2019年11月12日火曜日

ロシアを悪者扱いするためにEUは歴史を改ざん - 第二次世界大戦


政府が政治的理由から歴史を歪め、改ざんすることは決して少なくはない。改ざんされた歴史が国民に向けて喧伝され、やがて一般大衆は歪曲された説明や解説があたかも正論であるとして信じ始める。政治家にとっては自分自身や自分が属する党の利益が最優先であって、国家のため、国民のためといった長期的な戦略に基づく視点はまったく希薄だ。あるいは、皆無でさえある。そして、メディアは政府の言うことを何の批判もなしに全国規模で報じる。こうした事態が今洋の東西を問わず至るところで起こっている。

ここに「ロシアを悪者扱いするためにEUは歴史を改ざん - 第二次世界大戦」と題された最近の記事がある(注1)。

本日はこの記事を仮訳し、読者の皆さんと共有しようと思う。EUが進めている歴史の改ざんにはどのような問題が孕んでいるのかを学んでおきたい。言うまでもなく、この種の問題は決して他人事ではないという現実が日本にもあるからだ。


<引用開始>

先月、第二次世界大戦勃発の80回目の記念日に欧州議会は「将来のヨーロッパのためのヨーロッパとしての記憶の重要性に関して」と題した決議文について投票を行った。採択された文書は下記のように述べている: 

「・・・(われわれは)ヨーロッパの歴史上でもっとも悲惨な戦争となった第二次世界大戦はナチス・ドイツとソ連との間で1939823日に締結された悪名高い不可侵条約(モロトフ・リッベントロップ協定とも称される)が直接招いた結果として始まったことや世界制覇を目標に掲げるふたつの専制主義国家がヨーロッパを二分したこと、ナチス・ドイツとソ連の両政府は大量殺人、虐殺、追放を行ったこと、20世紀に人類史上でかって見たこともないような規模の人命や独立の喪失をもたらしたこと、ナチス政権によって行使されたホロコーストの恐ろしい犯罪、等を記憶し、ナチス・ドイツおよびソ連ならびに他の専制主義国家によって引き起こされた侵略行為や人道主義に対する犯罪、人権の侵害について強く非難する。」 



Photo-1

太平洋ではそれよりも2年も前に日本と中国との間で戦争が始まっていたが、過去の75年間、われわれはあの戦争は193991日に始まったと教えられてきた。しかし、実際には、それよりも8日前、つまり、ドイツ外相がモスクワを訪問した日に始まったと理解すべきであろう。この戦争は平和協定の結果もたらされたとする前提には持ち前の二枚舌があるが、このことには注目しないで貰いたい。この主張は、何の証拠もなしに、条約の文章による協定ではなく、「秘密の議定書」が含まれていたと言う。他のヨーロッパの国々とナチス・ドイツとの間で署名された他の協定、たとえば、1938年の「英仏に対するミュンヘンでの裏切り」(これにはソ連は招かれず、ヒトラーがモスクワを攻撃することに敬意を表してオーストリアとチェコスロバキアがヒトラーに割譲された)とは違って、このモロトフ・リッベントロップ協定はヒトラーとスターリンとの間の秘密の合意であって、両国がヨーロッパを制覇して二分しようとするものであった。

実に大層な神話である。しかしながら、ソ連にしてもドイツにしても1939年にポーランドを割譲する新たな国境線を実際に引いた訳ではない。何故かと言うと、それは第一次世界大戦後に英国が提案したものであって、当時の国際連盟とポーランドとの間で受理された国境線を追認するものでしかなかったのである。ウィンストン・チャーチルはその年に初の戦時ラジオ放送を行い、次のように述べている: 

「ロシアは冷酷にも自国本位の政策を執拗に追求してきた。ロシア軍はポーランドの侵略者としてではなく、友人または盟友として現在の国境線に留まることをわれわれの側からも願うことはできた。しかし、ロシア軍がこの国境線に留まることはロシアがナチス・ドイツに対する自分たちの安全を維持するためには明らかに必要であったのだ。」 

それにもかかわらず、モスクワ政府はヒトラーとの平和条約を締結する最後の国家であるのだが、EUによれば両国の関係はあらゆる秘密で成り立っていた。とすると、ドイツはどうして1941年にソ連に侵攻することを選択したのだろうか?EUはこの質問には答えていない。スラブ民族を奴隷として酷使する人種的政策のことは忘れよう。あるいは、ヒトラーが「我が闘争」の中で述べた生活圏を確保するためには東方の国々を征服する必要があるといった文言は忘れよう。1941年の春、つまり、バルバロッサ作戦の2ヶ月足らず前、スターリンがクレムリンで開催されたフルンゼ陸軍大学の卒業式でナチスドイツによる侵攻が真近に迫っているとの警告を発する演説をしたことなんて気にするまい: 

「ドイツとの戦争は不可避だ。もしもモロトフが外務省の取り組みによって2ヶ月でも3ヶ月でも開戦を遅延させることができるならば、われわれにとっては幸運そのものだ。しかし、諸君らは我が軍の戦争準備のためにはあらゆる策を講じなければならない。」

19398月にナチス・ドイツとソ連との間で不可侵条約が締結された理由の核心はロシア軍が将来のドイツ軍の侵攻に備えて準備をするための時間稼ぎにあったという点をEUは改ざんしたのだ。ソ連の指導者は時期が来ればドイツは不可侵条約を破るだろうということを十二分に理解していた。国際共産主義に対抗するためにドイツは1936年に日本とイタリアとの間で反コミンテルン協定に署名していたからだ。6年間にもわたって、これと同様な反ファシスト同盟を構築しようとするロシアの動きは英国とフランスによって妨害されていた。英仏の指導者層はドイツとのビジネスで多忙を極めていたのである。世界規模の紛争が始まる前の最終リハーサルの段階でスペイン共和国をフランコから守ったのはソ連だけであった。他のすべての策を使い尽くして初めて彼らはヒトラー側と手を打つことに最終的に同意した。



Photo-2: 反コミンテルン協定に署名するヨアヒム・フォン・リッベントロップ

不可侵条約の署名のちょうど1週間前、スターリンは政治局で演説をした。彼は次のように説明している: 

「戦争か平和かという設問はわれわれにとって非常に重要な段階に迫って来た。もしもわれわれが英仏と相互協力条約を締結すれば、ドイツはポーランドから撤退し、西側の大国と暫定協定を結ぶことになろう。戦争は回避されるであろうが、将来の出来事はロシアにとって深刻な展開となるだろう。もしもわれわれがドイツの提案を受け入れ、不可侵条約を結ぶならば、ドイツはポーランドに侵攻し、ヨーロッパは深刻な不安定と混乱の中に投げ込まれることだろう。これらの状況の中、紛争には巻き込まれない選択肢がわれわれにはいくつかある。その一方で、参戦の機会を伺うことも可能となるであろう。」 

最近のEUの決議文はアングロサクソン帝国が行ってきた第二次世界大戦の歴史について一般大衆を誤導しようとする長い間の取り組みの一部ではあるのだが、多分、この誤魔化しの中でもっとも嫌らしいことは西側の全死者数の80%を占めるソ連市民の死者27百万人の墓地を汚すことになるだろうという点だ。今年のことではあるが、それよりも前に開催されたノルマンディー上陸の75周年記念ではロシアとその元首は英国のポーツマスで開催された式典には招待されなかった。ロシアで毎年59日に開催される戦勝記念日に西側は参列しようとしないこと自体は侮辱することにはならないとでも言っているかのようでさえある。確かに、東部戦線はこの「オーヴァーロード作戦」 [訳注:これは連合軍のノルマンディー上陸のコードネームとして用いられた] には含まれていなかったことは事実である。ウラジミール・プーチンロシア大統領は2014年に行われたノルマンディー上陸作戦70周年記念式典には参列した。それ以降の数年間、西側とロシアとの間では地政学的緊張が高まったが、これは連合軍の勝利におけるロシアの役割を完全に改ざんするライセンスを与えたようだ。国際義勇軍に従軍した兵士らの家族の多くはこの歴史の改ざんに侮辱を感じ、反対の声を挙げたが、一般大衆からの反対の声はほとんど聞こえて来なかった。

このEUの動きの真の目的はファッシズムのためにドアを開き、ソ連を潰すためにはドイツを使うことも厭わなかった西側の民主主義国家を無実であると認めることによって、さらには米国がヨーロッパを開放したのだという嘘八百に信用を与えることによって戦争の歴史を新たにでっち上げることにある。歴史そのものは、通常、議論のために開放されており、新たな研究や改定の対象となるのだが、この主張を支えてくれる証拠は何も見せずに大西洋主義者らは歴史の改ざんを公の行動ににしてしまった。これは純粋に政治的な動機によるものである。EUというプロジェクトそのものと同様に、この超大国は元ナチ党員で、欧州委員会の初代委員長を務めたウォルター・ハルシュタインによって設計されたものであるが、この提案の目的は建前としては将来残虐行為が発生することを防止することにあった。彼はナチスドイツ政権下ではいくつかの法律団体に籍を置くドイツの弁護士であったが、フランスでナチスドイツ軍のために戦い、ノルマンディーの侵攻後に捕らえられ、戦犯となった。

EUは将来の犯罪を防止することよりも、むしろ、共産主義の歴史的な記録を改ざんし、第三帝国のそれと同列に置くという犯罪を犯したのである。さらには、両国は「専制主義」という同一のコインの表と裏の関係にあるとし、戦争中に犯した残虐行為によってソ連も同様に非難されるべきであると言う。あるいは、当該文書が言及するソ連とドイツとの対比の回数から判断すると、なおさらのことであるとも言う。国際法の下でニュルンベルグにおいて同盟国によって推進された軍事法廷で裁定された結論を、今や、完全に覆そうとしているのかどうかはわれわれにとっては不明だ。しかしながら、1946年のあの裁判では12人の戦犯全員が死刑を宣告され、彼らは全員がドイツ人であった。ロシア人は一人もいなかった。当該文書はモスクワ政府に対する政治的方向性を隠そうとさえもしない。下記のように述べている:

「ロシアは共産主義という専制主義体制のもっとも大きな犠牲者であり、政府や政治エリートおよび政治的プロパガンダが共産主義者がもたらした犯罪を水に流し、ソ連の専制主義的な政府を賛美し続ける限り、これは民主主義国家への脱皮の妨げとなるであろう。」 

ロシアはいわゆる「大恐怖」の時代に処刑され、政治的に迫害された人々に関しては公に記念碑を建立していることから、彼らの主張は批判的な観察には耐え得るものではない。しかしながら、EUの決議文とモスクワに建立された「悲しみの壁」との間に存在する決定的な相違点は後者はソ連時代のアーカイブに残されていた証拠に基づいていることにある。スターリンはヒトラーに比べて5倍も多くの市民を殺害したという話が西側では広く喧伝され、ばかばかしいことにはそれが信じられている。このばかばかしい話は、かっては極秘裏に扱われていたものの今や公開されているソ連時代のアーカイブに残されている記録をまったく反映してはいない。20年間にわたる調査の結果によると、1920年代からスターリンが亡くなった1953年までの約30年間にソ連邦によって処刑された人々の総数は80万人を僅かながら下回る。間違いなく、この総数は恐ろしい数値ではあるのだが、人種理論に基づいて工業的なスケールで実施された虐殺といったいどのようにして比較することが可能となるのであろうか?

人口動態データをもっとも単純な手法で分析したとしても、ソ連の人口はどの10年間をとってみても常に増加して来たし、人口の減少が見られるのは戦争による影響が現れた第二次世界大戦中だけであったことから、いったいどうしてスターリンは何千万人もの市民を殺害したと信じることが可能となるのだろうか?社会主義者は、多分、孤独恐怖症に悩まされる傾向にあるだろうが、彼らはこの種のばかばかしい主張から自分たちの歴史を防護すべきである。政治的ならびに経済的なシステムのすべてを公然と投げ出すのは社会主義国家の下で欠陥が露呈した時だけであって、5百年間にもわたって世界の半分を植民地と化し、そこでは国中の市民を殺害してきた資本主義は決してこのような展開は見せなかった。

死者数に関する酷い誇張はそのほとんどが1997にフランスの右翼グループによって発刊された「The Black Book of Communism と題された書籍に由来する。彼らは戦争中にドイツに投降したアンドレイ・ウラソフ将軍が指揮するロシア解放軍(ROA)のナチス・ドイツ親派のための弁解を隠そうともしない: 

「奇妙な運命がウラソフ指揮下のソ連軍の将兵を待ち受けていた。皆はアンドレイ・ウラソフ将軍の下で戦った。ウラソフはソ連の第二軍の指揮官であったが、1942年の7月にドイツ軍の捕虜となった。自分自身の反スターリン主義に基づいてウラソフ将軍はナチス・ドイツと協力し、ボルシェヴィキの圧制から逃れ、ソ連から逃亡することに同意したのである。」 

ソビエト時代の圧制を必要以上に誇張して描写するために西側がより頻繁に引用したのはアレクサンダー・ソルジェニーツィンの「収容所列島」であった。歴史家のルド・マルテンスが指摘しているように、ソルジェニーツィンは1973年にベストセラーとなった書籍の中でウラソフの国家反逆罪を正当化しようとしている: 

「第二軍は消滅した。文字通り、これは第一次世界大戦時に非常識にも包囲網の罠に陥ってしまったサムソノフ指揮下の第二軍の二の舞であった。もちろん、これは母国に対する反逆罪である!もちろん、これは悪質であり、自分を妄信したことから起こった裏切り行為だ!しかし、これはスターリンの責任だ。国家反逆罪は必ずしも金を儲ける目的だけで起こるものではない。これには戦争準備における無知や間違い、勘違い、初期の段階における臆病、自分自身の元帥としての制服を維持するために軍を無意味に犠牲にすることさえもが含まれる。確かに、最高軍司令官の側にはより苦々しい国家反逆罪が存在するのかも?」



Photo-3: アレクサンダー・ソルジェニーツィン

真実はソビエト時代のアーカイブの中に見い出すことが可能だ。1930年代に行われた追放の責任を自分を含めたソビエト指導者の全員から解放するために、スターリンの後継者となったウクライナ生まれのフルシチョフはその行き過ぎた行為を自分の前任者に押し付けた。西側の歴史家たち、たとえば、英外務省の宣伝を担当するロバート・コンケストはフルシチョフが述べた事例を次々と取り上げ、これらの説明は急速に公の方針となって行った。結果論となるけれども、1956年にフルシチョフが「個人崇拝とその結果について」と題して行った秘密報告はソビエト・システムに対する自己不信の種を蒔くこととなって、何十年か後にはその崩壊に繋がった。それとは対照的に、歴史的記録が示す内容は当時追放された人たちの多くは必ずしもスターリン自身に脅威をもたらしたとは考えられず、内部からの妨害行為や亡命中にある元ボルシェヴィキから感化を受けた第5列の陣営による反革命行動ならびに国外に起源を有する潜在的な侵攻に関してソビエト政府全体が脅威を感じていたことを示している。まさに全体を覆うようなシステム的被害妄想があったが故に、これらの人たちは絶好の目標と見なされたのである。

ロシア内戦の最中、米国を含む第一次世界大戦の同盟国側は後に赤軍によって追い出されることになった白軍を集団で支援し、内政干渉を行った。その際にこのシナリオとまったく同じような状況が起こった。このような恐怖の本能はまったく理に適わないという訳ではないのだ。言うまでもなく、国家全域の急速な工業化は、ドイツとの戦争の脅威が高まる中でたった10年間に推進された。ヒトラーが東方に対するマスタープランを練り始めた時、彼らの最悪の恐怖が現実のものとなった。それは何万人ものバンデラ信奉者らがウクライナにおけるナチス親衛隊の第14武装擲弾兵師団に志願し、占領者であるドイツによる同胞の虐殺にさえも協力し、戦後の1950年代にはCIAの支援の下で国家反逆行為を犯したことである。こうして、諺はこう言った。あんたが被害妄想に襲われているからと言っても、そのことだけであんたを捕らえようとする訳ではない。

「水に流す」ことに対する批判に関しては、今日、ロシア人の70%はスターリンに好感を抱いている。しかしながら、これは社会主義システムは「一般庶民の面倒を見てくれた」という実感に基づいたものであって、共産主義に対する懐かしさでもあり、ソ連の崩壊を残念に思うものでもあった。スターリンによる圧政があったにもかかわらず、ジョージア出身のスターリンは米国のように日本へ2個の原爆を投下し、225,000人もの無辜の一般庶民(ほとんどは即死であった)を犠牲にするようなことはしなかったであろうとプーチンはかって述べたことがある。この原爆による犠牲者数はスターリン時代に極刑に処せられらた総数の四分の一に相当する。プーチンの言動は間違いだと言えるのだろうか? 1930年代のソ連では全国規模の飢餓が起こり、夥しい数の死者が出たが、英国はベンガルで意図的に3百万人もの餓死者を出したという事実を支える証拠が多く現れている。離散したウクライナ人の国粋主義者らによってでっち上げられた人為的な大飢饉(ホロドモール)に関する記録も出てきている。もしも西側が人為的な飢餓に関して論じたいならば、1990年代に米国がイラクに課した経済制裁によって50万人もの子供たちを死亡させたことに注意を向けるべきであろう。この出来事に関しては、当時の国務長官であったマデレーン・オールブライトは「それだけの代償を払う値打ちがあった」という有名な言葉を残した。

アングロサクソン圏が連合軍の勝利に関してロシアの役割を歴史的に抹殺しようとした、あるいは、第三帝国と同一視しようとしたのはこれが初めてということではない。以前、欧州議会は823日を「ナチス・ソビエト同盟による犠牲者を記念するヨーロッパの日」と宣言した。これはすべてが大西洋主義者による試みであって、ある意味でファッシズムよりも性質が悪い。これは人種差別を物の見方の中心に置いたヨーロッパ人入植者の植民地主義の系譜からナチスを切り離そうとするものだ。いったいどうしてユダヤ人を襲った危害はヘレロ・ナマ族に対して行われた虐殺の延長線にあるとして考えようとはしないのだろうか?百年後の今、ナミビアはドイツ政府に賠償を求めている。

ヨーロッパのネオリベラル派の指導者およびその反対派の反ヨーロッパ 大衆主義者はお互いに真っ向から反対し合うことが好きであるが、第二次世界大戦に関しては同一のお伽話を共有しているかのようだ。最近の決議文の記述によれば、ナチス・ドイツとソビエトは同等に悪党である。リベラル派の億万長者であり「博愛主義者」でもあり、国際通貨を弄ぶことに長けたジョージ・ソロスは、東欧圏において共産主義の崩壊を演じたのは彼のオープン・ソサイエティ―・インスティチュート傘下のNGOであったことが分かった時に右派の大衆主義者から冷笑を受けたことは皮肉そのものであった。ソロスは、多分、西ヨーロッパで現在台頭しつつある右派系国家主義者の反移民政策を嫌っているのかも知れないが、生粋のロシア嫌いとして彼はモスクワ政府の影響圏を邪魔するためとあらばキエフの超国家主義者とさえもベッドを共にすることを厭わないのだ。これには2014年のウクライナにおけるクーデターで政権を手にしたバンデラ派に好感をもたらす第二次世界大戦の歴史の改ざんさえもが含まれるのである。 

キエフのナチス政権は、それ以降、ロシアを嫌う「脱共産主義」法を制定し、ウクライナにおけるソビエト体制の痕跡を排除し、かっての戦争中の敵を記念の対象に置き換えようとさえしている。最近の事例を挙げると、ソ連のスパイで戦時の英雄であったリチャード・ゾルゲを冠したヴィ二ツア市の通りの名称をオメリアン・フラべツクに変更した。オメリアン・フラべツクは戦時中にナチスドイツに協力した「ウクライナ反乱軍」の司令官であって、何千人ものポーランド人やユダヤ人を殺害した。ゾルゲは東京でドイツ人ジャーナリストとして行動していたが、日本はソ連を攻撃する計画を持ってはいないという情報を絶妙なタイミングでモスクワ政府に伝えた。この情報によってスターリンにとっては「モスクワの戦い」のために補強戦力を充当することが可能となり、戦争の勝敗を決する重要な転換点となったのである。ゾルゲは1944年に日本で処刑され、後にソ連の英雄として叙勲された。

今、EUは立法化によって歴史の「脱共産主義化」を図ろうとしている。EUに対するソロスの影響力については言い過ぎることは決してない。彼のロビー活動はこの政治経済的な共同体における如何なる国家元首に比べてさえも行政部門に直接助言する機会をより多く与えてくれるのだ。このへッジファンドの大物は、ポーランドと自分の出身国であるハンガリーに対してもそうしたように、ロシアに対してショック療法を適用するようにジェフリー・サックスとIMFに協力を求めた。その後、1990年代に実施されたロシアの大民営化時代に資産を形成した。しかしながら、プーチンの下ではソロスのNGOはロシアから排除された。皮肉にも彼がウクライナのファシストに支援を提供し、モスクワの影響力を邪魔する理由は、多分、ハンガリーで育った頃に彼が個人的に振舞った背景に相似性を見い出すことが可能だ。

ジェルジ・シュワルツとして生まれ、第二次世界大戦中の彼はユダヤ人家族出身の裕福な十代を過ごしていた。彼の家族は金を使って枢軸国の占領下を生き延び、アロー・クロス政権の高官を買収し、ソロスにキリスト教徒としての身分証明書を入手した。この少年は他のユダヤ人らには追放通知書を配達したことを認めている。その後間もなく、若いソロスは高価な盗難品やユダヤ人の邸宅から押収された物品を管理する高官の養子としての役割を演じて、その高官の仕事中は彼の下で過ごした。彼はひとりのユダヤ人としてこれらの体験によって悩まされたに違いないと想像するかも知れないが、ソロスは何も後悔をしてはいないと何度も言っている。多いに気になることではあるが、彼はこれらの体験を投資家としての将来の仕事と比較してさえもいる。

衝撃的だ: 反ファシズム派の支持者であるジョージ・ソロスはナチス・ドイツの協力者であったが、そのことを今日までに後悔したことはないと言う。

ソロスと同様に、金儲けに対する飽くなき追求やロシアを嫌うことを通じてナチスを好きになる点を除いては、EUはイデオロギーを持ってはいない。それ自身の政治的関心のために、EUは危険にもキスリング派のような右翼によって作り上げられた歴史感を育てようとしている。キスリング派 [訳注:ナチス・ドイツ支配時代(19401945年)のノルウェーで親ナチス・ドイツ政権を作ったVidkun Quisling18871945年)に因んでこの言葉が用いられるようになった。キスリングはナチス・ドイツ崩壊後に逮捕され、処刑された] は枢軸国と協力することによって罪悪感から逃れた。その一方で、勇敢にもナチス・ドイツを降伏させたロシアは悪意をもって中傷されている。ファシズムは完全に排除された訳ではない。西側は冷戦中にファッシズムを育て、復活しつつあるモスクワ政府を世界の舞台で弱体化させるために、ユーラシアに資本主義が回復された今でさえも西側はそうしている。

世界が第三次世界大戦の瀬戸際に押しやられている中、誰もが「歴史は繰り返す・・・最初は悲劇として、二回目は茶番劇として・・・」と著書「ルイ・ナポレオンの18番目のブリュマール」の中で述べたカール・マルクスの有名な言葉を思い起すのではないか。これはフランス革命におけるナポレオン・ボナパルトの権力の掌握と半世紀後に彼の甥が企て、フランス革命に終焉をもたらしたクーデターとを比較したものだ。これと同じようにうまく適合する言葉は著名な作家であり、反帝国主義者でもあったマーク・トウェインのユーモアに富んだ言葉ではないだろうか。彼は「歴史は繰り返さない。しかし、韻を残す」と言った。両者の言葉は共に第二次世界大戦の疑いようもない悲劇やEUの歴史に対する誤魔化しにも適用することが可能だ。EUの政策は新たに世界規模の紛争を作り出そうとしており、この紛争は起こりそうな気配だ。

原典: Unz Review


<引用終了>

これで全文の仮訳が終了した。

国内に解決が難しい政治課題を抱え、そのことについて国民が不満を抱いている時、その国の政治家は国民の関心を外へ向けようとすることが多い。悪の根源は国内にあるのではなく、国外に存在するとして巧妙な説得を試みる。思考回路はすべてが自己保存のためであって、高潔な思想は微塵もない。

この引用記事は緻密な分析に基づいて物事を論理的に見ようとする姿勢で書かれている。そして、われわれ一般庶民にも分かり易い形で専門家の意見や物の見方を説明しようとする取り組みには好感さえも覚える程だ。EUの最近の決議文が如何にまやかしであるのかが良く理解できる。

歴史的出来事は歴史的証拠に基づいて理解することが求められるという極めて基本的な事実にわれわれはもっと、もっと真剣に留意しなければならないと思う。言われてみれば当然そうだと反応し勝ちではあるが、この記事は具体的な例証を挙げてその点を改めて教えてくれた。素晴らしいことだと思う。

仮にわれわれ一般庶民の大多数がロシアを悪者扱いすることは大きな間違いであると自覚した場合、どのような将来が待ち受けているのであろうか?

トランプ大統領が進めようとしたロシアとの和解は議論の余地がない程に正しいと皆が理解した暁には、第三次世界大戦を避けることが可能となってくるであろう。つまり、世界規模の核戦争の脅威は急速に低減する。人類の存続にとってこれは考え得る最大級の政治的成果であると言えよう。そして、米国の軍産複合体が推進している新冷戦の構造を維持するために費やされている莫大な予算は年金や教育、貧困者の救済、医療制度の拡充、インフラの整備といった国家としての基礎的な政策に存分に振り向けることが可能となって来るであろう。こうして、軍事力を背景に世界中のエネルギー資源をただ同然に入手しようとしてきた米国の傲慢な振る舞いは、遅かれ早かれ、影を潜め始めるであろう。イラクやシリア、イエメンには平和な日々が戻って来るに違いない。故郷の地から離れざるを得なかった何百万人もの人たちはやがて故郷に戻って来るであろう。ロシアやイラン、ベネズエラ、北朝鮮に対する経済制裁の存在理由は屑籠に投げ込まれ、一般庶民は必要な医薬品を入手し、子供たちの健康を回復させ、生命の危険を感じた日常にサヨナラと言える日が来るであろう。



参照:

1The EU Is Rewriting WWII History to Demonize Russia: Max Parry, Russia Insider, Oct/27/2019








2019年11月4日月曜日

ロシアとの戦争に導こうとしている


2019年も残るは2ヶ月足らずとなった。この2019年にわれわれが目にしたもっとも大きな政治ニュースは米国におけるロシア叩きの最終段階ではないだろうか。ロバート・ミュラー特別検察官の報告書は民主党の期待を裏切った。彼は2016年の大統領選に起こったとされるトランプ大統領のロシアとの共謀を立証することができなかった。しかしながら、それで民主党のトランプ降ろしが終わった訳ではない。
 
メディアは一般大衆がテレビを観てくれ、新聞を読んでくれさえすれば、たとえ彼ら自身が報道する内容が作り話であってもお構いなしという無責任な態度をとり続けている。それを示す証拠が挙がっている。奇しくも、CNNのあるディレクターは自分の発言が隠し撮りされているとは気づかずに率直にそのことをリポーターに話した。まさに企業ぐるみである。多くのジャーナリストが真実を掘り起こし、それを伝えるというジャーナリズムの真髄を組織全体で放棄し、彼らが持つ時間とエネルギーならびに知的能力といった貴重な資産を一般大衆を扇動することに投入しているのである。これほどの浪費があるだろうか?不幸にも、これはふんだんな資金力と人的資源ならびに組織力を持つ大手メディア、つまり、全米規模で影響を与えることが可能な企業の話である。
 
トランプ大統領のロシアとの共謀という筋書きはそれを推進すればするほど、ロシアを悪者扱いする手口がより厳しいもの、より悪辣なものへと変化してきた。たとえロシアをこき下ろすネタが作り話であってもお構いなしにメディアはそれを喧伝する。ますます冷却する両国間の政治的関係を反映して、ふたつの核大国はすでに軍事的競争の段階に突入している。人類にとっては非常に危険な兆候だ。
 
一方、大手メディアの報道に飽き足らず独立心が旺盛な識者らは専門家の立場からさまざまな形で現状を分析し、一部の良心的なメディアを通じて得られた知見や助言を伝え、一般大衆が洗脳されないようにと警鐘を鳴らしている。
 
ここに「ロシアとの戦争に導こうとしている」と題された記事がある(注1)。著者のクリス・エッジスはロシア学の権威でプリンストン大学とニューヨーク大学の名誉教授でもあるステイーブン・コーエンにインタビューした。このインタビュー記事もわれわれ一般大衆に対する啓蒙のひとつである。言うまでもなく、それを適切に理解するかどうかはわれわれ次第だ。
 
これは今年の6月の記事であるが、地球規模の戦略をあれこれと考察しようとする時、多くの場合年単位あるいは10年単位で物事を把握しなければならないことから、この記事は決して古いという訳ではない。
 
本日はこの記事を仮訳し、読者の皆さんと共有しようと思う。

 
<引用開始>

ロバート・ミュラーの報告書は2016年の大統領選でドナルド・トランプと彼の選挙団がロシアとの共謀を図ったと結論付けることができなかったにもかかわらず、モスクワ政府との新冷戦は弱まる気配を見せてはいない。それはロシアとの国境にまでNATOの勢力を拡張することを正当化することに利用された。そして、この動きは米国の武器メーカーに何十億ドルもの利益をもたらした。それは国内の批判者や代替メディアを外国勢力の工作員であるとして悪者扱いするために利用された。それは民主党の労働者に対する裏切りや同党の企業パワーへの服従を覆い隠すために使われている。それは世界のふたつの核大国間の緊張緩和に対する信用を低下させるために使われている。それは米国内では市民の自由を奪うために、海外では米国が特定の国家に介入するために使われている。たとえば、シリアやベネズエラだ。この新冷戦はトランプの大統領選以前にまで遡る。新冷戦は10年以上も前に軍需産業と諜報機関によって作り上げられた。彼らはロシアとの紛争を扇動することによって自分たちのパワーを強化し、自分たちの利益を拡大することが出来ると判断した。(諜報活動の70%は民間企業であるブーズ・アレン・ハミルトンによって実行され、同社はスパイ活動の領域では世界でもっとも大きな利益を上げている。)

『これはトランプやロシアゲートよりもずっと以前に始まっていたと私の「On Contact」というテレビショウでインタビューに応えてくれたスティーブン・F・コーエンは述べている。コーエンはプリンストン大学の政治学の名誉教授であって、同大学でのロシア研究プログラムでディレクターを務めていた。また、ニューヨーク大学ではロシア学と歴史の名誉教授でもある。ワシントン政府は当時のソ連の共産主義指導者と生産的な外交をすることに何ら問題がなかったが、これは何故か、と自問自答しなければならない。リチャード・ニクソンとレオニード・ブレジネフとの関係をご記憶だろうか?あれはラブ・フェストだった。彼らは(ソ連で)一緒に狩猟に出かけた。そして、ソ連が解体されてからは、ウラジミール・プーチンが現れた。彼は共産主義者でないばかりか、反共産主義者であると公言している。ワシントン政府は2003年、2004年の頃から彼を嫌っている。このことは何らかの説明を要する。われわれはどうして反共産主義のロシアの指導者よりもむしろ共産主義の指導者を好きなのか?これは大きな謎だ。』 

『もしもあなたがワシントンのお偉方がいかにして憎しみを抱き、かつ、悪者扱いしながらプーチンを扱って来たかについて説明したいと思うならば、プーチンが登場する前の1990年代まで遡らなければならない、とコーエンは言った。彼の新刊書は「ロシアとの戦争?プーチンならびにウクライナからトランプならびにロシアゲートまで」と題されている。ソ連崩壊後の最初の指導者はボリス・イエルツィンである。米国側はクリントンが大統領。ふたりは作り物で、まがいものの友情を築き、そこでは、クリントン政権は本質的にはロシアが崩壊の途上にある現実に便乗していた。ロシアは主権を喪失する寸前であった。私は90年代にロシアに住んでいた。中産階級は自分たちの職を失い、高齢者は年金を失った。1990年代にロシアの工業生産が低下した割合は大恐慌の際にわれわれが失った割合よりも大きいと私は思う。あの状況は平和時に起こった事例の中では最悪の経済的・社会的恐慌であった。あれはロシアにとっては破滅的な状況だった。』

1993年の9月、ロシア人は街頭に繰り出して、恐ろしいほど蔓延している腐敗に加えて経済崩壊(国内総生産が50%も減少し、ハイパーインフレーションによって国が動揺していた)に抗議し、反政府行動を起こした。国営企業は取るに足りない手数料でロシアの振興成金に売却され、外国企業はたっぷりと袖の下や賄賂を受け取った。食料や燃料が不足し、給料や年金の支払いが滞った。医療サービスも含めて、基本的サービスが著しく不足。平均余命が低下。暴力犯罪が急増。イエルツィンの権力は拡大され、彼のチェチン戦争は不人気であった。

199310月、議会が民主的な反政府派の連中によって占拠されていたことから、イエルツィンは、議会の解散後、軍の戦車にロシア議会の建物に向かって砲撃するよう命じた。それでも、イエルツィンはワシントン政府によって大げさに賞賛され、支援されていた。これには1996年の大統領の再選キャンペーン時におけるIMFからの102億ドルの融資に関する米国政府の支持も含まれる。この融資はイエルツィンの政府が遅配となっている何百万人ものロシア人の給料や年金を支払うのに充当された。多くの場合、小切手は選挙の前日に届けられた。また、 この融資から15億ドルが直接イエルツィン大統領の再選のために充当された。しかし、199912月にイエルツィンが放り出される頃には彼の支持率は2%に低迷していた。ワシントン政府はイエルツィンを失い、新しいロシアの指導者を探し始めた。そして、彼らはプーチンにお誂えの指導者としての器量を見つけた。最初はそう思っていた。

「プーチンはテキサスへ出かけた」と、コーエンが言った。「彼はブッシュと二番目のブッシュと一緒にバーベキューを楽しんだ」 ブッシュはこう言った。「彼の目を覗き込んで、立派な魂を見た。」 当初はこのような蜜月の期間があったのだ。彼らはどうして反プーチンに変身したのか?彼はイエルツィンと同じではないことが分かったのだ。このことについては非常に興味深いコメントがある。ニューヨークタイムズのコラムニストであるニコラス・クリストフのコメントだ。2003年のことだったと思うが、彼はこう書いている「プーチンに関する彼の妄想は崩れた。プーチンは「しらふのイエルツィン」ではなかった。ワシントン政府が期待していたのは従順で、嘆願するようなソ連崩壊後の指導者であり、より若く、より健康で、呑み助ではない人物であった。彼らはプーチンにはそういった特性が備わっていると思っていた。イエルツィンはプーチンを権力の座に据えた。少なくとも、イエルツィンの取り巻きはそうした。」

「プーチンがロシアの主権や国際関係に関しては独立した態度を取ることについて話し始めた時、彼らは愕然とした」とワシントンのエリートらについてコーエンは言った。「これは彼らが期待していたことではない。私自身の考えでは、1990年代以降プーチンを手に入れたことはわれわれにとっては極めて幸運であった。周りには性質の悪い競争相手がいた。私は何人かをよく知っている。彼らの名前は言いたくはない。しかし、実際に何人かは実に手厳しい連中だ。プーチンは然るべき時のためには非常に適切な人物であって、ロシアのためにもロシアの国際関係のためにもいいことだ。」  

「われわれはこのためにもう3年も費やしてきた」と、ロシアゲートに関してコーエンは言う。『われわれはこの主張の本質を見失ってしまった。ロシアゲートをでっち上げた連中はもう3年間も「米国大統領はロシアのエージェントだ」、あるいは、「彼はクレムリン政府によって妥協させられた」と言っている。この話は余りにも凄いのでわれわれはニヤッとする。しかし、ワシントンのお偉方は、主として民主党員であり、さらには、彼らだけに限らず、これを真面目に受け取った。』

「アメリカの歴史にこのようなことがあったかどうかは私は知らない」とコーエンは言った。「あの批判はわれわれの制度に、ならびに、大統領制や選挙システム、議会、米国の大手メディア、米ロ関係、等に害を与えたことは言うまでもなく、ロシアのエリートや若い世代にも害を与えた。今のアメリカを見たまえ。このロシアゲートは全体が詐欺的であったばかりではなく、完全な失敗でもあった。」

20世紀の緊張緩和には三つの主要なエピソードがあった」とコーエンは言う。『最初の緊張緩和はスターリンの死後、冷戦が非常に危険であった頃だ。あれは共和党からの大統領であったドワイト・アイゼンハワーによって実行された。二番目はヘンリー・キシンジャーによって助言を受けて行動を起こしたニクソンだ。彼の緊張緩和は「ブレジネフとニクソンの緊張緩和」と呼ばれている。三番目はわれわれがもっとも成功した事例と考えるものであるが、これはロナルド・リーガンとミカイル・ゴルバチョフとによるものだ。この緊張緩和は大成功であった。リーガンの後継者であるブッシュは「冷戦はこれで永久に終わった」とさえ言った。』

1989年の東ドイツの崩壊とベルリンの壁の崩壊についてコーエンは「壁は崩壊した」と言った。 『東西ドイツは再統一しようとしていた。問題は「再統一されたドイツは何処へ行くのか」という点であった。西側はドイツをNATO陣営に留めておきたかった。ゴルバチョフにとっては、その考えは到底呑み込めるものではなかった。第二次世界大戦ではドイツを相手に東部戦線で2750万人のソ連市民が死亡したのである。諸々のたわ言に反して、皆はこう告げられた。米軍はノルマンディーには上陸せず、ナチを降伏させはしなかった。ナチ・ドイツの降伏は主としてソビエト軍によって達成された。ゴルバチョフは家へ帰って、「ドイツは再統一される。偉大な出来事だ。そして、ドイツはNATOに留まる」なんて果たして言えただろうか?NATOは東へ向けて1インチたりとも動かない。これはジェームズ・ベーカー国務長官が述べた文言である。換言すると、NATOはドイツより東へ、つまり、ロシアに向かっては決して拡大しないということだ。ところが、NATOは動いた。』

「今日、われわれが知っているように、NATOはロシアの国境にまで迫っている」とコーエンは言った。『バルト三国からウクライナへ、そして、ソ連邦の元一員であったジョージアへ。いったい何が起こったのか?後に、彼らは「ゴルバチョフは嘘をついた」、あるいは、「彼は誤解したのだ」と言った。「何の約束も無かった」とさえも言った。しかし、ワシントンの国家安全保障アーカイブは1990年に行われた討議についてすべてを文書化した。ジョージH.W.ブッシュだけではなく、フランス大統領のフランソワ・ミッテランや英国のマーガレット・サッチャー首相も含めて、西側の指導者らはゴルバチョフにNATOは東へ向かっては動かないと約束していたのである。』

「それで、今日、あなたはいったい何に直面しているのか?」と彼は問いかけてきた。『裏切りだ。今日の米ロ関係についての討議ではいかなる場合であっても情報通のロシア人はこう言うのではないか?「あんた方はまたもやわれわれを裏切ることだろう。」 ・・・プーチンは彼が権力の座に就いた時、彼は西側については勘違いをしていたと言った。』 

トランプは2016年にどこからともなく現れ、こう言った。「われわれはロシアと協力するべきだと思う」とコーエンが言った。「これは緊張緩和の宣言である。これは私の関心を彼に引き付けた。トランプはクレムリンのエージェントだとする見方が始まったのはこの時からだ。誰もが疑問に思い、私自身は実証できないけれども、論理的に考えなければならない。この非難は緊張緩和を標榜する大統領を望もうとはしない高官の誰かから始まったのではないか?当時、トランプが勝利を収める可能性は非常に小さかった。とは言え、彼らはロシアとの協力を話し合うことは好まなかった。それが今われわれがロシアゲートと呼ぶ一連の動きの口火となったのだ。」

「緊張緩和の先人は共和党である」とコーエンは言う。「これらの緊張緩和の期間に民主党がどのような挙動を示したのかと言うと、それはさまざまである。ヘンリー・ジャクソン陣営と称される集団があった。これはイデオロギーに凝り固まった民主党の強硬派で、緊張緩和なんて信じてはいなかった。民主党でも何人かは信じていた。ソ連時代にも、ロシアになってからも、私はモスクワに何年間か住んでいたことがある。仮にあなたがロシアの議員と話しをするならば、通常、彼らは大統領には共和党の候補者を好む。」

民主党員はロシアの議員たちからはよりイデオロギーに凝り固まっていると見なされているとコーエンは言う。

「共和党員はロシアとのビジネスを推進したいビジネスマンであることが多い」と彼は言った。『1970年代に設立されたものであるが、緊張緩和にとってもっとも重要なロビー活動のグループは「東西調和のための米国の委員会」(American Committee for East-West Accord)と称されている。これはソ連とのビジネスを希望する米国のCEOらによって創立されたものだ。』

「米国が持つ対外関係で唯一の重要な相手はロシアである」とコーエンは続けた。「核大国であるからというばかりではなく、ロシアは世界で最大の領土を有している。われわれが関心を寄せる地域ではいつもロシアと隣接する。ロシアとの緊張緩和、これは友好関係でもパートナーの関係でもなく、同盟関係でもない。しかし、紛争を低減させることにその本質がある。それにもかかわらず、2016年に何かが起こった。」

非難の内容はクレムリンがトランプをコントロールしているとかロシアはわれわれの選挙を盗んだというものであって、元国家安全保障局長官のジェームズ・クラッパーと元CIA長官のジョン・ブレナンによって何度も繰り返された。これらの非難は極めて憂慮すべきものであるとコーエンは言う。クラッパーとブレナンはトランプをクレムリンの「スパイ」として描写した。ブレナンはフィンランドでロシア大統領と共に行ったトランプの共同記者会見を「まさに国家反逆罪に他ならない」とさえ言った。

クラッパーは「事実と恐怖:諜報に捧げた生活から得られた真実」(Facts and Fears: Hard Truths From a Life in Intelligence)と題された彼の回想録の中で2016年の大統領選でプーチンがトランプのために行った干渉は「驚くばかりである」と主張している。

「もちろん、ロシアの努力は選挙結果に影響を及ぼした」とクラッパーは書いている。「彼らさえもが驚いている。彼らは票を動かし、トランプを勝たせた。これとは違う結論を導くには論理や常識ならびに軽信性をそれらが限界に至るまで伸ばさなければならない。三つの重要な州で8万票弱が動いた。それよりももっと多くの票がロシア人によるこの強力な努力によって影響を受けたことは疑いようもない。」

ブレナンとクラッパーは機会があるごとに公衆に向かって嘘をついたことが分かっている。たとえば、CIAは上院の職員が拷問に関する報告書を書いていたコンピュータを調査した。ブレナンはこの事実を不誠実にも否定した。上院諜報委員会の議長であるダイアン・フェインスタインはこの件を上院で取り上げ、CIAが拷問を活用したことを彼女の上院委員会が調査し、CIAがこの調査をスパイし、それを阻止しようとしたことでブレナンとCIAは潜在的に米国憲法を侵害した恐れがあり、犯罪行為であるとして非難した。彼女はこの状況を政治的監視のための「決定的瞬間」であると性格付けた。また、ブレナンは無人機を使った暗殺プログラムでは「一般人の巻き添え殺人」は一件もない、そして、オサマ・ビン・ラーデンはパキスタンでの米国の襲撃で射殺される前に妻を盾代わりに使ったと主張した。さらには、拷問を婉曲的に「強化尋問」と表現し、拷問は有用な情報を生み出してくれたと彼は言い張った。これらの文言は何れも真実ではない。

クラッパーは米国がイラクへ武力侵攻した時にはスパイ衛星からの写真や空気中の粒子および土壌サンプルを評価する任務を持つペンタゴンの機関、アメリカ国家地理空間情報局のディレクターであったが、彼はサダム・フセインの在りもしない大量破壊兵器のストーリーをでっち上げ、シリアへの侵攻の前夜にはシリアに対する彼のプログラムを検証する文書をでっち上げた。彼は上院で米国の一般市民に対する監視プログラムに関して質問をされた際にあからさまな偽証をした。彼は「NSA(国家安全保障局)は何百万人あるいは何億人もの米国市民について何らかのデータを収集しているのか」との質問に対して、クラッパーはこう答えた。「いいえ、故意には何も。」 クラッパー自身が良く知っているように、この返事は嘘であった

諜報部門の上級職員や諜報機関を監督し、コントロール下に置くことができないわれわれの無能さは影の国家が抱く目標に向けて情報をでっち上げることさえも許してしまう。これは民主主義の死を示唆している。諜報官僚は、見たところ、嘘をつく権限が与えられている。ブレナンとクラッパーはそのような連中の一人であって、不吉にも、批判者を効率的に沈黙させ、たとえ政府内部であってさえも彼らの行動を調査し、彼らや彼らの機関を説明のしようがないものにしてしまう監視や脅かしおよび抑圧の手段を手中に持っていた。

クリストファー・スティールによって編集された報告書に関しては、「われわれは米国のメディア内を流れているスティール・ファイルを持っている」とコーエンが言った。

この報告書はフュージョンGPSに発注され、ヒラリー・クリントンの選挙団と民主党全国委員会によって支払いが行われた。ボブ・ウッドワードはこう報告しているブレナンはスティール・ファイルをロシアの選挙干渉に関する諜報部門の評価に含めるよう後押しした。

「彼(スティール)はあの内容を新聞から入手したのだ」とコーエンは言った。『情報の入手源をたとえ一人でも彼がロシアに持っていたとはとても思えない。スティールはこの報告書を見せて、こう言った。「私は上層部からこの情報を入手した。」 クリントンの選挙団はこの仕事に資金を提供した。彼は英国の元諜報職員であり、本当にそうであったとすれば、彼はロシアで勤務し、ロシアで仕事をしていたことであろう。トランプが売春婦と跳ね回っていたとするファイルに含まれている情報を彼は所有していると言う。トランプが遊びまわっていたのは何十年も前の話だ。彼はこの情報をクレムリンの上層部から入手したと言うが。この説明は不合理で、非論理的だ。」

「論理としては、プーチンは是非ともトランプに大統領になって欲しかったのではないか?」とコーエンは言う。 「それにもかかわらず、クレムリンのプーチンの側近の誰かがスティールという男にトランプに関する悪口を流した。自分のボスがトランプの勝利を望んでいるというのに、そんなことをするだろうか?」

「このことはどうして重要なのか?」とコーエンが質した。「右翼の米メディア、特に、フォックスニュースはこのロシアゲート全体にわたってロシアを非難し続けていた。ロシアはこの偽情報をスティールに提供し、彼はそれをわれわれのシステムに注入した。こうして、ロシアゲートをもたらしたと言う。しかし、これはまったくの出鱈目だ。」

「スティール作戦を含めて、背後にはいったい誰が潜んでいるのか?」とコーエンが質す。「私は正統派の質問よりも立派な質問が好きだ。私は教条主義者ではない。私には証拠がないが、表に現れているすべての情報は、これはブレナンとCIAから始まったことを示唆している。それはかなり以前に、2015年の始めの頃、米国を襲った。今日われわれが抱えている問題のひとつは誰もがFBIを思い付くことだ。たとえば、電子メールを交わす愛人たちしかし、FBIは優柔不断な組織であり、FBIを恐れる者なんていない。今や、J・エドガー・フーバーの監督下にあった頃の組織ではなく、すっかり変容している。ジェームズ・コミーを見たまえ。ブレナンとクラッパーはコミーを手玉にとった。彼らはこれを彼に押しやった。コミーはクリントン候補の電子メール問題を取り扱うことさえもできなかった。彼は何でも台無しにした。狡猾なのは誰か?それはブレナンとクラッパーだ。ブレナンはCIA長官。クラッパーは国家情報部門の長官で、これらの機関を監督する立場にあった。」

「トランプとプーチンに関するこれらのロシアゲートの主張には何らかの現実性があるのだろうか?」と彼が質した。「これはわれわれの諜報部門による妄想だったのではないか?今日、米国司法長官を含めて、調査の実施が約束されている。彼らは誰もがFBIを調査したがっている。しかし、彼らはブレナンおよびCIAが何をしたのかを調査する必要がある。これは、少なくとも南北戦争以降の米国史においては最悪の醜聞だ。これがどのように始まったのかを知る必要がある。もしもわれわれの諜報部門が限界を逸脱して、まず大統領候補を潰し、次には大統領を潰すようなことまでもが可能であるとすれば、相手がトランプであることには私は構わないが、次回はハリー・スミス、あるいは、女性大統領だ。彼らがこんなことを仕出かすことが可能であるのかどうかをわれわれは知らなければならない。」

「二番目のブッシュは2002年に弾道弾迎撃ミサイル制限条約から脱退した」とコーエンは言った。「あれは非常に重要な条約であった。あの条約は弾道弾迎撃ミサイル網を配備することを防止してきた。もしもどちらかが有効な迎撃ミサイル網を持ったとしたら、彼らは相手に第一撃を加える選択肢を手にしたと考える。ロシアまたは米国は、反撃を受ける心配もなく、相手を攻撃できる。ブッシュがこの条約を破棄した後に、われわれは弾道弾迎撃ミサイル網をロシアの周りに配備し始めた。非常に危険なことだ。」

「ロシアは新たなミサイル・プログラムを開始した。これについてはわれわれは昨年知ることになった」と彼は言った。『極超音速ミサイルだ。ロシアは今や如何なるミサイル迎撃網であってもかいくぐることができる核ミサイルを所有する。われわれは今までの50年間の核兵器競争においてはまったく新しく、かつ、危険性がより高い段階に達している。プーチンは「われわれはあんた方がしたことを受けて、これらを開発することになった。われわれは今や相互に破壊し合うことが可能だ」と言う。今や、新たな軍縮協定に真剣に取り組まなければならない時だ。それにもかかわらず、われわれはいったい何をしでかしたのか?こともあろうにロシアゲートだ。ロシアゲートは国家安全保障に対するもっとも大きな脅威のひとつである。私はこの本で五つの脅威を書いたロシアや中国は含まれない。しかし、ロシアゲートは一番大きな脅威だ。』

著者のプロフィール: クリス・ヘッジスは特派員として中米、中東、アフリカおよびバルカンで約20年間を過ごした。50カ国以上から報告し、クリスチャン・サイエンス・モニターやナショナル・パブリック・ラジオ、ダラス・モーニング・ニュース、および、ニューヨーク・タイムズのために働いた。これらのメディアのために15年間を特派員として過ごした。https://www.truthdig.com/author/chris_hedges/

<引用終了>
 
これで全文の仮訳が終了した。
米政府はロシアゲートがどのようにして始まったのかという謎を解くための調査を開始しようとしている。ウィリアム・バー米司法長官がその任を与えられた。遅かれ早かれ、調査結果が公表されることであろう。
ここに引用したクリス・ヘッジのコーエン教授とのインタビューは上記のバー司法長官の調査結果を待たずに、すでに中核的な方向性を示している。コーエン教授は焦点はブレナン元CIA長官とCIAにあると指摘している。

ロシアゲートは新冷戦の中のひとつのエピソードでしかない。ロシアゲートよりも大きな枠で眺め、新冷戦の本質を議論するならば、まずは、新冷戦そのものはいったいどのように構築されているのか、新冷戦によっていったい誰が得をするのかという疑問に答えなければならない。奇しくも、コーエン教授は上記の引用記事で次のように答えている:
ロバート・ミュラーの報告書は2016年の大統領選でドナルド・トランプと彼の選挙団がロシアとの共謀を図ったと結論付けることができなかったにもかかわらず、モスクワ政府との新冷戦は弱まる気配を見せてはいない。それはロシアとの国境にまでNATOの勢力を拡張することを正当化することに利用された。そして、この動きは米国の武器メーカーに何十億ドルもの利益をもたらした。
そして、この軍産複合体の中核的な目標はさまざまな動きの中に実に巧妙にカモフラージュされ、軍産複合体の利益のために威力を発揮するのである。

それは国内の批判者や代替メディアを外国勢力の工作員であるとして悪者扱いするために利用された。それは民主党の労働者に対する裏切りや同党の企業パワーへの服従を覆い隠すために使われている。それは世界のふたつの核大国間の緊張緩和に対する信用を低下させるために使われている。それは米国内では市民の自由を奪うために、海外では米国が特定の国家に介入するために使われている。たとえば、シリアやベネズエラだ。
要するに、新冷戦の存在は米軍需産業の金儲けのためである。不幸なことには、世界中がそれに振り回されて、莫大な浪費をしている。言うまでもなく、これは世界史の中で何度も現れてきた構図であるのだが、大手メディアによる巧妙で大規模な扇動によって一般大衆は見事に誤導されているのだと言えよう。そして、その影響を直接受けているのは米国はもとより、西側全体なのである。 

新冷戦を作り出した最大の要素は米国がNATOをロシアとの国境にまで拡大し続けたことではないだろうか。米国のジェームズ・ベーカー国務長官は「NATOは東へ向けて1インチたりとも動かない」とゴルバチョフ書記長に約束していたのである。ワシントンの国家安全保障アーカイブは1990年に行われた討議についてすべてを文書化した。それによると、ジョージH.W.ブッシュだけではなく、フランス大統領のフランソワ・ミッテランや英国のマーガレット・サッチャー首相も含めて、西側の指導者らはゴルバチョフにNATOは東へ向かっては動かないと約束していたのである。それにもかかわらず、NATOは動いた。
米政治家の偽善振りは留まることを知らない。米国のエリートは文書化されている詳細な事実を見て、米国が約束を守らなかったことに関して恥ずかしくは思わないのだろうか?

ロシア学の権威であるスティーブン・コーエン名誉教授の緻密な情報収集とその分析ならびに洞察、さらには、このインタビューを実現し、世に送り出してくれたジャーナリストのクリス・エッジスに謝意を表したい。この引用記事によって、新冷戦のもっとも主要な要素を理解することが可能であるからだ。

 
参照:
1Manufacturing War With Russia: By Chris Hedges, Information Clearing House, June/03/2019

 

 


2019年10月28日月曜日

シリアへの道 - シリアはどのようにしてシリア戦争に勝ったのか


トランプ大統領はシリアからの米軍の撤退を宣言し、実際に米軍の撤退作業が始まって、誰の目にもシリア政府軍の勝利は決定的なものとなった。シリアの北東部から撤退する米軍兵士らはこの地域に住むクルド系住民らによって腐った果物や野菜を投げつけられたという。
 ここに「シリアへの道 - シリアはどのようにしてシリア戦争に勝ったのか」と題された最近の記事がある(注1)。歴史的な背景が詳述されており、21世紀の今シリアを巡って起こっている地政学的な紛争の深層を理解するには打ってつけの記事だ。
 本日はこの記事を仮訳して読者の皆さんと共有しようと思う。

<引用開始>
 またもやロシアの仲裁によりシリアで何かが起こっているが、これはまさに地政学的に形勢を一変させるような巨大な出来事である。私はこの出来事を下記のように総括してみた:  
 「この動きによって4者がそれぞれ勝利を収める。米国は面子を保って軍を撤退させ、トランプはNATO参加国のトルコとの一戦を避けたことをアピールすることができる。トルコは、ロシアの保証によって、シリア軍がトルコ・シリア国境をコントロール下に置くことを受け入れる。ロシアは戦争が拡大することを防ぎ、ロシア・イラン・トルコ間の和平プロセスを維持する。そして、シリアはやがて北東部全域をふたたびコントロール下に治めることであろう。」 
 シリアはCIAにとってはベトナム戦争以来で最大級の敗戦であるかも知れない。
 しかしながら、そのことがすべてを物語ってくれる訳ではない。
 ここで、このような結末をもたらした歴史的な動きを簡単に振り返ってみようと思う。
 それは先月レバノンとシリアならびに被占領下にあるパレスチナとの三カ国の国境に立った時感じた第六感から始まり、ベイルートでレバノンやシリア、イラン、ロシア、フランス、および、イタリアからの第一級の分析専門家と交わした一連の会話へとつながって行ったが、すべては1990年代に始まった私のシリアへの旅に基礎が置かれ、ベイルートのアントワーヌ書店でフランス語で入手できる何冊かの書誌学ともつながっていた。

ヴィライエト(州):
シリアがオットマン帝国の下で六つのヴィライェト(州)に区分されていた19世紀の頃から始めてみよう。ただし、1861年から特別自治区として認められ、マロン派キリスト教徒が集中していたレバノン山地やイスタンブール直轄のサンジャク(県)であったエルサレムは含めない。

ヴィライェトはシリアが持つ極めて複雑な独自性を定義する訳ではなかった。たとえば、マラス州ではアルメニア人が多数派であり、ディヤルバク州ではクルド人が多数派であった。これらの地区は今は両者ともトルコの南アナトリア地域の一部であり、アレッポとダマスカスの両州は共にスンニ派である。 

19世紀のオットマン帝国の下でのシリアはまさに世界主義の縮図であった。内部には国境や壁はなかった。お互いにすべてについて依存し合っていた。


Photo-1

その後、第一次世界大戦で利益を得たヨーロッパ人が介入して来た。フランスはシリアからレバノンにかけて沿岸地帯を入手し、後にマラス州やモスール(現在はイラク)も手中に収めた。パレスチナはシャム(いわゆる、「レヴァント」地域。訳注:シリア、レバノン、ヨルダン、イスラエルおよびパレスチナ自治区を含む地域を指す)から分離され、国際化された。ダマスカス州は二分され、フランスが北部を、英国が南部を治めた。シリアとほとんどがキリスト教徒であるレバノンとが分離されたのはそれよりも後になってからのことである。
シリアとイラクとの国境には常に込み入った問題があった。大昔から、ユーフラテス川はひとつの障害として機能していた。たとえば、ウマイヤドのシャムと川の向こう側に位置し、手強い競争相手であるメソポタミアのアッバース朝との間の天然の障害であった。

ジェームズ・バーは彼の「砂の中の1本の線」(原題:A Line in the Sand)と題された書物でサイクス・ピコ協定は中東にヨーロッパ人の領土に関する概念を押し付けたと述べている。つまり、彼らの「砂の中の1本の線」は国民国家間の境界を成文化するものであった。しかし、問題は20世紀初頭のこの地域には国民国家はなかった。 

シリアの誕生は、われわれが知っているように、進行中の作業であり、ヨーロッパ人やハシェミット王朝、ならびに、レバノンやレバノン山中のマロン派キリスト教徒を統一しようとする大シリア国家を構築することに打ち込んでいる国家主義者のシリア人に関わるものであった。そこには重要な要素がある。それはハシェミットのメディナに対する依存性を失うことや第一次世界大戦後にイラク領に含められたモスール州を失うことについて不満を述べる者は、トルコ人を除けば、この地域にはほとんど誰もいないことであった。

1925年、シリアでは、フランスがアレッポとダマスカスを統合したことによって、スンニ派が事実上の優勢な勢力となった。1920年代には、フランスがシリア東部の国境線を確立した。1923年に締結されたローザンヌ条約はオットマン帝国にすべての所領を放棄するよう強く求めたが、彼らをこのゲームから放り出しはしなかった。


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間もなく、トルコ人はフランスの委任統治領に侵入し、クルド人の自治の夢を壊し始めた。ついにフランスが折れた。つまり、トルコ・シリア間の国境は伝説的なバグダッドバーン(ベルリン・バグダッド鉄道)のルートと平行に走ることになった。

1930年代には、フランスはさらに折れた。アレクサンドレッタ県(今日のトルコのハタイ県の都市・地区であるイスケンデルン)は最終的に当時トルコ人が占める割合は40%だけであったが、1939年にトルコに併合された。

この併合は何万人ものアルメニア人の亡命をもたらした。これはシリアの国家主義者にとっては大きな痛手であった。アレッポは東地中海への回廊を失い、大きな損害を被った。

東部の草原地帯にかけてはシリアはベドウィン族がすべてであった。北部はトルコ人とクルド人との衝突がすべてであった。そして、南部では国境は砂漠の中の蜃気楼のような存在であって、トランスジョーダン(訳注:現在のヨルダン)の建国によって始めて国境線が引かれた。西部においてのみレバノンとの間で国境が確立され、それは第二次世界大戦後に確固たるものとなった。

この新興国家シリアは、利害が一致しないトルコ、フランス、英国ならびにこの地域の無数の当事者らに囲まれて、明らかに如何なる当事者をも喜ばすことはできず、決して喜ばすことはなかった。それでもなお、国家の中心は「有用なシリア」として形容される物事によって構成される。国家の60%以上は実際に何もなかったし、今でもそのままである。しかしながら、地政学的に見ると、それは「戦略的な奥行き」として解され、現行の戦争においても中核的な要素となっている。 

ハフェズからバシャールへ:

1963年から 宗教色がない国家主義者であるバース党がシリアを支配し、1970年にはハフェズ・アル・アサドによる権力が確立された。彼は、少数党である彼のアラワイト派の党には頼らず、警察国家の特性を交えた巨大で極度に中央集権化された国家を作り上げた。このゲームを演じることを拒んだ主要な当事者はムスリム同胞団であって、1982年のハマの弾圧では死者を出すまでになった。

世俗主義と警察国家: 脆弱なシリアのモザイクを維持し得たのは世俗主義と警察国家であった。しかし、すでに1970年には大都市と地方の極貧層との間には大きな亀裂が現れてきた。「有用な」西部とベドウィンが住む東部との間、アラブ人とクルド人との間に現れたのである。しかしながら、都市部のエリートはダマスカス政府の鉄のような意思を拒絶することはなかった。結局のところ、縁故主義が彼らに大きな利益をもたらしていたのである。

ダマスカス政府はアラブ連合から平和維持軍として招待されたことから、1976年以降、レバノン内戦に深く関与した。ハフェズ・アル・アサドの論理においては、レバノンにアラブ的な独自性を残すことは大シリア構想を復活させるためには基本的に重要なことであった。しかし、レバノンの首相でありサウジアラビアに近かったラフィーク・ハリリが殺害された後、シリアによるレバノンのコントロールは2005年に崩壊し始めた。シリア・アラブ軍(SAA)は最終的にレバノンから撤退した。

バシャール・アル・アサドは2000年に権力の座に就いた。父親とは異なり、彼はクーデターの危険性を避けるためにアラワイト派に賭けて、国の行政に当たらせた。しかしながら、貧困層や通りを往来する一般シリア人からは隔絶されていた。  

西側が「アラブの春」で定義した動きはシリアでは2011年の春に始まった。つまり、それはアラワイト派に対する反乱であり、ダマスカス政府に対する反乱でもあった。外国勢力に完全に利用されて、この反乱は地方に住む極貧で落胆しているスンニ派から起こった。南部ではダラーアの町で、人っ気の少ない東部で、そして、ダマスカスやアレッポの郊外で起こった。

西側では決して理解されなかったこととしてはこの「貧者の饗宴」はシリアという国家に対するものではなく、「政府」に対するものであるという点であった。ジャブハット・アル・ヌスラはそのPRの中でアルカエダとの公の連携を断ち切り、その名称をファタフ・アル・シャムと改称し、その後さらにハヤット・タハリール・アル・シャム(「Organization for the Liberation of the Levant」の意)と変更した。ISIS/ダーイッシュが単に言いたかったことは彼らはサイクス・ピコ条約の終焉のために戦うということだ。

永遠に続くかと思われた戦線の移動は2014年までに大なり小なり確定した。ダマスカス政府はジャブハド・アル・ヌスラやISIS/ダーイッシュと戦い、北東部のクルド人のために覚束のない役割を演じたが、これは何よりもアフリンやコバネ、カミシリの各県を維持したいがためのものであった。

しかし、重要な点はそれぞれの戦闘集団やその近隣、集落、ならびに、個々の戦闘員は絶え間なく忠誠を誓ったり、約束から脱したりすることであった。それは聖戦戦士や犯罪者あるいは雇用兵といった星雲のようにうやむやな状況を見せ、ある者はダーイッシュに走り、ある者は米軍の訓練を受け、また、ある者は単に現金を素早く掴み取ることだけに動いた。

たとえば、サウジアラビアやクウェートからの潤沢な資金を得ているサラフィ、特にジャイシュ・アル・イスラムはシリアのPYDクルドやハイアット・タフリール・アル・シャム(シリアにおけるアルカエダで3万人の陣容)とさえも同盟関係を結んだ。その一方で、PYDクルド(トルコ内のクルド人組織PKKからの流出で、トルコはこの組織をテロリストと位置づけた)はこのあきれるほどの混乱状態、ならびに、ダマスカス政府の態度の不明瞭さを利して、自治区「ロジャヴァ」を作ろうとした。 

トルコの戦略的な奥の深さ:

トルコは全力を注入した。前外相のアフメト・ダヴトグルが示したネオ・オットマン政策のターボチャージャーを全開にして、論理のすべてはオットマン帝国のかっての版図を再び征服することであり、トルコ国内のPKKクルド勢力を支援したアサドを葬り去ることにあった。

ダヴトグルが2001年に唱えた「戦略的な奥の深さ」は、フランスとケマル・アタチュルク主義者との間で締結された911キロの国境線と比較して、広大に広がるオットマン帝国の8世紀間におよぶ栄光を今改めて主張するものであり、トルコでは大ヒットとなった。ビラド・シャムはオットマン帝国時の州であったが、それはレバノンや歴史的なパレスチナ、ヨルダン、および、シリアを集合したもので、シリア人およびトルコ人の無意識の中に強力な磁石として残っている。    

トルコのレジェップ・エルドアンは2012年に燃え上がり、もちろん、これはダマスカス政府が崩壊してからの話しとなるのだが、ダマスカスのウマイアッド時代のモスクでお祈りをしたいと彼が自慢げに言ったのもそれほど不思議ではない。2014年以降、彼はシリアとの国境線のシリア側に安全地帯を設けることを追い求めていた。実際には、これはトルコの飛び地となる。それを実現するためには、彼はムスリム同胞団から始まってトルクメン人の無法者に至るまで、狡猾な可能性のすべてを試した。 

自由シリア軍(FSA)の確立に伴って、トルコは自国領土内で外国の武装集団が活動することを初めて許した。2011年には訓練キャンプがアレクサンドレッタに設置された。また、「シリア国民評議会」が何十年にもわたってシリアの地を踏んだことがないシリア難民の手によってイスタンブールに設立された。

アンカラ政府は事実上「聖戦戦士ハイウェー」を設け、中央アジアやコーカサス、マグレブ、パキスタン、新疆、ヨーロッパ北部、等のあらゆる地点から自由に流入・流出することを可能にした。2015年には、アンカラ、リヤドおよびドーハの政府はジャイシュ・アル・ファス(“Army of Conquest”)を設立した。これにはジャブハド・アル・ヌスラ(アルカエダ)が含まれている。

それと同時に、アンカラ政府はISIS/ダーイッシュとの間に非常に曖昧な関係を維持し、密輸された原油を買い取り、聖戦戦士をトルコの病院で治療し、トルコ領土内で聖戦戦士が行う諜報活動には何の関心をも寄せなかった。少なくとも5年間、トルコの諜報組織(MIT)は政治および兵站に関わる背景情報をシリアの反政府派に流し、その一方で、サラフィスの大集団を武装化した。結局のところ、アンカラ政府はISIS/ダーイッシュの存在はひとえにアサド政権が採用した「不道徳性」の賜であると信じ込んでいた。

ロシアの要素:

形勢を一変させる最初の大きな出来事は2015年の夏の日に起こった目を見張るようなロシアの登場であった。ウラジミール・プーチンは、これはロシアがかっての帝国としての栄光を取り戻すためのものだとする米国内の考えを否定して、ヒットラーとの戦いでソ連が同盟を組んだ時のようにイスラム国との戦いに米国も参加するようにと誘ったしかし、バラク・オバマ政権下の米国の考えはひたすらにクルド人とスンニ派アラブ人の寄せ集めであるシリア民主軍(SDF)に賭けることであって、空軍と米特殊部隊による支援を行い、ユーフラテス川の北側でISIS/ダーイッシュを壊滅し、ラッカやデリゾールにまで迫ることであった。

ペンタゴンによって爆撃され、がらくたの山と化したラッカはSDFが奪回することができたかもしれないが、デリゾールはダマスカス政府のシリア・アラブ軍の手に落ちた。米国側の最終的な目標はユーフラテス川の北側をSDFやクルドPYD/YPGといった代理勢力を使って一貫して米軍のコントロール下に置くことであった。しかし、この米国の夢は今や崩れ去り、帝国主義的な民主党員や共和党員に失望を招いている。 

CIAはトランプの頭の皮を剥ごうとして、いつまでもトランプを追い回すであろう。 

クルド人の夢は消え去った: 

文化的な誤解についても記述しておこう。シリアのクルド人は米国による保護が彼らの独立の夢を支えてくれるだろうと信じていたのとまったく同じように、米国側は「大中東」においては何処であっても部族を買収することはできないということを決して理解してはいなかった。せいぜい、彼らを一時的に借用することは可能だ。彼らは彼ら自身の関心に基づいてあんた方を利用する。私はアフガニスタンからイラクのアンバー州に至るまでこのような状況を何度も観察している。

カミシリからマンビジに至る連続的な自治区に関するクルド人の夢は消えた。この辺境の地に住むスンニ派のアラブ人はクルド人が優位性を保とうとする試みについては如何なるものであっても抵抗するであろう。 

シリアのPYD2005年にPKKの民兵によって設立された。2011年、PKKのシリア人はPYDのためにYPG民兵組織を作るべくカンディル(イラク北部のPKKの本拠)からやって来た。アラブ人が優勢な地域でシリアのクルド人が行政の任に当たった。と言うのは、クルド人にはアラブ人は野蛮で、自分たちのために「民主的で、社会主義的で、生態学的で、多重共同体主義的な」社会を作ることなんてとてもできないと見えた。

保守的なスンニ派アラブ人の指導者は如何に彼らを憎んでいたかを誰であっても想像することができるだろう。これらの部族の指導者がSAAやトルコ軍に逆らってクルド人を支援することなんてあり得ない。結局、これらのアラブ人の部族の指導者らは全員がダマスカスで多くの時間を過ごし、バシャール・アル・アサドの支援を求めた。そして、今や、トランプが青信号を出したトルコによる侵攻を目の前にして、クルド人自身もアサドの支援を受け入れた。

デリゾールの東では、PYD/YPGはシリアの原油生産の50%を占める地域に対してお別れの挨拶をしなければならなかった。ダマスカス政府とSAAは今や有利な立場となった。PYD/YPG にとって残されていることはトルコの攻撃に対してダマスカス政府とロシアの庇護の下に身を退けることであり、クルド人だけの領土で主権を行使する機会は失われた。  

西側の無知:

典型的に東洋風な傲慢さを持つ西側はシリアのアラワイト、キリスト教徒、イスマイル、ドルーズの各派は、強硬派のイスラム過激派によって占有されている「反政府派」と比べ、何時も決まってダマスカス政府に庇護を求めることを決して理解しなかった。また、西側はダマスカス政府が生き延びるためにはバース党のネットワークや諜報サービスに何時でも依存することが可能であるということを理解しなかった。

シリアの再興: 

シリアの再興には2000億ドルを要するかも知れない。ダマスカス政府は米国やEUを歓迎しないことをすでに言明している。中国がロシアやイランと並んで筆頭を飾ることであろう。これはユーラシア統合の教科書に厳密に則ったプロジェクトであって、中国は古代のシルクロードにおけるシリアの戦略的位置付けに目標を置くことになろう。  

実質的に誰からも信頼を置かれてはおらず、最近の過去に比べてわずかながらもネオ・オットマン的ではなくなってきたエルドアンについては、彼は今やバシャール・アル・アサドは「下野しない」ことをついに理解し、彼と共存しなければならない。アンカラ政府はテヘラン政府とモスクワ政府との関係を維持し、シリアの悲劇については後にアンカラでさらに手が加えられることになった「アスターナ・プロセス」を通じて包括的で、かつ、憲法に則った解決策を見い出さなければならない。

もちろん、シリアがこの戦争に完全に勝利したということではないかも知れない。しかし、あらゆる予想を覆して、統合された主権国家シリアは腹黒いNATO/GCCのラボで調合された地政学的なモロトフ・カクテルの倒錯したらせん構造を制することができるに違いない。結局のところ、これは物事を一変させるような出来事であることを歴史が、たとえば、南の発展途上国に告げてくれるであろう。

著者のプロフィール: ぺぺ・ エスコバーアジア・タイムズの特派員である。彼の最新の書籍は2030と題されている。フェースブックにて彼を追跡して貰いたい。

<引用終了>

これで全文の仮訳が終了した。

まずは、大量の背景情報を提供してくれたジャーナリスト、ぺぺ・エスコバーに感謝したい。

この引用記事は2013102日に掲載した「シリア革命 - 我々はどうして失敗したのか」と題した投稿をさまざまな形で補完してくれる。ある部分についてはひとつの答えを指し示しているようにも思える。9年間にも及んだシリア紛争を振り返る今、2013102日の投稿を読み返してみるとアレッポに住んでいたシリア人の著者が記述した個人的な感慨や疑問は非常に的を得たものであることに気が付く。今思うに、少なくとも、シリア紛争の背景は実に見事に描写されていた。アレッポの住民であった著者の記述に付け加えて、当時イタリアのテレビ局が行ったアサド大統領とのインタビューの内容は今われわれの目の前で展開されているシリア紛争の最終段階をもたらすことに大きな役割を果たしたアサド大統領の見識と度量とを正確に浮き彫りにしていたと言える。

最近の報道を読むと、シリア紛争が100%収束したわけではないことは明白だ。シリアの原油を略奪するために米国は一部の米軍を今でも撤退させてはいない。ダーイッシュの手から取り戻し、今はクルド人勢力のコントロール下にある油田を守るために米軍の一部を駐留させておくと彼らは説明している。また、シリアの北東部から撤退させた反政府派武装勢力を隣のイラクへ送り込み、彼らを温存しようとしている。

思うに、トランプ大統領が宣言した米軍のシリアからの撤退は2020年の大統領選に向けた票集めのための短期的な戦術であって、米選挙民に対する単なるリップサービスでしかないのかも・・・と疑いたくなる。エネルギー源の略奪には豊富で長い歴史を持つ米国のことだ。大統領選後の2021年にはとんでもないことを引き起こすのかも知れない。

最後にひとつだけ書いておきたい。この引用記事が発行されたのは1018日、つまり、今から10日足らず前のことであった。しかし、この短い期間に米国がシリアについて隠し持っていた思惑が急速に表面化して来たことに私は驚いた。巧妙に股間を隠していたイチジクの葉は秋風に吹かれて何処かへ飛び去ってしまい、米軍のシリアへの派遣の本当の理由が公衆の面前に曝されたのである。

 
参照:

1The Road to Damascus: How the Syria War was Won: By Pepe Escobar, Information Clearing House, Oct/18/2019