2016年10月28日金曜日

戦争にはルールが必要だ - マクナマラ元米国防長官の言



副題: 米国は国際刑事裁判所を支持するべきだと歴史が示している


最近、シリア紛争に絡んだ米ロ間の国際政治の舞台では「戦争犯罪」という言葉が横行している。

たとえば、1017日、「反政府勢力がアレッポの市民に向けて砲撃をしている中、米英はモスクワ政府の行為を戦争犯罪だとして非難」と題された記事 [1] が現れた。それによると、下記のような状況が伝えられている(斜体で示す)。

まずは、この記事を通じて、米英のふたりの外交官トップが記者会見で行った「言葉の遊び」を認識していただきたいと思う次第だ。

アレッポでは一般市民を狙った砲撃が反政府勢力によって行われている。しかし、そのような事実を無視して、米国務長官は毎日のようにモスクワ政府を「人道に反する犯罪」を犯しているとして非難し、英外相はアサド政権をいわゆる穏健派の反政府勢力を「過激に」させたとして非難している。

「われわれは今アレッポで起こっていることにすっかり激怒している。2016年の今、21世紀の始めにありながらも、時間的な尺度で言うと恐ろしい程に後退し、野蛮な行為が行われている。この武力の行使は国連や殆んどの国々がわれわれの行動を律するものであると信じている価値観を侮辱する行為である」と、ジョン・ケリーは日曜日(訳注:1016日)に報道陣に向かって述べた。

「この状況は人道主義の危機である。第二次世界大戦以降では最大の人道主義の危機だ。もしもロシアとアサド政権が良識の基準、あるいは、何らかの基準にしたがって行動を取りさえすれば、このような危機は明日の朝にでも、あるいは、今晩にでも終了させることができる筈だ。しかしながら、彼らはそうしようとはしなかった。それに代わって、われわれは人道に対する犯罪としか言いようがない状況を毎日のように目にしている」と、彼は付け加えた。

「何十万人もの子供たちが、今、中世の時代に起こったような恐ろしい包囲にさらされている・・・ アサド政権やロシア人とイラン人とで構成された人形遣いによって包囲されているのだ」と、ケリーの脇に立つボリス・ジョンソン英外相が言った。 

アレッポの人たちのすべてが無実の子供ばかりであるというわけではないことはジョンソンが認めた。しかしながら、米国がその義務を果たすこと、つまり、いわゆる穏健派をテロリストから分離することに失敗したのはダマスカスとモスクワのせいであると彼は仄めかした。

「アレッポにおいてテロリスト、つまり、アル・ヌスラを特定することが出来るかどうかをわれわれは見極めなければならない。そうすることは前進するための正しい道筋だと思う」と、ジョンソンは言った。そして、「アサド政権と同政権を支援する勢力による行動によって、ますます多くの人たちがさらに過激化している」とも付け加えた。

「二重軌道戦略」のふたつ目は「アサド政権とそれを支援する国々」に対して圧力を掛け続けることになろう、とジョンソンは付け足した。「圧力を掛け続けるという考えや提案には経済的なアプローチが含まれ・・・、虐殺を犯した下手人をICCまたは他の何らかの法廷に立たせるといった策も含まれる。」

軍事力を使った「選択肢」も残されてはいるが、ふたりの外交官はこの選択肢は実践することが「極めて困難である」ことを認めており、西側は今まで通りの「外交的手段」に頼り続ける見込みだ。

しかしながら、ケリー国務長官は誠実さに関して「堅実な評価」を勝ち取っているわけではない、と共和党員でバージニア州選出の上院議員、リチャード・ハイデン・ブラックはRTに語った。

「私が思うには、彼が喋った内容は決して額面通りに受け取るべきではない。現場における事実を正確に見とどける必要がある。現実はロシアやシリアが故意に民間人を標的にしているなんて何も示してはいないからだ」とブラックは言う。

「ケリー国務長官が好んで使う大げさな文言はまったく言語道断だ」と、ブラックは付け加える。「誰も一般市民を殺そうと思っているわけではない。われわれがイラクへ侵攻した時に米軍によってもたらされた犠牲者の数、たとえば、最初の年の状況と比較してみたらどうかね。当時、われわれは数十万人もの民間人を殺害してしまった。」 

アレッポの街は現在二分されている。その東部は、アル・ヌスラ・フロントからのメンバーらも含めて、反政府武装勢力によって支配され、それ以外の地域は政府軍の支配下にある。

「東部で一般市民が殺害されていることは疑いの余地もない。西部でも多くの犠牲者が出ている。西部における犠牲者は故意に殺害されたものであり、一般市民として故意に標的にされたものだ。ところが、東部における犠牲者の場合は、たまたま交戦の現場に居合わせたことによる結果だ」と、ブラックは言う。

「アレッポの東部を支配している戦闘員らはサウジアラビアやトルコ、カタールおよび米国からの資金援助を受けている。これらの国々は反政府武装勢力に対して一般民間人を交戦現場から退去させるよう指示することができる筈だ」と、ブラックは確信している。ところが、それに代わって、「アレッポの東部を支配する連中は一般市民がその地域から立ち去ることを禁じて、一般市民を人間の楯として使っている。シリア政府軍やロシア軍は爆撃を行う際にとても慎重になることを彼らはよく知っているからだ」と、彼は言う。

・・・

そもそも中東における政権の転覆や政情の混乱は米国が十数年も前からエネルギー源を手中に収めようとして軍事展開をしてきたことによってもたらされたものだ。このことは誰もが認識している。戦争犯罪を論じたいならば、まずは数百万人の犠牲者を出したイラク戦争の立案者や遂行者を糾弾するべきである。

ところが、上記に示すように、新冷戦における外交の現場では「戦争犯罪」という言葉がかくも見事に歪曲されて用いられているのだ。

私は唖然としてしまった。上記のような内容を読んだら、皆さんの多くもそう思うに違いない。


♞  ♞  ♞

本日は戦争犯罪という言葉の定義を再確認し、国際政治の場ではどのような議論が行われているのかに関して確めてみたいと思う次第だ。

机上の空論を避けて、現実の状況に基づいて議論をしようと思うならば、好むと好まざるとにかかわらず、米国政府が戦争犯罪についてどう認識しているかがことさらに重要な要素となってくる。

国際刑事裁判所(ICC)に関する「ローマ規定」は拷問や虐殺、戦争犯罪、あるいは、人道に対する犯罪を犯した個人を起訴するために恒久的な裁判所を設置するとしている。この裁判所は国家間の紛争を裁こうとするものではない。このICC2002年に設置された。201634日現在、米国を除いて、124ヶ国がローマ規定の締約国となっている。日本は2007年に加盟した。
ICCに関する米国内の意見は「加盟するべきだ」という意見と「加盟するべきではない」という意見とに二分されている。

そもそも米国政府は国際政治の舞台では人権の尊重を声高に主張してきた国である。天安門事件における中国政府に対する米国の批判はその好例だ。こうした事例は山ほどもある。よりによって、その米国が人権を尊重するために設立される国際刑事裁判所に反対したのである。何故だろうか?

まず、加盟するべきではないという論拠を確認してみよう。「米国はローマ規定を批准しなければならない」と題した論文 [2] からその一部を下記に抜粋してみる(斜体で示す)。

米国は、クリントン政権がホワイトハウスを去る直前、つまり、200012月の期限が到来する直前にICC に署名した。これは裁判所の運営に参画することができる締約国としての立場を確保しておくためのものだった。しかしながら、20025月、ブッシュ政権はこのローマ規定への署名を白紙に戻した。中心的な要因は合憲性(つまり、米国民が適正な法の裁きを受けられるかどうかという点)や主権の侵害、国連安保理の役割、政治的な理由から米市民が起訴されるのではないかという懸念、等にあった。

しかも、米国の市民がハーグの国際刑事裁判所に拘留された暁には米国は軍事力を使ってでも救出するとの脅しをかけたのである。米国人をICCへ引き渡すことがないようにするために、米国は多くの国に対して二国間での合意書へ署名するようにと迫った。しかしながら、この米国の動きは不人気で、多くの国々がこれに反対した。

次に、ICCへの加盟の肯定論を見ると、ICC は一国の憲法と競合するものではく、その国の裁判所が訴追出来ない、あるいは、訴追しようとはしない場合においてのみ、その国の憲法を補完する役割を担うものであると主張する。

詳しく調べてみると、米国の懸念は人権に関する一方向的なモデルを反映したものであることが分かる。つまり、告訴の対象が米市民ではない場合についてのみ告訴を行うというモデルであるならば、米国はそれを支持するというのだ。 

・・・

要するに、米国にとっては「国際法」とは米国が自ら準拠する法律ではなく、その他諸々の国だけが従わなければならない法律なのである。この論拠の根底には米国のネオコン政治家や軍人らが好んで使う米国の「例外主義」の思想が流れている。

誰もが気付いているように、米国が議論の場で「国際社会」を持ち出す時、それは米国およびその同盟国を含む国々を指すものだ。それ以外の国々はそこには入らない。ところが、「国際法」の順守を論じる時には、米国自身はそれに準拠するのではなく、米国以外の国々は準拠しなければならないのである。厳密に議論すると、論理の破綻が起こることは明らかである。しかしながら、米国が自国の覇権を維持するためには非常に都合のよい言葉なのであろう。

言うまでもなく、「国際社会」と「国際法」というふたつの言葉は米国の二重基準振りや偽善性を明確に示す言葉に他ならない。


♞  ♞  ♞

前置きが長くなってしまったが、「戦争犯罪」に関しては米国政府の中枢がいったい何を考えているのかを知ることが非常に重要だ。

その意味から、ベトナム戦争が拡大する一方であった頃には毎日のように国際ニュースにその名前が登場していたマクナマラ元米国防長官の言葉を確認しておきたいと思う。

ウィキぺディアによると、マクナマラ元米国防長官は「陸軍時代には、東京大空襲をはじめとする日本の諸都市への一連の無差別爆撃に対する倫理性に関しては、上官であるカーティス・ルメイに抗議しており、後の映画などのインタビューでも後悔の念を語っている・・・」とのこと。

ここに掲載する彼の考えはベトナム戦争が終わってすでに何年も経ってからのものではあるが、彼の持論によると、「戦争にはルールが必要だ」という [3]

この言葉はネオコン連中の際限のない軍事活動を見せつけられてきた私には非常に新鮮に感じられた。もちろん、これが米国政府中枢を代表する見方であるとする保証は何もない。しかしながら、国防長官を務めたことがある人物が発した言葉であり、米国の好戦的な風潮とは違って、理性的、かつ、倫理性が高い言葉であるという事実に注目すると、その潜在的重要性は非常に大きいと考える。

本日はこの記事を仮訳して、読者の皆さんと共有したいと思う。


<引用開始>

194539日の夜、 第21爆撃軍団のB29爆撃機の乗組員らが東京に対する最初の夜間空襲作戦から戻ってきた時、カーティス・ルメイ将軍はグアム島の自分の事務所で彼らを待ち受けていた。当時、私はワシントンの空軍本部からの臨時の用があってグアム島に来ていた。ルメイ将軍からはその夜行われる任務遂行報告会には私も出席するようにとの指示を受けた。

ルメイは噂の通りタフな人物であった。彼はどう見ても厳しい人物であって、私は第二次世界大戦中には陸軍航空部隊に3年間にわたって勤務をしていたが、その間に私が接触したことがある指揮官の間では彼はもっとも有能な人物であった。

あの夜、334機のB29爆撃機を発進させ、彼の言葉を借りて言えば、米軍側の損失を最小に押さえながらも相手には最大限の破壊をもたらしたのである。第二次世界大戦はすでに最終章を迎えており、日本の無条件降伏を促すために米国は最後の壊滅的な攻撃を開始していた。

あの一晩だけで、ルメイの爆撃部隊は83,793人もの日本人市民を焼死させ、40,918人に負傷を負わせた。爆撃機は焼夷弾を投下し、過去の事例に比べて遥かに低空を飛んだ。つまり、より正確な爆撃を行い、その破壊力は非常に大きかった。

1937年に日本を訪問した際には私は東京の街を見聞したが、東京の大きな部分が廃墟と化したのである。東京は木造家屋の街であったことから、焼夷弾によってマッチのようによく燃えた。

あの夜の空襲は67回実施された一連の空襲の最初のものであった。毎夜の如く、その後さらに66回にもわたって乗組員は日本の上空へと送り出されたのである。 

もちろん、毎晩83,000人もの犠牲者を出したわけではないが、数か月の期間で米軍の爆撃機は数多くの日本の都市に甚大な損害を与えた。90万人が死亡し、130万人が負傷し、日本の人口の半数は疎開しなければならなかった。

日本は壊滅的な打撃を被った。殺戮の程度は凄まじいものであった。「ラジオ東京」はこの空襲を紀元64年に起こったローマの大火災に喩えた。

ルメイにとってはあの空襲は当然の作戦であった。彼は自分の上官たちに「もし日本の残りの都市を焼き尽くせと言うのでしたら、私がやりましょう」と言った。(39日の空襲に関しては、これらの上官からは彼は何の命令も受け取ってはいなかった。) 

戦時におけるルメイの立場は明確であった。つまり、「戦いに行くならば、勝つために戦うんだ!」 

その後何年も経過してからでも、彼は次のように言ったとして伝えられている。「軍事力を行使するならば、圧倒的な軍事力を行使しなければならない。」 また、彼はこうも言った。「戦争はすべてが非道徳的だ。もしそのことが気になるようでは、あんたは立派な軍人であるとは言えない。」 
あれから60年も経った今日、当時のことを想い起こしている。冷戦時代においては、キューバでのミサイル危機も含めて、もっとも困難な時期に7年間にわたって国防長官を務めたが、彼の言葉には賛成できないと私は言わなければならない。

戦争は非道徳的であるかも知れないし、非道徳的ではないかも知れない。しかし、戦争は明確に定められたルールの範囲内で遂行するべきだ。

ルメイはもうひとつ別の事も言った。これは彼が私自身に向かって言ったことだ。「もしもわれわれがこの戦争に敗れるならば、われわれは戦争犯罪人として裁かれるだろう。」 

その点に関しては、彼は正しかったと私は思う。しかし、いったい何に基づいて自分が負けた場合には自分の行為が非道徳的であるとし、自分が勝った場合には自分の行為が非道徳的ではないとするのであろうか?

偉大なカトリックの思想家らによって(私はプロテスタントだ)、当初、解説されていた「正義の戦い」という理論においては、軍事力を適用するに際しては軍事力を適用しようとする理由に比例したものとするべきだとしている。検察官は一晩に83,000人もの市民を焼死させ、その後、さらに66回もの爆撃を繰り返すことがわれわれの戦争目的に見合ったものであるとは想定しないであろう。
http://articles.latimes.com/images/pixel.gif 
戦争は何時の日にか排除されるかも知れないが、近い将来に実現するとはとても思えない。しかし、戦争に伴う暴力や狂気の沙汰、ならびに、過剰さの一部については、われわれは排除することが可能であるし、排除しなければならないのである。

それこそが我が国が最近ハーグに設立されたICCに是非とも加盟しなければならない理由であるのだ。

クリントン大統領は大統領府を離れる直前、200012月の末日にこの条約に署名したが、20025月、米国はこの条約の締約国にはならないとブッシュ大統領が宣言した。

ブッシュ政権はこの裁判所は米国の軍人を根拠もなく、不当に訴追するような場になるのではないかと危惧している。また、多くの人たちがそれに同意を表明している。それはひとつの懸念を生ぜしめる要因ではあろうが、そのような場合には米市民を保護するべくさらなる交渉を行う一方で、われわれは速やかにこの裁判制度に加盟するべきだと私は考える。 

もしルメイが今も生きていたならば、私は気が変になったと思うかも知れない。彼は比例関係を保つなんて愚の骨頂だと言うだろう。敵を十分に殺害しなければ、それはもっと多くの自分たちの将兵を殺すことになる、と彼は言い張るだろう。

国内の紛争においても、国境を超えた二国間の紛争においても、政治家や軍人の行動の中でどのような行為は正当であり、どのような行為が間違っているのかを示す、国際的にも同意された法システムを人類は今直ぐにでも必要としているのだ、と私は思う。

われわれは国際的に承認され、明確に記述された法体系を必要としている。これはわれわれの議会や大統領がその内容を承知しているだけではなく、われわれのすべての軍人や一般市民もが紛争の場ではどのような行為が合法的であって、どのような行為が合法的ではないのかを十分にわきまえていなければならないからである。そして、われわれは間違いを犯した者を裁く裁判所を必要とする。

あなたの戦争目的のために一晩に83,000人もの市民を焼死させることが合法的であろうか?「枯れ葉剤」の使用は国際法の違反ではないのか(これは私が国防長官を務めていた時に起こった)?

これらの問い掛けは決定的に重要な意味を持っている。

答えを見つけるためにも、我が国は是非ともICCに関与する必要がある。

著者のプロフィール: ロバート・S・マクナマラはジョン・F・ケネディ大統領およびリンドン・B・ジョンソン大統領の下で国防長官を務めた。

<引用終了>


これで仮訳が終了した。

この記事の中で私がもっとも興味深く感じたのはルメイ将軍がマクナマラに語った言葉である。

彼は「もしもわれわれがこの戦争に敗れるならば、われわれは戦争犯罪人として裁かれるだろう」と言った。ルメイ将軍は単に有能な軍人であったばかりではなく、戦争が持つ非人間性については明確な自覚を持っていたことを示している。

そして、マクナマラ元米国防長官は戦争が持つ非人間性をさらに掘り下げようとした。

「いったい何に基づいて自分が負けた場合には自分の行為が非道徳的であるとし、自分が勝った場合には自分の行為が非道徳的ではないとするのであろうか?」と、問い掛けている。

これは非常に根源的な問い掛けである。この問い掛けが米国はICCへ参加しなければならないとする論拠を支える重要な役割を演じている。

ここで、冒頭に掲載した抜粋記事 [1] を想い起こしていただきたい。

戦争の現場ではどのような行為が合法的であり、どのような行為が合法的ではないのかに関して、全世界が同一の認識を持つことが必要であるとするマクナマラの言葉がここで一段と輝き始める。

新冷戦が深化する今日、特に米ロ間では同一の認識を持つ必要性が一段と高まる。国際政治の場で外交官たちの間に同一の認識がないからこそ、ケリー米国務長官やジョンソン英外相が記者会見で口にしたような言葉が出て来るのだと言える。

ここで引用した3個の記事を読んでみて、米国が2002年にローマ規定の批准を取りやめた背景にはその1年後に始まるイラク侵攻が強く影響していたのではないだろうかと思えた。イラク戦争では数多くの戦争犯罪が起こることは容易に予見されていたことだろう。たとえ一般市民の犠牲者を「巻き添え被害」という言葉で言いかえたとしても、戦争がもたらす非人間性には変わりがない。イラク戦争を準備していたペンタゴンにとってはICCへの加盟は大きな足枷になると考えたとしても不思議ではない。



参照:

1US and UK fire ‘war crimes’ accusations at Moscow as rebels shell Aleppo civilians: By RT, Oct/17/2016

2The United States’ Need to Ratify the Rome Statute: By Sydney McKenney, May/17/2013

3We Need Rules for War - History shows why U.S. should back the international court: By Robert S. McNamara, Los Angeles Times, Aug/03/2003








2016年10月20日木曜日

あるジャーナリストがスパイの目的で「RTドイツ」へ見習いとして潜入。しかし、彼は逆に大手メディアの方を疑い始めた



RT Russia Todayの略で、モスクワに本拠を置くニュース専門の放送局である。

ウィキペディアによると、「RT20051210日に開局。ロシア連邦政府が所有する実質国営メディアでもある。RTはアメリカで2番目の視聴者を持つ外国語ニュースチャンネルで、BBCニュースに次ぐ規模を誇る。拠点のモスクワだけでなくワシントンD.C.マイアミロサンゼルスロンドンパリニューデリーテルアビブに支局がある。」

アラビア語、スペイン語、英語、ロシア語、ドイツ語、フランス語で配信している。

2年ほど前の投稿で私は次のように書いた。

昨年の夏、世界はシリア危機に見舞われていた。あの頃だったと思う。私はロシアからの英語によるRTRussia Today)の報道内容はすごく新鮮で、ジャーナリスト精神がすこぶる旺盛だと感じていた・・・

これは2014122日に掲載した「ロシアのメディアはどうしてこんなに人気があるのか?それは西側のメディアが役に立たなくなったからだ」と題した投稿から抜粋したものだ。

ところで、3年前の記事 [1] にはRTが設立されたいきさつが紹介されている。その一部をここに抜粋してみよう(斜体で示す)。これはドイツのシュピーゲル・オンラインがRTの編集長を務めるマルガリータ・シモニアンに行ったインタビューを伝えたものだ。



Photo-1: RTの編集長、マルガリータ・シモニアン曰く、「われわれは今日まったく別の国になっており、以前とは違った気質を持っている。」 

マルガリータ・シモニアン、33歳、は衛星放送の国営ニュース社「RT」の編集長を務める。シュピーゲルとのインタビューで、「西側のジャーナリストはロシアを邪悪に満ちた侵略者として描写し勝ちですが、わたしたちの局は政府のプロパガンダを行うための局ではありません」と、彼女は強く主張する。

ロシアのウラジミール・プーチン大統領はCNN に対抗できるようにと、西側の視聴者を対象に衛星放送を行うニュース専門局「Russia Today」を設立した。このネットワークの設立の目的は「マスメディアにおけるアングロサクソンの寡占状態を打ち破る」ことにあり、ロシア政府はこの目標をすでに達成したようだ。外国からやってきた他の局に比較して、RTは米国の主要都市でより多くの視聴者を獲得している。

ワシントンでは、ドイツの「ドイチェ・ヴェレ」に比べて13倍もの視聴者がRT を選局する。英国人は合計で2百万人がRT の番組を観る。ユーチューブでは、モスクワに本拠を置くこのRT が大台の10億の視聴回数を記録し、世界でも初の達成となった。33歳のマルガリータ・シモニアン編集長はこの放送局をロシアにとってはある種のメディア防衛省であると位置付けている。

・・・

♞  ♞  ♞

視聴者の間ではRTの人気が結構高いだけに、西側諸国では警戒されているようだ。ロシアとの間で情報戦争が進行している今、西側のメディアにとっては手ごわい競争相手が現れたということに他ならない。

新冷戦の一部としての情報戦が深化している中、西側のメデイアは新たに設立されたRTドイツにスパイを放った。メディア合戦においては、あり得そうな話だ。RTドイツはいったいどんな仕事をしているのか、あわよくばプーチン大統領のプロパガンダ機関の真骨頂をすっぱ抜いてやろう、と試みたようである。

そんな内容の記事 [2] が最近現れた。情報戦争の真ただ中にある昨今をいみじくも反映した内容である。それだけに、非常に興味深く思った。

本日はこの記事を仮訳して、読者の皆さんと共有してみたい。


<引用開始>



Photo-2: © Evgeny Biyatov / スプートニク放送局

「プーチンのプロパガンダ放送局」をスパイしてやろうと、一人のドイツ人ジャーナリストがお忍びでRT ドイツに見習いとして応募した。しかしながら、事態は計画通りには進まなかった。たった二日後には、この男は逆に大手メディアの偏向振りに関して疑問を抱き始めたのである。さらには、自分自身の世界観についても。

ドイツの若者向けの雑誌「ネオン」はジャーナリストのマーチン・シラクをベルリンにあるRTドイツに送り込んだ。彼の任務は、彼の言葉を拝借して言えば、「ロシアの真実」はいったいどのようにして報道されているのかを探ることだった。 

「俺はスパイだ」と、シラクは認める。

彼が記した記事によると、彼がひどく興味を感じていたのは次の点であった。RT における毎日の仕事において、ドイツの大手メディアがRTを描写する際に頻繁に使う言葉、「プーチンのプロパガンダ放送局」とか「クレムリンのハイブリッド兵器」といった表現に代表されるような仕事振りを自分の目で確認することだった。

その任務を果たすために、シラクは見習いとして応募し、数週間にわたって「プーチンの兵卒」として皆と一緒に仕事をした。「あそこにはいったい何があると想像していたと思う?部屋の真ん中にはファックスが置いてあって、クレムリンからの指令をまさに一分ごとに受け取っていると思っていたんだ」と、彼は皮肉っぽく自問自答するかのように言った。

ところが、現実はえらく平凡な光景であった。この自称「スパイ」氏は友好的に付き合ってくれる同僚やコーヒー・サーバー周りでの雑談、あるいは、ドイツ語を完璧に操る編集長のことなどを話してくれた。この友好的な環境においては、シラクの偽装は予想外に脆いものであることが分かった。 

「あんたはひょっとしたらビルト紙からここへ送り込まれて来たスパイじゃないの、と思う事があるんだけど・・・」と、シラクが余りにも多くの質問をするので、RT ドイツの従業員のひとりが冗談交じりに言った。

自分の偽装振りを心配して、「スパイ」氏は教科書通りの動きをすることにした。しかし、予期しないことが起こった。

「今や自分自身がこれは真実だと見なすことについては俺自身が抵抗を感じ始めている」と、シラクは言う。「いったい誰が嘘をついていて、誰が本当のことを言っているのか?俺にはもう分からなくなってしまった。」 

「俺はここの新しい同僚たちのことを信頼しているよ。彼らとは会ってからまだ2-3日しか経ってはいないけど、ドイツの大手メディア全部を一緒にしたよりもずっと多く信頼している」と、彼は言う。

「ドイチェ・べレはドイツの納税者からの寄付金によって設立された国際放送局で、政治や文化ならびに経済に関してドイツ人の見方や他の国の見方を網羅しようとしている」と、彼の記事は続く。「これはロシアの立ち位置を皆に分かって貰うためにRTがやっていることとまったく同じじゃないか!」 



Photo-3: ロシアは「情報戦争」で勝利を収めている? それとも、本当の事を報道しているだけに過ぎないのか? 

「ロシアという巨大国家が俺にとってはたまたま外国だからと言って、俺はロシアの報道を軽率にもプロパガンダと呼んでいるのではないだろうか?」 
 
この難問を解くために、シラクはついに心理学者の応援を求めることにした。彼はコブレンツ・ランダウ大学の心理学の教授、マルクス・アッペルを訪問した。

「人は大多数の動きには従おうとはしない傾向がある」と、グループ内における人の挙動を調査したいくつもの科学的な実験を引用して、アッペル教授は言った。 

しかしながら、RTドイツがフェースブック上で行った世論調査のひとつの結果を確認してから、シラクはようやく自分が抱いていた疑問を乗り越えることができた。そして、大手メディアを支持する側に残ることにした。この世論調査によると、RT ドイツの視聴者の42パーセントがドイツの左派政党を支持し、17パーセントが移民に反対する大衆主義の政党である「ドイツのための選択肢」(AfD)を支持していることが分かった。

結果として、シラクはひとつの結論に達した。つまり、RT ドイツはドイツ社会における少数派集団のためにメディア・コンテンツを作成し、彼らが抗議する意識にぴったりした、あたかも「共鳴するような世界観」を彼らに提供しようとしているのだ。 

RT ドイツは共鳴するような世界観を描き、その世界観は視聴者の間ですでに形作られている意見を裏付けるものとなる」と、シラクは自分の記事に書いた。そして、それこそがRTの真の脅威」なのであるとも付け加えた。

その後、シラクは再度アッペル教授と話をした。同教授はこう言った。「人々は集団内では矛盾することがなく共鳴するような世界観に固執しがちであり、自分の世界観に一致しない事実は無視するか、軽視する傾向にある。」 

シラクの記事は「ネオン」紙の活字印刷の版にて発行された。

Photo-4: ドイツのメディア規制当局にとってはRT ドイツをこの国のチャンネルから追放する理由は見つからなかった。

大手放送局によるオンラインでのニュースや解説の提供に対して代替となるようなひとつの選択肢をドイツ人視聴者に与えるために、RTドイツは201411月にRTのドイツ語支局として開局された。この局が開局される前、3万人を超す市民たちがドイツ語によるチャンネルの開局を求めて、RTに対する陳情書に署名をしていた。

2015年には、RTドイツのユーチューブ・チャンネルは2千万回を超す視聴回数を記録し、登録視聴者数は44,000人となった。

このチャンネルは間もなくドイツの政治家による批判を招来し、その政治家はRTドイツの番組は一方に傾いており、「ロシア側の立ち位置に偏っている」と主張した。この主張はRTドイツの番組を放映した地方放送局に対して立ち入り検査を実施するまでに発展して行った。しかしながら、放送法の違反は何も発見されなかった。 

逆に、大手のドイツの放送局自体が持つロシアに対する偏見が暴露されるケースが数多くあった。20162月、人気の高いドイツの放送局である「ZDF」のウルフガング・ヘルレス博士は同ネットワークやドイツの同業他社は何を報道し、何を報道しないかに関して政府の指示を受けていた事実を認めたのである。 

ウクライナ危機の最中、非常に影響力が高いことで知られている「南ドイツ新聞」の対外政策部門のステファン・コルネリウスは数多くの報告において極端に一方的な態度を取ったことから、自分自身にスポットライトを当てることになった。

以前は「シュピーゲル」誌(ドイツではもっとも影響力がある政治関連の週刊誌)のジャーナリストを務めていたハラルド・シューマンは、あるインタビューで、自分が出版に従事していた頃、自分は情報操作されていたとの事実を述べ、ドイツには出版の自由が欠如しているとして批判した。

<引用終了>


「ミイラ捕りがミイラになった」みたいな話だが、これが現実の話であることから、この記事を一段と秀逸なものにしているのだとも言えよう。

また、ドイツのメディアでは名門とも言えるZDFや南ドイツ新聞およびシュピーゲル誌の偏向振りが明らかになったことが今後の業界の自浄作用に繋がってくれれば、いいことだと思う。表現の自由を確保し続ける上で大きな収穫になることだろう。

総論的に言うと、Photo-3のキャプションが非常に面白い。

ロシアは「情報戦争」で勝利を収めている? それとも、本当の事を報道しているだけに過ぎないのでは? 

私は後者の「本当の事を報道しているだけに過ぎない」という見方に現実味を感じる。たとえロシアが「情報戦争」で勝利を収めているとしても、それは本当の事を報道した結果でしかない。逆説的に言えば、この文言は西側のメディアがいかに腐敗し切っているかを物語っていることになる。

悪化するばかりの新冷戦の展開を見ていると、メディアの責任がいかに大きいかがよく分かる。相手に対する悪口の応酬が続く。嘘で固められた報道を繰り返すことによってメディアは相手の実像を見失ってしまう。そして、挙げ句の果てには自分自身さえをも見失う。そこでは、和解の糸口を見つけようとする道徳意識や客観性さえもが消えてしまう。プロパガンダ・マシーンのなれの果てである。

問題は、販売部数や視聴率を優先し、視聴者の関心を呼ぶことだけに専念するあまり、メディア自身が本来堅持しなければならない筈の社会的責任を認識し実践することを軽視する社風とか企業文化が挙げられよう。日本も含めて、これは間違いなく現在の商業メディアを巡る最大級の難問である。

言い古された言葉ではあろうが、洋の東西を問わず、もっと的確にバランス感覚を醸成することができないものだろうか?少なくとも、視聴者のひとりであるわれわれ自身が早急に、かつ、真剣に認識しなけれならない問題である。視聴者が明確に意識し始めれば、メディア自身も自分の非に気付くことだろう。視聴者の信頼なくしては、メディアの存在はあり得ない。




参照:

1Russia Today’s Editor-In-Chief:  ‘The West Never Got Over the Cold War Stereotype': By Spiegel Online International, Aug/13/2013

2Journalist poses as intern to spy on RT Deutsch… but turns into mainstream media doubter: By RT, Oct/11/2016