サッカーのW杯ロシア大会が6月14日に始まった。モスクワやザンクトペテルブルグ、ソチを始めとして11もの都市がこれから1ヵ月間の大会を支える。
今の時点で主催国のロシアはグループAで2勝をあげ、16強への進出をほぼ確実にしている。ロシアのサッカーファンは熱狂していることだろう。彼らの熱狂振りが目に見えるようだ。日本チームはグループHでコロンビアとの第1戦を勝ち進んだ。予想を覆すような素晴らしい出来栄えだった。カリーニングラードで行われたスイス対セルビアの試合はこのW杯ではもっとも素晴らしい試合のひとつであったとの指摘がある。サッカーファンにとっては見逃せない試合振りであったようだ。
何処のチームが勝ったとか、誰が得点王になったとかの情報はファンの誰にとっても重要な関心事であるに違いない。世界中から熱気が伝わって来る。
私の関心事は別の点にある。このW杯ロシア大会には外国から数多くのサッカーファンがやって来る。多くの人たちにとっては初めてのロシア旅行ではないかと推測される。試合が開催されるモスクワあるいは地方都市に到着して、これらの人たちの目にはロシアがどのように映るのであろうか。私の限られた経験から敢えて一般論を言えば、ロシアの一般大衆は人懐っこくて、率直である。彼らは決して憎めるような相手ではない。
要するに、この機会に可能な限り数多くのロシア人と接して、ロシア人の実際の姿がどうであるか、西側と違うとすれば何処がどう違うのか、あるいは、どれだけ多くのことが共通しているのかを考える何らかの切っ掛けをつかんで帰国して欲しいものである。
核大国である米ロ両国間では新冷戦が進行しており、今や前の冷戦よりも深刻な状況にあると指摘されている。この新冷戦がさらに進行することを抑えるには、西側の数多くの一般庶民がロシアをより正しく理解することが必須条件だ。さもなければ、西側の大手メディアが推進している好戦的な対ロプロパガンダ情報が一般大衆を洗脳し、最終的には米ロ間の核戦争を招く可能性がより高くなるからだ。また、軍事的な敵対関係があちらこちらで続くことは偶発的な事故の確率を高めることにも繋がる。
率直に言って、核戦争の回避は300編を超すこのブログの中ではもっとも中心的なテーマである。
さまざまな意見がある中、興味を感じさせられたふたつの記事をご紹介しておきたいと思う。そのひとつは「われわれはなぜワールドカップの開催を必要とするのか」と題されている [注1]。ふたつ目は「英国のサッカーファンは実際のロシアはオックスフォードやケンブリッジ卒のジャーナリストが席巻するメディアによって描写されたロシアとは違うことを発見」と題されている [注2]。
本日はこれら2本の記事を仮訳して、読者の皆さんと共有したいと思う。
<引用開始>
(1) われわれはなぜワールドカップの開催を必要とするのか
われわれはなぜW杯の開催を必要とするのかという問い掛けに答えるために私は数多くの記事やソーシャルメディアへの投稿、読者のコメント、等を読んでみた。
このテーマを議論してみよう。
このテーマは意見がほとんど述べられてはいない文脈で議論を進めたいと思う。
まず始めに言っておくが、W杯を開催するためにロシアは地政学的な利害関係を犠牲にしていると主張する連中には私は同意することができない。
もしもW杯のためではなかったとすれば、われわれはとうの昔にキエフを取り戻していただろうと彼らは言う。
この主張は著しくナンセンスだ。この議論については選手権が終了した後に様子を見ようではないか。
特にこの地球上の近隣諸国やキエフ政権のもっとも才能に恵まれた代表者たちに向けて言うとすれば、W杯ロシア大会の期間中にキエフ政府軍がドンバス地域に侵攻するかも知れないという懸念に関してはロシア大統領が毎年行っているQ&Aセッションでも質問があった。
この問題に関してプーチン大統領は極めて明瞭に答えた。
如何なる攻撃を試みたとしても、ウクライナは最終的には国家を失うことになるだろうという事態はウクライナのもっとも間抜けな政治家であっても理解するであろう。
W杯が開催されても、ロシアの地政学的利害関係が取り消しになるという訳ではない。
選手権を開催するコストを計算し、132億ドルもの費用は余りにも高額だと言う輩がけっこういる。
多くの連中はこの費用は単にサッカー競技場のために使われるのではなく、選手権を開催する地方都市の住民が毎日使用するインフラの整備にも供されるという事実を忘れているようだ。
ソチオリンピックでは単一地域に投下された資本やインフラの整備について如何に多くの人たちが不満を示していたかを今でも思い出す。あの地域は、幸運なことには、ロシアの基準で言えば気候的にもっとも恵まれている地域だ。
今回の投資はいくつもの都市の間で平等に分配されている。
実際問題として、他にはやりようがない。
現代ロシアだけではなく、他の多くの国でもそうではあるが、経済全体が必要とする巨大なインフラ投資を成功裏に実施し、管理して行くにはメガプロジェクトを推進する必要がある。
今回のストーリーはスポーツやスポーツイベントだけに限られるものではない。APEC やBRICS のようなサミットの開催であってもまったく同じことが言える。これらのイベントが文字通りロシアの都市を変貌させて来たのである。
これは純粋なロシア方式であるという訳ではない。中国も含めて、数多くの国々で同一の方式が用いられている。
中国が多額の資金を注ぎ込んだ北京オリンピックや「アジア版ダヴォス」を思いおこして貰えれば十分だ。
さて、ここでもっとも重要な点を議論しておこう。この点についてはわれわれは決して過小評価すべきではない。
このW杯のために外国人の間で250万枚ものチケットが売れた。
この大会の参加国からは、サウジから始まってドイツに至るまで、ペルーから始まってオーストラリアに至るまで、少なくとも何万人ものサッカーファンや旅行客がロシアへやって来る。
これらのファンは今ロシアの各都市で大勢でたむろし、ごく普通のロシア人たちと話をし、モスクワの地下鉄を見て大喜びし、圧倒されていることだろう。あるいは、かくも美しいロシアの都市が存在することを知って、それらの事を熱狂的に書きしたため、ソーシャルメディアに投稿していることであろう。
もっとも重要なことはこれらの外国からの訪問客はCNNやBBCといった大嘘や偽情報に満ちたプリズムを介してではなく、自分の目で実際のロシアを見ることができるという点だ。さらには、実際のロシアを見るだけではなく、ロシアとのコミュニケーションをすることができるということだ。彼らはロシアを応援し、ロシアにぞっこん惚れ込んでしまう。
ロシアに惚れ込まずにはいられないだろう!
これらの何万人ものファンたちはフェースブックやツイッター、インスタグラムにこの未知のロシアについて何百万枚もの写真やビデオ、ストーリーを投稿する。
徐々に判明して来ることはロシアは非常に友好的な人たちでいっぱいだという点だ。
ロシアの街の通りにはクマは見当たらないけれども、携帯電話からのインターネットへのアクセスはドイツよりも素晴らしいし、モスクワの地下鉄はニューヨークよりも遥かに立派だ。
これらすべてがロシアにまつわる古くさい理解を木っ端微塵にする。
西側のメディアが出来るだけ吹聴しようとして来たいくつかの否定的な解説は情報の世界やソーシャルネットワークを一掃しようとしている歓喜や驚愕の津波に一呑みにされてしまう。
ロシアを必ずしも好きではないジャーナリストといえどもロシアは驚くべき存在であることを否が応でも認めさせられる。
ロシアはいい意味で衝撃的でさえある。
ロシアはその若さと将来に対する希望そのものなのだ。
私の論点を信じて欲しい。いくら支払ったとしても、このような壮大なPRを調達することは不可能だ。
さらに言えば、われわれのことについてこれ程率直な意見をこれ程多く調達することは出来そうにはない。
これは実に重要な点だ。
最近の数年間奴らは世界中の目の前でわれわれを非人間化しようとして来た。この非人間化の作業は奴らが誰かに流血騒ぎを引き起こす前に必要とするひとつの段階であることを考えれば、この事実は非常に重要である。
今や世界中に、カナダから始まってオーストラリアに至るまで、われわれにはPRのために何十万人ものボランティアがいる。これらの人たちは自分の友人や親族、知り合いにロシア人はテレビで報じられて来たロシア人とは違うということを告げてくれるのだ。
われわれの地政学的な敵国がW杯を邪魔し、ボイコットしようとして躍起になっていたことは驚くには当たらない。
奴らはこのことをすべて理解しており、われわれの祝賀気分を台無しにするためならば何でもするだろう。
私は奴らは決して成功しないと思いたいし、W杯がもたらすことができる利益はすべてを手中に収めたいと思う。われわれが1980年のモスクワ・オリンピックを記憶しているのと同じようにわれわれの子供たちが暖かい気分でこのW杯を記憶して欲しいと思う。
(2) 英国のサッカーファンが実際のロシアはオックスフォードやケンブリッジ卒のジャーナリストが席巻するメディアによって描写されたロシアとは違うことを発見
Photo-1: 2018年6月18日にボルゴグラードの鉄道駅に到着し、国旗を振る英国のサッカーファン © NICOLAS ASFOURI / AFP
何千人もの英国からのサッカーファンがW杯に参加する中で、彼らの報告で圧倒的に多い事例は「ロシアは彼らが予想していたものとは違う」という点である。英国のメディアはこの矛盾に自分たちが果たした役割をよく分析してみる必要がある。
ソチ発:信じられない程の自己認識の欠如を示しながらも、ガーディアン紙の前モスクワ駐在員は日曜日に次のようにツイートした。「ボルゴグラードで私が会った英国のサッカーファンは目下間違いなくロシア大会を満喫している。すべてがわれわれが予想していたものとは正反対で、誰もが驚くほど歓迎してくれる。昨晩は最高だった。(私/われわれは)W杯でこれよりも立派なスタートはとても望めないだろうと思う。」
こうして、(BBCに次いで)英国で二番目に多いアクセスを持つオンラインニュースのために何年間にもわたってロシアについて報道する特典を享受して来たショーン・ウオーカーはこの明らかな矛盾に当惑しているようだ。しかし、それを説明することは簡単だ。ロシアに関する英国の報道はロシアの姿を正確には伝えていないのである。
10年程前のことになるが、ここへの赴任後2-3週間の内にこのことを私も確かに実感した。英国や米国の新聞社のプリズムを通して何年間もこの国を眺めて来た結果、私の感覚は圧倒的に否定的なものであった。しかし、さまざまな出来事があって、この国を訪れる機会が無作為に何回もやって来たので、ロシアへ赴任するなんて思ってもみなかった。つまり、私は今もあの頃の見方をしているのかも知れない。
ある特定の国を訪問したことがない人たちは、多くの場合、彼らが日常的に購読・視聴するメディアでその国がどう報じられているかによって彼らの見方は決まる。例えば、これこそがハリウッドが米国の強力な道具の役割を務めてきた理由である。そして、英国の台所事情が痛々しいほどの緊縮政策を必要としているにもかかわらず、英国はBBCの国際部門に何億ポンドも投入し続けようとしている。
もちろん、これはRTの存在理由でもある。ロシアに関する西側の報道が均衡を欠き、不公平であるとロシア側は正当にも感じ取って、このネットワークを設立したのである。
いつまでも一緒に:
ロシアに対する米国の態度は単純である。それは距離感と米国人の議論に浸みわたっている冷戦時代からの論理から生まれたものである。その一方で、英国人の美辞麗句を説明することはより以上に困難だ。英国の新聞社は一般大衆との調子が非常に悪いようで、私の経験によれば、ロシアについてはより以上に慎重な見方をとる。
ツイッターを使用する場合は、反応の数が分かる。ロシア関連の大きな出来事については何時も同じジャーナリストの一団が皮肉を込めた同一のジョークをツイートし、非常に現代的な背中の叩き方をする。つまり、「like」と「retweet」を用いてお互いをけしかけ合う。
集団思考には圧倒される程であるが、彼らは自分たちが到達した戯画的な状況を十分に納得するだけの知覚力を持ってはいない。ロシアは私の受け持ち区域であって、当然のことながら、私の関心はこの分野だけに制約される訳ではない。国内では、同種の議論が毎日のように起こる。政党の大会から始まってビジネスの報道に至るまで。
関連記事: Englishman in Moscow: Politics mean nothing to thousands of fans enjoying the World Cup
この振る舞いの背後にはいったい何があるのかと私は長い間疑問を抱いていた。私は英国中を旅行しているので、我が国の多様さを熟知している。英国では一般大衆は決して体制派ではない。事実、エジンバラの郵便配達がサリー地区の株式仲買人と世界観を共有することなんてあり得ない。
しかしながら、メディアは今まで以上に一枚だけの楽譜を歌おうとする。特に、話が権力層の合意内容に脅威を及ぼすような場合がそうだ。その理由はすごく単純だ。今日、新聞社のお偉方は二つの大学、オックフォードとケンブリッジの出身であって、前者が後者を上回る。
古き良き時代:
伝統的にはジャーナリズムはほとんどが労働者階級の仕事であって、全国紙で好機をつかむ前は地方紙で修業を積んだものだ。確かに、多くの著名なジャーナリスト(一例を挙げると、ジョン・ピルジャー)は第三レベルの教育をまったく受けてはいない。しかし、今や、新聞社はエリート大学から直接募集をしているようだ。この傾向はロシア部門では殊更に当てはまる。駐在員のほとんどは(多くの場合、ロシアを専攻した)文化系の卒業者であって、この狭い専攻範囲以外でジャーナリズムを学んだ記録はほとんど見当たらない。これは非常に不健康である。
週末にアイルランド人の学者、ジョン・オブレナンが流したツイートはガーディアン紙のコラムニストらは如何にしてオックスフォードやケンブリッジ卒の寡占状態を作り出したかを示している。そこで、私は英国のメディアでロシアを報じるオックスフォードとケンブリッジ卒のジャーナリストたちに光を当ててみることにした。何と、これらの大学の卒業生が新聞社の語り口をほぼ独占していることが速やかに判明したのだ。
ロシアに関する英国の著名な解説者はほとんど全員が、アンネ・アップルバウムやマーク・ゲールオッティ、ベン・ジュダー、オリバー・バロー、ルーク・ハーディングといった連中を含めて、オックスフォード・ケンブリッジ卒である。一方、エドワード・ルーカスはオックスフォードの元フェローで個人指導員の息子ではあるが、彼はロンドン大学の経済政治学部に進んだ。ウオーカー自身を含めて、モスクワの駐在員は非常に多くがこれに当てはまるのだ。
英国の全国紙は早急により多くの多様性を備える必要がある。黒人やアジア系あるいは性的少数者を余分に雇用することは簡単ではない。それに代わって、われわれが今必要とするのはこの業界はそのルーツを遡らなければならないという点に尽きる。ジャーナリストは大リーグで仕事を開始する前に正しく訓練を受けるべきだ。それぞれ違った教育や社会的背景を適切に反映するべきである。
オックスフォード・ケンブリッジ卒による現在の寡占状態が継続すれば、われわれは英国からの海外への旅行者から「予期していたこととは正反対だ」という言葉を今後も聞き続けることになろう。これは実に悲しむべき事態である。
注:この記事に表明されている声明や見解、意見は全面的に著者のものであって、必ずしもRTの見解や意見を代表するものではありません。
<引用終了>
これで2本の記事の仮訳が終了した。
ロシア大会に関する動画を見ると、競技場での熱気が伝わって来る。その騒ぎは街では翌朝までも続き、W杯を開催している都市ではビールの入手が困難になってきたとの報道がある程だ。そして、もっとも重要な点はこれらのサッカーファンは、当然のことながら、政治は抜きでサッカーの試合を堪能している。一般大衆に対してメディアが行っている陰湿な洗脳と比べ、これ自体は非常に健康的だ。
観衆が政治を忘れてサッカーを堪能する中で、一部の競技者は政治を競技場に持ち込んでしまう。残念なことである。セルビア対スイス戦ではスイスが2対1でセルビアを下したが、スイスの選手の中にはコソボ系の選手がおり、自分が放った見事なゴールを祝って、コソボの国旗を思わせるような仕草をしたことが問題視されている。セルビアはコソボの独立を認めてはいない現状から、セルビアチーム側からはこの出来事に関して苦情が出ている。この出来事に関与したふたりの選手はFIFAの懲罰委員会にかけられるかも知れない。
この投稿ではW杯ロシア大会の背景にある政治的な風景を書こうと思って開始した。シリアやウクライナに見られるようなおどろおどろしい地政学的な状況から一時的にでも離れて、健康的なスポーツの祭典を楽しみたいという気持ちがあったのだ。しかしながら、その期待は甘かった。政治的背景そのものが何時の間にか主役となって、舞台のど真ん中に出て来てしまいそうな気配である。好むと好まざるとにかかわらず、今日の国際政治は、実際には、われわれ一般庶民の生活の中にも色濃く浸透しているようだ。政治をバッサリと切り離せるのは夢の中だけとなろう。
今までのオリンピックでもこの種の出来事は大なり小なり起こっている。スポーツへの政治の過剰な介入は何としてでも避けるという常識的な節度を発揮し合い、そうする知恵を常に維持しなければならないと思う。そのような意識を持って、毎日の生活を続けたいものだ。
経済的な効果に関しては統計数値が間もなく出て来るのであろうが、西側の大衆が、最終的に、このロシア大会を介してどれだけロシアという社会やロシア人を知ることができたのかという設問については、答えることが非常に難しいと思う。長い目で見守っていきたいと思う。現実的な感覚から言えば、「決してゼロではない」筈である。
参照:
注1: Why do we need the World Football Cup?: By Ruslan Ostashko, The Saker, Translation by Scott Humor, Jun/19/2018
注2:English football fans discover real Russia is different to Oxbridge-dominated media portrayal: By Bryan MacDonald, RT, Jun/18/2018, https://on.rt.com/97vs
いつもブログを拝見させてもらっています。
返信削除私もロシアW杯をテレビ観戦で楽しんでいる者のひとりですが、先日のセルビアVSスイスの試合でのジャカ選手、シャキリ選手のゴールパフォーマンスに怒りを感じたので、コメントさせていただきます。
両選手はコソボ出身のアルバニア人で、スイスには コソボからの移民が30万人ほどいて、彼らもその中のひとりです。
管理人様のコメントの中に「コソボの国旗を思わせるような仕草」とありますが、あれはコソボの国旗ではなく、アルバニア国旗の相当の鷲のマネをしたものなのです。
これをセルビアとの試合で見せる というのはアルバニアが目論んでいる「大アルバニア主義(Greater Albania)」の政治的パフォーマンスなわけです。
この政治的パフォーマンスに対し、FIFAがどのように対処するか、私は注目していました。このパフォーマンスをしたジャカとシャキリには1万スイスフランの罰金、2選手と一緒に同じパフォーマンスをやったアルバニア人ではないスイス人の選手選手には5千スイスフランの罰金は課されました。しかし出場停止はなし という軽いものでした。
同じように、サッカーの国際大会では2年前のEURO2016の予選でセルビアとアルバニアの対戦がありました。
この際にも アルバニアサポーターが"Greater Albania" の文言の書かれたフラッグのついたドローンがピッチ上を飛行し、それをきっかけに両国の選手が乱闘騒ぎになる という事件が起きました。
その試合は0-0のまま前半のうちに打ち切られ、没収試合となったのですが、その後の処分が セルビアにとって、実にアンフェアなものでした。
最初、UEFAは両チームに同じ額の罰金を課し、ドローンを飛ばして挑発したアルバニア側を0-3で負け という裁定をしたのですが、双方が異議申し立てを行って、スポーツ仲裁裁判所で判決が下されることになりました。
驚くべきことに、スポーツ仲裁裁判所は アルバニア側の主張を全面的に受け入れ、セルビアの訴えを排除、罰金は双方に課せられたものの、
UEFAの当初の裁定が覆り、この試合が 3-0でアルバニアの勝ち だとされたのです。結果、セルビアはEURO2016は予選で敗退し、アルバニアは本戦に進むことができました。
政治的挑発しかけた側が勝つ という誠に不可解な判決をスポーツ仲裁裁判所は下してしまったのです。
今回のFIFAが決定したスイス選手へ処分が甘いことも含めて、セルビアはユーゴ内戦以来、国際大会で 常にアンフェアな扱いを受けています。 故・ミロシェビッチ元大統領ら、ユーゴ内戦の「戦犯」とされた人たちがハーグの国際戦犯法廷で裁かれましたが、内容を見れば、大手メディアが垂れ流したセルビアを悪魔化するためのプロパガンダ情報に流された、かなり不当な内容となっています。その時から続いていますが、スポーツの国際大会においても セルビアに対する扱いは なぜかずっとアンフェアなままです。
スポーツに政治を一切持ち込んではいけない というのがオリンピックやワールドカップの大原則のはず。
コソボを独立国だと認めている国は100ちょっとで、全ての国連加盟国が認めたものではない。それなのに、FIFAやUEFA, として前回の五輪からコソボが国として参加を許されています。
スポーツの中にも どす黒い政治的な思惑、圧力、不公平さ がまさにあり、それが見えるのおかげで、私としては 純粋に競技を楽しめなくなっているのが 実に残念でなりません。
すみません、上のコメントに誤字(変換ミス)がありました。
返信削除正しくは
相当の鷲=双頭の鷲 です。
Kumiさま
削除一騒動を起こした例のアルバニア系スイス選手に対してその後FIFAが下した懲罰の件、詳しい内容をインプットをしていただき、有難うございます。
FIFAという団体や本大会に出場する各国のナショナルチームにはそれぞれ定款とか理念とかが存在し、そこではスポーツマンシップを高らかに謳っていることと推測します。しかしながら、一旦政治が絡みますと、実際の競技の場ではそれとはまったくかけ離れた出来事が起こってしまいます。
国連憲章や国際法が順守されない国際政治とまったく同根の理由が背景にはあるのでしょうね。残念なことです。
そうした政治的メッセージを持ち込んだ西側や思いがけないほど軽い懲罰で臨んだFIFAにとっては今回のロシア大会は、興業収入を除いては、大失敗になりそうです。要するに、大会を見に来た外国からのファンの間では予想以上にロシアに好意的な感想が寄せられているからです。大会の終了までにはまだ半月程ありますので何が起こるかは分かりませんが、現在の傾向が続けば、庶民の力で新冷戦を緩和する方向に向けるような新風を期待することができるかも知れません。あるメデイアの記事の読者はそのコメント欄に「このロシア大会後には、ロシア恐怖症が和らぐのではないか」と言っていますが、そのような新しい傾向を生み出して欲しいと思います。
Kumiさま
削除ゴールを祝って行われた「双頭の鷲」を形どった仕草の件、コメントしていただき、有難うございます。
読者の皆様へ:
「コソボの国旗」は間違いで、「アルバニアの国旗」でした。ここに謹んで訂正致します。