2012年1月12日木曜日

TPPのISD条項はどんな悪さをもたらすか?

日本政府は環太平洋連携協定(TPP)の交渉に参加すると表明した。
 
しかしながら、国会議員の半数にもおよぶ反対に出あったり、与党内からさえも慎重論が出るに至って、野田首相は昨年1115日には「国益損ねるならTPP交渉不参加も」との意向を示したとも伝えられている[1]
 
そして、本日(2012112日)の報道によると、政府はオーストラリア、シンガポールおよびマレーシアへ政府代表を派遣し、交渉参加に向けた事前協議を開始すると発表した。
 
賛成派と反対派にはそれぞれの言い分がある。賛成派は人口が減る一方の国内の市場とは違って、TPPによって日本の産業が必要とする輸出市場を拡大できると言う。反対派は、競争力の無い農業部門は大打撃を受けると懸念している。日本の食料安全保障が脅かされてしまうと言う。さらには、農業の分野でけではなく、保険や金融制度、郵便制度、医療制度、等は壊滅的な影響を被るのではないかとも言われている。
 
それぞれの論理には一理ありだ。

今後、どのような展開となるか予断を許さない。
 
その中で現実について最も覚めた見方としては、日本政府はTPP条約に関して米国政府の意向に逆らうことができずに、日本の市場を米国の思うままに開放しようとしているという指摘だ。
 
TPPは二国間協定ではなくて、合計10カ国が参加することになっている。しかしながら、このTPPは、参加各国の経済規模から見ると、実質的には日米間の協定であると言っても過言ではないとも言われている。要するに、米国の交渉戦略は日本を対象としたものだということだ。
 
TPPに参加すると、今でさえも危険なほどに低い日本の食料自給率(カロリーベースでは、平成22年度においては前年度からさらに1ポイント低下し、39%となった)は14%にまで低下するだろうと試算されている。食料自給率の向上は如何なる国家にとっても最重要課題の筈だ。一国の安全保障上の課題である。食料自給率が14%に低下する。こんな低いレベルになることを独立国家として許しておけるのだろうか?
 
しかし、食料自給率の低下だけが問題であるわけではない。
 
もうひとつの大きな問題はTPP条約に含まれるISD条項にある。
 
ISD条項とは「投資家対国家間の紛争処理条項」である。投資家とは自由貿易協定を結んだ締約国の投資家を指す。TPPの場合、日本も締約国のひとつとなり、日本から米国への投資もこのISD条項の対象となる。
 
しかし、米国にとっては米国の投資家が日本市場で行う投資を最大限に守り、その恩恵を最大限引き出し、日本において彼らの利益を治外法権的に保護することがこのISD条項の最大の眼目だ。もっと分かり易く言うと、米国の投資家を通じて日本の富を収奪できるような構造をこの条約を通じて資本家に提供することだ。周到に準備された、体のいい現代版の植民地構造である。何時からか、これは「グローバル化」の一部となった。誰のためのグローバル化かと言うと、それは米国の資本家のためであると言えよう。
 
アメリカは押しも押されもしない訴訟大国だ。弁護士の数では群を抜いている。訴訟大国の米国には弁護士が106万人もおり、日本ではたった2万人。日本の弁護士の数は米国の50分の1にも足りない。もちろん、頭数だけでは比較できないという議論も成り立つが、働き者である日本人であるとは言え、これは圧倒的な違いだ。ISD条項を用いて日本市場で起こる米国の投資家と日本政府との間の紛争は大人と子供との喧嘩みたいになるだろう。
 
日本にとっては対応できる見込みは殆どゼロだ。つまり、紛争が起こると、損害を受けたと言ってゴリ押しする米国資本に日本政府あるいは東京都や大阪府は多額の賠償金を支払うことになる。これは日本国民が納めた税金から支払うことになるのだ。


そこで、すでに18年の歴史を持つ北米自由貿易協定(NAFTA)では「一体何が起こったか」、「今何が起こっているのか」を検証してみたい。NAFTAはカナダ、米国、メキシコ間の条約として、199411日に発効した。18年前のことだ。このNAFTの実情を少しでも研究してみることはTPPISD条項を理解する上で有益だと思う。
 
201011月のカナダの記事を仮訳して、カナダではNAFTAのもとで何が起こっていたのかを検証してみたい。14ヶ月ほど前の記事だから、決して古い情報ではない。
 

<引用開始>

北米自由貿易協定(NAFTA)のもとではカナダに対するISD条項の行使が急増
― 研究報告 - (2010114)[2]
 
【オタワ発、2010114日】カナダでは中央の機関から地方の州に至るまであらゆるレベルの政府機関が、NAFTA条約第11章(投資および紛争処理)の違反であるとする投資家側からの提訴にさらされており、その件数が急増している。この報告は「カナダ政策選択肢センター」(CCPA: Canadian Centre for Policy Alternatives)によって本日公表された。
 
CCPAの上級貿易研究員であるスコット·シンクレアー氏が行った分析結果によると、投資家がカナダ政府を相手に行った訴訟件数は201010月の時点で66件もあって、その内の43%は国外の投資家によるものだ。

「過去5年間の趨勢は実に驚きに値する。NAFTAが発効して15年にもなるが、カナダ政府を相手取った訴訟はその半数以上(54%)が最近の5年間に起こっている」と、シンクレア氏は言う。「この趨勢が示唆するのは、外国の投資家や企業の法務部門がNAFTAのもとでの投資家の権利について認識を深めており、カナダの公共政策が投資家に損害を与えているとしてカナダの政策に異議を唱え、提訴することにますます意欲を燃やしているという点だ。」
NAFTAは連邦政府によって署名されたものではあるが、NAFTA条約の第11章に基づく訴訟の大部分は連邦政府ではなく州政府を相手にした資源管理や環境保護の政策に関するものが多い、とこの分析結果は指摘している。

「オタワ政府はNAFTA条約第11章に基づく提訴を解決するために13千万ドルを支払うとこの夏決断した。これは重大な問題だ。」とシンクレア氏は言う。「連邦政府はニューファウンドランド&ラブラドール州において投資家側が失ったとする水や木材の権利に関して投資家側に損害賠償を支払ったが、カナダの国内法ではそのような権利が損害賠償の対象になることは決してなかった。」

2010101日現在、投資家と国家間の紛争は、カナダ政府に対しては28件あり、米国政府に対しては19件、そして、メキシコ政府に対しては19件となっている。

カナダ政府がすでに支払ったAFTA条約による損害額は157百万カナダドル(訳注:20121月11日の為替レートによると、約11775百万円に相当)に上り、それとは別に、裁判費用として数千万ドルもの金額が浪費されている。

–30–
NAFTA条約第11条(投資家対国家間の紛争解決条項)は下記のハイパーリンクで入手可能。

さらなる情報が必要な場合は、CCPAの上級相談員、ケリー·アン·フィン宛にご連絡を。電話番号:613-563-1341、内線306

関連のある報告書および研究:
NAFTA条約第11条(投資家対国家間の紛争処理)のもとで提訴された201010月までの事例[3]
     本報告書はNAFTA条約第11条(投資家対国家間の紛争処理)のもとで201010月までに提訴された66件の紛争事例を収録し、最近の重要な事例を分析している。そこには、Abitibi-Bowaterからの訴えを解決するためにカナダ政府が決定し、13千万カナダドルもの和解金を支払ったことから問題となった訴訟事例も含まれている。本報告書によると、カナダではことさらに、政府のいたるレベルがNAFTA条約第11条の違反として投資家の標的となっており、提訴の対象となっている。投資家対国家間の紛争処理条項は、2010101日現在、対カナダ政府で28件の訴えがあり、……
 
2010114 | カナダ国内官庁

<引用終了>
 

✍   ✍   ✍   ✍   ✍


この引用記事に参照されているAbitibi-Bowater社の提訴についてもう少し詳しく調べてみよう[3]


<引用開始>

提訴の日付:2009423日。
 
紛争の内容:同社は世界屈指の製紙業者である。同社は米国のBowater社とカナダのAbitibi Consolidated社が2007年に合併して、誕生した。2009年にAbitibi-Bowater社は破産保護申請を行った。2008年の11月、同社はニューファウンドランド州にあるパルプ製紙工場を閉鎖すると発表した。同社は1905年から同州で工場を操業してきた。2008年の12月、ニューファウンドランド&ラブラドール州政府は同社が持つ水の使用権と木材権を国へ返還させ、水の使用権と水力発電の権利に関する土地と資産を没収するための立法処置をとった。
 
Abitibi-Bowater社の提訴理由:カナダ政府はNAFTA条約の1102条(内国民待遇)、1103条(最恵国待遇)、1105条(待遇の最低基準)、1110条(没収および賠償)に抵触したと主張。
 
賠償請求金額:46750万ドル。
 
状況:意向通知は2009423日に受理された。賠償請求は2010225日に提出された。20108月、カナダ連邦政府はこの紛争を解決するためにAbitibi-Bowater社に対して13千万カナダドルを支払うことに同意したと発表した。
訴訟も起こさずに和解するという政府の決定は幾つかの理由から非常に重大だ。第一に、NAFTA関連での和解金としては今までで最大の金額である。第二に、Abitibi-Bowater社にはカナダの国有地における水と木材に関する権利を喪失したことに対して賠償金が支払われた。通常、カナダの憲法のもとではこの種の権利は賠償請求の対象とはならない。最後に、カナダ連邦政府はこの件については和解に要した費用をニューファウンドランド州政府から回収することはないが、将来は、連邦政府としては連邦政府が支払ったNAFTA関連の賠償金は地方政府から回収すると述べた。

<引用終了>


ある評論は現状をこう描いている。NAFTA条約のもとで、米国の多国籍企業は今やカナダ政府をも凌ぐ存在となり、カナダの環境保護政策や資源管理政策さえも左右するほどになってしまった、と。
 
11条はそもそも各締約国が海外からの投資家に対して公正かつ公平な待遇を与え、国内の投資家と同等に扱うことを目指したものではなかったのか。ところが、上記の引用例に見ることができるように、NAFTAの下でのカナダでは、米国の投資家はカナダ国内の投資家には与えられないような賠償金さえも入手しようとし、それに成功している。これは完全に悪用だ。
 
当初はこのような悪用は想定外だったかも知れない。ところが、カナダでは最近5年間カナダ政府を食い物にしようとする多国籍企業からの提訴が急増した。濡れ手に粟の荒稼ぎである。

どのようにしてこのような悪用を予防するのかを早急に政府間で交渉し、解決策を見出す必要があると思う。
 

もう一点付け加えたい。
 
NAFTAでは「ラチェット条項」が導入された。これは、条約の締結後、締約国は相手の締約国に対して市場の開放をさらに進める義務を負うとする条項である。「当初は自国にとって有利だと思ったが、後で気が付いたらどうも良くない、撤廃したい」としても、それをさせない条項だ。
 
この規定によって、後戻りはできないのだ。
 
例えば、TPPの締結時にはコメの輸入関税を日本の思い通りにすることができたとしよう。
しかし、締結後は、コメをTPPの対象外に置かない限り、日本はこのラチェット規定の存在によって関税を低めるよう執拗に求められることになる。最後は、日本の食料自給率は14%にまで下がり、米国の多国籍企業の最大の顧客となる。
 
そして、日本への食料輸出は政治的交渉の場においては日本に対して強力な武器に変身することができる。これは簡単に想像できる道筋である。


上記の引用は、日本が参加するか否かで国論を二分しているTPP問題について、特に、ISD条項が持つ危険性についての理解を深める上で役立ったのではないだろうか。少なくとも、そう期待したい。また、NAFTAで起こった問題点を把握することは今から行われる政府間交渉のためにも多かれ少なかれ重要だと思う。何よりも重要な点は選挙権を有する個人個人が明確な展望を持つことが求められていることだ。
 


典: 

[1] 国益損ねるなら交渉不参加も - 首相: 日テレNEWS24、20111115日。
 
[2] NAFTA investor-state claims against Canada surge: study: CCPACanadian Centre for Policy Alternatives)のウェブサイトから。2010114日。

[3] NAFTA Chapter 11 Investor-State Disputes (to October 1, 2010): By Canadian Centre for Policy Alternatives (CCPA)












0 件のコメント:

コメントを投稿