチ」を頻繁に聞くことがないという事実はいったいなぜだろうか?彼らが一番苦境に苛まれているのではないのか?彼らこそが平和を夢見てるいるのではないのか?それとも、われわれは皆が議論の的を外してしまっているのだろうか? 

私の友人、インドの作家で偉大な思索家でもあるアルンダティ・ロイは2001年に西側が開始しようとしていた「対テロ戦争」に関してこう書いている。『ジョージ・ブッシュ大統領が空爆を行うと公表した時、彼は「われわれは平和的な国家だ」と言った。米国のお気に入りの大使であるトニー・ブレアー(彼は英国の首相でもあるが・・・)はブッシュの言い草を受けて、こう言った。「我々は平和を愛好する国民だ。」 ということで、はっきりと分かったことがひとつある。豚は馬、女の子は男の子、そして、戦争は平和だ。』

平和という言葉を西側の人物が口にした時、その「平和」は本当に平和なのだろうか?その「戦争」は本当に戦争なのだろうか?

「自由で民主的な西側」においては一般市民はこのような質問を投げかけることが依然として許されているのだろうか?戦争と平和という考えは質問をすることが許されない教義の一部であって、西側の文化や法律によってしっかりと「守られている」のではないか?

このような質問が西側で発せられた場合、これらはほとんど間違いなく「暴力的」で「非合法的」に響くことであろう。それが原因で、グアンタナモ、あるいは、「CIAの秘密の刑務所」に収容されることになるかも知れない。2~3週間前、私はケニアのベネズエラ大使館で若者たち、つまり、左翼系の東アフリカ野党の指導者らと直接議論をした。確かに、彼らは煮えたぎり、激怒し、強固な決意をしており、覚悟ができていた。




Photo-3:  ベネズエラ大使館で左翼系の東アフリカ野党の連中に演説を行った。その後の記念撮影。 © Andre Vltchek

アフリカ大陸の現状を知らない読者に向けて一言付け加えておこう。ケニアは何年も、何十年もの間、英国や米国の、さらには、イスラエルさえをも含む帝国主義の東アフリカにおける前哨基地であった。それは冷戦の最中に西ドイツが演じた役目と同じである。豪華な商品やサービスを物色することができる天国であった。かって、ケニアはニエレレの指導の下で社会主義の実験を推進していたタンザニアの存在を実に小さく見せていたものだ。

今日、ケニアの人々の
60パーセントはスラム街に住んでいる。これはアフリカではもっとも酷い状況である。あるスラムでは、例えば、マサレやキベラは少なくとも約100万人を擁するが、これらのスラムは類を見ないような卑劣で、恐ろしい状況に晒されている。4年前に私は南米のTeleSUR ネットワークのために記録映画を作ったが、その際にこれらのスラム街を訪れたことがある。私は次のように書いた: 

「・・・公式にはケニアは平和だ。何十年もの間、西側に従属する国家として機能してきた。残忍な市場としての政治形態を実行し、外国のための軍事基地を受け入れて来た。この国に何億ドルもの金をもたらした。しかしながら、この国の悲惨さに比べると、より酷い国なんて何処にも見当たらない。

さらにその2年前、キスム市の近くで私の「トウマイニ」を撮影している間に、集落全体が幽霊のように佇んでいる無数の空き家を目撃した。住民はエイズと飢餓のせいで消えてしまったのだ。ところが、あたりは依然として平和であると言われていた。

シテ・ソレイユで絶望的なほどに貧困で、病気に苦しんでいるハイチ人を米国の軍医が屋外で手術をしていた時、それは平和であった。急ごしらえの手術台の上で局部麻酔だけで腫瘍の摘出手術を受けている女性を見て、私は彼女を撮影した。北米からやって来た医師に私は質問した。「どうしてこんなやり方で手術をするんですか?」と。そこからたった2マイル程の場所には最高の設備を持った軍の施設があることを私は知っていたからだ。




Photo-4:  ナイロビのキベラ・スラム街。住民の数は約100万を超す。 © Andre Vltchek

「このやり方が実際の戦闘状況にもっとも近いからさ」と、その軍医は率直に答えた。「われわれにとっては、これが最高の訓練だ。」 

手術が終わってから、その女性は起き上がって、彼女の怯え切った夫に助けられながらも、バス停の方へ去って行った。

そうなんだ。これらのすべての状況は公式には平和なんだ。




Photo-5:  ハイチでは米軍医による実験が続く。 © Andre Vltchek

世界中の悲惨な国々では私が作業をしていたあらゆる場所で、上記に引用した事例よりもさらに悲惨な状況を目撃した。私は、恐らく、余りにも数多くの悲惨な例を見過ぎてしまったのではないかと思う。でも、それらの状況は平和であると言われている。四肢をもぎ取られた犠牲者、焼け落ちた住宅、泣きわめく女性、病気や飢餓のせいでティーンエイジャーにもなれずに死亡する子供たち・・・ 

私がやっていることをあなたがやろうとする時、あなたは医者のようになる。つまり、あなたが出来ることはそういった恐怖や辛苦に耐えるだけとなる。何故ならば、あなたの務めは人々を助け、現実をさらけ出し、世界に恥を知って貰うことだ。あなたは自分自身が腐敗したり、崩壊したり、倒壊したり、泣き叫んだりする権利は持ってはいないのだ。




Photo-6:  癌を患うイラクの3歳の子供、モハメッド君。ギリシャのコス島にて。© Andre Vltchek 
しかし、あなたにとって耐えきれないのは偽善だ。偽善は「防弾」のためだ。偽善行為については適切な議論によって、論理によって、あるいは、例証を挙げることによって人を啓蒙することはできない。西側における偽善者は多くの場合無知であるが、ほとんどの場合利己的である。

ヨーロッパや北米の人々にとって平和とはいったい何だろうか?その答えは簡単だ。それは死亡したり、負傷する市民が出来る限り少なくなるような状況のことだ。貧困に喘ぎ、略奪に晒され、植民地化された国々からヨーロッパや北米に諸々の資源が滞りなく流れて来る状況のことだ。

そのような平和の代価は?このような世界を設定した結果、アフリカや南米、アジアではいったいどれだけ多くの人々が死亡したのであろうか?あるいは、さらに死亡するのであろうか? 

平和とは、何百万人もの非白人がその過程で消え去ってしまったとしても、西側のビジネスの利害関係が何の危険に晒されないことだ。

平和とは、西側が、反対されることもなしに、世界を政治的に、経済的に、イデオロギー的に、そして、「文化的に」支配することができる状態を言う。

「戦争」とは反乱が起こった時を言う。戦争は略奪を受けている国の人々が「ノー!」と言った時に起こる。戦争は彼らがレイプされ、はく奪され、洗脳され、殺害されることを拒否した時に起こるのである。

そういったシナリオが起こった時に西側がとる緊急の策は自国の市民の面倒を見ようとする中央政府を崩壊させることによって「平和を回復する」ことだ。学校や病院を爆撃し、飲料水や電力の供給網を破壊し、何百万人もの人々を悲惨で苦悩に満ちた状況に放り込むのである。 




Photo-7:  公式には戦争ではない - ガザにおける住民蜂起。 © Andre Vltchek 

北朝鮮やキューバ、ベネズエラ、イランに対して西側が迅速に行うことが出来る策として、いくつかの国々は、当面、経済制裁や外国から資金を得ている「野党」からの攻勢によって苦労を強いらている。西側が使う語彙においては、「平和」は「服従」の同義語である。全面的な、無条件の服従。それ以外の状況は戦争である。あるいは、戦争を招来させるであろう。

アフリカ諸国を含めて、抑圧され、悲惨な目に遭っている国々にとっては、抵抗を求めることは、少なくとも西側の語彙においては「暴力を求める」ことと同義であると見なされ、これは非合法的な行為である。第二次世界大戦中にナチドイツに占領されていた国々では抵抗を求めることは「非合法」であったが、それと同様に「非合法」である。したがって、西側の手口や心情は「原理主義者的」であって、非常に攻撃的だ。

私の友人である哲学者のジョン・コッブ・ジュニアに捧ぐ。

著者のプロフィール: アンドレ・ヴルチェクは哲学者であり、小説家、記録映画作家、調査報道ジャーナリストでもある。彼は数多くの国々で戦争や紛争を取材している。彼の最近の3冊の著作としては革命に関する小説「オーロラ」や政治に関するノンフィクションでベストセラーとなったふたつの著書、「帝国の大嘘を暴く」(Exposing Lies Of The Empire)と「西側の帝国と闘う」(Fighting Against Western Imperialism)とが挙げられる。他の著作についてはこちらをご覧ください。彼はteleSUR やAl-Mayadeenのために記録映画を作成している。南米やアフリカ、オセアニアに住んだ後、現在は東アジアや中東に居住。世界を股にかけて仕事を継続している。彼とはウェブサイトまたはツイッターで接触することが可能。

<引用終了>


これで全文の仮訳が終了した。

この著者の平易な解説の仕方が大好きだ。言いたいことを的確に伝えてくれる。

下記に示す著者の主張は非常に分かりやすい。見事でさえある:

平和とは、何百万人もの非白人がその過程で消え去ってしまったとしても、西側のビジネスの利害関係が何の危険にも晒されないことだ。

平和とは、西側が、反対されることもなしに、世界を政治的に、経済的に、イデオロギー的に、そして、「文化的に」支配することができる状態を言う。

「戦争」とは反乱が起こった時を言う。戦争は略奪を受けている国の人々が「ノー!」と言った時に起こる。戦争は彼らがレイプされ、はく奪され、洗脳され、殺害されることを拒否した時に起こるのである。


戦争が起こるメカニズムに関してアンドレ・ヴルチェクが要約したこれらの言葉を自分の心に収めて、新冷戦やアフガン戦争、イラク戦争、シリア紛争、ウクライナ紛争、イエメン、パレスチナの実態をもう一度じっくりと考えてみようではないか。今までとは違った理解に到達することができるかも知れない。いや、間違いなく新しい自分を発見することだろうと思う。

6月12日、シンガポールで米朝首脳会談が開催され、両首脳は朝鮮半島の非核化と安定した政治体制の確保を謳った合意文書に署名をした。具体的な内容は間もなく公開されることだろう。当面の報道によると、両首脳は思った以上に積極的にこの会談に取り組んでいるようだ。朝鮮戦争に終止符が打たれ、当事国間の停戦協定が平和条約に格上げされるならば、これはまったく新たな1章が始まることを意味する。

これは、世論調査に示されているように、戦争を嫌う米国の一般市民が明らかに覚醒したことを意味する。そして、この新しい国際政治の趨勢が核大国である米ロ両国間の協力体制に少しでもプラスになるとすれば、その先に待っているのは朝鮮半島の非核化だけではない。それは東アジアの非核化、欧州の非核化、さらには、全世界の非核化である。われわれの世代から次の世代に贈ることができる最高の贈り物の姿が具体的に見えて来る。これから展開される交渉がいくら長くても、いくら困難であっても、次世代に対するかけがえのない贈り物を実現して欲しいものである。実現に向けて後押しをする最強の援軍は、実質的にわれわれ一般庶民の明確な理解と確固たる決意であろう。

米朝両首脳が本日、6月12日の会談をきっかけにして朝鮮半島の非核化に成功した暁には、それは現行の新冷戦の方向性を180度転換させるような歴史的な出来事へと発展する可能性を秘めている。そうなって欲しいものである。




参照:

注1: Still Waiting for Evidence of a Russian Hack: By Ray McGovern, Information Clearance House, June/08/2018

注2: Berlin still has no evidence from UK that Moscow is behind Skripal poisoning – reports: By RT, June/07/2018,
https://on.rt.com/9729

注3: The Snipers Massacre on the Maidan in Ukraine: By ORIENTAL REVIEW, Sep/11/2015

注4: Peace is a cliché: When the West cannot control the world unopposed, it means war: By Andre Vltchek, RT, June/02/2018, https://on.rt.com/96nn





 

2018年6月5日火曜日

現地のシリア人が化学兵器攻撃の大嘘を暴く

シリアの首都ダマスカスの近郊のドーマという町で、4月7日、化学兵器攻撃があった。70人もの住民が殺害され、それはアサド大統領が命じたからだと報じられた。

しかしながら、西側の大手メディアを除いては、国際世論はこの報道を信じなかった。偽情報であることが見え透いていたからだ。その論理としては、アサド大統領が自国民に向けて、しかも、政府軍側の勝利がほとんど確定的になっているこの時期になってから世界中の世論を敵に廻すような化学兵器攻撃を行う理由は見当たらないのだ。

当時を振り返ってみると、例えば、米国に追従するフランスのマクロン大統領は「われわれは化学兵器、少なくとも塩素が使われたことの証拠を握っている。これはバシャール・アル・アサド政権によるものだ」と臆面もなく述べていた。4月12日の報道だ。シリアに対する武力介入を喧伝し、シリア政府に対する圧力が急上昇している最中であった。

4月14日、米英仏はシリアに対してミサイル攻撃を行った。化学兵器を生産し、貯蔵していると言われていた施設が攻撃を受けた。これは民間の施設であって、抗がん剤の開発を行ったり、他の薬剤を生産していた。経済制裁を受け、輸入が思うようには出来ないシリアでは民生用の貴重な施設であった。ミサイル攻撃の翌日、攻撃を受けた場所を取材するために西側のメディアが招かれた。もしも西側が主張していたように、この施設で化学兵器が本当に製造されていたとしたら、この攻撃によって化学兵器が漏れ出して、何千人もの巻き添えの死者や負傷者が出ていたことであろう。西側の主張はすべてが見え透いた大嘘であった。

反政府勢力に武器を与え、資金を提供し、外国から多数の過激派武装集団を送り込み、アサド大統領を失脚させることによって地政学的な利益を手中に収めようと試みた西側は、結局、その戦略や戦術に稚拙さを露呈した。シリアでは7年間にもわたって内戦が進行しているとして見せかけて来たものは、実際には、西側の資金力にものを言わせた代理戦争である。

シリア政府側に濡れ衣を着せて、反政府武装勢力に騒乱を起こさせ、アサド政権を失脚させるという西側の戦略が失敗した理由のひとつには「現地の実情を知りたい、それを西側の一般市民に伝えたい」とするジャーナリストの疲れを知らない努力がある。西側の商業的な大手メディアがとっくに捨ててしまったジャーナリスト精神が、幸いにも、フリーランスのジャーナリストたちによって実践されたのだ。

大手メディアに完全に欠如するジャーナリスト精神がどうしてフリーランスのジャーナリストによってこうも見事に実現されるのかという点については多くの議論がある。それは別の機会にして、話を本題に戻すことにしよう。

ここに、「現地のシリア人が化学兵器攻撃の大嘘を暴く」と題された記事 [注1] がある。著者はシリアやガザの一般住民の窮状を現地から報告することで知られているエヴァ・バートレットというフリーランスのジャーナリストである。

本日はこの記事を仮訳し、読者の皆さんと共有したいと思う。

ところで、シリアの地名や人名をカタカナ表記することはアラビア語を知らない私にとってはとんでもなく大きな挑戦です。表記の仕方が間違いだらけであると思いますが、ご容赦願います。

<引用開始>




Photo-1:   ホワイトヘルメッツはドーマで起こった化学兵器攻撃の様子を伝えるビデオを作製した。そのビデオに撮影されていた少年が、2018年4月26日、オランダのハーグで行われた記者会見で当時の様子を喋った。© Michael Kooren / Reuters

西側のメディアはシリアのドーマで起こったとされる化学兵器攻撃をそのまま引用し続けているが、彼らとしては最近までジャイシュ・アル・イスラムによって支配されていた町でちっぽけな証拠を用意しなければならなかった。 

ところが、ホワイトヘルメッツと称される西側のプロパガンダの構図から発せられたこのビデオは実証されてはいない。証拠に基づいて作成されたものではなく、トルコで撮影されたものか、それとも、テロリスト集団によって支配されているシリアのイドリブで撮影されたものかはまったく分からない。

その一方、彼らの主張とは相反する主張が数多くある。例えば、ハーグの化学兵器禁止機関(OPCW)の本拠で4月26日に証言をすることになったドーマからやって来た17人だ。彼らは化学兵器攻撃はなかったと証言したのである。 



Photo-2:  ホワイトヘルメッツ: 世界中で一番写真うつりが良いこの救助隊にとって一般市民のことなどはどうでもいいのだろうか?  

米英仏の指導者と彼らの愛玩動物であるメディアは、当然ながら、シリア人の主張は「節度を欠いたもの」であり、「見せかけ」だとして一蹴した。ところが、その同じメディアが解放前のアレッポ市の東部に住む当時7歳の女の子のバナ・アル・アベドの言葉は信用できるとしていた。企業メディアや西側の指導者らはバナが信用できるかどうかについては何の疑義も挟まなかった。バナの住居の周辺だけであっても、当時、25か所ものテロリストの小集団によって囲まれていたにもかかわらずである。しかしながら、ドーマの住民の主張は「節度を欠いたもの」となるのだ。 

西側の非難とは矛盾する一般人の主張は他にもある。彼らの主張はドウーマへわざわざ出向いて住民の話を直接聞こうとしたロバート・フィスクやドイツの第二ドイツテレビ(ZDF)、ワン・アメリカ・ニュース、ヴァネッサ・ビーリー、等によって伝えられた。

事実、OPCW に調査を行うように呼びかけたのはシリアとロシアの政府である。その一方、非合法にもシリアに103発のミサイルを発射したのは米英仏であった。その内の76発はOPCW の検査官が調査を開始する直前にダマスカスに向けて発射された。

彼らの非難はどれも「検証」することが出来なかった。OPCW は遅かれ早かれ報告書を発行することになるが、OPCWの報告書に関しては思い起こしておきたいことがある。イドリブ県のカーン・シェイクーンにおける化学兵器攻撃に関する昨年の報告書には、控えめに言ってさえも、「不規則な点」が観察された。紛れもないもっとも大きな不規則性は57人の「犠牲者」の入院である。この入院はいわゆる化学兵器攻撃が実際に起こる前のことであったのだ。他には、ある被害者の尿検査でサリンの痕跡が見つかったが、同じ被害者からの血液サンプルからは検出されなかったという不規則性が観察されている。

ーマの住民が化学兵器攻撃に関する非難が嘘であることを暴露: 

4月の終わりごろ、私は一人の通訳と一緒にタクシーでドーマへ出向いた。そこで2-3時間を過ごして、ジャイシュ・アル・イスラムのテロリスト・グループの支配下で酷く苦しめられていた住民らと話をした。住民の多くは自分たちの生活が地獄のようであったという事実を訴えようとした。しかし、まず私は問題の病院へ出かけた。

化学兵器攻撃を受けたとされるが、今は歩行者や車両で混雑を極める「殉教者の広場」を通り過ぎて、地下病院は何百メートルか先にあった。私は中に入って、化学兵器攻撃があったとされる4月7日に病院にいた医学生とのインタビューを記録した。




Photo-3:  「攻撃は無く、犠牲者も出なかった。化学兵器の使用は無かった」: ハーグのOPCW で記者会見をするドーマからの証言者たち (VIDEO) 

マルワン・ジャベルによると、やって来た患者たちは通常の砲撃による傷の手当を受けた。あるいは、塵埃や安全のために長期間地下に潜んでいたことに起因する呼吸困難に対する治療を受けた。

ジャベルは私にこう言った。病院の職員が変わり映えのしない砲撃による傷の手当てや呼吸困難に対する治療を行っている間に、「部外者」が入って来て、化学兵器攻撃だと叫んで、皆に水をかけ始めた。病院の職員はこの混乱状態を鎮静化して、「変わり映えのしない」砲撃による傷の治療に戻ることにした。患者たちは化学兵器攻撃に晒された兆候をまったく示してはいなかったからだ。

患者の症状は「化学兵器攻撃に特有な症状とは一致しなかった。瞳孔の収縮もなければ、死を招く気管支収縮もなかった」と当時を思い出して、ジャベルが言った。「われわれが受け入れた患者の症状は皆窒息の症状であって、これは煙によるものだった。あるいは、普通に見られる戦場での負傷だった。患者たちはここへやって来て、われわれが治療を施し、彼らを帰宅させた」とジャベルが説明してくれた。そして、「誰も死ななかった」と付け足した。 

もしも化学兵器攻撃があったとしたら何らかの影響が起こったかも知れないと誰もが推測することだろうが、病院の職員の間でそのような影響は受けた者はいなかった。ホワイトヘルメッツが作ったビデオで観察されるように、病院の職員は有毒な化学兵器の汚染を取り扱う場合に必要な防護服は誰も付けてはいない。

マルワン・ジャベルの意見によれば、叫び声を上げながら病院へ押し入って来た連中は医学については何の訓練も受けてはいなかった。高校を終了しているかどうかさえも怪しいと彼は言う。

病院の下を通じるトンネル網は側壁が強化されており、その規模は大きく、車両が通れるほど幅が広い。ジャイシュ・アル・イスラムがドウーマの町を支配下に置いている間、彼らは自由に移動することが出来た。

2018年および2013年に起こったとされる化学兵器攻撃を受けたグータの住民: 

ーマの街を歩きながら、私は町の住民に生活の様子を訊ねた。特に、自分たちの町で化学兵器攻撃があったのかどうかについて聞いてみた。幾人かは化学兵器攻撃があったなんて気付かなかったと言った。しかし、大部分の住民は「何も無かった」ときっぱりと返事をした。




Photo-4:  「シリア政府が2013年以降化学兵器を所有していた」と主張するフランスの報告についてモスクワ政府は問題として取り上げる

野菜や果物を販売するスタンドでタウフィーク・ザーランはこう答えた。ジャイシュ・アル・イスラムは彼らに恐怖感を与え、シリア軍やシリア政府を恐れさせるために叫んだのだと思う・・・と。彼の周りにいる者たちも同感だと頷いていた。ジャイシュ・アル・イスラムの支配下では皆が飢えていたことやテロリストグループが日常的なやっていた刀を使った処刑についても喋ってくれた。

焼き菓子を売っている若者のグループが手を振って私を招き、菓子をくれた。彼らも化学兵器攻撃のことは何も知らないと答えた。彼らがもっとも心配していたことはジャイシュ・アル・イスラムの下では焼菓子に必要な小麦粉を十分に入手できないことであった。また、生活に必要な食物がひどく不足することだった。これは私が会った人たちの誰にも共通する話題であった。つまり、誰もがジャイシュ・アル・イスラムの支配下で飢えとテロに悩まされていたのである。

2013年、西側とそのメディアは東グータにおける化学兵器攻撃についてシリア政府を非難した(不思議なことには、それよりも前の事件を調査するためにOPCWの検査官がシリア国内に滞在している最中であった)。これらの非難は調査報道専門のジャーナリストたち、特に、セイモア・ハーシュの報告によって論破された。セイモア・ハーシュはテロリストがサリンやロケットを製造する作業所を所有していると結論した。確かに、東グータのサクバでは臼砲やロケットの作業所のひとつを見学した。作業所の内部にはさまざまなサイズの未使用のミサイルが大量に残されていた。

2018年の4月、化学兵器攻撃を2日間非難した後、米国駐在サウジアラビア大使のカリド・ビン・サルマンはツイッターでシリア政府の「野蛮な」行為を非難した。野蛮なジャイシュ・アル・イスラムをサウジが支援していることは別としても、ミントプレスニュースによると、サウジアラビアは2013年のグータでの攻撃のためにテロリストらに化学兵器を提供したという事実があり、これは実に皮肉である。 [訳注: ミントプレスニュースは2011年にムナール・ムハウェシュによって米国のミネソタ州に設立された。]

ミントプレスの記事は反政府勢力の言葉を引用していた。彼ら曰く、使い方がまったく分からない化学兵器を提供された。そして、供給源としてサウジのプリンス・バンダルの名前を挙げた。




Photo-5:  ドーマでの化学兵器攻撃の失敗を受けて、米国はホワイトヘルメッツに対する資金提供を中断 

ミントプレスの記事を書いた共同執筆者たちは同記事を撤回するよう執拗な圧力を受けた。ミントの最高責任者で編集者でもあるムナール・ムハウェシュの声明によると、著者らは圧力の源はサウジの諜報部門を率いるプリンス・バンダルではないかと疑っている。ひとりの著者は「サウジアラビア大使館が彼に接触し、化学兵器攻撃のことを調査し続けるならば彼を職場から追放してやると脅しをかけて来た」と述べている。

5月の始めに私はカフル・バトナへ出かけた。この町には結核専門病院があって、2013年の8月には何百人もの人たちがここで治療を受けた。

病院長のモハメド・アル・アガワニは私にこう喋ってくれた: 

「化学兵器攻撃なんて無かった。あの晩、私は病院には居なかったが、私の部下が何が起こったのかを報告してくれた。夜中の2時頃、突然、騒音が起こり、叫び声や病院に到着する車の音が聞こえて来た。市民を運んできたのだ。何人かの武装した男たちが化学兵器攻撃があったと言った。中には外国人特有の訛りがあった。運んで来た人たちの衣服を剥ぎ取り、彼らに水をかけ始めた。午前7時頃まで次々と人が運び込まれて来た。約千人となった。ほとんどが子供たちで、生きていた。近くのエイン・テルマやヘッゼ、ザマルカの集落からだった。多数の親たちが子供たちは帰って来なかったと後に報告している。」

詳しく分析をしてみると、あの夜の録画は犠牲者の中には喉を切られている者さえも含まれていた。もしも「神経剤」で殺害されたのだとするならば、実に奇怪なことである。

カフル・バトナの中央広場に面したアイスクリーム店で私は従業員のアブドラー・ダルボウに2013年に起こったとされる事件に関して何か知っていることはないかと訊ねてみた。

「確かに、われわれはそのことを聞いたことがある。でも、あれは何も起こらなかったんだ。シリア政府が我々に対して化学兵器攻撃をしたと彼らが主張した。しかし、攻撃は無かった。当時、僕は近くのジスリーンに住んでいたが、もう7年も生活をしているよ。政府軍はわれわれに対する攻撃なんてしなかった。」 




Photo-6:  シリアの化学兵器攻撃は米国による空爆を仕掛けるために行われ、ロンドン政府が犯人をそそのかした、とロシアの国防省は言う。

タクシーを拾って、ダマスカスの南東部に位置する避難民のためのホルジレー・センターに向かった。そこではカフル・バトナから来たマルワン・クレイシェーと出会った。2013年の事件について、彼はジャイシュ・アル・イスラムとファイラク・アル・ラーマンの間の戦いを思い起こしてくれた。「両者を合わせて500人もが殺害された。連中は地上に彼らを並べて、催涙ガスみたいなものを放出した。政府がこの地域に化学兵器を使ったと言って、撮影し始めた」と言った。

ホルジレー・センターではドーマからやって来たマモオウド・ソウリマン・カレドにも出会った。彼は自分の姪のことを喋ってくれた。「ベイト・サワに住んでいる私の妹は子供を連れてわれわれの家へやって来ることにした。彼らが街を歩いている際中に大きな爆発音がして、異常な匂いがした。彼女の娘が路上に倒れた。娘を近くの病院へ運び込んだが、娘は窒息し、死亡した。彼女の口は開いたままで、唇は青みを帯びており、窒息死したことが明白であった。」

カレドはその後の様子についても話してくれた。死んだ子供たちをテロリストがどのように活用したのかについてだ。「彼女の写真を撮り、彼らはその写真をソーシャルメディアやウェブサイトに掲載した。この女児は政府による化学兵器攻撃で殺害されたのだと彼らは言った。しかし、彼女はテロリストらが作った化学品で窒息死したんだ。連中こそが彼女を殺したんだ。」 

他の作り話: 

シリア政府が自国民に対して化学兵器あるいは神経剤を使用したのかどうかについてだけではなく、ジャイシュ・アル・イスラムの支配下では恐ろしい境遇の中で生活を強いられてきたことに関してもドーマやカフル・バトナ、ホルジレーの一般市民らとたくさん話をした。その結果、私が到達した個人的な見解はドウーマで化学兵器攻撃があったと主張するビデオは作り話であるという点だ。彼らが非難する内容とはまったく違った状況を伝える話や報告が十分にあり、彼らの主張はそれを支える証拠がまったく欠如している。シリアとロシアの両国を罪人扱いするために、テロリストや西側のプロパガンダ集団であるホワイトヘルメッツがビデオを作成し、いかさまの非難を行ったものだと推測される。 

シリアとロシアの両国にはシリアの一般市民を相手に化学兵器攻撃を行う利点はまったくゼロに等しい。それは道徳上の理由から言えることでもあり、化学兵器攻撃を行い、その結果予測される軍事的な袋叩きに遭いたくはないという合理的な理由からでもある。それとは対照的に、シリアに対する汚い戦争を長引かせるために、米英仏と湾岸諸国ならびにイスラエルはシリアにおける化学兵器攻撃のシナリオを望む理由を山ほど持っている。

メディアが「節度を欠いたもの」とか「見せかけ」といった言葉を使うこと自体は正当ではあるが、その正当性はドーマでの出来事に関する公式見解においてだけだ。企業メディアはホワイトヘルメッツの信用できそうもないもうひとつのビデオを楽しんでおり、彼らはドーマや東グータの一帯を支配していたテロリストらの残虐性や野蛮さは隠蔽したのである。 

著者のプロフィール: エヴァ・バートレットはフリーランスのジャーナリストで、ガザやシリアでは広範な経験を持った人権問題の活動家でもある。彼女の著作については彼女のブログ「In Gaza」にて探してみてください。


<引用終了>


これで全文の仮訳が終了した。

シリアを巡る地政学的な争いはシリア政府軍の勝利であることが明らかになりつつある。

トランプ大統領が米軍の撤退を示唆したにもかかわらず、ペンタゴンは今もシリア東部に米軍を配置している。ペンタゴンがホワイトハウスになったかのようである。米国の政治の不可思議な点である。米政府は常に右へ行ったり、左へ行ったりを繰り返しているように見える。効率が悪いばかりではなく、偽善的だ。

総じて、引用記事からも明らかなように、シリアで推進されて来た代理戦争の本当の姿が一般大衆にも理解され始めたという事実は歓迎すべきであろう。

9/11同時多発テロ以降、米国は対テロ戦争を推進して来たが、10数年を経て、その結果を見ると、非常に困惑させられる。何故かと言うと、「対テロ戦争」という見出し語は現実を物語ってはおらず、米国の本当の目論見は中東の資源の確保であったことが明白だ。政治に特有な詭弁、嘘、情報操作、偽善、等のあらゆる悪徳振りが毎日のようにテレビで放映され、紙面を飾って来た。

しかし、われわれ一般大衆の好むところはそういうものではない。政治の世界にも如何ほどかの節度や真実、誠実さがあって然るべきだ。事実、米国の大衆は戦争を望んではいない。

今年の4月、米国のメディアに大異変が起こった。ある記事 [注2] が次のように伝えている:

タッカー・カールソンの昨夜の独白はケーブルニュースの歴史においてはもっとも画期的な出来事のひとつだ。カールソンとトーマス・マッシーの二人が唱えたシリア空爆に対する反論がどうしてそんなに重要であるかと言うと、彼らは戦争は米国の関心事ではないと指摘し、シリアで起こっていることに関する「公的な」筋書きを大っぴらに質したからである。彼がフォックスのチームに参加して以来軍事的な節度を求める代表的な声であったことを考慮すると、マックス・ブートのようなネオコンの連中にとっては大打撃となることは明らかで、カールソンの立場は驚くには値しないが、彼の行為は依然として勇気を必要とする。ロン・ポールや他の反戦の主唱者が知っているように、権力者の筋書きを質すことほど彼らを激怒させるものはない・・・

ここに引用したふたつの記事はそれぞれが米国の戦争を推進する勢力に何らかのブレーキをかけてくれたことと思う。このような動きが一般大衆の支持を得て、米国政府が9/11同時多発テロ以降シリア紛争に至るまで膨大な戦費をかけて、しゃにむに推進して来た不条理な戦争には一日でも早く終止符を打って欲しいものだ。なぜ何百万人もの無辜の市民を殺害しなければならなかったのか、なぜ何百万人もの市民を故郷から追い出し、難民を作り出さなければならなかったのかについて、米市民は真摯に再検討するべきであると思う。言うまでもなく、この米国の戦争に賛意を示した欧州や日本も例外ではない。



参照:

注1: Syrian civilians from ground zero expose chemical hoax: By Eva Bartlett, RT, Jun/01/2018,
https://on.rt.com/96n6

注2: Why Tucker Carlson’s Monologue About Syria is So Important: By Tho Bishop, Mises Institute, Apr/10/2018