2015年12月11日金曜日

超高価な古ワインを鑑定するためにセシウム137を活用 (その2) 



表題の件について、先日、「その1」を掲載した。

この記事でもっとも面白いと感じた点は、幾つかある中でも、米国の超富裕階級の蒐集家がどんな気持ちや意図をもって1本の古ワインに12万ドルにもなる金をかけたのかという点だ。一言で言えば、それは周囲の人たちに自分が蒐集した稀少なワインを見せて自慢することにあったのだ。また、偽物を掴まされて怒った蒐集家は詐欺師を見つけだして、法廷へ引っ張り出すことに執着し、その当人を探し出すためにそれらの偽物古ワインを購入するのに要した額の2倍もの費用をさらにかけたという。百万ドルという金額は当の蒐集家にとってはほんのポケット・マネーに過ぎないのかも知れないが、この辺りの心理状態も非常に興味深い。

さて、さっそく、その後半 [1] に移りたいと思う。


<引用開始>

非常に勇敢な偽物作りもいる。彼らは実際にはオリジナルとはまったく別のワインに入れ替えてしまう。レストランあるいは古物商で空瓶を集め、本物のラベルが付いた本物の瓶を使い、まったく別の種類のワインまたは同種のワインを詰め替え、コルクやカプセルを取り換える。身分にこだわる買手はワインの味なんて決して分ってはいないんだという想定である。多くの場合、この想定は正しい。サットクリフの推測によると、偽物ワインの殆んどは買手を多いに喜ばせてその使命を終える。ラス・ヴェガスでレストランを経営している著名なビジネスマン、ラジャット・パールが私にこんな話をしてくれた。何でも数年前のことだそうだ。彼の顧客が1982年もののペトリュスを注文した。この銘柄はレストランでは6千ドルもの価格がついている代物だ。このお客さんたちは1本を開けて、2本目を注文した。しかし、この2本目は、はっきり言って、まったく違う味がしたので、このボトルを突っ返してきた。レストランのスタッフはお詫びの言葉を述べて、3本目を提供した。お客さんたちはこのボトルを多いに楽しみ、空にした。パールはこれらの3本を詳しく調べてみた。その結果、例の2本目は本物であることが判明したのである。 
もしも「Th.J.」ボトルが偽物であるとしたら、誰かが所有していた本物の18世紀のワインをトーマス・ジェファーソンのボトルだと称したのだろうか、それとも、ワインそのものに実際に混ぜ物をしたのだろうか、といった疑問にジム・エルロイは直面した。ブロードベントやその他のワイン通たちは、事実、何本かのジェファーソン・ボトルの味見をしており、それらのボトルは間違いなく本物だと宣言していた。もうひとりのマスター・オブ・ワインの称号を持つジャンシス・ロビンソンはファイナンシャル・タイムズでワイン関連のコラムを担当しているが、彼女は1998年のイケムの試飲会に参加し、「Th.J.」ボトルは「疑いようもなく古い」ワインであり、最初は僅かながらカビ臭い感じがあったが、その後は「偉大な古ワインが持つ奇跡」が開花し、1784年ものは「女性的なバラの香り」を漂わせ、1787年ものは「カラメルや下生えによる秋の芳香」を醸し出しているようだったと形容した。
しかし、ブロシェは私にこう言った。試飲会においては専門家たちは、往々にして、平均的なワインの愛好者に比べて自分自身の経験や憶測によってより多くの影響を受け易いとのことだ。こういった説明に対して、ハンス・ピーター・フレリックスは科学的な試験を実施して、まったく違う見解を提供した。その試験によると、彼の1787年のラフィットは瓶の中身の半分が1962年以降のワインであることが判明した。フレリックスの試験に続いて、ローデンストックはチューリッヒに住む科学者、ゲオルゲ・ボナニ博士の支援を受けて、1787年のラフィットに関して自分のために試験を行った。ボナニ博士はワインの年代測定を行い、このワインには1962年よりも若いワインはまったく混入されてはいないと断定した。こうして、彼はフレリックスが実施した研究の成果とはまったく異なる試験結果を得たのである。ローデンストックは頻繁にこのボナニの分析結果を引用して、このボトルの鑑定によって「決定的な結論」が導かれたと主張した。しかし、これらの試験が本当に決定的なものであると断定することは困難なようだ。ひとつの理由としては、それぞれ違うボトルにお互いに異なる試験法が適用されており、1本のワインから得られた結果を他のボトルの鑑定のために外挿するのは余りにも性急である。さらには、放射性炭素による年代測定は18世紀や19世紀に瓶詰されたワインの年代を特定するにはそもそも不向きであり、ボナニ博士の研究所の報告書を詳細に調べてみると、試験結果は非常に幅の広い誤差範囲を含んでいることが分かる。この試験は20世紀後半のワインが混入されてはいないことを明らかにしたのは事実であるが、このワインが1787年ものであることを示す決定的な証拠を示したわけではない。「この試験結果が示しているのはこのワインは1673年から1945年の間に製造されたものであるというだけに過ぎない」と、ボナニは最近の電子メールに書いている。
両者が行った試験結果には懐疑的な態度をとっているエルロイはフランスの物理学者であるフィリップ・ヒューベールを探し当てた。彼はボトルを開けることもなくワインの製造年代を特定する方法を考え出した人物である。ヒューベールは放射性同位元素のセシウム137137Cs)の存在を検知するために低周波ガンマ線を用いる。炭素14とは違って、137Csは自然界には存在せず、放射性降下物によって直接もたらされた物質である。大気中核実験の時代が到来する前に瓶詰されたワインには137 Csが含まれることはなく、その時期よりも古いワインでは137 Cs は検出されないのである。しかし、もしも試験されたワインが137Cs を含んでいるならば、ヒューベールはそのワインの年代に関してはさらに詳細な推測を行うことができる。
エルロイはジェファーソン・ボトルを弾丸をはじき返すだけではなく衝撃にも強い2個のケースに収めて、それらのケースを機内持ち込みの手荷物として持ち歩き、フランスへ飛んだ。(彼はこれらの物品に関して特別な「手帳」、つまり、荷物用のパスポートのような書類を準備した。これで、彼は50万ドルにも相当するワインを持って国境を越す際にも関税を支払う必要はない。ヒースロー空港で空港の警備担当者らが彼のボトルを念入りに調べた際、エルロイは無表情に振る舞って、こう言った。「機内ではいいワインは望めないもんだからね。」) 
ヒューベールとエルロイがこのワインを試験した研究所はフランスとイタリアの国境線に沿って何マイルも走るアルプスの山々の地下にある。これらのボトルは検出装置に設定され、厚さが10インチもある鉛の遮蔽版で囲まれ、この試験には1週間もかかった。
エルロイは自分たちは今やローデンストックをついに追い詰めたも同然だと確信していた。「モンティチェロからの証拠やドイツからの証拠を手にしており、私はこの人物は詐欺師であるに違いないと99パーセント確信していた」のを彼はよく記憶している。しかしながら、ヒューベールが試験を終了した時、これらのボトルからは137Csが検出されなかった、と言った。「これが1783年ものであるのか、1943年ものであるのかについてはまったく分かりません」と、ヒューベールはエルロイに言った。しかし、何れにせよ、これは大気中核実験の時期よりも若いワインではなかったのである。
「どれだけ失望したかはとても言い尽くせたもんじゃない!」と、エルロイは私に言った。「私は歴史的な証拠を手に入れていたが、詐欺師を刑事訴追しようと思ったらそれ以上の準備が必要となってきた。何か科学的な証拠、あるいは、何か別の証拠が必要だった。それが無くしてはとても起訴には持ち込めない。」  
米国へ帰る機中でエルロイは1本のボトルを取り出して、手に取ってみた。「私はカプセルや瓶を眺めていた」と彼は言った。「私は文字が刻まれている部分を手のひらでなでていた。刻まれた文字が感じられる。その時、これは工具痕跡だと思った。これは工具で刻まれたものに違いない!」 
エルロイは米国に到着すると、さっそく、バージニア州のクアンティコにあるFBIの研究所へ電話を入れた。この研究所の射撃特性の専門家たちは工具痕跡を詳しく吟味することが専門であって、銃身が弾丸の表面に残した痕跡や窓をこじ開けた際に残されたドライバーの痕跡、等を鑑識することができる。エルロイは最近退職したばかりの専門家の名前を教えて貰った。また、ニューヨーク州北部に所在するコーニング・ガラス博物館を訪れ、そこでは、オーストリア生まれで、何代もの米国大統領のために仕事をしてきたマックス・エルラッカ―というガラス彫刻の専門家を紹介して貰った。
数週間後、パームビーチのビル・コークの邸宅でボトルを詳しく調べるために、エルロイはエルラッカ―とビル・オールブレクトという名の元FBI職員で工具の専門家を雇い入れた。エルロイが知りたかったのはボトルに刻まれている文字は18世紀にガラスへの彫刻を行う際に用いられていた車輪状の銅製のリングで加工されたものであるかどうかという点であった。ジェファーソンの時代には、銅製のリングは通常足踏みのペダルで駆動され、固定された場所で回転する。つまり、彫刻師が工具の周りでボトルを移動させて彫刻を行うのである。
エルラッカ―とオールブレクトはボトルを検査し、強力な拡大鏡を用いて彫刻された部分の山の頂を詳しく調べた。銅製のリングで彫刻された文字は万年筆で書かれた文字のようにその幅が変化する傾向にある。しかし、ボトルに刻まれている文字は不思議と均一であり、銅製のリングで彫刻を施した場合にはとても起こりそうもないような傾きを持っていた。イニシアルは18世紀に刻まれたものとは思えない、とエルラッカ―は結論付けた。代わりに、これらは歯医者が使うドリルまたはドレメル工具のようなもので刻まれたものであるように見受けられた。これは「画期的な出来事だ」と、エルロイは思った。たまたま、彼はドレメル工具を自宅に備えていた。「ワインのボトルを取り出して、ボトルにドリルを当ててみましたよ」と、回想しながら彼は言った。『1時間もすれば、「Th.J.」と彫ることができるんです。』
2006831日、ビル・コークはニューヨーク連邦裁判所でローデンストック(別名マインハート・ゲルケ)に対する告訴状を提出した。これらのワインをコークに売ったのはシカゴ・ワイン・カンパニーとファー・ヴィントナ―ズではあったが、告訴状にはワインの蒐集家に対して詐欺を働こうとして「現行の悪巧み」を仕掛けたのはローデンストックであると記されている。 「ローデンストックはチャーミングで礼儀正しい」と、告訴状は彼を描写する。「しかし、彼は詐欺の名手でもある。」 
告訴状を提出する前に、(コークはこれらのボトルを直接彼から購入したわけではないことから)コークの弁護士はローデンストックがコーク所有のジェファーソン・ボトルとの繋がりを認めるのかどうか、ならびに、彼はこれらのボトルは本物だと主張して依然として詐欺を継続するのかどうかに関して興味を抱いていた。コークは、2006年の1月、ローデンストック宛に1通の手紙をファックスで送付し、自分が所有しているジェファーソン・ボトルを鑑定しようとしていることを伝え、これらのボトルはかってジェファーソンが所有していたものであることを信じる理由があることを示す手紙を書いてくれないかと依頼したのである。ローデンストックは110日に返事をしてきた。「ジェファーソン・ボトルは完全に本物であって、パリ市内の壁で塗り固められていたセラーで発見されたものだ」と述べた。彼はボトルが本物であることはクリスティーズが保証していると述べ、ボナニの報告書のコピーを同封した。「ジェファーソン・ボトルの信ぴょう性についての議論は私に関する限りはもう終わっていることをあなたは間違いなくお分かりでしょう」 とも書いている。
4月、コークはローデンストック宛てに再度手紙を書き、「うまいワインでも飲みながらどこかで二人だけでお会いしたいものだが… これらのボトルについてお話をしたいのでお好きな場所を指定してください」と申し出た。ローデンストックはこれを断った。「法的な観点からは、購入者側と販売者側は出訴期限法によって出入りを禁じられています」と、彼は書いた。 1985年にこれらのボトルを彼に売った人物はその当時60歳代であったので、もう存命してはいないかも知れない。ボトルがほんものであるかどうかという疑問は「低俗で煽情的な新聞にとっては格好のネタ」だった。この訴えが提出されると、ローデンストックは訴訟を退けるための動きを始めた。
コークの弁護士は10月にロンドンへ飛び、マイケル・ブロードベントにインタビューをした。ブロードベントは79歳となっていたが、国際的なワイン・サーキットでは依然として活動していた。ブロードベントはボトルを発見した場所を公開するようにローデンストックに何回となく頼んだと言う。しかし、彼はジェファーソン・ボトルは本物だと言い続けた。
ある意味で、ブロードベントには別の選択肢は何もなかった。何百ものワインの試飲会に関して彼が書いた記事やオークションのカタログはハーディ・ローデンストックが提供したワインに依存していた。18世紀のワインがどんな味をするのかに関して20世紀のワイン通が証言できることはひとえに古ワインの主要な提供者の一人であるローデンストックの誠実さにかかっていた。もしもローデンストックが詐欺を働いたことが暴露されたならば、ローデンストックの発見を正当なものであるとして何度となく認めてきたブロードベント自身の信頼性も崩壊することになる。Th.J.ラフィットに関してオークションの前にどうしてもっと多くの調査をしなかったのかと問われて、彼は次のように返答した。「我々は競売人だ。期限に追われているジャーナリストみたいなもんだ。私には十分な時間はなかった。」 1985年の当時、これらのボトルに関するワイン部門の見解を強化するためにクリスティーズは何らかの書き物による証拠を残さなかったのかと弁護士が質問した。ブロードベントは書きもので残すなんてまったく念頭にも浮かばなかったと答えた。「クリスティーズとの関係においては我々は皆が完璧な紳士だった」と彼は言った。
昨年の秋、米国クリスティーズのワイン部門の長を務めるリチャード・ブリアリーはウオール・ストリート・ジャーナルのジョン・ウィルキーにこう言った。彼は1985年のジェファーソン・ボトルの鑑定には参画しなかったものの、「振り返ってみると、数多くの疑問が出てくる。」 (ブリアリーの言葉は文脈から外れて引用されているとして、クリスティーズは強く反論している。) 1985年にクリスティーズの陶器部門を率いていたヒューゴ・モーリー・フレッチャーはガラスの専門家の一人であって、ブロードベントは彼にフォーブスが購入したボトルの鑑定を依頼していたと私に喋った。「当時の私の意見は、私の経験の範囲内で言うと、あれは正しかった… しかし、問題は厳密には科学とは言えない分野での活動に我々が関与していることだ。」 あのボトルは18世紀のものであると彼が判断し、ガラスに施されている彫りものも同じく18世紀のものであると判断したことを彼は説明してくれた。彫りものに関して彼が間違って判断したかも知れないという可能性は無かったのかと私が質問した時、「もちろんですとも」と彼は答え、さらに「誰でももうひとつの選択肢を用意しておかなければなりませんよね。詐欺にかかる可能性もあるのですから」と付け加えた。何回か試みたにもかかわらず、私はマイケル・ブロードベントに直接会うことは出来なかったが、クリスティーズの広報担当者は私に「ブロードベント氏が競売に出すと判断した背景は当時入手し得るすべての情報に基づいて彼が熟考した末に到達した見解であって、それを反映したものなんです。22年も経過した今になって、我々はあれこれと仮説を立てようとは思いせん」と言った。
依然として、2006年の12月に開催されたクリスティーズのニューヨークでの超高級ワインのオークションは1934年産のペトリュスを呼び物にしていた。その記述は、ブロードベントの本から引用されており、何年も前に彼が試飲していた1934年のペトリュス・インペリアルについてであった。「ハーディ・ローデンストックがどこでこれらのワインを見つけたのか私は知らない」と記している。 「端的に言って、1945年以前の生産や保管ならびに販売の記録はないのです。私が言えることは大きな瓶に入ったこのワインは大層美味であったという点です。」 コークはローデンストックが委託したのかどうかは知らなかった(クリスティーズは彼は委託をしてはいなかったと私に言った)。しかし、コークが訴訟を起こしている最中に、競売業者がローデンストックのボトルを引用するブロードベントの記述を用いてワインを販売している事実に彼は腹を立てていた。コークは競売業者に電話を掛けて、文句を言ったが、クリスティーズはオークションを続けた。そのワインは2,200ドルで競売に付された。しかし、売れなかった。
本物であったにせよ、偽物であったにせよ、これらの年月の間にローデンストックがいったい何本のワインを売ったのかは誰も知る由はない。彼の取引は多くが現金であった。(「現金で売買をした場合、納税のためにその売り上げを申告する義務はない」と彼はインタビューで述べたことがある。「20万ドルの現金は時には百万ドルの小切手よりも大きな価値があるんです!」) 売買に関与した両者を保護するために、彼は実際にどの売買を指しているのかについては言及しようとはしなかった。ジム・エルロイの考えでは、仮にボトル1本が1万ドルの価格であるとすれば、毎月10本販売したとするとローデンストックは年間で百万ドル以上を稼ぐことになる。コークがローデンストックを訴えていた時、マサチューセッツ州のソフトウェアの企業家であるラッセル・フライはカリフォルニア州のペタルーマに所在する販売業者、ワイン・ライブラリーが彼に何十本もの古ワインと一緒に偽物の19世紀のラフィットやイケムを売ったとして同社を訴えた。フライの苦情にはこう記されている。この訴訟に関わる被告人の一人は「原告が主張するボトルの多くは偽物であるか、その恐れがあり、これらは元を辿って行くとハーディ・ローデンストックに行き着くことを、最近、原告に伝えてきた。」
コークは4万本程のボトルを所有しており、3カ所のセラーでそれらを保管している。5月のある日、私はひとつのセラーを訪問した。それはケープ・コッドのオスターヴィルにある彼の邸宅の地下にあって、空調の効いた迷路のような空間の中でボトルは黒い木製ラック上に保管されていた。ジム・エルロイは二人の専門家、つまり、デイビッド・モリノ―・ベリーとビル・エドガートンと一緒にこのセラーに入って、問題のありそうなボトルを識別した。
モリノ―・ベリーはワインに関する自営コンサルタントに転身する前は何年もの間サザビーズで働いていたが、ハンス・ピーター・フレリックスから競売の申し入れがあったTh.J.ラフィットのボトルを拒んだのは彼だった。フレリックスのセラーでは、明らかに偽物であるボトルを次々と見つけだしたことがあった。蒐集家が保管する詳細な記録によると、それらのボトルは皆ハーディ・ローデンストックから入手したものであった。また、モリノ―・ベリーはローデンストックの数多くの目ざましい発見についても懐疑的であった。サザビーズからの代表として、モリノ―・ベリーは社用で頻繁にロシアを訪れていた。「私はキエフへ行き、あそこのセラーを見ました」と、彼は言った。「私はモルドバへも行き、あそこのセラーも見学しました。私は入手可能な最高の紹介状を持って出かけたのです。ローデンストックはと言うと、彼はロシアへでかけ、どこかでロシア皇帝のセラーを発見する。すべてがボルドー産… しかも、マグナムを発見した。かなりの数だ。」 [訳注:「マグナム」とは標準のボトルが750㎖であるのに対して、マグナムはその2倍の1.5リッター入り。]
頻繁に偽物が横行する1961年以前のワイン銘柄としては3000種類もあるが、モリノ―・ベリーとエドガートンはコークの蒐集品の中から約130種類もの明らかな偽物、あるいは、疑わしいボトルを選り分けた。「偽物のボトルがどういうふうに見えるか分かってきますよ」とモリノ―・ベリーは私に言った。「間違いのない偽物は際立って目につきます。」 彼らは疑わしい個々のボトルに白いラベルを付け、プロの写真家が高解像度の写真を撮った。必要とあれば裁判所へ提出することができるようにと準備をした。
幾つかの事例においては、ボトルやラベルならびにカプセルはすべてが本物のように見えるが、特定のワインの稀少性そのものが疑念を引き起こすことがある。たとえば、コークは1947年産のラフルールをマグナム・ボトルで2本も所有している。「47年もののラフルールは素晴らしい逸品です」と、モリノ―・ベリーは私に言った。しかし、彼は続けた。1947年にこのシャトーで生産されたマグナムは5本だけだったと聞いており、「その5本中の2本を彼が所有する確率というのは…」と言って、彼は疑問を投げかけた。エドガートンはオークションでの売買や価格のデータをオンラインで掲載している。1998年以降、47年もののマグナム入りのラフルールは何と19本も売られている。
サザビーズのセリーナ・サットクリフは私にこう言ったものだ。もっとも富裕な蒐集家はむしろ偽物に関しては何も知らないでいるか、偽物のことを知っている場合はそのことを公表しようとはしないかのどちらかだ。彼女は蒐集家が競売にかけたいと思っているセラーを詳しく検査したことがあったが、結局、全体あるいはその一部について競売を拒んだことがあると、何回か言っている。偽物が余りにも多かったからだった。しかし、ある蒐集家は彼女の商売敵を通じて偽物ワインを売ってしまった。蒐集家は誰も「打撃を被りたくはないんですよ」と、彼女は言った。 
「この偽物事件はローデンストックについてだけのものではなく、ずっと大きいんだ」と、コークは私に言った。「自分が蒐集したワインのすべてをつぶさに調べ終えたらその時点で私は偽物を私に売りつけた連中の全員を追求する積りだ」と私に言った。「販売業者の連中は自分たちが片棒を担いでいることを知っているんだ。皆が共謀者なんだ。」 
コークの問題となるボトルのひとつは1921年産のペトリュス・マグナムだ。彼は2005年にニューヨークのワイン販売業者、ザッキーズが開催したオークションでこのボトルを33千ドルで購入した。コークは、このワインは元々はローデンストックから出たものであると思っている。(ザッキーズはこのワインが元々はローデンストックからのものであるという証拠はないと言っている。)ロバート・パーカーが1995年にミュンヘンでローデンストックが開催した試飲会で100点を与え、「この世のものとは思えない」と評したのは1921年産のペトリュスで、別のマグナムだった。
この春、コークが所有するマグナムを生産したブドウ園で問題のワインを検査するために、ジム・エルロイはボトルをボルドーへ持参した。ペトリュスの職員は最終的にコルクの長さは誤りであり、キャップとラベルは人工的に古く見せていると結論した。このボトルが本物であるかどうかについてはペトリュスは疑いを持っていることを認めた。そして、エルロイのインタビューでセラー・マスターは1921年もののぺトリュスについてはマグナムは聞いたことがなく、この葡萄園では一本もマグナムを瓶詰したとは思わないと言った。 
これは非常に興味深い質問を招く。もしもペトリュスが1921年にはマグナムを生産しなったとしたら、ローデンストックの試飲会でパーカーが飲んだのはいったい何だったのか? パーカーの鼻には百万ドルの保険がかかっている。ローデンストックがそのような人物を自分のテーブルに招いて、偽物を振る舞うなどということはほとんど病的である。エルロイにとってはこのことはますますローデンストックが怪しいと睨むさらなる証拠となった。この種のリスクの取り方は偽物作りの間ではあり得ないことではないからだ。「私は数多くの偽物作りたちを見てきた」と、彼は言った。「何人も刑務所へ送り込んだ。連中は自分はすごく賢いと思っている。世界の誰よりも賢いんだと思っている。ローデンストックもそんなふうに感じているに違いない。」 
もしもパーカーが100点を与えた1921年産のペトリュスが偽物であったとしたら、そのような過剰とも言える自信はどこかに置き忘れたままで済まされることはないだろう。ローデンストックは偽物ワインを作ることに非常に長けており、本物と同じ位、あるいは、それ以上の味わいのあるワインを作ったというのだろうか?このボトルについてパーカーに質問をぶつけた時、最高の批評家であっても時には誤りを犯すことがあると彼は急いで言ってのけた。しかし、あのボトルは実に素晴らしかったと繰り返して言った。「あれが偽物だったとしたら、彼は腕の立つ混ぜ物師に違いない」 と、パーカーは言った。「あのボトルは実に素晴らしかった!」 
この夏の始め、ハーディ・ローデンストックはコークの訴訟に対抗するために雇っていたマンハッタンの弁護士を解雇した。公判裁判官に宛てた手紙では、ドイツ人である彼に対して裁判所は管轄権を持ってはいない、コークは彼から問題のボトルを直接購入したのではなく第三者から購入した、この訴訟は出訴期限法に基づいて差し止めるべきであると彼は述べて、異議を申し立てた。「訴訟を起こして人々を何年も縛るのがコークの趣味である」と彼は言い、自分は「そのような愚かなゲームには加わりたくはない。」 異議の申し立てをした後、「私は訴訟手続きから離脱するんだ」と宣言した。
この記事のためにローデンストックがインタビューに応じることはないだろうが、ほとんどはドイツ語で書かれている一連のファックスの中で彼は自分の無実を主張し、彼のことを「でっち上げとごまかし」と描写したコークの文言に対しては厳しく異議を唱えた。彼は自分の法律上の名前はマインハート・ゲルケであることは認めたが、自分の名前を変える人は世の中にたくさんいると主張し、ラリー・キングの名前をその事例として指摘した。ローデンストックはティナ・ヨークに対して自分はローデンストック家の一員だと言ったことは否定し、自分は先生だったと主張し続け、「それは事実だ!実証することは可能だ!」と書いた。彼がベネズエラで100箱ものボルドーを見つけたという件については、「とすると、1200本にもなるが?!?!?!」と述べて、反論した。彼が一時入居していたアパートの地下室で空瓶やラベルを発見したというアンドレアス・クラインの主張に関しては、ワイン通はワインの試飲会の後でも空き瓶を残しておくことはごく普通のことであると書いた。「私はラベルを古いボトルから剥がして、それらを額縁に入れる」と彼は言った。「こうすると、実に見栄えがいい!」 ワイン・ライブラリへのボトルの供給に関しては、言い換えれば、コークが訴訟の中で言及したペトリュスのマグナムに関しては彼は真っ向から否定し、「私の1921年もののペトリュスはいつも完璧に純粋そのものだ!!!」と主張した。彼はパーカーがくれた100点の評価を引用して、「世界でも有名な専門家があのワインを素晴らしいと評価し、可能な限りの最高点を与えている時に、あのワインが純粋であることを証明するもっといい方法がいったいどこにあるんだろうか」と問うた。
ローデンストックは2000年にクリスティーズが開催したラトゥールの試飲会でビル・コークとローデンストックが会った際についてコークが描写した文言を特に取り上げて、「私は遅刻はしなかった!!」と主張した。「私はきまり悪そうには見えてはいなかったし、彼のそばから急いで立ち去りもしなかった。私の表情は、間違いなく、ラトゥールの試飲会に対する期待感で一杯だったし、私は非常にいい気分でいた!!!」 ローデンストックに関する回想で、コークは自分はジェファーソン・ボトルを所有していると言ったが、それに対するローデンストックからの返事は「それは結構だね。けれども、それらのボトルは私から入手したわけじゃあない。」 
Th.J.ボトルが本物であるかどうかの話になると、ローデンストックは時には相矛盾するような数多くの防御策を取る。「もしもクリスティーズがその信ぴょう性に関して少しでも疑いを持っていたならば、彼らは1787年産のラフィットのボトルを受け取らなかっただろう」と彼は書いた。 「したがって、私は非難の的にはならない!」 イニシャルに関するコークの解析は科学者によって成されたものではなく、コークの友人である「素人彫刻家」によって成されたもので、彼らが下した結論は金で買われたものである、と彼は示唆した。しかし、裁判所への彼の手紙では、イニシアルは確かに現代風であることを受け入れたが、彼にワインを売った人物が「古い彫りものが読みにくくなっていたので新たに上から彫り直したのではないか」との仮説を持ち出して来た。また、彼はコーク自身または彼のスタッフが再度彫刻をしたのではないかとも提言した。「これらのボトルには20年間にさまざなことが起こった可能性がある!!!」とも付け加えた。(ハンス・ピーター・フレリックスが彼のジェファーソン・ボトルについて訴訟を起こした時、ローデンストックはこれらと同様の主張をして、フレリックスはローデンストックを陥れるために自分のボトルに混ぜ物をしたのだと言った。)
814日、公判前の手続きを監督する治安判事は、ローデンストックが裁判に出頭しようとはしなかったので、ローデンストックには欠席裁判を実施するよう推奨した。公判裁判官は、今、ローデンストックのさまざまな手続き上の防御策を受け入れるかどうかを決定しなければならない。しかし、たとえ欠席裁判が行われようとも、ドイツの裁判所は裁判を遂行しないだろうとローデンストックは主張した。 
その一方で、ジム・エルロイは自分が発見したさまざまな事柄を当局へ提出し、証拠を聴取するために大陪審が招集され、FBIはワインの蒐集家や販売業者ならびに競売業者に対して召喚状を発した。「業界の全体に対するご挨拶の効果があるだろう」とコークは私に言った。「もしも裁判官が技術的な理由からこの訴訟を放り出すとすれば、私にはさらに5件について訴える用意がある。」 
パームビーチのワインセラーの奥では、何列にも並んだ貴重なボトルの前を通り過ぎ、優雅な風情を見せる鋳鉄製のグリルの背後には収納スペースがあって、そこにはコークのもっとも古いボトルが収まっているのだが、今や、その多くは「偽物に違いない」と彼は思っている。私は1787年もののTh.J.ラフィットのボトルを取り上げてみた。手にすると、それは冷たく、驚くほど重く感じられた。そして、刻まれた文字を指で辿ってみた。稀少な古ワインに対する皆の情熱が蒐集家や批評家ならびに競売人をこのイニシャルに関しては在りそうもないことについてさえもめくらにしてしまったのだろうか? ジェファーソンは1790年の手紙で彼のワインとジョージ・ワシントンのワインのそれぞれにマークをしてくれと頼んでいるが、間違いなく、彼は箱に記載するようにと言っているのであって、個々のボトルについて言っているわけではない。
コークは1989年もののモンラッシェを開栓し、我々は階上へ歩いていき、彼のカウボーイルームにある心地よさそうな革を張った椅子に身を沈めた。このワインは生き生きしていて、ミネラル分が豊富な感じがした。味はすごく良かった。我々は訴訟について話合った。コークは何だか圧迫を感じているかのように見えた。彼は自分自身をローデンストックと偽物ワインに関する法廷闘争に放り込んでいるが、それは、言わば、ワインの蒐集に注ぎ込んだ熱中ぶりと同種のものである。「私はトーマス・ジェファーソンのワインを持っていることを自慢していたものだ」と彼は言った。「でも、今は、私は偽物のトーマス・ジェファーソンのワインを持っていることを自慢するようになった。」 
屋外では、太陽が沈もうとしている。コークの料理長がやって来て、「夕食はソフトシェル・クラブと鹿肉です」と伝えた。コークは彼が蒐集したワインのすべてを網羅する分厚いセラー台帳のページを開いて、私に見せてくれた。階上では、彼の子供の一人がバスケットボールを練習しているようだ。ブリジット・ルーニーが二人の間にできた一歳になったばかりの娘のケイトリンを抱いて、部屋へ入って来た。「私らは今偽物ワインの話をしているんだけど、話に加わるかい?」とコークが声をかけた。
ルー二ーはコークの側に座った。彼女は大粒の真珠のネックレスを身に付けていたが、ケイトリンが真珠をしゃぶっていることには気が付いてはいないようだった。彼女はコークのグラスに手を伸ばして、ひと口飲んだ。
「うーん」と彼女は小声で言った。「これは偽物じゃないわよ!」 
<引用終了>


結局のところ、偽物ワインに関するローデンストックに対するコークの法廷での争いは、ローデンストックがドイツ人であって、ドイツに住んでいることから、米国の裁判所の管轄権はローデンストックには及ばないとの判断が下されて、この訴訟はニューヨーク地裁によって不起訴処分となった。ニューヨーク地裁で所謂ジェファーソン・ボトルの件を担当するバーバラ・S・ジョーンズ判事は同地裁は被告に対して管轄権を有しないと裁定したのである [2]

ローデンストックは上記の理由や他の理由からこの訴訟を却下するように裁判所に申し立てていた。
ジョーンズ判事はコークは被告のローデンストックがニューヨーク州内で特定の目的を持って活動をしたという事実を十分には証明していないと裁定したのである。
しかし、コークが開始した偽物高級ワインに対する訴訟はコーク自身の個人的な争いの色彩を強めて、さらに続いた。不発に終わったローデンストックに対する訴訟の後、他にもいくつかの訴訟が続いた。最近の報告によると、コークは複数の訴訟で勝訴している [3]

この最新情報によると、2013年の4月、被告はコークに対して12百万ドルの懲罰的損害賠償を含めて12.4百万ドルの賠償金を支払うよう陪審員が裁定した。これは2005年にザッキーズのオークションで仲間のワイン通であるグリーンバーグが偽物であることを知りながら24本のボトルを売りつけたとしてコークが起訴していたものだ。しかし、後に、この賠償金額は裁判官によって減額され、711,622ドルの懲罰的賠償金を含む1.15百万ドルで決着した。

疑惑を招いたワインには1811年もののシャトー・ラフィット・ロートシルト、シャトー・ラトールの1864年ものと1865年もの、ならびに、1921年もののペトリュス・マグナムが含まれている。
ロイターの報告によると、ニューヨークの第二巡回控訴裁判所の判事は30でグリーンバーグによる控訴を却下した。
コークの弁護士であるムイズ・カーバはロイターズにこう述べた。「この裁定はオークション市場に横行する偽物ワインが引き起こす問題に対するコーク氏の長年にわたる戦いを正当に認めるものであり、関係者の責任を問うものです。」 
偽物高級ワインに対して個人的な戦いを挑んでいたコークは、昨年、偽物作りのルディ・クル二アワンとは3百万ドルの賠償金で決着をつけた。彼はクル二アワンの裁判で証言台に立った。クル二アワンは偽物ワインを作ったことで10年の刑を言い渡された。

以上で、偽物超高級ワインに関するビル・コークの話は一応の決着を見ました。

我々庶民にとっては手が届かない世界であるわけですが、希少な古ワインに対する情熱は一部のひとたちには予想もできないような事態を引き起こしてしまうようです。特に、ビジネスが絡んで来ると、人の倫理観は時には思わぬ脆弱さを示ことがあると言えましょう。


参照:

1The Jefferson Bottles: By Patrick Radden Keefe, The New Yorker, Sep/03/2007

2‘Jefferson Bottles’ lawsuit thrown out: By Howard G. Goldberg, Decanter, Jan/17/2008

3 Billionaire Bill Lock wins appeal over fake wine: By Richard Woodard, Decanter, Oct/01/2015



2015年12月7日月曜日

超高価な古ワインを鑑定するためにセシウム137を活用 (その1)



ワイン通は「ジェファーソン・ボトル」という言葉をもう御存知だろうと思う。私もワインには目がない方だと自認してはいたのだが、今頃になってこの言葉を知った。

米国の第3代大統領であったトーマス・ジェファーソンはボルドー・ワインに魅せられ、大量にフランスからワインを輸入していた。その当時ジェファーソンが調達していたワインは今「古ワイン」としてロンドンのオークションで高価な値段が付けられている。金に糸目をつけない蒐集家にとっては垂涎の的であるらしい。

しかしながら、実際に言われているように本当に200年もの古いワインであるのかどうかの鑑定は結構困難な作業であるようだ。素人の私らにとっても想像は難くない。

古ワインの鑑定はどのように行うのだろうか?これが今日のブログの本題である。

放射性同位元素のセシウム137137Cs)は人工的な元素である。つまり、原爆の実験が世界で初めて行われた1944年以前には137Csは世の中に存在してはいなかった。このことが「古ワイン」の鑑定に役立つのだ。少なくとも、鑑定の対象であるワインが1944年よりも前に生産されたものであるのか、それとも1944年以降のものであるのかを識別することが可能となる。

先ずは、オークションの様子を覗いてみたいと思う。ここに非常に長い2007年の記事 [1] があるが、その前半の仮訳から始めてみよう。

舞台は30年前のロンドンのオークション会場から始まる。なぜ目の玉が飛び出るような値段が付けられるのかを前もって学んでおこう。


<引用開始>



Photo-1: クリスティーズのカタログはこのワインがトーマス・ジェファーソンの所有物であったことを示唆し、その値段はまったく付けようがないと言う…

オークションの歴史でもっとも高価なワインは、1985125日、ロンドンのクリスティーズで値段が付けられた。そのボトルは濃い緑色をした手吹きのガラス瓶で、黒ワックスでシールされていた。ラベルはなく、ガラス瓶には「1787」との年号がきゃしゃな書体で刻まれており、「Lafitte」という単語と「Th.J.」という文字が刻まれていた。
このボトルは一連のワイン・コレクションの一部として登場した。何でも、パリの古いビルにあるレンガの壁で囲まれたワインセラーの中で見つかったのだそうだ。これらのワインにはラフィット(かってはLafitteと綴られていたが、今はLafiteと綴る)だけではなく、シャトー・ディケム、ムートンおよびマルゴー、等の名門ブドウ園の名称が付けられている。さらには、「Th.J.」のイニシャルだ。カタログによると、これらのワインがトーマス・ジェファーソンのものであったことは証拠が示しており、オークションに持ち込まれたワインは「世界でももっとも稀なワインのひとつである」としている。ワインの液面はこの種の古ワインにしては「例外的に高く」、コルクの半インチ下にまで達し、「古さのせいで非常に深い色合い」をしている。そして、このワインの「値段を付けることは不可能だ」とも記している。
ワインのオークションを開始する前に、ワイン部門を率いるマイケル・ブロードベントは社内のガラスの専門家たちに意見を求めた。専門家たちはこれらのボトルそのものや刻まれている文字が18世紀のフランスのスタイルを示していることを確認した。ジェファーソンは1785年からフランス革命が始まる年までフランス駐在の米国公使を務め、その間にフランス・ワインの素晴らしさに魅了されていた。米国への帰国後、彼は自分のため、あるいは、ジョージ・ワシントンのために大量のボルドー・ワインを注文し続けた。たとえば、1790年の手紙では注文したワインをそれぞれの発注者宛に船積みする際、ボトルには注文者のイニシャルを刻み込むようにとの指示を出している。大統領としての第一回目の任期中に、ジェファーソンは7,500ドル、現在のドル価値では12万ドルに相当する金額をワインのために使った。一般に、彼は米国ではワイン史上では最初の偉大な「ワイン通」であったと見られている。(また、彼は米国では初の「ワインおたく」でもあったらしい。「例によって、ワインに関する論文さえも書いた」と、ジョン・クインシー・アダムスは1807年にジェファーソンと食事をした後で自分の日記へ記載している。「すごく啓発的な内容だという言うわけではないけれども…」)
オークション材料の歴史的な関連性について調査を行うだけではなく、ブロードベントはコレクションの中から2本のボトルをサンプルとして抜き取った。19世紀のワインは、保存状態さえ良ければ、その味は依然として素晴らしい。そういう事例はいくらでもある。しかし、18世紀のワインは非常に稀で、「Th.J.」のボトルがその味を持ちこたえているかどうかは不明であった。ブロードベントは「マスター・オブ・ワイン」の称号を持っている。これはワインについて著作をする人やワインを取引する人、ならびに、ソムリエに与えられる職業的な証明書である。この証明書は高級なワインについて非常に広い経験を有し、しっかりした鑑識眼に基づいた判断をすることができるということを示唆するものである。彼は、1784年ものの「Th.J.」ディケムは「色合いや香りならびに味のどれをとっても完璧だ」と宣言した。 
あの当日、12月の午後2時半、ブロードベントは1万ポンドから入札を開始した。2分もしない内に応札を促す彼の小槌の音は止んだ。落札者はクリストファー・フォーブスであった。彼はフォーブス誌のマルコルム・フォーブスの息子で、同誌の副社長を務めている。最終的な値段は105千ポンドで、これは約157千ドルに相当する。「これはリンカーンが撃たれた時にリンカーンが手にしていたオペラグラスよりも面白い逸品だ」とフォーブスは言った。また、すかさずこうも付け加えた。「これで、どちらもが我々の手に入った。」
このオークションの後、他の真剣な蒐集家たちもジェファーソン・ボトルを探し始めた。「ワイン・スペクテイター」誌の出版者はクリスティーズを通じて1本入手した。謎に包まれた中欧のビジネスマンも別の1本を手に入れた。1988年の末、アメリカの億万長者であるビル・コークは4本も調達した。彼はコーク・インダストリーズを設立したフレッド・コークの息子で、マサチューセッツ州のドーバーに住み、オックスボウ・コーポレーションという高利益を生み出すエネルギー企業を所有していた。コークは、1988年の11月、シカゴ・ワイン・カンパニーを通じて1787年もののブランヌ・ムートンを調達した。その翌月、彼は1784年もののブランヌ・ムートン、1784年のラフィットおよび1787年のラフィットの各1本を英国の小売業者から購入した。これら全部のボトルのためにコークは50万ドルを支払った。彼はこれらのボトルを広々とした空調が効いているワインセラーに収めたが、時にはこれらのボトルを持ち出しては友人たちに見せびらかしたものだ。
コークの美術品や骨とう品のコレクションは時価で何億ドルにも達し、2005年にはボストン美術館が数多くの彼の所有物について展示会を開催した。コークのスタッフは4本のジェファーソン・ボトルの詳細な来歴について調査を始めた。ところが、フォーブスが購入したボトルについてはブロードベントによる鑑定を除いては何も見つからないことが判明した。歴史的な裏付けとなる証拠を求めて、彼らはバージニア州シャーロットヴィルのモンティチェロにある「トーマス・ジェファーソン基金」に話を持ち掛けた。数日後、モンティチェロの館長を務めるスーザン・シュタインから電話があった。「これらのボトルはトーマス・ジェファーソンの所有物であったとは考えられません」と、彼女は言った。
コークは3番目の妻であるブリジット・ルーニーならびに前の結婚や彼女との結婚で生まれた6人の子供たちと一緒にパームビーチにある35千平方フィートもあるアングロ・カリビアン風の邸宅に住んでいる。それほど昔のことではないが、私が彼を訪問した時、前庭は掘り返されており、邸宅の地下室を拡張している最中だった。もっと保管用の空間が必要だと、コークが説明してくれた。「私は脅迫的とも言えるような蒐集家なんだ」と、彼は言った。モジリアニの1917年の作品である「横たわる裸婦」やピカソの青の時代の作品「ナイトクラブの歌手」、あるいは、ルノワールやロダン、ドガやシャガール、セザンヌ、モネ、ミロ、ダリ、レジェ、ボテロ、等々を我々は見てまわった。黒いガラスの球状のケースに入った幾つかの監視用カメラが天井から突き出ていた。
「私の父はあれこれと蒐集をしていた」とコークは言った。「私も彼の取集癖を受け継いだものらしい。父は印象派の絵画を蒐集していた。また、猟銃も蒐集していた。それから、放牧場もだ。」 我々はコークの「カウボーイ・ルーム」でチャールズ・マリオン・ラッセルの絵やフレデリック・レミントンの馬に跨った男たちのブロンズ像、古めかしいカウボーイ・ハット、猟で使う鞘付き刀、ガラスの蓋で覆われたケースの中に陳列された何十丁もの銃、等に囲まれて座っていた。中には、ジェシー・ジェームズの銃とかジェシー・ジェームズを殺した男が使っていた銃、シッティング・ブルが使ったピストル、カスター将軍愛用のライフル、等も含まれている。 
コークは67歳で、手足が長く、長身で、白髪は乱れ、丸いメガネをかけ、子供のような甲高い声を出して笑う。マサチュウセッツ工科大学で化学工学を学び、博士業を取得しているが、その当時肝炎を患ったことから、それ以降彼は強いアルコールは飲めない。しかし、ワインは飲めるのだそうだ。レストランでは、彼はワインリストに掲載されている中でもっとも高価なワインを注文し、いくつかの銘柄は彼のお気に入りとなった。そうこうしているうちに、彼はオークションでワインを調達し始めた。たとえば、ラフィットやラトールあるいはロマネ・コンティの有名なバーガンディーといった類いだ。「私はすっかり夢中になった時があるけれども、あれはコーク・インダストリーの自分が持っていた株式を売却した時だった」と、彼は言った。1983年のことだ。すでに報じられているように、55千万ドルを手にした。あの時点で、彼は世界でも最高クラスのワイン・コレクションを築いてみようと心に決めた。「どうしてですか?」と私が訊ねると、非常に明白なことを私はまったく理解してはいないんだとでも言わんばかりに彼は私を見つめて、こう言った。「世界中のアルコールの中で最高のものを味わえるから」と彼は言った。「それだけさ。」 
コークは蒐集癖で見せたのと同じくらいに訴訟においても執拗であった。コーク家のファミリー・ビジネスでは二人の兄弟に対して20年も続く法廷闘争を展開した。(この訴訟は2001年に決着した。)彼は株式の売買に関して不当な課税があったとしてマサチューセッツ州を訴え、46百万ドルもの減税を勝ち取った。フォーシーズンズ・ホテルのコンドミニアムへ前のガールフレンドを住まわせていたが、彼女がそのコンドミニアムから退去することを拒んだ時には、彼女を住居問題を扱う法廷へ訴えて彼女を強制退去させた。彼は誰かに召喚状を送りつけたことについて語る時にはあたかも手榴弾を投げるかのような話し振りをする。 
コークが4本の「Th.J.」ボルドーを購入した頃は、高級ワインの偽物の話などはほとんど聞いたこともなく、彼が求めた保証は単にブロードベントがすでに鑑定している例のワイン・コレクションの中から購入せよということだけだった。彼が所有しているボトルは偽物だとするモンティチェロからの報告を聞いて、彼は怒った。「私は数多くの美術品を買い、数多くの歴史的な銃を購入している。もしも誰かが私を騙したとするならば、そのような人物には高い代償を償って貰わなければならない」と、彼は私に言ったものだ。彼の顔色は赤く気色ばんだ。「それから」と、彼は続けた。「これは面白い探偵小説みたいなもんだよ。」 
入手することが非常に稀な古ワインの価格は近年ひどいインフレ状態にあった。ジェファーソン・ボトルはもっとも人目を惹く事例だった。そんな背景から、ワイン業界では偽物が横行し始めたのである。2000年には、イタリア当局は人気が非常に高いトスカーナの赤ワイン、「サッシカイア」の偽物を2万本も差し押さえた。中国の偽物作りたちはラフィットの偽物を流通させ始めた。1970年代や1980年代にはオークションで見つけることは非常に難しかった所謂「トロフィー物」と言われ、世紀を超えて最高の逸品とされるボルドー・ワインが数多く市場に現れたのである。サザビーズの国際ワイン部門を率いるセリーナ・サットクリフはこんなジョークをとばした。「1945年産のムートンはその50年祭では実際に生産された量よりも遥かに多くが消費された…」 この種の問題は裕福な連中が大きなコレクションを速やかに築こうとする米国やアジアで顕著になっていると、サットクリフは私に教えてくれた。「名の通ったワインセラーへ入って見ると、5百万ドルとか6百万ドルもする素晴らしいコレクションに混じって、百万ドルにも達するような偽物のボトルの山を目にすることがある」と、彼女は言った。
高級ワイン・ビジネスの多くは帳簿外で売買され、所謂「グレー・マーケット」で売り手と買い手との間で取引される。ワインを生産するシャトーとは無関係であって、いったい誰が特定のワイン銘柄を流通させているのかを突き止めるのは決して易しくはない。しかし、コークはシカゴ・ワイン・カンパニーとファー・ヴィントナーズへ密使を送り込み、例の4本の古ワインは何れもクリスティーズで開催されたワイン・オークションへワインを供給をした人物に由来するものであることを突き止めた。それはドイツの派手なワイン蒐集家であるハーディー・ローデンストックであった。
ローデンストックは以前、70年代にはドイツのポップ・ミュージックの出版者だった。彼は住居をミュンヘンからボルドーへ、そしてモンテ・カルロへと移し、富豪のローデンストック家の一員であるとの噂が流れた。ローデンストック家は高級なメガネを商っていた。彼は周りの人たちには自分はもともとは先生であったが株式市場で大儲けをしたとほのめかしていた。
ローデンストックは70年代にワインに興味を抱き、シャトー・ディケムの甘い白ワインに情熱を注ぎ込んだ。彼は特に19世紀の終わり頃に起こったフィロキセラが大流行する以前に遡るワインを特に好んだ。当時、ヨーロッパのブドウ園は壊滅状態に陥り、北アメリカから輸入されたフィロキセラ害虫への耐性が強い品種に植え替えざるを得なかった。「フィロキセラ害虫の大流行以前のイケム・ワインには豊富な芳香や味わいがあって、より多くのカラメル成分を含み、独自性あるいは個性、力強さ、上品さ、等を感じることでしょう」と、彼は何処かのインタビューで語っていた。彼はイケムの古ワインをそのシャトーの所有者よりも遥かに多く味わっており、シャトーのオーナーもそれを認めている、と彼は「ワイン・スペクテイター」誌上で自慢した。
1980年から、ローデンストックは毎年豪華なワインの試飲会を開催し、この週末の催しにはワインの批評家や販売業者、ドイツのさまざまな賓客や著名人たちが集まって来た。彼は多くの古ワインや希少なワインの栓を抜いて、彼の友人やグラス・メーカーであるゲオルグ・リーデルが前もって準備しておいた特製の「ローデンストック」グラスへ注ぎ、お客さんをもてなした。費用のすべては彼が持った。完璧に着飾って、格好のいいローデンストック製のメガネをかけ、ピンと張った白い襟が目立つシャツを着こんで、彼は客人たちと気さくに話をした。特に上等なワインについては「これは驚きだ!100点満点!」と、大声をあげたりした。時間には几帳面なところがあって、遅刻することを戒めた。また、古ワインを試飲する際には味わった後で吐き出すことを禁じた。客人たちの中には痰壺を両足で挟んで隠し、これに反抗する者もいた。「歴史を吐き出したりしないで下さい」と言って、ローデンストックは客人たちに要請した。「飲み干してください。」 
ローデンストックはジェファーソン・ボトルを発見したいきさつを隠そうとはしなかった。それどころか、フォーブスへ古ワインを売ったという記録が彼をワイン業界のセレブに仕立て上げた。後に、彼はこう説明した。1985年の春、パリで興味深いものが発見されたとの電話を受けた。誰かが偶然に埃を被っている古ワインを見つけ、個々のボトルには「Th.J.」の文字が彫り付けてあるという。ローデンストックはこれらのボトルを誰から購入したのかに関しては語ろうとはしなかった。しかし、明らかに、売った人物はこのイニシアルが何を意味するのかについてはまったく無頓着であった。「宝くじみたいだった」と、ローデンストックはその時の経験を語っている。「あれはただ単に幸運に恵まれただけですよ。」 何本の古ワインがあったのかに関しても何も喋らなかった。ある筋は「1ダース位だった」と言い、他の事情通は「30本程だ」と言った。これらのボトルを購入した場所がパリの何処なのかについて彼は何も開示しなかった。
驚きを禁じ得ない発見というのは幾つかあるが、ジェファーソン・ボトルは最初の事例となった。ローデンストックはもっとも稀少なワインを果敢に探しまわる人物として知られるようになった。1980年から1990年代にかけてローデンストックの友人であった蒐集家のひとりが私にこう喋ってくれた。1989年のことだったが、彼はさまざまなシャトーから取り寄せた1929年もののワインを飲み比べる試飲会を準備していた。しかし、どうしても見つけ出すことができないボトルがひとつだけあった。それは1929年産のシャトー・オーゾンヌだった。試飲会の数日前、彼はローデンストックから電話を受け取った。「今、スコットランドにいるよ」と、ローデンストックは言った。「オーゾンヌの29年ものを見つけた!」と彼は言う。メディアの報告によると、ローデンストックはベネズエラへ旅行し、そこで100箱ものボルドーを発見した。ロシアでは、彼は19世紀ワインが保管された「ロシア皇帝の失われたセラー」を掘り出した。1998年、ミュンヘンのケーニヒス・ホテルで彼は125年にもまたがる期間に生産されたイケム・ワインについての垂直試飲会を開催した。これにはジェファーソン・コレクションの中から取り出した2本のボトルも含まれていた。「驚いたことには、これらのボトルは旬をとうに過ぎてしまったとか、酸化されているような味などはまったく感じられなかった」と、「ワイン・スペクテイター」誌のリポーターが伝えている。「むしろ、この1784年ものは何十年も若いような味がした。」 
ワイン関連のメディアに属する人たちの間では幾人かはこうした催し物は避けようとしている。批評家のロバート・パーカーは試飲会に一回だけ参加した。彼は私に「試飲会に特有なあの贅沢な雰囲気が気に入らない」と言った。蒐集品の評価番付は彼の読者のほとんどにとってはまったく無用の長物であると彼は言う。読者はこのようなワインを見つけることはできないし、そんなことに金を注ぎ込む余裕なんてない。吐き出すことを禁じる彼のやり方や、一番興味深い銘柄についてはローデンストックは試飲会の最後の段階にならないと提供しない傾向を示す、等々。これらのすべてのことを考えると、ワインを客観的に評価する目的はひどく害されてしまうのではないか。「彼は何時も皆がかなりいい気分になってからようやく最高の銘柄を提供しようとする」と、パーカーは彼が1995年にミュンヘンで参加した試飲会を引用して言った。「皆さんはもう出来上がってしまったような顔つきだった。」 
たとえそうではあっても、パーカーはローデンストックのワインの幾つかには驚きを禁じ得なかった。「この世のものとは思えない!」と、彼はローデンストックが提供した1921年物のペトリュスについて書いた。「この偉大な、信じられない程に濃厚なワインは1950年物あるいは1947年物と間違われたかも知れない。」 彼が執筆する雑誌「ワイン・アドヴォケート」においてパーカーはこの3日間も続いた試飲会を「私の生涯ではもっとも記念碑的な試飲会だった」と形容している。「私には速やかに学んだことがあった。ローデンストックが59年物あるいは47年物と言う時、私はそれが19世紀のことなのか、あるいは、20世紀のことなのかを確認する必要を感じた!」
マイケル・ブロードベントはローデンストックの催しには決まって参加していた。「高級ワイン: 50年を費やして3世紀にまたがるワインを試飲」と題した自分の本の中で、彼は非常に稀少なワインを試飲することができたのはひとえにローデンストックの「寛大さ」によるものであると認めている。18世紀のワインについて彼が書いた章のほとんどの記述はローデンストックの試飲会に関するものである。
ビル・コークはこれらの試飲会にはついぞ招待されなかったが、ローデンストックのことについては聞いていた。これら二人に2000年に初めて会う機会がやってきた。それはクリスティーズがニューヨークでラトールを試飲する集まりを開催した時だった。コークによれば、ローデンストックは遅れて到着し、コークの方から彼に近づいていった。「やあ、こんにちは。私はビル・コークです」と、彼は言った。「あなたからワインを購入したことがありますよ。」 
ローデンストックはコークの手を握った。彼は何だかきまりが悪そうな感じだった、とコークはその時の印象を語った。その場から離れる前に、「あなたは有名な蒐集家ですよね」とローデンストックは言った。
法廷争いにおいては、コークは時々ジム・エルロイという名の、獲物をつかんだら放そうとはしないFBIの元職員から受けるサービスを享受していた。エルロイが法の執行に従事していた頃、彼は数多くの詐欺事件を捜査した。ジェファーソン・ボトルについて疑義が生じた時、「もしご自分の金を取り戻したいのであれば、取り戻して差し上げますよ」と彼はコークに伝えた。 
コークにとってはそれだけでは不十分だった。「彼を収監してやりたいんだ」と、彼はエルロイに言った。「馬に鞍をつけてくれ。」 (このように、コークが熱中するカウボーイ文化の影響はエルロイにまで及ぶことになった。エルロイは自分のボスのことを「街にやって来た新保安官」と形容している。彼のボスの携帯電話の着メロは映画「続・夕日のガンマン」の口笛によるテーマだという。) [訳注:「馬に鞍をつける」とは「仕事にかかる」とか「物事を開始する」いった意味で使っています。これもカウボーイ文化のひとつ。]
エルロイは60歳代で、顔はすっかり日に焼けており、彼の微笑はいわくありげな感じだ。彼は結構話上手で、彼と初めて会って昼食をとっていた時、誰かがすでに話した内容に慎重にリズムを付けているかのような調子で彼は調査活動の詳細を説明してくれた。「事件はだんだんいい方へ展開するか、だんだん悪い方へと展開して行くかのどちらかですよ」と、彼は私に言った。コークは、最初から、ローデンストックを訴えることに興味を抱いていた、とエルロイは説明したが、コークはローデンストックについては刑事訴訟の用意をし、最終的には連邦当局へ引き渡すように、とエルロイには指示をしていた。コークのこの熱意にエルロイも応えようとした。「この調査はFBIによる捜査で典型的に見られるすべての特徴を備えていた」と、彼は言った。「即座に入手可能な、世界でも最高レベルの要員だけで捜査を行う。お役所仕事はまったく何にも絡めないで。」 彼の推算によると、2005年以降、ローデンストック事件にコークは百万ドル以上を使った。これは例の古ワインに費やした金額の2倍にも相当する。
エルロイとそのチーム(英国のロンドン警視庁の元検査官、ドイツで勤務していた元MI5エージェント、何人かのヨーロッパや米国からのワインの専門家たちで構成)が2005年に調査を開始した際、彼らはモンティチェロの職員からはオリジナルのボトルがオークションにかけられた時点からすでにジェファーソン・ワインが本物であるかどうかについての疑義が指摘されていたという事実を知ることになった。ブロードベントは1985年の秋にモンティチェロに近づき、ジェファーソンが残した手紙の中にワインに言及する事実があるかどうかを訊ねていた。シンダー・グッドウィンと言う名の研究者は15年間もかけてジェファーソンが残した山のように大量の文書を研究していた。彼女はその年の11月にブロードベントにこう返事をした。「ジェファーソンの会計日報から始まって、実質的にはすべての手紙、銀行からの取引明細書、フランス税関のさまざまな内部書類に至るまで、すべての書類が現在まで完璧に保管されていますが、1787年もののワインに関する記述は何もありません」と、彼女は述べた。オークションの前に、タイムズのリポーターが何らかの関連性を確かめたいとしてグッドウィンと連絡を取ったことがあるが、その際、彼女はローデンストックのボトルには「Th.J.」とイニシアルが刻まれているが、ジェファーソンは自分の手紙では、通常、コーロンを使い、「Th:J.」と自分のイニシアルをしたためていたという事実を伝えた。 
これらの疑いに関しては、ブロードベントはカタログでは何も記述しなかったし、タイムズに掲載された記事も応札者には何の説得力も示さなかった。(あの当時、このニューヨーカー誌に掲載された記事の中で、ブロードベントはリポーターにこう言った。ジェファーソンがこのボトルを所有していたとする「証拠は何もないが、状況証拠は山ほどある。」) オークションの直後、グッドウィンはこれらのボトルに関する調査報告書を作成した。その中で彼女は、これらのボトルは間違いなく18世紀のものであるのかも知れないが、歴史的な記録を見る限りではこれらのボトルはジェファーソンが所有していたものであるとは言い切れない、と結論した。ローデンストックやブロードベントの誠意について疑義をはさむことについては彼女はいささか痛みを感じたようで、彼女は『「Th.」はトーマス、セオドアー、あるいは、セオファイロスかも知れないし、「J.」はジャクソン、ジョーンズ、あるいは、ジュリアンを示すのものかも知れない。この人たちもボルドー・ワインが大好きであったのかも知れないし、パリの住人であったのかも知れない』と述べた。歴史的記録によると、同一の住人がパリで何個所もの住所を持つことはよくあることだ、と彼女は指摘している。もしもローデンストックがこのワインが発見された場所の住所を明かしてくれさえすれば、「適切な関係性を確立することができるだろうに」と彼女は述べている。
間もなく、ローデンストックからの手紙が相次いでモンティチェロに配達されるようになった。彼は無難な英語をしゃべることができるのだが、彼の手紙はドイツ語で書かれており、モンティチェロでツアーガイドを務める職員が手紙を翻訳した。19851228日、グッドウィンに宛ててローデンストックはこう書いた。「自分が抱く怪しげな、根拠があいまいなコメントは誰でもそれらは控えておくべきだし、メディアの前で自分を過剰に重要視するべきではない」と述べた。モンティチェロの副館長を務めるダン・ジョーダンは、返信の中で、グッドウィンはジェファーソンの研究者として高名であること、ならびに、ローデンストックやクリスティーズとは違って、彼女は古ワインが本物であるかどうかを鑑定する上で金銭的な利害関係はまったく持ってはいない、と指摘した。
「大学でジェファーソンを研究することが出来るんですか?」とローデンストックが返事を送ってきた。「ジェファーソンと関わるワインについては彼女は何も知らないし、1780年代から1800年代のボトルがどのようなものであったのかについても何も知らない。どんな味わいがするのかについても何もご存知ない。」 
ローデンストックやこれらのボトルを応援する形で、ブロードベントもモンティチェロに宛てて手紙を書いた。このように、バージニア州の歴史家とヨーロッパのワイン通との間には橋を架けることなんてとても出来そうもない、ある種の哲学的なギャップが横たわっていた。ブロードベントは、ローデンストックと同様、ワインを賞味する官能試験に基づいた豊富な経験は歴史家が示す証拠にも勝るんだとの自信を表明した。19866月には、彼はローデンストックの1787年のTh.J.ブランヌ・ムートンの1本を試飲した体験を書いている。このワインは「素晴らしくうまい」とブロードベントは評価した。「この素晴らしい古ワインが本物であるかどうかといった疑いを誰かが抱いているとしても、そんな疑いはこれで完全におさらばだ。確かに、これらのボトルがジェファーソンの所有物であったという証拠は書き物ではないけれども、これはジェファーソンが注文したものであるに違いないと、今、私は確信する。」
このワインについて疑問を投げかけたのはモンティチェロの研究者たちだけだったというわけではない。
クリスティーズのオークションで例のボトルがフォーブスによって落札される前に、ローデンストックはハンス・ピーター・フレリックスという名のドイツの蒐集家に1本の「Th.J.ラフィット」を約1万ドイツ・マルクで提供していた。フォーブスがその価格の40倍にもなる金額を費やしたことを知って、フレリックスは自分が持っているボトルをオークションにかけてみようと決心して、ブロードベントに連絡した。しかし、そこへローデンストックが介入してきた。フレリックスは転売しないという条件であのボトルをフレリックスに売ったと彼は言う。(フレリックスはそんな条件は存在していないと主張。)フレリックスはサザビーズへ申し入れをしてみたが、このオークションの専門業者は、証拠を精査した後、ボトルの来歴が不確かであるとの理由でこの申し入れには応じなかった。
サザビーズが疑いを持っていることと並んで、ローデンストックが再販を妨げようとした事実はフレリックスに疑惑の念を生ぜしめた。1991年、彼はミュンヘンのある研究所へそのボトルを持ち込んで、放射性炭素による年代測定を行った。すべての有機物は放射性の炭素14を含んでおり、特定の崩壊速度を示す。ワインがどれほどの年数を経ているかを概算するために、専門家はボトルに含まれている放射性同位元素の量を分析することができる。炭素14の半減期は長い。それ故、数世紀程度の古さを評価するには放射性炭素による年代測定は不正確である。しかし、1950年代から1960年代に大気中で行われた原爆実験は貴重な基準点を提供するのである。つまり、その期間は炭素14のレベルが急上昇する。この古ワインの場合、炭素14ともうひとつの放射性同位元素であるトリチウムの量が200年前のワインに期待される量よりも格段に高いレベルを示したことから、科学者たちはこのワインには1962年以降のワインが約半分は混入されているとの結論を導いた。フレリックスはローデンストックを訴えた。1992年の12月、ドイツ法廷は、ローデンストックは「ワインに混ぜ物をした、あるいは、混ぜ物がされたワインであることを知りながらそのワインを売却した」として、フレリックスに有利な判決を下した。(ローデンストックは不服申し立てをして、フレリックスを名誉棄損で訴えた。しかし、この訴訟は最終的には法廷外で決着となった。)
MI5のエージェントに加えて、疲れを知らないエルロイはドイツで民間調査員をもうふたり雇い入れた。彼らはハーディー・ローデンストックは架空の名前であることを見い出した。調査員たちはローデンストックの生まれ故郷で、今はポーランド領内のマリエンヴェルダーを訪問した。彼らはコークにこう報告している。ローデンストックは地方鉄道の職員の息子として生まれ、マインハード・ゲルケという名前だった。彼らはローデンストックの母親をインタビューし、彼が学んだ小学校を訪れた。ローデンストックは機関士としての教育訓練を経て、ドイツ連邦鉄道にて職を得た。これらの調査員たちは彼が主張するような先生であったという事実は見出すことができなかった。かって、70年代から80年代にかけて、ローデンストックの恋愛相手であったドイツのポップ歌手、ティナ・ヨークにもインタビューをした。ヨークは彼らにこう喋ってくれた。彼女とローデンストックとの関係が続いていた約10年間、彼は以前の結婚で二人の子供がいることを隠していたという。「彼はしょっちゅう二人の甥のことを話していたわ」と彼女は言った。
ローデンストックはヨークと出逢った頃には自分の名前を新しい名前に変えていた、と調査員は言い、彼は有名なローデンストック家の出身であると彼女に告げた。ローデンストックがワインに興味を示し始めたのはちょうど彼がヨークと一緒にいた頃であった。彼女自身は彼の趣味には関心がなかった。彼女はジャガイモのサラダを彼の空調が効いたワインセラーへ入れた時のことを良く覚えている。彼女はサラダを冷やしておきたいと思っただけであった。「ローデンストックはカッとなって、理性を失ったかのようだったわ」と、彼女は言う。
ローデンストックは素晴らしい嗅覚を持っていて、目隠しで行う試飲会ではワインの識別において鋭い能力を発揮した。エルロイは彼がワインを混入する技を駆使しているのではないかと睨んだ。ワインの混入そのものは何種類かのブドウをブレンドして特定の味わいを持った銘柄を作り上げるためにワイン農場が採用するごく普通の技術である。ワイン・ボトルの中に詰め込まれたブドウの種類を特定することができるような科学的な試験方法は存在しない。エルロイの推測は続く。ローデンストックは様々なワインを混ぜ合わせて偽物をでっち上げたのではないだろうか? 本物そっくりに見えるようにカクテルを作るために偽物作りがよくそうすると言われているように、たとえほんの少量のポートワインであってさえもだ。これらの疑念を晴らそうとして、エルロイの調査チームは何人かをインタビューして、ローデンストックが偽物作りを行ったかも知れないような作業所あるいは実験室を持っていたかどうかについて調査を行った。すると、昨年の10月、アンドレアス・クラインという名のドイツ人が現れ、コークのチームに接近して来た。彼は、ローデンストックは彼の家族が所有するアパートに何年間か住んでいたことがあるという話をした。クラインがローデンストックのアパートの上にもうひとつのアパートを増設しようとした際に彼ら二人の間では口論となり、裁判所で争うまでに発展した。2004年、ローデンストックがこのアパートを放り出した時、クラインは以前の入居者の地下室へ入ってみた。そこには、一山の空き瓶や見ただけでも分かる真新しいワインのラベルが見つかった。これらの主張に反応して、ローデンストックはクラインに対して訴訟を開始した。
ワインの偽物作りにはふたつの方法がある。つまり、ボトルの内部にあるワインにはまったく手をつけない方法とワインそのものに手を加える方法である。最高級のワインの値段は多くの場合関係のないワインの値段とは比べようもないほど高価であるから、多くの偽物作りたちは中身には手を付けない。1980年もののペトリュスを1982年物のラベルに貼りかえる。(82年ものは誰もが欲しがり、高価である。)精巧なスキャナーとプリンターさえあれば、ラベルの張り替えは容易い。私が話をしていた競売の専門家はこれを「デスクトップ・パブリッシング」と呼んでいた。 ボトルに詰められているコルクには年号が付されているが、偽物作りの連中は、消費者はこんなものには気が付かないと言わんばかりに、時には年号の最後の数字を消してしまう。さらには、コルクはボトル内に何十年間も詰められていることから変質を起こし易いので、コルクの詰め替えサービスを提供するブドウ園もある。ということで、ボトルに新しいコルクが詰めてあったとしても、そのこと自体が直接的に疑惑につながるわけではない。何れにせよ、ワインの買手がボトルを開栓するまではコルクはフォイルによって覆われている。
偽物作り側が持つ最大の利点は、多くの買手はその偽物ワインを開栓しようとはせず、ボトルを開けるのは何年も先のことだ。ビル・コークはワインを所有してはいるが、それを飲もうとは思わないと私に言った。彼は特定のブドウ園で生産されたワインをベースボール・カードを一式集めるかのような調子で蒐集している。「私はラフィットの150年の歴史をこの壁に陳列してみたいだけなんだ」と言った。彼は手に入りにくい年代のワインを消費しようとはしないだろう。そんなことをすれば、その一連のセットを台無しにしてしまいかねないし、希少価値のある古ワインは作が良かった年のものではなく、むしろ不作だった年に由来することが多い。歴史的に見ると、極上のワインが生産された時は、蒐集家たちはこれらのワインがどのように熟成して行くのかを見極めようとする、とコークが説明してくれた。しかし、著名なブドウ園がそこそこのワインを生産した時には、ワインが瓶詰されると皆がすぐに飲んでしまう傾向にあることから、結果として、その年の製品は品薄となる。彼はどうして古ワインを飲もうとはしないんだろうと不思議に思うと私が言った時、「カスター将軍愛用のライフルは決して撃ってみようなんて思わないよ」と、コークは肩をすぼめて言ったものだ。
偽物作りにとっての二番目の利点は、収集家がワインのボトルを開栓する時、多くの場合、彼らは経験を欠いており、これらのボトルが騙そうとしていることを感知するだけの味覚や嗅覚を備えてはいない点だ。何と言っても、混ぜ物がされてはいない純粋な古ワインであっても、瓶が変わる度にその味わいが大きく異なることがある。「ワインは生き物だわ」と、サザビーズのセリーナ・サットクリフが私に言った。「ワインは動き、変化し、進化しています。40年、50年、60年と蓄えられたワインの場合、それらのボトルが同一の条件下で肩を並べて貯蔵されていたとしても、個々のボトル間でさえも大きな差が現れることがあるんです。」
複数の研究によると、ワインの香りを嗅ぎ、ワインを味わう行為は脳の知的領域からの外乱によって著しく影響を受けるということが知られている。数年前、ボルドー大学で醸造学の博士課程の学生であるフレデリック・ブロシェがある研究を行った。彼は75人の参加者にラベルを見るとテーブル・ワインとしてはまずまずのものであることが一目で分かる中程度のボルドーの赤ワインを提供した。その1週間後、彼は同じワインをもう一度提供した。今度はそのワインがグラン・クリュであることを示しているボトルから注いだのである。一回目には参加者たちはそのワインを「単純だ」とか、「バランスに欠けている」、あるいは、「コクがない」と評したものだが、二回目には彼らは同一のワインを「奥が深い」とか、「バランスがいい」、あるいは、「コクがある」と評した。ブロシェは、ラベルを見た時に生じる我々の「知覚的な期待感」がワインで感じたことを統制してしまい、ボトル内にあるワインに対して実際に知覚した反応を無効にしてしまうのではないかと述べている。 
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この記事はえんえんと続く。

競売の様子から始まって、競売の背景、売る側と買手側とのやりとり、学問的な情報、等々。また、なぜ偽物が横行するのかについても、心理学や脳の認識の分野も含めて、さまざまなことを学ぶことができた。超高級ワインの世界の表と裏をちょっと垣間見た感じである。

この続きは次号のブログで扱おうと思う。

2015年も残り僅かとなった。忘年会のシーズンでもある。白だ、赤だ、と言ってワインを味わう機会が多いと思うが、我々庶民にとっては、この記事で扱われているような超高級ワインは、間違いなく、現実離れした世界だ。1本の古ワインの価格が一軒の家とほとんど同じ価格であることを受け入れるには、安酒をかなり飲んでからでないと無理だと思ってしまうのは私だけであろうか?


参照:

1The Jefferson Bottles: By Patrick Radden Keefe, The New Yorker, Sep/03/2007