2019年12月27日金曜日

街頭には数多くのデモ参加者がいるのに、大手メディアは香港のデモだけに焦点を当てている


1220日に掲載した「ジャーナリストの言: ニューズウィークはOPCWのスキャンダルに関する私の記事を没にし、告訴を仄めかして私を脅迫しようとした」と題する投稿では、私は大手商業メディアが真実の情報を無視し、ディープステーツの筋書きに沿って偏った情報を流すことによって一般庶民を洗脳しようとしている一例をご紹介した。そこでは国連の下部機関である化学兵器禁止機関(OPCW)の上層部も米国の意向に応じるために情報操作に不当に行っていたことが内部告発によって判明した。これはOPCWを巡る大きなスキャンダルに発展した。
そもそも、OPCWは化学兵器の製造や使用および貯蔵に関して専門家としての調査を行い、第三者の立場から客観的な意見を述べることが基本原則であった。それにもかかわらず、OPCWのお偉方は恥も外聞もなく前回の投稿で紹介されているような不祥事を引き起こした。

地政学的な分断を推し進め、一般大衆を洗脳しようとするこうした風潮についてはその深層をできるだけ多く学んでおく必要がある。素人ながらも、国際政治をまともに理解したいからだ。世界中の一般大衆の国際政治に関する理解の深さ(もっと辛辣に言えば、浅さ)やその方向性を牛耳ろうとする大手メディアの思惑や「新聞が売れればいい」とか、「テレビの視聴者が増えればいい」といったその場凌ぎの商業主義には注意深く監視し、不祥事が起こった場合は変革を求めなければならない。

ここに「街頭には数多くのデモ参加者がいるのに、大手メディアは香港のデモだけに焦点を当てている」と題された記事がある(注1)。ハイチとかペルー、エクアドルでは数多くのデモ参加者が街頭を埋め尽くした。しかも、死者さえもが出た。ところが、香港では取締り当局の暴力による犠牲者はゼロである。
本日はこの記事を仮訳して、読者の皆さんと共有したいと思う。香港デモを巡る西側大手メディアの問題点をおさらいしておこう。



<引用開始>

Photo-1: 火炎瓶を持った香港のデモ参加者を報じるニューヨークタイムズに掲載された写真(11/17/19)  

Photo-2: 米国に依存する国家における反政府デモとは違って、香港の反政府デモの参加者については「民主主義を求める」という形容詞が頻繁に使われた。(CNN8/30/19の記事)。

2019年は反政府行動の年として記憶されるかも知れない。デモの参加者が世界を満たしたからだ。フランスにおける「黄色いベスト」運動から始まって、レバノンやガザ、チリ、エクアドルおよびハイチに至るまで、変革を求める抗議運動が世界中の街路を埋め尽くした。しかしながら、米国の企業メディアは不釣り合いにも香港におけるデモだけに興味を示した。

先にFAIRが論じたように(FAIR.org, 10/26/19)、大手メディアの報道におけるこの不均衡はいったい誰が抗議をしているのか、そして、何について抗議をしているのかを理解することによってほとんど説明がつきそうである。香港における抗議行動は香港と中国本国政府および台湾との間における送還条約が提言された3月に起こった。この条約については数多くの香港市民が懸念を抱き、北京の権力者が中国政府に反対する市民を逮捕し、起訴するのではないかという恐れを感じた。ところで、香港における抗議行動の対象となったのは米国が公言するところの敵国である。このことから、この反政府運動は広がりを見せ、好感をもって迎えられた。
FAIRは世界における四つの重要な抗議行動に関してニューヨークタイムズとCNNの報道に関して調査を行った。つまり、香港、エクアドル、ハイチおよびチリの四カ国について調査を行った。新聞やテレビ報道においてもっとも重要なテーマは何か、何をニュースとして取り上げるべきかの判断に対する影響力や名声をベースに、これらのメディア企業が選ばれた。サンプリングされたすべての記事へのリンクを含め、すべての情報が文書化され、それらはこちらでアクセスが可能だ。これら二社のウェブサイトにて「country+protests」で検出可能な各抗議行動に関する記事のすべてをその初日から収録した。ただし、明らかに再掲載であると判断されるものは除外した。香港デモの初日は315日、エクアドルのデモは103日、チリは1014日、ハイチは201877日だ。本調査の最終日は20191122日。

Photo-3: ニューヨークタイムズとCNNによる反政府デモに関する記事。20191122日までの記事を収録。
二社の合計では香港の抗議デモは737件、エクアドルは12件、ハイチは28件、チリは36件を数えた。グラフに見られるように、タイムズとCNNの各社の報道割合はほぼ同様のパターンを示している。

Photo-4: エクアドルでは8人もの犠牲者が出たにもかかわらず、CNNはエクアドルにおける反政府デモに関しては二つの記事を報じただけである。
このような驚くほどに大きな不均衡は他の要因、たとえば、デモの規模とか重要性によって説明することは不可能で、警備当局が行った取り締りの程度によっても説明することはできない。たった一週間の混乱の後、政府の人権擁護局によるとエクアドルでは死者数が8人にもなった。その一方、ハイチでは42人の犠牲者が出たと国連が報じている。右翼系のセバスチャン・ピニラ大統領が市民に対して文字通りの宣戦布告をしたチリでは街頭に戦車が配備され26人が死亡26,000人以上逮捕された。これとは対照的に、香港ではひとりが建物から落下して死亡さらには、70歳の老人がデモ参加者が投じたレンガに当たって死亡したけれども(これらの事故はデモが何カ月も続いた後の11月の出来事だ)、警備当局の暴力によるデモ参加者の犠牲者はゼロである。

もちろん、チリやエクアドルでのデモは香港のデモよりも遥か後になってから始まったので、記事の総数を直接比較することは賢明ではないだろう。しかしながら、そのことを配慮したとしても、不釣り合いの程度は依然として非常に大きい。エクアドルのデモが最高潮に達した期間(10314日)にニューヨークタイムズが報じた記事の数は6件で、CNN3件。これは同期間に香港について流された記事の数が33件と38件であった事実とは好対照をなすものだと言える。チリでのデモが始まって(1014日)からタイムズが報じた記事の数は14件で、CNN22件。これらの二社がその期間に香港について報じた記事の数はそれぞれ59件と92件にもなる。
ところで、ハイチにおけるデモは香港のデモよりも2倍もの長い期間続いていたが、このカリブ海の島国において多数の死者を出した反政府デモについての報道は香港のそれと比べると遥かに少なく、香港のデモに対してはハイチのそれに比べて50倍も多くの関心が寄せられた。

数値的にはその違いが非常に大きいにもかかわらず、実際には報道の不均衡はさまざまな形で控えめに扱われている。第一に、数多くのエクアドルやチリに関する記事はそれらの国における個々の出来事に焦点を当てたものではなく、単に「世界における反政府行動」という十把一絡げの記事であって、それぞれの出来事についてはたったひとつかふたつの文章で報じられるだけに終っている(たとえば、ニューヨークタイムズの10/23/19の記事 CNN11/3/19の記事)。事実、エクアドルで起こった出来事のみに関する記事としてCNNが流した記事は全部で2本だけだ(10/8/1910/13/19)。これとは対照的に、香港に関する記事のほとんどは島国の都市国家で起こった出来事のみに集中され、抗議行動については報じてはいないけれどもアジアの株式市場の下落について報じた記事、すなわち、CNNの報告(11/13/19)は香港に関する記事の総数には含められてはいない。ところで、CNNのハイチに関する記事の半数(すなわち、2/16/19の記事2/18/19の記事)はこの騒乱によって何らかの影響を被った米国市民に関するものである。

Photo-5: チリにおける反政府デモの参加者は「民主主義を求める」デモ参加者としてではなく、「暴力的な暴徒」として形容された。ニューヨークタイムズの10/19/19の記事
香港のデモ参加者はほとんど何処でも「民主化を求めるデモ参加者」として形容され(たとえば、CNN8/30/19の記事10/15/19の記事、あるいは、ニューヨークタイムズの10/15/19の記事11/21/19の記事)、チリを揺り動かした反政府デモの参加者は「反乱者」として(たとえば、CNN10/19/19の記事)、あるいは、「略奪者や放火犯」として記述された(ニューヨークタイムズの10/19/19の記事)。これと同様に、エクアドルの反政府デモの参加者による暴力は決まって誇大化されて報じられた(たとえば、 ニューヨークタイムズの10/9/19の記事CNN10/8/19の記事)。「労働組合や輸送労組の憤怒」と題するCNNの記事(10/9/19)はわれわれにこう伝えた。つまり、彼らの憤怒は「解き放たれ」、キトーでは「暴力的な抗議デモが猛威を振るい」、デモ参加者らは兵士を人質にした・・・と。

香港のデモ参加者については、たとえこれらの文言を適用することがほぼ間違いなく可能であったとしても、こういった文言が使われることは稀であった。そこいら中で起こった物的損害や、前述のように、投げられたレンガに当たって年金生活者が死亡したことに加えて、最近、デモ参加者らはもう一人の年配者に可燃性の液体を浴びせ、彼に火を放った。これは撮影されていた。彼は10日間以上も昏睡状態のままであった。
デモ参加者が矢を放ち、これが警察官の脚を突き通す出来事があったが、ニューヨークタイムズは(11/17/19の記事)これを受動態を用いて報道した。つまり、「デモ参加者を抑圧する」ための警察の猛攻に対して「活動家らが抵抗」したことにより、「警察官は脚を矢で射られた」 と、同紙は報じている。また、タイムズのリポーターはデモ参加者らが自分たちが使う「何百個、何千個もの爆弾」を作っているところを見て、その様子を報じた。それにもかかわらず、同紙は武装したデモ参加者を依然として「民主化を求める活動家」と形容し続けた。(訳注:英語表現における受動態には能動態に比べて内容をぼやかす効果があるということを念頭に置いてください。つまり、ここではニューヨークタイムズはデモ参加者に対する批判の程度を和らげる効果を期待したと言えそう。)

多分もっとも心配となるのはCNNの記事(11/17/19)であろう。掲載された映像は手作りのガスボンベのサイズの爆発物であって、かなり大きいことを除けば、これはボストンマラソンでジョハル・ツルナエフが使った爆弾とよく似ている。また、CNNはデモ参加者がすでに警察に対してこれらの爆弾を用いたという情報を受け取ったと述べている。仮に「ブラック・ライブズ・マター」や「アンティファ」が通行人を殺害し、警官を殺害し、あるいは、ツルナエフが使ったような爆弾を作ったとしても、CNN(11/22/19の記事)やニューヨークタイムズ(11/22/19の記事)の両社は、香港のデモ参加者らをそう形容して来たように、彼らを依然として「民主化を求めるデモ参加者」と形容するのであろうか?
企業メディアは香港の反政府デモの詳細については多くの詳細を隠してきた。そうすることによってデモ参加者を「民主化を求める香港市民」として大袈裟に賛美し、北京の「共産主義の支配者」と闘っているとするニューヨークタイムズの論説室が描写する非常に単純な筋書き(6/10/19の記事)を彼らは後生大事に維持し続けてきたのである。

香港に関する記事の量は意見の多様性とは反比例する。現実が示す状況は遥かにさまざまなニュアンスを持っている。しかしながら、これらのニュアンスはサンプリングした何百にも上る記事からは欠落している。香港に関しては企業メディア各社はまったく同一の歌を唄い、皆が歩調を合わせ、一心不乱になっている状況を示している。いかなる専制君主的なプロパガンダ体制にとってもこの状況は実に印象的に映るのではないだろうか。
調査活動支援: Matthew Kimball

<引用終了>



これで全文の仮訳が終了した。

すべては非常に明瞭である。この引用記事は香港における反政府デモに関する米国内の具体的な報道を取り上げて、ニューヨークタイムズやCNNがどうやって一般読者を洗脳しようとしてきたのかを具体的に述べている。恣意的に一般大衆を洗脳しようとする姿勢は長く継続され、ありとあらゆる機会が動員される。その結果、米国内の一般庶民の世界観は大手メディアが伝える報道や解説がすべてであるかのように形作られる。

そして、ヨーロッパや日本でもまったく同一内容の報道が繰り返される。なぜならば、世界中の新聞社はほとんどが三つの国際的な通信社(米国のAP、英国のロイター、フランスのAFP)が流すニュースに全面的に依存し、個々のメディアが独自の調査報道を行うことはほとんどないからだ。

好むと好まざるとにかかわらず、本投稿を1220日に当ブログで掲載した「ジャーナリストの言:ニューズウィークはOPCWのスキャンダルに関する私の記事を没にし、告訴を仄めかして私を脅迫しようとした」と併せて読んでいただくと、大手メディアが行っている情報操作の現状を非常に明瞭に理解できるのではないかと思う次第だ。



参照:

1With People in the Streets Worldwide, Media Focus Uniquely on Hong Kong: By Alan MacLeod, Dec/06/2019






2019年12月20日金曜日

ジャーナリストの言: 「ニューズウィークはOPCWのスキャンダルに関する私の記事を没にし、告訴を仄めかして私を脅迫しようとした」


ダマスカス近郊にあるドーマ市における化学兵器攻撃を巡っては過去の1年半余りの間にさまざまな情報が駆け巡った。つまり、でっち上げ情報と真実を伝える情報との二種類だ。熾烈な情報戦争がシリア政府を倒したい西側とシリア政府を後押しシリアの政情安定を図っているロシアとの間に起こったのである。

昨年(2018年)の47日、シリアのドーマでは化学兵器攻撃が行われ、市民がパニック状態に陥っているとする動画がソーシャルメディア上でホワイトヘルメットの手によって流布された。その1週間後(414日)、証拠は十分に揃っているとして、米英仏はこの化学兵器攻撃を行ったとされるシリア政府を制裁するためにシリアに対する空爆を挙行した。

この201847日のドーマにおいて起こったとされる化学兵器攻撃に関してドーマの住民が詳しい証言を行ったことを読者の皆さんはご存知であろうか。

OPCW(化学兵器禁止機関)に駐在するシリアとロシアの代表はドーマから17人の目撃者をオランダのハーグに本拠を置くOPCWに送り込んだ。OPCW側は11歳の少年ハサン・ディアブや病院の従業員を含む6人を選び、彼らの証言を聴取した。

ここで、念のために、彼らの証言を簡単に復習しておこうと思う。西側の商業メディアはこの証言について必ずしも正確に報道してはいないと思われるからだ。ドーマからやって来た証言者らはOPCWでの証言の後に行われた記者会見で次のように語った:

場所:オランダのハーグに本拠を置くOPCWのオフィス
時: 2018426
証言者: 11歳の少年ハサン・ディアブや病院の従業員らを含む6
証言内容の概略: この記者会見の模様を伝えるRTの記事は「攻撃はなかった。犠牲者も出なかった。化学兵器は使われなかった - ハーグのOPCWでの記者会見でドーマからの目撃者らが語る」と題して、詳細を報じている(注1)。

要するに、47日にドーマで化学兵器攻撃があったというのはでっち上げであった。定石どおりにこのシリア空爆で「いったい誰が得をするのか」と問うてみると、その背景には米国の軍産複合体が現れて来る。彼らはどうしてもシリア空爆を行い、ミサイルを大量に消費し、新たに発注をして貰いたかったのである。そのためには、あらゆる手段を動員して、化学兵器攻撃が行われたとうそぶく必要があったのだ。その筋書きの第一歩はホワイトヘルメットによる動画の作成であり、それをソーシャルネットワークに掲載することであり、周りから援護射撃の役を演じたのは国連の下部機関であるOPCWであった。さらにその遥か外側からは西側の大手メディアが大挙してこの情報操作のお祭り騒ぎに加わった。

ここに「ジャーナリストの言: ニューズウィークはOPCWのスキャンダルに関する私の記事を没にし、告訴を仄めかして私を脅迫しようとした」と題された最近の記事がある(注2)。

本日はこの記事(注2)を仮訳し、読者の皆さんと共有したいと思う。

OPCWの上層部は米国政府の意向を忖度して、OPCW内部の現地調査団が報告した報告書を改ざんし、それを公式の報告書として公表した。しかしながら、この記事に詳述されているように、このOPCW上層部の破廉恥な行為は内部告発によって暴かれたのである。

OPCWにおけるこのスキャンダルを報道しようとしたニューズウィークのある記者は自分が書いた記事が編集者によって取り上げては貰えなかったことから辞職した。そして、その事実が暴露されたのである。今、真実を伝えようとするジャーナリストは厳しい環境に置かれている。ウィキリークスのジュリアン・アサンジにしても、このニューズウィークの記者にしても、これらのジャーナリストは情報操作をブルドーザの如くゴリ押しする国家や商業メディアの犠牲者であると言えよう。

<引用開始>

より大きな問題になりつつあるOPCWのスキャンダルを報じようとした自分の記事が、既報の如く、自分が勤める雑誌社によって没にされた後、ニューズウィークのそのジャーナリストは辞職した。非常に意味深な陰謀が暴露された事実は支配者層のシリアに関する筋書きの中に隠されており、読者の皆さんはこの7分だけの短い動画を見て、あるいは、こちらのもっと詳細な動画を見て、ご自分の理解を深めることが可能だ。

「リークされたOPCWの手紙について非常にニュース性の高い新事実を報じようとした私の試みがニューズウィークによって没にされた後、私は、昨日、ニューズウィークから退社した」とジャーナリストのタレク・ハッダードが本日ツイッター報告した。

「米国政府にとっては不都合となる情報が排除されることになった他の案件に関する証拠に加えて、私は、それらの情報が真実であったにもかかわらず、彼らがどのようにして私の記事を没にしたのかについての証拠を収集した」と、ハッダードは言う。「私は近い内にこれらの詳細情報を公開する積りだ。しかしながら、これはジャーナリストとしての慣習であるのだが、私は編集者にコメントを求めた。編集者からは私の契約書に記載されているように機密の保持を遵守せよという電子メールを受け取った。つまり、そうしなければ告訴するとの脅しを受けた。」

ハッダードはさらにこう付け加えた目下、彼は弁護士の支援を求め、内部告発に対する支援の可能性を模索しており、少なくとも自分が持っている情報は公開する積りであると言った。しかしながら、そうする場合、以前の雇用者によって自分が反撃に曝されることにつながるような情報は伏せざるを得ないとも言った。

「私は沈黙をし、自分の働き場所を確保することは可能であったが、自分の良心に傷をつけずにそうすることはできなかった」とハッダードは言った。「私にとっては、当面、不安定な状況が続くけれども、真実はもっともっと大事なんだ。」 

これは先日私が書いたOPCWのスキャンダルに関しては沈黙しようと決め込んでいる大手メディアの共謀論に関して内部から直接伝えたものとしては初めての報告であった。他のメディア企業の編集室では、告訴といった法的な脅かしも含めて、勇気もなく、退社するだけの器量もなく、公表することもできない従業員を相手にしていったいどれだけ多くの企業がこれとまったく同様な抑圧を加えているのであろうか? ハッダードが編集者から受けた抑圧は唯一の事例であると論理的に言い切れる理由は何もない。つまり、彼が編集者からの圧力を受け、そのことを暴露したのは彼だけに留まるとはとても言い切れないのである。

ニューズウィーク誌は長い間米国を中心とする大帝国の番犬を務め、そのために闘う闘犬でもあった。一例を挙げれば、こんな具合だ。同社の編集者は、この記事も含めて、実際には現職の軍事諜報オフィサーによって書かれた記事の出版を許した。その記事は米国政府がジュリアン・アサンジを訴追したことはいいことであると説明し、丹念に化粧を施したホワイトヘルメットに関する記事タルシ・ガッバードを中傷する卑劣な記事を褒めたたえてさえもいる。このメディア企業は、時には、反政府的な記事を掲載することもある。一例を挙げると、イアン・ウィルキーの記事で支配層が抱くシリアの筋書きを問いした記事であるのだが、その後すぐにも方向転換をして、エリオット・ヒギンスによるウィルキーの記事に対する攻撃を掲載した。ヒギンスは以前はアトランチック・カウンセルのフェローであり、彼はNED(米国民主主義基金)が資金を提供し、帝国の筋書きをあれこれと運営する企業である「べリングキャット」の共同設立者でもある。また、ニューズウィークは最近OPCWのスキャンダルを放映したタッカー・カールセンを攻撃する記事を出版し、奇しくも、その批判は私がその出版後に直ちに間違いを指摘した例のべリングキャットからのでっち上げ記事に基づいていたのである。

情報を流さないことによるフェークニュースの存在は至る所で見られるプロパガンダの戦術ではあるが、この戦術は一般大衆の世界観を大きく歪曲してしまう。その影響は連日でっち上げの記事を流し続けるのと同じ程度に甚大である。ただし、でっち上げ記事が出版された場合、彼らが嘘の記事を流したという事実を指摘することは遥かに容易であって、彼らの責任を追及し、彼らの信用を失墜させることは可能だ。

アラン・マックライドによるFAIRに掲載された最近の記事は、(香港での)デモ参加者の間には警備陣の暴力による死者は一人も出てはいないにもかかわらず、また、そればかりではなく、帝国に歩調を合わせている国々、たとえば、ハイチやチリ、エクアドルでは大規模なデモ集団が酷い暴力に曝されているにもかかわらず、如何にして香港のデモだけがメディアの前面へ押し出され、大手メディアの意識のど真ん中に据えられたのかをまざまざと描写している。これらの国々で起こったデモはそのメディア企業によってほとんど完全に無視されたのである。この徹底した情報の無視は大手メディアのニュースだけを聴取する一般大衆の世界観を歪め、一般大衆は反政府デモは米国を中心とした権力同盟の圏外にある国々においてのみ起こっているのだと勘違いする始末だ。ドナルド・トランプは「ロシアに優しい」という筋書きをマスメディアが後押しその一方では、それとはまったく別の方向を示す証拠が山のように存在するにもかかわらず、彼らはそういった情報に関しては沈黙し続ける姿が観察される。われわれはこれとまったく同種で、情報の無視によって一般大衆の世界観を徹底して歪曲させようとする態度を、今、目にしているのだ。

今は誰もがOPCWのスキャンダルについてドラムを鳴らす時である。なぜならば、さまざまな兆候が指し示すところによれば、リークの大洪水によって引き起こされたこの組織の出血は大きくなるばかりである。ところが、大手メディアにおけるプロパガンダの専門家らはそのことは報じようとしない。したがって、もしもより大きな代替メディアが大手メディアと一緒に見られ、その信用が失墜してしまうことは何としてでも避けたいと思うならば、このことについて今議論を始めることが肝要だ。沈黙を守ろうとするメディアはどの企業にとってもますます居心地が悪くなって行くであろう。一方、本件について発言をする企業の存在価値はますます高まって行く。

著者のプロフィール: ケイトリンの記事は全面的に読者の皆さんからの支援に依存しています。もしもこの記事にご興味を感じたならば、周囲の方々とこの記事をシェアーしていただきたい。フェースブック上では彼女に「いいね」のクリックをし、ツイッターで彼女の行動を追跡し、ポッドキャストを確認し、パトレオンまたはペイパルで彼女の帽子にいくらかのお金を投げ入れていただきたい。あるいは、彼女の書籍(Woke: A Field Guide for Utopia Preppers)を購入していただきたい。(https://caitlinjohnstone.com

注: この記事に記述されている見解は全面的に著者のものであって、必ずしもInformation Clearing Houseの意見を反映するものではありません。

<引用終了>

これで全文の仮訳が終了した。

この引用記事の本命はOPCWのお偉方と実際にシリアのドーマで調査を行った技術スタッフとの間で行われた真理を巡る闘いである。この内部抗争は内部告発によって公にされた。OPCWの指導層にとっては非常に不都合なスキャンダルとなった。

OPCWのスキャンダルを報告しようとしたニューズウィークの記者も編集者から圧力をかけられ、彼が書いた記事は没となった。不幸なことには、商業メディアの現場ではジャーナリズムの神髄を無視してまでも政府の意向に従おうとする場面が方々で観察される。

「戦争においては真実が最初の犠牲者となる」と言われる。まさに、今、それが繰り返されているのだ。

このような構図はシリア紛争が報道され始めた当初から8年間にもわたって観察されてきたことである。しかしながら、われわれ一般庶民がシリア紛争の実情や深層を具体的に理解し始めたのはそれほど古い訳ではなく、比較的最近の事だ。

ところで、OPCWでいったい何が起こったのかに関しては今年の523日に掲載したリークされた化学兵器禁止機関の内部メモによる ... - 芳ちゃんのブログyocchan31.blogspot.com/2019/05/blog-post_23.htmlをご参照ください。



参照:

1No attack, no victims, no chem weapons: Douma witnesses speak at OPCW briefing at The Hague (VIDEO)By RT, Apr/26/2018, https://on.rt.com/9448

2 Journalist: Newsweek Suppressed OPCW Scandal And Threatened Me With Legal Action: By Caitlin Johnstone, Information Clearing House, Dec/09/2019










2019年12月14日土曜日

米大統領の弾劾プロセスにおける証言者らの妄想はより大きな課題を示唆


米国では今トランプ大統領に対する弾劾プロセスが進行している。下院司法委員会では公聴会が開始され、証言が始まった。インターネットの動画サイトにはさまざまなビデオクリップが掲載されているので、証言の様子を観察することができる。

私がこの弾劾プロセスでもっとも不思議に思うのは民主党側自体が「これは法的なプロセスではなく、政治的なプロセスである」と言っている点である。つまり、トランプ大統領が何らかの法律を破ったが故に弾劾されているということではないのだ。たとえトランプ大統領が何かを仕出かしたとしても、それは微罪に過ぎないのだ。つまり、すべてが来年11月の大統領選を意識したものであって、これはテレビ画面上で公聴会でのやり取りを全国規模で放映することによって支持票を集めようとする民主党の政治ショウであると言えよう。しかしながら、そのショウが間違いなくいい結果を招くのかと言うと、それは予断を許さないと思う。

ここに「米大統領の弾劾プロセスにおける証言者らの妄想はより大きな課題を示唆」と題された記事がある(注1)。

本日はこの記事を仮訳して、読者の皆さんと共有したいと思う。トランプ大統領に対する弾劾プロセスの深層を少しでも多く理解しておきたいと思う次第だ。


<引用開始>

昨日(124日)の米下院司法委員会における弾劾公聴会で民主党の証言者のひとりは正気の沙汰とは思えないような証言をした。スタンフォード大学の法学部教授であるパメラ・カーランは、まず、世界における米国の役割に関してネオコンが抱いている妄想にすっかり巻き込まれていることを自ら証明した。つまり、彼女はこう言った

米国は、ジェフェリー氏が言ったように、単に「最良の希望としての最後の国家」であるばかりではなく、「丘の上に輝く町」でもある。もしもわれわれが自国で民主主義を実践できないならば、われわれが世界中で民主主義を推進することは不可能だ。

ボリビアや他の国の人たちが正確に証言することができるように、米国は民主主義を推進してはいない。米国は方々で右翼政権を樹立し、詐欺師のような資本主義を推進しようとする。米国自身は民主主義国家ではなく、ハーバード大学の研究からも分かっているように、寡頭政治を実践している国家である: 

ビジネス上の関心を抱く経済エリートや組織団体は米政府の政策に対して強力で独自の影響力を与え得る。その一方で、平均的な市民や一般大衆を母体とする市民団体はほんの僅かしか独自の影響力を与えることができない。もしくは、ゼロである。

とは言え、偽物の愛国的なプロパガンダやたわ言よりももっと性質が悪いのはウクライナやロシアに関して彼女注釈した内容だ: 

選挙を防護し、ウクライナが間違いなく強国で、ロシアと戦うことが出来るようにし、われわれが米国内でロシア人と闘うことがないようにすることはわれわれの国益である。そればかりではなく、民主主義を世界中で推し進めることはわれわれの国益でもある。

彼女が言ったことは冗談ではなかった。この動画を見ると、間違いなく彼女はこのたわ言を信じ切っているようだ。


Photo-1

一例を挙げると、ウクライナは「ロシア」と戦っている訳ではない。米政府が憲法に違反するマイダン革命を引き起こした後、キエフ政府は米政府が樹立したナチ主導の政権に反対するウクライナ東部の住民と戦っているのである。ロシアはウクライナ東部へ物資を補給し、ロシアからやって来た何人かのボランティアがウクライナ東部の住民のために戦ってはいるが、ロシア軍がウクライナへ侵攻したという訳ではない。

しかし、その話は別にしても、「われわれが米国内でロシア人と闘うことがないように」するためにもウクライナはロシアと戦うという話をいったい誰が信じてくれるのだろうか?

ロシアは米国への侵攻の途上にあるのか?何処で?どうやって?もっとも重要なことはいったいそれは何のためなのかという点だ。

米国本土への侵攻がどうしてロシアの国益になるのか?

そのようなたわ言を信じるなんてその当人は気が動顛しているに違いない。カーランがそういった妄想を抱いているにもかかわらず、彼女は大学で教鞭をとっている。こんなことがどうして起こり得るのだろうか? 

米市民が納めた税金の一部をウクライナに与え、米国製の武器をウクライナに買わせることがどうして米国の国益となるのか?この考え方の背後に存在する唯一の動機は金儲けと汚職であって、決して国益なんかではない:

[駐ウクライナ米特使の]ヴォルカーは、2017年、通常は見られないパートタイムの形式で国務省での勤務を始めた。これはウクライナと米国の軍需企業であるレイセオン社とのために活動する有力なロビー活動専業の企業であるBGRにおいて彼がコンサルタント役を継続することを可能にした。在職中、ヴォルカ―は米国がレイセオン製の対戦車ミサイル「ジャベリン」をウクライナへ送り込むよう主張した。この策はレイセオン社に何百万ドルもの商談をもたらした。

しかし、ミサイルはこの紛争では無益だ。ミサイルはウクライナ西部の国境付近で米国の管理下に置かれている。もしもジャベリンが東部の前線へ配備され、ウクライナ東部の住民に対して使用された暁には、ロシアは何処にでも反撃してくるであろう。米国はそのことを恐れている。ウクライナがこの種のミサイルをもっと多く調達するために充当する資金を供与することをトランプがぶっきらぼうに差し控えた事実は何の違いさえももたらさなかった。

これが米国の国益を損なうと主張するなんてまさにナンセンスだ。

米国の対外政策を実践する連中がカーランのような人物の下で学んでいるならば、米国の対外政策はさまざまな混乱を引き起こし続けるであろう。驚くには値いしない。中東ならびにその他の至る地域においてロシアの対外政策は米国の企てを取り囲み、それらの企ての成果をコントロール下に収めようとする。そんなことが出来るのかと言うと、それを可能にしている理由のひとつは十分な知識や現実性が米国の対外政策に関わる思考の過程から欠落している点にある。このこと自体は教育危機がもたらした結果だ。米国の「政治学」は事実を客観的に認識することができず、現実的な概念でそれらの事実に対応することはできていない。それでもなお、そのような物の見方を実践しようとしている。

民主党の連中はリーガン風のたわ言を繰り返すだけで、妄想を抱く党員の証言者を送り出すことが民主党のために役立っているとは言えない。これらの事柄が実際には何を示しているのかと言うと、すべてが不真面目な弾劾ショウを演じているだけなのだ。

その一方で、トランプが70万人にも影響を与えるフードスタンプを排除しようとしているにもかかわらず、民主党はそのことに関しては我関せずだ。民主党が下院で維持している優勢な状況は弾劾プロセスで費やした膨大な時間を本件や他の嫌らしい事柄を未然に防ぐために振り向けることができた筈である。

そもそも民主党は彼らの投票者がこのことについては何も気付いていないと本当に思っているのであろうか? 

注: この記事の初出は「Moon Of Alabama」。



<引用終了>

これで全文の仮訳が終了した。

まず、米国は民主主義国家ではなく寡頭政治国家であるという指摘はこのブログでも1129日に掲載した「米国は民主主義を失うことはない。民主主義はとうの昔に失われてしまったからだ - プリンストン大学の研究」と題する投稿で論じたばかりである。その詳細については、同投稿をご一覧願いたい。

本記事の面白い点はさまざまな事柄を例に挙げて、今までに事実として報道されて来た内容と比較し、トランプ大統領を弾劾するために招じ入れられた証言者が述べた内容は妄想に過ぎないと痛烈に批判し、さまざまな要素を具体的に反論していることにある。

そうすることによって、著者は進行中のトランプ大統領に対する弾劾のプロセスが如何に不完全なものであるかを浮き彫りにし、米選挙民に少しでも理解を深めて貰おうと努力している。一見、些細な点を論じていると受け止められるかも知れないが、政治の舞台で繰り広げられている欺瞞と不条理に関しては、米国だけではなく日本においても、もっと真剣な関心を寄せることが求められる。突き詰めて考えると、これは間違いなく選挙民個人個人の問題である。改めて自分自身のベルトを締めなおそうではないか。



参照:

1The Delusions Of The Impeachment Witnesses Point To A Larger Problem: By Moon Of Alabama / Information Clearing House, Dec/06/2019










2019年12月9日月曜日

私はニューヨーク大学のリベラル派の教授だった。左派は余りにも・・・

米民主党の左派はリベラル派である。彼らの議論は議論のための議論と化している観があって、建設的ではないという批判が出始めている。今のリベラル派は余りにも先鋭化してしまったということだ。
ここに引用する記事(注1)に示されているように、そうした現状には懐疑的な大学教授がいる。左派は今深刻な状況に陥っているようである。
米国の社会は持てる者と持たざる者とに二分されている。白人社会と非白人社会に二分されている。民主党と共和党に二分されている。民主党は極左派と中道左派に二分されている。これらの分裂の根底には政治的公正さという概念が共通して見られる。たとえば、「代名詞戦争」が示すように、個人個人の信条を巡って地域社会が二分され、学会が二分される。そして、ふたつのグループ間の力関係が崩れると、多数派の独占となり、少数派の意見を聞き入れなくなってしまう。そのような状況が本日引用する記事によって報告されている。ここまで来ると、私の目にはこの現象は余りにも行き過ぎであると映る。
日本の社会にも不可解な現象が起こっている。たとえば、若い男性がホログラムに現れる女性と結婚したという。その男性は、映像で見る限りにおいては、特に異常な点は見受けられず、ごく普通の若者である。
本日はこの記事を仮訳し、読者の皆さんと共有したいと思う。
<引用開始>
Photo-1: () ニューヨーク大学の卒業式を終えて祝福しあう卒業生たち © AFP / GETTY IMAGES NORTH AMERICA / Drew Angerer; () ニューヨーク大学の建物 © Wikimedia / Jonathan71

米国の左派はいったい何がおかしくなったのであろうか?トランプ憂鬱症に悩まされ、新興宗教の教徒のように振る舞い、新たなマッカーシー主義に没頭し、左派の連中は今や自分たちの集団的精神を失ってしまった。私はそのような状況が差し迫っているのを見て、危ういところで左派に別れを告げた。

私の左派との決別は2016年の秋に始まった。 私はニューヨーク大学の教授だった。私は左派のリベラルであって、ソーシャル・メディアには活発に参加していた。私が所属していた政治団体が主張することについて私は懐疑的となり、腹立たしささえも覚えた。今まで以上に常軌を逸した彼らの主張は着々とこの点に迫りつつあったと私は言わざるを得ない。

お分かりのように、私はむしろもっと風刺的なアプローチを楽しんでいたのだが、マイケル・ジョーダン教授のように私の転換点はいわゆる代名詞戦争と関連していた。ミシガン大学が代名詞の使い方に関して学生たちに自由な選択を許した際、ある優秀な学生は自分が使いたい代名詞として「閣下」を提言したが、この学生の代名詞の選択はニュースとさえなった。この風刺的な言葉のあやは性別と代名詞に関する論争が野火のように広がっていることのばかばかしさを指摘し、それに歩調を合わせようとしている大学当局の夢遊病者的な行動を見事に指摘している。フェースブック上で私は証拠としてある記事へのリンクを張った。特別なコメントは何も付け加えなかった。そして、その午後はずっと講義に出ていた。

大混乱が起こっていることに私が気付いた時には、その混乱を収拾するにはすでに余りにも遅すぎた。芝居がかった反応が続いていた。このリンクの下には何百ものコメントが連なっていた。何十人ものフェースブック友達が私に個人的なコメントを寄せて説明を求め、撤回を要求してきた。これは裏切りであり、とりとめのない暴力でもあり、性同一障害に対する嫌悪の念でしかないとして私を非難した。
やがて私は脱党し、大学当局は何トンもあるレンガの塊のように私に襲って来た。
左派の精神病的な断絶: 
集団的ヒステリーが左派をしっかりと捕らえてしまったことは明白だ。私は厳密に左派の定義を踏襲している訳ではない。その定義にはアンティファの熱烈なメンバーや社会主義者、共産主義者が含まれるだけではなく、以前から「リベラル」として知られている数多くの連中も含まれるだろう。これらのリベラル派は、それ以降、反リベラルとなってしまった。私としては「抵抗勢力」であった以前の中道派もこれに含めようかと思う。私は何年も会ってはいない知人を後者の事例として挙げたい。彼はせいぜい意気地なしのリベラル派だと思っていたのだが、彼が「誰かがトランプの頭へ弾丸をお見舞いして欲しいもんだ!」と口汚いコメントを出した際に、彼は今や過激なリベラル特有の響きを持っていた。

彼らの悪質さに関して私はこういった歩兵に罪を着せようとは思わない。そのような暴力的な幻想を抱いている事実があるにもかかわらず(あるいはその事実があるからこそ)、彼らは倫理的にはトランプや彼の支持者たちよりも優れていると信じ込まされてきた。ただそれだけだ。彼らは自分たちの混乱について全面的に責任を負う訳ではない。彼らは政治やメディアのお偉方によって無意識的に狂乱行動に放り込まれた愚か者なのだ。彼らは「伝染性精神病」に感染しており、ある研究結果が示すように、『家族のように近しく付き合うサークル内ではある種の「非現実的」な行動や思想がある者から他の者へと感染し、あるいは、数多くの主唱者も含めて、大流行が起こり、この感染はさらに広がる。』 まったくその通りだ。

米国心理学会(APA)の辞書は「神経衰弱(ノイローゼ)」という言葉を収録することは避けているが、集団的精神病や伝染性精神病といった言葉も同じ理由から収録してはいない。これらの言葉は余りにも大げさで、非科学的に聞こえる。しかし、APA「集団的ヒステリー」という言葉は使っている。これは、その辞書によると、「ひとつのグループまたは社会集団に非典型的な考えや感情、あるいは、行動が自然発生すること」と定義され、「その兆候には心因性の病気や集団的幻覚および奇妙な行動を含めることが可能」だ。

ロシアとの共謀」という筋書きから始まって、「ロシアのインターネット・ボット」という筋書きに至るまで、また、さらに最近ではウクライナの「見返り」という筋書きに至るまで次から次に現れた妄想の行列から判断すると、これは現在の左派を明確に描写しているように見える。これらの筋書きには、実際の証拠が欠落しているにもかかわらず、真実であると信じ込ませようとする犯罪物語の恣意的な創作が共通して観察される。これらの筋書きを信じる連中は、これらの筋書きがやがては真実となること、あるいは、少なくとも真実であるとして説明されることに希望を抱いて、いやになるほど繰り返すのである。左派についてもまったく同じことが言える。なぜならば、左派にとっては信じることが現実である(あるいは、現実よりも偉大である)からだ。

私が指摘したように、左派の発狂振りは選挙に関わる政治活動や選挙結果だけでは終わらない。もしもわれわれが文化的な分野における政治活動をも考慮するならば、性の多元性やトランスジェンダリズム、今やその分野が拡大しつつある「人種差別主義」、ならびに、その他の社会現象をも含めなければならない。

「性の多元性」主義やトランスジェンダーの動きは一見したところ愚行が列を成している。これには性別代名詞そのものに関する議論が盛んになったというだけではなく、人間の性の違いは徹底した二元性を有するシステムではなく、「男性にもが月経周期があり得る」といった主張さえもが含まれる。トランスジェンダーの正当性に関する最近の訴えはフェミニンな(女性用ではない!)下着メーカー「Thinx」によってマスメディアでの宣伝にまで登場して来た。この企業の新しい宣伝は「MENstruation」宣伝と称され、CBSによって拒否された際にニュースとなった。(しかしながら、同テレビ局は訂正版を採用するとのことだ。)アドエージ社は、以前、BravoE!OxygenBETMTVVH1HGTV, Food NetworkTLC、および、NBCの各社がこの宣伝を放映すると報じていた。

集団的ヒステリーのこれらの兆候に加えて、何でもかんでも「人種差別」と見なす伝染病的な傾向も出現した。これには靴やセーター、さらには、動物の縫いぐるみさえもが含まれる。人種差別だと見なされた商品には、たとえば、オールホワイトのアディダスのスニーカーアディダスの「シャックル・シューズ」、グッチの「ブラックフェース」ジャンパー、および、 プラダのモンキー・フィギャ―が含まれる。すべてがツイッター・レッドガード上で糾弾され、これらの商品はついに市場から回収されることになった。

そうこうしているうちに、社会心理学者や政治学者らは集団的ヒステリーは保守主義者だけの特徴であると見なし、これは不本意ながらも重要な特例であるとした。「個人的な特徴と政治イデオロギーとの関係」に関する論評を発行してから4年も経って、季刊誌の「American Journal of Political Science」はその論評にささいな間違いが含まれていることを認めた。著者らが自分たちが行った精査の結果を報じた際、彼らは右派と左派に関する結論を「真逆」にした。季刊誌の編集者は訂正版を発行した。個人的な「精神病的傾向」を表に出したのはリベラル派であって、オリジナルの記事が指し示した保守派ではないという。私は直にこの精神病的傾向を目にした。しかしながら、「狂っているのはお前の方だ」と私は言われる始末であった。
嘆かわしい輩となる: 

ここに左派がどのような存在であるかが示されており、私は決別した。フェースブック上で私に対する非難があってから、私は、自分の名前を伏せて、ツイッターのハンドル名として 「@AntiPCNYUProf」を作り、私の名前を「ニューヨーク大学(NYU)の嘆かわしい教授」と名乗り、大学で、さらには、学外でも政治的公正さや「社会正義」といったイデオロギーを採用することに関してツイッター上で批判を開始した。私の正体は、間もなく、NYUの学生新聞のレポーターによって暴かれ、私は自分の見解を正式に述べることにした。あるインタビューで私はNYUだけではなく北米のカレッジや大学のほとんどが「社会正義」という新しい信念を採用することについて批判した。この批判にはNYU230校以上のカレッジや大学による「バイアス応答ライン」の設立や安全領域の使用、「引き金警告」の採用、ならびに、今や日常と化してしまった論者に対して議論の場を提供しないという点も含まれる。特に、後者はほとんどの大学で代案となる見解が誰かに聞いてもらえる機会をほとんどゼロにしてしまったのである。

私は自分の見解を放映したことによって解雇された訳ではないけれども、キャンパスにおける私の生活は耐えられないものになって行った。

私のインタビューが放映された2日後に私は学部長の部屋に招じ入れられ、彼と人事課長から有給休暇を取れという圧力をかけられた。「皆は君のことを心配しているよ」と学部長が言った。これが示唆することは「キャンパスの通説を覆えそうとするなんて私は正気の沙汰ではない」と指摘したも同然であった。また、「多様性と平等および包接に関してリベラルな研究を行う作業部会」と称される公式の委員会によっても私は厳しく糾弾された。同作業部会は「彼の罪を誘発した原因は彼の考えた内容とその構造にある」と述べて、私に対する評決を終えた。それ以降、私は彼らを「服従と不公平および除外のグループ」と呼ぶことにした。彼らは「社会正義」という信念に従うことを要求し、従わない者は誰に対しても平等とは言えないような扱いをし、反対者を大学から排除し、さらには、学会から放擲しようとする。

有給休暇を終えて私が大学に戻った時、私は100人以上もの同僚たちからは決まったように除け者にされた。何人かはエレベーターに乗り込もうとする私を拒み、私と同乗することを避けた。休暇後の学期の最終日には、同僚のグループは強烈な電子メールを発信して、私がツイッターで新刊書の発刊を告げたことについて私を攻撃して来た。私は「オルタナ右翼」とか、「ナチ」、「ショートパンツをはいた白人の悪魔」、「脆弱な白人男性」、「サターン」、等々、と呼ばれた。こういった電子メールが数日間続いた。、その一方で、私の方は最初のインタビューでもその後のメディアによる取材においても彼ら個人名は一度も言及しなかった。
ロシアのスパイとしての私の生活:
これらの嫌がらせに関しては人事課や「雇用機会の均等」を担当する専門家に苦情を訴えたが、何も起こらなかった。分かるかい?正確に言えば、私のオフィスがロシア学科へ移ったことを除いては何も起こらなかったのだ!(風刺的な冗談を好む)私はロシアのスパイとして扱われ、自分自身の収容所列島へ送り込まれるというこの飛びっきりの冗談が妙に好きだった。金属製の書棚には私の本は一冊もなく、完全に孤立したオフィスへと私は引っ越しを強要された。そして、何と、大学側は私の前のオフィスから書籍を移動することを拒んだのである。
私は名誉棄損を理由に大学と5人の同僚を告訴した。しかしながら、成功報酬制で私の訴訟を応援しようとした小さな弁護士事務所にとっては大学側の強力な弁護士団からの訴訟の取り下げ要求を乗り越えることはほとんど不可能であった。この訴訟は時間切れとなったが、後に私は大学側と退職条件についての交渉を行った。
私の話を聞いた人たちの多くは私がどうして左派と決別したのかについては何の不思議も感じない。ところが、彼らはどうしてそんなに長い時間が必要であったのかについては不審に思っている。そのような人たちに対しては私は左派の連中の行動と心情を考慮に入れたり、そのような結果を招くのにはどれだけの教化の時間が必要であったかを考えてみたりするようお勧めする。それから、次のことも考慮に入れて欲しいと思う:私自身、この教化では何年も過ごした。私の決別はやや奇跡でさえあった。
著者のプロフィール: マイケル・レクテンワルド 9冊の書籍を発刊しており、最新の書籍の表題は「Google Archipelago」。

このコラムの内容や見解および意見は全面的に著者のものであって、必ずしもRTの見解や意見を代表するものではありません。


<引用終了>

この記事を読んで私の最初の反応は「何ということだ。常軌を逸している」という印象であった。何処かが狂っていると言わざるを得ない。それが何なのかについて議論しようとすると、この記事よりも遥かに膨大な議論に発展するような予感がする。

私はこのブログでロシアゲートに関する議論を何回も掲載して来たが、民主党左派の議論や彼らの精神構造ならびに行動の仕方を個人的な体験から分析しようとした論評に接したのはこの記事が初めてである。私にとってはロシアゲートの全体像を理解する上で非常に重要な参考要素であると感じられる。


参照:

注1: I was a liberal NY prof, but when I said the left was going too far, colleagues called me a NAZI and treated me like a RUSSIAN SPY: By RT, Nov/12/2019, https://on.rt.com/a55r







2019年11月29日金曜日

米国は民主主義を失うことはない。民主主義はとうの昔に失われてしまったからだ - プリンストン大学の研究


今日の平均的な日本人は、戦後70数年間、民主主義がもっとも重要な政治制度であると教えられて育ってきた。そのことについてわれわれ一般大衆が疑問を挟む余地はまったくないものとして、言わば、盲目的に信じるように教育されてきた。

そして、それをわれわれ日本人にお説教して来たのは日本の政治家ではなく、米国の政治家である。もっと正確に言うと、英国やイスラエルの政治家もその一部であったのかも知れない。

具体的に言って、民主主義とはいったい何か?

いくつもの側面があるが、一番ピンとくるのは選挙制度であろう。一国の指導者や国会議員を選挙によって選出する制度だ。その投票は公明正大に実施され、透明性を保たなければならない。通常、投票者の大多数によって選ばれた候補者あるいは政党の指導者が首相や大統領の座に就任する。したがって、クーデターによって現政権を倒し、反政府運動の指導者を首相や大統領に就任させる行為は非民主的であるとされる。

たとえば、2014年、ウクライナでは選挙を通じて選出されていた親ロ派のヤヌコヴィッチ大統領が追い出された。ジェフリー・パイアット駐ウクライナ米国大使とヴィクトリア・ヌーランド国務次官補の二人は電話会談で暫定的な首相としてアルセニー・ヤツニュクを推薦することに合意した。奇しくも、この電話の内容は暴露され、米国がこの反政府デモの主導者であったことが判明した。

米国は民主主義国家の旗手として発展途上国に対して何十年にもあたって民主主義の重要性を説いてきた。そして、今となっては歴史の皮肉とでも言おうか、ここに「米国は民主主義を失うことはない。民主主義はとうの昔に失われてしまったからだ - プリンストン大学の研究」と皮肉を込めて題された記事がある(注1)。これは米国内の政治議論としては潜在的にもっとも重要なテーマのひとつであろう。

本日はこの記事を仮訳して、読者の皆さんと共有したいと思う。今、米国はどんな問題を抱えているのかをここでおさらいしておこう。この記事に書かれていることは、日本を含めて、世界中の国々に対して直接的あるいは間接的に影響を与えるものであろうと考えられるからだ。

<引用開始>

事実関係:プリンストン大学の研究は米国は民主国家であるというよりも、むしろ、寡頭(少数独裁)政治を行っていることを見い出した。

検討事項: 現行の政治システムを正常化することは可能か?それとも、われわれは現行の体制にはおさらばをして、われわれが実際に必要とする体制を敷かなければならないのか?

米国の市民は実際には民主主義体制の下に住んでいる訳ではいないとする見方がここ何十年間かにわたって勢いをつけて来ている。経済や社会ならびに政治的な崩壊が与える脅威は市民を苦しめ、それは歳月が過ぎるにつれてますますわれわれの精神の奥深くへと浸透する。

科学技術の進歩に伴ってわれわれはより以上に裕福な社会を築き上げることが出来た筈だとお思いであろう。ところが、生活水準が大きく後退するのをわれわれは目の当たりにしている。今まで以上に長時間労働を強いられ、いたる所で単調で、より困難な労働やむなしい仕事に追いやられている。われわれはコントールに飢えた巨大企業の変化に曝され、これらの企業は米国の起業家精神や繁栄している個人企業を呑み込んでしまう。

われわれ個人個人が国中で自分自身を失敗に導き、貧弱な意思決定や愚かさの故に、増大し続ける膨大な政府の借金をもたらしたのだという見方は、個人の大部分が直接的に政策作りに関与するような民主主義体制の下に暮らしている限りにおいては実に正しいと言えるであろう。もしも実際に米国がそのような形で運営されて来たとするならば、われわれの今の民主主義はもはや破綻してしまっている。

もしもあなたが経済のエリートで構成された小グループのトップに位置しているならば、もちろん、あなたは何かが破綻しているなんて到底気付かないだろう。実際には、重要な会議のすべてが行われる背後の部屋であなた方は物事が計画に沿って順調に進行していることをお互いに祝福し合うための時間を過ごしているに相違ない。

プリンストン大学の研究: 

プリンストン大学とノースウェスタン大学の二人の研究者、マーチン・ギレンスとベンジャミン・ページは最近制定された1779件の政策に関しては「経済のエリートや組織化された団体が米政府の政策に極めて大きな影響力を行使した」ことを突き止めた。その一方、平均的な市民は影響力をほとんど持ってはいない、あるいは、ゼロである。

本研究は二つの部分からなっている。まず、研究者らはさまざまな団体が米国において有している政治的影響力の大きさを測定した。さらには、民主主義や寡頭政治および他の政府形態に関する定義に関しても確認を行った。

CETVでわれわれが行っている「集団進化ショウ」(Collective Evolution Show)の最近の番組において、ジョー・マーティノと私は本研究に関してだけではなく、われわれのシステムそのものが破綻しているのか、それを修復することはできるのか、あるいは、現行のシステムから離脱する方法論の検討はどのように始めるべきか、といったより幅の広い見方についても論じている。最初の動画を下記に示す。このTVショウの全体や他の数多くのショウやインタビューはCETVで7日間無料で視聴することが可能である。

富裕者らはより多くの影響力を有している:

下記に示す図表はそれぞれ異なる集団が米国でどれだけ多くの政治的影響力を有しているのかを示す。富裕者が影響力のほとんどを有しており、一般庶民の有権者の影響力は実質的にゼロである。

Photo-1

ここではあなたが「政治的影響力」を有するということは議会があなたが好むような法律や政策を通過させることによってあなたの意向に応じることを指す。そして、影響力が小さいということはあなたは無視されていることを示す。つまり、その場合、議会はあなたが望む事柄とは何の関係もない法律を通過させる。

特別利益団体もまた公共政策に影響を与える。研究者らはこれらをふたつのグループに分けた。組織化された市民団体を代表する「大衆」は小さな影響力を有するだけだ。業界団体のようなビジネス・グループは中程度の影響力を有する。これらの業界団体はロビー活動や政治献金に供する財源を持っているからである。

これは必ずしも一般庶民は自分たちが希望することを議会に求めることはできないという意味ではない。時には、一般大衆の意見が議会の動きと一致することも起こった。しかしながら、圧倒的に多くの者は富裕者やビジネス界の利益団体が推進する政策に好意を示した。統計的に言うと、米政府は米国人の90%が考えていることについては関心を示さない。

米国は寡頭政治体制だ:

われわれが持ち得る政治体制として著者は四つの体制を定義した。それらは (1)民主主義、(2)寡頭政治、または、 (3)一般的には特別利益団体によって、あるいは、(4)特にビジネス団体によって寡占化された半民主的な体制とに大別される。

皆さんは下記の図表をみて、判断して欲しい。2014年の米国は寡頭政治のモデルに一致する。つまり、富裕者による寡頭政治である。事実、一般大衆の影響力は典型的な寡頭政治モデルに比べてさえもさらに小さい。

Photo-2

ここで、富の存在が問題だという訳ではないし、裕福な米国人が政治的意見を持っているということでもない。

問題は政府が米国市民のたった10%を代表しているだけであるという点だ。つまり、その他の大多数の市民は民主主義以下の政治環境で暮らしているという点だ。

著者の見方は次のようなものだ。つまり、組織化された団体は定常的にロビー活動を行い、政府職員と交流し、彼らは回転ドアを介して公職と民間の職場との間を行き来し、法案を作成し、選挙運動には莫大な資金を使う。

本質的には、これはわれわれの政治システムにおいて金が巻き起こす贈収賄の問題なのである。このような腐敗は基本的に我が民主国家の理想には反するものだ。なぜならば、「公共社会こそが、他の如何なる代替物と比べても、社会全体の関心事の守護者であると見られるからだ。」 

結論:

選挙運動資金に関しては贈収賄を追放するための法律を新たに導入することが解決策だとする意見があるけれども、それはキツネが鶏小屋の中におさまっているようなものであって、議員たちは自分たちのパワーを削ぎ、腐敗し切った手法によって政治的なパワーを手にしたことで有罪となる可能性を持った法律を導入し、施行し、それを実行することについては最終的に抵抗を示すことをわれわれは念頭に置かなければならない。この問題を解決することができるのはわれわれがこのシステムから離脱し、われわれが持つ価値観や願望に沿った新しいシステムを作り出すという集団的な意思を示す時だけであろう。

注:この記事は「Collective Evolution」に初めて掲載された。


<引用終了>

これで全文の仮訳が終了した。

「米国の民主主義はまがい物である」とか「米国には民主主義はもはや見当たらない」とする一般大衆が皮膚感覚で感じていたことは、こうして見ると、学術的な解析の結果からも正しかったのである。

著者は一般大衆は現行の政治体制では政策を決定する影響力を持ってはいない、影響力を実現するには集団的な意思表示をすることが必要だと言っている。

今後の米国社会はいったいどこへ行くのであろうか?選挙を通じて政治体制を米国人の90%の手に平和裏に移行させることはできるのだろうか?

1992年にはロサンゼルスで大規模な暴動が起きた。この暴動は人種差別が大きな要因となっていた。長年にわたって人種差別に不満を感じていたロサンゼルス南部に住む黒人住民は暴徒と化して、ロサンゼルス市警と韓国人経営の商店を襲撃目標とした。仮に持てる者と持たざる者に二分された米国社会でこの種の暴動が起こったとしたら、それは予想し得る筋書きの中では最悪の事態となろう。略奪と暴力の街と化してしまう。そして、お互いに譲歩をしない場合は、一般大衆対米軍の戦いとなってしまうのではないか。

30年近く前の当時の米国と現在の米国との間には大きな違いがある。それは、今や、米国の警察は軍隊のように武装化しているという点だ。米国は警察国家と化したと指摘されてすでに久しい。しかも、その警察が軍隊並みの武装をしているのだ。要するに、上記の引用記事の論調に沿って言えば、新たな政策を導入することでは圧倒的な政治的影響力を有する富裕者層は自分たちを守るために新法を導入し、警察を軍隊並みに武装することで不測の事態に備えるべく準備をして来たのだ。

もしも米国の一般大衆が現行の政治・経済システムを捨てて、新たなシステムへ移行することを選択したら、米国社会は非常に大きな混乱に陥るであろう。米国は銃がいたる所でふんだんに見い出される社会である。一度騒乱状態に陥った暁には一気に狂乱状態にまで突き進んでしまうのではないか。民主主義の理想と現実との間のギャップは大きくなるばかりであることから、起こり得る筋書きについてはまったく楽観視できない。極めて不気味である。

私がここで感じていることはとんでもない間違いであったと断定できる日が早く来て欲しいものだ。



参照:

1Princeton Study: The U.S. Is Not Losing Its Democracy. It’s Already Long Gone: By Richard Enos, Information Clearing House, Nov/22-23/2019