先日はシリアのアサド大統領とのインタビュウの内容を掲載した(9月23日付けの「アサド大統領 - シリア内戦の原因はISISや西側のプロパガンダにある」)。あのブログはアサド大統領の考えを読者の皆さんと少しでも多く理解し、共有したいと思って掲載したものだ。
シリアをもっと知ろうという流れの延長線上にあると思われる記事
[注1]
がひとつ見つかった。
これはロシアとシリアのふたつの国の国籍を持つ25歳の青年がシリアで親アサド系の自警団に参加して戦った際の体験談である。この体験談は通常のメディアではなかなか報道されることがないシリア国内の一端を描写する貴重な情報であると私には思える。
我々は毎日のように膨大な量の情報にさらされている。一日が始まり、その日の情報に分け入ると、一個人としてはその量に圧倒されてしまうのが落ちだ。そして、その大部分は高度に工業化された情報産業によって産み出されたものであることを思えば、一個人が立ち向かうには余りにも非対称的である。また、一般市民の目線から見て選りすぐられた情報というのは稀にしかなく、多くはメディアが推奨したい筋書きに沿った情報である。好むと好まざるとにかかわらず、これが現状である。
今日はこの記事に注目して、25歳の青年がシリア国内で民兵として体験した内容を皆さんと一緒に共有してみたいと思う。もちろん、我々が彼自身の思いや願いに少しでも共感することが出来るかどうかは個人の判断次第である。
<引用開始>
メディアにおいては、あれこれの理由でISISへの参加を目指して世界中から集まって来る人たちの話を頻繁に目にする。それと同時に、この新たな疫病と戦っている人たちに関しては何ら知る術もないのが現状だ。我々は最近ダマスカスから帰ってきたばかりの25歳の青年、ミケル・ミザーと話をすることができた。彼はロシアとシリアの国籍を持っており、親シリア政府派の自警団「シャビハ」に所属して、反政府派の武装勢力と戦ってきた。
シリア人が日頃シリア政府やバシャル・アサド大統領、イスラム国ならびに将来に関してどう思っているのかについて彼は喋ってくれた。
- どうしてあなたはシリアへ行こうと決意したんですか?
– 親父がシリア出身なんです。毎日のように話をする親戚が今でもたくさんあって、基本的には私らは同時にふたつの国に住んでいるみたいなものです。私らはキリスト教徒です。僕のまたいとこはシリア軍で戦っていますし、僕の叔父と叔母は非戦闘員でしたが、2012年にカラムンで殺されました。
だから、ニュースを観る度に僕ははっきりとはしないけれども一種の困惑に襲われていました… 3年間、僕は現地へ行きたいと思っていましたが、決まって何らかの不都合が出て来ました。つまり、家内とか、仕事とかです。今回、すべての条件が初めて整って、出かけることが出来たのです。
- 「アラブ」の春」が始まった当時、あなたの家族はどんなふうに反応しましたか?
– 最初は、僕の家族は反政府派に好意を感じていました。しかし、やがて、世俗的な反政府グループの中に強硬派が現れ、彼らはトルコやアラブの王家の利権のために動いていることが少しずつ明白になってきました。それに加えて、イスラム化への道筋が当初から見えて来ましたので、これが心配の種でした。
ほとんどすべての普通の人たちと同様に、僕の家族や友人たちならびにシリアにいる知人らはワッハービ派や一般的に言って宗教的過激派に対しては強く反対していました。
シリアにおいては戦争は必ずしも「反アサド」ということではなく、「反文明」という感じです。ISISは文字通り奴隷を使い、市民を虐待し、キリスト教徒には中世の税金を課し、シーア派やアラウィー派をその場で殺害してしまいます…
個人的には、あなたはシャリア法にしたがって生活したいと思いますか?シャリア法の下では、喫煙や飲酒をしたとして殺されるかも知れません。あるいは、細身のジーンズを身に付けたとして、街の広場で鞭打ちの刑に処せられるかも知れません。誰もそんなところに住みたいとは思わないですよね!
もしもダマスカスが陥落したら、そんなことが起こるという事を我々はよく承知しているんです。ラッカではもうそういう状況になっている、と地域住民が言っています。依然としてバスが走っていますから、アサド政権に代わる政権が樹立された場合はどんな状況が到来するのかが伝わって来るのです。
ダマスカスでは20歳になったばかりの少女と出あいました。彼女はそれまでの3か月間ISIS の奴隷でした。司令官の一人が彼女を妾として買い入れたのです。しかし、彼は戦死して、彼女は「遺産」として彼の後継者に引き継がれました。彼女の親戚がようやくのことで彼女を買い戻してくれたのだそうです。
- ダマスカスではどこへ行ったらいいのか分かっていましたか?あなたを待ち受けている人はいましたか?
– もちろんです。出発の約2ヶ月前、家族の友人を通して、「シャビハ」自警団で将来の僕の司令官となる人物と連絡を取っていました。この自警団は2012年に国連によって「人道に対する罪」で非難された例の「シャビハ」です。
2か月間にわたって僕はこの将来の司令官に自分のことについていろいろと話をしました。僕が何者であるか、どんな働きをすることができるか、どうしてシリアへ行きたいのか、等です。そして、彼の方からは現地では今何が起こっているのか、僕は何をすることになるのか、その他にもさまざまなことを教えてくれました。
僕は陸軍に入ることも出来たんですが、僕は家族の間ではたったひとりの収入源であったので、徴兵の順番は一番最後の方になっていたんです。また、ほんの短期間だけ入隊するわけにもいきません。僕のまたいとこはもう3年にもなりますが、家族に会いに帰って来ることさえもありません。彼がいる前線では何時も激しい戦闘が続いているからです。
- あなたの自警団はシリア人だけですか?それとも、国際色豊かな寄せ集めですか?
– レバノンやイランからも来ています。もしシリアがやられたら、次は自分たちの番になると彼らは十分に理解しています。彼らはシリアへ軍事顧問や武器を送ってきます。いわゆる「シーア派の悪の枢軸」のすべてが我々を支援してくれているんです!
それ以外の国についてはどこそこの国からやって来たという戦闘員は僕は見たことはありません。在ロシア・シリア大使館はこのようなことは認めてはくれないのだと思います。多分、これは数年前に起ったいわゆる「ロシアからの外国人部隊」についての噂が効いているんだろうと思います。この部隊はザンクト・ペテルスブルグのある企業によって雇用されたものです(公式には、パイプラインか何かを警護することがその役目 - 編集者)。しかし、彼らがダマスカスへ到着すると、外国人部隊という役割に関してロシアの外交官からイチャモンがついて、この「外国人部隊」は帰国させられ、何人かは起訴されたのです(ロシアの法律によると、外国の戦争で戦うことは可能ではあるが、そうすることによって給与を受け取ることは出来ない - 編集者)。
一般論として、シリアのために戦闘に加わることはシリアの国籍を持っているか、政府との特別な合意が成立している場合だけに限られます。しかし、イスラム教徒は世界中から集まって、集団を成してシリアを攻撃しています。
- ダマスカスについてのあなたの印象はどうでしたか?
– 僕はダマスカスの国際空港に到着しましたが、最初に目についたのは夥しい数の兵士や民兵でした。しかし、一般市民の生活は続いており、定期的に臼砲による攻撃があるとは言え、街の中心部では何の恐れも感じないで市民らは通りを歩いています。
キリスト教徒地域では、状況はもう少し複雑になってきますが、店舗があって、それらは依然として開いています。僕の部隊はそういった地域のひとつにありました。ダマスカスの北東部の郊外です。この地域は反政府派のイスラム教徒によって占領されているドゥマ地域の反対側に当たります。この地域には宗教心のあつい急進派が常に住んでいましたから、たとえ武装した急進勢力の温床になったとしても、それは驚くには当たりません。
しかし、僕が到着した頃までにはこの地域は長い間すっかり包囲されて、敵はそこから逃げ出すことも出来ないような状況にありました。ですから、僕の戦争は、シリアの北部で起こっている戦闘と比べると、比較的容易いものでした…
- 「民兵」と言うと、ごっちゃまぜの部隊であって、着るものや武器はそれぞれ違うと想像してしまいますが、「シャビハ」もそんな感じですか?
– もちろん、そんなではありません。第一日目に、僕は標準的な武器や制服を支給され、僕たちの使命について説明を受け、自分たちの持ち場につきました。食糧は十分にあります。でも、これは、まあ、大きなストレスの下でもたくさん食べられるならばということですが…
料理はすべてがあの地域独特の料理で、肉や豆類、さまざまなデザートです。二日毎にひと箱のタバコが与えられましたが、あのタバコはえらく強くて、十分すぎるほどの量がありました。それだけではなく、地域住民が毎日にように料理を運んで来てくれました。何と言っても、「シャビハ」や軍隊は地域住民にとっては最大の頼みの綱だからです。
いくつかの町では、多分、制服や武器は入手できるものは何でもかき集めて、軍隊と連絡をとり、自分たちの部隊はこれで民兵になったと宣言することになるんでしょう。地方では兵站に不足することもあると思います。でも、ダマスカスではそういった観点から見ると、立派なものでした。自警団は給料は貰えません。その代わり、アサド政権は民兵の家族にはさまざまな恩典を用意しています。
- 軍隊と自警団との間の全体的な関係はどのような感じですか?
– 自警団は軍隊の指示に従います。反政府派は「シャビハ」のことを野蛮人の集団だと好んで形容します。政府は自警団をただ単に名目的にコントロール下に置いているだけであって、自警団はその地位を利用して市民を襲ったり、強姦すると… もちろん、このような描写は本当の話とはまったく無縁です。
一般市民が政府軍によって殺害されることも実際にあります。不幸なことには、こういう状況は市街戦では現実に起こり得ることです。時には不可避です。特に、イスラム武装勢力が一般市民を楯として活用すると、なおさらのことです。しかし、もしも我々が敵軍を支援する連中を皆殺しにするという方針を本気で採用したならば、ドゥマ地区はとっくの昔に破壊されていたでしょうね。一日もあればタンクを差し向けて潰してしまうことが可能です。これは頭に血が上った連中が大分前から主張していたことですが…
しかし、アサド大統領はそのような考えを嫌っています。それとはまったく反対になりますが、アサド大統領はISIS の支配地域となっている町の職員にさえも給料の支払いを続けています。
何故かと言うと、我々は大虐殺を望んではいないからです。我々の仕事は国を再統合することです。ですから、それぞれの任務に就く前には、我々はどのような状況においても一般市民を撃ってはならないという指示を与えられます。一般市民が死亡すると、何時も調査が実施され、必要とあれば軍事法廷に回されます。
- 「シャビハ」と軍隊との関係についてもう少し喋ってくれませんか?
– 軍隊が任務を与えます。すべての関連情報や支援を提供してくれます。さまざまな指示事項も与えてくれます。
軍隊が訓練を施すことができない場合は、アサド大統領の許可の下で「ヒズボラー」が訓練をしてくれます。遠隔地では、多分、自警団は呼ばれれば直ぐにでも応えられるような状況にはないかも知れませんが、全然応答をしないとその部隊は自警団とは見なされなくなります。
換言すると、自警団は軍隊の自然な延長線上に位置づけられています。相互の連絡は部隊の司令官が行います。作戦要求はすべてが軍隊ならびに、場合によっては、町や市の役所によって詳しく吟味されます。単なる思い付きが実行されるようなことはありません。
たとえば、自衛の計画を実行するために民家を壊さなければならないと自警団が判断した場合、我々はまず市役所から許可を貰わなければなりません。もちろん、時にはそうする時間がないこともあります。そのような場合には、事後になってしまいますが、詳細な報告をすることになります。
自警団の隊員たちについては、僕の司令官は軍隊で軍曹として4年間も勤務していましたが、負傷してから自警団へ移って来たのです。一般論としては、自警団は志願者で構成されていまして、特に立派な働きをした隊員は軍隊へ配属されます。
- あなたの部隊には何人の隊員がいましたか?
– 全部で21人です。自警団は、通常、地元住民で構成されることになっていますが、アレッポからやって来た3人のキリスト教徒、ISISを避けてダマスカスへ逃げて来て自警団に加わったドゥルーズ派のふたり、レバノン人の志願者がひとりいました。
隊員の間には軍隊特有の兄弟愛みたいな強い雰囲気がありました。ですから、宗教的な違いやいじめみたいなものはまったく見られませんでした。我々の敵は誰かを皆がよくわきまえていましたから、すべての憤怒やエネルギーはそちらへ向かっていました。我々の間には「アラブの春」が始まった頃には反政府デモに加わった連中が何人かいましたが、今や、彼らにとってはアサド大統領は預言者みたいな存在です。どこの部隊へ行ってもそんな感じです。
シリアへ出かける前、僕はソビエト時代の映画で観る「我が祖国!」とか「同志スターリンのために!」といったスローガンはテレビのための作り事だと思っていました。しかし、ダマスカスでは、市民らが「神よ!シリアよ!バシャールよ!」とか「俺たちの血と魂をバシャールのために!」と叫んでいるのを自分の目で見たことがあります。
- 自警団にとって重要な課題とは何でしょうか?
–(職業軍人ではない志願兵にとっては)自警団は止むにやまない気持ちから生まれたものではありませんが、軍隊は内戦の初期に数多くの男たちを失いましたので、そのギャップを埋めるためにも何らかの補充組織が必要だったのです。
今や、自警団は巧みに作戦を実行することが出来ますし、我々は個々の守備位置を維持します。たとえば、イスラム勢力のど真ん中に打ち込んだ「楔」のような場所で、あるビルの中で、一週間も過ごしたことがあります。
過激派の連中はそれぞれがどの組織に属しているのかは僕には分かりません。多分、ISISかも知れないし、別の集団かも。でも、それはそれほど重要ではないんです。連中はある組織から他の組織へとしょっちゅう渡り歩いていますから。
- さて、あなたは初日から前線へ放り込まれたんですよね。あなたの司令官は事前に何らかのテストをしたんですか?
– いやはや、あの時はいささか可笑しな状況になってしまいました。ずっと前になりますが、僕は予備役訓練のコースを修了していて、狙撃兵として登録されていました。しかし、我々が自分たちの守備位置についた時、僕はそれほどの射手ではないことがすぐに明らかになったんです。僕は100メートルほど離れた場所の樽の上に置いた空き缶に命中させることができなかったんです。
その結果、僕は普通のライフル・マンとなりました。歩兵ですよね。小さな部隊ですから、ランクなんて何もなくて、司令官か歩兵かのどちらかです。
はい、その通りです。初日から前線でした。むしろ、最初の晩からと言うべきでしょうか。日中は40℃以上にもなって、暑くなりますから何をするにしてもなかなか大変でした。
我々の主たる任務は暗くなるまで敵が眠りにつくことを妨害することでした。つまり、夜中にあまり活動して貰っては困るからです。
戦闘は午後の6時から7時頃に始まります。この頃、日中の暑さが低下し始めます。しかしながら、僕の司令官が話してくれたことですが、我々の地区で起こるもっとも激しい戦闘でさえもシリアの北部での戦闘には比べようもありません。北部地区ではイスラム武装集団は重火器やタンクを使い、時には爆薬を満載した自爆トラックを使うことさえもあるんです。
我々は一週間のうちに6人もの隊員を失いました。でも、あれは彼ら自身の失敗が招いたものです。北部の前戦では一晩に300人もの戦死者を出すことさえあります。
- その6人はどうして戦死したんですか?
– 僕が到着した二日目のことでしたが、連中は隣の部隊の支援のために出かけたのです。その部隊はイスラム勢力から一軒の民家を奪いました。武装集団が逃げ出した後で、連中はその建物へ入って行ったのです。
指示書は常にこう言っています。先ずは工兵を先行させよと。これはイスラム武装兵力は自分たちが立ち去る前に決まったように地雷を仕掛けるからです… 彼らはこの指示内容をすっかり忘れていました。間違いを仕出かして、吹き飛ばされてしまったのです。
- あなたの敵は何処からやって来ているのかを知っていましたか?
– 三日目の夜、一人の民兵を捕まえましたが、彼はアレッポ出身のシリア人でした。彼はISIS
に参加していたことを認めました。隣の地区で、彼はあるアルメニア人一家を殺害していました。母親と4歳の娘の喉を切ったのです。彼は自警団から逃れようとしている時にこの被害者のアパートへよじ登って、侵入したのです。
彼はさらにドゥマ地区へ逃走しようとしましたが、彼は地元民ではないので道に迷ってしまったのです。そして、我々の守備地域へ迷い込んで来ました。その後、彼の運命はどうなったかを知りたい方には、大丈夫、彼は生きていますよ。我々は彼を憲兵隊に引き渡しました。
- 彼はアレッポ出身であることをあなた方はどうやって知ったんですか?
– アクセントです。アラビア語は中東のラテン語みたいな言語です。皆がこの言葉を理解することが出来ますが、誰もがその地方独特の方言を使っています。
正しい、純粋なアラビア語を喋る男がいたとしたら、彼は高等教育を受けているか、シリア人やアラブ人ではなく、アラビア語をコーランから学んだかのどちらかです。これは僕がソ連崩壊後の国々からやって来た移住者たちの素性や武装兵力の中にいるコーカサス出身者を識別した方法です。こういった連中はたくさんいて、彼らはもっとも残忍でしたよね。
- 遮蔽物もない場所で機銃弾が飛び交う中を突入するんですって?
– それもです… あの捕虜を確保した後の夜のことでしたが、イスラム武装勢力は我々の家屋を奪おうとしました。奴らはソ連崩壊後の国々からやって来た連中です。「アラーは偉大なり!」と叫んだり、何の遮蔽物もない場所で銃弾が飛び交う中を横切って、イスラム戦士の勇敢さとかを叫んでいました。
恐らく、連中は酔っぱらっていたか、ヤクを打っていたのかも知れません。カリフの地では将軍らは飲酒やヤクを禁止しており、最悪の場合は死刑に処せられます。あの日、30人から40人ほどの武装集団から攻撃を受けましたが、その内10人前後を殺害しました。
- 戦闘は恐ろしかったですか?
– 主に到着時には怯えていました。と言うか、むしろ、恐ろしさを感じるということとはちょっと違って、何となく孤独な興奮状態みたいなものです。すべての感覚が封じられて、つんぼになったような状態でそこにいる。しかし、撃ち合いが始まると、恐れている暇なんてもうありません。
しかしながら、時には、前線へ出てから自分は戦うことが出来ないと初めて自覚する人がいます。戦闘中、こういう人たちは茫然自失の状態に陥って、何をすることもできず、人の言う事も聞こえない… 彼らは速やかに後方へ戻され、必要な支援を受けます。たとえば、病院へ送り込まれます。これは大したことではありません。もっとも重要なことは彼は前線へ出て来て、市民を助けようとする勇気を持っていたという点にあります。
- 自分の冷静さを保つためにあなたはどんなことをしていましたか?
– 自分が今行うことを喋ることにしていました。声には出さなかったり、大声で喋ってみたり… これは気持ちを集中させるのに効果的でした。たとえば、こんな風に独り言をいいます。「逃走している敵兵がいる。周囲の安全をチェックし、狙いを付けて、撃たなければならない…」 「戦闘は終了した。司令官に報告しなければならない。」
このやり方は非常に有益でした。戦闘の後は、一種の禁断症状みたいな状態に陥って、タバコをたくさん吸ったものです。手は震えていました。
現地へ到着した最初の晩には、敵が携帯式ロケット弾をこちらの建物に撃ち込んで来て、壁から引きはがされた一片のレンガが僕の肩に当たったので、僕はパニック状態になりました。怪我をしたと叫び始めましたが、我々の部隊は全員が退却を始めたのです… 「トロツキーみたいな嘘」というロシア語の表現に相当するアラビア語版を学んだのはこの時でした。あの打撲による傷痕は今も残っていますよ。
- 一般論として、緊張状態を維持できないような瞬間はありましたか?
– 丸々1日半も続きました。その後、5日目のことでしたが、僕はトンネル戦を体験しました。自分たちの家屋を防御している際に、イスラム兵が我々の目と鼻の先でトンネルを掘っていたんです。
いったいどれだけの時間を要したのか僕には分かりませんが、多分、1ヶ月、あるいは、それ以上かも知れません。すごく良く晴れていた日に、連中は我々の背後に現れて、4階建ての建物を確保したんです。周囲はみな2階とか3階建てですから、あの地域ではもっとも高いビルです。
もちろん、そちらには狙撃兵や機関銃兵がいました。我々はみんな囲まれてしまいました。もしもそうしたいならば、弾丸が飛び交う中を200メートル程走るという選択肢もありましたが、誰もそうしようとはしません。
その代わり、我々は軍の本部と連絡をとったところ、解決策を見つけてくれるとの話でした。1日半もかかりました。装甲車を持ってきてくれたのです。それから、襲撃チームひとつと我々の部隊みたいなのがふたつやって来ました。
まず、そのビルは重火器に晒されて2時間もするとスイスチーズみたいに穴ぼこだらけになりました。それから、我々は四方八方から攻撃をかけたんです。
その結果、我々の司令官は指を一本失いましたが、8人のイスラム兵を殺害しました。ビルの中にはもっと何人かいましたが、機転がきく連中はトンネルの中へ逃げ込んでしまいました。そして、しばらくすると、僕の軍隊経験は終わりとなりました。家へ帰らなければならない時が来たのです…
- あなたの救援が間に合って本当に良かったですね。地域住民とも話をしたと思いますが、彼らはこの戦争をどんな風に受け取っていますか?
– 誰もがすっかり疲れ切っています。でも、イスラム勢力が勝利を収めると非常に困難な時がやって来ることは分かっていますから、彼らはアサド大統領を支持しています。
ISISは捕虜をとろうとはしません。もしも連中に取り囲まれたら、降参なんて考えずに、可能な限り敵を倒すしかありません。
反政府の世俗集団でさえもが今や政府からの恩赦の提案を活用しています。これはイスラム武装勢力によって殺害されないための策なのです。極貧の市民たちだけが依然として宗教的
過激主義者の方を支持しています。
最近のニュース報道とは異なって、難民の大半はシリア国内に留まっています。政府は難民キャンプを作ろうとはせずに、公共の建物に収容しようとしています。
裕福な難民はイランやレバノンへ逃れ、そこで自分たちのビジネスを継続しています。彼らよりも貧しい連中はEUを目指す傾向にあります。
膨大な借金や経済の崩壊にもかかわらず、シリアは巨額の金を社会福祉部門に充当しています。保育所や学校、病院、等を建設しています。ISIS のコントロール下にある市役所で働く職員にさえも給料を払っています。
ワッハーブ派は自分たちの国家を樹立しようとしていますが、プロの職員が欠如していることから占領した都市を維持するためにはシリア政府の職員に頼るしかありません。何人かの職員は狡猾そのものでして、ダマスカスとラッカの両方から給料を貰っています。一般に、アサド大統領は、テロリストたちとは違って、シリア政府は市民を大事にするという事実を証明するためにもあらゆることを実施しようとしています。
- あなたはISISについて話をしていますが、実際問題としては幾つもの違った集団があります。地域住民はそういった違いは気にしないんですか?
– あなたの首をはねるような連中の間にどんな違いがあるんですか?
軍はそのことについて記録をとっています。軍にとってはどの集団となら一時的な停戦を結ぶことができるのかを知っておくことが非常に重要なんです。歴史家や学者たちもこの調査に加わっています…
「自由シリア軍」(FSA)もいますが、彼らは反政府勢力の10分の1にもなりません。地域住民たちはそれ程彼らと連携を持とうとはしません。地域住民の要求はすべてが次第に叶えられてきています。イスラム勢力に対抗するためには、アサド大統領は市民との対話を確立する必要があるのです。
FSAはアサド大統領の退陣を要求しています。何故かと言いますと、公正な選挙を実施するとアサド大統領が勝ってしまうからです。このことを皆さんは理解しているんでしょうか?
- 地域住民はイスラム勢力に関して地元のメンバーと外国からやってきたメンバーとの区別をしているんでしょうか?
– はい、それは重要なことなんです。外国人のメンバーは地元民の慣習に唾を吐きかけたりします。そいった態度が極端になったことから、ラッカ近傍のベドウィンは当初ISIS
を招じ入れましたが、今はアサド大統領の下に走っています。彼らはラッカの新政権の下では生活することができないと判断したのです。
イスラム武装集団が新たな都市をその勢力下に置くと、難民の流出が始まります。僕が話をした自警団のメンバーは我々の使命は我が祖国に積もり積もった汚物を排除することだと言っています。みんなはこの内戦がシリアで起こり、資金を提供してきたサウジアラビアやトルコならびに米国では起こらなかったことを非常に残念に思っています。
- サウジアラビアに対する一般的な態度はどんな感じでしょうか?
– 内戦の前でさえも、湾岸諸国は何処もサウジを嫌っていました。彼らは依然として中世のような生活をしているからです。ラタキアでは、たとえば、あるカフェの入り口には「犬とサウジアラビア人はお断り」という立札が掲示されています。
サウジアラビアは彼らが持つ残虐さや後進性および野蛮さのせいで嫌われているんです。また、それだけではなく、膨大な石油資源に基づいた、文化的な味にはまったく欠けた自尊心もそれに加わります。シリア人は、それとはまったく対照的に、自分たちは古代からの文明を受け継いでいるんだと自負しています。
- そして、ロシアについてはどのように受け止めていますか?
– アサド大統領の支持者はロシアのことを良く思っています。これはソビエト時代から続いており、今はなおさらのことです。しかし、もしもあなたがスラブ人だあったり、あなたの妻がスラブ人であったりすると、あなたは間違いなくISISに殺されるでしょう。何故かと言いますと、チェチンでの戦争後、急進的なイスラム教徒にとってはロシアは最大級の敵のひとつとなっているからです。
- 分かりました… 部隊のみんなとお別れするのはつらかったでしょうね?
– 僕は気恥ずかしい思いをしました。僕にはこれから帰るべき場所があるんですが、連中にはないからです。何と言っても、みんなとすっかり友達になっていましたからね。来年は、もう一度出かけたいと思っています。あそこへ行った時には、敵は不死身のようだとさえ思っていました。ですが、イスラム武装勢力の能力は誇大宣伝されていることが分かりました。彼らもみんなとまったく同じように死ぬ時は死ぬんです。
- この内戦は1年以内に終わると思いますか?
– もちろん、そうは思いません。内戦を終わらせるには、シリアはトルコとの国境地帯やゴラン平原との国境地帯をコントロール下に収めることが必要となります… もしもイスラム武装勢力の流入を阻止することが出来さえすれば、我々は国内の武装勢力は速やかに制圧することができるでしょう。
トルコやサウジアラビア、イスラエルおよび米国はイスラム勢力を支援し、武器や資金を提供し、彼らから石油を買い上げている事実をシリア人は皆が知っています。一般に信じられているところでは、これらの国々は「世俗的な反政府勢力」だけを支援している筈なんですが、支援物資は共通の場所に集められ、FSA がそれらの武器を他のグループに分配します。(編集者の注:FSAの幾つかの部隊が「トルコ国境における武器庫を運用しており、CIAからの武器を再販することによって莫大な利潤をあげている」と言われている。)
それと同時に、もしもシリア側に対して飛行禁止区域が設定されたとしたら、シリア政府軍は敗退するかも知れません。トルコは大っぴらにイスラム勢力を支援し、「反ISIS同盟」は大ぴらにシリアを攻撃しています。
- ロシアへ帰国して、何らかの違いを感じていますか?
– こちらではどうしてこのように平常に過ごすことができるのか、僕には分かりません。安らかに眠ることができるし、ごく普通に夢を見ることもできるんです。現地では、すっかり疲れ切ってしまった時にだけ眠りにつくことが可能です。今、こちらでは、僕は爆竹を投げる連中を嫌っています。足を降ろそうとする場所には地雷が仕掛けられてはいないかどうかをいちいち確認しています。
でも、とにかく、ISIS に対する戦いではどんなに小さなことでもいいから何かの役に立ちたいと思っています。ただ座っているわけにはいきません。僕のまたいとこは、シリアの北部では毎日が「プライベート・ライアン」の映画のようだと言っています。両陣営に甚大な損失を招いています。どちら側も相手に対して同情心なんてありません。通常、捕虜なんて捕りません。両者とも、お土産に死者の耳を切り取ったりします…
- あなたは戦友やイスラム勢力に対して何か言いたいことがありますか?
– 自警団や兵士の皆さんへ: 一般市民は皆があんたたちを支持しているよ。
イスラム武装勢力へ: インタビュウの最後に君たちに向けて「あんたたちは全滅だぞ!」なんて言うのは悪趣味だと僕だって思うよ。でも、カリフの地で戦うには徹底してバカになる必要があるんだ…
冗談をひとつご披露しましょうか。
自警団の兵士らがひとりのイスラム戦士を捕まえました。彼は「13:00に殺してくれ」と頼み込んできました。皆が「何故その時刻なんだい?」と訊き返します。彼は「預言者モハメッドや他の殉教者たちと一緒に昼食をとりたいので、それに間に合わせたいんだ」と言います。
士官は彼を14:15に処刑するようにと命じました。皆が聞き返します。「どうしてですか?」 士官いわく、「せめて、皿洗いには間に合わせてやりたいからさ。」
P.S. ミケルは写真を撮ることには応じてくれなかった。「イスラム急進派に自分の素性を識別されたくはないからです」と、彼は言った。
—
このインタビュウはアルトウール・アヴァコフによって行われ、先ずはMK.RU: http://www.mk.ru/politics/2015/09/08/spasti-bashara-asada-otkroveniya-dobrovolca-o-voyne-v-sirii.htmlにて公表された。(ロシア語版)
<引用終了>
これで、この記事の仮訳が終了。
最近のニュース・メディアの記事によると、ロシア空軍のシリアへの介入によって、トルコとシリアとの国境周辺やシリア北部は実質的に飛行禁止区域になったと報じられている。また、トルコとの国境地帯だけではなく、シリアの空域全体がロシア空軍のコントロール下に置かれて、今や他国にとってはシリア全域が実質的に飛行禁止区域になったと… [注2]
これが持つ戦略的な意味は何かと言う点で、この引用記事が具体的に合点させてくれたような気がする。
ミケルは次のように指摘している: 「…内戦を終わらせるには、シリアはトルコとの国境地帯やゴラン平原との国境地帯をコントロール下に収めることが必要となります… もしもイスラム武装勢力の流入を阻止することが出来さえすれば、我々は国内の武装勢力は速やかに制圧することができるでしょう。」
また、南部のゴラン平原との国境に関しては、イスラエルのネタニヤフ首相がモスクワを訪問し、プ―チン大統領と会談した。9月21日のことだった。報道によると、両国は軍事的な誤解や衝突を回避するためのメカニズムを設定することで合意したという
[注3]。
これらのふたつの報道はまさにミケルが言っている戦略に符合して来る。現地では軍事的ニーズによる戦略の詳細が自警団の末端にまで届いているように感じられた。電子メールやツイッターが多用されていることだろう。このような軍事的戦略は、その性格からも、ミケルの単なる個人的な見解ではないことは容易に推測される。
ミケルはこうも言っている。「FSAはアサド大統領の退陣を要求しています。何故かと言いますと、公正な選挙を実施するとアサド大統領が勝ってしまうからです。このことを皆さんは理解しているんでしょうか?」
さらには、「…我々は大虐殺を望んではいないからです。我々の仕事は国を再統合することです。ですから、それぞれの任務に就く前には、我々はどのような状況においても一般市民を撃ってはならないという指示を与えられます…」 という彼の報告は素晴らしいではないか。
以上に記された要素以外にも重要な事柄はたくさんある筈だ。また、予測をしなかったことが起こるのが政治の世界である。
今後の展開を見守っていきたい。
参照:
注1: A Russian-Syrian volunteer talks
about his experience in the “Shabiha” pro-Assad paramilitary: By The Saker,
Translation by: Tatzhit Mikhailovich, Sep/16/2015, thesaker.is/a-russian-syrian-volunteer-talks-about-his-experien...
注2: Putin’s “Endgame” in Syria: By Mike Whitney, Oct/09/2015, www.counterpunch.org/2015/10/09/putins-endgame-in-syria/
注3:
Netanyahu:
Israel, Russia to Coordinate Military Action in Syria to Prevent Confrontation:
By Barak Ravid, Haaretz, Sep/21/2015
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