2012年7月28日土曜日

日本には民主主義があるのか


英国のバークレイズ銀行は銀行間取引金利(Libor)を不当に操ったとして制裁を受け、巨額の制裁金(29千万ポンド、これは邦貨で351億円に相当)を支払うことになったと報道されている。バークレイズ銀行はさらに民事訴訟の費用として6億2600万ポンド(邦貨で757億円強)もかかるとのことだ。資産規模が最大規模の銀行はすでに不適切な保険販売による消費者への補償で69億ポンド(邦貨で8349億円)を計上しているという。

バークレイズ銀行の経営陣が短期的な利益を追求した結果のスキャンダルである。
さらに、英大手銀行のHSBCが、マネーロンダリング(資金洗浄)を防ぐ義務を怠った疑いで米上院の調査委員会に出席することになった。

これを受けて、英ファイナンシャル・タイムズ紙は713日の社説[1]で「銀行業は基本的に公益事業だ。リテール業務でも投資銀行業務でも銀行の社会的な機能は、余分な貯蓄やリスク耐性がある人々から、投資を賄ったり生計を守ったりする必要がある人々に資本を回すことだ。...これまでに明らかになった事実は、通信網や道路網と同じくらい現代社会にとって不可欠な産業が、公益事業の機能を適切に維持管理していないことを示唆している。銀行が改善に取り組まないのであれば、議員らが銀行に改善を強いるだろう。」と指摘している。
私がこの記事で注目したのは、「銀行が改善に取り組まないのであれば、議員らが銀行に改善を強いるだろう」という点だ。英国議会がバークレイズ銀行やHSBCの頭取や会長に対して厳しい調査を行うことになるだろうという。主要メデイアが銀行経営陣のモラルの低下について批判をしている点だ。公益事業としての性格が非常に強い銀行業において経営者が目先の業績を追う余りに一般消費者や小売業といった顧客の利益を忘れてしまっては困ると糾弾している。

こういった大手銀行の不正行為は決まってそのツケが最終的に一般消費者に回ってくる。
この銀行間取引金利にまつわるスキャンダルは英国内だけに留まることなく、米国にも波及した。ウォール街が経験した最悪の事態になりつつあるとのことだ。何百万も消費者ローンの金利が上記の銀行間取引金利に基づいて決定されているからだ。政治的な声を挙げることができない庶民を代表して国会議員がいる。そして、メデイアがある。ファイナンシャル・タイムズ紙は国会議員たちが本来の仕事をしてくれるだろうとキャンペーンをしている。

英国では金融業は最大の産業だ。もし、英国の金融業が市場や消費者の信頼感を失えば、その時の英国の損害は取り返しもつかないようなものとなるだろう。英国はヨーロッパの片隅に埋没してしまうかも知れない。金融業界の一・二を争うバークレーズ銀行やHSBCに対して「ビジネスモラルが低下した」として英国議会がそれを是正しようとする。メデイアがキャンペーンをする。金融システムをもう一度見直そうとしているのだ。そこには「銀行業務はそもそも誰のためのものなのか」、「消費者や小売業の日常生活を支える公益事業ではないのか」という健全な政治的信念がある。
このファイナンシャル・タイムズ紙が銀行業務に付した性格付けは日本の電力業界にもそのまま当てはまる。つまり、「電力会社の業務は基本的に公益事業だ。発電所や民間の発電施設で生産された電力をそれを必要とする製造業や消費者に届けることだ」と。

一年4ヶ月前に起こった東京電力福島第一原発の炉心溶融事故を振り返ってみよう。
「福島第一原発の炉心溶融事故の根源的要因は『人災』であって、政府、規制当局、東電には命と社会を守る責任感が欠如していた」と、国会の事故調査委員会は報告した。つまり、英ファイナンシャルタイムズ流に言うと、「これまでに明らかになった事実は、通信網や道路網と同じくらい現代社会にとって不可欠な電力会社が、公益事業の機能を適切に維持管理していないことを示唆している。電力会社が改善に取り組まないのであれば、議員らが電力会社に改善を強いるだろう...」と。

最大の問題は、日本の立法府が公益のために信念を持って国民生活を向上させようと動いてくれるかどうかだ。メデイアが真にキャンペーンをしてくれるかどうかだ。
日本政府は活断層の真上に設置されていることが判明した大飯原発3号機について活断層の再調査も行わずに原発は安全だと宣言し、再稼動させる決断をした。一方、立法府には与・野党を問わずこれに賛成できない議員が少なからずいたようだが、残念ながら政治的に纏まった声とはならなかった。

政府主催の公聴会を地方で開くと、政府の言いたいことを代弁するかのような発言者が前もって予定されていたりする。いわゆる「やらせ」だ。行政側は「公聴会」という美名の下でゴリ押しをする。形をつけるだけで、実質的に国民の意見を聴く意思があるのかどうかはなはだ疑問である。最初から結論が決まっているかのごとき進め方だ。
原発事故の直後、政府や原子力安全保安院および東電は「想定外の津波」という言葉を頻繁に使った。これは事故調査委員会が「人災だ」と結論するまでも無く、大方の国民には詭弁としか聞こえていなかったのではないか。責任逃れもはなはだしい。ここにはビジネスモラルの欠如がはきりと見て取れる。

事故調査委員会の報告書は福島原発は「人災」だと報告した。この指摘を受けて、電力会社の経営陣は自社のビジネスモラルを改善する動きをしているのだろうか。東電の内部には社内風土を刷新しようとする動きがあるのだろうか。経産省には原点に戻って福島原発事故を教訓として受け止めようとする真摯な姿勢があるのだろうか。
我々国民は原子力安全保安院が原発の安全性を確保する上でかくも無能な集団であるとは思ってもみなかった。電力業界に対してご意見番の立場にある原子力安全保安院が電力業界とつるんでいた。いわゆる「原子力村」を形成していたのだ。規制当局の立場にある原子力安全保安院が原発を促進する側の資源エネルギー庁とともに経済産業省の傘下にあった。この仕組みは2007年に国際原子力機関(IAEA)からも是正を求められらていたが、政府は「原発の安全神話」にどっぷりと浸かって、IAEAの忠告を無視した。これは、政府を始めとして原子力村が国際的な常識を理解しようともしなかったということだ。

今、原子力安全保安委員会に代わって原子力規制委員会が設置されようとしている。この原子力規制委員会の設置および運営に当たっては、原子力村の古い柵から脱却できるのだろうか。既に、その人選には批判の声もあがっている。
新たに発足する原子力規制委員会の運営については、最も基本的なルールは各委員に対して産業界とは完全に一線を画し、業界からの独立性を保つよう義務付けることだ。これが今最も必要だと思う。この業界との慣れあいに対する規制がなかったら、新しい原子力規制委員会を発足させる価値は全くないと思う。

これが出来ないならば、マグニチュード9の地震がおこり、14メートルもの巨大な津波が原発を襲うかも知れない環境にあって、日本という国は原発のような高リスクのシステムを安全に運営する能力がないということに他ならない。原発の周辺あるいは風下に住む何十万、何百万の住民の命と健康を守ることができないということだ。
政府は東電の家庭向け電気料金の値上げについて承認した(725)91日から8.47%の値上げが実施されるという。政府の軸足はあくまでも産業界にあって、一般国民を完全に無視した決断だ。未曾有の事故を起こし、事故の内容が十分に検証もされず、調査委員会の報告書に関して十分な説明も行わず、東電の責任も追求せずに、電気料金だけが値上げとなった。そして、他の電力会社もこの値上げに便乗しようとの動きだそうだ。東電のモラルの低さが招いた原発事故のツケが、案の定、最終的に消費者に回ってきたのだ。この全体の流れはとても民主的とは言えない。

選挙制度、参政権、民主主義といった言葉は数十年も耳にしているのだが、民主主義が本当に日本に定着したと言えるのだろうか。大飯原発34号機の再稼動のプロセスを見ると、原発周辺の住民のために政府が真に安全性を確保した上で再稼動を決意したとはとても思えない。

昨日も今日も幸いにも大きな地震もなく無事に過ごした。国民の大多数は「しかし、明日はどうか」といった不安を拭え切れないままでいるのではないか。
遅かれ早かれ、総選挙の日がやってくる。究極的には、選挙民である我々個々人が明確な意思を持つことだ。そうしない限り、次世代やさらにその先の世代に美しい日本、住みやすい日本を残すことはできそうもない。
 


参照:
1:「不祥事続出する銀行のお粗末な舞台裏」(ファイナンシャル・タイムズ紙の713日付け社説)2012717日に日経に転載。





2012年7月23日月曜日

ルーマニアの夏「ひまわり」


この夏は記録的な猛暑が続いている。74日にはブカレストで40C14日には41Cが予報され、酷暑を避けるべく「黄色コード」が発令された。(黄色コード: 酷暑や酷寒といった異常気象に対する注意報。今年の2月にはドナウ川が凍結するほどの寒波に見舞われ、この「黄色コード」が発令され、学校は休校になった。)昨年も例年にない暑さを記録したが、今年はそれを大きく上回ったようだ。さらには、この夏は雨が少なく旱魃気味でもある。農業に悪影響が出ないで欲しいものだ。
昨年の夏は結局計画倒れになってしまった「ひまわり」の花の撮影がようやく実現した。ウルジチェニ市の方向にブカレストからほんの僅か外へ出るだけで(大雑把に言うと、ブカレストの北東方向)、撮影に手ごろな場所が何箇所も見つかった。710日のことだった。




今回気がついたことであるが、ひまわりにも実がつく部分が非常に大きいものと、それほど大きくはないものと様々だ。その直径が倍も違うのだ。直径が倍も違うと、実をつける面積では4倍もの違いになる。実の数には大きな違いがないとすると、1個の実の大きさそのものがが大きく違ってくることになる。これはどうしてだろうか。収量を増加させるには大型の花をつけた方がいい。ある文献によると、水分が十分に得られたかどうかによるという。播種の時期とその後の降雨量との関係だ。特定の地域での天候次第ということである。
ひまわりは最も手間のかからない作物なのだそうだ。極端に言うと、葉が5枚か6枚開いた以降の作業は収穫だけだという。種まきと除草剤の散布だけで肥料も必要ないという。ひまわりは乾燥に強いとはいえ、旱魃の年は収量が落ちる。2000年と2007年がそうだった。

ひまわりは根を深くはって(1.5から2メートル)水分を吸収する能力があるので乾燥地帯での栽培に適していると言われている。輪作をする場合3年とか4年に1回の栽培だそうだ。ひまわりの次にはどんな作物が適しているのか。これはルーマニアでの事例ではないが、ある文献[1]によると、コロラド州では小麦>とうもろこし>ひまわり>休耕の繰り返しがいいという。カナダでは春まき小麦>えんどう豆>大麦>ひまわり、ノースダコタ州ではひまわり>大麦>えんどう豆>小麦が理想的だとのこと。その土地の気候や土壌の性質次第で様々な戦略が採用されている。
ひまわりの生産はヨーロッパでは菜の花や大豆と並んで油脂用の最も重要な農作物だ。特に、ルーマニアではEUへの加盟後輸出できる農作物としてその重要性を増していると言われている。

ルーマニアでは伝統的にひまわりの生産が大規模に行われている。食用油のためだ。その規模はEU27カ国では1位で、EU全体の生産量の23%を占めるという[2]。その後にフランス(21%)が続き、さらにブルガリア(18%)、ハンガリー(17%)と続く(2009)。
しかし、今後の推移はどうかと言うと、上記に参照した報告書によると、菜の花が急速に伸びて、ひまわりに代わって首位に立つだろうと推測されている。ひまわりも菜の花も最も手数がかからない農作物のひとつであり、商品性も高いことから人気があるようだ。さらには、菜種油についてはEUの政策として環境に優しいバイオデーゼル燃料の生産を促進するための補助金(45ユーロ/ヘクタール)が付く。この政策が生産を伸ばす後押しをしているようだ。一方、大豆の生産は伸びないとのこと。その根本的な理由はEUが遺伝子組み換え大豆を許可しなかったからだという。結構なことだ!

昨年は当初の予想に比べて生産量の伸びがそれ程ではなかったが、概して農業は好調だったようだ。農業に従事する人たちがどう感じていたかを示す興味深い記事[3]が見つかった。それを簡単に紹介したい。
ヤシ県のモルドヴァ・ツガナシ共同組合の理事長、アウレル・プラチンシ氏2011年は前年よりも豊作だった。ひまわりについては2010年の収量が1ヘクタール当たり2,800kgだったのに比較して、2011年は3,000kgから3,100kgを達成した。1,000ヘクタールがトウモロコシ生産に使用され、500ヘクタールをひまわりに充当。その内200ヘクタールはハイブリッド種。

ガラツ県のアンギナレア協同組合の理事長、ヴェシレ・ダジボク氏:長年農業に携わってきているが、降雨不足によってこんなに被害に遭ったことは一度もない。3ヵ月半も雨が降っていない。2010年のひまわりの収量は1ヘクタール当たりで3,900kgだったが、2011年はたったの2,400kgに終わった。旱魃によって大きな減産となった。500ヘクタールの所有地のうち110ヘクタールでひまわりを生産。
地域によって降雨の状態が丸っきり違い、単位面積当たりの収量もガラリと変わる。農業の難しさを見せている。 

広大なひまわり畑の見事さを眼にしたついでに、ひまわりを巡るルーマニア農業についてざっと基本的な点をおさらいしてみた。
 

参照:
1The Rotation Equation: Where should sunflower fit?: National Sunflower Association, Sunflower Magazine, February 2003
 
2RESEARCH REGARDING OIL SEEDS CROPS DEVELOPMENT IN ROMANIA IN THE EU CONTEXTAgatha PopescuEconomics of Agriculture 1/2012
 
3Porumb şi floarea soarelui: Rezultate mai slabe decât estimărileAgronomie紙、2011107


2012年7月8日日曜日

ブカレスト植物園


(日本を取り巻く政治に関する議論はいささか疲れます。

時には寛いでみたいと思い、

今日の舞台はブカレスト植物園へと移動します。)


この春ブカレスト植物園を訪れた。513日のことだった。好天に恵まれ、多くの人たちが散策を楽しんでいた。

最初に目に飛び込んできたのは芍薬の花。ブカレストの植物園でこの東洋的な花に出迎えを受けるとは予想もしていなかった。むしろ、心地よい不意打ちだった。
中国原産の芍薬は近代に入って西洋にも紹介され、人気を博したと言われている。香りはいいし、花が豪華でもある。人気となったのは当然だろうと思う。因みに、香りについて言えば、ブカレストのショッピングモールのひとつでは芍薬の花の香りを原料にした香水やその香りを活かした石けんなどを専門に販売している店がある。



歩くコースは幾通りもある。始めて来たので何処を当てにするのでもなく、気の向くままに歩いてみることにした。
しばらくすると、花菖蒲が咲き乱れている一角へ出てきた。黄色や紫。この空間は良かった。人が多すぎることもなく、自然に近い形でこの季節を楽しませてくれる。この日の陽射しは予想以上に強く、木陰に誘われそうでもあった。


一匹の蟻が花の上を歩き回っていた。

既にバラの季節にもなっていた。白い花をつけたツルバラが歩道にまではみ出して広がり、風に揺らいでいた。ここでは大きく横へ広がるのをそのまま放任しているような感じだ。



かなり先に建物が見える。温室のようだ。

温室へは向かわず、反対方向へ向かって歩くことにした。
何とウツギの花に遭遇。日本では田植えの頃にお目にかかる馴染みの花だ。当地では植物園を飾る花のひとつ。白い花はあくまでも清楚ではある。それでもなお、かなり華やかでもある。別の場所には八重咲きのウツギもあった。それも白。



周囲を見ると、自然のままの雰囲気が濃い。二抱えもするような樫の大木がでーんと立っている。何本もだ。この植物園の古さを偲ばせてくれた。日本での楢とか橡の仲間であるが、その樹皮はより橡に近い。とにかく、存在感が圧倒的である。素晴らしいと思う。
鳥の囀りも真近に聞こえてくる。当地では蝉の鳴き声がまったく聞こえてこない。冬の寒さが厳し過ぎるということか。



さらに進むと、三角形のシルエットが何本か見えてきた。この特徴的な形はメタセコイアかヌマスギのもの。葉の付き方を観察してみると、個々の葉が互生である。遠くから見るとメタセコイアと区別がつかないが、これはメタセコイアではなくヌマスギだ。
近くには標識板があって、日本語で言うと「水杉」に相当する名称が記載されている。ただ、水杉というとメタセコイアの中国語名称に相当してしまう。正確ではないので、日本語としてはやはり「沼杉」と訳すべきか。そもそもルーマニア語でもヌマスギを指していたのかも知れない....

カレスト市内では、筆者の自宅から歩いて30分位の場所に結構大きな公園がある。その中心には広々とした人工池があって、池の周囲にヌマスギの大木が何本も聳え立っている。この植物園のヌマスギよりもかなり大きい。これらは落葉樹だ。冬の間は裸になっていたヌマスギが新緑に変わる頃、ヌマスギ独特の柔らかな緑色が目を楽しませてくれる。


ちょっと広々とした場所へ出た。草原のような一角に小さな黄色い草花が群落を作っていた。名前は分からない。しかし、その佇まいには何とも言えない愛らしさがあって、微風に吹かれて体をしなやかに躍らせている様子に思わず見とれてしまった。雪が融けると同時に芽を延ばし始め、5月はもう命の躍動の季節である。



そして、64日に再度この植物園へやって来た。
この日は何と言ってもバラの花が圧巻だった。赤、ピンク、白、黄色と色とりどりの花。そして、辺りを散策する人たちにはその香りが最高のご褒美。写真だけではこの香りをお届けすることができなくて非常に残念だと思う。

娘のお付き合いで香水の専門店へ立ち寄ることがよくある。「門前の小僧習わぬ経を読む」のと同じで、幾種類かの香水を嗅ぎ分けている内に、私なりの結論に達した。何と言っても、少なくとも私にとっては、バラ系の香りが最高だ。






鬱蒼とした木々に囲まれた小さな水溜りがあった。暗さばかりではなく、湿った冷気さえもが感じられる。そこに、睡蓮の花をひとつ見つけた。いや、ひとつだけではない。いくつも水面に浮かんでいるではないか。暗い水面の背景の中に浮かぶ白い睡蓮の花、夜空に輝く星のような印象だった。

そして、一本の広葉樹が折りしも初夏の陽光をいっぱいに受けて、既に濃くなってきた緑の葉の間に赤い実を幾つも輝やかせていた。何の木かまったく分からない。これは来シーズンまでの宿題ということのようだ....



夏や秋になるとどんな姿に変わるのだろうか。季節ごとに装いを新たにするこの植物園を頻繁に訪れてみたいものだ。雪の降った翌日に歩いてみるのもいいかも知れない。気分転換には最高の場所だと思う。騒音からはすっかり隔絶されており、つかの間とはいえ、そよ風や鳥の囀りの中に身を置くことができる。絶好の雰囲気と十分な空間が用意されている。

今年の春、ブラショフへ小旅行をする機会があった。山々が聳えている地域だ。そこで「蕗のとう」を眼にした時はただむしょうに嬉しく感じた。あれは、我が故郷と同じではないかという一種の親近感、あるいは、安堵感みたいなものだったかと思う。それに加えて、今回はこのブカレスト植物園でも大きく葉を広げた蕗に出会った。写真に収めておかなかったのは非常に残念だ。早春の味を代表するあの「ほろ苦い蕗味噌」にありつけるかも知れないという期待感が一気にふくらんだ。当地で蕗のとうが食材として用いられるかどうかについてはまったく分からない。しかし、蕗のとうの発見が私の気持ちを大いに和らげてくれたことだけは確かだ。

蕗は英語ではbutterburと呼ばれる。ヨーロッパ一帯に広く分布しており、ルーマニアではカルパチア山系の山麓地帯に広く分布しているようだ。ブラショフもカルパチア山系に位置しているので、蕗のとうが見つかったこと自体は当然である。