2013年10月15日火曜日

日本の宝 - OECDの調査が教えてくれたこと

 

「アメリカ人は怠け者か? いや、これは不平等に起因するものだ」との表題の記事[1]が目に付いた。

この記事は経済協力開発機構(OECD)が最近発表した調査結果についての紹介である。それによると、米国ならびに英国は点数がひどく劣っている。これらの国は移民の流入が多く、貧富の差が大きいことでもよく知られた存在だ。

この火曜日(108日)、OECDはひとつの調査結果[2]を公表した。その表題はOECD Skills Outlook 2013First Results from the Survey of Adult Skills。仮訳すると、「OECD能力調査2013:成人の能力に関する初の調査結果」とでも言おうか。 

調査対象の国としては、OECD加盟の20カ国(オーストラリア、オーストリア、カナダ、チェコ共和国、デンマーク、エストニア、フィンランド、フランス、アイルランド、イタリア、日本、韓国、オランダ、ノルウェー、ポーランド、スロバキア共和国、スペイン、スウェーデンおよび米国)、OECD加盟国内の地域(ベルギーのフランダース地域、英国のイングランド、および英国の北アイルランド)、ならびにOECD加盟国外からは2カ国(キプロスおよびロシア)が含まれている。 

これは各国について職場あるいは家庭で成人がどれほどの力量を示すかを調査したものだ。その中心的な要素は情報処理の腕前であって、読み書きの能力、初歩的な計算能力、ならびに、科学技術がふんだんに使われている今日的な環境においての問題解決能力が調査の対象となっている。

このOECDの報告書は466ページもある大作であるので、全体像を把握するために、まずは、この文書を構成している各章の表題を見てみよう。

第1章: 21世紀に必要な能力
第2章: 労働年齢にある成人にとって重要な情報処理能力
第3章: 情報処理能力に関する社会人口学的分布 
第4章: 能力はどのように職場で活用されているか
第5章: 情報処理能力の開発と維持
第6章: 主要能力、ならびに、経済的および社会的な幸せ 

OECDは、この文書を公表した際、簡単なニュースリリース[注3]をウェブサイトに掲載した。そこには調査結果が簡潔に紹介されているので、まずはそれを覗いてみよう。仮訳をして、その部分を段下げして下記に示す。

総合能力 I
読み書きおよび基礎的計算の習熟度はこの成人能力調査(PIAAC)に参加した国や地域の中で大幅な違いがある。平均値的に述べると、最高点をとった国の成人は最下位の国の成人と比べて、これらの二つの能力に関して40点もの大差をつけた(これは正式な学校教育の5年分にも相当する)。
総合能力 II
最高得点を獲得した日本やフィンランドでは、参加者の約20%が読み書きや計算能力で最高点を達成しており、これはOECD全体の平均値の2倍近くに相当する。しかしながら、これらの最高得点を獲得した国であっても、成人の5%から12%は基礎的な計算をすることが出来ず、単純なテキストさえも理解することができない。 
総合能力 III
スペインおよびイタリアは平均点で最下位となったが、参加者の5%弱は最高得点を達成しているものの、成人の27%から30%は最も基礎的な読み書きや計算が出来ない。
年齢による能力I
幾つかの国は国民に対して高度な能力開発を行う上で注目すべき成果を達成している。たとえば、韓国の場合、55歳から64歳の年齢グル-プはすべての参加国の中で最下位に位置する三つのグループのひとつではあるが、韓国の若い世代は日本の同世代に先を越されただけである。
年齢による能力II
しかし、進展はまちまちだった。英国や米国の若者たちは読み書きや基礎的な計算能力では同国で退職する人たちと同じ程度の能力ではあるが、より多くの努力を必要とする労働市場で仕事に就いている。
教育による能力I
実際能力のレベルは正式な学歴が示すレベルとは多くの場合異なる。たとえば、イタリアや米国は、読み書きや基礎的な計算能力におけるランクに比べて、高卒資格を持つ成人の比率では国際的にもかなり高い位置にランクされている。
教育による能力II
その一方、平均的には、日本やオランダの高校卒業生は他の幾つかの国の大学卒業生をさえも凌ぐ。
職業による能力I
この能力調査によると、幾つかの国は自国の人材プールの活用において他の国に比べて遥かに巧みである。米国や英国は限られた能力基盤から良質な価値を引き出すことに長けている....
職業による能力II
....一方、その逆が日本だ。日本では、柔軟性に欠ける労働市場が数多くの有能な人材、特に、女性がそれ相応の報酬を手にすることを妨げている。

総論は以上のような具合だ。日本はフィンランドとならんで総合でトップにランクされている。この事実は明治の開国以来日本政府が営々と注力してきた成果、いや、さらに遡って言えば、江戸時代に発展した町民文化にも結びつくものであり、日本人が持つ資質がそれに応えたと言えるのではないか。これは世界に誇ることができる大きな成果だと言ってもいいのではないかと思う。
しかし、この調査で判明したもうひとつの現実は、日本では女性の能力が不当なまでに低く評価され、社会の発展のために活用されてはいないという点だ。
日本社会の中にいるわれわれ個人にとっては、常識的な判断においてさえも、女性の活用の必要性は痛いほどよく分かっているテーマではないだろうか。男女間の賃金差の是正、女性の管理職への進出、産休後の働く場を積極的に保証し確保すること、などを含めた女性が働きやすい労働環境の確立、等が叫ばれてすでに久しい。しかしながら、少子化という社会現象が今や明確な形で進行し始めている現実が目の前にあるにもかかわらず、女性の活用に関する抜本的な政策はまだ程遠い。つまり、女性の能力を十分に使ってはいないのが現状だと言える。
女性の能力の活用は単に経済的な理由、あるいは労働市場の要請に応えるだけのものではなく、それは一人の人としての尊厳の問題だ。われわれ男性が自分の能力が正当に評価されず、賃金が低いままで何年間も据え置かれていたら、そのような状況は本人の働く意欲を阻害し、周囲との社会的繋がりを消極的にし、最終的には心身の健康にひどく影響することが懸念される。このような状況が何百万人、何千万人の女性に怒ったとしたら、大きな社会的損失であることは間違いない。 

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それでは、もう少し詳しい情報[2]を覗いてみよう。
要旨
成人能力調査(PIAAC)は社会において重要な能力をどうしたら身につけることができるか、および、それらの能力をどのように職場や家庭で使うかに関してより深い理解が得られようにと努めた。これは情報処理能力における習熟度、つまり、技術志向の強い環境の中で読み書きの能力、基礎的な計算能力、ならびに問題を解決する能力を直接的に測定する。本調査によって見出された主要事項ならびにそれらについての解析結果を下記に報告する。 

技術志向の環境下で成人たちは読み書きや基礎的な計算ならびに問題解決に当たって何をすることができるか: 

●ほとんどの国で、結構多くの成人が読み書きや基礎的な計算の能力に関して低レベルの点数を記録した。本調査に参加した国は何れの国でも成人総数の4.9%から27.7%の人たちは読み書きの領域で最低レベルにあり、基礎的計算能力では8.1%から31.7%が最低レベルにある。

●多くの国で、人口の大きな割合を占める人たちが日常的な業務に必要な情報通信技術の経験をしてはいない、あるいは、それらを使用するために必要な技能を持ってはいない。控えめに述べても、これはオランダやノルウェーおよびスウェーデンでは16歳から65歳の人口の7%を占め、イタリアや韓国、ポーランド、スロバキア共和国およびスペインでは23%にもなる。

コンピュータに習熟した成人の間においてさえも、ほとんどの人たちが技術志向の環境下での問題解決能力では最低レベルの点数を記録した。

●技術志向環境での問題解決において最高レベルの能力を発揮したのは成人総数の2.9%から8.8%である。  

社会人口学的な特徴はどのように能力の習熟度と関係しているか:  

●大学レベルの教育を受けた成人は、高等学校教育以下の教育を受けた成人に比べて、読み書きの能力で平均して36点も多く得点しているが、これは他の特性を考慮に入れても正式の学校教育の5年に相当する。 

●劣悪な初等教育と習熟度を改善する機会が無いことのふたつが組み合わさると、習熟度に劣る者は自己の習熟度を開発する機会がなくなる、あるいは、その逆の連鎖に陥るという悪循環が生じ易い。

●外国語を自分の言語とする移住者の読み書きや基礎的な計算ならびに技術志向の環境下での問題解決の能力は、その国で生まれて母国語を習った成人、あるいは、第二言語を子供の頃に学びその言語が評価対象の言語と同じ成人の能力に比べて、他の特性を配慮したとしても、著しく低い。

●より年配の成人は一般に若い世代よりも能力が劣るのだが、世代間のギャップは国によって大きく異なる。これは、政策や他の要因次第では、そもなければ主要な情報処理能力と年齢との間に生じる負の関係を軽減することが可能であることを示唆するものだ。 

●男性は計算能力と技術志向の環境下での問題処理能力においては女性よりも高い得点を獲得しているが、そのギャップはけっして大きいものではなく、他の要因を考慮するとさらにギャップは低減する。若い世代では男性と女性との間の差は無視できるほど小さい。 

職場では能力がどのように活用されているか:

●職場での能力の活用は、生産性や賃金の男女差を含めて、労働市場の幾つもの現象に影響を与える。

●能力がより高い労働者は、能力がより低い者たちに比べて、自分が持つ職場での能力をそれほど集中的に発揮するわけではなく、このことは職場における能力の習熟度とその活用との間の不一致がまん延することを示している。 

●個人の職業は、当人の学歴あるいは雇用契約の形態の何れかに比較しても、当人が職場で自己の能力をどのように活用するかという点とより強い関係がある。

●約21%の労働者は資格が過剰であり、13%は資格が不足している。これは賃金や生産性に大きな影響を及ぼす。 

能力はどのように開発され維持されるか - そして、どのように失われるのか: 

●読み書きや毛祖的な計算なたびに技術志向の環境下での問題解決の能力は年齢と密接な関係を持っており、30歳前後には能力のピークに達し、その後は徐々に低下し、最も年配のグループは若い世代よりも低い能力を示す。習熟度の低下は当人が自己の能力をさらに開発し維持する機会(特に、これらだけに限定するものではないが、正式な教育や訓練)を生涯の間にどれだけ得たか、ならびに、それらの質の両方に関係する。そして、生物学的な老化とも関係する。

●国家レベルでは、組織立った成人教育の程度と主要な情報処理能力との間には明確な関連性が見られる。

●頻繁に読み書きや計算が関与する業務に従事し、情報通信技術を職場や家庭でより多く使う成人は読み書きや計算および問題解決の能力により多く習熟しており、これは学歴を考慮したとしても当てはまる。職場以外で関連のある活動に従事することは、職場で同種の活動に従事した場合よりも能力の習熟度との関連性はより高くなる。 

能力の習熟度と経済的および社会的な幸せとの関連性: 

●読み書きや基礎的な計算および技術志向の環境下での問題解決の能力は労働市場に参画し、雇用され、高い賃金を得る可能性と最終的に、かつ、独立的に関連している。

●何れの国においても、読み書きの能力でより低レベルの得点しか達成できない者は習熟度のより高い人に比べて健康が優れず、政治的なプロセスには何の影響力もないと信じ、人との会合を伴う活動、あるいは、奉仕活動には参画しない。多くの国では、習熟度が低い者は他人を信頼する程度も低い傾向がある。 

言葉で表現すると上記に示すような内容となる。一方、この報告書には数多くの図表が掲載されており、この報告書が言いたいことはそれらの図表によってより直感的に理解することも可能だ。本報告書から幾つかの図を転載してみよう。なお、各図の下には簡単な記述を付け加えてた。それらの記述は本文の逐語訳ではなく大略を示すもので、ところどころに私の個人的な記述も含めている。

0.2

 
この図は年齢が16歳から65歳までの労働者の読み書き能力を示す。24の国および地域についての調査結果である。そして、これらの平均値のレベルも図表の中央に示されている。個々の国や地域が他の国と比較してどこに位置しているか、平均値との乖離、等を知ることができる。日本はトップにランクされている。 

0.4
 

この図は上記の「図0.2」からトップの日本と最後尾のイタリアとを抜粋して、両者を比較している。この解析によると、日本の高校の卒業生はイタリアの大学卒業生と同程度の読み書きの能力を備えているとしている。なお、図中のTertiaryとは大学教育を、そしてUpper secondaryとは高等学校教育を意味する。 

0.6


この図は男女間の賃金差と職場での問題解決能力の使用の程度との間の相関関係を示す。縦軸には男女間の賃金差をとり、横軸には職場での問題解決能力の使用における男女間の差(男性の値から女性の値を差し引いたもの)をとっている。
この図では、右側上方へ行けば行くほど男女間の賃金差が大きくなり、かつ、問題解決能力の使い方でも男女間で差が大きくなることを示す。その逆に、左側下方へ行くと、男女間の賃金差が小さくなり、問題解決能力の使用においても男女間の差が小さいことを示す。日本はエストニアや韓国と並んで、男女間の賃金差が大きく、問題解決能力の使用においても男女間の差が大きい。調査対象の国々の中では、男女間の差が小さいオランダがもっともバランスがとれていると言えよう。
日本が男女間の差を解決するための政策をとろうとする時、オランダはひとつのお手本になるのではないかと思われる。 

2.5


この図は16歳から65歳の人たちの基礎的計算能力を示す。ここでも、日本はトップにランクされている。 

2.10a
 

この図は16歳から65歳の人たちの技術志向の環境での問題解決能力を示す。日本は平均値よりも僅かに超すレベルであることを示している。トップにランクされたのはスウェーデン。北欧各国がトップを占めている。 

2.10b
 

この図は16歳から24歳までの若い世代について技術志向の環境下での問題解決能力を示している。残念なことに、あるいは、思いがけないことに、日本は平均値よりも低い。
この図で特筆すべきことは、韓国の若者がトップにランクされていることだ。韓国は世界でももっとも早く全国に光ファイバー網を設置しインターネットへのアクセスを可能にした国である。情報社会のためのインフラ整備を早々と完成したという背景もあって、これが韓国の若い世代の問題解決能力を高めることに貢献しているのではないだろうか。 

2.13
 

この図は三つの要素、つまり、読み書き、基礎的な計算、ならびに、技術志向の環境下での問題解決の能力をひとつの表にまとめたものである。この表はランク付けをしてはいないことに注意されたい。何故ランク付けがされていないのかと言うと、この表は三つの要素を取り上げているので、単に三つの点数を合計して、それらを各国の間で比較することはあまり意味がないということであろう。その代わりに、各欄には色付けが施されており、すべての欄がブルーであれば最高だということのようだ。大きな趨勢を読み取ることが可能だ。因みに、三つの領域のすべてがブルーとなっている国はフィンランド、オランダ、ノルウェーおよびスウェーデンの北欧各国だ。 

3.8c
 

この図は読み書き能力(16歳から65歳まで)と社会経済的な背景が個人の能力に及ぼす影響との関連性を示している。縦軸に社会経済的勾配をとり、この数値が大きい(傾斜が大きい)ほどこの関連性が強いことを意味する。横軸には各国の読み書き能力の平均点をとっている。
この図では、右下の領域に日本が入っている。日本以外にも7カ国が入っている。これらの国では社会経済的な背景が個人の能力に及ぼす影響の程度はより低く(傾斜が平均よりも緩やか)、読み書きの能力は調査対象各国の平均以上である。
米国の場合、読み書きの能力は個人の社会経済的な背景によって大きく影響を受けており(傾斜がもっとも大きく)、その平均点は各国間の平均値を下回っている。

OECDの報告書には数多くの図表が掲載されており、データの宝庫といった感がある。僭越ではあるが、私が興味深く思った図表を転載してみた。全体像を把握する上で何らかの助けになったものと思う。
これらの図表を見ることによって、OECDのニュースリリース[3]に述べられている概要をより鮮明に理解することができたのではないだろうか。 

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このOECD報告書は日本にとって何を意味するのか?
それは女性の能力をもっと活用し、日本全体の生産性を高める、男女間の賃金差を小さくする、などの政策を具体化しなければならないという点にあると思われる。また、技術志向が強まる一方の労働環境にあって、日本の労働者の、特に、若い世代の問題解決能力が他の国に比べて相対的に低いという指摘もあり、この点を真摯に受け止め、具体的な対応策をとる必要があると言えるのではないだろうか。
何といっても、高い教育レベルは日本の宝である。特に、女性の大学への進学率が男性のそれを上回り始めた現在、職場でその真価が発揮されないまま放置されている女性の能力は見過ごすには余りにも大きい。この潜在能力をどのようにして顕在化させるか、有効に活用するかが日本社会の将来のための喫緊の課題だと言える。このOECDの報告書が指摘した事項は、基本的には、自明の理であると受け止めなければならない。
高い能力を持った国民は日本の宝である。その宝を「宝の持ち腐れ」にするか、大いに活用して日本社会のさらなる発展に活用するかはひとえにわれわれ国民の考え方にかかっている。有り余る女性の能力を適正に活用することによって、今以上に女性の地位を向上させ、一人ひとりの生活の質を高め、皆がそれ相応に能力を活用することができれるような社会を築くことができるのではないか。女性の地位の向上は男性にとってもプラスに作用することだろう。われわれ国民が、男性も女性も、そのことの重大さに気づき、その宝を磨き続ける努力をする必要がある。われわれ皆がその気になれば、政治家も産業界も後からついてくることだろう。
しかし、これは大きな挑戦でもある。男女雇用機会均等法が法律として制定された1972年からすでに41年を過ぎている。それでもなお、ここに参照した最近のOECDの報告書では、日本の社会は女性の能力を活用してはおらず、男女の賃金差はOECD各国の中でも一番大きいグループに属しているのが現状である。過去の41年と同じ程度の改善が今後も継続すると仮定すると、今から40年を過ぎた2053年には果たしてどこまで改善しているのだろうか。つまり、この課題は非常に長い年月を要するということだ。
自分たちの世代の責任を回避する積もりはないが、われわれ戦中派や戦後の団塊の世代が十分に実現できなかったことについて、今後の若い世代は家庭や職場で、ならびに、地域社会で真剣に取り組んで欲しいと思う。そして、その方向性をさらに次の世代に引き継ぐことに成功すれば、将来の日本社会はけっして見捨てたものにはならないだろう。
 

参照:
注1: Are Americans Dumb? No, It's The Inequality, StupidBy Sadhbh Walshe, Information Clearing House, Oct/10/2013
2: OECD Skills Outlook 2013First Results from the Survey of Adult Skills: By OECD,  in pdf file, 466 pages
注3: OECD Skills Outlook 2013, First Results from the Survey of Adult Skills: By OECD, in Word file, skills.oecd.org > skills.oecd > Documents

 

2013年10月10日木曜日

米国ではTPPの実態が裸にされつつある



日本では、TPPに関する議論そのものが日本の国益のために果たして有効に行われたのか、あるいは、結局不毛に終わったのではないかという疑念は別にして、環太平洋経済連携協定(TPP)についてはさまざまな議論が展開されてきた。そして、今や、関係国間の交渉の舞台では年内の妥結が取りざたされている。しかしながら、その中身は、依然として、公にされないままだ。
議論がしつくされたのかと言えば、けっしてそうではない。秘密裏に行われてきた政府間交渉はわれわれ国民に対しては断片的、あるいは、表面的にしか伝わっては来ないのが現状だからだ。そんな中、新しい情報や専門的に掘り下げた考察などがしばしば紹介されている。
最近もっとも興味深く感じたのは米国の一般労働者に対するTPPの影響に関する経済専門家の意見だ。912日のCBSの報道によると、TPPが当事国間でめでたく合意され、実施に移された場合、米国の労働者の大部分の給与には負の影響があるだろうとの研究結果が米国のあるシンクタンクから発表された。
このCBSの報道を受けて、さまざまな解説記事が出回った。そのひとつ[1]を仮訳してみた。それを下記に段下げをして示そう。
先週、新たな研究結果が発表された。それによると、米国の上部10パーセントの世帯は2012年度の米国全世帯の所得の半分以上を取り込んだとのことだ。この調査結果は広く報道されたが、もうひとつの調査結果はそれほど高い関心を集めるには至らなかった。そのもうひとつの調査結果によると、米政府は国民の上部10パーセントの人たちの所得をさらに高めるべく大変な努力をしてはいるが、大多数の米国の世帯が受け取る賃金は引き続き低下傾向にあるという。
この研究[2]は経済政策研究センター(CEPR)の経済専門家、デイビッド・ロスニック氏によるもので、TPPが賃金に対してどのような影響を与えるのかを推算した。TPPは公衆の目が届かないところで交渉が行われてきた巨大な通商協定であって、政府の透明性を求める団体が言うには、米国政府は「前例がないほど極秘裏に」TPP交渉を進めてきた。
TPPはアメリカとアジアの12カ国の間に提唱されている。これが締結されると、チリ、ニュージーランド、ブルネイおよびシンガポールとの間ですでに締結され、非常に議論が多いこの協定をさらに拡大することになる。史上最大の通商協定となるだろう。
このような地域協定はWTOに対して存在する幅広い反対に対抗する新自由主義者の対応処置であって、これらの協定にはWTOの場で何年にもわたって泥沼の中で身動きができなくなってしまった多国籍企業の「欲しい物リスト」に関する条項が含まれている。
パブリック・シチズン[訳注:米国の最も有力なNGO]TPPを「1パーセントのために存在する大企業の強力な手段」と呼んでいる。極秘裏に進めてはいたものの外部へ漏れてしまった同協定の草案によると、この協定では独立した法廷が設立され、そこでは企業は個々の参加国の法制度を素通りして、企業のビジネスの邪魔になりそうな当事国の国内法や規制に挑戦することが許される。パブリック・シチズンはこの文書を詳しく検証したが、その結果によると、「この法廷は民間の弁護士を迎え入れる。これらの弁護士はある時は法廷の判事として、またある時は相手国の政府を訴追する投資家の弁護士としての役割を演じる。」 これは利害の不一致が米国の法廷に持ち込まれることはないことを意味する。当事国が法廷の裁定に沿う策をとらなかった場合、同法廷は当事国に対して投資家が被る損害に対して罰金を支払うよう求めることができる。公正な通商を求める活動家たちはこれを「規制撤廃の裏口」と称している。
「アメリカの将来のための運動」への寄稿の中で、デイブ・ジョンソンはチリの主席交渉官は「TPPはインターネット、著作権、ならびに、特許権(特に、医薬品)を自分たちのコントロール下に置こうとする多国籍企業をさらに強化せしめるものであり、巨大な投資企業は規制プロセスに関して自分たちが持っているコントロール能力を今以上に強固なものにしようとしている」と非難し、その職を辞したと伝えている。(昨年、ニューヨークタイムズのグレッチェン・モーゲンソンは「ドッド・フランク法案といった改革案を脱線させるためにウオール街は国際的な貿易協定をどのように活用しているのか」と題して詳しい報告を行っている。) 
数多くの議論が起こっている。ロスニックによると、TPPは米国の経済成長にはほんの小さな影響をもたらすだけであって、TPPが締結された場合、2015年から2025年までの10年間に米国の国内総生産は0.13パーセント拡大するだけだ、と同氏は試算した。ロスニックの見方によれば、「如何なる理性的な文脈から判断しても、この数値は無意味なほどに些細なものだ。」 
しかし、富の配分の面から見るとけっして取るに足りないものだとは言い切れない。ロスニックは次のように予測する。つまり、賃金構造の最下部にいる人たちは最低賃金によって保護されているので影響は受けない。賃金構造のトップにいて高額な給与を手にする専門職や投資家たちは、特許権や知的財産がTPPの下で長期にわたって保護を受けることから、収入が著しく増加する。ところが、賃金構造の中間領域に位置する大多数の人たちは賃金がさらに低下することを体験するだろう。
急激に上昇する不平等に及ぼす貿易の影響はそれぞれの前提によって結果が異なる。この検証においてロスニックは、通商協定が過去において不平等の増大にどれだけ貢献したかを論じた四つの異なる推算に基づいて、TPPの賃金に対する影響を外挿した。下記に示すグラフは彼の試算結果を示す。


四つの試算の何れにおいても、賃金の中央値(グラフの中央部)は低下する。ロスニックは次のように記述している。つまり、「貿易の賃金に対する影響は、どの想定に基づいても、この通商協定が実施されると大多数の労働者は給与の低下に見舞われるということだ。」 繰り返して言うが、本通商協定の経済成長に対する効果はほとんど無視しても差し支えないほどに小さい。
[訳注:上記の図中には10%から50%までの四つの想定が示されているが、これは何だろうか。そこで、原文[2]を覗いてみた。次のような関連説明がある。「2001年の試算によると、貿易の賃金の不平等に及ぼす影響に関して過去に行われた試算の結果は貿易結合度の全増加量の10%から50%の範囲にあることを示している。OECDの分析結果に基づいて行われた最近の試算では上記の範囲の下側、つまり、15%の辺りにあるようだ。」 このことから、図中のパーセントの数値は貿易が賃金の不平等に及ぼす貢献度を貿易結合度の全増分を10%から50%の間で振らせてTPPの影響を外挿した際に使用した四つの前提であることが分かる。]
このような現状 - トップにいる連中はパイの大部分を鷲づかみにし、残るわれわれはといえばその足元をさらわれる - は典型的な通商協定の実際の姿であって、より広い視野や知性を持ちながら交渉に当たるようなことはついぞないという単純な理由から来るものだ。むしろ、連中は経済的不平等と政治的不平等とが厳然と繋がっているという紛れもない事実をここに示すことになる。前に通商協定の交渉官を務めていたクライド・プレストウィッツはフォーリン・アフェアー誌に投稿して、こう述べた。『これらの通商協定の勝者はいつも株主たちだ。つまり、通商代表部における「選び抜かれた顧問たち」の大部分を占めるのはビジネス界の円卓会議の常連たちだ。彼らは、もちろん、この協定をうまく立ち上がるせるために必要となる資金の大部分を提供している。まさに、その所有者である。それ故、そこから何かを勝ち取るであろうことは明白だ。』 TPPの交渉官が秘密会議で何を議論しているかをつぶさに見ることができるのは彼らだけである。彼らだけは米国通商代表部がどんな交渉を行っているかを知ることができる。 
このことについては、これらの通商協定の支持者たちは、通常、見過ごしたり、無視してしまう。彼らは理想化された通商理論を振り回して、通商協定の拘束力がより大きくなると船舶を陸上に留めてしまうことになりかねない、と言う。完全無欠な世界においてはそういった理屈は一理あるだろう。しかし、現実の世界では、企業側のロビイストたちは、これらの通商協定を通じて、巨大企業に特有な、偏狭で収支だけにこだわった利害関係を国際的な法的枠組みに翻訳しようとする。これは比較的簡単に執行することができる国際法の分野だ。大多数の労働者、環境保護者たち、食の安全や公衆衛生、その他の団体はほんの短時間の懺悔をするような機会しか与えられないが、この事実は何ら驚くことではないだろう。強力な多国籍企業の収支にとっては、これは何の足しにもならないのだ。
この記事で最も賞賛すべき点は研究結果を報告した著者の視点にあるのではないだろうか。著者の関心は、TPPは一般大衆にとってどのような存在かという点に絞られている。当然のことながら、この視点はより民主主義的な経済を標榜する国民にとっては、その詳細説明はけっして欠いてはならないものだ。この論文によって、著者はこのもっとも基本的な問いかけに直接的にに答えてくれた。この点が非常に重要だと思う。TPPを擁護するために美辞麗句をならべるのとは違って、一般大衆への影響を直視しようとした著者の姿勢は政治的に健全だ。敬意を表したい。 

経済成長のためには、自由貿易が必要だと広く喧伝されて来た。TPPは経済成長のために存在するとの理由付けは、この情報によると、現実とはかけ離れた新しい神話となった、と言うべきだろう。いみじくも、上記の論文はTPPが締結された場合、2015年から2025年までの10年間の米国経済の成長率への寄与度はたった0.13%だと報告している。平均でみると、年間で0.013%だ。 

大多数の米国の労働者は家庭に持ち帰る賃金が低下する、と専門家の手によって率直に結論付けられたのだ。TPP推進論者はこれはあくまでも推算でしかないと言うかも知れない。通常、推算の結果は前提のとり方によってそれぞれ異なってくる。しかしながら、著者が述べているように、過去の四つの異なる前提で外挿してみた結果、どの前提を取り上げても、賃金構造の中間に位置する大多数の労働者の賃金は低下するという試算結果が得られたのだ。前提のとり方によって数値は異なるものの、大勢を示す傾向は四つとも同様な結果を示した。
 

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米国では今TPPに対する批判が草の根的に広がりつつある。私もそういった米国の状況をふたつのブログで紹介した。そのひとつは314日に掲載した「TPP反対を掲げる米国市民グループの動き」であり、二つ目は410日掲載の「TPP反対を掲げる米国市民グループの動き(その2)」だ。
あの時点からもう半年が過ぎた。今、米国では数多くの市民団体を中心にしてこのTPPが招くであろう弊害について議論が活発化している。特に、環境保護団体からの反対意見が多く、活発な様子だ。環境保護運動はすでに長い歴史を持っている。その中で、飲料水や食の安全、食品の表示内容といった具体的な安全基準や制度を勝ち取ってきた歴史を持っている。しかしながら、TPPにはISD条項という投資者側に圧倒的に有利な制度が含まれている。日本では、加工食品の表示義務のひとつとして遺伝子組み換え食品に関する表示義務がある。
これらの市民運動が8000人を超す逮捕者を出すに至った2011から2012年にかけて盛り上がった「ウオール街占拠運動」を上回ることになるのかどうかは予測する術もないが、活発な議論が続いていること自体はむしろ歓迎すべきことではないだろうか。今盛り上がりを見せているこの草の根運動はTPP交渉をあまりにも極端な極秘裏のもとで推進してきた政府に対する「ツケ」だとも言えようか。
このような市民運動が活発化する中、市民運動に関する最近の記事[3]をひとつ紹介したい。この記事の前半は米国の政治機構は機能不全に陥っているとの総論を述べ、各論ではシリア紛争、オバマ大統領が行った国連での演説、警察国家に傾斜する現状、連邦政府の予算が宙に浮くかも知れないという懸念、労働運動の最近の動き、等を論じている。
後半ではTPPに関して論じている。そこで、この後半部分を仮訳して、下記に段下げして示したいと思う。

....民主党は新自由主義を支持していると人々は見ている。民主党員は国有林を民間の手に移し伐採し、教育基金を削ろうとする与党の方針に加わろうとしている。フェインシュタイン上院議員の夫はわれわれの公共財産を売る仲立ちをしている。これは公共の郵便局についての話であるが、彼は自分の友人たちに郵便局を安く売って、われわれの公共財産で私腹を肥やそうとしている。

一方、明るい面は人々が自分の考えを述べ、皆の関心を呼び起こし、行動を起こすにつれて、その運動は大きくなるだけではなく、権力構造が分断されていくことだ。民主党内では権力の分断が起こりつつある。オバマ大統領の社会基盤を蝕むようなウオール街寄りの思考や市場主導型の政策にはついて行けない人たちがいる。 

特に、 新自由主義政策の親とも言うべき、3年間も極秘裏に交渉が続けられてきたTPPに対してはこの趨勢が続いて欲しいものだ。これは巧みに操作された多国籍企業のための通商条約(その名前には受けを良くする目的で「自由貿易」という言葉を使っているが)であって、国内経済を推進するためには殆ど役には立たなず、むしろ、経済の邪魔になり経済を不平等にするような間違った政策が数多く追加される。経済政策研究センターが発表した研究結果によると、TPPに関して驚くべき指摘がされている。(1)経済に対する影響は殆どゼロに等しく、国内総生産に対する寄与はたったの0.1%であって、(2)大多数の米国人にとっては負の効果しかなく、90%の労働者の賃金は低下する。このTPPは中流クラスを低迷させ、競い合って賃金の低下を招き、富の配分においてはトップとの乖離をさらに拡大させるものだ。

交渉の終わりが近づくにつれて、議会が審査を行う(審査が行われるとTPPに対しての抵抗が増加することだろう)前に大統領が署名をすることができるよう、大統領は議会に対して「早期一括交渉権」を付与するように求めるものと推測される。メイン州では、州議会の下院は「早期一括交渉権」を全会一致で否決した。下院議員のシャロン・アングリン・トリートは広範で超党派的な反対運動が起こっていると見ている。労働者のためには何の利益にもならないTPPの秘密交渉が存在する中、ウオール街占拠から2周年を記念する抗議に焦点を当てながら、「通商協定にも正義を」と訴え、占拠行動を推進するアダム・ワイスマンはTPPを「反占拠協定」、「1%による権力把握」と称している。

ワシントンDCでは、労組連合や環境保護主義者ならびにパブリック・シチズンは金曜日にTPPに反対する抗議行動を組織化した。その一方、主席交渉官たちは建物の中でこの協定について議論をしていた。この週末には、「TPPを洗い流す」という組織行動(この記事の二人の著者も参画)によるTPP勉強会が組織され、活動家たちはある連邦政府ビルに向けて「光を投影する」パフォーマンスを演じた。そして、月曜日、抗議行動はさらに激しくなって、米国通商代表部のビルに4本の大きな垂れ幕がかけられた。これは極秘裏に進められてきた交渉に対する抗議だ。ワシントンポスト紙はこれについて「ゲリラ劇場...のデモは過去最高の出来にランクされるかも」と述べた。火曜日、活動家たちは「列車事故の早期一括交渉をするな」と名付けられた大行進を行った。ホワイトハウスから行進を開始し、米国通商代表部、世界銀行、米国商工会議所を経て、ビジネス街を通過、米議会でその行進は終わった。 

秘密主義の下で交渉が行われている協定の内容について一般大衆がより多くのことを理解し始めると、TPPに対する抗議はさらに継続することになる。今週、環境問題としてもっとも熱を帯びているふたつの情報が公開された。水圧破砕法とタールサンドについてである。TPPは石油・ガス産業が破砕法やガス輸出に対する地方の反対をうまくかわしてエンドラインを突破させてしまうかも知れない。米国通商代表部のマイク・フロマンは、タールサンド業界に対する規制はすでに不適切なレベルにまで緩和されているにもかかわらず、それをさらに緩和しようとしている。

環境問題における公正さを標榜する活動家たちは、エネルギーの極端な発掘を阻止するために彼らが今まで積み上げてきた業績がTPPによって覆されてしまうのではないかとの懸念を抱いて、TPP阻止の運動に参加している。もしオバマ政権がキーストーンXLパイプラインを承認するならば、市民としての服従の義務を放棄するとしている。その数は75,000人にも達した。そして、彼らはオバマ大統領に宛てて今週手紙を送りつけるとのことだ。

近年、環境問題の正義を求める活動は活発化してきた。特に、今年の夏、その傾向はさらに強まった。この数週間、この国の方々で抗議行動が行われた。多様な戦術が採用されたが、それらの事例を幾つかをここに示そう。ネブラスカ州では、キーストーンXLパイプラインの設置が予定されている土地のど真ん中で再生可能エネルギーだけが供給される納屋を建設。モンタナ州では、活動家たちが石炭を搬出する貨物列車を止めた。ワシントン大学では、学生や活動家たちは化石燃料以外に対する投資を目標のひとつに設定した。これは国際運動ともなっており、ロシアにおける抗議行動にも見られ、ロシア政府からは厳しい対応があった。また、今週、エクアドルでも抗議行動が行われる。 

気候変動に対して有効に取り組むには、企業を意識した政党からは独立した、強力な環境保護運動が重要である。ナオミ・クラインは大手グリーン団体と草の根的な環境保護団体との間で乖離が起こっていると見ている。確かに、大手グリーン団体は気候変動問題の存在を否定する連中よりも大きな弊害を与えている、と彼女は言う。あるグリーン団体と民主党との間に存在する堕落した連携を物語る一例として、環境を破壊しつつあるカリフォルニア州知事に賞を与えようとする「ブルーグリーン連盟」を挙げることができる。この動きには抗議が沸き起こることだろう。この大手グリーン団体と民主党との連携は、事実、現状を維持しようとする権力構造のためには必要不可欠な要素なのかも。一般大衆の抵抗運動が成功を収めるには、これらの団体を分断し、人々をその団体から引き離し、われわれの抵抗運動へ向かわせる必要がある。 

ポスト・カーボン・インステイチュート[訳注:これはシンクタンクのひとつで、気候変動、エネルギーの枯渇、過剰消費、経済などの問題に関する戦略や分析を行っている]によって作成されたこのビデオはわれわれの現在の生活はどうして継続することが出来ないのかを説明している。化石燃料の入手可能性は低下するばかりであり、その採掘手法は破壊的になる一方である。われわれは生活の在り方を変更しなければならない。そして、この変更は前向きなものにすることも可能だ。現在進行中の危機的状況はわれわれを今まで以上に政治的に活性化し、新しい解決策を模索するために団結して取り組ませている。たとえば、ガー・アルペロヴィッツが「経済を民主化させるために誰でも出来る10個の手法」に記述したような解決策だ。事実、これは今起こりつつある。共同組合は多国籍企業よりも多くの人員を雇用している。われわれの活動に参加して欲しい。人々は挑戦している。人々が主導し、自分たちが住みたい世界を創造する時だ。

米国で展開されている草の根活動に関する数多くの記事を目にして、私は圧倒される思いに襲われた。環境保護のためにデモに参加する人たち多くは立ち入り禁止の施設内へ入り込んだといった理由、あるいは、他の理由で逮捕されることが多い。 

 

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ブタ箱へ放り込まれることを覚悟の上でデモに参加する人たちはどんな人たちであろうか。 

ある解説によると、失業率がもっとも多い20歳代前半の高校や大学を卒業したけれども働く職場に恵まれない人たちが多いのだと言う。今、米国では20歳代前半の失業率は非常に高く、米国労働省が820日に発表した直近の統計値によると、20137月の若者(16歳から24歳)の失業率は14.8%と前年同月よりも多少改善した。[注:この数値は経済の停滞状態が続く日本のそれの2倍近いレベルだ。] 人口構成的に見ると、女性の失業率は14.8%、男性は17.6%、白人系は13.9%、黒人系は28.2%、アジア系は15.0%、ヒスパニック系は18.1%とのことだ。若い時に職に就けないと、専門的な知識や技能を身につける機会を失いがちだと言われている。長期的には、このような状況は社会にとっても大きな損失となる。 

上記に示したように、TPPの実施によって米国の中間層の労働者の賃金は低下するだろうとの研究結果が最近報告された。そして、高額所得者と一般大衆との間の富の配分がさらに乖離することも併せて報じられた。その上、経済成長にはほんの僅かしか貢献しないと報告されてもいる。TPPは一般大衆にとってはまったく利点がないのだ。賃金の低下はもとより、働く職場に恵まれない若者たちの不満は高まるばかりである。 

一昨年、一般大衆の不満が爆発し、多国籍企業に対する抗議行動が「ウオール街占拠」という象徴的な掛け声の下で全米を襲った。富の配分における1%99%の社会的構図が浮き彫りにされた。約1年ほど続いたこのデモでは、8000人以上もの逮捕者が出たと報告されている。発展途上国に対しては常に民主主義や人権の尊重を説き続けてきた米国内で反対意見の表明に対する弾圧が起こったのだ。 

この「ウオール街占拠」で示されたスローガンは、新資本主義経済の下では、避けては通れない社会的な歪を反映したものだと言えよう。日本でも製造業各社が賃金の低い海外へその製造拠点を移し、ビジネスを存続させようとしている。その結果、日本では産業の空洞化が継続している。そして、賃金構造は正規社員と非正規社員との間で二分され、非正規社員はより安価な労働力の供給源としての役割を課せられている。個人的な見方ではあるが、この趨勢はまさに米国が今まで辿ってきた経済発展の軌跡と同じであると言えるのではないか。 

このブログにとっては蛇足になるのだが、日本について言えば、ひとつ気がかりな点がある。日本では、米国のCERPが行ったように、日本の労働者の賃金に与えるTPPの影響は数値的に把握されているのだろうか。残念ながら、素人の私には即座に回答することはできない。日本の国益を考える時、日本の社会にTPPが与えるかも知れない影響や歪を検証しないままに素通りすることはできるものではない。上記のCERPの報告書は米国の労働者ばかりではなくわれわれ日本人をも目覚めさせる何かを持っているように思える。 

ところで、来年の2014年は米国の中間選挙の年である。賃金構造の中で中間層を占める大多数の選挙民は来年の中間選挙ではどのような行動をとるのだろうか。再選を狙う議員たち、あるいは、始めての議席を狙おうとする人たちは選挙民の願望をどのように受け止めるのだろうか。考え得る最大の番狂わせは、オバマ大統領はTPPに関する早期一括交渉権を来年の中間選挙を意識する議会からは得ることもできず、年内のTPPの締結は流産し、民主党は下院で過半数を取れない、といった道筋ではないだろうか。
先月、シリア空爆という米政府の提案に関しては、世論調査を見ると過半数がそれに反対しており、下院の賛同は得られそうもないとオバマ政権は判断したようだ。もし、下院での投票を強行していたならば、下院での議論は大統領の罷免にまで発展して行ったかも知れないという観測さえもあった。あれは、米国で胎動し始めた何か大きな政治的動きの始まりなのかも知れない。州議会のレベルでさえも、上述のように、メイン州では大統領の早期一括交渉権が否決された。本ブログに掲載する米国全土で広がっているTPP反対の草の根運動はいったいどこまで展開し、どこまで深化するのだろうか。
折りしも、新たな会計年度が始まったにもかかわらず、今のところ(1010日)、米国議会は予算を決定できないままとなっている。これも、今までの政治をその延長線上に位置させ続けることはもはや不可能となって来たことを示しているのではないか。米国の社会には大きな変化をせざるを得ない変曲点が現れつつあるいうことかも知れない。
これから来年の後半にかけて、米国の政治的な動きや変化からは目を離せないような1年となりそうだ。米国がくしゃみをすれば風邪をひくかもしれない日本のことを考えると、米国の動きは注意深く観察を続ける必要があると言える。 

 

参照:
注1: Economic Study Finds TPP Would Have Tiny Impact on Economic Growth but Continue to Expand Wealth Disparities: By Joshua Holland, www.billmoyers.com,
Sep/23/2013
注2Gains from Trade?  The Net Effect of the Trans-Pacific Partnership Agreement on U.S. Wages: By David Rosnick, Center for Economic and Policy Research, Sep/2013 

注3People Across America Are Waking Up to the Effects of ‘Disaster Capitalism’ -- a Much Better Way of Life Is Possible: By Kevin Zeese, Margaret Flowers,
Information Clearing House - Alternet, Sep/30/2013, www.alternet.org/.../people-across-america-are-waking-effects...

 

 

 

 

2013年10月2日水曜日

シリア革命 - 我々はどうして失敗したのか


シリア紛争に関するブログが何本も続いてしまった。正直に言うと、個人的には、ここ1ヶ月から1ヵ月半にシリア紛争を巡って起こった政治的出来事には何か興奮させるものがあったように思う。今日も、シリアに関してもうひとつ掲載してみたい。
 


               

民主化を要求し、政府に対する抗議行動はあくまでも平和的な形をとる「シリア革命」であった。少なくとも、始めの頃は。

しかし、それがいつの間にか「武力紛争」に化けてしまった。最近では化学兵器の使用にまで発展し、過去2年半の累積死者数は10万人を超すとさえ報告されている。そして、反政府派の兵士の70-80%はアル・カイーダと何らかの関係を持っていると言われている。民主化を標榜していた政府に対する平和的な要求行動は、どこかの時点で、シリア政府の打倒を求め、武器を振り回す過激派たちの檜舞台と化してしまった。

ここに紹介したい記事[1]はもう4ヶ月も前のものではあるが、そのような厳しい現実が続く中、アレッポに住む著者は「我々はどうしてシリア革命で失敗したのか」と自問自答する。著者はシリア革命の渦中に身を置き、夢を追い、同じ思いを抱く仲間たちとシリアの将来を論じ合った。そして、ある時点で革命は横取りされてしまった。著者は最初の頃から現時点まで、シリアの政治的混乱や武力紛争の一部始終を観察してきている。その過程の多くを振り返ることができる貴重な一人であろうか。

アレッポに住む著者の胸中には、今、どんな思いがあるのだろうか。

この記事を仮訳し、下記に示したいと思う。引用部分は段下げして示す。


結局、いったい何がうまく行かなかったのだろうか。もっと正確に言えば、われわれはいったい何処で間違ってしまったのだろうか。かっては自由と基本的人権を求めようとする感動的で気高い民衆の蜂起であった。しかし、その方向を見失い、何時の間にか凄まじいばかりの宗派間の流血沙汰と化し、その堕落振りは獣にさえもそぐわないような状況になってしまっている。何故だろうか。このような変化は何とか回避することができなかったのだろうか。このような事態になる必要はまったくなかったのではないか。
 

上記の質問に対する答えは、基本的には、シリア政府に対して武器を取りあげてしまったシリア人の計算違いだったと言えよう。
 

シリア政府は縁故主義や近親者たち、あるいは、同一宗派の支持者たちによって支えられて40年間も絶対的な権力を謳歌してきた。そして、軍事的独裁政権でもある。アレッポ市が無数の反政府派の市民によって埋め尽くされていた頃、まだシリア軍が投入される以前の2011年の夏、ロバート・フォード元在シリア米国大使は、恥ずべきことではあるがハマー市を内密に訪れた際、このことについて明快な警告を発していた。予想通り、あるいは、偶然にも、この警告に耳を傾ける者はいなかった。結局、われわれは自分を責めるしかない。たとえ西側諸国が何もしてくれないとしても、あるいは、何かをしてくれたとしても、すっかり破壊され落日を背にしている我が国について最終的な責任を持つのはわれわれ自身でしかないのだ。
 

ニーチェはこう言った。「怪物に闘いを挑もうとする者は、その過程で自分が怪物に化けることがないように気をつけなければならない」。これはシリア内戦の行方を非常に的確に予言する言葉となった。世界規模で活動するメデアのあらゆる目的やうわべを飾るごまかし、あるいは、プロパガンダや真っ赤な嘘は別にしても、反政府派の兵士たちがアレッポの街へ入ってきた時にわれわれが見た地上の風景は日常性とは遥かにかけ離れたものだった。家庭を直撃した。大きな衝撃であった。特に、民衆の蜂起を最初から支援し、それを信じてきたわれわれにとっては大変な衝撃であった。それはまさに究極の裏切りとでも言ったらいいのだろうか。

われわれにとっては、反政府派の兵士はその兵士自身が立ち向かっている政府が犯した罪と同じことを自分たちもしでかすようなことはない。一般家庭や商店あるいは民衆が所属する地域社会を襲うようなことはしない。しかしながら、アレッポでは、数週間もすると、起こる筈もないことが現実に起こり始めたのだ。それは日増しに確実になっていった。
反政府派が入ってきた町で彼らは組織的な略奪を行った。住民の生命や財産に対する尊厳の意識などはこれっぽっちも持ち合わせてはおらず、まったく何の法的な制裁を受けることもなく、身代金を得るために住民を誘拐しさえもした。古代からあって、市の象徴的な存在となっていた歴史的な遺跡を意図的に破壊した。工場や工業団地ではすべてを剥ぎ取り、電線までもが略奪の対象となった。高価な機械や基盤設備をトルコとの国境を越して運び出し、実際の価格の何分の一かの値段で金に替えてしまった。ショッピングモールは空っぽにされ、倉庫も同様だ。彼らはサイロに貯蔵されていた穀物も盗んだ。その結果、主食の値段を高騰させ、危機的な状況を作り出した。政府軍の勢力範囲にある市街地へ向けて休むこともなく臼砲やロケット弾を撃ち込み、車には爆弾を仕掛けた。何の罪もない市民が多数死傷し、狙撃兵は日常的に通り掛かりの市民たちを冷酷に殺害した。その結果、かっては誰もが忙しく、力強く成長していた、豊かなこの商業都市は何千、何万もの極貧者やホームレスで溢れるようになった。
でも、どうしてこうなってしまったのか。彼らはどうしてこのようなことをしたのか。やがて、その理由が明白になってきた。それは、単純に言って、「われわれ」対「彼ら」の関係だった。彼らは武器を手にして、都市部を襲った。彼らは地方の恵まれない連中で、過去何年間にもわたって彼らが感じてきた不条理に対して復讐をしたのだ。彼らの動機はわれわれの動機とは似ても似つかわないものだった。それは国全体のために自由や民主主義あるいは法の支配を求めるわけではなく、ただ単に押さえの効かない憎悪心や自分たちのための復讐だった。
彼らの行動の性格は過激的で宗派的であって、アレッポに住むわれわれのような都市部の住民については誰もが政府側の垂れ込み屋で、政府の支持者であった。われわれの生命や財産は彼らにとっては没収の対象でしかない、と彼らは思っていた。また、それを隠そうともしなかった。反政府派の暴利を貪る将軍たちは間もなく普通の家庭でさえも話題となり、住民の間で彼らが好んで行う略奪やテロの拡散は政府や政府軍に対して抱いていた敵意や不愉快な気持ちよりも遥かに大きな苦難をもたらした。あの恐ろしいほどの緊張状態、イスラム過激派ならびに彼らのアル・カイーダとの大ぴらな同盟関係、あるいは、わが国の将来に関する彼らのゾッとするような計画はもとより、この地が今どんな雰囲気であるかを想像することができるだろうか。それは、息が詰まるような根源的な恐怖である。あるいは、恐怖と絶望とが一緒になったような状況と言ったらいいだろうか。
ところで、「われわれ」とは誰を指すのか。われわれは自分たちは何処かが違うんだ、あるいは、自分たちの方が立派だとどうして感じるのか。「われわれ」の手で、どちらかと言えばエリート的に聞こえてしまう懸念があるとはいえ、アレッポでは市民たちの草の根レベルでの反政府運動を展開してきた。何ヶ月にもわたって自分たちの命をすこぶる危険な状況に曝しながらも平和的な抗議行動を組織し、支援物資を市民に配布していた。「われわれ」は社会的および政治的な革新に関しては常により高い理想を抱き、それを本当に信じていたし、それらの理想を実行しようと試みていた。われわれは自分たちの行動を1960年代の米国における市民権運動や人種差別に対して闘ったマンデラ、あるいは、ガンデイーの教えに倣おうとした。つまり、チュニジアやエジプトでのアラブの春に見られるような市民運動に倣おうとしたのだ。
「われわれ」にとっては、革命とはゆっくりと進行するものであって、意図的に、献身的に変革を求める闘争であった。それは、雨水が繰り返し石の表面に落下し、最終的にはそれを破壊するのに似ている。しかし、「彼ら」にとっては、その石に何トンものTNT火薬を放り投げ、それを一気に壊し、その周りにあるものすべてを粉々に破壊することが彼らの理想であった。「われわれ」はほとんどが都市部の中流家庭の出身であって、教育も受けている。われわれはすべての社会的階層、すべての宗派、そして、あらゆる場所から来ているが、実は、そのこと自体については何の偏見も持ってはいなかった。
われわれは「あの青年、あるいは、あの女性は何処の出身だろうか」、「どの宗派だろうか」といった質問をすることは決してなかった。誰もが自分のできることを行い、自分にとって可能な範囲で貢献をしていたのだ。われわれのリーダーは若い、キリスト教出身の弁護士で、非常に活動的で、献身的な女性だった。われわれのグループの残りの連中はシリア社会の小宇宙といった感じだった。ベールを被った若い女性、シーア派の青年、金持ちの子弟、あるいは、貧しい労働者階級の子弟、等で構成されていたが、われわれは皆が共有し信じている理想のために一緒になって行動をした。
われわれが活動家として行動をしている間、われわれのグループの何人かは刑務所へ送られ、怪我をし、一人は不幸にも亡くなった。われわれの街がこっぴどくやられることはなかったからでもあるのだろうが、アレッポが反政府派の襲撃を受けた直後、一緒に活動をしていた仲間の何人かからメッセージを貰った時ほど悲しく思ったことはなかった。一人が言った。「われわれは何と馬鹿だったんだろう。われわれは裏切られたんだ!」 他のひとりはこう言った。「何時の日にか、われわれは美しい国を持っていたのだと自分の子供たちに話してくれ。俺たちの無知や憎悪のせいで、それをすっかり台無しにしてしまったと。」
私自身が革命を諦めたのはちょうどその頃だった。シリアを救う道は和解し合い、暴力沙汰を断念するしかないと悟った時だ。多くの者がそう思っていた。しかし、不幸なことに、この思いは戦争屋や陰の実力者と共有することはついになかった。自分たちの汚い野心に対する飽くことのない欲望を満たすためには、より多くのシリア人の血を流すことが必要だと彼らは考えていたのだ。
活動家さえも含めて、知識人やビジネスマン、医師および熟練した専門職の人たちは群れになって街から脱出した。その一方、他の者たちは街に残り、依然として市民活動の組織化に注力し、今や自分が生まれ育った街の中で住居を移さなければならなくなった無数の、それこそ何千という家族に対して支援を提供していた。絶望的な状況だった。しかし、それさえもが無駄になることが明白となった。すべてが変わってしまった。前と同じ街に戻ることは決してないのではないか。
結局シリアが到達した状況は、どこへ行っても「われわれ」対「彼ら」という図式である。反政府派対政府派、世俗主義者対イスラム教徒、スンニ派対シーア派、和平勢力対武装勢力、都市部対地方、等。最後にシリアに何かが残るとしても、それは血を流し死に瀕した獲物を奪い合う狼やハゲタカたちの間の駆け引きが終わった後に初めて目にすることが可能になるのだろう。それがわれわれに与えられ、われわれシリアの市民は自分たちの国の断片や個人個人の将来を拾い集めることになるのだ。
われわれはこのことに関してわれわれ以外の誰かを責めるような遡及権を有しているのだろうか。これがわれわれの宿命だったのだろうか。それとも、これは悪党の残酷な陰謀だったのだろうか。多分、次世代のシリア人がこの質問に答えてくれることだろう。
Edward Darkという名前は現在アレッポに在住するシリア人の著者の仮名である。ツイート・アドレスは @edwardedark

この著者の考えや感慨はシリア紛争に巻き込まれたシリア市民を代表するひとつの見方であるかも知れない。少なくとも、実際に政府に対して抗議活動をしていた著者がシリア国内で観察することができたさまざまな側面がここには語られている。この内容はわれわれのような外部の者がシリア紛争の真の姿を学ぼうとする時、非常に貴重な情報になるのではないだろうか。

927日、ロシアのプーチン大統領、ラブロフ外相、チャーキン国連大使等の努力の結果、国連安保理事会はシリア所有の化学兵器を国際管理下に移し、それらを廃棄するとの決議を全会一致で採択した。米国が主張していたシリア空爆は当面回避された。821日の大規模な化学兵器の使用があった時点から1ヶ月余り、シリアを巡る国際政治は大きく舵を切った。旧ソ連邦の崩壊と同時に、冷戦の構造が一気に消えていった時と同じような印象を受けた。

 

               

一市民の感慨とは対照的に、アサド大統領は今どんな思いを持っているのだろうか。

930日のRTの記事[2]にアサド大統領とのインタビューが掲載された。その一部を抜粋して、仮訳を紹介してみたい。


大統領職を離れることが本当にシリアの現状を改善することになるのかとの質問に対して、アサド大統領は「職を辞することには躊躇しない」と答えた。しかし、シリアの国民の過半数が辞職するようにと告げない限り、危機の真っ只中にある今、職を辞する考えは彼にはない。
「自分の職を辞して、嵐が襲っている真っ最中に国を離れることなんてあり得ない」と、イタリアのRai News TVとの日曜日のインタビューでシリアのアサド大統領が述べた。「私の使命はこの国を岸に向かって無事に航行を終わらせることであって、その船やシリアの国民を途中で見棄てるようなことはできない。」 
アサド大統領は、国内に有している化学兵器を排除することについては国家としてそうする用意があると強調した。また、シリアはこの件について保留すべき事項は何もないとも述べた。
金曜日に、国連[の安保理]はシリアの化学兵器を国際管理下に移行し、2014年の半ばまでにはそれらを廃棄するとの決議案を全会一致で採択した。
化学兵器を排除する任務を持ってやって来る国連のチームに対してシリア政府が安全を保証することは自明の理である、と大統領は述べた。しかし、テロリストがその任務を邪魔するかも知れないとの懸念を付け加えた。
「もちろん、われわれの役割はデータを提供し、彼らが実施しようとするさまざまな処置が少しでも容易になるようにすることであって、目下のところ、それは実現されている。私が思うに、われわれ側の役割とは技術的な側面、もしくは、実行の面にあり、どうやってそれぞれの拠点へ到達するのかといった点だ。特に、どんな障害を引き起こすか予測もできないテロリストがいる時、このことはなおさら重要になる。また、どのように解体し、それらをどのように排除するのかといった点だ」と、アサド大統領は述べた。
このインタビューでアサド大統領は、シリア政府は「政治的プログラムあるいは政治的視点」を持つ反政府派と政治対話を行う用意ができている、と指摘した。「彼らが武装している場合は彼らを反政府派とは呼ばない、彼らはテロリストだ」とも強調した。
「われわれは反政府派のどの党派とも話をすることが可能だ。武装勢力については、もし彼らが武器を捨てるならば、他の一般市民たちとの間で行う対話のように、彼らとも語り合う用意ができている。」
「われわれはアル・カイーダの分派やアル・カイーダの支援を受けている組織とは対話をすることはできない」と付け加えた。「われわれは外国の介入やシリアへの武力介入を頼むような連中と交渉する積もりはない。」
....破廉恥極まりない8月の化学兵器攻撃に関する質問に対して、シリア大統領は、シリア軍はこの内戦の最中化学兵器を使用することは一度もなかった、と答えた。
「論理的ならびに現実的に言って、自分たちが攻勢にある時、化学兵器を使おうとはしない。われわれの軍は攻勢に出ていた。それなのに、どうして化学兵器を使う必要があるというのか。シリアの各地で非常に困難な状況もあったが、2年半の間に使用することはなかった。各地でダマスカスにおけるよりもずっと多くのテロリストたちに対峙していた。それでも、われわれは使用しなかったか。どうしてあの場所だけで使う必要があったというのか。」
シリア政府自身が国連の検査官を招き、化学兵器使用の実態を調査するように要請したことを指摘した。そして、その翌日シリア軍が化学兵器を使用するなどという行為は非論理的ではないかとも付け加えた。
アサド大統領は政府に対してその責任を迫るために悪用された、例のインターネット上で閲覧が可能なゴータ地区での化学兵器攻撃の写真やビデオ映像はまだ十分な検証が行われてはいないとも述べた。
「幾つもの地区で、同じ子供の同じ写真が用いられているが、そういった写真がインターネット上で見ることができる」と述べた。
「別の面について言えば、われわれはテロリストが使った原料や容器について完全な証拠をつかんでいる。隣国から化学兵器を運んだテロリストの自白もある。また、この犯罪を犯したのはシリア軍ではなくて、テロリストだったという指摘も揃っている。」
アサド大統領は化学兵器の使用を核兵器のそれと比べた。核兵器は「厳格な手順の下に置かれる。それは核兵器を起爆させるには、第一に、技術的に非常に複雑だからだ。」
「二番目には、シリア軍では個別の部隊がそれぞれ化学兵器を持っている訳ではなく、もしそれを使いたいというのであれば、化学兵器を使用するためには特殊部隊がその部隊に加わることになる」と、アサド大統領は付け加えた。 

テロリストとの闘いは憲法上の義務:
この危機が始まった当初反政府派の兆候に対して断固たる措置をとったことについて残念に思っているかとの問いに関して、アサド大統領は「憲法に基づいて対処したまでだ」と説明した。また、この時、1992年に起こったロサンジェルスでの暴動に対する米国の対応を例に挙げた。
『ここで、「断固たる措置」という言葉を定義しなければならない。何故かというと、われわれはあの現状を憲法に基づいて対処したのだから。あれは、丁度、米国政府が1992年にロサンゼルスへ軍隊を派遣した事例と酷似している。あれを「断固たる措置」と呼ぶのか、それとも、あれは暴徒との闘いのために軍隊が派遣されたのだと思うか』と、大統領が聞き返してきた。
「憲法に基づいて、われわれはテロリストと闘わなければならなかった。と言うのは、最初の週から軍や警察に数多くの犠牲者が出ていたからだ。」
「地上で起こるあのような過ちは世界中何処でも起こり得る」と、アサド大統領が言った。
「シリアの国民が私に大統領になってくれと言うならば、私は再選に打って出たいと思う。」
辞職を考えたことがあるのかとの問いに対して、アサド大統領は、「もし私の辞職がこの国に平和と安定を保証するのであれば、そうしたい」と、述べた。
「しかし、他にも問いかけたい点がある - 状況は果たして良くなるのだろうか、と。大統領としての私は、今のところ、自分の役割を全うしたい。怒涛に見舞われている最中にその役割を放り出したくはないからだ。」
しかしながら、それを決定するのは彼自身ではなく、投票箱を通して自分の意思を表明するシリア国民が決めることだ、とアサド大統領は述べた。
「シリアの国民が望むことに私は忠実でありたい」と、アサド大統領は言った。「どこの国であっても、他に方法があるわけではない。つまり、シリアの特定のグループの意思ではなく、それを決めるのはシリアの市民だ。」 
2014年の選挙に関してアサド大統領は「シリアの国民が私を大統領に選出したいというのであれば、私は出馬する。シリア国民がそれを望まないならば、出馬はしない」と、述べた。
アサド大統領はこの国の改革はシリア国民が行うべきだと強調し、危機が収束したら、多くの仕事が待っているとも付け加えた。
「たとえこの危機を乗り越えたとしても、やるべきことはたくさん残っている。危機の後に残される課題、特に、シリア社会が被った思想的、心理的、ならびに、社会的な影響を考えると、私たちには非常に多くの仕事が残されている。」 

               

私の個人的な印象ではあるが、アサド大統領の人となりを知ることができる情報は非常に少ない。アサド大統領は時には西側の報道機関のインビューを受けることがあるが、そういったインタビュー記事はまたとない好材料だと思う。ここに掲載したイタリアのテレビ局とのインタビューでも然りだ。「意外なほどに」と言えば、当のアサド大統領に対して失礼極まりないことになってしまうが、私はアサド大統領の物の考え方は非常に緻密であり、政治的にも非常に健全な印象を受けた。
日本に武器を振りかざすテロリストが何千、何万と入ってきて、地方都市を占拠しようとしたら、日本政府はどのように対処するだろうか。さらに、そのテロリストに対して隣国が武器の供与を続けたとしたら、どう対処するだろうか。
ここにも言及されているように、丸3日間も略奪が横行した1992年のロサンゼルスの暴動では、米国政府は軍隊を出動し、その鎮圧に当たらせた。それと同じように、日本政府としては自衛隊を総動員してテロリストを排除することだろう。そのような状況においては、現実には、選択肢はそれしか残されてはいないのではないか。そして、最も過酷な現実はテロリストの排除の過程で無数の一般市民が巻き添えとなって犠牲になるかも知れないという点だ。この可能性をゼロにすることは多分できないだろう。
非常に極端な状況であるとは言え、そのような現実がシリアでは実際に起こったということだ。ただ、3日間ではなく、もう2年半にもなるが....

 

参照:

1: How We Lost The Syrian Revolution: By Edward Dark, Al Monitor, May/28/2013, www.al-monitor.com/.../syria-revolution-aleppo-assad....


2: I obey the will of Syrian people, not a particular group – Assad: RT, Sep/30/2013, http://on.rt.com/jxgotm