2018年6月19日火曜日

シリア政府軍の沈黙した英雄の前でプライベート・ライアンが恥じる時


映画の世界と現実の世界を比較することはリンゴとオレンジを比較するようなものではないかという議論があることは誰にもよく分かる。しかしながら、現状を知らない人たちを相手に現実の世界を論じる際には、多くの人に観られており、その内容がよく知られている映画と比較をする手法は現実を明確に浮き彫りにするには非常に有効だ。

そうした事例がシリアに関する最近の記事 [注1] に見てとれる。

この記事は「シリア政府軍の沈黙した英雄の前でプライベート・ライアンが恥じる時」と題されている。著者はバネッサ・ビーリー。彼女は著名な、独立した調査報道ジャーナリストであって、写真家でもある。「21st Century Wire」の共同編集者だ。

念のために21st Century Wireのウェブサイトで彼女に関する情報を調べてみると、下記のような記述が見られる:

バネッサはもっとも権威のあるジャーナリズム関連の賞のひとつ、2017年の「マーサ・ゲルホーン」ジャーナリズム特別賞で最終選考に残ったひとりである。この賞の受賞者には、例えば、2017年にはロバート・パリーがいる。過去にはパトリック・コックバーン(2004年)、ロバート・フィスク(2002年)、ニック・デイヴィーズ(1999年)やBureau for Investigative Journalismのチーム(2013年)が受賞している。

バネッサ・ビーリーの言: 私は独立した研究者で、執筆をし、写真家でもあります。必要な経費は100パーセント自己負担です。資金提供者の意図によって影響を受けやすい多数の大手メディアや国家の支援を受ける独立メディアとは違って、私の場合は、そうすることによって私自身の独立性を可能にしているのです。私は平和活動にも焦点を当て、国外からの干渉や独立国家の内政に介入することもなく、国家主権や市民自らの決断を防護します。

本日はこのバネッサ・ビーリーの記事を仮訳し、読者の皆さんと共有したいと思う。

独立した調査報道の在り方を詳細に学ぶことによって、多くの大手メディアに見られるジャーナリズムの危機を浮き彫りにしよう。

われわれ一般庶民が調査報道ジャーナリストに期待できる最大の利点は本人が現地入りして、現地の人たちと接触し、彼らの話を直接聞き出すことによって入手した情報に基づいて現地の状況を知ることができることにある。多くの場合、調査報道ジャーナリストから得られる情報は政治的な意図の下に喧伝されるプロパガンダ情報とはまったく異なる。大手メディアが流すプロパガンダ情報とは正反対であったり、まったく新たな情報であったりすることが常だ。

シリア紛争においては大手メディアの報道に頼っている一般読者や視聴者を洗脳しようとする情報操作が頻繁に行われた。例えば、その責任をシリア政府軍になすり付け、シリア政府ばかりではなく、シリア政府を後押しするロシアやイランの信頼性を毀損するために反政府武装勢力やホワイトヘルメッツが巧妙に行った自作自演の化学兵器攻撃が典型的な例だ。

注: 私はアラビア語をまったく知らないので、この記事に出て来る人名や地名についてはカタカナ表記に間違いがあることは容易に予測できます。そのような間違いについてはご容赦願います。



<引用開始>




Photo-1: シリア陸軍の兵士として殉教した二人の息子、アフメドとフサインの写真の側に佇むモハメド・ガバシ・アル・ハミド氏と奥さんのファティマさん © Vanessa Beeley

ハリウッド映画に頻繁に見られる戦場での勇敢な行為についてのストーリーやスクリーンいっぱいに大写しにされ、一歩も退かずに向こう見ずに行動する米兵の映像はこれらの兵士を「世界を救済する」熱狂的な人物像に仕立て上げてしまう。

米国の一般庶民を戦争の恐怖から引き離しているのはいったい何かと言うと、それは幻想の世界が現実の世界を凌駕してしまったからに他ならないのだ。

米国本土が戦場となったことはなく、戦争は遠く離れた国で行われて来た。そして、戦争は常に「国家の安全保障上の利害関係」という枠内で議論され、遂行される。これらの戦争については恐怖感や安全保障の欠如を意図的に作り出すことによって、さらには、米国市民に害を及ぼすテロの脅威を必要以上に増幅させることによって、これらの脅威は武力介入によって「脅威の源」を想定範囲内に抑え込むことができるとする合意が形成される。

米国がシリアに対して実行した空爆については、米英仏の3カ国が非合法なシリアに対する攻撃を行った後にトランプ大統領は議会で「米国の国家安全保障や対外政策にとっては決定的に重要である」と
述べた。この化学兵器攻撃はシリア政府軍(SAA)が行ったものであるとのでっち上げが喧伝され、サウジが資金を供給し、英国が後押しをする過激派「ジャイシュ・アル・イスラム」の支配下からドウーマ地区を解放する最後の段階に行われた。



Photo-2: 「われわれがやって来ると聞いて、テロリストは逃げて行く」と、ISISを掃討するシリア政府軍がRTに喋ってくれた 

映画は現実逃避のための空想である。ハリウッドは事実を歪曲する企業メディアの専門家によってすっかり騙されている一般庶民の気持ちを紛らわせ、恐怖を植え付け、外交政策の照準に合わされている最新の敵国から人間性を奪うことにかけては実に長じている。 

「プライベート・ライアンを救え」の映画では、戦闘の恐怖がサラウンド・サウンドの音響効果によって嫌と言う程に伝わって来る。肉に食い込む銃弾の叫びのような音、死につつある兵士の呻き声、等、想像を絶するすべての状況が描かれている。完璧な前線映画である。

歩兵のライアンの3人の兄弟が戦闘で死亡してしまったことを知ったマーシャル将軍はライアンを何とか彼の母親の元へ返すために米兵たちをフランスへ送り込んだ。その詳細がこの映画に描かれている。観客は「ママ・ライアン」の悲しみを鎮めることが米国にとっては喫緊の重要性を持っているんだということを信じ込むようになる。この映画は全米向けの良く知られている映画「勇気ある追跡」に見られるいい気分にさせる要素を含んでおり、世界や彼ら自身の魂を救済するために闘う「本物の男たち」の勇気を思う存分描写する。映画の最後に現れる言葉はこう言っている。「先の大戦における最後の偉大な侵攻での8人の男たちの挑戦・・・・それはひとりの兵士を救うことだった」と。 

米国主導の同盟軍が行った空爆によって引き起こされたラッカの全面的な惨状を
説明する際に米国防長官のジェームズ・マチスは最近こう言った。「われわれは善良な人間であり、戦場における一般庶民はこの違いを良く分かっている。」 しかし、同盟軍の「精密」爆弾によって狙われ、絶望的な立場に置かれた「無辜の市民」がこの言葉に同意するなんて私には思えない。対テロ戦争の相手は、この場合、イスラム国(つまり、IS。以前の名称はISIS/ISIL)のことであるが、相も変わらず一般庶民の大量殺害が起こる。彼らのズタズタにされた死骸は「国家の安全保障」を守る米国の作戦行動で起こった「巻き添え被害」として片付けられてしまう。

米国の安全保障には何らの脅威をも与えたこともない国家の上空や地上で非合法な作戦行動が行われているのだ。シリアは、紆余曲折に満ちた7年間にもわたる長い間、米国やEUの「安全保障」を効果的に防護して来た。シリア政府の転覆を成し遂げようとして、さまざな呼称を持つ過激派集団がわれわれの政府や湾岸地帯の同盟国によって武装され、資金を提供され、装備が施されて来たが、自分たちの責任を消し去るために用いられる彼らの美辞麗句からはその事実を知る術はないであろう。

シリアはテロリストの流れをその領内に食い止めており、シリア政府軍はこの脅威を封じ込めるために闘い、戦死者を出している。同盟国であるロシア、イラン、ヒズボラと共に、シリアは致命的な病原菌が広がることを抑えるためにあらゆる事柄を犠牲にしている。この病原菌は道義的な優位性を主張する国々によって作り出されて、シリアへ持ち込まれた。彼らが通り過ぎた跡には流血沙汰が残され、その事実を突き付けられると彼らの主張は空疎に響くだけであった。

シリア政府軍は西側のメディアによって人間性を奪われ、犯罪者扱いにされ、「アサドの軍隊」とか「シーア民警」と呼ばれ、「宗派意識が強い、殺人者の集まり」として描写される。本当の姿からこれ以上かけ離れた描写は在り得ないのではないか。自分たちの国土や同胞、自分たちの名誉、自分たちの生活を守るために殉教した数多くの兵士たちの家族と私は会った。「崩壊した建物は修復することが可能だが、破壊された国土は永遠に失われてしまう」ことから、それを避けるために彼らは闘うのである。




Photo-3:  ISISの戦闘員が居る場所から1キロにも満たない距離にあるタルダラの自宅の前に佇むオム・アル・フォウズ © Vanessa Beeley

シリアには、言い尽くせない喪失感に見舞われたにもかかわらず、確固たる信念を持ち続け、自分たちの子供が演じた役割を誇りに思う、勇敢で、恐れを知らない女性、いわゆる「ママ・ライアン」が何千人もいる。サラミヤーに近いタルダラに住むオム・アル・フォウズは「対テロ戦争」で5人の息子を失った。

「最初の息子を失った時、私は背骨を折られたかのように感じたわ。そのたった15日後、二番目の息子を失い、私は心臓がすっかりだめになるかと思ったわ。それから、三番目、四番目、五番目と息子を亡くして、その都度私は強くなって来たのよ。」 

さらに、オム・アル・フォウズは私にこう話してくれた。「私には25人もの男の子の孫がいるの。この闘いに全員を出してもいいわよ。その覚悟はある。わたしたちは皆が殉教する用意が出来ているのだから。何と言っても、ここは私たちの祖国であり、自分たちの尊厳や名誉、道義心の拠り所なんです。私たちがこの国を離れて、何処かへ行くなんてことは絶対にあり得ないわよ。」 

サラミヤーで、2018年の1月、私はハラと遭遇した。ハラは若くて美しい女性だ。彼女の夫は彼女の町や彼女の国家を守るためにシリア政府軍の一員として戦闘に加わり、戦死した。サラミヤーでの他の数多くの家族と同じように、ハラは自分の夫の殉教を誇りに思うと言った。しかしながら、彼女の目は愛する夫と子供の父親を失ったことの隠しようもない悲しみをたたえており、私にすべてを物語っていた。

彼女の夫、ファディ・アフィフ・アル・カシルはヌスラ・フロントの攻撃からサラミヤーの西部を守る戦闘の最中に戦死した。彼は31歳だった。ハラは自分たちの結婚式の写真を誇らしげに見せてくれた。そこには驚くほどに若々しいカップルがいた。数え切れない程多くの希望や夢に溢れ、結婚生活を始めたばかりであった。

ハラは私にこう言った。「祖国の防衛のために彼が呼ばれた時、自分の祖国を守るために、自分の価値観を守るために、シリアの声がすべての国々に聞こえるように、シリアの平和が辺りを支配することが出来るように、平和は私たちのためだけではなく、すべての国々にもやって来るようにと願って、彼は直ちに家から飛び出して行ったわ。この国にのり込んで来て、私たちが今闘っている相手はシリアの国外へも出て行くかも知れない。もしもシリアの国外に出て行ったとしたら、すべての人々が破壊されることになるわ。私の夫、ファディ・アフィフ・アル・カシルは祖国を取り戻すために自分の魂を捧げ、愛を捧げ、自分の血さえも捧げたのだわ。」 




Photo-4: 殉教した息子の写真を持つハンナ・アル・アイエク。一緒に居るのは兄のモハンメド、夫のアショウル、ふたりの娘サリーとイスラ。© Vanessa Beeley

サラミヤーでは2018年の始めにハンナ・アル・アイエクと彼女の家族と会った。彼女の息子、サエド・ニザルは22歳足らずの年齢で戦死した。サエドはシリア政府軍のヘリコプター技術者だった。彼は2013年1月22日に死亡した。家族の話によると、彼が乗っていたヘリコプターは物資を基地へ輸送している際に自由シリア軍の対戦車ミサイルの攻撃を受けて墜落したのだ。

ハンナはこう喋ってくれた。「あなたがここへやって来て、私の息子のことについてお喋りをしてくれたお蔭で私たちにも元気が出て来たわ。お願いだから、私たちの声を出来る限り遠くまで伝えて欲しい。私の息子やわれわれの殉教者たちは世界のために皆が自分の命を捧げたのよ。シリアのためだけではないわ。皆が同じ顔をしている訳ではないけれども、多分、皆が同じ魂を持っているに違いないと思うの。」 





Photo-5: 殉教した息子モハンメドの写真を抱くアフメド・ジャブルと彼の家族。サラミヤーにて。© Vanessa Beeley

私が会って、インタビューを試みた家族は皆が同じことを言っていた。アフメド・ジャブルは2013年3月4日に23歳の息子、モハンメドを亡くした。彼はシリア政府軍の一員としてカリアタインでイスラム国の武装勢力と闘っていたのだ。

アフメドは私にこう言った。「われわれは偉大な軍隊を持ち、われわれが軍隊を代表しているんだ。軍隊はわれわれを代表し、軍隊は大きな犠牲を払ったが、神には感謝したい。われわれの側が勝利しているからだ。奴らは世界中のテロリストを我が国へ投入して来た。われわれのところへテロリストを投入しているのは西側諸国だ。でも、われわれは誰もが同じ志を抱いてわれわれの軍隊を応援している。神に感謝したい。われわれの軍隊はアラブ世界全体を、さらには、世界全体をテロリストから防衛しているんだ。さもなければ、このテロはシリアから全世界に広がっていくことだろう。」 

シリア政府軍は徴兵制で成り立っている。ほとんどの場合、ごく普通の若い男女が武器を取り上げ、郷土の防衛に当たった。サラミヤーでは四方からイスラム国、ヌスラ・フロント、アーラル・アル・シャムやその他いくつもの過激派の分派に囲まれていた。これらの兵士は軍の戦略や戦闘にはほとんどが未経験であった。奴らはプロの軍人で、豊富な戦闘経験を持った雇い兵だ。西側や湾岸諸国からの支援の下でより高度な兵器や装置を使用している。




Photo-6: シリアの都市や町、集落では何処でも殉教者たちの写真が掲載されている。彼らは住民を守るために命を捧げたのだ。サラミヤーにて。© Vanessa Beeley

西側に住むわれわれはわれわれ自身の帝国主義国家によって支援されたテロリストがさらに生まれて来ることに抵抗し続けてきたこれらの男女の若者に対しては返しようもないような、限りなく大きな借りを負っている。彼らの勇気や流血を描写した「プライベート・ライアン」という映画は制作されることはないだろう。彼らの犠牲に対して名誉の言葉を贈るためにワシントンやロンドンに記念の彫像が建立されることはないだろう。彼らの団結や彼らの尊厳が西側のメディアで取り上げられることもないだろう。

これらの英雄、つまり、人間性を防護した若者たちに対して敬意を表さなければならないのはわれわれ一般庶民である。われわれが苦悩に満ちた毎日を生きることがないようにするために彼らは闘い、自分の命を捧げたのだ。これは複雑なニュアンスに満ちた世界や切り口が幾通りもある真理をロマンチックに描写しようとするものではない。これは、仮にイラク政府軍の活動が無かったとしたら、ユーフラテス川から始まってテームズ川に至るまでわれわれは何処ででも過激主義に翻弄されたかも知れないという現実を認識することである。ハリウッドによって作り上げられた戦闘場面の大騒ぎや不協和音とはまったく違って、これらの兵士は沈黙した英雄である。今、彼らは否定のしようもない形で「帰郷する権利」を手にしたのだ。

<引用終了>


これで全文の仮訳は終了した。

このシリアの現地からの報告を読むと、シリア紛争が個々の住民に与えている影響の大きさがひしひしと伝わってくる。もちろん、バネッサ・ビーリーがここに伝えることが出来た事例は非常に僅かだ。ママ・ライアンの総数は何千人にもなると言う。シリア紛争での戦死者総数にktらべたら、ほんの氷山の一角に過ぎない。しかしながら、米帝国主義が独立心の旺盛な国家を相手に振るう暴力の異常振りは依然として有り余る程伝わって来る。正直言って、この仮訳を作成している間に私は泣かされてしまった。

しかしながら、大手メディアは報道しようとはしない。これでは、新聞の購読数やテレビのニュース報道の視聴者数が減少するのが当たり前ではないか。

最近、ニューヨークタイムズ紙の値引き広告をしばしば目にする。これは2016年の米大統領選を通じてフェークニュースを余りにも頻繁に報道した結果、読者に飽きられてしまったからではないのか?さもありなんという感じがする。それとも、これは私の勝手な「早とちり」に過ぎないのであろうか?

幸運なことには、調査報道ジャーナリストの活躍は至るところで観察されるようになって来た。しばらく前にはニクソン大統領の失脚に繋がったウオーターゲート事件やリーガン政権時代のイラン・コントラ事件がある。イラン・コントラ事件ではロバート・パリーが詳しい調査報道を行って、大活躍をした。ロバート・パリーは上述のように2017年の「マーサ・ゲルホーン」ジャーナリズム特別賞を受賞している。

最近の出来事ではマレーシア航空17便撃墜事件、シリア紛争、ウクライナ・クリミア情勢、スクリパル親子毒殺未遂事件、等で調査報道ジャーナリストやブロガーからの報告がプロパガンダ情報とは違って、実際には何が起こったのかを知る上で欠かせない存在となった。商業メディアがジャーナリズム本来の責務を放棄してしまったことから、調査報道ジャーナリストやブロガーの努力を抜きにしては今日の国際政治を正確に掴むことはできないのである。

ただし、一般庶民の立場から見ると、しっかりした流通網を持つ大手メディアの場合とは違って、調査報道ジャーナリストやブロガーの情報は代替メディアで報じられているに過ぎず、それが故に、読者の側から情報を積極的に検索し、これだと思う情報を入手しなければならないという厄介な作業が付きまとう。時間もかかる。通常、この点が最大の難関となる。これらの情報は英語で報じられているので、日本の読者にとっては言語の壁も加わってくることが多い。

しかし、これは解決できない問題という訳ではない。このブログがご紹介できる英文記事は1ヵ月当たりせいぜい4本か5本程度であるが、これを踏み台として読者の皆さんにももう1本、2本と直接検索し、読んでいただけたらと思う次第だ。ご自分が興味を感じるテーマについて半年か1年も続けることができれば、この作業は当初とは違ってすっかり易しいものとなって来るので、おおいに頑張っていただきたいと思う。



参照:

注1:When Private Ryan is shamed by quiet heroes in the Syrian Arab Army: By RT, Jun/08/2018,
https://on.rt.com/975c

 



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