2013年4月27日土曜日

中国に気を使う米国




日本人の多くにとっては中国に対する米国の姿勢が非常に気になる今日この頃である。

安部首相は、日本は米国と「価値観を共有している」と言い、日米間の「絆の回復」を求めたいと述べた。1月に米国を訪問したいとする阿部首相の希望は、オバマ大統領の年頭教書の発表の直前であったり、折からの米政府の財政危機への対応で多忙を極めていた頃でもあって、オバマ政権にあっさりと断られた。しかし、安部政権は2月のホワイトハウス訪問を何とか実現させた。
この時、世界はこの日米首脳会談をどう見ていたのだろうか。
日本側には外交問題が山積していた。阿部首相はそのひとつひとつの案件についてオバマ大統領から「米国は日本の言い分を支持する」といった何らかの言質を取り付けた上で帰京したかったことだろう。例えば、対中国では尖閣諸島、対韓国では慰安婦や歴史認識、対北朝鮮では核実験やミサイル発射、等々。また、日本の国内問題への対応としてはTPPへの参加に当たっての米国側の譲歩。
日米首脳会談に先立って、米国の主要なシンクタンクのひとつであるランド研究所の東アジアの政治や安全保障を専門とするスコット・ハロルド氏は当時(222日)この会談を次のように予測していた[1]
引用部分は何時ものように段下げして示す。
日本の阿部晋三首相がバラク・オバマ大統領との会談のためにこの金曜日ワシントン入りする。この会談は日米の二国間関係だけではなくアジア・太平洋のより広い地域を将来何年間にもわたって規定するものとなるだろう。
尖閣諸島の領有権を主張する日本政府を弱体化させるべく中国船は日本の領海へ侵入し、北朝鮮は長距離ミサイルの打ち上げ実験や核実験を実施、TPP参加交渉ついては最終結論を決断しなければならない期日が迫っていた。このような状況から両首脳にとってこれらは何れも急を告げる課題であり、戦略性に富んだ難題である。
オバマ大統領と安部首相は相手の個人的な姿勢を見極め、政治的な交渉の余地を見い出し、しっかりとした対応をとる意思を確認し、二国間関係やアジア・太平洋に関する長期的なビジョンをお互いに確かめたいところだろう。この会談を成功裏に終わらせるには、両国は三つの主要な分野に関して明確化する必要がある。つまり、それは「安全保障」、「通商」、および「共通の価値観」についてだ。
安全保障に関しては、両国は北朝鮮やイランにおける核兵器開発や核拡散を防止したい点で共通の認識に立っている。同様に、中国や北朝鮮によるサイバー攻撃やスパイ行為に対しては相互の連携を保つべきであろう。
両首脳は中国に対して東シナ海の尖閣諸島周辺で中国の公船が日本の漁船を追い掛け回すことを止めさせるにはどうしたらいいかを討議したいことだろう。オバマ大統領は尖閣諸島の日本政府による施政権は変わらないとする米国政府の認識を再度表明する必要があるだろう。北京政府は日本に対して交渉のテーブルにつくよう強制するようなことをしてはならない。
阿部首相は集団自衛権に関する日本としての限界を再解釈する用意があることを提示し、自国ならびに同盟国の防衛のためにより多く貢献したいところだろう。オバマ大統領としては、安全保障担当官の引継ぎが起ころうとも、あるいは、国防予算の自動削減が始まろうとも、アジア・太平洋地域に於ける米国の関与を再調整することについての米国の意思に変化はない、と阿部首相に向けて強調したいのではないか。オバマ大統領は、新国防長官のジョン・ケリーを出来るだけ早目に同地域へ送り込み、米国の対外政策を強調する意味合いからも、この戦略的な閣僚の交代を支えるオバマ政権の決断を再確認したいのではないか。
この著者の予測は次第に詳細な議論へと展開しているのだが、全体を引用することは割愛したい。私が個人的に興味深く思い、再認識させられたのは冒頭の「この会談は日米の二国間関係だけではなくアジア・太平洋のより広い地域を将来何年間にもわたって規定するものとなるだろう」というくだりである。米国側から見ると、二期目に入ったオバマ大統領は、少なくとも、向こう4年間の米国側の方針を安部首相とのサミットの場でお互いに再確認しておきたい立場にある。首脳会談という性格から、当然ながらその通りである。
東アジア圏の一員として日本が対中国で戦略的な政策を取ろうとするならば、オバマ政権の世界観や深層心理を十分に分析しておかなければならない。これは素人目にも明らかだ。
 

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日米首脳会談の後、中国側からは直ちに反応があったことは言うまでもない。
例えば、中国日報の225日の報道[2]。その報道振りは冷静であり、分析的だ。主要な点をここに収録すると、下記の通りだ。
阿部首相が期待を込めていたワシントン詣での日程については、突っ込んだ交渉の結 果、最終的には2月末と決まった。
 
しかし、苦労して準備したこの訪米もこの日曜日に終了。あるアジアのメデイアの報道するところによると、日本をかくまってくれる米国への日本の首相による「巡礼」の旅は不満足な結果に終わった。

安部首相が金曜日にオーバル・オフィスにおいてオバマ大統領と会談した際、阿部首相に対しては通常ワシントンを訪問する一国の首相が受ける派手なレセプションは行われなかった。
金曜日のオバマ大統領との会談後に設けられたプレス・コンフェレンスは大規模なものではなく、米国側が用意したものは短時間で小規模な記者会見だけだった。そして、この記者会見ではオバマ大統領は「中国」あるいは「釣魚島」(つまり、尖閣諸島)という言葉を一度も口に出すことはなかった。

北朝鮮の三回目の核実験の挑発に対しては強硬な対応を約束する一方、オバマ大統領は中国に対して間違ったメッセージを与えないようにと細心の注意を払っていた。
日本の記者からの釣魚島問題に関する質問を安部首相が取り上げると、オバマ大統領はこの問題に触れることを拒み、そそくさと記者会見を終了させるべく指示を出した。
上記の内容が当を得た、客観的な分析であるかどうかは専門家の方々にお任せしたい。分析結果は分析者の軸足が何処に置かれているかによって様々な筋書きとなることだろう。とは言っても、上記の内容の半分でも本当であるとしたら、私たちが日本の主要メデイアから学んでいる内容は非常に貧弱なものだという可能性が残る。
上記のような内容が日本の国内でも日米首脳会談の様子として報道されていたかどうかは知る由もないが、日本の主要メデイアだけに頼っていると、特に、主要メデイアを何紙も購読するような贅沢な選択肢を持ち合わせない一般大衆の理解はかなり偏向したものに終わってしまうのではないか。
 

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日本国内ではどうだったのだろうか。私はブカレストに住んでおり、日本の新聞を隅から隅まで読むことはできない。
インターネットには各新聞社の記事や週刊誌の記事が掲載されている。テーマが決まったら、そのテーマでインターネット情報を検索する。この検索によって、新聞、雑誌、ブログ、メールマガジン、と広範な情報源を漁ることが可能だ。英語でも同じ作業を繰り返す。中国や韓国発の新聞記事は英語での検索によって見つかることが多い。
「天木直人のメールマガジン」2013228日第147[3]によると、日本の主流メデイアの中では毎日新聞が他社とはまったく違った報道をしていたそうだ。この指摘は日本の主流メデイアの現状を学ぶ上で非常に重要だ。
「『日米の絆と信頼を取り戻し、緊密な日米同盟が完全に復活した』―オバマ大統領との会談を終えた安倍晋三首相はこう自賛した。ところが中国の新華社電は『日本は冷遇された』と報じた。まるで逆だ。東シナ海で日米同盟と対立する中国が会談の成功を喜ばないのはわかる。だが、『絆の回復』と『冷遇』とでは違いすぎる。どちらが事実により近いのか・・・」

こういう書き出しで始まる228日の毎日新聞「木語」という論評コラムは極めて重要な意味を持っている。
なぜならば書き手の金子秀敏専門編集委員は新華社電の見方がより正しいと認めているからだ。

大手メディアの幹部がこのような認識を示すことは例外的だ。それほど安倍首相の自画自賛はうそ臭いということだ。

しかし私がこの論説で注目したのはその事ではない。

金子秀敏編集員がその根拠にあげた「オバマ大統領は中国に配慮していた事は事実だ」と書いている事だ。

そしてその根拠としてオバマ大統領は中国や尖閣問題を一言も口にしなかった事を挙げているくだりである。

金子氏は要旨次のように書いている。

同盟関係の復活を評価するには安保問題でどのような話し合いが行われたかをみなければならないが、日本の報道はTPPの事ばかりだ。唯一安保問題で報じられたのは普天間の辺野古移転を急ぐことと、Xバンドレーダーの京都・丹後半島への配備だけだ。

ところがこの丹後半島へのXバンドレーダー配備は北朝鮮の弾道ミサイル追迎撃を目的とするもので、これまで米国が発表していた中国に対するミサイル迎撃包囲網からの変更である。

なぜ変わったのか。オバマ政権が対中政策を修正して中国にサインを出したのだとしたら、『日米の絆』で尖閣問題が日本に有利になったと思うのは早い、と書いている。

このような分析はこれまでの日本の報道でははまったく報じられなかったことだ。

それにも関わらず金子委員が知っているということは日本の主要メディアは皆知っているということだ。

今度の日米首脳会談で何が話し合われたのか。

我々は正確なことは何も知らされていないのではないか。

メディアは安倍政権にとって都合の悪い事は一切書かないのではないか。
そしてこの金子委員のようにみずからの小さなコラムのなかでそれとなく書いてジャーナリストとしての後ろめたさを晴らしているのではないか。

日本は安全保障政策という日米同盟の根幹の部分で米国に振り回されているのに違いない。

私はそう思ってこのコラムを読んだ(了)

天木直人氏が引用した毎日新聞の記事の中には、「オバマ大統領は中国や尖閣問題を一言も口にしなかった」というキーワードが見られる。これは新華社の報道に基づいたもののようである。一方、私が上記に引用した記事は中国日報の報道だ。中国のメデイアは揃って米国政府の中国に対する姿勢を中国にとっては好意的なものだったと分析している。
翻って、中国と対決するために米国の肩入れを必要としている阿部政権にとっては、これらの中国のメデイアが報道した米国政府の姿勢は決して好ましい状況ではない。
また、日本のオンラインニュースの配給を行っている「J-CASTニュース」の225日の報道[4]によると、下記のような具合だ。
環太平洋経済連携協定(TPP)への交渉参加が確実になるなど、日本では一定の評価を受けている日米首脳会談が、中国メディアでは冷ややかに報じられている。
尖閣諸島問題についてオバマ大統領から特に発言がなかったことを根拠に、「その『タカ派』的態度を抑えざるを得ない」と安倍晋三首相を揶揄してもいる。 
中国国営の新華社通信は2013223日、「安倍首相は米国で冷遇された」と題する国際論評記事を配信した。記事では、訪米は安倍首相の「念願が叶って実現した」が、米国の冷淡な態度で「(安倍首相の期待は)『取らぬ狸の皮算用』で、その『タカ派』的態度を抑えざるを得ない」と論じた。 
記事では、会談や記者会見の時間が短かった上に、晩餐会がセットされずに昼食会にとどまったことなどを「冷遇」の根拠として挙げている。また、安倍首相は尖閣諸島問題でオバマ大統領の支援を取り付けることを希望していたが、空振りに終わったことも指摘。その背景を、「米中の経済、政治、軍事、文化交流は絶えず深くなっており、中国の米国に対する戦略的重要性は増している。オバマ政権で最も重要なのは経済政策で、戦略面で米中関係の発展を重視せざるを得ない。そのため、核心的な利益ではない尖閣諸島の問題で、軽々しく中国と事を構えることはできない」と独自な分析を披露、オバマ政権が中国を重視し、配慮したためだとした。 
新華社以外にも広州日報や光明日報が同様の指摘をしている。不用意に日本に肩入れすることで米中関係の悪化を避ける狙いが米国側にある、という見方だ。
 

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毎日新聞が小さな記事ながらも日米首脳会談の様子を分析し報道してくれたことはありがたい。しかし、他の主流メデイアは関心を示さなかった。ジャーナリズム精神は何処へいってしまったのか。残念なことだ。日本の主流メデイアに対する最大の懸念あるいは不満は「透明性が保たれてはいない」という点に集約されるのではないか。
一方、メールマガジンやオンライン・メデイアは一味違う。そこには少しでも真理に近づこうとするジャーナリズム精神が伺える。

余談になるが、英国のガーデイアン紙は「オープン・ジャーナリズム」に徹することがメデイアが今のデジタル時代を生き抜く唯一の方法だと公言している[5]

同紙は購読者が作る記事を掲載した最初の新聞のひとつであり、目的を達成するためにインターネットでさまざまな人の助けを得て報道内容を完成させるという手法を編み出した。ガーデイアンの編集長、アラン・ラスブリッジャー氏は「ジャーナリストだけがこの世の専門家という訳ではない」と言っている。つまり、社外のさまざまな人たちと一緒に新聞記事を作りたいと言っているのである。この編集長の言葉を聴いたら、NHKのアナウンサーを辞職することになった堀淳さんは小躍りするに違いない。

最も興味深い点は、ガーデイアン紙がオープン・ジャーナリズムを作り出そうとしているのではなく、今何かがジャーナリズムの世界に起こりつつあると述べていることだ。業界を取り巻く変化に対する適応力を自覚することによって同紙は今新分野を開拓しつつある....
日本のメデイアの透明性を論じるに当たっては、このオープン・ジャーナリズムという方向性は非常に示唆に富んでいると思う。遅かれ早かれ、日本のメデイアは生き残りのためにこの新しいパラダイムに挑戦せざるを得ないと思う。 


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日本政府にとっては米国の本当の姿を認めることが不都合なのだろうか。あるいは、米国政府の深層心理を分析することはタブーだとでも言うのだろうか。現実の姿が目と鼻の先にありながらもそれを見つめようともせず、現実からは乖離した世界に身を置いていたいのだろうか。もしそうだとすると、日本の政治の世界は不健全極まりない。
「日本は安全保障政策という日米同盟の根幹の部分で米国に振り回されているのに違いない」という天木直人氏の指摘は鋭いと思う。さもありなんという感じだ。
414日の報道によると、米国のケリー国務長官は14日、日本と中国が対立している尖閣諸島(中国名・釣魚島)問題について、「日本の施政下にあると認識しており、現状を変更しようとする一方的な行動に対して米国は反対する」と述べた[注6
この小さな報道記事は原題が「U.S. Opposes ‘Coercive’ Action on Dispute East China Sea Islands」という英文記事の抜粋である。そこで、原典を覗いてみると、上記の引用部分の直後にもうひとつの文章がある。そのくだりは「米国は日本では尖閣諸島、中国では釣魚島として知られている島に関する論争についてどちらか一方の肩を持つことはしない、とケリー国防長官が述べた」となっている。クリントン前国防長官以来の米国の決まり文句である。
米国政府は日本に対して中国包囲網という外交政策を押し付け、日本政府はすっかりその気になっている。その一方で、米国はその存在感が大きくなる一方の中国に対して経済、外交および軍事の面で細心の注意を払っているのが現状だ。そして、米国政府は中国に対して間違ったサインを送らないようにしていると公言してさえもいる。そこには米政府の最も得意とするダブルスタンダードを見る思いがする。米国の政府内あるいは議会には様々な意見や違った信条をもつ人たちがいる。まったく違った意見がひょいと顔を出すことがよく起こる。
したがって、「尖閣諸島有事の際米国はどうするのか」という命題に関しても様々な意見がある。
軍事専門家のひとつの意見としては米軍のデンプシー統合参謀本部議長に代表される意見。来日中のデンプシー統合参謀本部議長は425日に「日本との関係を犠牲にしてまで中国との関係強化を優先するかと聞かれたら、答えはノーだ」と述べている[7]。また、「アメリカは日米安全保障条約に従って行動する」と述べ、尖閣諸島についても防衛義務を果たしていく考えを示した。現役の職業軍人の考えとしては当然の内容と言えようか。ただし、尖閣諸島の防衛のために中国を相手に戦争をするのかしないのかを決めるのは統合参謀本部ではなくて、あくまでも米国の議会だ。
その対極にあるのはワシントンの戦略研究シンクタンクの「海軍分析センター」の上級研究員のマイケル・マクデビット氏だ[8]。その要旨は下記のごとくだ。
三十余年の現役軍人としてはほとんどの年月をアジア関連で過ごし、駆逐艦や航空母艦の艦長から太平洋統合軍の戦略部長、国防長官直属の東アジア政策部長などをも歴任している。米国議会の政策諮問機関「米中経済安保調査委員会」は4月4日、「東シナ海と南シナ海での中国の海洋紛争」と題する公聴会を開いた。中国が東シナ海や南シナ海で領有権をいかに拡大し、主張の衝突する他国にいかに戦いを挑むか、というのが主題である。そこにこのマイケル・マクデビット氏も招かれ、その場でマクデビット氏が述べた提案の核心は「尖閣諸島の防衛に関して、米国がいかに日本の同盟相手であっても、あるいは、米軍がいかに中国の尖閣攻撃への反撃を望んでいたとしても、実際の中国軍との戦闘は日本の本土が攻撃された場合のみに留まるべきだ」というものである。
イラクおよびアフガニスタンへの派兵ですっかり消耗した米国としては中国と戦争を起こすという選択肢はあり得ないのではないか。国内の世論が許さないだろう。
今後、尖閣諸島有事の際に米国政府が取るべき姿勢は米軍の直接介入と非介入との間で揺れ動くことだろう。米政権の内部は一枚岩ではないと指摘されて久しい。しかしながら、結局、米国としては中国との軍事衝突はあくまでも回避したいというのが集約された本音なのではないか。日米安保条約の下で米軍がどうしても介入しなければならないのは日本の本土が中国軍の攻撃を受けたときだけだという論理は今の米国には非常に説得力をもって聞こえるのではないだろうか。
何れにしても、尖閣諸島問題では米政府の高官あるいは米軍トップの発言によって一喜一憂させられる状態はしばらく続きそうである。この問題は日本の国のあり方や憲法にまで遡って論議しなければならないテーマでもある。
 


参照:
注1: What to Expect from Obama and Abe’s U.S.-Japan SummitBy Scott Harold, Feb/22/2013, www.rand.org › The RAND Blog

2: Abe fails in US islands mission: By Chen Weihua, China Daily (中国日報), Feb/25/2013, www.chinadailyapac.com/article/abe-fails-us-islands-mission
注3「日本は冷遇された」事を認めた毎日新聞編集委員:天木直人のメールマガジン2013228日第147

注4中国メディア「オバマ大統領は安倍首相を冷遇」 米国が「対中配慮」、肩入れ避けると分析:J-CASTニュースニュース社会、21013225
注5: Guardian says open journalism is the only way forward: By Mathew Ingram,  Mar/01/2012, newsle.com/article/0/12659687/
 
注6: 米国務長官、尖閣諸島は日本の施政下―現状変更の行動に反対表明 : ブルームバーグ、2013414日
 
注7: 「日米安保条約に従い行動」米軍デンプシー議長: テレ朝ニュース、2013425
 
注8: 米軍は「尖閣を守るな」という本音 ― 価値のない島のためになぜ中国軍と戦闘するのか?:  古森 義久、2013410日、http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/37543

 

 


2013年4月13日土曜日

ブカレストの旧市街地「リプスカニ」を歩く


今スモモの花が満開。日本の桜に代わって当地ではこのスモモの花が春爛漫の風景を決定付ける中心的な花だ。


草地を見ると、オオイヌノフグリが絨毯を敷き詰めたようにタンポポの周りを覆い尽くしている。小さな草花がその息吹を競い始めている。水仙も咲き始めた。

オオイヌノフグリとタンポポ


今日
(46日)は晴天に恵まれ、外出日和となった。娘と二人で古いデパートのひとつ「ウニーリ・デパート」へ出かけ、さらにその目と鼻の先にある旧市街地へも寄ってみた。

この旧市街地(「リプスカニ」と呼ばれている)には第二次大戦前の市街が残されている。第二次世界大戦中、1944年の初期、ブカレストの街は連合軍の空襲に遭ってかなりの被害を出したと言われている。このリプスカニ地域のどの建物が戦前からのものとして残されているのかはまったく分からないのだが、通り全体の雰囲気は言うまでもなく新興の地域とはがらりと違う。 無数の飲食店が通りを埋め尽くし、市民や旅行者にとってはそれぞれの家族や友人たちと食事をしたり、ビールとかコーヒーを飲みながらひと時を過ごすにはもってこいの雰囲気。庶民的な感じだ。幾筋もの通りがあって、どこからこんなに人が集まってくるのだろうかと驚いてしまう程。もう少し暖かになると、特に週末は路上に置かれたテーブルはすぐに一杯になってしまう。空席を探すにはさらに歩きまわることになる。
 



リプスカニ地域へ

路上のテーブルが埋まり始めた。


テレビのクルーがやって来た。撮影の準備を始めている。


このパブの入り口には洒落たメッセージが掲げられている。We are proudly welcome heavy drinkers. たとえ猛者ではなくてもいいから、ちょっと立ち寄ってみたくなるような粋なメッセージ。ビールのブランドはカールスバーグ。


この二人はパーテイーにでも出かけるのだろうか。それとも、商売?しっかりと準備ができた感じだ。

石畳の通りは続く。
 


脇の細い通り


街角ではグラフィテイの被害が目に付く。残念なことだ!

とは言え、「この細い通りの向こうにはどんな店があるのだろうか」などと思いを巡らしてしまう。


柱や飾り物としての彫刻が戦前の雰囲気を伝えてくれている。チャウシェスク時代に建設された無数のアパート群とは違って、味わい深い佇まいを見せている。

8月23日の革命記念日がルーマニアの祝日として非常に重要であった頃、私はルーマニアでふたつのプロジェクトに従事した。合計で7年間。今年の1月に亡くなったセルジウ・ニコラエスクという映画監督が幾つかの映画を作っていた。一世を風靡していたものだ。一番人気は「ソバカス少年」(1973年)とでも直訳しおうか、一人の少年が主人公。彼の回りにストーリーが展開する、結構面白いシリーズ物だった。あの映画は70年代の社会主義というしっかりとした秩序の中から過去を振り返ったもので、社会主義が非合法だった頃の世相をよく描いていたように思う。このリプスカニ地域の佇まいはあの映画の雰囲気を思い出させてくれる。
監督自身も俳優として社会主義活動家を演じていた。当時のことだから、グレーのダブルのスーツにちょっとだぶだぶの感じのズボン、さらには中折れ帽という格好。通りの角を曲がったところで、彼がヒョイと目の前に出て来てもおかしくはないような印象だ。




角地に立つ建物に「寿司」の看板があった。
当地では寿司は高価な食物であって、市民の間ではもっぱらビジネス・ランチ用という理解が浸透している。残念ながら、それが今の位置づけだ。


戦前様式の建物が続く。正面に見える建物はある銀行の建物。


幾つか前の写真で見たものとほぼ同一の様式の柱がここにも見られる。


柱や彫刻の一部を拡大するとこんな感じだ。良く見ると、幾つか前の写真で見た柱の装飾よりもずっと手の込んでいる。当時はこういった装飾にお金や手間暇を掛けていたようだ。


この右側の建物の尖塔が見事だ。



路上のテーブルが開いていたので、コーヒーかビールをとることにした。オーダーをして数分も経たないうちに「屋内へ移ろう」ということに決まった。日陰になっていたからか、それとも、風が出て来たせいなのか、いささか寒い感じがしたからだ。

屋内へ入ると結構な混雑振り。やはり、お客さんの多くは中へ移動したのかも。一階は満席だったので、私たちは地下の階へ案内された。




この店の名前は Caru cu Bere という。

直訳すると「ビールを運ぶ荷馬車」という意味。創業は1879年だというから、日本では明治11年のことだ。20年後には現在地へ移転したと言われている。戦前からブカレスト市内の名所のひとつだったらしい。
メニューの作り方が面白い。新聞の紙面を連想させるのだ。





通常、夜の12時まで営業。金曜日と土曜日は夜中の2時までだという。繁盛している様子。

メニューを覗いてみる。学生たちを相手に特別にあつらえた「学生メニュー」が含まれており、目を引いた。幾つかのメニューに共通しているのはこの店自慢のビールCaru cu Bereまたはレモネード(それぞれ300cc)がついている。次のような具合だ。

「学期メニュー」はとにかく学期を通じて何とか過ごそうという、ウィンナーソーセージ。

「奨学生のためのメニュー」はギリシャ風サラダ。一番簡単なメニュー。

「トランシルバニア地方の学校のメニュー」は鶏肉たっぷりの内容。
「落第生のためのメニュー」もある。内容はミッチが3個。実質本位の感じで、決して悪くはなさそう。
「優秀生のためのメニュー」は鶏肉のシュニッツエル(カツレツのような料理)。さすがに一番豪華な感じ。

夜道の足元が心配になる方はお早めにどうぞ!

このリプスカニ地域については、「これから何度もご厄介になることだろうな」との予感がする。
 

 

 














2013年4月10日水曜日

TPP反対を掲げる米国市民グループの動き(その2)


314日に「TPP反対を掲げる米国市民グループの動き」と題するブログを掲載した。これは米国の市民グループ「パブリック・シチズン」の動きを紹介したものである。そこでは、長年市民運動を通じて勝ちとったきた環境や健康に関する進歩的な政策がNAFTA(北米自由貿易協定)やTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)のISD(投資家対国家間の紛争解決)条項によって逆戻りさせられるとの懸念が詳しく論じられている。
 

TPPISD条項に批判的な立場を表明するこの市民グループの論理は、TPPを推進したい米国の多国籍企業や投資家と比べると、その対極に位置するものだ。つまり、一般消費者の立場を鮮明にしたものである。TPPに関して今なぜこのような市民グループからの批判が表面化しているのか。それは、TPPよりも20年近く前から実施されてきたNAFTA(北米自由貿易協定)による様々な弊害が米国と自由貿易協定を締結した国々で起こっているからである。
 

国際条約に拘束されて、当事国の政府は住民が必要とする法律を立案しそれを実施することさえままならない。環境の劣化が放置され、遺伝子組み換え作物の表示義務の緩和に伴い毎日の食の安全を確保することができない状況となる。医薬品の特許有効期間の延長によって医療費が高騰し、思うように医療の恩恵を受けることができない人たちが続出することになる。国民の毎日の暮らしが影響を受けるのだ。
 

TPP導入後の日本について推測すれば、利潤目当ての民間企業による健康保険制度が導入され、国民皆保険制度は崩壊、入手可能な医療の内容はその人個人がどれだけお金を払えるか次第となる。持てる人たちは十二分な医療を受けることができようが、持たざる人は医療の恩恵をあきらめるしかなくなる。日本の人口の99パーセントを占める一般大衆は平等に健康を維持する選択肢を奪われ、子供たちの健康な将来も台無しにされてしまう。このような状況こそが「TPPは何のための自由貿易協定なのか?」と疑問視される所以である。
 

一般的に言って、日本は環境問題を解決するため、ならびに、国民の健康を維持・向上させるために高度な社会システムを築き上げ、それを運営してきた。今や世界に誇れる長寿国でもある。そればかりではなく、都心部でも空気がきれいで、かってはどぶ川同然だった河川にも鮭が遡上し始めたと報告されて久しい。しかしながら、米国主導のTPPの導入によって、国民の誰もが健康に長く生きることの幸せが侵害されるかも知れないのだ。
 

 

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TPPを推進する米国政府のお膝元では、今までTPPに関する交渉についてその内容を知ることができたのは500社程の企業群とそれらを代表する弁護士だけであったと言われている。それ以外の人たち、つまり、情報の取得には最も機敏でかつその術を持っている国会議員や法律専門家、市民団体を含めて、大多数の一般米国人に対しては徹底した秘密主義が維持されてきたという。
 

ある米国内のブログ[1]によると、現状の秘密主義にたまりかねて、130人の議員たちが一団となって、昨年の7月、米国通商代表部のロン・カーク氏に宛てて苦言を呈した。TPPの参加国との交渉内容が議会側にまったく伝わって来ないことが最大の問題点であると指摘。米国の議会関係者にとっては、TPPの成立に伴って現行の国内法を変更する必要性が出て来ることが容易に予測され、そればかりではなく、関連のある法律を将来変更することはTPPの再交渉を行わない限り不可能だろうと見られている。つまり、法体系の大混乱が懸念されているのだ。
 

米国議会の不満が目に見えるような気がする。この事実はTPPがどんな性格を持つものか、あるいは、TPPをどのように設立しようとしているのかをつぶさに物語るものだ。それは多国籍企業や資本家たちの企業利益を最優先にする「ごり押し」の姿そのものであると言えよう。
 

今年の34日、400以上の市民団体が米国の議会宛に手紙を書いた[2]。それは、改善する様子がまったく見えてこないTPP交渉の不透明さについての不満からだった。「政府は貿易協定の一括交渉権を破棄し、もっと民主的な交渉を行い、承認の手続きをとるべきだ」と訴えている。この議会宛の手紙は100以上もの全米規模の市民団体や300以上にも及ぶ州や市レベルでの地域社会における市民団体から発信されたもの。個々の団体の性格は非常に広範に及び、労働、環境、家族経営の農家、消費者、宗教、健康、先住民族、人権、等多数が含まれている。
 

米国通商代表部にとっては最悪のシナリオとなるだろうが、自国内の市民グループの動きが議会や政府にとっても無視できない大きな政治的圧力となる可能性があると言えよう。議会関係者の間に漂うTPP交渉の不透明さに対する強い不満とも相俟って、ある日、TPPが流産するかも知れないのだ。今後も注目して行きたいと思う。
 

 

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一方、日本政府はTPPの経済的効果を公表した。315日のNHKの報道[3]によると、政府の推算によれば、日本経済への効果は実質GDPを年間で3.2兆円、率にして0.66%増やす効果があるとしている。このうち国内の農林水産業では、米や小麦、砂糖など主な農林水産物33品目について関税が撤廃された場合、現在の国内生産額の7.1兆円のうち、3兆円が減少するという試算が示されている。
この減少幅は実に「42%減」という大きな変化だ!
農業について言えば、北海道が受ける影響は非常に大きい。日本全体の食料自給率に対する寄与が非常に大きい北海道における農家の戸数は半分以下に減少するだろうと推測されている[4]
「北海道の畑作で最も注目すべき技術は輪作であるという。てん菜→ばれいしょ→小麦→小豆あるいはトウモロコシ、と毎年栽培する作物を入れ替える。てん菜とばれいしょは根菜だから冷害に強い。また、てん菜は大根だから、その深耕作用によって土壌の改善に役立つ。豆類は空中窒素を固定させる役割を果たし、麦の密植は雑草を増やさないというクリーニング・クロップの役目も果たす。家畜がなくても四つの作物を回転させることによって土を肥やすことができる。今では世界の畑作のなかでもっとも優秀といわれている」とのことだ[4]。これは北海道農業が世界に誇る農法だ。
しかしながら、試算ではTPPによって小麦、てん菜、でん粉原料用のばれいしょ、小豆の産出額は80100%減少する。輪作用作物のひとつでも無くなると大きな影響が出ることは明白だ。野菜を栽培すればいいじゃないかとの指摘もあるが、野菜の場合は生産過剰による価格の低迷、等の難しい問題がつきまとう。
この政府の試算は甘いのではないかとの指摘もある[5]。東京農工大学名誉教授の梶井功氏の指摘によると、「試算結果は日本経済全体としては、GDPで0.66%、3.2兆円の増加になるが、農林水産物では3兆円の減少、農産物だと2兆6600億円の減少になり、食料自給率は27%に低下する。」
すでに非常に危険な40%にまで低下している日本の食料自給率がさらに27%にまで低下するというのだ!
不思議なことには、先に引用したNHKの報道[3]では食料自給率が27%にまで低下するとは一言も触れてはいない。NHK27%という数値は刺激的過ぎるとでも判断したのだろうか。最近何年か前に食料自給率が「45%になった」、「40%になった」と、その危機的状況について何度も報道していたのはNHKだったと思うのだが。何らかの作為が感じられる。
また、梶井功名誉教授はさらに次のような指摘もしている。「TPP参加11カ国のうち、最大の米の生産国であるベトナムについては、ベトナムでも一部で短粒種を生産しており、将来的には短粒種の増産が行われることも想定されるが、その拡大ペースや規模は現時点では予測が困難とし、ベトナムからの輸入はないものとしている。が、そのベトナムのアンジメックス・キトラ社(木徳神糧(株)の合弁会社)は、目下は東南アジアを中心にしてだが、すでに日本米約5000トンをkg当り1ドルで輸出している(13.3.22付全国農業新聞所収谷脇修「ベトナムの稲作事情」)。ベトナムを計算に入れないのはどうかしているといわなければいけない」と。
つまり、競争力が強いベトナム産のお米が日本へ輸出され始めると、上記の数値は大きく変化することだろう。日本の食糧自給率はさらに低下することになる。
因みに、最近のベトナムのお米の年間生産量は25.4百万トン(世界で第5位)で、日本の生産量は7.7百万トン(世界で第10位)である(出典:米国農務省、World Markets and Tradeから)。一度、ベトナム産の米が日本市場への輸出の妙味を味わった場合、梶井功名誉教授のご指摘にもあるように、その輸出余力は非常に大きいと理解しておくべきであろう。
もうひとつの梶井功名誉教授の重要な指摘事項は、政府の今回の試算は過小評価ではないかという点だ。
「農水省はこれまでに関税が撤廃されたときの日本農業への影響を二度発表している。第1回は対オーストラリアEPA交渉が始まった07年時点のもの、第2回は今回のTPP問題が浮上してきた1010月時点のもの。」これらはすべての国に対して関税が撤廃された場合を想定した試算であった。第1回目の試算によると「農産物の生産減少額36000億円、食料自給率40%から12%へ」、第2回目の試算によると「農産物生産減少額41000億円、食料自給率14%に」という結果だった。梶井功名誉教授は「農水省は前試算のように全世界を対象に関税撤廃の時の試算を示すべきではないか」と指摘している。
日本の食糧自給率が壊滅的なレベルに低下することは明白だ。そして、上記に論じているように、問題は単に農業分野だけではなく、他にも数多くの分野で困難な問題を抱えることになる。それぞれの分野での問題はどれを取り上げても非常に厄介な問題であることをもう一度ここで理解しておきたい。           

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原発の炉心溶融という重大事故に見舞われた福島県では原発周辺に住む人たちばかりではなく東日本の多くの人たちに不安を抱かせている。子供を持つ家庭に崩壊をもたらし、若い女性は結婚し子供を持つことに自信を失っている。日本政府の対応の現状は福島県の皆さんの気持ちを切り捨てたに等しいと言えるのではないか。
428日は沖縄に住む人たちにとっては「屈辱の日」だとされている。しかしながら、1952428日のサンフランシスコ平和条約の発効を記念して、日本政府は今年の428日を「主権回復の日」として式典を開催すると閣議で決定した。これは沖縄の人たちの気持ちを切り捨てたに等しい。
日本の食糧を支えてきた北海道では「オール北海道」の民意としてTPPに反対してきた。この北海道についても、日本政府は北海道の人たちの気持ちを切り捨てたに等しいと言ったら言い過ぎだろうか。
日本の政治には国民を蔑ろにする事例が余りにも多い。日本の何処に民主主義があると言うのだろうか。これでは、お隣の国を笑える立場にはまったくないのではないか。「どこの国でも政治とはそんなもんだ」と言いたい人は少なくはないかも知れないが、ここに述べた私の気持ちは自分が生まれ育った国についてはつい冷静さを失い、感情的になってしまったということなのか。

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ここで、米国市民グループの「パブリック・シチズン」のローリー・ワラック氏のブログの後編[5]に戻ろう。
TPPISD条項に関する議論には少なくとも二つの議論がある。何れもTPPの文脈の内側と外側からの議論となっている。
公共の利益に関する国内政策に対して大きな脅威となる
投資家対国家の紛争に関する訴訟で何百万・何千万ドルもの賠償金を勝ち取ったり、あるいは、国民の重要なニーズに対して当事国の政府が必要な行動を起こすことに先んじて政府のやる気を損なったりする。それらのどちらであったとしても、国際投資家の権利や投資家と国家間の仲裁の現在のあり方は人々の健康や環境、水、その他の天然資源に関する段階的な改革に対して著しい制約をもたらすものになるだろうと見られている。さらに、ISD条項は、財政危機あるいは気候変動などの緊急の要請に対して効果的な対応をしようとする政府の能力や機能に対して大きな脅威になるだろうとの理解が浸透し始めている。これらの緊急課題に対して政府は新たな規制や施策を動員しなければならないが、それさえも不可能となるのだ。
ISD条項に基づく訴訟を考えただけでも、必要な政策の発議に対して惨憺たる結果をもたらす場合がある。例えば、エル・サルバドルでは、何百万人もの人たちのためにきれいな飲料水を確保する上で非常に重要な鉱山開発に関する規制改革が、CAFTA(中央アメリカ自由貿易連合)条約の下で、ISD条項に基づく訴訟を前にして動きがまったく取れなくなってしまった。カナダでは、オンタリオ州政府が提案した無過失自動車保険ついては、NAFTAに基づく保険会社からの訴訟の脅威から、州政府はその提案をあきらめるざるを得なかった。さらに、カナダ連邦政府は、MMT(米国内でさえも幾つかの州で発癌性の懸念から禁止されているガソリン用添加剤)を全国的に禁止する措置をとろうとしたが、米国のエチル・コーポレーションからのISD条項に基づく訴訟後、禁止措置を撤回することになった。
上記の例を見ると、国内政策がISD条項によって如何に影響を受けることになるのかが手にとるように理解できると思う。重要な点は、これらの事例は実際に起こったことであるという点だ。
NAFTAの申し子として喧伝され、日本政府がそれに参加すると決めたTPPの将来の実態を想像するに、日本でも同じようなことが数多く起こることであろう。私が予てから主張してきたことでもあるが、このような状況こそがTPPを米国の新自由主義による日本の富を収奪するシステムであると見なす決定的な理由のひとつである。海外に製品のはけ口を求めるグローバリズムは、一企業の利益の追求の観点から見ると必然的な将来の姿であるとも言えるが、TPPを通じて企業利益を追求するアプローチは政治的にも倫理的にもまったく不健全である。非常に醜悪だと言わざるを得ない。
ISD条項に基づいて損害賠償を求めてなりふり構わず訴訟に走る米国企業の経営者、あるいは、投資家は利益の追求のためにはそうしなければならないところにまで追い込まれていると言えるのかも知れない。TPPへの参加後は、日本はそういう国を相手に今後何十年もお付き合いをして行かなければならないということだ。
ISD条項に基づく訴訟は手荒な交渉手法のひとつとして急増している。米国とペルーとの間の自由貿易協定(FTA)の下で争われているペルー政府を相手にしたレンコ(Renco)社の例を考えてみよう。これはレンコ社の子会社、ドー・ラン(Doe Run)社がラ・オロヤ(La Oroya)という町に所有する金属の精錬工場によって引き起こされた厳しい環境汚染に関連するものだ。この町の環境汚染は世界のトップ・テンにランクされている。レンコ社が環境の改善策を何年にもわたって遅延してきたことから、ペルー政府はこの設備を閉鎖させた。レンコ社は、20114月以降そうしようと思えば何時でも行動を起こすことは可能であったが、2010年の最初の警告以降FTAに基づく行動を起こそうとはしなかった。
しかし、レンコ社はISD条項をひとつの戦術として活用した。汚染物質を収集する設備を設置しないままに精錬所を再開し、過去の環境汚染によって健康を害した子供たちに対する賠償を求める米国内での訴訟を回避するべく、ペルー政府に対して圧力をかけようとした。ラ・オロヤの設備に汚染対策を設置するとの契約条項の履行は不首尾に終わった後、レンコ社は1997年の環境修復に関する合意をてこに三期目の設備拡張を申請した。しかし、ペルー政府は許可しなかった。レンコ社はISD条項に基づいてペルー政府に対して8億ドルの賠償を求める訴訟を起こすに至った。
ペルー政府はラ・オロヤの精錬所が亜鉛の精錬を再開することを認めた。2012年の11月、ドー・ラン社は鉛の精錬を再開するために第一歩を踏み出した。その結果、新たな環境汚染がすでに報告されている。その一方で、レンコ社は、精錬所によって健康を損ねたラ・オロヤの子供たちに対する賠償を求める米国ミズーリ州の裁判所での訴訟を遅延させ、うまく行けば脱線させようと目論んで、ISD条項に基づく訴訟を上手くちらつかせていた。
レンコ社は州の裁判所から同社に対して損害賠償を求める訴訟を何とか撤回させようと3回も試みた後、ISD条項に基づく訴訟を行い、これが連邦裁判所を通じて同社の4回目の試みを成功に導く結果となった。何故このようなことが起こるのだろうか?「訴訟の内容が当事者間の仲裁に関連し、それが条約(Convention on the Recognition and Enforcement of Foreign Arbitral Awards: 外国仲裁判断の承認及び執行に関する条約)の範疇にある場合、米国法は州の裁判所における訴訟を排除することができる」との裁定が下された。
このレンコ社のケースを見ると、最終的に米国の連邦裁判所は自国の企業の利益を最優先し、自国企業を巧妙に擁護していることが分かる。これは、米国企業が標榜する自由貿易は仲裁に入った後も連邦裁判所からの強力な援護を受けることが保障されているようなものだ。 「自由貿易」の「自由」とは米国企業にのみ適用され、相手の国に適用されることは決してない。これは穿った見方だろうか。
司法システムに対する脅威
法律専門家や法律研究者ならびに国内の弁護士にとっては、ISD条項に対する批判は構造的なものであり、その批判の焦点は産業界に私有化されたも同然の平行的な司法システム(つまり、投資家対国家間の紛争に関する仲裁システム)に向けられている。
ISD条項に絡んだ仲裁法廷に職業的なサービスを提供する弁護士たちの多くは相手の政府を攻撃する企業の代理人の役目も務めており、この事実は弁護士たちがある時は仲裁者の役割を、また、ある時は投資家の弁護士の役目をたらいまわしするといった状況を作り出しており、この制度の内部には大きな利害の衝突が生じている。判事にとっては倫理にもとる振る舞いである。ヴィヴェンデイ社対アルゼンチンの訴訟では具体的な利害の衝突が起こった。その事例では、仲裁者の一人がヴィヴェンデイ社の株式を保有する銀行の重役であったにも拘らず、賠償請求が却下されることはなかった。この仲裁者は自己の利害関係を公表せず、ましてやこの状況を理由に仲裁役を退くべきであったのだが彼女はそうしようともしなかった。
ここには現行のISD条項に基づく仲裁制度が如何に杜撰なものであるかが描写されている。これが実態なのである。これは私自身もブログで何回となく報告してきたISD条項の負の側面のひとつだ。
付け加えるに、出来高払いで支払いが行われることはない国内の判事とは対照的に、仲裁裁判所の判事に対しては時間当たり幾らで報酬が支払われている。このことから仲裁プロセスが長い期間になる傾向を許し、最終的にその訴訟が却下された場合であっても、当事国の政府には、通常、請求書が回ってくる。このような費用の支払い制度が、単なる訴訟であったとしても、多額になるかも知れない費用を回避しようとして、投資家の言い分に同意してしまおうとの動機を政府に強いている。
ISD条項の体制には法律上より根源的な懸念がもう1点ある。それは、外国企業が国家主権による免責特権の保護を避けて通ろうとするだけではなく、国内裁判所の管轄外で国内法や規制に対して挑戦する傾向にあることだ。国際法においては救済手段の追求が大原則であるのだが、国際仲裁法廷への提訴を行う前に国内の救済手段を徹底的に追求する義務がここでは求められてはいないのだ。
日本国内での昨年の議論の一部を思い出す。国際条約は国内法よりも優先して適用されるという事実が国会で何回も議論されていたことは我々の記憶には新しい。しかしながら、TPPという国際的な条約の内容がかくも非倫理的であり、国内法と相容れない内容であるという事実は、残念ながら、国会の議論ではまったく現れなかったような気がする。
さらには、 仲裁法廷が現金による損害賠償を裁定するだけではなく、差し押さえによる救済をも裁定したことから、国内の司法システムに干渉するためにISD条項に基づく訴訟を活用するといった司法上の厳しい利害の衝突が発生している。例えば、米国とエクアドルとの間に締結された二国間投資協定(BIT)の下で争われているシェブロン対エクアドルの訴訟では、仲裁法廷がエクアドルの行政機関に対して憲法で定められている三権分立に違反するよう命じ、エクアドルの控訴裁判所による裁定(シェブロン社はエクアドル領のアマゾン流域における環境汚染に対して支払いを命じられていた)の執行を何とか食い止めようとした。 
この事例は、レンコ社の事例と並んで、米国内の裁判所による司法を避けるためにISD条項がどのように活用されているかを示している。シェブロンに対する訴訟はエクアドル領内のアマゾン流域で同社による石油の採掘事業によって汚染を受けた地域住民や農民のために米国の裁判所に持ち込まれた。公正な裁判はエクアドルでしか得ることは出来ないとしてシェブロンが2002年にこの訴訟をエクアドルの法廷に移そうとして行動を起こした時、10年間にも及ぶ訴訟手続きを経ていた本件は連邦裁判所での陪審裁判に向かおうとしていた。原告側は、シェブロンがエクアドルの裁判所の最終的な裁定に従うとする合意書に署名をした後、このエクアドルへの移行に同意した。2011年、エクアドルで8年間の時間を費やし、22万ページにもなる膨大な証拠文書を残したこの裁判で、エクアドル裁判所は環境に与えた損害を浄化するためにシェブロンに対して1,800万ドルの支払いを命じた。エクアドルの控訴裁判所は、2012年の1月、この判決を支持した。シェブロンの重役たちは、エクアドルへ裁判の場を移すことを条件に同社は判決に従うことを米国の裁判所に対して約束していたにも拘らず、決して支払わないと言明した。
エクアドル国内の裁判所で敗訴し、2011年には2400億ドルもの収益を上げ世界でも指折りの最も富裕な企業のひとつであるシェブロン社は、米国とエクアドルとの間のBITの下でISD条項に基づく訴訟を開始することによって、自社の法的責任を回避する策を模索し始めた。これは、ISD条項の下で、国民一人当たりの年間収入が4千ドルしかないエクアドル政府に浄化の費用を負わせることが狙いだ。明らかなことではあるが、BITは米国の投資家が収用や不公正な取り扱いによる金銭的な損害の賠償をエクアドル政府に求めることができるように構築されている。しかしながら、シェブロンは私的な訴訟において自社の法的責任からの免責を求めてISD条項を活用しようとしているのだ。同社は3人の民間弁護士で構成された仲裁法廷に対して、エクアドル領内のアマゾン流域における有害物質の除染を行う責任を有する当事者の利益に関して18年もの年月を費やして米国とエクアドル両国の裁判所が下した裁定を仲裁法廷の裁定に置き換えるよう求めている。このBIT1997年に発効したものであるが、当該石油会社がエクアドルでの操業を放棄してから5年後、仲裁法廷はエクアドル政府に対して行政からは独立している司法に介入し、ISD条項に基づいて仲裁法廷が裁定を下すことが出来る時点が来るまでは何としてでも控訴裁判所による執行を保留するよう命じた。
このシェブロン社とエクアドル政府との間の訴訟の推移を見ると、多国籍企業がその財力と訴訟事件における様々な経験を存分に駆使して自社の責任を回避しようとする姿がはっきりと見て取れる。そればかりではなく、自社の法的責任さえも相手国のエクアドル政府にその一半を負わせようとする姿勢が見られ、これは道義的に見ても醜悪極まりない。
この事例を見ると、多国籍企業の最後の砦はISD条項に基づく3人の民間弁護士からなる仲裁法廷であるという事実がよく理解できる。前のブログでも指摘しているように、仲裁法廷は米国の企業利益を追求するためには最も有効な道具となっている。
日本の地方政府、例えば、東京都あるいは神奈川県がこのような訴訟に巻き込まれたと想定してみよう。22万ページにも及ぶ膨大な量の英文訴訟関連文書を考えただけでも、このような訴訟事件を取り扱える弁護士事務所は日本に存在するのだろうかと、考えさせられてしまう。一方、米国の多国籍企業はこのような作業を効率よく処理する人的資源やインフラを持っているのだ。日本が総力を結集すれば太刀打ちできるのかと考えた場合でも、楽観的にはなれない。
弁護士社会と形容される米国の法的なインフラと日本のそれとの比較は、昨年の1225日付けの「法的帝国主義と国際法」にも記した通りだ。詳細はそのブログを参照されたい。

責任や管轄権について仲裁法廷の解釈が拡大する一方
以前は不安を覚えることもなくISD条項に同意を与えていた各国政府にとっては、「取り扱いの最低基準」とか、それと関連して「公正かつ公平な取り扱い」の基準を非常に弾力的に解釈することによって締約国に対して新たな義務を作り出す法廷側の動向には不安が増す一方である。これらの基準の下で新しい義務を作り出すことによって(これらの義務は当事国がFTABITに署名をした時点では考えられもしなかったもの)、仲裁法廷は今や驚くほど恣意的な裁定を下している。法廷が作り出した義務は投資家の期待感といった奇抜な考えに関連付けられており、投資家の違法行為に対しては当事国の政府にも一半の責任を持たせるといった法廷側の考え方は、通常ならば自国の憲法や法体系の下で何ら問題が起きないような広大な範囲についてさえも、政府の個々の施策に関してさえもISD条項に基づく訴訟や賠償請求に対して大きく門戸を開放することになる。
これらの懸念は、最近、歴史的に見ても途方もなく大きな18億ドルもの金額がエクアドル政府に課され、現実のものとなった。この事例は米国とエクアドルとの間のBITの下でオクシデンタル石油によって争われた訴訟である。メデイアはその膨大な金額(投資紛争解決国際センター(ICSID)が裁定した最大額の損害賠償)に焦点を当てて報道をしていたが、あの金額は現実のニュースとはとても思えない程だった。多分、この金額以上にショッキングなことは仲裁法廷が用いた非論理性にあると言えるのではないか。ICSIDBITの「公正かつ公平な取り扱い」の義務や「間接的な責任の負担」の義務を裁定した。
エクアドル政府に課されたこの18億ドルの賠償額は金利を含めると23億ドルに上ると言われている。
ここに、ISD条項のために運営されている世界銀行傘下のICSIDによる仲裁法廷が非倫理的あるいは非論理的な裁定をごり押しする姿が見事に浮かび上がってきている。素人の私たちでさえも「やっぱり、これはおかしいんじゃないの」と言いたい程だ。 ISD条項に根拠を置く訴訟がそこまで「やり放題」の実績を積み上げてきたのだ。そして、訴訟件数も鰻上りだと報告されている。
法廷はオクシデンタル石油が石油採掘権の40%を売却したことによってエクアドル政府との契約を破ったことを認めている。契約には政府側の同意もなく持分を他者に委譲すると契約は破棄されるとの条文が含まれている。法廷はエクアドル法にはそのような行為は採掘権のすべてが没収となることが記述されていることも認めた。こうして、同法廷はオクシデンタル石油は同社の契約が終了となることを予測できたと結論し、このような結末については国内の裁判所で争う権利があると指摘した。とは言え、法廷は「比例割り当て」の義務を新たに導入し、エクアドル政府が契約の条文を文字通りに執行することは余りにも厳し過ぎるとの見解を表明した。FET(公正かつ公平な取り扱い)の侵害を見つけ出して、法廷はさらなる分析や説明をすることもなしに、これは間接的な没収にも匹敵すると宣言した。そして、争点のすべてはオクシデンタル石油が40%の持分を売却したことから派生したにも拘らず、同法廷はエクアドル政府に対して契約の下で予測されていた、しかし今や完全に失われることになった将来の収益の100%を支払うように命じた。
投資家に対する当事国の義務がどんどん拡大解釈されている現実は非常に危険であると思う。
単純に言って、米国の多国籍企業を代表する弁護士たちの「スマートさ」は決して留まることはないだろう。私に言わせると、米国社会には「スマートさ」がひとつの重要な能力、あるいは、才能であると見なされている面があって、弁護士たちは法的には不可能なギリギリの限界にまで顧客の利益を追求する傾向にある。それが彼らの仕事だと広く理解されている。ここに報告されている事例では、他の弁護士の目から見るとすでに行き過ぎだと見なされている程だ。
投資家に対する政府側の義務が法廷によって限りなく拡大されている事実を前にして、そうした法廷の拡大解釈を阻止しようと、幾つかの締約国はISD条項による仲裁法廷を抑制するために明確化し、解釈に関する付属書の添付を試みた。しかしながら、今夏、CAFTAの下での鉄道開発会社対ガテマラ政府の訴訟に関する裁定は、かの有名な国際慣習法(CIL)でさえも、仲裁法廷が投資家に対する締約国の義務(投資家の期待感といった奇抜な考えに根ざした義務)についての拡大解釈を阻止するにはまったく無力の存在であることを示した。ガテマラや米国、エル・サルバドルおよびホンジュラスからは「取り扱いの最低基準」の義務はCILの国家的慣例や法的信念の分析に基づいて解釈しなければならないとする提案があった。しかし、この議論に応じることを拒否して、法廷はその代わりにNAFTAの下で廃棄物管理IIWaste Management II) の裁定事例から「取り扱いの最低基準」に関して実に創意あふれる解釈例を導入し、ガテマラ政府に対して1130万ドルとその利息、ならびに、諸手数料を支払うように命じた。これはCILの裁判拒否の基準に対する侵害とは見なされない行為に対する裁定であった。 
ISD条項に基づく法廷は投資家に対する締約国の義務を拡大し、その管轄権も広げつつある。この管轄権の拡大によって、投資家は「義務」の履行を求めることができる。「裁判拒否」という標準的な言語をよそに、協定の締約国ではない国からの投資家たちはその子会社を通じてISD条項に基づく訴訟を増加させている。 例を挙げると、CAFTAの下でのパシフィック・リム社のエル・サルバドル政府に対する訴訟においては、カナダ企業は、エル・サルバドル政府に対してCAFTAISD条項による訴訟を起こす3ヶ月前に、ケイマン諸島でその子会社を米国企業として設立した。この訴訟はCAFTAに基づく異議申し立ての初期手続きを済ませた。3年後、巨額の費用を費やした後に、法廷はこの訴訟からCAFTAの側面を除外した。法廷はエル・サルバドル側の恩恵拒否の論拠に同意を示したが、仮に企業側が米国子会社の設立をもっと注意深く行っていたならば、このカナダ企業はCAFTAISD条項を活用することができただろうとの考えを示した。
国籍を次々と変える手法は増加の一途を辿っており、非常に不公正なやり方であるのだが、最も明白な事例は何の表示もないタバコの包装に込められた健康政策に見られる。フィリップ・モーリス・インターナショナルはオーストラリアにある子会社の本社を香港に移転し、その後、2011年には、香港とオーストラリア間のBITの下でオーストラリア政府を攻撃した。しかしながら、ウルガイとスイスとの間のBITの下でウルガイ政府を相手にした時、同社はスイス国籍であると主張していた。しばらく後、TPPISD条項を含めることに賛意を表明し米国の通商代表部に意見を申し出た時、同社は米国籍の会社であると述べた。
上記のフィリップ・モーリス社の無節操ぶりには驚きを禁じえない。ここでも、スマートさを追求する米国流弁護士社会の負の側面が表面化してきたと言えるのではないか。
強烈な嵐に見舞われるISD条項はTPPに土砂崩れを引き起こす
公共の利益に関する国内政策に対抗しようとするISD条項に基づく恣意的な裁定は増えるばかりであり、それと並行するかのように市民団体や議会関係者からはISD条項に対する警告が強まる中、TPP交渉は十分な根拠に根ざした様々な懸念に取り組む好機を提供することができた筈だ。代わりに、米国政府高官は議会関係者や市民団体からの改革提案をあっさりと切り捨て、投資家について包括的なルールを作り、ISD条項の適用範囲を拡張しようとさえしている。これはTPPにとっても国家対投資家間の紛争解決にとっても決して幸先が良いとは言えない。  

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前ブログに引き続いて、米国市民グループの「パブリック・シチズン」の指導者である弁護士のローリー・ワラック氏のブログを二回に分けて掲載した。
結構長いものになってしまったが、その内容は非常に濃密だ。しかも、市民運動家であるだけに、その論拠は我々一般庶民の暮らしとも絡んでくるので非常に理解しやすい。このような論議こそ、日本政府がTPP参加を決定する前に日本国内でも十分に議論すべきではなかったのかと思われてならない。
 

参照:

By Carrie Ellen Sager, June 27, 2012, publicknowledge.org/.../130-members-congress-speak-o... - United States

2 Hundreds of US Organizations Urge Congress to Replace Fast Track: By Citizens Trade Campaign,  March 4, 2013

3TPP「経済効果」の試算公表: NHK2013315

 
注4: 【TPPで農業はどうなる?】TPPと北海道農業と日本の食料のゆくえ: JAcom2013329

5Brewing Storm over ISDR Clouds: Trans-Pacific Partnership Talks – Part II: By Lori Wallach, Public Citizen, Jan/14/2013