2019年12月9日月曜日

私はニューヨーク大学のリベラル派の教授だった。左派は余りにも・・・

米民主党の左派はリベラル派である。彼らの議論は議論のための議論と化している観があって、建設的ではないという批判が出始めている。今のリベラル派は余りにも先鋭化してしまったということだ。
ここに引用する記事(注1)に示されているように、そうした現状には懐疑的な大学教授がいる。左派は今深刻な状況に陥っているようである。
米国の社会は持てる者と持たざる者とに二分されている。白人社会と非白人社会に二分されている。民主党と共和党に二分されている。民主党は極左派と中道左派に二分されている。これらの分裂の根底には政治的公正さという概念が共通して見られる。たとえば、「代名詞戦争」が示すように、個人個人の信条を巡って地域社会が二分され、学会が二分される。そして、ふたつのグループ間の力関係が崩れると、多数派の独占となり、少数派の意見を聞き入れなくなってしまう。そのような状況が本日引用する記事によって報告されている。ここまで来ると、私の目にはこの現象は余りにも行き過ぎであると映る。
日本の社会にも不可解な現象が起こっている。たとえば、若い男性がホログラムに現れる女性と結婚したという。その男性は、映像で見る限りにおいては、特に異常な点は見受けられず、ごく普通の若者である。
本日はこの記事を仮訳し、読者の皆さんと共有したいと思う。
<引用開始>
Photo-1: () ニューヨーク大学の卒業式を終えて祝福しあう卒業生たち © AFP / GETTY IMAGES NORTH AMERICA / Drew Angerer; () ニューヨーク大学の建物 © Wikimedia / Jonathan71

米国の左派はいったい何がおかしくなったのであろうか?トランプ憂鬱症に悩まされ、新興宗教の教徒のように振る舞い、新たなマッカーシー主義に没頭し、左派の連中は今や自分たちの集団的精神を失ってしまった。私はそのような状況が差し迫っているのを見て、危ういところで左派に別れを告げた。

私の左派との決別は2016年の秋に始まった。 私はニューヨーク大学の教授だった。私は左派のリベラルであって、ソーシャル・メディアには活発に参加していた。私が所属していた政治団体が主張することについて私は懐疑的となり、腹立たしささえも覚えた。今まで以上に常軌を逸した彼らの主張は着々とこの点に迫りつつあったと私は言わざるを得ない。

お分かりのように、私はむしろもっと風刺的なアプローチを楽しんでいたのだが、マイケル・ジョーダン教授のように私の転換点はいわゆる代名詞戦争と関連していた。ミシガン大学が代名詞の使い方に関して学生たちに自由な選択を許した際、ある優秀な学生は自分が使いたい代名詞として「閣下」を提言したが、この学生の代名詞の選択はニュースとさえなった。この風刺的な言葉のあやは性別と代名詞に関する論争が野火のように広がっていることのばかばかしさを指摘し、それに歩調を合わせようとしている大学当局の夢遊病者的な行動を見事に指摘している。フェースブック上で私は証拠としてある記事へのリンクを張った。特別なコメントは何も付け加えなかった。そして、その午後はずっと講義に出ていた。

大混乱が起こっていることに私が気付いた時には、その混乱を収拾するにはすでに余りにも遅すぎた。芝居がかった反応が続いていた。このリンクの下には何百ものコメントが連なっていた。何十人ものフェースブック友達が私に個人的なコメントを寄せて説明を求め、撤回を要求してきた。これは裏切りであり、とりとめのない暴力でもあり、性同一障害に対する嫌悪の念でしかないとして私を非難した。
やがて私は脱党し、大学当局は何トンもあるレンガの塊のように私に襲って来た。
左派の精神病的な断絶: 
集団的ヒステリーが左派をしっかりと捕らえてしまったことは明白だ。私は厳密に左派の定義を踏襲している訳ではない。その定義にはアンティファの熱烈なメンバーや社会主義者、共産主義者が含まれるだけではなく、以前から「リベラル」として知られている数多くの連中も含まれるだろう。これらのリベラル派は、それ以降、反リベラルとなってしまった。私としては「抵抗勢力」であった以前の中道派もこれに含めようかと思う。私は何年も会ってはいない知人を後者の事例として挙げたい。彼はせいぜい意気地なしのリベラル派だと思っていたのだが、彼が「誰かがトランプの頭へ弾丸をお見舞いして欲しいもんだ!」と口汚いコメントを出した際に、彼は今や過激なリベラル特有の響きを持っていた。

彼らの悪質さに関して私はこういった歩兵に罪を着せようとは思わない。そのような暴力的な幻想を抱いている事実があるにもかかわらず(あるいはその事実があるからこそ)、彼らは倫理的にはトランプや彼の支持者たちよりも優れていると信じ込まされてきた。ただそれだけだ。彼らは自分たちの混乱について全面的に責任を負う訳ではない。彼らは政治やメディアのお偉方によって無意識的に狂乱行動に放り込まれた愚か者なのだ。彼らは「伝染性精神病」に感染しており、ある研究結果が示すように、『家族のように近しく付き合うサークル内ではある種の「非現実的」な行動や思想がある者から他の者へと感染し、あるいは、数多くの主唱者も含めて、大流行が起こり、この感染はさらに広がる。』 まったくその通りだ。

米国心理学会(APA)の辞書は「神経衰弱(ノイローゼ)」という言葉を収録することは避けているが、集団的精神病や伝染性精神病といった言葉も同じ理由から収録してはいない。これらの言葉は余りにも大げさで、非科学的に聞こえる。しかし、APA「集団的ヒステリー」という言葉は使っている。これは、その辞書によると、「ひとつのグループまたは社会集団に非典型的な考えや感情、あるいは、行動が自然発生すること」と定義され、「その兆候には心因性の病気や集団的幻覚および奇妙な行動を含めることが可能」だ。

ロシアとの共謀」という筋書きから始まって、「ロシアのインターネット・ボット」という筋書きに至るまで、また、さらに最近ではウクライナの「見返り」という筋書きに至るまで次から次に現れた妄想の行列から判断すると、これは現在の左派を明確に描写しているように見える。これらの筋書きには、実際の証拠が欠落しているにもかかわらず、真実であると信じ込ませようとする犯罪物語の恣意的な創作が共通して観察される。これらの筋書きを信じる連中は、これらの筋書きがやがては真実となること、あるいは、少なくとも真実であるとして説明されることに希望を抱いて、いやになるほど繰り返すのである。左派についてもまったく同じことが言える。なぜならば、左派にとっては信じることが現実である(あるいは、現実よりも偉大である)からだ。

私が指摘したように、左派の発狂振りは選挙に関わる政治活動や選挙結果だけでは終わらない。もしもわれわれが文化的な分野における政治活動をも考慮するならば、性の多元性やトランスジェンダリズム、今やその分野が拡大しつつある「人種差別主義」、ならびに、その他の社会現象をも含めなければならない。

「性の多元性」主義やトランスジェンダーの動きは一見したところ愚行が列を成している。これには性別代名詞そのものに関する議論が盛んになったというだけではなく、人間の性の違いは徹底した二元性を有するシステムではなく、「男性にもが月経周期があり得る」といった主張さえもが含まれる。トランスジェンダーの正当性に関する最近の訴えはフェミニンな(女性用ではない!)下着メーカー「Thinx」によってマスメディアでの宣伝にまで登場して来た。この企業の新しい宣伝は「MENstruation」宣伝と称され、CBSによって拒否された際にニュースとなった。(しかしながら、同テレビ局は訂正版を採用するとのことだ。)アドエージ社は、以前、BravoE!OxygenBETMTVVH1HGTV, Food NetworkTLC、および、NBCの各社がこの宣伝を放映すると報じていた。

集団的ヒステリーのこれらの兆候に加えて、何でもかんでも「人種差別」と見なす伝染病的な傾向も出現した。これには靴やセーター、さらには、動物の縫いぐるみさえもが含まれる。人種差別だと見なされた商品には、たとえば、オールホワイトのアディダスのスニーカーアディダスの「シャックル・シューズ」、グッチの「ブラックフェース」ジャンパー、および、 プラダのモンキー・フィギャ―が含まれる。すべてがツイッター・レッドガード上で糾弾され、これらの商品はついに市場から回収されることになった。

そうこうしているうちに、社会心理学者や政治学者らは集団的ヒステリーは保守主義者だけの特徴であると見なし、これは不本意ながらも重要な特例であるとした。「個人的な特徴と政治イデオロギーとの関係」に関する論評を発行してから4年も経って、季刊誌の「American Journal of Political Science」はその論評にささいな間違いが含まれていることを認めた。著者らが自分たちが行った精査の結果を報じた際、彼らは右派と左派に関する結論を「真逆」にした。季刊誌の編集者は訂正版を発行した。個人的な「精神病的傾向」を表に出したのはリベラル派であって、オリジナルの記事が指し示した保守派ではないという。私は直にこの精神病的傾向を目にした。しかしながら、「狂っているのはお前の方だ」と私は言われる始末であった。
嘆かわしい輩となる: 

ここに左派がどのような存在であるかが示されており、私は決別した。フェースブック上で私に対する非難があってから、私は、自分の名前を伏せて、ツイッターのハンドル名として 「@AntiPCNYUProf」を作り、私の名前を「ニューヨーク大学(NYU)の嘆かわしい教授」と名乗り、大学で、さらには、学外でも政治的公正さや「社会正義」といったイデオロギーを採用することに関してツイッター上で批判を開始した。私の正体は、間もなく、NYUの学生新聞のレポーターによって暴かれ、私は自分の見解を正式に述べることにした。あるインタビューで私はNYUだけではなく北米のカレッジや大学のほとんどが「社会正義」という新しい信念を採用することについて批判した。この批判にはNYU230校以上のカレッジや大学による「バイアス応答ライン」の設立や安全領域の使用、「引き金警告」の採用、ならびに、今や日常と化してしまった論者に対して議論の場を提供しないという点も含まれる。特に、後者はほとんどの大学で代案となる見解が誰かに聞いてもらえる機会をほとんどゼロにしてしまったのである。

私は自分の見解を放映したことによって解雇された訳ではないけれども、キャンパスにおける私の生活は耐えられないものになって行った。

私のインタビューが放映された2日後に私は学部長の部屋に招じ入れられ、彼と人事課長から有給休暇を取れという圧力をかけられた。「皆は君のことを心配しているよ」と学部長が言った。これが示唆することは「キャンパスの通説を覆えそうとするなんて私は正気の沙汰ではない」と指摘したも同然であった。また、「多様性と平等および包接に関してリベラルな研究を行う作業部会」と称される公式の委員会によっても私は厳しく糾弾された。同作業部会は「彼の罪を誘発した原因は彼の考えた内容とその構造にある」と述べて、私に対する評決を終えた。それ以降、私は彼らを「服従と不公平および除外のグループ」と呼ぶことにした。彼らは「社会正義」という信念に従うことを要求し、従わない者は誰に対しても平等とは言えないような扱いをし、反対者を大学から排除し、さらには、学会から放擲しようとする。

有給休暇を終えて私が大学に戻った時、私は100人以上もの同僚たちからは決まったように除け者にされた。何人かはエレベーターに乗り込もうとする私を拒み、私と同乗することを避けた。休暇後の学期の最終日には、同僚のグループは強烈な電子メールを発信して、私がツイッターで新刊書の発刊を告げたことについて私を攻撃して来た。私は「オルタナ右翼」とか、「ナチ」、「ショートパンツをはいた白人の悪魔」、「脆弱な白人男性」、「サターン」、等々、と呼ばれた。こういった電子メールが数日間続いた。、その一方で、私の方は最初のインタビューでもその後のメディアによる取材においても彼ら個人名は一度も言及しなかった。
ロシアのスパイとしての私の生活:
これらの嫌がらせに関しては人事課や「雇用機会の均等」を担当する専門家に苦情を訴えたが、何も起こらなかった。分かるかい?正確に言えば、私のオフィスがロシア学科へ移ったことを除いては何も起こらなかったのだ!(風刺的な冗談を好む)私はロシアのスパイとして扱われ、自分自身の収容所列島へ送り込まれるというこの飛びっきりの冗談が妙に好きだった。金属製の書棚には私の本は一冊もなく、完全に孤立したオフィスへと私は引っ越しを強要された。そして、何と、大学側は私の前のオフィスから書籍を移動することを拒んだのである。
私は名誉棄損を理由に大学と5人の同僚を告訴した。しかしながら、成功報酬制で私の訴訟を応援しようとした小さな弁護士事務所にとっては大学側の強力な弁護士団からの訴訟の取り下げ要求を乗り越えることはほとんど不可能であった。この訴訟は時間切れとなったが、後に私は大学側と退職条件についての交渉を行った。
私の話を聞いた人たちの多くは私がどうして左派と決別したのかについては何の不思議も感じない。ところが、彼らはどうしてそんなに長い時間が必要であったのかについては不審に思っている。そのような人たちに対しては私は左派の連中の行動と心情を考慮に入れたり、そのような結果を招くのにはどれだけの教化の時間が必要であったかを考えてみたりするようお勧めする。それから、次のことも考慮に入れて欲しいと思う:私自身、この教化では何年も過ごした。私の決別はやや奇跡でさえあった。
著者のプロフィール: マイケル・レクテンワルド 9冊の書籍を発刊しており、最新の書籍の表題は「Google Archipelago」。

このコラムの内容や見解および意見は全面的に著者のものであって、必ずしもRTの見解や意見を代表するものではありません。


<引用終了>

この記事を読んで私の最初の反応は「何ということだ。常軌を逸している」という印象であった。何処かが狂っていると言わざるを得ない。それが何なのかについて議論しようとすると、この記事よりも遥かに膨大な議論に発展するような予感がする。

私はこのブログでロシアゲートに関する議論を何回も掲載して来たが、民主党左派の議論や彼らの精神構造ならびに行動の仕方を個人的な体験から分析しようとした論評に接したのはこの記事が初めてである。私にとってはロシアゲートの全体像を理解する上で非常に重要な参考要素であると感じられる。


参照:

注1: I was a liberal NY prof, but when I said the left was going too far, colleagues called me a NAZI and treated me like a RUSSIAN SPY: By RT, Nov/12/2019, https://on.rt.com/a55r







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