2013年1月30日水曜日

アルジェリア人質事件に思う


この1月、アルジェリアの天然ガス精製プラントで起こったイスラム過激派の武装勢力による人質拘束事件は最悪の結果に終わった。日本人10人を含む37人の外国人が殺害され、それに加えて11人のアルジェリア人が殺害された。そして、29人の武装勢力が死亡し、3人は逮捕された。
イナメナスの現地には約700人のアルジェリア人と130人の外国人が働いていた。その中で、アルジェリア人150人と外国人41人が武装勢力によって人質として拘束されたという。アルジェリア政府の発表によると、拘束された人たちのうちで8カ国合わせて37人の外国人が死亡したとのことだ。これらの犠牲者には日本人10人が含まれている。非常に痛ましい結果となった。
アルジェリア政府の発表によると、犯行は少なくとも2か月前から計画されたもので、武装勢力の目的は外国人を隣のマリに連れ去り、交渉の道具として利用することだったとのこと。また、武装勢力のメンバーの多くは外国人で、チュニジアやエジプトそれにマリなど中東やアフリカ諸国に加えてカナダの出身者もいたという。
事件の背景を理解したいとの思いから、この事件が始めて報道された日(116日)からできるだけ多くの情報を入手しようと心がけた。自分自身アルジェリアの政情や歴史びついて何らの知識も持ち合わせてはいないのが現状だ。
今回の事件を通じて知ることになった幾つかの重要な点をここに纏めてみたい。

(1)  人質を救出する能力
118日の米国NPR(ナショナル・パブリック・ラジオ)[1]の報道によると、この時点(事件の3日目)では情報が非常に限られているから具体的なことを言うのは難しいとしながらも、今回のアルジェリア軍が敢行した人質解放作戦とは違った別の解決策があったのではないかとの指摘がある。戦略国際問題研究センタのカウンターテロリズムの専門家、リック・ネルソンは次のような内容を述べている。
引用部分を段下げして示す。
今回のアルジェリアでの人質拘束事件のような状況においては、人質を救出すること自体が至難の業だ。物事がまったく予想外の方向に展開することが多いからだ。状況は常に非常に流動的で、得られる情報は限られている。そんな中で救出作戦を行うには非常に高度な能力が要求される。フランスはそういった能力を備えている。米国も実行可能だ。そして、英国もだ。しかし、アルジェリアはそうした能力を持ってはいないので、失敗するリスクは必然的に高くなる。
残念ながら、日本が上述のような能力を備えているとみる人はいないようだ。それどころか、日本がそういった能力を持っているかどうかという問いかけの対象にもならないのではないかと思う。
天然ガス精製プラントを襲撃したイスラム過激派の武装集団の背後にはベルモフタール司令官がいると信じられている。再度上記のNPRの報道を引用すると、
CIA高官で現在ランド研究所にて上級アナリストとして働いているアンデ・リープマンによると、「ベルモフタール司令官の過去の記録を見ると身代金目当てに人質をとった事例がたくさんあることから、同司令官自身は今回の事件でも身代金を目当てにしていた公算が高い。」
上述の「武装勢力の目的は外国人をマリに連れ去り、交渉の道具として利用する」とは身代金が最終的な目的だったのかも知れない。
一方、アルジャジーラ衛星テレビ局の報道によると、米国で収監されているふたりの同志を開放させるために、人質を必要としていたとも報道されている[2]。また、隣国マリの北部を支配するイスラム系武装集団に対して仏政府が111日から開始した軍事介入に対する報復という高度に政治的な目標があった[3]とも伝えられている。
何が中心的な要求であったにしても、人質が殺害されてしまった今すべては後の祭りだ。

(2)  優先順位
どの時点でどのように人質救出作戦を実行するかは実に高度な意思決定であることには間違いない。
英国のガーデアン紙[4]によると、
二日目(117日)の朝、英国議会から1マイルも離れてはいないセイント・ジェームズ広場に国際本部を置くBP(ブリテッシュ・ペトロリアム)社の危機管理室では「PEP」という優先順位が決定された。つまり、まずはPeople(人)。その次はEnvironment(環境)、最後にProperty(ガス精製プラント)という優先順位だ。英国領事館の協力を得て、同社は臨時危機管理チームをイナメナスの北西300キロのハッシ・メッサオウドに設定し、ガス精製プラント内に隠れているスタッフと連絡を取っていた。
英国政府がアルジェリア軍の攻撃を知ったのは撃ち合いが開始してからのことだった。このニュースは、多分、BP社から大使館に伝えられたものだ。キャメロン首相は直ちにアルジェリア側の相手、アブデルマーレク・セラール首相に電話をして異議を唱えた。このような行動を起こす際には事前に知らせるよう前日要請していたばかりだったので、その事実を指摘した。
日本の阿部首相はアルジェリア首相に人質の生命をリスクにさらすような行動は取らないように要請したと報道陣に伝えた。官房長官はアルジェリア軍が採った行動は「非常に残念だ」と述べた。
人質をとられた国々は、日本政府を含めて何処も人命優先をアルジェリア政府に要請していた。また、プラントを運転していたBP社も同じ方針だった。
しかし、アルジェリア軍は二日目(17日)の午後2時プラントへの攻撃を開始した。何故か?アルジェリア政府筋の説明によると、アルジェリア軍は武装勢力がプラントを爆破しようとしていることを知ったからだ。
つまり、アルジェリア軍はプラントの爆破を防止するために武装勢力への攻撃を開始したということだ。人命は二の次にされた。こうして、アルジェリア側と人質を取られた国々との間には危機の解決に当たっての優先順位には大きな食い違いが生じた。

(3)  歴史的背景
アルジェリアでは1991年に行われた民主的な選挙の結果を政府が無効にした時から20年にも及ぶ内乱状態に陥った。この選挙でイスラム系の政党が多くの支持を集め、政府は危機感を抱き選挙結果を無効とした。この時、軍部がクデターを起こし、大統領を更迭し政府を掌握した。軍部によって弾圧を受けたイスラム系の勢力は武器を持ってゲリラ活動に走った。この政府勢力と反政府イスラム系勢力との間の争いによる死者の数は44,000~200,000人になると推定されている。この間に70人以上ものジャーナリストが諜報機関またはイスラム武装勢力によって殺害されたという。これらの数値は内戦の激しさを語るものと言えよう。
アルジェリアの軍部と諜報機関は米国の支援を必要としていた。ロンドン大学でアフリカを専門とするジェレミー・キーナン教授[5]によると、
アルジェリアのブーテフリカ大統領は2000年の秋の米国の大統領選で新たにホワイトハウスの住人となったブッシュ大統領に急接近し、軍隊の能力を強化するためには米国の支援が是非とも必要だと窮状を訴えた。この時点では、アルジェリアが一方的に米国の支援を引き出そうとしていた。クリントン政権下の米国はアルジェリアには関心を持ってはいなかった。
しかし、この状況は間もなく急変した。米国の9/11無差別テロの後、アルジェリアと米国の二国間関係は全く新しい時代に突入した。次の4年間にブッシュ大統領とアルジェリアのブーテフリカ大統領との間では6回もの会見が行われ、内密の協力関係や二枚舌に満ちた二国間関係が築き上げられていった。
米国政府が軍事介入を行うにあたってその正当性をゴリ押しする手法に「偽軍事行動」がある。しかも、米国の偽軍事行動の事例を挙げると長いリストとなる。20世紀における有名な事例はピッグス湾事件だ。キューバのカストロ政権を倒そうと企て、その大義名分をでっち上げるために在米キューバ人を軍事訓練し、キューバのピッグス湾に上陸させた。この作戦にはCIAを始めとして様々な工作員が参加した。ワシントンDCやマイアミだけではなく方々で血なまぐさい事件が次々と引き起こされた。国内の世論を盛り上げ国際的な支持を得ようとするものだった。彼らは反カストロ戦争をでっち上げる必要があったのだ。
キューバ軍は3日間の戦闘で、これを撃退することに成功した。興味深いことには、CIAが作戦失敗のリスクを過小評価して報告していたことが後日明らかにされている。この偽軍事行動に関する詳細な情報は一般の目には届かず、2001年になって初めて一般公開されたとのことだ。当事の大統領だったケネデ大統領の姿はとうに無く、その他の高位高官もこの世を去っていた。
上述のごとく、専門家に言わせると、米国には外国への侵攻を正当化するために実施された自作自演の軍事行動がたくさんある。
米国が推進する「テロとの戦い」を通じて、アルジェリアはそんな米国の良きパートナーになっていった。アルジェリアでは諜報機関(DRS)が中心的な役割を演じた。
1990年代のアルジェリアに関して、米国海軍大学のジョン・シンドラー教授はアルジェリアがテロリストを育成したとして最近警鐘を鳴らした。彼の言うには、「GIA(武装イスラム集団)はDRSが組織したもの。DRSは、その有効性がソヴィエト時代に十分に証明された手法を駆使して組織へ侵入し、組織を挑発し、過激派の信用を失墜させるべくGIAの組織化に努めた。GIAの幹部の殆どはDRSの工作員で、彼らは大量殺人を行わせてこのグループを袋小路に導き入れた。これは非常に冷酷な戦術ではあったが、これによって大多数のアルジェリア人の間ではGIAの信用は完全に失墜した。」
これはまさに自作自演そのものだ。アルジェリアの軍事政権は自身の政権を維持するために一般住民が武装イスラム集団に対して反感を抱くように仕向けるために様々な工作をしたということだ。そして、その意図通りにまんまと成功した。
ジョン・シンドラー教授の指摘はさらに続く。
大規模な作戦のほとんどはDRSの仕業であった。これには、例えば、1995年にフランス国内で起こった爆破事件も含まれる。最も残忍な虐殺行為の幾つかはムジャヒデンに変装した軍の特殊部隊、あるいは、DRSのコントロール下にあったGIAが実行したものだ。
1998年以降「汚い戦争」は沈静化し始めたが、決してそれが終わることはなかった。幾つもの角度から見ても、テロリストを育成し自作自演を活用することを国を統御する手法として用いる点においては1990年代は何も変わることはなかった。DRSも何も代わらなかった。
この米国との合同作戦によってアルジェリアが入手したものは米国からの財政的および軍事的な支援だ。アルジェリアは米国が世界規模で進める「テロとの戦い」を巧妙に活用したのだ。そして、アルジェリアの諜報機関(DRS)が自作自演のテロ活動を指揮した。
米国とアルジェリアとの合同による最初の自作自演作戦は2003年に実行された[6]。組織の中にうまく侵入したDRS工作員(アマリ・サイフィ。エル・パラとも称する)に率いられたグループがアルジェリアのサハラ砂漠地帯で、2003222日から323日にかけて32人のヨーロッパ人旅行者(ドイツ人16名、オーストリア人10名、スイス人4名、スウェーデン人1名、および、オランダ人1名)を人質にした。ブッシュ大統領は早速エル・パラを「サハラにおけるオサマ・ビン・ラデンの親派」と位置づけた。秘密交渉の結果(その内容はまったく公開されなかった)、人質は2回に別けて開放された。最初のグループは20035月、二番目のグループは同年8月に解放された。しかし、ドイツ人女性一人は砂漠で死亡し、そこに埋められた。
二回目の人質の解放の際、ドイツ、オーストリアおよびスイスは身代金として500万ドルを支払ったと言われている。この時から、かっては軍の将校だったテロリストの作戦が国際的な支援を得ようとするアルジェリア政府に非常に有利に作用する現状を見て、人々はこのテロリストは今でも軍に雇われているのではないかと疑い始めた。
アルカエダの攻撃目標となったアルジェリアはごく自然に米国の友好国となった。オサマ・ビン・ラーデンの捜索がアフガニスタンへの侵攻を正当化するために活用されたように、アルカエダの潜在的な基地になる恐れがあるとしてサヘル地域に米軍が駐留することを正当化するためにこのエル・パラが活用された。
こうして、「イスラム系テロリスト」という言葉は米国にとってもアルジェリアにとっても何でも可能にする魔法の言葉となった感がある。 
 

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他国の犠牲者と並んで10人もの日本人犠牲者を出すことになった今回のアルジェリア人質事件は余りにも理不尽だ。これは人間性に対する許しがたい犯罪であり、法の秩序に対する重大な挑戦でもある。
犠牲となった外国人の中では日本人の犠牲者が一番多い。「何故こうもたくさんの日本人が殺害されたのか」という疑問に対して明確な答えが見つからない。人質をとった武装勢力の動機としてはマリ北部への軍事介入を開始したフランスへの報復が最も大きな政治的要求であったらしいことは分かっている。この時点ではまだ結論めいたことは言えないかも知れないが、日本あるいは日本人に絡む動機はまったく浮かんではこない点が実に不可解だ。
今回の事件の背景にはまったく違った次元での陰謀めいた背景が潜んでいるのではないだろうか。考えてみたくはないようなおどろおどろしい世界の話だ。
日本は海外で働いている人が決して少なくはない。また、今回の事件のように治安が悪い国で仕事をすることも例外ではない。不幸にして日本人が人質として拘束された場合、フランスや英国あるいは米国とは違って、日本は自国民を救出する能力を持ってはいない現実を知らされることになった。仮に今回の事件が日本も外国の当事国と一緒に人質の救出作戦に携わらなければならないような事態に展開していたとしたら、日本は外国の特殊部隊に一切の救出作戦をお願いすることになっていただろう。
今回のアルジェリア人質事件を契機に、自衛隊の海外への派兵の是非に関して今後嫌でも基本から論じなければならないのではないか。あるいは、自衛隊は従来通りに災害時の救助活動に専念させ、高価なイージス艦や戦闘機をおもちゃにするだけの存在を許して、海外での人質問題の解決には他国の特殊部隊にお願いし続けるのかどうかを決断しなければならない。その議論をする際には憲法第9条を今後どうするかについて議論をすることになる。
問題を解決するための物理的な戦力ばかりではなく、それと並んで高度な情報収集能力を持つことは切り離しては考えられないほどに重要な役割を演じることになる。テロとの戦いは東西冷戦構造を前提にした日米同盟の是非論にみられた米国の「核の傘」への依存だけでは対処できない。今回はテロ事件の難しさを嫌というほど知らされた思いがする。
最後に、今回アルジェリアで不慮の死を遂げられた日揮の社員の方々のご冥福を祈りたいと思う。

 

参照:

1When To Act? The Dilemma In Every Hostage Crisis: By Scott Neuman, NPR, Jan/18/2013
注2: Algeria launches second rescue effort: ALJAZEERA, Jan/18/2013

3首謀者ベルモフタール元幹部は何者か: 産経ニュース、2013117
 
4Algeria hostage crisis: the full story of the kidnapping in the desert: guardian.co.uk, January 25, 2013

5How Washington Helped Foster the Islamist Uprising in Mali: By Jeremy Keenan, Information Clearing House, January 26, 2013
6Who staged the tourist kidnappings? El Para, the Maghreb’s Bin Laden: Le Monde diplomatique, February 2005

 

 

2013年1月24日木曜日

成長神話の崩壊


昨年12月、衆院選で野党の自民党は、尖閣諸島問題で中国に対して断固たる姿勢を示すと共に、経済再生を約束して政権を奪還した。阿部首相はデフレからの脱却を目指し、日銀に対してはインフレ率2%を目標とするように迫った。日銀は当初この行政側からの要請を即座に受け入れずに断ってはいたのだが、122日、消費者物価2%上昇を目指すインフレ目標について金融政策決定会合でその導入を決めた。白川方明日銀総裁は午後の記者会見で「思い切った努力が必要だ」と述べ、目標値の実現は容易ではないと語った。
阿部首相としては「失われた20年」からの脱却は多くの国民に対して政治的には非常に効果的にアピールする課題であるとして衆院選のために取り上げたものと思う。確かに、これが公約通りに実現できれば自民党に投票しなかった人たちも少なからず喜んでくれるに違いない。

しかし、今回の自民党が政権を奪還できたのは自民党に対する信頼感が強まったからということではなく、与党民主党が余りにもだらしが無かったが故に自民党が勝ったに過ぎないという辛口の批評もたくさんある。つまり、自民党の政策に期待を寄せた選挙民が非常に多かったので自民党が勝ったとは必ずしも言えないようだ。
そんな中で、「デフレからの脱却は無理なのです」という記事[1]が目についた。この表題が言わんとすることは明快だ。対談の中で水野和夫・埼玉大学大学院客員教授はその詳細を下記のように論じている。引用部分を段下げして示す。

日米欧でバブル経済が発生した原因ははっきりしています。それは成長ができなくなったからです。日本は戦後の高度成長期が197374年頃に終わり、45%の中期成長に入りました。その後、80年代に入って成長率はさらに落ち込み、それを覆い隠すようにバブル経済が起きました。
成長が難しくなった米国も、1995年以降、強いドル政策でバブルを起こしました。金融技術や証券化商品がそれに乗っかる形で200708年にピークを迎えたのです。欧州でも、特にドイツが成長できなくなったためにユーロという大きな枠組みを作って南欧諸国を取り込みました。国別で一番ポルシェが売れていたのはギリシャだそうです。強いユーロでポルシェを買ってバブル化していったのです。
日米欧ともに成長ができなくなったからバブルに依存し、いずれも崩壊したのです。バブル崩壊の過程でデフレも起きました。私には成長戦略でバブルの後遺症から脱却しようというのは堂々巡りのように思えます。
国内を見ても、身の回りにはモノがあふれています。乗用車の普及率は80%を超え、カラーテレビはほぼ100%です。財よりもサービスが伸びると言われますが、サービスは在庫を持てないし、消費量は時間に比例します。1日が24時間と決まっている以上、サービスを受け入れる能力には限りがあります。先進国は財もサービスも基本的には十分満たされているのです。
あらゆるものが過剰になっているのです。本来ならば、望ましい段階に到達したはずです。国連の統計では、1人当たりのストックでは日本は米国を上回ります。さらに成長しようというのは、身の回りのストックをもっと増やそうということです。まだ資本ストックが足りない国から見ると、1000兆円もの借金を作って色々なモノをあふれさせた日本が成長しないと豊かになれないというのはどういうことかと思いますよね。
下線を施した部分は何を言っているのだろうか。少々調べてみた。
国連の包括的資産に関する報告書に関する記事[2]の中で、エコノミスト紙は2008年時の国民一人当たりの包括的資産を各国別に掲載した。国別に見ると米国が一番で、日本が二番である。国民一人当たりの包括的資産では日本が一番で、米国が二番となっている。これが引用記事の下線部分、「1人当たりのストックでは日本は米国を上回ります」の意味であることがわかった。

また、このエコノミスト紙の記事が示すところによると、日本は天然資源には恵まれていないが、人的資産が全資産の2/3強を占めていることになる。
ここで用いられている「包括的資産」とは人的資産(教育レベル、職業的なスキル)、物的資産(インフラ、建物、機械、等)および自然資産(土地、地下資源、森林、等)の三つの構成要素から成り立つと定義された比較的新しい用語である。昨年、この包括的資産に関する報告書が国連から発行された[3]。それを受けて、エコノミスト紙が上述の記事を掲載したのだ。経済学と生態学の著名な専門家たち(ノーベル賞受賞者である経済学者ケネス・アローを含む)が集まって学際的な研究活動を続け、持続可能な経済発展をしているかどうかを評価できる指標を検討した結果、この包括的資産という概念に到達したという。例えば、ある記事[4]にこの研究活動に際してふたつの異なる専門分野から集まった研究者たちがどのようにして協力し合うことになったのかについて興味深い内容が報告されている。

この国連の報告書によると、国連大学と国連環境計画国際環境技術センターの研究者たちは対象とする20カ国が1990年から2008年までの19年間に持続可能な経済発展をしてきたかどうかを詳細に調査した。当然のことながら、それぞれの国は違ったパターンを示す。4つの基本的なパターンに分類されるという。
(1)   富の蓄積が行われているだけではなく、自然資産のストックも増加している。つまり、持続可能な富の蓄積が行われる。20カ国の中で日本だけがこの範ちゅうに入る。面白いことに、日本は天然資源ストックを増加させた唯一の先進国ということだ。

(2) 富の蓄積が行われているが、自然資産のストックは減少する。20カ国中の多くの国がこの範ちゅうに入る。ドイツ、フランス、英国、米国、カナダ、オーストラリア、中国、インド、等。
(3) 富が減少してはいるが、自然資産のストックは増加している。該当する国はない。

(4) 富が減少しており、自然資産のストックも減少する。ロシア、ベネヅエラ、サウジアラビア、ナイジェリア、南ア、コロンビアがこの範ちゅうに入る。
この包括的資産という指標は国内総生産(注:ウィキペデアによると、国内総生産はストックに対するフローをあらわす指標であり、市場で取引された財やサービスの生産のみが計上され)とは異なる。一言で両者の違いを言うと、国内総生産は例えば1年間にどれだけの生産を行ったかを示し(フロー)、包括的資産はある期間の蓄えがどれだけ増加あるいは減少したかを示すもの(ストック)。

日本は1990年から2008年の19年間において持続的成長を遂げた唯一の国である。また、それだけではなく、国民一人当たりの包括的資産は米国を抜いて一番である。この国連の報告書は環境破壊が世界規模で進み、天然資源の枯渇が危惧される中、日本はこの事実を誇りに思ってもいいのではないかと示唆するものだ。ややもすると「失われた20年」にどっぷりと漬かったままでいる日本人にとっては、これは小さいながらも明るいニュースだと言えよう。
別の意味では、今後さらに従来方式で富を蓄積し続ける意味はあるのか、別の形態で新しい富を蓄積することはできないのか、といった検討や議論が必要なのではないかと思われる。

また、この包括的資産の三つの構成要素のひとつである人的資産を考える時、人口規模は基本的に重要なファクターとなる。
日本では2007年から2010年の間は人口がほとんど増減せず、12800万人にて静止人口の状態となった。そして、2011年には26万人の減少となった。人口減少はこの2011年から本格化し、日本はこの2011年に人口減少社会に突入したと言われている[5]。今後は毎年確実に人口が減少していくということだ。包括的資産の観点から言えば、この状況は我々の世代としては子孫の世代に対して非常に申し訳ないことである。

一方、人口がとてつもなく大きく経済発展が続いている中国では自然資源の枯渇を防ぐためにどのような施策をとるのだろうか。課題は多く、ひとつひとつの課題を解決すること自体も非常に困難だろうと思う。さらには、中国に続くインドについても同様だ。
日本に関しては、水野教授は「経済的にゼロ成長で十分」であると説いている。しかし、これだけでは政治的にアピールするものが非常に希薄だ。今後の日本をどうしたいのか、どんな国にしたいのかを論じる際には国民に夢を抱かせるものであって欲しいと思う。

「何か答えはあるのでしょうか」との問いに、水野教授は下記のように答えている。

2つ考えられます。もし日本が今でも貧しいとするならば、1つの解は近代システムが間違っているということです。ありとあらゆるものを増やしても皆が豊かになれないというのはおかしいですから。
2つ目の答えは、成長の次の概念をどう提示するかです。日本は明治維新で近代システムを取り入れて、わずか140年たらずで欧米が400年くらいかけて到達した水準に既に達してしまったということです。これまで「近代システム=成長」ということでやってきましたが、必ずしも近代システムは普遍的なものではありません。変えていかないといけないのです。

デフレからは脱却できないでしょう。そもそも成長できなくなったという前提でどうするかを考えなければいけないのです。
日銀の金融緩和への期待で円安が進んでいますが、2000年代初頭に量的緩和で1ドル=120円程度まで円安が進行したことがありました。経営者は120円が続くという前提で国内に工場を作りましたが、今度は70円台の円高になってしまった。経営者の失敗なのに、最近になると六重苦といって円高のせいにしていますよね。今の状況も「円安バブル」を生じさせる恐れがあると見ています。

「成長ができなくなった」という認識は今、米国を始めとして、資本主義社会で顕在化しつつある。その背景には米国経済の凋落があり、ギリシャ危機で始まったユーロ危機が解決を見ないままであり、日本は依然として失われた20年から脱却できないままでいるといった状況が存在する。我々が目にするのは資本主義のチャンピオンが軒並み疲弊している姿だ。
水野教授は、一つ目の解として、「近代システムが間違っているのではないか」と言っているが、これは鋭い指摘だと思う。

最近の政治をみていると、民主主義の限界みたいなものを感じる。現在の民主主義は本来の民主主義にはなってはいないということだ。現在の日本の政治は絶望的だ。こういった認識は私一人だけのものではないと思う。日本のことだけではなく、米国やヨーロッパ各国の政治を見ても同じことが言える。
「では、代替案を出せるのか」というと、何も出せないままでいるのが現状だ。20年程前に共産主義が崩壊し、ソ連邦が解体した。資本主義各国はその優越性が証明されたとして陶酔していたものだ。しかしながら、現在の資本主義社会を見ると、現状のままでは資本主義さえもが崩壊するのではないかとの危惧を拭い切れない。

世界の歴史をみると、ひとつの政治・経済システムはその頂点を極めた後は間違いなく凋落する。違った場所で、違った時代に、これが繰り返されてきたのだ。
OECDの発表によると、中国のGDPは、2016年には米国のGDPを追い越すと予測されている[6]。また、2025年までには中国とインドのGDPの合計額はGセブンの合計額を上回ると予測されている。

今後、短期間のうちに世界の経済的覇権の構図は大きく変化することになる。その潮流を正確に捉えることができない国は新たな国際社会の秩序から早期のうちに取り残されることになるだろう。それを許すか許さないかは現在の世代、つまり、我々の世代の責任であると言わざるを得ない。
ここで取り上げた主題は素人の私にとっては完全に手に余る分野だ。恥ずかしながら、多くのことが理解できないままでいる。様々な専門分野に造詣の深い諸氏のご意見を拝聴したいものだ。

デフレからの脱却は単なる政治スローガンで終わってしまうのか、それとも、日本が見事にデフレからの脱却に成功するのかを是非とも見極めたいなあと思う。

参照:
1デフレからの脱却は無理なのです水野和夫・埼玉大学大学院客員教授に聞く:日経ビジネスオンライン、2013117

2The real wealth of nationsThe Economist, Jun 30th 2012

3Inclusive Wealth Report 2012 Measuring progress toward sustainability Published jointly by UNU-IHDP and UNEP in 2012
4Are We Consuming Too Much?: By Jon Christensen, Conservation In Practice, April-June 2005 (Vol. 6, No. 2)

5人口減少社会元年はいつか?:総務省統計局統計調査部国勢統計課長 千野 雅人、20121128日、www.stat.go.jp > ... > 広報資料 > 統計Today 一覧
6OECD: China’s Economy to Surpass US by 2016: AFP, Nov/09/2012

 

 

2013年1月11日金曜日

国債保有のリスク ー 英国の終焉


何とも気にかかる表題である。これはMoneyWeekという英国の投資者向けマガジンの2012121日号の記事[1]の表題だ。
MoneyWeekという情報誌は英国で最もよく売れている投資者向けの情報誌であって、60カ国以上で何万人もの購読者がいる。毎週金曜日に発行される。この121日号の記事は英国の国債がいかに危ないかを投資家に警告する内容となっている。断っておくが、私自身は投資家ではなくて、単にインフォメーション・クリアリング・ハウスを経由してこの記事の存在を知ったまでのことだ。
まず、冒頭の部分を下記にご紹介したい。仮訳の文章はいつものように段下げして示す。
これからやって来る危機は2008年の金融危機と関係するものではあるのだが、この危機は2008年のそれに比べて無限に大きなものとなるだろう。わが国の金融システムのど真ん中には解決できない問題が横たわっている。この問題は100年前に始まったものだが、25代もの首相が入れ替わってきたものの誰もそれを解決することはできなかった。我々が理解するところでは、この問題によって引き起こされる事態を避けて通ることはできない。不景気、失業、社会不安、等、現時点で皆が感じていることはこれから述べようとする危機の最初の一歩に過ぎないのだ。
多くの人たちは現在の状況がすでに危機のピークを示していると思っているかも知れないが、本当のことを言うとまだ始まったばかりだ。
こう述べて、この記事は展開するが、そのすべてをご紹介することは避けたい。あまりにも長いので、重要と思われる部分だけを拾っていきたいと思う。
なぜこの記事が気に掛かるかと言うと、英国の財政赤字の姿は日本のそれとダブッて見えるからだ。英国はどうしてもっと大きな危機に見舞われるというのであろうか。それを知りたいと思う。
英国政府も日本政府も膨大な借金を抱えている。国債が信用不安をひき起こしたらどうなるか。ギリシャ国債の暴落に端を発したギリシャの危機はまだ記憶に新しい。そして、ユーロ危機はまだ解決されてはいないのだ。今後、スペインやイタリアではどう展開していくのか、等、この問題に関する報道は今活発である。
この記事では刺激的な言葉が過剰なほどに使われているが、それはビジネスにおける業界言語として受け入れることにしよう。
これは単に皆さんのお金についてだけの話ではない。確かに、お金はこの問題の大きな部分を占めている。しかし、この問題はその先にまで影響を及ぼす。我々がここに提唱する考えや解決策は最初は皆さんにとってはあまりにも過酷だと思えるかも知れない。
2005年に戻ると、当時我々が英国の債務は危険な領域に入ったと言ったときその警告を真剣に聞こうとする人はほとんどいなかった。少なくとも、最初は。ファイナンシャル・タイムスやデイリー・メールといった主要メデアの批評家連中のほとんどは我々が表明した見解を無視した。
6年前、原油価格が82%もの急騰を示すことになる数ヶ月も前に原油の高騰を我々が予測した際も誰もが我々を信じようとはしなかった。
5年前、ポンド安を予測した際にも誰も我々を信じようとはしなかった。あれ以来、ポンド通貨は低下の一途を辿り、今後も何年も続くことになるだろう。
3年前、購読している皆さんに対して「ヨーロッパを売れ」との警告を出した時にも誰も我々を信じようとはしなかった。ユーロ危機はあれ以降ユーロッパ大陸の株式市場を下落させた。
何れの事例においても我々が早期に警告を発したのは正しかったと言える。
まあ、この種の投資家向けの情報誌では自分たちの実績を高らかに謳いあげるのが常である。そうすることによってしかその情報誌の存在価値を示すことができないからだ。また、そうしない限り投資家に購読意欲を起こさせる術もないからだ。この際自分を売り込む傲慢さは大目にみてやることにしよう。
この危機が次の段階に至ると、毎日の生活の仕方は今日のそれとはまったく違ったものとなるだろう。
皆さんの金融に係る生活はすべてが変わる。どの銀行を使うか、自分のお金をどこに蓄えるか、あるいは、どういう形で蓄えるか、何歳で引退するか、家族や不動産としての家屋をどのようにして守るか、等々。
MoneyWeekでは我々はわが国の債務が消えるとは思ってはいない。救済策は非常に大きな結果をもたらすことを我々はよく知っている。山のように大量の紙幣を発行し続けることはただ単に最悪の事態をもたらすだけであることも我々はよく知っている。テレビや主流メデアに現れる評論家たちのほとんどとは異なり、我々の分析専門家は何が実際に起こっているのかをよく理解しており、こういった重大な警告は常に明確にしなければならない。勿論、このような状況において一番大事な点は「何が起こるか」ということよりも、むしろ、それに対して皆さんが「どんな対策をとるべきか」ということだ。我々が予想するようにわが国で国家レベルの緊急事態が起った時、皆さんにはそのような危機に対して十分な準備ができているのだろうか?
銀行が破産し、自分の銀行預金から現金を引き出せないとしたらどうするかを皆さんのほとんどはご存じない。それが実状だ。株式市場が営業を停止したらどうするかは誰も知らないだろう。年金収入が枯渇するとは予想もしていない。家屋の不動産価値が半減したとしたらどうするのか?
近い将来にやって来るこの危機を皆さんが無傷でやり過ごすことができるかどうかは我々としても約束をすることはできない。しかしながら、この記事の読者はこの記事に書かれている単純なステップを取ろうとはしない他の人たちと比べると遥かに好ましい結果を手にするだろう。
下り坂の始まり:
英国は借金という大津波によって打ちのめされる。保守党、自由党、労働党あるいはUKIPのどれに投票しようと、それはもう関係ない。無党派であってもまったく関係ない。
2年半前に連立政権が誕生した時、巨額の借金に浸かっていた。事実、前内閣は7000億ポンドの借金を残していった。次のグラフを見て欲しい。
英国政府の借金:1900-2010 
   出典: ukpublicspending.co.uk
連立内閣は一生懸命に過去の2年間を財政の健全化のために費やした。緊縮予算。増税。人員カット。それらの全てを実施しても、わが国の借金は途方もない速度で増加し続けている。
上記の下線部分はどこかで聞いたような文言だ。ぴったりと日本の状況に当てはまるではないか。日本では民主党政権が財政の健全化のためにムダを省こうとして3年間を費やした。しかし、成果は何もあがらなかった。また、民主党政権だけではなく、過去何十年もの間歴代政権は借金を縮小することにことごとく失敗している。そもそも国の借金を低減するべく真面目に取り組んだのかさえも疑わしい程だ。政治主導の姿は見当たらない。英国と同様、日本政府の借金も途方も無い速度で増加し続けているのが現状だ。
キャメロン首相は「緊縮予算」についていろいろと言及したにも拘らず、5年間で7000億ポンドもの借金を追加することになる。この金額はトニー・ブレアーとゴードン・ブラウンの二人が11年間に増やした借金総額よりも大きい。
2015年の総選挙までには、下記のグラフが示すようにわが国の借金は1兆4000億ポンドとなる。
英国の借金の予想額:1900-2015


出典:ukpublicspending.co.uk
経済規模との比で見ても、英国は今や西側世界では最大の借金大国のひとつである。その比率で見ると、英国の借金はイタリア、スペイン、ポルトガルよりも大きく、ギリシャと比べると約2倍である。これら4カ国はすでに経済危機に見舞われている。奇妙なことに、我々は潰れてはいない。今のところは....しかし、物事がこのまま続くとは限らない。
わが国よりも大きな借金を抱えているのは日本だ。日本では経済が20年間も停滞したままで、株式市場は75%も下落した。そして、アイルランド。同国では住宅産業が50%も縮小し、政府は財政的な緊急援助を受け入れることになった。
事実、わが国の借金は他の国家と比べて抜きん出ている。それを下記のグラフに示す。
英国の借金(GDP比)

 出典:Haver Analytics; Bank for International Settlements;
national central banks; McKinsey Global Institute

まったく酷い状況だ。皆さんは、多分、このような事実についてテレグラフ紙やスカイ・ニュースでは見たことがないのではないか。
もっと悪いことに、この数字がすべてということではない。
英国政府が国民年金のように将来支払うと約束しているが、そのための資金が充当されてはいない分をさらに加えた場合わが国の借金はGDP9倍にも膨らむことになる。

この下線部分は日本でも同様だ。
 
日本では年金保険料の払い込みが計画通りに進まず、約束した年金を払えそうにもない。ある資料[2]によると、日本では政府のバランスシートが存在するが、平成22年度の貸借対照表を見ると、「公的年金預り金」として1239000億円が負債の部に計上されている。しかし、この1239000億円には将来支払わなければならない年金の金額は含まれてはいない。この資料の著者によると、もし企業会計みたいに将来支払うべき年金も含めて計上するとしたら、「公的年金預り金」はさらに1000兆円も膨らむのではないかとの推定だ。膨大な金額である。
 
日本の平成22年度のGDP511兆円だったから、1000兆円の追加分はGDPのほぼ2倍に相当する。上述のグラフでは日本と英国はGDP比で約5倍の借金があるとしているが、公的年金の将来の支払い分を含めて修正すると、日本の借金はGDP7倍に膨らむ。同様に、英国はGDP9倍に膨らむ。7倍にせよ9倍にせよ、どちらもべらぼうに大きな金額だ。
 
このように、英国と日本との間には基本的な相似性がみられることを指摘しておきたい。

しかし、どのようにして現在の状況に到達したのだろうか?かって、英国は世界で最も裕福な国で、最も力があった。一体何事が起こったのだろうか?
危険な実験を行い、それに失敗する:
190911日に英国としては初めての出来事があった。ロイド・ジョージが社会的実験を始めた。政府は老年に達した人たちに税金の一部を還元することに同意したのだ。この時、国家が支える非常に現代的な福祉政策が始まった。その手法は簡単だった。70歳を超える男性は週当たり2~5シリングを政府に請求することができるというものだ。当時は労働者の平均寿命は48歳だったから、政府にとって大きな負担になるとは考える必要はまったくなかった。最初の年は50万人が政府年金の恩恵に浴した。当時は一人の受給者当たりに10人の労働者がいた。
福祉国家という概念が大きく膨らんだのは第二次大戦後のことだ。社会主義やファッシズムに対抗して平和を勝ち取る重要な道具となった。そして、平和を勝ち取るだけではなく、政治家にとっては選挙で票を稼ぐのにも驚くほど効果的であった。まったく同じシナリオが米国や日本ならびにヨーロッパ各国でも繰り返された。政府は「揺り篭から墓場まで」国民の面倒をみると約束した。この単純だが政治的には非常に有効な政策が政府に福祉制度を運営する免許証を与え、半世紀前には思いもしなかったほどの規模に膨れ上がる結果となった。個々の約束は大きくなる一方だった。そしてそのコストも巨大化していった。
何年かの間に福祉国家の規模は大きく膨らんだ。しかも、制御ができないまま、数々の法律が次から次へと可決された。最大の問題はこれらの福祉政策は厄介な副作用をもたらすことだ。そして、途方もなく費用がかかった。
我々は皆これらの費用を払い続けることができるものと思っていた。しかし、我々は間違っていたのだ。
政治家はことごとくこの罠に陥っていった。福祉国家の規模を縮小しようとする試みは多くの場合ストライキや反対運動といった形で激しい抵抗に遭った。理に適う政策を採るために福祉を削ろうとする政党は票を集めることができなかった。
福祉政策が票を獲得するとの考えを抱き、いかなる政府も暴れる雄牛の角を捕まえ福祉を削減することなどとてもできなかった。あれこれといじくりまわし、あちらこちらで何ペニーかを節減するだけだった。しかし、人口が増加し、寿命が伸びた。今や政治家ができる事と言えば何もせずに次世代に解決を任せるしか残ってはいない....
物語り風の記述が連綿と続く。しかし、起こり得る事象としては英国でも日本でもほとんど変わりがないのは確かである。
選挙民は自分の選挙区の利益を最大限に追求する。福祉政策では生活の向上につながる政党に投票する。言うまでもなく、政治家は票集めのためにさまざまなことを約束する。そうしなければ当選しないからだ。甘い餌を提示できない政党は選挙には勝てない。そして、次の選挙でも同じことが繰り返される。英国の現状は現在の選挙制度の限界を感じさせる。
日本も例外ではない。しかしながら、他にどのような制度があるというのだろうか?
今後の20年間の世界の趨勢:
政府の支出が顕著に増加したのは過去30年間のことである。この期間、借金のコストは比較的低く、政府は容易に借金をすることができたのだ。借金の金利は過去30年間低下し続けてきた。
10年物英国国債の利回りの歴史

 出典: Gecodia.com
1982年、マーガレット・サッチャー政権は3年物国債を発行するのに15%もの金利を払わなければならなかった。しかし、政府の借り入れ金利は下がり続けた。今、3年物国債の金利は2%である。低金利のお陰で借金がし易くなっている。しかし、この最高に好都合な時代はやがて終わりを迎えることになる。
現在の極端に低い金利が通常の金利、5%に戻ったとしたら一体どうなるか?そうなったら我々の国は金利を払い続ける術はない!実際に通常の金利に戻ったら英国は破算する!金利が通常の5%に戻ったら、借り入れコストは3倍にもなる。そうなったら、政府は年金制度を中断するといった過酷な決断をせざるを得ない。あるいは、国民健康保険を民営化するとか、税率を90%にするとか....
はっきり言って、英国は劇的な変化をせざるを得ない。これは金利が「通常レート」に戻った時の想定である。
下記のグラフを見ていただきたい。

 出典: Bloomberg
2009年、ギリシャ政府は1%の金利で借金をすることができた。金融危機の煽りを受けて、ギリシャ経済は停滞した。金利が急騰し、ギリシャ経済は崩壊した。経済だけではなく、社会的にも政治的にも崩壊した。ニュースによると、略奪、自殺、一夜にして起こった貧困、即刻行われた選挙、ゼネスト、等、さまざまな報道があった。市民は銀行から素早く預金を引き出すことができず、商売は倒産した。あのような事態においては家族を安全に守るだけでも大仕事だった。このような状況は巨額な借金を抱えた国で金利が急騰した場合には起こりえることだ。
国会議員のダグラス・カースウェルの最近の言葉:ギリシャは自分たちが獲得したわけでもないライフスタイルを支払うために借金をし続けることはもはや不可能であることを発見した。西欧では最初の国である。しかし、ギリシャが最後という訳ではない。
英国では政府の借り入れ金利は、現在、最低レベルにある。あるいは、それに非常に近い。
これは何を意味するのか?はっきり言って、今後の20年間、金利は上昇するしかないということだ。
つまり、我々は前例の無い危機に直面しているのだ。事態の変化がどれほど早く起こるかは誰にも言えないが、金利というものは一夜にして変化する。あるいは、じっくりと変化し、上昇を続け、何年もかけて経済を締め上げ、住宅産業や株式市場を脅かす。何時の日か、我々の富を根こそぎ引き剥がしてしまう。
今我々が言えることは、遅かれ早かれ金利は上昇するということだ。海外の投資家が我々の問題の由々しさを認識し、より高い金利を要求してくる....あるいは、我々にはもう金を貸してはくれない....
そんな日が来た時には、事態は非常に危機的なものとなる。
英国はどのように内部崩壊するか:
最初の火種は銀行だ。なぜかというと銀行はどこも国債をたくさん抱えているからだ。金利が上昇すると国債の価値が低下する。たとえ金利がほんの僅かに上昇したとしても、銀行の貸借対照表では何億ポンドもの資産が一気に帳消しになってしまう。このような事態が起こった場合どの銀行がこの事態を耐え抜くことができるかを言い当てることはほとんど不可能だ。
銀行が抱える問題がニュースとして伝えられ、緊急支援に関する噂が飛び交い始めると、市民は何が起こっているかを知ることになる。やがて、銀行に駆けつける人々の姿を我々は眼にする。写真に示すように、最近の事例ではノーザンロック銀行に詰めかけた人々の姿があったが、これから起こる危機はその10倍も酷いものとなるだろう。これから起こる危機の場合、英国政府には緊急支援を実施する余裕などはないのだから。

しかし、この危機は銀行だけで終わるわけではない。非常に気がかりな現実のひとつは、僅かな金利の上昇であっても何百万もの人たちが支払いをすることが出来なくなり住宅ローンの不履行に追い込まれる状況だ。銀行に続く火種は住宅産業となる。

また、それだけではない。
金融システムが崩壊すると、社会の仕組みがぼろぼろになる。我々は単に株式の価格や不動産としての家屋の価値の低下についてだけ言っているのではない。それらだけでも十分に厄介な課題ではあるのだが、我々は社会秩序の崩壊についても言及しておきたい。ここで最も重要な点は英国は変化せざるを得ないということだ。しかも、著しい変化が起こる。事態が現状に復帰することは決してないだろう。
歴史からの警告:
今まで述べてきたことは皆さんに不安を抱かせるだろうか?我々の批評家の何人かは間違いなく不安を抱かせるだろうと言っている。ほとんどの人たちは「英国が借金で崩壊するなどということは起こる筈がない」と思っている。確かに、具体的にこれを思い描くことは生易しいことではない。銀行は彼らが「破綻した」と宣言するまではいかにも頼りがいがあるように見える。銀行が緊急支援を要請するまでは、政府は「すべては政府の管理下にあり、大丈夫だ」と言い続けるのが常だ。
ヴィクトリア朝の人々は大英帝国は未来永劫に続くだろうと思っていた。1920年代のアメリカ人は株式市場のブームは決して終わることはないだろうと思っていた。当地英国では、1990年代および2000年代の初めにかけて政府が借金をし、ずっと支出をし続けることができるだろうと思っていた。
ここで歴史の教訓を再確認してみようではないか。歴史は我々に貴重なヒントを与えてくれる。
20世紀の初頭、アルゼンチンは世界でも指折りの経済大国のひとつであった。自然資源に恵まれ、産業は力強く、文化レベルの高い国であり、ブエノス・アイレスは南米のパリと呼ばれていた。事実、100年前には、例えば、「アルゼンチンの人のように裕福な」という表現がよく使われたものだ。
しかし、20世紀の末には事態は全く変わってしまっている。アルゼンチンの借金は制御不能に陥った。


借金による内部崩壊は決して綺麗ごとではない。秩序は速やかに無秩序へと変わってしまう。これこそが借金によって国家が内部崩壊した時に起こる現象なのだ。
ここから先はほとんどの人がよくご存知だ。アルゼンチンの人たちは辛酸を舐めている。海外の投資家はすっかり影を潜めてしまった。アルゼンチンは今でも厳しい後遺症に悩まされている。
 

ここで、わが社のフェデリコ・テッソーレの言うことを聞いていただこう。彼は我々のアルゼンチンにおける分析専門家の一人だ。当時、彼はシテバンクのブエノスアイレス支店でファイナンシャルアドバイザーを務めていたので、当時の無秩序状態を直に経験している一人だ。彼に当事の様子を語ってもらおう。
あれは2001年だった。米国で9/11無差別テロが発生した年だ。米国では一体何が起こっているのだろうとアルゼンチンの多くの人たちが驚いた。無秩序状態だった。皆が自分たちのお金をアルゼンチンへ戻そうとした。 けれども、この動きは間違いだった。2001年の12月、アルゼンチン政府はコラリト制度を設けた。コラリトとは英語ではplay penとかmoney prisonと言う。
Play penとは赤ちゃんが安全に遊べるように設置する「ベビーサークル」のこと。Money prisonは直訳すると「お金の刑務所」となる。ウィキペデアによると、当時、アルゼンチン政府は巨大な借金を抱えて、危機的状況にあった。3年も続いた経済不況の中で多くの人たち、特に民間企業は同国の財政破綻を恐れた。さらには、それに続いて起こるかもしれないデノミを心配していた。
この制度が何を意味するかと言うと、あなたが自分の銀行口座から引き出せる金額は1週間当たり500米ドルだけという制限である。たとえ銀行口座に百万ドルの預金があろうとも引き出せる金額は1週間当たり500米ドルだけ。2ヶ月間、この狂気の沙汰が続いた。その後、政府は米ドル預金をアルゼンチン・ペソに変換することに決めた。
公的交換レートは1.41であったが、闇市場での交換レートは31であった。もっと悪いことには、この交換は現金ではなくて、政府は預金者のために10年物の国債を準備した。つまり、銀行に10万米ドルの預金残高を持っている人には14万アルゼンチン・ペソの10年物国債が発行されたのだ。勿論、この処置は人々を激昂させた。皆が怒って銀行へ駆けつけた。当時、私はシテバンクで仕事をしていた。当時の状況を私は銀行側から観察していた。自分のお金を取り戻したいとする預金者たちはやけくそ状態で、私も一度ならず生命の危険を覚えたほどだ。毎日何千人もの預金者(その多くは高齢者)たちと話をし、今何が起こっているのかについて説明し続けなければならなかった。もうほとんど不可能な状況だった。
最も重要な点は、シテバンクのような国際的な銀行が何故その顧客に対して米ドル建ての預金を認めないのかという点だった。そうしようと思えば可能な金を顧客たちは外国に所有していた。しかし、銀行はそうしなかった。銀行が自分たちの顧客をだましたも同然だった。預金者たちは銀行を攻撃し、屋外で略奪をし、窓を叩き壊した。壁という壁は侮辱や苦情の言葉で一杯となった。我々は警官の護衛を受けて銀行へ出入りする始末だった。あたかも地獄に住んでいるみたいだった。
政府は年金基金を切り崩し、株式市場は暴落し、世界の市場はアルゼンチン国債を避けて通るようになった。そう難しいことではない。あなたの国の経済が内部崩壊し、そのシステムや機構の信用が損なわれてしまうと、投資家は何十年も寄り付こうとはしない。一般市民は通貨に代わって「金」を蓄積しようとしている。終わりが見えない政府の詐欺行為や汚職は一般大衆を疑心暗鬼にし、その信用はがた落ちとなった。そして、短期的な物の見方が支配的となった。
英国ではこんなことは起こらない?本当にそう思うか?
40年程前、英国は「失われた10年」と称する経済危機に陥ったことがある。1970年代、インフレ率が28%となり、銀行預金を蝕んだ。そう、28%である。毎日、預金残高の価値は少しずつ下がり続けた。FT301973年から1974年の間に73%も下落し、金利が上昇し、英国国債は崩壊状態となった。金利の高騰が金融システムを崩壊させた。しかし、それだけではない。社会秩序の崩壊の速度は脅威的でさえあった。


今から思えば「非常識な!」と思われるだろうが、通貨が流通しなくなると社会秩序は急速に崩壊する。やがて到来する英国の借金による内部崩壊は我々を1970年代に起こった暗い時代に放り込むことだろう。ゼネストが起こると、墓堀の労働者がストに参加して死者を葬ることもできない。通りには悪臭を放つゴミが山のように積上げられる。職を持ち続けることができた幸運な人たちはどうだったかと言えば、あの悪名高い「週3日」制度(注:石炭産業の労働者のストで電力の供給がままならなくなり、工場の稼動は週に3日間だけに制限された)の間は大きな賃金カットを呑まざるを得なかった。買い物客たちは、停電の中を懐中電灯を頼りにスーパーマーケットの棚をあちこち探し回らなければならなかった。
1974年には最高税率は83%となった。海外からの投資家たちは英国がハンセン氏病の島国であるかのように英国を敬遠した。我々は「ヨーロッパの病人」だった。不動産や銀行業の危機とは実際に何を意味するかと言うと、それは短時日のうちに人々の生活を最悪な状態に変えてしまうということだ。失業し、家業は閉鎖に追い込まれ、帳簿のつじつまを合わせるためには徹底して自分たちの預金に身を潜めていなければならなかった。我が国は地にひざまずくまでに追い込まれた。
個人的なことを述べて恐縮だが、1970年代の英国が上記のような状態にまで陥っていたとは、実は、私は知らなかった。当時の英国の状況は「英国病」という言葉で表現されていた。そのことは知っていた。しかし、高度成長を続けていた日本に住む若者にとっては、その実体がどのようなものであるかを詳しく知ろうとする動機は欠如していた。今回この記事を読んで初めて歴史的な事実を学ぶことになった。

非常に分かりやすいこの記事に感謝したい。5~10年後あるいは20~30年後の日本の最悪の姿を想定する時、これらの詳細な描写は貴重な資料ではないかと思う次第だ。
1976年、屈辱を感じながらも、英国政府はIMFからの緊急支援を要請するしかなかった。ジム・キャラハン首相は帽子を手に持って膨大な緊急支援を乞いに行くことになった。

彼は英国の金融・政治システムにとっては警鐘となる言葉を謙虚に述べた。「我々は不景気も伴わなわずに支出を継続し、政府の支出を大きく増加させることによって雇用を増やせると思った。今私は皆さんに訴えたい。そういう選択肢はもはや存在しないことを。今までそれが存在していたことに関して言えば、経済に大きなインフレを導入した特定の時期についてだけはこれらの方程式は有効であった。しかし、その次のステップになるとさらに高い失業率に悩まされる....」
これらの言葉は英国の近代政治史においては最も重要な言葉のひとつである。不幸にも、今ほとんどの人たちはこれらの言葉を忘れてしまっている。

以上で英国の投資家向けの情報誌MoneyWeekの記事「英国の終焉」の引用は終わりとする。 
 
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英国と日本との相似性に注目していると私は言った。そんな中で、日本の国債に目を向けると、様々な疑問が湧いてくる。最も中心的な疑問は「日本国債はその90%以上が国内で消化されているので、日本ではギリシャ型の金融危機は起こらない」という見解があることだ。このことについてはどう理解するべきだろうか。
その答えとして格好のブログがみつかった。下記のブログを是非とも覗いてみていただきたい。専門家の詳しい見解が掲載されている。
(1)   2012-12-24NHKスペシャル「日本国債」の本当の問題:「シェイブテイル日記」というブログの20121224日号、http://d.hatena.ne.jp/shavetail1/comment?date=20121224
(2)   2012-12-26NHKスペシャル「日本国債」の本当の問題II:「シェイブテイル日記」というブログの20121226日号
このシェイブテイル日記」の著者は、ロゴフ教授らの経済史分析から見ても、財務省の見解から見ても日本国債が「日本のマクロバランスや国債の保有状況などを考慮」すると破綻は考えにくいと述べている。
そうあって欲しいと思う。
一方、全国銀行協会の永易克典会長は昨年2月中旬の会見で、日本国債の保有リスクを意識していることを認めたと報道されている[注3。この銀行業界の懸念は上記の専門家の見解とは異にするが、その理由は何だろうか。
この報道によると、日本国債を支える条件にもほころびが見え始めているとのこと。日本の貿易収支は前年、30年ぶりに赤字に転落。1月の経常赤字は過去最大の4373億円に膨らんだ。国民の貯蓄率も低下し始めており、国債に向かう資金が先細りする可能性を否定しきれなくなってきた。国内での国債の消化が従来通り90%を維持できないとすると、国債の消化を海外勢に頼らざるを得なくなる。国債の信用格付けの再査定にもさらされる。信用度が低下すると、金利の上昇につながるのが常だ。
金利が1%上昇すると、大手銀行には25000億円もの評価損が派生すると言われている。
別の情報[4]によると、日本国債のリスクが高まっているとのことだ。外国人の保有が急に増えているという。外国人投資家が持つ日本国債の割合が、20129月末で過去最高になった(保有比率は9.1%)。逃げ足の速い外国勢によって国債が一斉に売られるリスクが高まっている。世界には投機資金が7京円もあるという。儲かると思われるところへは素早く集まってくる。ギリシャ国債の危機ではヘッジ・ファンドが介入して、彼らは大儲けをした。
この2013年は安部新政権の政策とも絡んで、インフレ率、金利、外国人の日本国債の保有率、等、さまざまなデータを監視していく必要がありそうだ。デフレから脱却し、インフレ政府目標の2%が達成されインフレの方向性が確立された場合、国債の長期金利はどこまで上昇するのだろうか。仮に米国(10年物国債で2.64%201318日現在)やドイツ(1.30%201212月)の金利水準並みの1.5~2%になると想定すると、政府が支払う国債の利子負担は現在のそれの2~2.5倍に膨らむ。そうなると、政府予算には甚大な影響を与えることになる。
日本国債のリスクについてはさまざまな見解がある。単純に白黒を判断することは容易ではない。市場の動きとか市場心理は数理化することが難しく、専門家の方々にとってさえも予測ができないことが多いと言われている。それだけに、本ブログに収めた情報をきっかけにしてさらに広く、さらに深くおさらいを継続していきたいと思う。
 
 
照:
1: The End of Britain: Information Clearing House, MoneyWeek , Dec/01/2012
2: 417兆円の債務超過、年金負債も天文学的:小宮 一慶20121204日、toyokeizai.net/articles/-/11963
3: 3メガ銀、国債急落「Xデー」に警戒感 「しっかりしてくれ」政府にため息:SankeiBiz
4: 国債高まるリスク 外国人の保有割合が急伸:朝日新聞デジタル、20121223