2011年3月23日水曜日

ブカレストの春

1973年から3年間程、ルーマニアの片田舎の石油化学コンビナートで日本企業から派遣された技術陣の一員として私は働いていた。早春のある日、通訳の女性が小さな白い花を届けてくれた。「ギオチェイ」と呼ぶとのこと。31日は「マルツショール」という贈り物をし、春の到来を祝う習慣がある。春を象徴するこの慣習は古く、古代ローマ時代にまで遡るという。春の象徴は愛の象徴でもある。まだ雪が降っても決しておかしくはないこの時期に山野に開花する可憐な花を何本か集めて作られたギオチェイの小さなブーケはこのマルツショールの日に彩りを添える重要な役割を持っている。

私の実家がある長野県では春一番の草花と言えば福寿草。山野へ分け入った場合は檀香梅があげられようか。雪の中に黄色の福寿草の花を見ることさえもある。日本とヨーロッパとでは花の種類こそ異なるものの、何れも心が弾むような早春の風景だ。

日本ではこの311日に東北関東大震災が発生。地震と大津波により甚大な被害を受けた。ブカレストに住み始めた私にとっては、テレビやインターネットでのニュースに釘付けになる日々が続いた。特に津波による被害はすさまじいもので、壊滅的な被害を受けた市町村がたくさんある。被災者の皆さんには哀悼の意を表したい。そして、残されたご家族の皆さんには一日も早く再起していただきたいものと願うばかりだ。また、福島第一原発の事故による放射性物質の放出はニュースで大々的に報道され、今や内外を問わず原発の将来についての議論が活発になっている。ヨーロッパでは25年前に旧ソ連邦でのチェルノブイリ原子力発電所での事故を経験しているだけに、今回の福島原発での放射性物質の漏えいはマスメデイアの恰好の報道対象となったみたいだ。

いたたまれないようなニュースが続く中、321日、ブカレストでは最大の公園であるヘラストロウ公園へ出かけることにした。この日は、先ず、日本人会からの呼びかけがあった東北関東大震災の犠牲者の皆さんに向けた大使公邸での弔問記帳を済ませた。それから、この公園へ向かった。既に時期が過ぎていることは承知の上で、ギオチェイの花を探したかったのだ。

ブカレストでは車を運転しないことに決めていた私は外出する際にはタクシーを使う。そんなことから、30代の若い運転手君と懇意になっている。彼は英語も話すので当方にとっては非常に重宝だ。「何処かギオチェイが咲いているような場所へ行きたいけど、当てがないかい」と聞くと、運転手君は「1週間ばかり前に60キロ程離れた田舎へ行って来たんだけれど、その頃がちょうど満開だったから、もう遅すぎると思う」と、そっけない返事。彼としてもブカレストでは具体的に何処と言って思い当たる場所はないみたいだ。結局、凱旋門の近辺で停車して貰い、ヘラストロウ公園を物色してみることにした。


黒々とした落葉樹が幹や枝をかなり高くまで伸ばしている。新芽はまだ膨らんではいない。まだ冬の眠りの中だ。それでも、地表は既に薄い緑色が支配的になってきている。何本かの歩道に沿ってぶらぶらと歩いてみた。花らしいものは見当たらない。何の収穫もなくひと廻りして戻ってきた。公園の入り口に警官がいたので、来年のためにもと思って尋ねてみた。「ギオチェイの花は咲いていないだろうか。咲 いていたら写真を撮りたいのだが・・・」と。「この歩道を真っ直ぐ行くと、歩道が終わる辺りにミハイ・エミネスクの像がある。その周辺に咲いていたのだが・・・」と言って、携帯を取り出し同僚を呼び出した。ちょっと先にいる同僚と言葉を交わした。何とまだ咲いていると言うではないか。


喜び勇んで歩いていくと左手に像がある。周辺をみると確かに小さな白い花をつけたギオチェイが僅かに残っていた。かなり大型の犬が一頭居眠りをしており、早春を満喫しているかのようだ。その辺りにも幾つか咲いている。野良犬かもしれないその犬を邪魔しないように手前のギオチェイを撮影することにした。待ちに待った一瞬だった。


さらに先へ移動すると、色とりどりのクロッカスが咲き誇っているのが目に飛び込んできた。白、黄色、濃いブルー、縞模様と様々だ。
 


これからパンジーやデイジー、水仙、タンポポ、等の草花が咲き始めることだろう。そうこうする内にレンギョウ、リンゴ、スモモ等の花が満開となってくる。今年もブカレストの花前線は駆け足でやってくる筈だ。

ブカレスト市内でギオチェイが咲く場所を少なくとも一か所見つけたということは素晴らしい収穫だ。来年の春は2月の下旬頃から注意して観察をしていきたいと思う。この冬は3月に入ってからも降雪があった。私が挑戦したい写真はギオチェイが開花した後に雪がやって来て、雪の中からギオチェイが顔を出しているような姿だ。「そんな姿を撮影できたらな~」と、今から楽しみにしている。




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