2013年7月9日火曜日

慰安婦問題について - 国際的な視点から


副題: ベトナム戦争における米軍、ならびに、ドイツの占領下にあったフランスを開放した米軍
 
最近の日韓両政府間の冷却ぶりはかってない異常な域に達していると言わざるを得ない。そのような状況を引き起こした最大の要因は日韓首脳間の歴史認識のずれにあるようだ。
72日、安部政権になってから初めての日韓外相会談が開かれた。しかしながら、日韓首脳会談の開催については2日の朝鮮日報[1]によると、「ソウルの高いレベルの外交消息筋の話として、韓国の朴槿恵大統領には依然、日韓首脳会談を行う考えがないと報じた。安倍内閣の歴史認識に関する態度への不満が続いていることが原因だという。」
ボールは日本側へ投げ返されている。このボールは日本がずっと抱えているわけには行かない。ゴールまで持ち込めるエネルギーと気力を持っていれば別の話ではあるが、このボールは相手に投げ返さなければならない。
そして、米議会調査局は右寄りに偏り始めた安部政権を見て危機感を感じたようである。その危機感は2ヶ月程前に表明された[2]。ここでも、ボールは安部政権が抱えたままの感じだ。下記に引用部分を段下げして示そう。
米議会調査局は(5月)8日までに、日米関係に関する報告書を発表し、安倍晋三首相の歴史認識やそれに関連する発言は「東アジアの国際関係を混乱させ、米国の国益を損なう可能性があるとの懸念を生じさせてきた」とする見解を掲載した。
また、阿部首相を「強固なナショナリストとして知られている」と指摘。第2次大戦中の従軍慰安婦や歴史教科書、靖国神社参拝に関する首相の言動は、韓国や中国だけでなく、米国からも「常に監視されている」と記した。
従軍慰安婦問題については、戦時中の旧日本軍の関与や強制性を認めた1993年の「河野談話」を見直せば、「対韓関係は悪化するだろう」とした。
閣僚の靖国神社参拝を受けて韓国外相が訪日をキャンセルしたことなど、両国関係がぎくしゃくした状況が続いていることも紹介した。(共同)
また、国連も動き出した。橋本大阪市長の言動を受けて、国連の拷問禁止委員会が日本政府に対して勧告を促した[3]。国連の勧告はその一部を示すと次のような内容だ。
国連の人権条約に基づく拷問禁止委員会は(5月)31日、旧日本軍の従軍慰安婦問題について「政府や公人による事実の否定、被害者を傷つけようとする試みに反対する」ことを日本政府に求める勧告をまとめた。橋下徹大阪市長らによる最近の発言を踏まえたものとみられる。
日本政府は、慰安婦問題は拷問禁止条約が発効した1987年以前に起きた事象であり、対象外と主張してきた。しかし、勧告は日本政府に対し「慰安婦問題の法的責任を認め、(法律を犯した者を)適切に処罰する」よう求めた。同委による対日審査は2回目。21、22日に6年ぶりに実施され、同委が日本政府に見解をただしていた。
同委のマリーニョ氏はジュネーブの国連欧州本部で記者会見し、慰安婦問題の解決に向け「日本政府の歴史的、現実的なさらなる取り組みが必要だ」と強調。「歴史教科書に慰安婦問題の記述がほとんどないことを強く懸念している」と述べた。
いわゆる「慰安婦問題」については、事実確認をしなければならなかった1990年代の初動段階において日本政府や外務省は適切な対応をしなかったのではないだろうかと、素人ながらも考えさせられる。
私がそう思う最大の根拠はインターネット上でアクセス可能な「 NYタイムズのための「慰安婦問題」入門」と題されたpdf文書だ[4]。(なお、この日本語の文書は最近英文化されている。これは結構なことだ。)二つ目は「<慰安婦>情報戦争の真実」という日本語の副題がついた、別の著者による英文の文書である[注5] 

まず、[4]の資料の全体像を見るために、文中の各セクションの表題を列記してみる。 

・年頭からNYタイムズが取り上げた慰安婦問題

・「詐話師」の嘘から始まった慰安婦騒動

・慰安婦の「強制連行」は朝日新聞の大誤報

・誤解と行き違いが重なって問題が拡大した

・拙劣な政府の対応が世界に誤解を拡大した

・必要なのは批判ではなく治療 

同様に、[5]の文献についてもその全体像を見てみよう。文中の各セクションの表題を仮訳し、それらを列記してみる。 

・なぜ「慰安婦問題」が米国で取り上げられたのか?

・北京とワシントンDCとを結ぶ点と線

・恐るべき情報洗浄の策略

<河野談話を見直す用意があるとして米紙によって報道された首相の見解> 200733日、1223

・その3日間に何が起こったか?

・田淵広子記者が捏造した記事(NYタイムズに掲載)

・悪意を持って捏造された記事はどのように作成されたのか?

・実際には個人的な取材も行わないで、インタビュー記事を書く恩着せがましい態度

・朝日新聞の役割、それは放火犯そのもの

・約70年前に起こったことと同じ構図

・嫌われ者の再来、岡崎トミ子議員の法案

・日本の民主党の法案に見られる日本人に対する人種偏見

・首相官邸が情報の流布を放棄

・頭脳集団の育成が急務だ

3年後の検証 - 阿部前首相は謝罪をしてはいなかった 

「北京とワシントンDCとを結ぶ点と線」の項で述べられている著者の見解は秀逸だ。それはまさに日本に対して情報戦が行われた事実を示している。それとは対照的に、日本側はなす術を持ってはいなかった。あるいは、情報戦という理解がなかったが故にその潜在的な危険性を過小評価していたのかも知れない。結局、慰安婦問題という情報戦においては、目下のところ、中国側の勝ちと言わざるを得ない。残念ながら、それが現実の姿だ。 

この文書[5]は慰安婦問題を情報戦争の観点から分析し、日本が情報戦ではまったく無防備のまま翻弄された状況を詳しく検証している。この文書の著者は日本政府も外務省も情報戦を生き残る英知や手段を持ってはいないと看破している。また、著者はメデイアの役割、特に真実を伝える役割に関してメデイアの現状を手厳しく批判している。この慰安婦問題に関して言えば、朝日新聞の姿は「自分が放火してその火事を報道したというNHKの記者のようだ」とさえ述べている。 

上記のふたつの資料、[4]および[5]を読んでみると、好むと好まざるとにかかわらず、従軍慰安婦の問題はすでに国際的な理解として定着してしまった。しかしながら、その慰安婦問題の根拠が如何に脆弱であるかもまた明白だ。日本にはこれだけ多くの情報が蓄積されている。海外のメデイアが歴史的事実をどの程度理解しているのかに関しても、すでに幾つもの矛盾点が洗い出されている。したがって、日本政府や外務省は虚偽の土台上に構築され、国際的な広がりを持つに至ったこの従軍慰安婦問題について、今や日本の立場を説得力のある内容をもって改めて反論することができるのではないかと思う。 

そうすることによって、日本の主権を防護し国益を優先する独自外交ができるのではないか。国際社会に対して真実の情報を発信する上で遅すぎるということはない。何もしないことは最悪だ。 

少なくとも、現状のままでは日韓両国ならびに日中両国における協調的な動きは何も期待できそうもない。現状を見ると、韓国にとっては中国と組んで「日本封じ込め」を実現する絶好のチャンスとさえなってしまう。 

この慰安婦問題に関する情報戦の背景には中国と米国との共闘体制があるようだ。たとえその動きが民間人によるものであったとしても、米中両国の政府にとっては決して不都合ではなかったのだろう。安部首相がしばしば口にしていた米国主導による「中国包囲網」の声は小さくなるばかりだ。それとは対照的に、日本は米中韓による「日本包囲網」による消耗戦に突入させられてしまったのではないか。阿部政権は今この情報戦で翻弄されっ放しである。 

国際的な情報戦での失敗は国内での情報戦の失敗の反映であるとも言えよう。総合的な情報収集やそれに基づいた政府の確固たる歴史認識が確立されないまま、国内ではメデイアの言いたい放題となってしまった。結果論的に言えば、阿部内閣や外務省にはさまざまな戦術はあったのかも知れないが、基本的な戦略はなかったのではないか。ちなみに、[5]の著者は「メデイアは基本的に善であり信頼に足る」とする阿部首相の受け止め方には非常に批判的である。 

また、米議会調査局が言うところの「米国の国益を損なう」という意味は、東シナ海の幾つかのちっぽけな島々をめぐって日本を支援するために中国と戦争をする意思はない故、東アジアにおいて日本が余りにも反中国の政策や行動を取ると、それは米国にとっては迷惑この上ない事態に発展するかも知れない。今の米国には東シナ海において中国に対抗して軍事的な存在感を高め、それをもって中国に対する抑止力とするだけの軍事的、財政的な余裕はないのではないか。つまり、安部首相が国内の人気取り政策に邁進すればするほど、米国の国益を損なうことになる。この傾向が続くようであれば、阿部政権も短命に終わるのかも知れない。 

国連勧告や中韓が慰安婦問題を喧伝し米国が密かにそれを支援する底流には、日本の右傾化、そして、その究極には日本の再軍備を警戒し、そのさらに先には日本の核装備という懸念があって、日本を貶め国際的に孤立させることによってそれを阻止したいという戦略があるのではないだろうか。 

かって日本政府は核装備を行うのにどれだけの時間を必要とするのかを研究した。これは北朝鮮が原爆実験を行った2006年の話だ。研究の結果得られた答えは「3年から5年」だったという。その芽を摘もうとする米中の戦略が一致したことから、慰安婦問題で日本を叩くことによってその後に来る考えられる日本の再軍備や核化の方向性を阻止する目的で米中の連携が保たれているのではないだろうか。 

慰安婦問題は単なる外交上の問題だけではない。通商問題や経済問題、東アジアにおける軍事バランス、核不拡散にまでも及ぶ課題だ。そして、これは情報戦争でもある。

      

旧日本軍の慰安婦問題は今や国際的な論議の対象とさえなってしまった。そして、日本だけが叩かれている。なぜそうなのか。このブログではこの点に焦点を当ててみたい。
橋本大阪市長の慰安婦に関する言動が国際的なレベルで槍玉に挙げられ、あたかも新たな「日本叩き」が始まったかのようにさえ見える。しかし、その議論の内容を見ると、歴史上戦場では何が起こったかを検証しようとする客観的な態度や視点は見当たらない。
歴史を見ると、戦争が長くなればなるほど兵士の性の問題を軽視できなくなるという事実が存在する。そこには国家、民族、歴史、文化、宗教、人種、時代、等に由来する差異はほとんどない。
まさにこの点についてこのブログでは議論してみたい。
非常に長い戦争となったベトナム戦争(1960年〜1975年)では米軍兵士の性の問題はどのような対応がされていたのだろうか。
関連情報を検索してみた。それらの中で今私が最も興味深く感じるのは下記の3点である。
(1)  スーザン・ブラウンミラー著、Against Our Will: Men, Women, and Rape (表題の仮訳:「私たちの意に反して - 男、女、そしてレイプ」):

1975年の初版。手元にこの書籍はないが、その一部分(92頁〜97頁)がインターネット上で入手可能である(zeroempty000.blogspot.com/ 2007/ 04/ official-brothel-during-vietnam-war.html。 後にその部分を参照してみたいと思う。

(2) ジェニファー・ラッツテッターによるAmerican Military-Base Prostitution (表題の仮訳:「米軍基地における売春行為」):

これは全文がインターネットで入手可能。web.wm.edu/so/monitor/issues/06-2/6-latstetter.htm

(3) メアリー・ルイーズ・ロバーツ著、What Soldiers Do – Sex and the American GI in World War II France (表題の仮訳:「兵士たちは何をするか - 戦場の性と第二次世界大戦下のフランスにおける米兵」)

最近この書籍を入手した。後ほどその詳細をおさらいしてみたい。 
 

      

ベトナム戦争(1960年〜1975年)における米軍
スーザン・ブラウンミラーの著書の一部(92頁〜97頁)を部分的に仮訳してみる。引用部分は段下げをして示す。(訳注:[ ]内の文字は私が加えたもの) 

....そして、[フランスによるインドシナ戦争(1946年〜1954年)の後、ベトナムには]アメリカ人が登場してきた。まず、組織化された売春を検証しなければならない。ベトナムにおける米国の存在が拡大するにしたがって、女の体は戦果に対する報奨としてだけではなく、米兵たちに健康で幸福な生活を維持させるためにも炭酸飲料やアイスクリームみたいな生活必需品であるとする米軍内部の暗黙の論理があった。論理が実践へと変わっていった。 

米軍がインドシナ半島で完全に仏軍に取って代わる頃までには、この戦争はベトナム社会をすっかり崩壊せしめ、米軍施設での売春のためにわざわざ外国人を使う理由はないと考える程にまでなっていた。この長い戦争の前のベトナムでは売春は存在してはいなかったと言いたいのではない。ピーター・アーネット記者が語っているように、「売春は昔ながらの伝統でもあって、金がどうしても必要になった場合、一家の長は自分の娘を売り飛ばすことに躊躇することはなかった。」この長い戦争が進行するにつれて、南ベトナムの何千人もの女性にとって売春は唯一の経済的な解決策となっていた。 

1966年、AP通信によると、「ベトナム人女性の尊厳と人権を守る委員会」がサイゴンで結成され、これには数百人にも及ぶ女性教師や作家ならびに社会奉仕の専門家たちが参加した。通信社の報告によると、最初の会合ではさまざまな苦言が表明された。「戦争の惨禍によって、私たち国民は何でもかんでも売りに出さざるを得ない。妻や子供、親戚や友人までもが米ドルを得んがために売られている」と、ある女性教師が述べた。しかしながら、ベトナム戦争の現実に圧倒されて、この「ベトナム人女性の尊厳と人権を守る委員会」の声は二度と聞くことがなかった。 

米軍は売春ビジネスへ段階的に入っていった。その拡大の過程は戦争の拡大と歩調を合わせていた。拡大の背景には戦場における男たちは女を必要とするものだとの前提があった。従軍記者のアーネット氏は、いわゆる「マクナマラ理論」の当然の帰結としてその前提が次第に受け入れられていく様子を目撃した。「1965年のベトナムでは兵士たちを戦いに取り組ませ、満足できる結果を実現することが大事だった。アイスクリーム、映画、プール、ピザ、ホットドッグ、クリーニング・サービス、そして家政婦。家政婦は売春婦として導入されたのではない。家政婦とのセックスは個人的なものであって、その場しのぎの関係であった。多くの家政婦は売春婦になっていったが、当初は売春行為が発覚するとその家政婦は解雇された。」

家政婦はこの新しい環境への第一歩となった。その後にはバーやマッサージ・パーラーの女性たちが続いた。アーネット記者によると、後方の兵士たちが最も多くの「問題」を引き起こした。彼らの間には倦怠と不満感が充満していた。これらの男たちは実際の戦闘に出るわけでもなく勲章を手にするわけでもなく、そのことをよく理解していた。彼らは町へ繰り出して非合法の売春宿へ車で乗りつけることもできたのだが、性病や安全上の理由から売春宿は出入り禁止であった。」(サイゴンからニューヨーク市に至るまで、マッサージ・パーラーは性的な行為の観点からは違法すれすれの存在ではあったが、常に合法的なものと見なされていた。) 

1965年、ダナンの海兵隊基地では一ヶ月に一度大隊規模で街へ出かけることを開始したが、アーネット記者にると、この試みは大失敗だった。「男たちは獣のように街を襲ったものだが、彼らはこれにうまく対処することはできず、最高の混乱状態に陥った。」当初のこの苦い経験に基づいて海兵隊司令部は兵士たちを基地内に閉じ込めておくことにしたが、需要と供給の神聖な原理が動き始めた。間もなく、「ドッグパッチ」と呼ばれる売春宿やマッサージ・パーラーならびに麻薬デイーラーで構成されたスラム街が米軍基地をリング状に取り囲み始めた。「海兵隊員たちは夜中に鉄条網を破り基地を脱出したが、司令部はそれを放置しておくしかなかった」と、記者は私に語ってくれた。

アーネット記者の意見によると(これは私が同意するものではないが)、性的なはけ口に関しては陸軍は海兵隊よりもずっと進んでいた。1966年までに、中央高地地帯のアンケーに駐屯する第一機甲師団、サイゴンの北25マイルにあるライケに駐屯する第一歩兵師団、およびプレイクに駐屯する第四歩兵師団ではそれぞれの基地内に公の売春宿を設けた。

第一歩兵師団の第三旅団基地に属するライケの「レクリエーション・エリア」(遊興施設)は1エーカーもの広さがあって、周囲は鉄条網で囲まれていた。憲兵がその入り口を固めていた。安全上の理由から、この施設は日中のみ利用された。施設の内部には売店があって、ホットドッグ、ハンバーガー、みやげ物などを売っていたが、最大の呼び物は2棟のコンクリート製の建物で、それぞれが百フィート程の長さであった。これらの建物は4千人から成る旅団の倉庫であった。それぞれの建物にはふたつのバーや野外ステージがあって、カーテンで仕切られた60個の個室があった。そこではベトナム人の女性が生活し働いていた。 

....戦争で家屋や家族を失った難民、あるいは、戦争の初期にサイゴンでバーの職場を失った女たちが売春婦の予備軍を形成していた。彼女らは県知事によって採用され、県知事には給料の上前をはねられ、ライケの町長に引渡された。町長にも上前をはねられた。米軍は女たちの調達や給料の配分を民間人に任せることによって、部分的にではあるが自分の手を汚さずにそれを運営し、米軍は女たちの健康と安全についてのみ管理し規制をした。「女たちをチェックし、彼女らは毎週性病の検診を受けていた」と、私の事情通は私に向かってうなずくように話してくれた。 

....陸軍基地における軍の売春宿(「歓楽都市」、「デイズニーランド」あるいは「ブームブーム・パーラー」と呼ばれた)はふたつ星の将軍である師団司令官によって設置され、大佐級の旅団司令官の直接の管理下に置かれた。明らかに、ベトナムにおける陸軍の売春宿はウィリアム・C・ウェストモーランド陸軍参謀長やサイゴンの米国大使館ならびにペンタゴンの理解を得て存在していた。

ベトナムでは性病が軍の最大の懸念だった。そのほとんどは淋病であった。サイゴン郊外のある売春宿では壁に看板を掲げていた。「札を下げている女は病気の心配はない」と。

ベトナム戦争中の米軍基地における売春宿についてここまで読んでみると、原本のたった数頁分のみであるとは言え、NYタイムズやワシントンポストならびにロサンゼルスタイムズの記事や、さらには、米議会調査局の非難、あるいは、国連人権委員会の勧告は一体何だったのかという疑念が強まってくる。やはり、これは日本だけを狙った「日本叩き」なのではないかと思えてくるのである。
橋本大阪市長の慰安婦発言に対する非難は当を欠いているのではないか。上述の米国の新聞記事を書いた記者や編集委員たちは歴史に見られる戦場の性に関する普遍性を見落としている。あるいは、わざと素通りしているのではないか。客観的に検証するジャーナリズム精神を忘れてしまったとする批判から逃れることは困難であろう。
そして、今最も大切なことは何か。帝国主義的行動を取った国々にとっては未解決の共通課題があると認識するべきだ。それは、戦争中に慰安婦として働かなければならなかった女性たちに関して、各国はその歴史的事実をどこまで認めるのか、その責任をどこまで負うのか、どこまで彼女たちへの償いをするべきか、等を国際的な努力を通じて明白にすることだ。これは日本だけの問題ではない。上記に検証してきたように、米国の問題でもある。ヨーロッパの国々の問題でもある。ベトナム戦争に兵隊を派遣した韓国の問題でもあるのだ。

      

ジェニファー・ラッツテッターは占領国と被占領国との政府がどのようにして米軍兵士の性のはけ口に対処したかを報告している。これは終戦直後の日本と米国との関係、日本へ復帰する前の沖縄と米国との関係、朝鮮戦争中およびその後の韓国と米国との関係、米軍の占領下にあった頃のフィリッピンと米国との関係、ベトナム戦争中兵站の中心地であったタイ国と米国との関係を論じたものだ。
具体的な事例をおさらいしてみよう。
....1950年代、米国と韓国の両政府は相互防衛条約を締結した。これは韓国での米軍の駐留を公に認めるもので、その条項には米兵のために遊興施設を設置することが明記された。これらの米兵たちは売春の方程式の中では需要側を意味し、韓国にとっては非常に大きな経済発展につながった。1988年になっても、米兵たちによる韓国の基地の街の利用は続いていた。統計上では、韓国に駐留する43千人の米兵のために米兵だけを相手にする売春婦の数は18千人もいた。二人か三人の米兵に対して一人の売春婦が働いていたことに相当する。
....遊興施設の大半はタイのバンコックにあって、何千人もの米兵たちがこの地へ差し向けられた。米国は1967年にタイ国と協定を結び、タイ国が米兵のために遊興施設を提供することになった。この協定は不幸な結末を招いた。それは「タイ人の女性の体を売ってでもタイ国が外貨を稼ぐ」ことを煽ることになった点だ。莫大な金がタイ国に流れ込んだ。この金の流入は兵士たちのモラルを確保するために米国政府が遊興施設に資金を投下したことから始まった。しかし、米国政府は資金を直接投資することはできないことを十分に心得ていた。下手をすると、米軍基地での売春を継続させたとしてその責任を問われる心配があったからだ。米国とタイの両国はチェース・マンハッタンとかバンク・オブ・アメリカといった国際的な投資家を幾つか勧誘して、タイ国政府に対してローンを組ませた。約4百万ドルの金は表向きはタイのホテルやバーおよびレストランに対するローンであった。現実には、この洗浄された資金は数多くの遊興施設の建設に振り向けられた。
....1962年から1976年まで毎年のように約70万人の米兵が戦場でのストレスから回復するためにタイの遊興施設を継続的に訪れた。
....通常、売春に関して何らかの制裁があったとしても、政府が陸軍の手をピシャリと打つ程度であって、それを越すようなことはなかった。米国の政府自体が米軍基地での売春について責任を持っていたにもかかわらず、国際的な組織にこの問題が提示されると、米国政府は素早くそれに対応して、売春に手を貸したことはまったくないと否定するのが常だった。 

      

ドイツ軍の占領下にあったフランスを開放した米軍: 
メアリー・ルイーズ・ロバーツはドイツの占領から開放されたフランスの国民とノルマンデイーに上陸しドイツ軍を駆逐してくれた米兵との間の葛藤を浮き彫りにし、歴史家の立場から当時の状況を読者の目の前で再構成し、鮮明にそれを見せてくれる。この新刊書に収録された幾つかの事実は米国人にとっては議論の対象にしたくはないようなテーマではないだろうか。
しかしながら、著者は情報を豊富に収録し、著者の見事な語り口によって議論が尽きることがないようなテーマを闇の世界から陽の当たる世界に引き出してくれた。この点こそがこの本の最大の魅力であるのかも知れない。
一部分を仮訳し下記に引用する。引用部分は段下げして示す。
アイオワ州の女性はパリで撮影されたキスシーンは好きになれなかった:
....アメリカ人は「フランス人はセクシーだ」との先入観を常日頃から抱いていたことから、米軍の雑誌「星条旗」は新鮮さを欠くフランスにおける米軍の使命を形成する際にこの古くからある文化的な偏見を最大限に利用した。この美辞麗句を並べた軍の巧みな操作は見事に政治的な成果をもたらした。それは悪戦苦闘しているフランス政府との緊張を和らげ、ヨーロッパ大陸に到来する米国の覇権を少しでも和らげることだった。「星条旗」に掲載された写真は領土に関してだけではなくセックスに関しても米軍の征服を同一視させる感があった。これはによって形成された神話はセックスをコントロールし、男らしさを達成するという妄想であった。この神話は米兵たちに男らしさを鼓舞し、一日の戦いが終わった後には女たちが約束されたも同然であった。他の戦場に比べても、この約束はノルマンデイーの戦場では殊更に重要であった。歴史家たちの議論にもあるように、男らしさは「彼らの中にあるもの」ではなく、「そうなるべき」ものとしてとらえられた。これは常に大きな挑戦であり、その実現は非常に難しい。アメリカ人たちは、大恐慌の時代も含めて、1930年代から1940年代の初めにかけて男らしさに関しては厳しい挑戦を受けていた。この戦争は米兵に対して自分たちの男らしさを見せつける絶好の機会を与えてくれた。しかし、この取り組みは決してなま易しいものではなかった。自国にいる妻やガールフレンドの忠誠心や愛情を考えると、米兵たちにとっては不安であった。
この怒涛のような時代に忠誠心とそれに対する男らしさをどのように確保することができるのだろうか。
19449月、「ライフ」誌に米兵の写真が掲載され、これが米国の大衆メデイアを席巻したが、この写真には上記の問いかけが常に付きまとうこととなった。
 
 
出典:WHAT SOLDIERS DO – Sex and the American GI in World War II written by Mary Louise Robertsから引用。69頁。
....この写真は数多くの戦場からの写真のなかで最も有名になった写真であると、ライフ誌の編集者が語っている。しかし、その意味をこの写真が根本的に変貌させた。この写真はアメリカ人に対するフランス人の有難い気持ちを象徴的に表したのではなく、男たちの海外での不貞を象徴的に示すものとなった。
....デモイン・レジスター紙はレポーターを差し向けてこの写真に対する地元の女性たちの反応を調査した。女性たちの間には羨む気持ちと怒りの気持ちが混在していた。この調査結果は全米広く報道された。「アイオワ州の女性はパリで撮影されたキスシーンは好きになれなかった」という見出しが躍っていた。この調査では17人のアイオワ州の女性が調査の対象となり、その内の一人は子供を抱えた伝統的な主婦であった。他の16人の女性はオフィスで、あるいは、職場で撮影されており、皆サッパリとした服装を身にまとい、ブラウスは糊がきいていた。
一家の長:
....元兵士や元囚人によって書かれた小説はドイツ軍がフランス人の家庭を襲ったことから来る苦悩や怒りで揺れ動く内容が多い。これらの小説では家屋は略奪され、マットレスは放り出され、避難民の放浪する姿が描かれている。住む家を失ったイメージが満載だ。侵略された家は占領時代を描いたものの中で最も人気の高かった小説、ヴェルコールの「海の沈黙」の中心的な舞台となった。小説中のアクションはドイツ人将校によって接収された家の中だけで進行する。ここでは、宿を提供することは占領そのものを象徴する。退却を余儀なくされた若いフランス人の兵士にとって、さまざまな羞恥の念の中でも家を守りきれなかったことに勝るような苦痛はなかった。それは国を失ったことにも匹敵するものと見られる。
解放の心理的外傷:
パリ解放の前夜、あるジャーナリストはアメリカ兵のパリへの到着はどんなものになるだろうかと空想していた。「我々の家のドアから一歩外へ出るとそこはもう自由の世界!ペニシリンとはどんな物か、風と共に去りぬという映画やハックスレイの最新刊を知ることも可能だろう。ウキウキするような瞬間となるに違いない」と。このくだりはフランス人が1944年まで如何に外部の情報から切り離されて生活をしていたかをよく示している。検閲や収監によって、彼らは戦争中まったく何も知ることができないでいたのだ。ドイツ軍によって閉じ込められ、フランスの外部で何が起こっているのかを知り得るのはラジオを通じてだけだった。しかし、そのラジオさえも手に入れることは困難であり、それを所持することは危険でさえもあった。このような幽閉の状態が続いたが故に、米兵が目の前に現れた時自分たちがドイツに負けたことが一体何を意味するのかについてフランス人はまだ何も予見さえできないでいた。米国の戦略諜報局は、1944年の10月、同盟国の本部へ「フランス人は今でもほとんどの連中がまったく無知の状態である...フランスの外部の者たちはフランスを大国の座から抹消したい程だ」と報告している。米兵との接触を通じて、フランスの男たちは自分たちの国はもはや前と同じ敬服の念を持って扱われることはないと気づき始めた。この意味合いにおいて、フランス人の「男としての危機」は、歴史家たちが想定したように、家庭での危機以上のものであった。このことを正しく理解するには、男らしさが受けた傷は国際的な文脈において論じなければならない。つまり、世界の中に位置するフランスにとってこの戦争はどんな影響を与えたのか、フランス国内における米軍兵士の存在はどんな影響を与えたのか、と。
1944年、フランスの男たちは世界の中でフランスはどこに位置しているのかを改めて考えざるを得なかった。アンドリュー・ナップによると、新たな超大国が君臨する世界にあって、彼らは二等国に住んでいることを突然知ることになった。20世紀の当初、フランス陸軍は広く尊敬されていたものだったが、1940年にあっという間に敗退してしまったことによって、米国の政治指導者らはフランスはもはや列強のひとつとして数えることはできないと結論したほどである。
....フランス人にとってはこの地政学的な敗退を飲み下すことは余りにも苦かった。歴史家のクレイン・ブリントンが1943年の12月に冷たく語ったように、「どのような統計をとってみても、フランスは今や一等国とは言えない。」しかし、フランス人はこれを事実として受け入れることができなかった。彼らにとって、フランスは「偉大な国」でなければならない。何ヶ月か過ぎて、ブリントンがフランス北部の「小さな人たち」と接触した時、彼は自分の考えを幾分か変えた。「フランスの栄光を再構築しようという話はなかった」ことに注意を引かれたのだ。そうとは言え、彼は続けた。「この連中はイタリア人ではない。こいつらは自尊心が強く、あちらこちらで劣等感もあらわす。彼らは敗退したことによってひどく傷ついているのだ。」
....ドイツの将来についての議論の場からフランスは除外されるのかも知れないとの考えについて、ある者はそんな考えは思いも寄らないと言って、腹を立てた。外交面でのフランスの除外は新しい世界に対する関心を高めた。フランスの弱小化した地位に関して苦々しい思いが存在することは北部フランスでは広く報告されていた。1944年の夏、シャルル・ド・ゴールの臨時政府は未だ認められてはいなく、多くの市民はアメリカはフランスを解放しに来たのではなく、植民地化するためにやって来たのではないかと恐れた。国家的な自尊心を満足させることがド・ゴールの専従領域となった。この新しい指導者は息つく間もないほどの素早さでフランス人の希望のすべてを託されることになった。彼らの希望とは世界各国の中にあって自分たちの頭を真っ直ぐに上げることだった。
....フランスの解放はフランス人にとっては屈辱的な瞬間だった。解放は自由をもたらしたが、不愉快な現実の到来でもあった。この事実からも、米兵との最も単純な接触さえもが解放がもたらした心理的外傷によって複雑なものとなってしまった。女性や子供たちを代表して特別な市民権を享受していた一家の長として、フランスの男たちは状況の劣化に痛いほどのショックを感じていた。結局のところ、国民一人ひとりが国家を失ったのだ。「たとえ彼らがどれ程多く我々に対して自分自身についての懐疑心を抱かせようと試みても、我々は偉大な国であるということをよく知っている。偉大な国は自尊心からだけではなく羞恥心を感じるからこそ自分たちの運命を自分たちの手中に収めるのだ」と、レジスタンスの新聞は論じていた。そこには壊滅的な二重の苦悩があった。それは男らしさについてでもあり、フランスの栄光についてでもあった。編集者の防御的な調子にはこのような苦悩が垣間見られる。米兵から受ける屈辱の念はこの問題を悪化させるだけであった。
この本を読み進めると、フランス人が味わった悲哀や怒りがよくわかる。それと同時に、私にとってはどうしても敗戦時ならびに戦後われわれ日本人が経験した苦悩や怒りとダブッてしまう。6週間でドイツ軍に負け、二百万人もの男たちが失意のまま強制労働や収監によって死亡した過酷な現実を見せつけられたフランス人、彼らの複雑な気持ちが分かるような気がする。チョコレート一枚あるいはラッキーストライク一箱で身を売った数え切れない程多くの女性たちは戦争がもたらした悲惨な現実のひとつである。レイプ事件についてはその数さえも把握されてはいないのではないか。
人類の文明の歴史は何千年も遡ることができるが、戦争が起こる度にレイプや売春が同じように繰り返されてきた。ここに人間の業を見る思いがする。

      

以上、第二次世界大戦以降の近代史を中心に慰安婦の問題や戦場における性に関しておさらいをしてみた。すべての国の例を検証したわけではない。ドイツやロシアについても検証する必要があろう。
しかしながら、この問題には総じて国家、民族、歴史、時代、文化等の要素には関係なくひとつの共通点が見出せる。それは、性は人類にとって非常に普遍的な要素であるという点だ。この点に着目する必要がある。それによって、二国間の問題を解決する糸口が見つかるのではないか。国際的な広がりを持つ解決策の糸口になるのではないだろうか。
今までの展開を第一ラウンドとすれば、第二ラウンドでは日本が世界を相手に逆転をする場にしたいものだ。

 

参照:

1朴大統領日韓首脳会談の考えなし 歴史認識で不満韓国紙: 産経ニュース、201372日、http://sankei.jp.msn.com/world/news/130702/kor13070214170001-n1.htm 
2首相の歴史認識「東アジアを混乱、米の国益損なう」と懸念 米議会調査局:産経ニュース、201359日、http://sankei.jp.msn.com/world/news/130509/amr13050910470003-n1.htm
3慰安婦問題「公人が事実否定」=日本政府に勧告-国連拷問禁止委:時事ドットコム、2013/06/01www.jiji.com/jc/zc?k=201306/2013060100030&g=pol
注4:NYタイムズのための「慰安婦問題」入門:pdf、池田信夫著、agora-web.jp/nyt.pdf


6Truth About Japan: U.S. Army's "Comfort Women": By Ikeda Nobuo, May 19, 2013, ianfu.blogspot.com/2007/07/us-armys-comfort-women-in-vietnam-war.html

 

 

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